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不思議のアリスさんと白いウサギさん  作者: ことぶき司
第1話『ネコさん好きなものを奪う』
4/5

4『ネコさんと猫じゃらし』


「にゃぁ……にゃぁ……」

「よーしよしよし、よーしよしよし」

 ごろごろと、某動物大好きおじさんのような声を出しながら、白ウサギはぐったりとアスファルトにへたり込むチェシャの首筋を撫で回していた。

「いいっスね、兄貴……」

 シマはそんな二人の様子をヨダレを垂らしながら見つめている。実に気持ちの悪いことこの上ない。

「や、やめるにゃ〜〜……」

「ぐへへへ……。ええのんか? ええねやろ? ここがええねやろ。ほれ、ほれ、さっさと白状してみぃ――ぺきゃ」

「ほら。いい加減にしろ」

 ぺこ、と白ウサギの頭を僕は軽くチョップする。

 もう少し静観していてもよかった気もしないでもないが、そろそろ腰の動きがR―15からR―18になりかねない勢いだったから仕方ない。だからそんな恨めしそうな目で見るなシマ。

「んもー、痛いじゃないアリス。せっかくいいとこだったのにー」

「やかましい。これ以上はいろんな団体から怒られかねないんだよ。それに、そしつがそんな状態じゃ返して欲しいものももらないだろうが」

 そもそも、それが目的なのだ。

「おい、猫娘。チェシャと言ったか」

「…………何にゃ」

 チェシャに話しかけんと腰を屈めた僕に、チェシャは息絶え絶えながらも視線だけを動かし答えてくれる。

 はっきり言って、妙にエロいです。はい。

「「じとー」」

「っげふげふん! えっとだなー」

 二匹の獣から放たれる謎の視線を察知して、僕は意識を本題へとシフトする。

「チェシャ。お前が奪ったっていう猫じゃらしを返して欲しい」

「…………イヤにゃ」

 まぁ、予想していた反応ではあるな。

「一応理由を聞いとくぞ。何でだ?」

「…………」

 そして喋らないわな。そりゃあ。

 さてどうしたものか。

 そんな風に悩んでいると、

「兄貴。ここはあっしに任せてくれやせんか」

 駄猫がそんなことを言ってくる。

「……すべからく不安だが、やってみろ」

「任せてください、兄貴!」

 何だこれ。不安しか湧かないぞ。

「おうおうおうおう! 兄貴が親切に聞いてくださってんのにだんまり決め込むたぁちぃと舐め過ぎなんとちゃうか、おお? 下手に出てりゃいい気になりやがって! なんなら、そのえらい発育のよろしい身体に聞いたってもええんやぞ? 今やったら、わいが直々に気持ちようしたるでぇ? ぐへへへ――ぐえっ!?」

 案の定である。

「もういい。お前は引っ込んでろ」

「ええ!? 何でっスか兄貴! 今からがいいところなのに!」

 何がいいところか。任侠映画の見過ぎだバカ猫が。

 まぁ、だがコイツに猫じゃらしを返してもらわないと話が終わらないのも事実。かと言って、本当に拷問するわけにもいかんしな。

 さてさて、どうしたものか。

「あらまぁまぁ。あんたたち、本当にその子を捕まえたのかい」

 僕がチェシャの処遇に悩んでいると、駄菓子屋のおばあさんが店先からやってくる。

「よく捕まえたねぇ。商店街の組合総出でも無理だったってのに」

 やはりというかなんというか、無痛の人間であるおばあさんにチェシャは普通の猫にしか見えていないらしい。

 おばあさんはチェシャのすぐ側に膝をつくと、優しい手つきでチェシャを抱き上げる。

 すると、いつの間にかチェシャの姿は普通の猫のような毛むくじゃらの三毛猫へと変わっていた。

「おい白ウサギ。あれはどういう理屈だ」

「簡単な話よ。真実の姿というのは観測者によって異なるもの。人型猫型、どちらもあの娘にとっては真実の姿なら、観測者であるおばあさんにとっての真実の姿――つまり猫の姿になるってわけ」

