119 どきどきバカンス
「……撒いたみたい……です。地平線の先まで、追手がいる様子はない。まぁ、こっちも街道沿いに走ってますし、後から追いつかれる可能性はあると思う、ますが……」
見張り台から、ぼそぼそと報告が聞こえる。
敬語に慣れていないのだろう、かなり話しづらそうだがそれはともかく、僕はその言葉にようやく一息ついた。
隣ではリィズが脚を組み、心底おかしそうに笑っている。
「くすくすくす、見たぁ? クライちゃん。顔真っ赤にして怒ってたよ? たかが田舎のレベル7の分際で、身の程をわきまえろって感じ!」
勘弁してほしい。喧嘩を売るのは勝手だが、何故か責任は全部こちらに来るのだ。
相手はレベル7である。レベル7だ! リィズよりも上のレベル7! 実質的な能力がレベル1以下(ハンターのレベルに0はないけど)の僕ではどうあがいても太刀打ちできない相手だ。
「煽るのやめなよ。百歩譲って彼らがオークの群れと戦う羽目になったのが僕のせいならばともかく、僕のせいじゃないんだから」
「クライさんのおかげ、ですよね!」
「……」
シトリーがにこにこしながらトンチンカンなフォローを入れてくれる。
僕のせいでもおかげでもないよ。彼らの運の悪さは彼らの責任だ。僕の運の悪さが――僕だけの責任であるように。
この場所に僕の仲間はいなかった。強いて言うのならば、寝不足の状態で走らされ今にも倒れそうなティノだけが僕の味方であった。
グラの町で貰ってきたお土産のチョコレートの箱を開けながら、シトリーに確認する。
「追ってくると思う?」
「追ってくるでしょうね。追ってこなかったらハンターとして致命的な何かが欠けている事になります」
だよね。優秀なハンターというのは優秀な猟犬に似ている。一度対象を見つけたらどこまでも追いかけ、たとえ一度見失ったとしても決して諦める事はない。
厄介な連中に目をつけられてしまった。あーるんは彼らとどういう決着をつけたのだろうか……。
下手をしたら――例えばリィズやシトリー達が頑張って、叩きのめしたとしても追跡を諦めない可能性すらある。
そこまでいくともう殺してしまうのが手っ取り早い解決手段になってしまうのだが、その手だけは絶対に使うわけにはいかない。ハンターとしてとかではなく、人間として終わってる。
何故か状況を理解していながらも、シトリーは笑みを崩す気配はない。考えを放棄し、安心したくなるような穏やかな声で言う。
「まぁ、しかし、相手も消耗していました。すぐに追いかけてくる可能性は少ないかと思います」
なるほど……確かに、ハンターたるもの、常に行動には万全な準備を要するものだ。
仲間も負傷していたようだし、そんな状態でリィズを相手にしようとは思わないだろう。
そして更に――アーノルド達は僕達の目的地を知らないはずだ。僕が目的地らしき物を漏らしたのはここにいるメンバーだけだし、偽の(本物の)身分証明書で正体も隠している。
馬車を使っているので轍はつくが、ここは街道だ。轍の跡なんていくらでもある。追跡が成功する可能性は限りなく低いと見ていい。
リィズが脚を伸ばし、ばたばたばたつかせながら唇を尖らせている。
「つまんなーい。鬼ごっこしたーい」
その鬼は本物の鬼だよ……あの時のアーノルドは僕の頭を林檎みたいに潰したそうにしていた。間違いない。
ティノが頭をゆらゆら揺らしながら、腫れた眼で僕を見ている。もう限界だった。
僕は覚悟を決めた。
万が一にも追いつかれる事はないだろうが、念には念を入れよう。口全体に広がるチョコレートの甘ったるい味を噛み締めながら、地図を開く。
僕は最初、【万魔の城】まで、幾つもの町を経由して安全な街道を行くつもりだった。急ぎの用でもなかったし、僕の中で優先すべきは安全だったからだ。
だが、追手があるとなれば――変えねばならない。追跡が困難とはいえ、バカ正直に街道を進んでいたら追いつかれる可能性がある。
道を外れ、ショートカットする。街道を外れる以上魔物に遭遇される可能性は高くなるが、こちらにはリィズとシトリーと、シトリーの雇った護衛が三人いる。安全はある程度担保されていると言えよう。
レベル7の怒れるハンターに追い回されるよりはマシだ。
「……クソッ、アークを連れてくればよかった……あのイケメン、必要な時にいないんだよね。もしかして嫌われてる?」
