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29 breakthrough






 ハイガの声に、ヒノキは恐る恐る顔を上げた。


「……おにー、さん?」

「気分はどうだ?」


 その問いかけに、ヒノキは体を震わせる。


「わかんない、わかんないよ……ね、ねえ、おにーさん……」

「なんだ?」

「……オレは、何を見たの・・・・・?」


 その問いかけに衒いはない。

 事実、ヒノキという少女は己が何を恐れているのかすらも理解できていなかった。

 覚えているのはハイガへの援護射撃をこなしたその瞬間まで。その後のことは視界が闇に染まりきったように覚えておらず、気づけばカルーアに背負われてここへと連れ込まれ、茫然自失で震えていた。

 自我をとりもどした今もまだ、何が起こったのかを理解できていない。何を見たのかを考えようとすれば、酷く頭が痛むのだ。そして頭の奥から、あの内臓をかき混ぜられるような嗤い声が──


「……──ッ!」


 漏れたのは、声にならない悲鳴だった。

 その悲鳴を挙げているのは、ヒノキの喉ではない。脳でもない。

 ……体が。その全身至る所、細胞の一つ一つまでもが、悲鳴を挙げていた。


「……そうか、そこからだな。まあいい、見ろ」


 そう言うとハイガはヒノキの腕を掴み、無理矢理立ち上がらせる。


「やめて……やめてよ、おにーさん」


 その行動に、拒否反応が起こる。

 ヒノキは無茶苦茶に腕を振り回して蹲ろうとするが、ハイガはそれを許さない。

 ハイガはヒノキの顔を無理矢理にフィルデリア渓谷の方へと向かせる。出口ではガルドが、散発的に入り込もうとする触手と戦っている。そしてその奥に見えるのは──


「見ろヒノキ。……怖いのは、アレだろ?」


 ヒノキが本当に恐れるもの、それそのものは見えない。

 その全面を赤黒い触手に覆われているからだ。

 しかし。触手の奥に垣間見える、核部分……それだけで、十分だった。


「あ、ああ、あああああああああ……!」


 ヒノキは狂乱する。

 空白となっていた記憶が補完され、同時にあの・・時間がフラッシュバックする。

 アレは、あの身の毛もよだつ顔は。嗜虐に満ちながらこの身を踏みにじったあの存在は。骨という骨を折り、肉という肉を打ち、精神の隅々までもを冒涜し、ありとあらゆる意味でヒノキを蹂躙した──


「……あの時の、探索者の三人だろ」


 ハイガのその声が、酷く乾いて聞こえた。




 そうだった──と、狂乱する意識の中で氷のように冷え切った部分で、ヒノキは思う。

 三人の探索者たちに殺されそうになっているところを、ハイガとヒノキに助けてもらった。だから二人に心配をかけまいと、思い出さないように、触れないように、その記憶に封をしていた。

 もし思い出してしまえば、立ち直れるはずなどないのだから。


 人を形作るものは記憶である。結局のところ人格とは記憶というネットワークより形成される思考形態のことであり、だからこそある特定の出来事が人格そのものを揺るがすことなど、ありふれている……否、むしろ常に人は記憶に揺るがされている。

 誰しも経験があることだろう。何かをしようとするときに、それと似た場面が記憶として脳内をよぎり、勇気付けられたり、あるいはためらったりということは。

 たかが一つの記憶とはいえ、それが人を構成する要素である以上、人は記憶に影響を受けずにいられない。それは人間としての正常な精神活動である。


 だが。時として、それまでに営々と築き上げてきた人格という記憶の結晶を、ほんの僅かな時間の記憶が食い潰すことがある。たかが一つの記憶が人を壊し、人を殺すことがある。

 そしてもし仮に、それほどに決定的な経験というものが起こってしまったなら。

 ……それはもはや、不可逆の変質なのだ。


 恐怖が融けて無くなった。楽しく賑やかな日々が、おぞましい記憶にも打ち勝てるほどに少女の心を強くした──そんなことは、ありえない。

 今でもヒノキは、あの時間のことを思い返すと怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くてたまらない。