「なるほど。わかりやすい」

 そう説明する白ウサギの姿も、さきほどまでの美女の姿ではなく、いつものもったり大福ぼでぃへと戻っていた。もうツッコむまい。

「おやまぁあんた。どうやら派手にやられたようだねぇ。でも同情はしないよ。自業自得ってやつだからね」

 おばあさんはチェシャを抱き上げると、その疲れてぐったりとした身体を動かしあちこち見回っていく。

「おや? 足を少し怪我しちまってるみたいだねぇ。どれ……」

 おそらくチェシャが透明姿であちこち動き回ったときに負ったのだろう。おばあさんはその傷を見るや否や、ポケットから消毒液とハンカチを取り出すと、慣れた手つきで消毒を済まし、スルスルと傷口を塞いでいく。

 意外なことに、チェシャは染みるはずの消毒液も嫌がることなく、先ほどまでの反抗的な態度とは打って変わって大人しくおばあさんの治療を受けていた。

「おばあちゃん、こういうの上手なのね」

 ぼそりと、白ウサギが素直な感想を呟く。

「そんなことはないさ。下手の横好きってやつさね。ここにはよく怪我をした子供やら動物やらが迷い込んで来るからね」

 言っている間に、おばあさんはチェシャの治療を終えてしまう。

「これで、もう大丈夫さ。これに懲りたら、もう悪戯なんてするじゃあないよ」

 わかったね、とおばあさんは念を押すようにチェシャに言い聞かせると、ゆっくりと立ち上がる。

「ほれ。あんたたちもご苦労だったね。この子の相手は疲れたろ。もう一度、うちでゆっくりしていきなさいな。茶と、そうだね。お菓子を出してあげよう。うちにはそれしかないからね」

 僕も白ウサギも、おばあさんのいる前で盗んだ猫じゃらしのことを聞くわけにもいかず、そのままおばあさんの後ろをついていく。

 気が付けば、陽はすっかりと傾き、もう少しすれば太陽も沈んでしまうほどの遅い時間となっていた。

「ふふ……。そういえば、あのときもこんな夕焼けの日だったねぇ……」

 ぽそりと、そんな呟きが溢れてくる。

「おばあちゃん、あのときって?」

 急に話を切り出してきたおばあさんに、白ウサギが相槌を打つ。

「なに。随分と昔にこの子みたいな怪我した猫を拾ったことがあってね」

 その話に反応したのか、チェシャの耳がピクンと跳ねる。

「その子も当時じゃ有名な暴れん坊でねぇ。商店街の連中が血眼になって追い回してんだけど、ある日――」

「にゃ、にゃっ!」

 と、話を続けていたおばあさんのうでの中で、チェシャが急に暴れ出す。

「おやおや、どうしたんだいあんた、そんな急に」

「にゃあ、にゃあ!」

 おばあさんの声にも反省せず、チェシャは一心不乱におばあさんの腕から抜け出そうともがく。

「お、おいっ! お前何やって――」

 さすがに見かねた僕はどうにかしようとチェシャに手を伸ばす。

 が――、

「」

 伸ばした指先が噛みつかれる。

「痛――――っ」

 堪らずチェシャを振り払うが、その隙をついてチェシャはおばあさんの腕から抜け出し、

「おい、待――」

 そのまま河原の草むらの中へと消え去ってしまう。

「ちょっと、大丈夫なのアリス!」

「あ、ああ。別に噛まれたとこは大したことない。だが、あいつに逃げられた。それと、僕の名前はありすだ」

「もう。そんなことはいいのよ、アリスさえ無事でいてくれれば」

「白ウサギ……」

「でないと、誰がわたしのご飯を作るのよ」

「おい」

 少しでも感動した僕に謝れ。

「まぁ仕方ないっスね、兄貴」

「シマ」

「猫じゃらしの件は、今回は諦めましょう」

「すまない。あんなにみんなで苦労したってのに」

 あれ? 苦労したっけ?

