120 とあるバカンス④
「いや、アーノルド殿にとっては不運かもしれませんが――この町にとっては最大の幸運と呼べましょう。まさか、レベル7認定ハンター殿が偶然来訪するとは……」
「…………」
明るい表情で話す太った市長に、アーノルドは内心を表に出さず、鷹揚に頷いた。
グラの町、中心部に存在する市庁舎の貴賓室。そこで、アーノルド達一行は町を救ったハンターとして歓迎を受けていた。
市長の表情も、周りのその部下たちの表情も皆一様い明るい。
高級そうなソファに身を預けるようにして腰をかけるアーノルドに、市長が手放しの称賛の声を送る。
「そしてまさかたった八人であの忌まわしいオークの群れを圧倒するとは――さすがはレベル7! 最近国外から来られたと聞きましたが、貴方はまさしくこの都市にとって救いの使者だ!」
「市長、現れたのはオークの群れだけではないと」
「ああ、そうだったな――」
激戦を乗り越え、町についた時点では血まみれだった格好は既に清潔なものに変わり、負った傷も既にポーションで回復している。
だが、アーノルドの内心には未だ解放されない闘争心が、煮えたぎるような怒りがあった。市長は気づかないが、仲間は口数の少ないアーノルドの双眸の奥には今にも爆発しそうなエネルギーに気づいている。
眼の前で何も知らずに話す市長に怒りをぶつけないのは、権力者に無為に怒りをぶつける事に何の意味もない事を良く理解しているからだ。
一流のハンターはあらゆる能力に優れる。その中には我慢強さも含まれる。
だが、それでも門での出来事――呆然とするアーノルドに放たれた《絶影》の所業を思い返すと、腸が煮えくり返りそうだった。
気を抜くと、何もかもを放り出して追跡に入りたくなる。それを押し留めているのは、仲間の負傷と準備不足もあるが、相手がこの上なく厄介な獲物だという事実だ。
一流のハンターはいかなる時でも彼我の戦力差を忘れない。
市長が目を見開き、まるで荒ぶる英雄を前にしたかのように身を震わせ言った。
「『炎の精霊』が――現れたそうですね」
そうだ。アーノルドは目を細めた。
天上から舞い降りる、二つ目の太陽の如く輝く生きる炎。
オークの群れや、怒れるその他の魔物達と死闘を繰り広げるアーノルド達の前に現れたのは、事もあろうについ二日前、エランで戦った精霊と同格の存在だった。
これが偶然だとするのならば、恐らく今のアーノルドは人生で一番運が悪いのだろう。
アーノルド達が五体満足で生き残ったのはただの幸運に過ぎない。
輝く炎の精は戯れのようにオークの群れを、魔物の群れを、アーノルド達ごと燃やし、そのまま飛び去っていった。
本気を出した上位精霊の力は、超一流の魔導師の攻撃魔法を超える。アーノルドや魔物の群れの一部が焼け残ったのは、精霊の攻撃がほんの戯れだったからだ。
それでも、街道を含んだ一帯が焼け野原になった。今、グラの町への街道を歩くものがいれば、その惨状――焼けた大地を覆う大量の魔物の死体に驚嘆することだろう。
戦いを思い出したのか、隣に立っていたエイがしかめっ面で文句を言う。
「……ったく。俺たちはこの地には詳しくねえが……この地で『精霊』はその辺に生息してるもんなんですか? こんな短い期間で二度も精霊とぶつかり合うのは俺たちでも初めてだ」
「い、いやいや、そんなはずは――このゼブルディアでも、精霊は人の手の入らない大自然の中ぐらいにしかいません。あるいは一流の魔導師が使役するくらいで、こんな人の町の側に出てくる事など覚えが――」
「わかってる。わかってますよ、そんな精霊がしょっちゅう出てきたらこちとら商売あがったりだ。ねぇ、アーノルドさん?」
エイの言葉に、アーノルドは重々しく頷く。だが、アーノルドの注意はとっくに市長から離れていた。
