111 わくわくバカンス
窓から外を覗くと、なだらかな丘陵地帯が流れていた。
それをぼんやり見ていると発展した帝都とはまた違った牧歌的な光景に穏やかな気持ちになる。走っているある程度固められた街道を除き、人の手の入った形跡はなく、また他の旅人の姿もない。
時折現れる魔物や動物についても大人しいものが多く、馬車に襲いかかってくる者はほとんどいない。極稀に襲いかかってくる魔物についても、シトリーの雇った三人が片付けてくれるため、僕は馬車を降りる必要すらない。
エランを脱出して一日。天気は快晴。透き通るような空の下、のんびりした馬車の旅は順調に進んでいた。
初日に大嵐に見舞われた時はどうなるかと思ったが、街道を行く旅というのはこんなものだ。
町の中程ではないが、帝国領内は概ね安全だ。魔物や幻影などに対する自衛は必要だが、大物は駆除されるため、常識的な護衛をつけ道を選べば、行き来するのに問題はない。
だがそれでも、こうして気軽に魔物の生息域を出歩き美しい光景を見る事ができるのは、ハンターの特権と言えた。
こういうのでいいんだよ。こういうので。
僕はだらりと馬車の窓から乗り出し、景色を見ながらもう一度欠伸をする。
その時、背後から不機嫌そうな低い声があがった。
「…………暇」
リィズはとにかくじっとしているのが苦手な人間である。
僕の記憶では、彼女はいつも動いていた。馬車を長距離で移動する時は基本的に外を走っていたし、町中でも暇さえあれば訓練に勤しんでいた。座学も苦手ではないようだが、実技をやっている時と比較すると明らかに退屈そうにしていた。
そんな彼女にとって、特訓を禁止され馬車の中に閉じこもるのは耐え難い苦痛だったらしい。
それでも一日持ったのだから、僕の予想よりも我慢している。
馬車の隅で大人しく本を読んでいたティノが顔を上げ、一日経っても変わらず隈の張り付いた双眸を、いつになく不機嫌そうな師に向ける。
「ティー、暇。早く何か起こってくれないと、退屈に殺されそう。なんか面白い事やって? ほら、早く!」
「え……!? えっと………………宝具の勉強でもやりますか? マーチスさんに初心者向けの本を頂いたんです」
「やらなーい。そんなのいいから何か面白い事やって?」
「え? え? ……じゃ、じゃあ…………ガーク支部長の……その――ものまねを、やります」
師匠からの無茶な振りに、ティノがこれまた無茶な返しをしようとした所で、僕は車内を振り返った。
小柄なティノがあの益荒男のどのようなものまねを披露するつもりなのだろうか。興味はあるが、リィズの不機嫌を直すのは難しいだろう。
リィズの注意がティノからこちらに一瞬で切り替わる。きりっとした目つきでガークさんを演じかけていたティノが慌てて澄ました顔をした。
リィズが四つん這いで笑顔で擦り寄ってくる。
「ねぇ、クライちゃん。暇ぁ。ねぇ、いいこと考えたの。私がねぇ、外を走るの。箱につないだロープを持ってねぇ、クライちゃんがそれに乗るの。こんな馬車よりもずっと早いし、風も感じられるし、きっと気持ちいいよ? これは訓練じゃないよね?」
昔そんな遊びしたなぁ……リィズ達の訓練の一環だったので僕はいつも箱に乗る側だった。
しかし今のリィズだと速度が出すぎて放り出されてしまうだろう。
「もー、せっかく久しぶりのクライちゃんとの長旅なのに、ティーとシトは邪魔だし、今回の制限厳しすぎ。こんなに使わないと筋力が落ちちゃうかも……ねぇ、落ちてない? 見て?」
ごろんと仰向けになり、剥き出しになった日に焼けた腹部を見せつけてくる。
いつもどおり傷一つない肌だ。あまり筋肉質には見えないが贅肉などはついておらず、しなやかな野生動物めいた美しさがあった。
もともとマナ・マテリアルの強化というのは外見に現れにくいものだ。お腹を見せられても筋力が落ちたかどうかなんてわからないが、多分落ちてないと思うよ……。
しげしげと肌を見る僕に、リィズが両手を差し出し、どこか嫣然と笑う。
「ねぇ、クライちゃん…………構って?」
「お姉ちゃん、みっともない真似しないでッ!」
その露わになった腹部に、それまで書き物をしていたシトリーが脚を伸ばし踵落としの要領で振り下ろした。
ティノがずりずりと後退り、蹴りを入れられたリィズが飛び起きる。
「あぁ? 何すんだよ!? 邪魔しないでッ!」
「クライさんに迷惑かけようとするからでしょ!? お姉ちゃんはいつもいつも――走りたいならティーちゃんと一緒に走ってくればいいでしょ!? クライさんはどうしても我慢できないなら訓練してもいいって言ったんだからッ!」