「しょうがないっスよ。また日を改めて、ってことで」

「あ、やっぱりまだやるんだ」

 もう終わりの流れっぽかったのに。

「おばあちゃんも、ごめんなさいね。思い出の猫じゃらし、取り戻せなかったわ」

 申し訳なさげに見上げる白ウサギに対し、おばあさんは首を横に振って答える。

「いいんだよ。よくはわからないけど、あんたたちがあたしのために頑張ってくれてたってのは、よーくわかってるさね」

「おばあちゃん……」

「あの子も、今日のことで少しは懲りるだろうさ」

 そう言っておばあさんはニッと笑顔を浮かべる。

「さ、日が暮れちまう前に、さっさと――」

 そこで、おばあさんは突然言葉を切る。

 その視線は、ある方向へと向けられていた。

 不思議に思った僕たちも、おばあさんの視線を辿るようにしてそちらへ首を向ける。

 そして、

「あ――」

 その場の誰もが、言葉を失った。



 猫は走りながら思い出す。

 それはもう随分と昔の、懐かしい記憶。

 人にとっては半世紀も前の、しかしその猫にとっては一瞬の、儚い記憶。

 その猫は嫌われ者だった。

 他の猫からは疎まれ、人からは邪魔者扱いされていた。

 猫は力が人一ば……いや猫一倍強かった。力でその猫に勝てるものはなく、喧嘩では負け知らずだった。

 だからこそ嫌われていた。強すぎた猫は、誰からも相手にされることなく、ただ畏れられる存在となっていた。

 猫はとても美しかった。その美貌は他の猫の追随を許さず、毛並みの良さでは並ぶ者などいないほどだった。

 だからこそ嫌われていた。美しすぎた猫には近く者すらなく、ただ遠巻きに眺められるだけ。

 そこで猫は考えた。

 猫に嫌われるのなら、人になればいい、と。

 幸い、猫は人になることができた。

 そんな猫は人に姿を変え、人の中で暮らし始めた。

 だが、そこでも猫に居場所などなかった。

 ある時、猫は魚が食べたいと思った。

 だから食べた。たくさん並んでいる中の一つを、美味しく頂いた。

 だが、魚を食べると人は怒った。たくさん置いてあるのに、何故か人は皆して猫を怒った。

 ある時、猫は遊びたいと思った。

 だから遊んだ。そこら辺で遊んでる子供と、楽しく遊んだ。

 だが、猫が遊ぶと人は気味悪がった。猫のように遊んだ猫を、人は皆して気味悪がった。

 気が付くと、猫は一人だった。

 猫だろうと、人だろうと、猫はいつもひとりぼっちだった。

 だったらと、猫は思った。

 もういらいないと思った。

 何もかもいらないと。

 誰も猫のことを悪く言うのなら、猫は猫も人も、何もいらないと、そう思った。

 だから猫は好き勝手にした。

 食べたいときに食べ、寝たいときに寝、遊びたいときに遊び、邪魔する者は蹴散らした。

 そうすると、猫も人も怒った。

 前よりももっと怒った。

 でももう、そんなこと猫にとってはどうでもいいことだ。

 猫が何をしても怒るのだから、今更猫には関係のないことだ。

 そうして猫はもっと好き勝手した。

 猫からも人からも追いかけられる日々。

 そんなある日のことだった。

 しくじった。

 いつもの商店街で魚を頂戴していたところを襲われた。

 襲われることはいつものことだったが、今日の違った。

 人間は猫とは違い巧妙だ。

 巧みに罠を仕掛け、猫を追い詰めた。

 その場はなんとか逃げることができたが、猫は怪我をしてしまった。

 逃げた先で動けずにいると、

『あらあら、どうしの?』

 一人の人間が、話しかけてきた。

 人間は動けない猫を抱きかかえると、

『あらあんた。怪我してるじゃないか』

 そう言って、慣れない手付きで猫を治療し始めた。

