28 存在の瑕疵
「……威勢がいいのは結構なことだけどねえ、ハイガ。どうするつもりだい? あんたがやる気だろうと、勝算のない勝負に突っ込む気はないよ」
「何か作戦があるのか? この状況を覆せるような……」
口を開いたのはベローニアだ。
シモンズが意識を失ったこの状況下では彼女が二番目に高いランクの保持者であり、指揮権を有する。彼女を納得させなければ、討伐隊を戦力としてアテにすることはできない。
が、ベローニアに続いて問うたガルドの言葉に、ハイガは端的に応える。
「作戦は無い」
「はっ? ……ハイガ、それじゃシモンズさんがやろうとしていたことと一緒」
「大丈夫だ、無策じゃない。……今から考えるからな」
「……いや、行き当たりばったりかよ」
もはやまともな戦力として数えられるのは、ハイガやカルーアを含めた数人ほど。実質的には、あの進化した触手と僅かでも拮抗できる可能性があるのはハイガだけだろう。その状況下で作戦も何も立てようが無い……とハイガの言葉に反論しようとしたガルドは、しかし息を呑んだ。
思考を沈め、暗い水の底を思わせる奈落の瞳。
ガルドはそれを見て、一瞬、化物を連想したのだ。
姿形においては完全に人間であり、むしろ自分たちの基準からすれば貧弱ですらあるこの青年。しかしガルドはその内部に棲む、想念の怪物を直感した。
──コイツ、この状況下で、勝てることを微塵も疑ってない。
『己が本気で動いたからには勝てる』……おそらくはそれを確信しているのだ、このハイガという男は。
何一つも楽観的になれる判断材料など無く、勝機すらも見えず、しかして己こそが切り札だと言わんばかりに。
ガルドにはまるで、ハイガというそのものが結果を確定させ結末を隷属させる、人ならざる何かに見えた。
……故に、言葉が口を衝く。
「……いや、了解した。ハイガ、俺はとりあえずお前の指示に従う」
「ん? ……それでいいのか?」
「仕事だからな。サボるわけにもいかん」
「いや……まあ、いいか。それならそれでありがたい」
じゃあよろしく頼むと言われ、ガルドは肩を竦める。特殊個体討伐隊としての仕事は終了だが、ギルドマスターより依頼されたハイガの観察という仕事はまだ生きている。
ガルド個人としても、この如何とも判断できない青年が何を見せるのかという期待感のようなものがあった。
周囲からはガルドの判断に驚きの声が上がる。
何せ、特命クエストとしても完全に分を超えた敵との戦闘である。これまでの戦闘による疲労と負傷は決して軽いものではなく、もはや皆、この怪物に立ち向かう意気など無かったのだ。
その声にならぬ意見を汲み取り、言葉にしたのがベローニアである。
「ハイガ、今すぐに作戦を提示できるわけじゃないんだね?」
「ああ、そうだな」
「……ならここで、隊を二つに割る。ハイガたちはあの怪物への対抗。不可能と判断したら即座に撤退しな。もう一つが私ら、つまりギルドに情報を届ける役割だ。シモンズももう限界だからねえ、護衛しながらギルドまでたどり着き、何とか情報と戦力だけでも保存して持ち帰る」
「了解。……だがあまり急がなくてもいいぞ。ゆっくりと帰還してくれ」
「……情報を持ち帰る意味もなく、アンタらが討伐しちまうってかい?」
「さすがよく分かっている。……自分で言うのも何だが、俺はなぜか割とよく似たような状況に陥る。そして今のところ、こういったシチュエーションでの俺の敗北は無い」
「ハッ……じゃあこれが最初の敗北にならないようにせいぜい気張ることだね」
ベローニアのこの指示により、隊が二つに割れた。
すなわち、ハイガ、カルーア、ヒノキ、ガルドの四人とそれ以外である。ガルド以外には、ハイガたちに力を貸そうという酔狂な者はいなかったのである。
またヒノキは今もまだ恐慌状態にあり、ベローニアは連れ帰ろうかと申し出たものの、ハイガとカルーアが断った。この様子では、一時的に恐慌状態から立ち直ったとて二人がいなければさらに酷い状態になる。そう判断してのことであった。
(……戦力は四人。俺とカルとヒノキとガルド。このうちヒノキは精神崩壊状態、ガルドは外見上こそ戦えるが、しかし攻撃を受け続けたこともあってそう長くは戦えない、か)
思考。
その他すべてを振り捨てて、ただそれだけに没頭する。
既にベローニアらは去り、ここには四人のみ。
現在は西端出口から時々顔を出す触手にカルーアとガルドが対応しているために、危険はかなり小さい。
が、実際にフィルデリア渓谷に立ち入ればそこは触手の海。とてもではないが四人という人数で、さらに言えば実質戦力二人で、尋常な方法で討伐できる状況ではない。