 あの痛みが、あのおぞましさが、あの気持ち悪さが、あの不快感が、あの悪意が。その全てに蹂躙されて、それに打ち勝つことなどどうしてできようか。

 ならばもはや、逃げるしかないのだ。記憶に蓋をして、思い出さないように思い出さないようにと自分を騙してでも忘れ去ったふりをして。そうしないと、壊れてしまう。


 そしてそれは、何一つ悪いことではない。実際にヒノキは、それによってこれまでハイガとカルーアとともに暮らすことができていた。

 もし忘れるという人間最大の長所がヒノキに備わっていなくば、ヒノキがハイガとカルーアの仲間になることなど不可能だった。なぜならば、それほどまでにあの蹂躙の記憶は、不可逆にヒノキを壊そうとしていたのだから。


 体の傷は回復薬で治った。まるで奇跡のように、治ってしまった。……故にこそ、ヒノキという少女は己の心の傷に向き合えるはずがない。

 外側は傷ついていないのに、内側だけが襤褸のように引き攣れてしまった。

 通常ならば時の経過で体の傷が癒えるとともにゆっくりと治療されるはずだった記憶はその機会すらも失い、ただひたすらにヒノキの精神を傷つけるだけだった。

 だからヒノキは、忘れた。

 必要ないのだと。痛みは要らないのだと。この痛みに囚われては、前に進むことなど出来ないのだと。


 それは正しい。圧倒的に正しい。正しかったのだ。……逃げ続けて、いられるのなら。

 しかし、もし逃げることができなくなってしまったら。恐怖そのものを突きつけられて絶望をまざまざと想起させられて──その時、人はどうすればいいのだろうか。

 少なくとも、記憶という化物の枷を外されたヒノキという少女は今、この時。……うずくまり、怯え、恐怖に震えることしかできなかった。




「……無理、だよ」


 その声が己の本心であることを、ヒノキ自身が理解していた。

 まざまざと蘇る記憶と向き合うことを、体が拒否している。

 そう思っているのではなく、そう感じているのですらもなく、ただ本能から、立ち向かえないということがわかってしまう。

 これまでは忘れることで、そして二人に甘えることで、精神の均衡を保ってきた。しかし思い出してしまっては……駄目だった。


「……無理だよ。怖い。怖いんだよ、おにーさん。……骨が擦り潰される感触がわかる? 肉の繊維が引きちぎれる感覚がわかる? 血が流れ出ていく冷たさがわかる? それが一度に全部襲いかかってきて、もうどうにもならないっていう怖さが、わかる?」


 雪嵐の中に立ち尽くす人のように、がたがたと震えながら自分の恐怖を口に出すヒノキ。それを口に出すことにすら幻痛が伴っているのだろう。

 己の二の腕に爪を突き立て、唇を噛み締め、その痛みで精神の痛みを紛らわせようとしている。


 ハイガはその泥を吐くような言葉に、何も言わない。ヒノキが己の痛みを吐き出すのを待っていた。


「……真っ暗なんだ。目の前に何も見えなくなって、こんな暗いところで死んでいくんだってわかって……生きてていいことなかったって、諦めちゃって。……オレさ、たぶん、あのとき死んだんだよ。だって、おにーさんとおねーさんといることが楽しくて夢みたいで。嬉しすぎて現実感なんてなくて。でも……でも! ……夢から、覚めちゃった」


 ヒノキは媚びた目でハイガを見上げ、堕落するように、囁くように言う。


「……ねえおにーさん、逃げよう? こんなところ出て、おにーさんとおねーさんとオレの三人だけで、遠いところで暮らそうよ。……なんでもするから。おにーさんが望むようになるし、なんだってしてほしいことをしてあげるし、どんなふうに扱ってくれてもいいから……だから、逃げよう? ここだけは嫌だ、ここだけにはいたくない。お願い、お願いだから……」


 ……紛れもなく。それはヒノキという少女の、本心であった。

 仮初めのものでいいから、愛してくれなくてもいいから、せめて暖かくて恐怖も痛みもないところへ行きたい。おぞましい痛みだけを想起させるここでさえなければ、どこでもいい。


