8 新人魔術ギルド職員の平凡な日常(2)
「門の外に出て、気分はどうかのうハイガ」
「大丈夫ですよ。……一応、これでもほとんど無装備でこの街までたどり着いたんですし」
「まあ、そうじゃったな」
ハイガの横で歩くのは大柄な、力感にあふれた老練の肉体。
魔術ギルドの長にしてハイガの雇い主、アレックズ・ガーレフその人だった。
ここはすでに大門の外。人間ではなく、魔獣の領域だった。
「慣れたか? 仕事には」
「ええ、それなりに。……部屋も紹介していただいて、本当にお世話になっています」
「いやいや……ところで、レーナに聞いとるぞ? 大活躍だそうじゃな」
「レーナの指導がいいんですよ」
「くはは。まあそういうことにしておこうかの」
本日のハイガの仕事は魔術師への同行である。
なんでも、ギルド職員であるならば現場を知っておくことは当然らしい。
一人前への通過儀礼であるとのことだった。
本来であれば実力を備えた魔術師であれば誰でもいいのだが、今日は誰も都合が付かず、ガーレフが同伴してくれるということになったようだ。
「すまんのう、こんな老いぼれの護衛で。生憎、他に人員が空いてなかったんじゃ……近頃はなぜか魔獣が減少しとるとかいう話じゃし、わしで納得してもらえると助かるのう」
「いえいえ……というか、フェール支部で一番の実力者はガーレフさんだと聞いていますし」
「いやいや……あまり持ち上げんでくれ。もう老いぼれ、いつぽっくり逝ってもおかしくなかろうよ」
「はは、冗談でしょう。……いや、全然想像がつかないので……本当に」
少なくともハイガには、この生命感溢れる、老いてなお力強い老人が寿命で死ぬような人間には見えなかった。
そんな苦笑いするハイガの様子を、ガーレフはほほえましげに、しかし注意して見ていた。
(……不安も気負いも、ないのう)
この護衛の役目は、実のところガーレフが買って出たものだった。
それというのも、ハイガという人間を確かめるためである。
(魔術を使えぬというに……グラスウルフを二体倒した? どんな法螺吹きじゃ……と普通なら思うところじゃがのう。他ならぬカルちゃんの言葉じゃ。あの子は嘘はつかん。言葉足らずはあってもの……ならば、ハイガは何かを持っておる。間違いなく、な)
そう、あの場ではノリに乗せられてハイガを魔術ギルドの職員にしたガーレフだったが、時間が経ってみればハイガがグラスウルフを倒したというのが、どうにも信じきれないのであった。
もっとも、職員に引き入れたのが間違いであったとは思っていない。
レーナの話ぶりでは随分と有能な働きぶりだと聞いているし、ギルドにも馴染んでいる。
ただ、グラスウルフを倒してカルーアを救ったというその一点。
その一点が、どうにも引っかかるのである。
ガーレフは横目でハイガの様子を盗み見る。
泰然として、いつ魔獣が出てきてもおかしくないというのに余裕がある。
(少なくとも、精神的には強者かの……)
ガーレフは視線を目の前の平原に向ける。
ハイガを危険に晒そうという気はないが、魔獣という自分を脅かし得る存在を間近に感ずれば、その人間の本性は自ずと現れる。
ガーレフは、そこを見極めるつもりだった。
一方のこと、ハイガはハイガで内心の動揺を隠していた。
(なんだ……なんでガーレフさん、チラチラこっちのことを気にしているんだ……? 警戒に近いが、魔獣に対してじゃない。俺に対する敵意というわけでもない。わけがわからない……)
自分に向けられる視線や敵意には敏感なハイガも、この老練という言葉がどこまでも似合う老人の思考は読みきれなかった。
少なくとも悪意とか敵意でないことはわかるのだが……。
はっきりとしない、モヤモヤとした感情を覚える。
と、その瞬間。
ハイガの感覚に引っかかったものがある。
「ガーレフさん」
「おう、獣じゃな」
背後へと振り返り、ガーレフはその拳を無造作に振るう。
ヴォンッッッ!