精霊も強力なオークの王も、全て終わった事だ。死闘だったが、打ち勝ったのは、生き延びたのは《霧の雷竜》だ。終わったことを考えても仕方がない。
だが、それとは別に――こちらを舐めきっている《千変万化》の所業を許すわけにはいかない。
これまでの経緯から考え、《千変万化》がアーノルド達に魔物をなすりつけ嘲笑っているのは明白だった。
どういうつもりなのか、どうやって事件を察知したのかは不明だが、明らかにトレジャーハンターの掟に反した行為だ。いや、たとえそうでなかったとしても――このまま黙っていたら《豪雷破閃》の名が落ちる。
力の入れすぎで歯がみしりと軋む。市長が憎たらしくなるくらい満面の笑みで言った。
「何はともあれ、グラの町を脅かしていたオークの群れがいなくなったのは確かだ。招集した騎士団やハンターの被害も最小限で済みました。些細ですが、町をあげて歓待させていただきます。もちろん報酬の方も――」
「……いや……すぐに出るぞ」
「!?」
アーノルドの言葉に、市長も、詰めていた他の市民も、後ろに控えていた他のメンバーも、皆が目を丸くした。
小規模な町や村ならばともかく、グラ程の規模の町が、町をあげて歓待するなど滅多にあることではない。ハンターとしての名誉にも繋がる。
アーノルドも平時ならば申し出を受け入れる所だが、あの《絶影》の煽りを受けては、歓待を受けていても気が休まらないだろう。
あの《絶影》の態度から考えて、《千変万化》はアーノルド達の追跡を警戒していないだろう。察知はしていても、警戒はしていない。
それを人は油断と呼ぶ。アーノルドは《霧の雷竜》を前に侮ったことを後悔させねばならない。
だがしかし、たとえ痕跡の処理をしていなかったとしても、追跡は時間が空けば空くほど困難になるものだ。
困惑している市長にもう一度力を込め、アーノルドは言う。
「悪いが……俺には、すべきことがある。長居はできない」
市長が驚いたように目を見開き、しかめっ面を浮かべることでなんとか怒りを押し止めるアーノルドを見る。
「な、なるほど……レベル7ハンターたるもの、休んでいる時間はない、と。もしかして、依頼の途中でしたか?」
「ア……アーノルドさん、今のパーティの状況で深追いするのはやばいです。三人死にかけたんだ、最低でも一日二日、身体を休めないと――消耗品もすっからかんだし、装備もボロボロだ。無事なメンバーも疲労が抜けてねえ」
エイが声を潜めて報告してくる。
オークの群れと、炎の精霊――火精は、エランの町での戦いの疲労が抜けきれていないアーノルド達のパーティに甚大な被害を与えていた。
帝都に来て購入したばかりの馬車は半壊し、引いていた馬も既に死んだ。武具もぼろぼろだし、強敵と戦うどころか、旅をすることさえ困難な状況だ。
アーノルド達の目的を勘違いしたのか、市長が真剣な表情で言う。
「こちらでも、できる限り協力させていただきましょう。必要な物があれば手配します」
熟考する。
市長の言葉はありがたいが、消耗品の補充はともかく、武具の修理が痛い。帝都で買ったばかりの馬車も全損し、馬も死闘の中で囮に使ったので買い直す必要がある。
完全なメンテナンスはこの規模の町では難しいだろうし、時間もかかる。エランの町で行ったような誤魔化しはもう効かない。
アーノルドはしばらく沈黙していたが、大きく舌打ちして仲間たちを振り返った。その苦々しい表情に仲間たちが一歩退く。
「……………………くそっ。三日――いや、二日でなんとかする。エイ、手配しろ。消耗品は多めに積め。馬車は大きめの物を用意――馬のランクを上げろ。次で…………決める」
「お、おう!」
どこに逃げたとしても、絶対に追い詰めこれまでのツケを払わせてやる。
目と目があったにも拘らず、まるで興味がないとでも言うかのように後ろを向いた《千変万化》。