 ハイガはその言葉に、苦笑まじりに言う。


「……ま、そりゃ魅力的な提案だな。なんせ楽しそうだ」

「だ、だよね。きっと、それなら幸せに……」

「──だが、駄目だ」


 そのあまりにもはっきりとした拒絶の言葉に、ヒノキは目を見開く。


「……な、なんで? ……オレのこと、きらい?」

「いや? お前の嫌いなところを挙げる方が難しい」

「じゃ、じゃあ!」


 ヒノキのその言葉を遮り、ハイガは言う。


「なあヒノキ。俺はこれからあの怪物と戦いに行くんだが、怖がっているように見えるか?」

「えっ……?」


 ヒノキは困惑の声を漏らし、ポツリと言う。


「……見えないよ。自信満々に見える」

「ああ、そうだ。何故だと思う?」

「……勝てると、思ってるから?」

「大正解」


 ハイガは肩を竦め、言う。


「俺には確信がある。勝てるに決まっているから恐れる必要がない。どれだけ最悪の状況にも針の穴を通すような勝ち筋はあるし、それを見つけた時点で勝ったようなものだ。……最高の手順を最大の効率でこなすなんて簡単だろ? 勝ち方がわかってて負けるやつがいるか。針の穴を通すような勝ち筋があるならば、その道を辿ればいいだけにすぎない。……それで何故、恐れる必要がある」

「……そ、それが、何? 確かにおにーさんは凄いかもしれないけど、全員がそれをできるなんて……」


 消え入るようなヒノキの言葉に、ハイガは頷く。


「そうだな。……ヒノキ、なら質問だ。カルは今、あのデカブツと一人で戦っている。アイツは怖がっているように見えるか?」


 怖々とフィルデリア渓谷を覗くヒノキの目に映るのは、翼持つ靴タラリアを自在に操るカルーアだけが可能とする、宙空すらも支配下に置いた鋭角な三次元軌道。

 蒼の軌跡を描きながら目にも止まらぬ速度で空中を跳躍し、触手の嵐を掻い潜るカルーアの姿。恐れも怯えも見せず、どこまでも堂々と、ただ一人で怪物と渡り合うその姿。


 フィルディア渓谷に太陽の光が差す。金を融かしたようなカルーアの髪が、地獄のような赤と黒の背景の中で、その光を反射して燦然と煌めきなびく。

 ──美しかった。

 汚濁の中にあってなお輝く、汚濁の中であるからこそどこまでも輝かしいその美しさに、ヒノキは見惚れた。……それはまるで、神話の一場面で戦乙女が戦いの舞を見せるかのように、神々しいとさえ思えたのだ。

 それは息を呑むような戦いで、故にヒノキの胸中に浮かび上がるものは、純粋な憧憬。


「……おねーさんは、怖がってなんかない」

「何故だ?」

「それは……おにーさんと同じで、おねーさんが強いから」


 ヒノキのその、確信を伴った言葉。

 ……しかしハイガは、首を横に振った。


「残念、ハズレだ。……あいつは今、死ぬほど恐ろしいと思いながら戦っているし、それに正直、飛び抜けて強くもない」


 ヒノキの抱いた憧憬は、他ならぬハイガに否定される。


「そ、そんなわけ……だって、おねーさんは戦って」

「そうだ。カルは恐れを感じながら、自分が強くないことを知りながら、それでも戦っている。……その意味が理解できるか?」


 答えないヒノキに、ハイガは言う。


「正直、俺にはわからん」

「……っへ?」


 ポカンとするヒノキをよそに、ハイガは話す。


「いや、言っただろう。俺は勝とうと思えば勝てると確信しているからこそ恐怖は無いし、戦うことができる。だから何故あいつが戦えるのかなんて、正確にはわからん。そもそも前提として違うからな。……カルには俺のように勝つ確信もなければ、ガーレフさんのように絶対に生き残れるだけの隔絶した力もない。それでも命を削りながら、あの一手間違えれば即死の戦場で戦っている」

