116 とあるバカンス③
力ずくでへし折られ倒された木々に、掘り起こされたかのように荒らされた地面。
まるでスタンピードが発生したような跡に、報告を受けて様子を見に来たハンター達は息を呑んだ。
周辺は開けているが、未だ鼻の曲がりそうな獣臭が残っている。大量の動物がつい先程までこの場所に巣食っていた証だ。
だが、その臭いの元となる生き物の気配がない。
森の入り口付近に立てられた、木々を荒く削り組み立てられた砦は空っぽで、四方に建てられた物見台にも誰もいない。固く閉じられていた門も大きく開かれている。
その前を注意深く見れば、地面が無数の足跡で踏み固められているのがわかった。
もともとその場所には村が存在していた。
随分前に人口の減少で廃村となってしまったが、ごく最近、そのスペースを利用し砦を建て住み着いた魔物がいた。
ここ最近グラの町が警戒していたその魔物の名を――オークと言う。
道具を使う程度の知恵を持ち、群れを作る程度の社会性を持ち、しかしその凶暴性と人の集落を好んで襲うという特性から恐れられている亜人系の魔物である。
個体としての能力は戦闘を生業にしているハンターや騎士から見れば大したことはないが、しかしその魔物の一際厄介な点は高い繁殖力にあった。
オークは増える。その速度は亜人系の魔物で最も繁殖力が高いと言われるゴブリンに次ぐとされ、十数匹程度の小さな群れが一年経たずに数百匹規模の群れに膨れ上がった例もある。
そしてその膨れ上がった群れが突出した個体により統率された時、オークは人の国をも脅かすほどの存在となる。
グラの付近に巣食っていた群れも、そういった性質を持ちかけていた極めて危険な群れだった。
打ち捨てられた廃村を利用する程度ならばともかく、ただのオークの集団が砦を作るなどありえない。
間違いなく異質な能力を持ったオークの王がいると推測されていた。そして、そういった個体が率いるオークの群れは非常に手強い。
迂闊に攻めれば、装備で優れている人間の騎士団やハンターが敗北しかねない、そういう群れだ。
砦に篭り、地理的な優位を持ったオークを殲滅するには、かなりの戦力が必要だ。
事前のハンター達の調査では、物見台の上から周囲を警戒するオークの姿が複数確認されており、グラに常駐している戦力で討伐に出るのは危険だという判断に至り、戦力を補充している最中だった。
だが、つい先日まで数百体のオークが籠もっていると予測されていた砦には今、オークの姿は一匹もない。
「何が起こったんだ?」
「本当に、オーク達がいなくなっているな」
困惑と警戒の表情を浮かべつつ、ハンター達が砦の内部に潜入する。
見張りを担当していたハンターより、オーク達の群れが砦を離れたという情報がもたらされたのはつい数時間前の事だ。
何度か砦から釣り出すべく行った挑発にも全く反応しなかったオークの群れ。その動向の変化は着々と戦力を集めていたグラの町にとって晴天の霹靂だった。
ついに襲撃をかけてくるのかと態勢を整えたがオーク達の姿が町の近くに現れる気配もなく、そもそも砦を作るほどの知恵を持つリーダーが率いる群れが、斥候を放つこともなく襲撃を掛けてくるとも思えない。
「報告通り、オーク達が逃げ出すような天敵が現れた気配もないな……」
「足跡の様子を見ろ――かなりの勢いで踏み固められている。相当興奮しているようだ……」
砦は人の作ったものと比べると遥かに粗末なものだったが、外部から破壊されたような跡はない。
見張りからは、オーク達の集団と一際屈強な個体――恐らく、群れのリーダーが、怒涛の勢いで砦を飛び出していったという情報があった。最初に報告を聞いた時には、何の冗談だと思ったものだが、こうして実際に確認する空っぽの砦と周囲の様子は見張りからの情報が正しかった事を示している。
今どこにいるのかは不明だが、相手は百頭規模の巨大な群れだ。遠からず発見されるだろう。
警戒しつつも内部を確認し、グラの町を脅かした天敵の姿が全くない事を確認すると、ハンター達は顔を見合わせた。
「いないな……よし、何が起こったのかはわからないが――予定通り、奴らが戻ってくる前にこの忌々しい砦を壊してしまおう」
グラには着々と戦力が集まっている。砦さえなくなれば、群れが戻ってきたとしても戦いを優位に進められるだろう。
頷き合うと、グラの町のハンター達は砦を破壊するため準備を開始した。
§ § §
それは、遠目からみてもはっきりわかる規模の魔物の群れだった。
ぎらぎらと輝く無数の瞳に、風に乗って漂ってくる臭い。まるで波のごとく平原をかけるオーク達の群れの様相はまさしく狂乱という単語に相応しい。
魔物の住む世界を駆ける事に慣れているはずの馬が怯え嘶いている。
あからさまに異様な魔物の群れに、これまで数々の修羅場をくぐってきた《霧の雷竜》のメンバーの表情も引きつっていた。
アーノルドが愛剣を抜き、吐き捨てるように言う。