何のための帝都最強なのか。本人に聞かれたら間違いなく苦笑いされそうな言葉に、アークのライバルを自称しているリィズがぷくーっと頬を膨らませる。ふてくされたリィズは普段以上に子供っぽい。
「なにぃ? クライちゃん、もしかして私に不満があるの? あるなら言って? 私はクライちゃんの事、大好きだし」
「いや、別にないけどさ……うん、十分だ。リィズは十分強いよ。よし、そろそろルートを変えよう。街道を行くのはもうやめだ!」
リィズの眼の色が変わり、満面の笑みでこちらに身を乗り出してくる。
さぁ、アーノルド。僕のレベル8たる所以(かもしれない)、逃走スキルを見せてやろうじゃないか。
§ § §
まじかよ……。
御者台に座っていたクロとコードネームを付けられた男は、出されたその指示に、一瞬何を言われているのかわからなかった。
それまでは、退屈でありながら平穏な旅だった。特に強力な魔物が現れる事もなく、初日の嵐を除けば天気もいい。
顎で使われ、ずっと馬車の御者台に座らされるのは閉口したが、無理やり付けられた首輪と比較すれば甘すぎる待遇だった。
街道は平坦で魔物も間引きされており、基本的に安全だ。だが、そこから一歩外れると危険度は桁違いに上がる。
「だ、だが、あのガレスト山脈には強力な魔物が――この少人数で立ち入るなんて、危険過ぎる」
「だからなんですか?」
小窓を開け、顔を出した少女が笑う。傷一つない白い肌と整った容貌は、状況によってはクロ達の獲物になりそうなくらいに美しかったが、今のクロと隣に座ったシロにはその笑顔が悪魔にしか見えなかった。
ガレスト山脈は帝国の北方に連なる山脈である。地形的にはそこまで険しくはないが、麓一帯に森が広がっている事もあり、多様な魔物が生息することで知られている。
だが、最も大きな問題は生息する魔物の強さに大きく幅があることであり――中には熟練なハンターでも徒党を組まなければ太刀打ちできない者まで存在する。
「一応道はありますし、ガレスト山脈なんて私達が踏破した宝物殿と比較すれば大した難所ではありません。魔物を蹴散らせばショートカットになります。……私達も行きは通り抜けましたし」
「ショート……カット?」
ありえない。持たされた地図を開き、凝視する。
確かに、ショートカットにはなる。山の向こうを目的地と仮定して、街道を離れ山脈とその裾野に広がる森を抜ければ、ガレスト山脈を迂回するよりも一日から二日程度、時間の短縮になるだろう
だが、短縮されたとしてたったの二日だ。森の中には古い道が存在しているが、旅人はガレスト山脈を抜けるルートをまず選ばない。踏破できるだけの実力を持つハンターもそれを避ける。あまりにも危険で、あまりにも無意味だからだ。
クロ達三人はハンター崩れだが、それなりの戦闘能力は持っている。ガレスト山脈を抜ける事は決して不可能ではないが、普段ならば絶対に選ばない程度には危険だ。
いくらハンターから逃げるためとは言え、あまりに乱暴な手段である。
「も、目的地は……最終的な目的地は、どこなんだ?」
そもそも、クロ達は目的地を知らない。ただ、街道を真っ直ぐ進むように指示され、時折町の名前を言われるだけだ。
愕然としつつも、確認するクロに、シトリー・スマートは意味深な笑顔を浮かべた。
「知る必要がありますか? 行ってください。これは、クライさんの決定です」
本日、書籍版二巻発売です!
既にたくさんの購入報告を頂いていますが、本当にありがとうございます。
こうして二巻を出すことが出来たのは、応援頂いた皆様のおかげです。今後もWeb版、書籍版共に宜しくおねがいします!
また、ついったーでは軽くつぶやきましたが、今月で嘆きの亡霊は引退したいの投稿を始めて丸一年だったようです。
ここまでお付き合い頂きありがとうございました!
キリがいいので、個人的にキャラクター投票でもやろうかと思っております。ご期待くださいませ!
モチベーションにつながりますので、
楽しんで頂けた方、わくわくバカンスな方、どきどきバカンスな方おられましたら、評価、ブックマーク、感想などなど宜しくおねがいします。
/槻影
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