また始まったよ。喧嘩するほど仲がいいと言うかなんと言うか……。
弟子や僕が見ている他、御者台にも声は届いているはずだが、そんな事は気にならないらしい。
「だーかーらー、その手には乗らないっていってんだろーが! だいたい、無駄だから! クライちゃんは私にメロメロなんだから、シトが何したって無駄なの! 邪魔! どっか行って! ルシアちゃんがいないからって調子に乗って――」
リィズが声高らかに主張する。
そうか……ルシアがいないから喧嘩が起こっているのか。そういえば、こういう時に喧嘩を止めるのはルシアかアンセムの役割だった。
特に、ルシア・ロジェは元僕の義理の妹であり、いつもだいたい側にいてだらしない僕を叱っていたので、自ずと目の前で発生する言い争いを仲裁する羽目になっていた。その度に何故か僕が怒られる事になっていたのは余談である。
しかしなるほど…………ルシア、か。
ティノがあわあわしているうちに口喧嘩はヒートアップしてくる。
恐らく、僕の与えた縛りはシトリーにも少なからずストレスを与えていたのだろう。いつもの冷静なシトリーならばここまで熱くならないはずだ。
制限を考え直す必要があるかもしれない。
「私は、お姉ちゃんみたいに、クライさんに迷惑掛けないもん! それに、何回も言ってるでしょ!? お姉ちゃんとクライさんは、遺伝子的に相性が良くないってッ!」
「姉妹なんだからてめえも一緒だろーがッ! そういう所が姑息なところなんだよッ! この泥棒猫!」
遺伝子的相性なんて言葉、初めて聞いた。
珍しい事に、シトリーの頬も興奮で染まっている。ヒートアップしすぎたのか、シトリーは自然な動作で懐から白いポーションを取り出した。止める間もなく、リィズに向かって投げつける。
窓から差し込む陽光をきらきら反射しながら飛来したポーションを、リィズは当たり前に避けた。ポーションが風を入れるためにあけていた窓から飛び出し、地面に落ちる。ガラスが割れる音がした。
「なんで避けるのッ!?」
「ったりめーだろーがッ! ろくでもないポーションばっかり作りやがってッ! ヘマして捕まっても絶対に助けにいかないからッ!!」
言い争いをしている間も、馬車は進んでいく。
窓から身を乗り出し後ろを確認するが、既に僕の視力ではシトリーのポーションの跡は視認できなかった。
……大丈夫だろうか? 爽やかな風を感じつつ、眉を顰める。
喧嘩でポーションを投げるの、本当にやめてほしい。回復薬ならばともかく、シトリーのポーションのストックの半分は攻撃用だ。
「ほら、喧嘩はやめて。リィズ、もう少しで次の町につくんだから我慢して。……シトリー、さっき投げたポーションだけど、大丈夫?」
遅まきながらにらみ合う二人の間に割って入る。久しぶりにパーティリーダーっぽい事をしている気がする。
シトリーもリィズも、喧嘩は度々するが殺意を抱くまで発展することは滅多にない。リィズの一人称が変わっていないのもその証だ。
今回も、仲裁が入ったことで二人の表情から少しだけ険が取れる。
「……はぁい」
「ごめんなさい。少しヒートアップしてしまって……さっきのポーションですか?」
あれで『少し』、か……姉妹だなぁ。
リィズがぺたんと座り込み、シトリーが息を整える。
次の町は僕も初めて行く町だ。そこまで大きな町ではないが、名産品はチョコレートらしい。帝都にはあらゆる物資が集まるので食べたことはあるが、少しだけ楽しみだ。
シトリーはいつもの表情に戻ると、囁くような声で言った。
「あのポーションは……デンジャラス・ファクト――修行用に作った強力な『魔物寄せ』の改良版です。クライさんも入り用なら作りますが――」
別に文句を言える立場じゃないが、修行するのに手段を選ばなさすぎじゃないだろうか。
「…………さっき落としたみたいだけど、それってやばくない?」
「大丈夫です。町中ならともかくここは町の外ですし、時間経過で散りますから。……問題が起こったとしても、私達が使ったという証拠はありません」
シトリーが安心させるような笑顔を浮かべた。
公式ページに、書籍版二巻のカラー口絵が掲載されています。
いい感じに頑張っているシトリーちゃんとやたら格好いいスヴェンが見られますので、もしよろしければご確認くださいませ!(ついったーでリンクをつぶやいています)
※ちなみに、カラーイラストは今回書き下ろした一シーンです。
二巻発売は1/30です。よろしくお願いします!
/槻影
更新告知:@ktsuki_novel(Twitter)