と鈍い金属音がして、振り返ると目に見てわかるほどに腹部を陥没させた何か魔獣、だったもの。
ピクピクと生理反射を繰り返す肉塊があった。
近くの草むらから二人に気づき、何も考えずに襲い掛かったようだが、あまりに戦力差が過ぎたのだ。
「ぬう……力加減がのう……」
ブンブンとその丸太のような腕を振り回すガーレフ。
ハイガはその様子を見て、理解していたはずの事実に戦慄を禁じ得なかった。
(……ちょっと異常だろう、これは。……極めればこれほどになるとは)
ハイガは静かにため息をつく。
(俺の目的……魔術を極めるためには役に立たないのに、こんな実力者がゴロゴロしているのか。……無分別にこの力が振るわれると考えると……一般人にとっては悪夢だな。魔術ギルドでもなければ世紀末になるわけだ)
正確には、ガーレフほどの強者はこの世界にもほとんど存在しない。
が、どっちにしろハイガの嘆息は止まらなかった。
そう――この世界には、身体強化以外の魔術が存在しないのである。
一週間もギルドで働いていれば、自然と魔術師たちがどのように魔獣を狩るのかはわかってくる。
ギルドでは指定部位の買取を行っているし、その関係で狩られた魔獣がそのまま持ち込まれることも、そう珍しくはないからだ。
それらの魔獣を興味と業務の両方から観察していたハイガは、ある時首を捻った。
(偶然かもしれないが……全部、同じような倒され方をしていないか……?)
そう、運び込まれる魔獣はどれもこれも、体の一部を陥没させた姿だったのである。
おそらくのこと、魔術師たちの恵まれた肉体のこと。
身体強化により殴り殺したのであろう。
それはわかるのだ。わかるのだがしかし……
(全部同じ倒され方というのは、普通じゃないよな……)
そう、一つの例外もなく魔獣たちは殴り殺されていたのだ。
それこそ魔術師なのだから、火の玉で焼き殺してもいい。
ハイガのやったように地中に埋めて首だけ切り取ってもいい。
いく通りもの狩り方があるはずだ。なのに、この魔術ギルドの人間は頑なに殴り殺そうとしかしない。
確かにそれが手間なくスマートなのだろうが、それでも一人くらいは変わり者がいたっていいものだろうに。
というかそれ以前に、魔術師たちが何か魔術的なことをしている姿を一瞬たりとも見かけない。
身体強化を別にして。
時間を経て、殴り殺される魔獣の屍体を見続けるうちにハイガの心のうちに湧き出た疑問。
(もしかして……)
ハイガは恐る恐る、『声』に問うた。
(この世界の魔術師は、身体強化しか使えないのか……?)
――是。ほぼ全てのこの世界の魔術師は、身体強化しか使えません。
その『声』の答えに、ハイガは痴呆のような感想しか持てなかった。
(魔術……師……? それは、魔術師と言うのか……?)
根本からハイガは勘違いをしていたのだった。
この世界の魔術師達は身体強化魔術を好んで使用している――わけではなく。
魔術とは、身体強化魔術を指すのだった。
身体強化魔術を『魔術』と呼んでいるのだった。
この世界の魔術師は、身体強化魔術しか使えないのであった。
道理で、魔術ギルドに生息するのが筋肉男だけだった。
道理で、カルーアがハイガの魔術に驚いたわけだった。
『魔術×体術×筋力=破壊力』
その、この世界の絶対の真理を筋肉たちに教えられた時のハイガは絶句した。
(なんだ、この……脳筋、はッ……!)