衆目の中、疲れ切っていたアーノルド達に対して侮辱の言葉を放った《絶影》。
二度の激戦を経てなお、アーノルド・ヘイルの戦意が衰える事はない。
§ § §
『マスターは神。マスターはトラブルや弱き者を見過ごさない。だから、トラブルをたどっていけばマスターのいる所には自ずとたどり着く。わかる?』
全然わからない。淡々と、しかし並々ならぬ熱量を込められ語られた『友人』の言葉に、当時のルーダはそう思った。
だが、今のルーダにはその意味がなんとなくわかる。
「雷……精……? 一体、何が起こってるのよ?」
「原因はただいま調査中です。ですが、その方は二日ほど前に外に出ましたよ」
入町の管理をしていた青年兵士が、不思議そうな表情を浮かべ、ルーダを見る。
本物だ。本物のトラブルメーカー。しかも話によると、それを人に受け流す厄介な奴。
『千の試練』と聞いた時には驚いたが、酷いものだ。最初に《始まりの足跡》のメンバー募集会場で出会った時にはそのあまりにもらしくない様子に驚いたものだが、これが故意に起こされているとしたら――たとえ目的が鍛えるためだったとしても――クライ・アンドリヒは人間の皮を被った悪魔に違いなかった。
「そう……行き先とか聞いてない?」
「登録されていませんね……まぁ、ハンターならば登録しないのも珍しい事ではないので」
入れ違いか……しかも行き先不明。最初の町で捕まえることができれば簡単な話だったのだが、そううまくはいかない、か。
ルーダが支部長から言付けを受け取ったのは、ちょうどルーダが依頼を吟味している最中の事だった。
手紙を授けられた理由は、最低限の実力と信頼があり、クライの顔を知っていて――そして僅かでもクライと共に冒険した経験があったから。
最初はどうして自分がと思ったが、報酬は手紙を届けるだけとは思えないくらい破格だったし、受けない理由もなかった。
もともと手紙の配達は時折、発行される依頼である。前提として受領するハンターにそれなりの信頼が必要とされるため、ルーダは受けた事がなかったが、旅行がてら受ける依頼だと思えば信じられないくらい割がいい。
それでも人探しを兼ねているのならば大変だろうが、今回は目的地もわかっている。グラディス伯爵領だ。あとは、その間にある町の出入を管理している部門に問い合わせて足取りを追えばいい。
簡単な依頼のはずだった。しかし、最初の町で既に雲行きが怪しい。
本来人里に現れる事など滅多にない精霊が町を襲った。既に終わった後とはいえ、あまり気持ちのいい話ではない。
嫌な予感がする。
それが盗賊としての勘が鳴らしている警鐘なのかそれともただの錯覚なのか、眉を顰め真剣に考えていると、後ろから声がかかった。
「…………なんだ、入れ違いだったのか。どこにいったんだ?」
「……知らない」
やや高い声に、深々とため息をつく。
今回依頼を受けたのはルーダ一人ではない。偶然、同じ時間に掲示板を見ていたパーティも合同で受けている。
いつもソロのルーダとて、臨時でパーティを組んだことはなくもないが、そのメンバーが前回、【白狼の巣】でひどい目にあった時に共にいたメンバーともなれば、気が重くなるのも無理はないというものだ。
ギルベルト・ブッシュは特に気を悪くした様子もなくルーダの前に出ると、青年兵士に大きな声で尋ねた。
「なるほど……なら――おい、この近くの町で最近トラブルが起こっている所とか、知らないか? レベル8のハンターが寄り道しそうな場所だ」
「ちょっと、勝手なことしないで」
「ティノがそう言ったんだろ? 俺は追跡の能力なんて持ってないぞ。俺たちのパーティの専門は宝物殿の攻略だからなッ!」
私一人で十分だって言ったのに、なんでこんなのがついてくるのよ。
ギルベルトのパーティメンバーが申し訳なさそうに近づいてくるのを見て、ルーダは深々とため息をついた。