「え……おねーさん今、そんなに危険な状況なの!?」

「そりゃそうだろう、一撃喰らえば死ぬからな。……まあ、いつものことといえばいつものことだが。だいたいあいつは基本的におかしい。ちょっと前の戦いとか凄かったぞ? カルは死ぬことを理解し、生きることを諦めきれず、それなのに目の前の災厄に立ち向かった。……矛盾だろう? 逃げて良かったはずだ。逃げることを誰も責めなかったはずだ。それでもあいつは、その矛盾すら超えて立ち向かった。……ま、俺はそんな無茶苦茶な戦い方を平然とやってのけるカルだからこそ尊敬に値すると思っているわけだが」

「……な、なんでそんな悠長なこと言ってるの!? は、早く助けに……!」

「ああ、行く。……だから、お前に教えておこうと思ってな」


 ハイガは踵を返して、背中越しにヒノキに言う。


「──カルは今、俺とお前の為に戦っている」

「……っ」

「俺がやってくると信じて、お前が立ち直るまでの時間を稼ぐ為にあいつは戦っている。……お前だ。お前が立ち直らない限り、カルは己の死にすら頓着せず戦い続ける。これは予測ではなく確信だ。カルはそういうヤツだぞ」

「……な、なんで。なんで、そんなことを」

「さあ? ……ここから先は、お前が何を守りたくて何を天秤にかけるか、それだけの話だ。……じゃあな、俺も戦いに行く」

「ちょ、ちょっと……!」

「ああ、作戦を伝えておく。……俺たちがアレの核部分を出口まで五十メートルほどに引き付けるから、それを合図にして撃て。全力の一撃・・・・・を頼むぞ」


 そう言い残して、ハイガは出口へと歩み寄る。

 戦場へと踏み入ろうとしたハイガに、触手の相手をしていたガルドが小さく声をかけた。


「……なあハイガ。ちょっと聞いてたんだがな」

「聞いていたのか。……盗み聞きは良くないぞ」

「聞こえちまったもんは仕方ねえだろ……まあともかくだ。お前、そんな大したこと言ってなくないか?」


 ガルドのその言葉に、ハイガは頷く。


「ああ、安い言葉だ。……だが、それで十分」

「……いや、あの怯えようだったんだぞ? もうちょっと何か、嘘でもいいからドラマチックなことでも言ってやれば」

「必要ない。……どうやらカル曰く、俺は友達づくりがヘタクソらしいんだが」

「うん? ……それがなんだ?」


 いきなり何を言い出すのかと言うガルドの疑問の声。

 ハイガはガルドの横を通り過ぎながら、言葉を続ける。


「いや、まあそれはそうかもしれないんだが……しかし俺は、人を見る目そのものには自信があってな。その俺の見る限り、ヒノキは決してヤワじゃない。……そもそもこんな澱んだ都市で、一人で生き抜いてきた奴が弱いわけがあるか」

「……いい奴なんだか厳しいだけの奴なんだかよくわからんなお前」

「いい性格をしているとは言われたことがある。……悪いが、引き続きこの出口の守護は任せた」

「……まあいいか。任せろ」


 そしてハイガは振り向かず、戦場へと出て行った。

 少女が立ち上がることを確信して。





(……怖い)


 少女は思う。怖い、と。

 ハイガから何を言われようと、どんなふうに励まされようと、それは変わらない。

 怖いものは怖い。恐ろしいものは恐ろしい。どれだけ立ち向かおうとしても、体の震えを抑えられない。


(……けど、さ)


 しかし。

 今の少女には、その痛みの記憶を得た時には知らなかったものがある。


(おにーさん、ずるいよ。……あんな言い方されたら)


 温もりを。自分を暖めてくれる陽だまりのような温もりを、少女は既に知っている。

 そして己に問いかける。

 あの痛みの記憶と、一度得た温もりを手放すこと──どちらが、怖い?

 答えは決まっている。否、問いかけるまでもない。


(立ち上がらないわけには、いかないじゃないか……!)