「一体、何が――クソッ、精霊の次はオークの群れだと!? この国ではこれが普通なのか!?」
「しかも、奴ら普通じゃねえ。興奮して――正気を失ってる……」
オークの群れには特に何もない。狩りをしているわけでもなければ、人間の集落を襲おうとしているわけでもない。いや、その程度の理由でここまで狂ったような行進を行うとは思えない。
一心不乱に突き進むオーク達は、足を滑らせ倒れた仲間を構わず踏み潰し、何故かアーノルド達の方に向かっていた。
竜殺しであるアーノルドにとって、オークの数体などお話にならない。そして共に数々の冒険をこなした《霧の雷竜》のメンバーにとっても、オークの群れなどさしたる相手ではない。
だが、今回は数が違った。
目測するだけでオークの数は数百匹。本来、一ハンターのパーティが冒険中にこの規模の群れとぶつかり合う事はありえない。一パーティが相手にするにはあまりにも多すぎるからだ。
突進してくる集団との距離と速度を測っていたエイが大きく舌打ちをする。
「クソッ、あの勢いだと――逃げ切れねえ。アーノルドさん、やるしかねえ。なに、数が多いだけだ。やってやれねえことはねえ」
「……防御の陣を組め」
エイと、他の仲間の表情には決死の覚悟があった。
指示を出すと、身の丈程もある大剣を掲げる。
アーノルド達がネブラヌベスで討伐した雷竜――その骨を使い生み出した金色の刃はまるでまだ竜であった頃を覚えているかのように帯電していた。
すぐれた魔法の力を持つ魔物の素材で生み出した武具は時に生前の魔物の力を宿す。アーノルドの大剣――二つ名の由来でもある『豪雷破閃』はその最たるもの。
数多戦士の先頭に立ち竜殺しを達成した英雄にのみ振るうことが許された至高の一振りの前にオークの群れなど物の数ではない。
鼻息荒く歯を強く食いしばりながら、アーノルドがふと思い出したように確認する。
「……《千変万化》はどこだ? ここを通り過ぎたはずだ」
「さぁ。しかし、連中の様子は明らかに異常だ。もしかしたら――あの男から逃げているのかもしれません」
エイがブルリと肩を震わせると、唇を歪めて笑う。
オークは知恵を持つが、同時に蛮勇であることでも知られている。特に大規模な群れに発展したオークは多少の事で逃走を選んだりはしない。
だが、レベル8が常識で測れないことは、レベル7まで至ったアーノルドが一番良く知っている。
「……クソッ。猪突猛進のオークが脇目も振らずに逃げ出す、だと!? 何をやった――あの男」
ふと地面に落ちているポーションの瓶に気づく。貴重な物資だが、今はためらっている場合ではない。
アーノルドもそれに倣って腰のベルトから身体能力を強化するポーションを抜き、一息に呷る。
臓腑が震え、心臓を中心に熱い力が全身に巡る。強い高揚感が緊張を吹き飛ばす。オークの群れはアーノルド達を見て、しかし立ち止まる気配はない。
音が、振動が近づく。巻き上がった土煙が視界を隠す。
瓶を地面に捨てると、アーノルドが雷鳴のような声で叫んだ。
「いいだろうッ!! 恐れるべきは《千変万化》ではなくこの俺、《豪雷破閃》である事を、その足りない頭に教えてやろうッ!」
「――キサマカ……ワガムレヲ、クルワセタノハッ…………!」
「ッ!?」
頭上に落ちてきた刃を、アーノルドは上段の構えで受け止めた。
強い獣の臭いが鼻につく。殺意に濁った金の瞳がアーノルドを至近距離から見下ろしている。紫電が散り、豪雷破閃の纏った雷が、刃を伝って身体を焼くが、その肉体は微塵も揺るがない。
空から落ちてきたのは、全身を黒色の鎧で包んだ異様なオークだった。
身の丈は通常のオークの一・五倍。漆黒の毛皮には無数の傷跡が残り、左目が潰されている。両手に握った柄の長い戦斧は無骨だがよく磨かれており、豪雷破閃と打ち合って破壊されない以上、ただの武器ではないのは明らかだった。
しかし何より通常のオークと異なるのは――その目に、強い知性の光がみえる点だ。
上位個体。種族の異端。生まれつき種を超越した魔物。
一撃が重い。並大抵のハンターでは太刀打ちできない、オークを半ば超越した力量がそこからは伝わってくる。
明らかな強敵の気配に、アーノルドが力を込め、豪雷破閃を振るう。
黒毛のオークは大きく後退すると、唾を吐き散らしながら叫んだ。片言だったが、その声には激流のような強い感情が込められている。
「リセイガ――キエル。キョウフ、センイ、コノニオイ、ワレラヲヨブ。クルワセル。ホンノウ、タマシイ、ヤク。センシ、オンナコドモ、ムカンケイ。オウタルワレガ、ムシスルワケニハイカナイ。オノレ――ニンゲン――ヒキョウナマネヲッ!!」
「……何の話だ?」
「ナノルツモリハナイッ!」
「アーノルドさん、群れに巻き込まれる前に潰しましょう!」
咆哮と咆哮が交わる。殺意が肉体を貫く。
ふいに眼前に振り下ろされた黒い一撃を、アーノルドは剣で迎え撃った。