脳筋。
どこまでもその言葉が似合う存在が、この世界の魔術師であるのだ。
(違うだろ……魔術師って……違うだろ……)
ハイガは嘆いた。
なにせこの脳筋魔術師ども、迷路に入れば壁を破壊し、喧嘩になれば話し合わずに殴りあう。
もちろん頭は使わない。使うとしたらヘッドバットにくらいだ。
あまりに、ハイガの抱いていた魔術師のイメージとは違いすぎた。
ちなみにハイガの抱く魔術師のイメージとは、なんか羽ペン持っていて、モノクルでもかけていて、話し方が知的で、懐中時計とか持っていて……。
ふわっとしているうえにハイガに何一つ当てはまってはいないものの、少なくとも脳筋という言葉とは無縁の存在だったのだ。
そのためハイガは一時落ち込んだが、しかしすぐに復活した。
ゼロから魔術を創造したハイガである。
もともと、この世界の魔術を参考にしようとは思っていても頼り切るつもりはなかったのだから。
が、それはそれにしても。
(……絶対に敵にしたくないな)
ハイガはツンツンとその肉塊をつつく。
三本の尾が残っていたので、辛うじてこの肉塊がサンビギツネなのだとわかる。
これはもう、人間と魔獣の闘争ではなくただの出会い頭の事故のようなものである。
たまたまダンプに轢かれてしまった動物を見て、どう反応するか。
憐れむほかあるまい。
ハイガはちゃっかりと尾を切り取りながらも、手を合わせるのだった。
「おーい、行くぞい」
見れば、ガーレフは先を進んでいる。
ハイガは慌てて、この圧倒的な実力者の後に続いた。
「そうじゃな。ぐるっと平原を回るか。森に近づきすぎんようにな」
「了解です、ガーレフさん」
ハイガはガーレフの後をついてひたすら歩く。
ホーンラビット、レッドウルフ、ゴウソウジカ、サンビギツネ、ヒマトイドリ、デスサーペント、エピタルフロッグ、ヘイゲンザル……
大小さまざまの魔獣の死体が点々と生産される。
種類も強さも関係ない。
繰り広げれるのは、ひたすら魔獣が鎧袖一触に轢かれていく光景だった。
(ふーむ。勘はいい。恐れもない。……なるほど、やもすればグラスウルフを倒したのかもしれん、が……釈然とせんなあ……)
既に昼を周り、ガーレフはハイガとともに平原を漫然と回っていた。
時々魔術師達に出会うと、一瞬驚いたような顔をされ、次の瞬間には『俺の獲物とらないでくださいよギルドマスター!』だの『モヤシー今日は呑むぞー!』だのという声をかけられる。
ハイガを見ると、時折声を返しながらリラックスした様子だった。
(むう……ハイガを危険に晒すわけにはいかんし……しかしこのままではどうしようもないしの………………ええい、もう面倒臭いわい)
ガーレフは思考を放棄した。
そもそも綿密な計画など無かったし、ガーレフもまたいわゆる脳筋なのだ。
周りに人気のない場所に着くと、ガーレフはハイガに直接尋ねた。
「ハイガ。ぬし、どうやってグラスウルフを倒したんじゃ?」
ハイガはガーレフの問いに、ある種の納得をもって頷いた。
(ああ、なるほど。ガーレフさんはそれを知りたかったんだな……素手でなんとかできる相手じゃないし。俺がどういう方法をとってグラスウルフを倒したか……か。どうするかな……)
ガーレフのチラチラと向けていた視線の意味を理解したハイガは、安堵を感じながらも考える。
(『魔術で倒した』というのは……却下だな。俺は魔力(笑)がゼロということになっている。『格闘で倒した』というのは……無理があるな)
ハイガは格闘術にそれなりの心得はあったが、それでグラスウルフを倒せるわけがないということも承知していた。
一匹を相手でも無理だろうし、二匹を相手にするのはハイガでは絶望である。
悩む様子を見せるハイガに、ガーレフから声がかかる。
「言いにくいかの?」
「ああ、いえ……ちょっと、そんなに格好良くない方法を使ったもので……」
ハイガはどう答えるのかを決める。
「ほう?」
「ええと、ちょっと待ってください。……【感知拡大】」
戸惑う様子を見せるガーレフを尻目に、ハイガは魔術を展開する。
「西、百メートルにヒマトイドリ一羽。南西、四百メートルにホーンラビット五匹。北東、二キロにゴウソウジカ三匹。北西、一キロにはぐれのレッドウルフ。後は……東、一・五キロにコッパーさん一人。半径二キロ圏内に存在する生物は、俺とガーレフさんを除いてそれだけです」