 少女は己の武器を手に取り、フィルデリア渓谷に近寄る。

 恐怖は拭えない。恐ろしいものは恐ろしいままだ。

 それでも。……より強い想いが、より失いたくないものがあるのならば、戦える。

 恐怖に震えながらでも、大切な人たちのためならば戦える。


 絆が人を強くする──その当たり前の事実を、少女はようやく理解した。

 少女は己の武器を握りしめ、囁く。


「──────────【充填・殲滅戦線ガンファイアチャージ・マキシマ】」





◇◇◇





「……ッ!」

「ハイガさんっ!?」

「大丈夫だ! それよりも進行方向が南にズレている! 修正するぞ!」

「……はい!」


 フィルデリア渓谷内、西端出口よりおよそ百メートル。

 ハイガとヒノキは、醜悪な触手に埋め尽くされた空間の中で戦っていた。

 二人という人数に対し、触手の数は千。もはや戦力比で比べることすらも馬鹿馬鹿しいこの状況。

 核が西端出口に近づくにつれてハイガたちが動き回れる空間は狭まってゆき、もはや現在では完全に触手が飽和した状態となっている。

 およそ視界の半分以上を触手の赤と黒が埋め尽くし、空すらも遮られる。下手をすれば方向感覚すら失いかねないこの状況下を、ハイガとカルーアは連携を組むことで凌いでいた。


 カルーアが一人で戦っていた時は、ただひたすらに動き回り撹乱し、核部分の移動を抑えることが目的だった。が、ハイガの加わった現在は違う。

 正面に陣取ったハイガが囮となることで望む方向へと核部分を誘導する。そしてその周囲をカルーアが宙空すらも足場にして流星のように跳び回り、細い触手は駆逐し、太い触手は方向を逸らす。そして、無防備となった触手をハイガが爆散させてゆく。

 急造かつ打ち合わせもなく、流れのままに決まっていたこの陣形。しかしそれは異様なまでの噛み合わせを見せ、敗北せず、なおかつ核部分の誘導をこなすという難行を可能としていた。


「カル! 距離残り二十! やや北に修正!」

「はい!」


 時折ハイガが感知拡大サーチにより核部分の位置を確認し、大雑把な指示を出す。

 カルーアはそこに込められた意味を過不足なく理解し、その逸脱した敏捷性能によりハイガの死角からの攻撃を完全に排除、また触手全体の大まかな流れすらも支配し、指示された方向へと修正する。

 ハイガもまたそのカルーアの動きを目で捉えられずとも感覚により把握し、僅かなハンドサインにより言葉で伝えきれないニュアンスを伝え、更に細かい位置調整を行う。

 それはもはや互いの存在を前提とした動きであり……或いは特殊個体の群としての触手の動きすら上回る、一個の生物としての連携であった。


「距離、目標ラインまであと十! ……カル、二十秒後に全力でフィルデリア渓谷を離脱しろ!」

「ハイガさんは!?」

「俺のことはいい、仕事がある!」

「……了解です!」


 カルーアは頷き、ハイガの指示通りに離脱する。

 ハイガもまた、フィルデリア渓谷西端出口より覗くヒノキの銃口を確認し、劣化・翼持つ靴タラリア・リビュートの最大起動により側方へと離脱する。

 そして、叫んだ。


「ヒノキ、撃て!」







 ヒノキはハイガの合図を確認し、己の時を加速させる。

 一を十に。十を百に。百を千に。千を万に。

 それこそは自己時間軸操作という異能の究極形。

 探索者という生死が隣り合わせの環境で無意識のうちに磨かれ、制御されていたソレ。自覚を得ることにより、その能力はもはや完全にヒノキの意識下に置かれていた。


 完全に制御されたヒノキの時間軸で見る世界は凍っている。あらゆる動きがその一瞬だけを切り取られ、確かに存在するのだと確信できるものは己の意識、ただそれ一つ。

 体は意識の付属物へと成り下がり、天も地も全てがヒノキに隷属する。思考は絶対時間にして1/1000000秒を知覚するまでに加速し、今この時、この空間を支配するのはただ少女の知覚のみ。