 人間を警戒していた猫は、その人間の不器用さもあって、当然の如く抵抗した。

 具体的に言えば、暴れた。

『ち、ちょっとあんた、大人しく……あいたっ』

 暴れていた猫の手が人間に当たる。

 人間の指先が裂け、傷口からは赤い血が滴り落ちる。

 人間は痛みを堪えるように傷を口に付けるが、少しするとまた猫の治療に戻ってしまう。

『これで……よしっ』

 気が付けば治療はいつの間にか完了し、猫の足には布切れが巻かれていた。

『はいっ。これでもう大丈夫さね』

 人間の言う通り、猫の傷はすでに痛くはない。

 猫は呆気にとられた。

 あっという間に治療を終えてしまった人間に、ではなく、猫のことを治療した人間に、だ。

 今まで、こんなことをした奴は猫にも人間にもいなかった。

 みんな猫を苛めるばかりで、猫を介抱しようなんて者は、一人もいなかった。

 それなのに……。

『おや? お前さん、そいつは何だい?』

 そうしていると、また別の人間がやってくる。

 今度の人間は、この人間と違ってごつごつとした人間だ。

『あらあんた、おかえんなさい』

 猫を抱く人間は、声をかけてきた男に応える。

 その表情は、どこか嬉しそうで。

 人間は猫について話すと、ごつごつした人間は嬉しそうに言う。

『ははーん。今日商店街であった大捕物の主役ってことかい。組合の連中から逃げ果せるたぁ大した奴だ』

 何が楽しいのか、人間はごつごつしたその手で猫の頭を乱暴に撫で回す。

『気に入った! こいつはしばらくウチで面倒みてやるよ』

『いいんですか?』

『おおともよ。怪我した猫一匹を放り出したとあっちゃあ明日からお天道さまに顔向けできねぇって話だ。それよ何より、寝覚めが悪ぃ』

『ふふ……。そう言うと思ってましたよ』

 何かが決まったのか、二人は猫を見てけらけらと笑い声を上げる。

『おう猫公。今日からよろしくな』

 何がよろしくなのかはイマイチわからなかったが、なんとなく、悪いようにはされないのだと、猫はそう思った。

『ふふ……。それじゃあ、帰りましょうか』

『そうだな。飯にすっか』

 そうして二人は顔を見合わせ、

 足を止める。

『お』

『あら』

 つられるようにして向けた視線の先には――、

『いろんなとこをみてきたが、やっぱりここの景色が一番だな』

『ええ、そうね……。とても――



「――とても綺麗ね」

 黄金の景色が、そこには広がっていた。

「綺麗……」

「これは……」

「これっス! これっスよ兄貴!」

 白ウサギは思わず息を飲み、シマははしゃぎ立てる。

 そう。そこには、ここにいる一同が――いや、この河川敷を知る誰もが待ち望んでいた景色が――猫じゃらし畑があった。

 豊かに実る黄金色の穂は風に揺蕩い、川の向こうから伸びる茜色の夕日が辺りを照らす。

 さもそれは、黄金に輝く絨毯のような、伝説に垣間見る黄金都市のような、そんな幻想的な光景だった。

「あいつが――チェシャがやったのか?」

「さぁね。それはわからないけど、でも……」

「でも?」

「願いは叶ったみたいよ」

 意味深にそう言って、白ウサギはおばあさんを見る。

 おばあさんはさっきまでと同じく柔らかい笑顔のままだったが、その表情はどこか、さっきまでとは違って見えて。

「懐かしいねぇ……」

 何故だか少し、嬉しくなった。

「ああ。そうかもな」

 日が沈み、辺りが夕闇へと変わりゆく河川敷には、どこからともなく、猫の鳴き声が木霊しているような気がした。




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