「……なんの真似じゃ?」
「行ってみればわかります。……コッパーさんのところに行きましょう」
移動。
とはいえそう速くはハイガは動けないので、ガーレフにおぶさってもらい進む。
ジェットコースターのような速さでガーレフはハイガの指示の方向に走り、ハイガは吐きそうになった。
「……あれ、どうしたんですかギルド長。と、おお!? モヤシ!? 何やってんだお前!?」
「……コッパー……」
ガーレフの背中でグロッキーになっているハイガを見つけて叫ぶコッパーを尻目に、ガーレフは驚嘆の声を漏らした。
(ぬう……ハイガの言った通りの場所にコッパーが……)
ガーレフはコッパーに別れを告げ、驚くコッパーを尻目に元の場所に戻った。
無論、その多大な振動でハイガは吐いた。
「……すまんかった。大丈夫かのう?」
「……うえっ。……だ、大丈夫です……」
涙目になったハイガの背中をさすり、落ち着いたのを見計らってハイガに聞く。
「つまりハイガは、目には見えん場所におる生物を感知できる、ということかのう?」
「……はい、そうです。遠くからグラスウルフに追われているカルを感じ取り、周囲の地盤が緩かったのを利用して即席の落とし穴を作りました。そして、カルに合図してジャンプしてもらうと、それを追うグラスウルフは落とし穴に落ちた、という寸法です……おえっ」
またえずいたハイガの背中をさすりながら、ガーレフは思考する。
(これはまた……使いようによれば、魔術などよりよほど役に立つ技術じゃのう……。なるほど、この技術を利用して安全に旅をしてきた、ということか……)
「あの、なんじゃったか……『サーチ』? あれはどういう意味があるんじゃ?」
「ああ、起術……ゲフンゲフンおえっ……精神集中の合図でして。俺の家に伝わる秘伝の技術なんです」
「それは……ハイガ以外のものにも……例えばわしにも会得できる技術なのかのう?」
「そうですが……すみません。門外不出の技術でして。本当はこうしてお見せしたのも、一族の掟としてはギリギリなんですよ……」
ハイガがわずかに表情を曇らせて見せると、ガーレフは手を振った。
「いや、いいんじゃ。忘れてくれ。なんにしても、そんな秘伝を披露してくれてありがとうのう。初めて見たわい」
「いえ、疑問が解決できたようでしたら何よりです。もっとも、それで勇んで魔術ギルドに連れて行ってもらっても、結局俺に魔力はなかったわけですが……」
「そ、そんなことは関係ないじゃろう! それだけの技術じゃ、補って余りあるわい!」
「……そう言っていただけると、幸いです」
慌てたように話題を転換しようとするガーレフを見て、ハイガは少し良心の痛みを感じた。
が、必要なことだと割り切る。
(何にせよ、これで切り抜けただろ……)
ハイガがとったのは、大枠では真実を、そして肝心な部分は隠すという方法だ。
感知拡大の魔術が、まだなんとか常人にもできそうな気がしないでもない魔術だったのが幸いである。
この際、必要なのは事実ではなく外見なのだから。
よくよく考えれば絶対にありえないレベルの異能だが、魔術師という存在の跋扈するこの世界ではまだ受け入れられ得るのではないか、というハイガの読みが当たったのだ。
また、傍目には影響の見えない魔術であるため、ハイガはこの一週間度々この魔術を使い、練度をあげていた。
その結果、この感知拡大の魔術の精度が知人一人を見分けられるほどに上昇していたのも僥倖だったと言えるだろう。
(……身体強化魔術しか存在しないこの世界では、どう考えても俺の魔術は異質。無暗に知られたくはないし……しかたがない。それに、秘伝云々はともかく、そんなに簡単に扱えるものじゃないしな……)
ハイガのように思考だけで魔術を組み上げようというのなら、少なくともハイガと同程度の魔術的な知識と経験が不可欠である。
(……そろそろ、魔術研究にも本腰を入れるかな)
この世界での生活にも慣れ、ようやく余裕が出てきたところなのである。
少し吐き気の収まった体をガーレフの後についてヨロヨロと歩ませながら、今後のことをハイガは考えるのだった。