 凍った世界で、少女は呟く。


「──────────【魔弾・鉄竜の咆哮マギアバレット・フルバースト】」


 瞬間、破壊が空間を侵食する。

 響き渡るは轟音、謳われるは鉄火、齎されるは崩壊。

 鉄竜という幻想を騙る不遜、しかしてその火力は竜の名を冠してなお凄絶、あまつさえ凌駕する。遠雷の連なりにも似た鉄の咆哮、純粋にして重厚なる鉄量の嵐──ソレが敵の核部分を襲い、砕き滅ぼす。

 破壊の顕現にして破滅の具現たるその様は、巨大な鉄の顎門が獲物を喰らい尽くすかの如く。見る者すべてが息を呑み、その恐るべき暴威に目を奪われていた。




 ……さて、ここで少しだけ考えてみることとしよう。

 ヒノキの専用武装、『フェイルノート・スナイプ』。

 銃ならざる銃……その正体は、銃身から弾丸を打ち出すのではなく、限解保持ボックスを用いることにより宙空から弾丸を射出する武器である。

 無論のこと、そのメリットは計り知れない。

 銃身のブレによる弾丸の発射角のズレもなければ、銃身加熱による破損もない。

 理想的条件の適用による弾丸の発射は、その使用者に絶対の命中を保証する。


 ならば、ここで疑問だ。

 何故、それほどの高度装備が汎用・・装備ではなく専用・・装備なのか?

 事実、フェイルノート・スナイプは誰にでも扱える装備となっている。女子供、老人にさえ扱えるその機能は、まさに汎用と言って差し支えない。


 だが、フェイルノート・スナイプはあくまでもヒノキの専用装備である。

 それは何故か。何故、ヒノキにのみにそれを扱うことが許されるのか?

 ……言うまでもない。

 フェイルノート・スナイプを使える者はいくらも存在しようとも、使いこなせる・・・・・・者はヒノキただ一人であるという事実──ただその単純な事実をもって、フェイルノート・スナイプはヒノキの専用装備であるのだ。




(…………っ!)


 ヒノキは思考すらも不純物として排除し、ただひたすらに射撃する。

 意志持つ鉄の咆哮、鉄竜の牙。

 その代行者として、叫びにならぬ叫びを挙げる。




 【魔弾・鉄竜の咆哮マギアバレット・フルバースト】──それこそはフェイルノート・スナイプの究極的な機能であり、その能力は単純明快。

 思考加速により弾丸を間断なく対象に打ち込む……言ってみれば、ただそれだけだ。

 しかしこの単純な能力は、自己時間軸操作という異能の最上位ハイエンドに位置する魔術師・ヒノキの手に渡った場合にこそ、その真価を発揮する。


 一秒に一発の弾丸で駄目でも。

 一秒に十発の弾丸で駄目でも。

 一秒に百発の弾丸で駄目でも。

 一秒に千発の弾丸で駄目でも。


 ──一秒に一万発の弾丸であれば、どうか。


 フェイルノート・スナイプの弾丸の供給源は限解保持ボックスであり、普段は三百発を目処として備蓄され引き出される。それで十分なのだ。

 しかしある術式……【充填・殲滅戦線ガンファイアチャージ・マキシマ】によりそれが変化する。この術式は足りない鉄量を元素変換により補い、限界を超えて弾丸を供給する術式……つまり、通常の供給量を超えた集中弾幕により消費される弾丸を確保するための術式であるのだ。


 そして起動術式──【魔弾・鉄竜の咆哮マギアバレット・フルバースト】。

 これにより【射出シュート】という音声起動すらも不要となり、思考のみによる射撃が可能となる。その結果として現実世界の時間的制約に何一つ囚われることなく、1/1000000秒を知覚するヒノキの思考速度そのままに弾丸が射出される。


 およそ秒間一万発という、空間全てを制圧するに足る過剰鉄量。それをただ一点に注ぎ込み、完全なる破壊を成すための殲滅特化型超高火力連続狙撃術式……それこそが【魔弾・鉄竜の咆哮マギアバレット・フルバースト】であるのだ。




(……──ッ!)


 ヒノキの意識は更に純化される。

 そこに存在するのは、敵を討ち滅ぼさんという無垢にして莫大な意志。

 ただそれのみが、ヒノキの脳にかかる負荷を忘れさせる。




 ……この魔術の真に恐るべき点を挙げるならば、その弾丸全てがヒノキの意識下に置かれた精密射・・・であるということである。

 着弾点、入射角、跳弾。ヒノキはその全てを加速した時間の中で判断し、理想的破壊を齎す場所へと寸分の狂いすらもなく弾丸を撃ち込む。


 なるほど、秒間一万発という鉄量に対しては、例えばガトリング砲などは比較の対象に挙がる。およそ秒間百発という鉄量そのものでは遠く及ばぬながら、しかし百門を並べれば良いだけのこと。それにより鉄量そのものでは【魔弾・鉄竜の咆哮マギアバレット・フルバースト】に並ぶことが可能となる。


 が。常軌を逸した鉄量でありながら精密射という矛盾──これは、ヒノキ以外の何物にも成し得ない。

 本来矛盾するはずの、質と量という概念。これがとてつもない次元で融合されることにより、ただの鉄量ではあり得ぬ破壊が引き起こされていた。本来は核部分に攻撃が加わった時点で開始するはずの自己創生リクリエイション……しかし現在、それが妨げられているのだ。


 理由は単純にして明快。──ヒノキがその弾丸をもって、自己創生リクリエイションの起点を新たに破壊しているのである。

 破壊し、再生しようとする起点を破壊。そして更に再生しようとする起点を破壊。新たに再生しようとする起点を破壊。それすら超えて再生しようとする起点を破壊。

 秒間一万発という過剰な物量の精密射。それが自己創生リクリエイションの起点を完全に破壊し、阻害し、更に破壊を押し拡げる。




(…………っ!)


 ヒノキの意志力の最後の一滴が絞り出されたその瞬間、ついに鉄が擦れ破壊しあう不協和音が止まり、残響のみが空間に浮遊する。

 絶対時間にしておよそ六秒間、発射弾丸総数にして約60000発。

 その精神の全てを使い果たしたヒノキは意識を失い、崩れ落ちる。


 ……後に残るのは、完全に破壊された特殊個体。そのおぞましき触手の全てが打ち払われ、脈打っていた核部分には直径二メートルほどの洞のような大穴が空いていた。

 カルーアはヒノキの元に駆け寄り、ガルドは思わず歓声を挙げ……そして、目にしたものに凍りつく。


 ──どくん、と。


 完全に破壊し尽くされ、機能を停止したはずの特殊個体が、またもや自己創生リクリエイションの予兆を見せたのだ。

 どろりと腐肉が滴るように、赤黒いナニカが核部分に空いた大穴より漏れ出す。その様はあの血肉の津波のような、悪夢のような自己創生リクリエイトを予感させ……しかしその瞬間、動いた男がいた。


 男の名はハイガ・ミッツヤード。

 この場でただ一人、この男だけがこの状況を完全に予測し、解答を手にしていた。


 おそらくは残り十秒ほどで完了してしまう自己創生リクリエイション。……しかし、ヒノキが創り出した破壊から再生へのタイムラグ、それがあれば十二分。

 ハイガは劣化・翼持つ靴タラリア・リビュートを起動、人外の加速をもって核部分へと接近し──そして、そのまま突っ込む。


 無論、無策に特攻するのではない。

 その手に握るは十数本の小瓶。そして更に、限解保持ボックスより同種の小瓶を無数に喚び出す。

 ハイガはそれら全てを割り砕きながら、言った。


「使うアテのない過剰在庫だ──好きなだけ喰らえ」


 そしてその瞬間、ハイガは世界が崩れ落ちるような錯覚を起こす。

 竜血薬ドラグ・エーテルが飛び散ったその場所から、紫電のごとき光が漏れる。


(────ッ!?)


 それは他ならぬ、ハイガの干渉力が空間そのものを塗り替えた証。この一瞬、たかが一瞬とはいえ……人に許された領分を超える権能の発現であった。




 十数秒の後。

 長大な触手、そして体高十メートルを誇った核部分は空気に溶けるように消え失せる。そこには意識を無くし白目を剥き醜悪に顔を歪めた、三人の探索者が転がっていた。










次回で二章は終了となります。

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