故にこそハイガが探るのは、尋常ならざる一手。
およそ常識という普遍を通り越した、狂気に踏み入った領域にこそ答えは存在する。
(第一に考えられるのは【乖離熱流】の無差別乱射だが……)
その第一案、最も単純な一手は、魔術という理外の理による掃討である。
この状況において目撃者はガルドのみ、ならば魔術を大っぴらに使おうとも、口止めなどいくらでもできる。故にハイガは、それが仮に有効であるならば実行に迷いはない。……が。
(……そもそも有効とは思えない)
蒼鱗竜との戦いの際に使用した魔術、【乖離熱流】。
頭のおかしい鱗の耐久値を前にほとんど効果が無かったためにおざなりにされがちな魔術であるが、しかし実際のところこの魔術は、即時使用可能なものとしては最高峰の威力を誇る、決戦火力足り得るポテンシャルを有する。
つまり触手を焼き払うことは可能であり、それは間違いない。……が、それも相手が一本や二本であった場合の話だ。
厄介なことに今回の相手である触手は、元を正せば群体ですらなく一体なのである。故に焼き払ったところでそれが死ぬわけではなく、焼き払われたからこその利用、つまり無事な触手や本体の盾として用いられる。
ハイガの見るところ、乖離熱流の火力ではあの全ての触手、全ての質量を一気呵成に滅ぼすというのは不可能。
無論、時間さえかければすべての触手を焼き払うことも可能ではあろうが、しかし今度は自己創生という能力が立ちはだかる。長い時間をかけて焼き払った触手が、一瞬のうちにさらに強大になり復活する……これが悪夢以外の何であろうか。
再生能力を超えた火力で焼き尽くすというのも不可能ではないのかもしれない。しかしそれが不可能であった場合のリスクがあまりにも大きい。積極的に採れる策ではなかった。
(力押しは不可能。ならば搦め手……つまり、自己創生の阻害か)
ハイガのその思考は必然である。
結局のところこの特殊個体を強靭たらしめる特性はその自己創生であり、それを突破することが攻略の目標、もしくは攻略そのもの足りうる。
が。……これを具体的にどう突破するのかと考えた時、ハイガの思考にはブレーキがかけられる。
(……方法が無い)
これが単純な自己再生であれば、まだやりようもある。
自己再生とは言い換えれば修復なのだから、修復するための素材を取り上げる……即ちその肉体を分割し、体積そのものを減らせばよい。
また、それが不可能であるのならば再生阻害物質の混入……つまり、砂塵や毒を再生時に練り込むという方法で対処することも視野に入ってくる。
直接的ではないにせよ、方法はそのほかにいくらでも存在しうることだろう。
だが、自己創生。……これには、攻略の糸口が見えなかった。
(そもそも質量保存の法則など無視している。俺は確かに触手を根元から切り離した。にも関わらず全ての触手が完全に再生し、核部分も膨張している。大気を大量に消費した様子もなければ、膨張した体積の分だけ地面が消失しているわけでも密度が減少しているわけでもない……つまりその正体は、無、或いは俺の観測できない事象からの質量の補填)
起こっている現象としては質量保存の否定、言わば極小のビッグバンである。
……正直なところを言えば、ハイガにはこの理不尽な現象がどうして起こるのかなど理解不能であったし、対抗できるとも思えなかった。
そしてさらに、最悪の予想もある。
(……無より物質を生み出せる能力が存在するならば無論のこと恐ろしい。……が、今回の場合でそれよりも恐ろしいのは──無尽にエネルギーが補填される、という可能性)
そしてハイガは、これを半ば確信していた。
少なくとも地球と同じ物理法則が成立するこの世界では、やはり地球と同じく物質とエネルギーに特定の関係が成立する。つまり、無より物質を生み出せるとするならば無よりエネルギーをも生み出せるというのはある種の必然であるのだ。
そしてこの場合、シモンズの語った攻略法……即ち、『再生できなくなるまで叩く』、言い換えれば『再生に使用するためのエネルギーを奪う』というのは攻略法足りえない。
相手の有するのは文字通りに無尽のエネルギーである。たとえ全探索者で襲いかかったとて、削り合いという舞台では勝ち目がない。ハイガもまた、魔術というある意味で無尽のエネルギーを手にしてはいるが、しかし単純な体力と精神力の制約が存在する。
結論として、削り合いという方法での攻略はまずもって不可能。
(……思考を反転させろ)
つまり──正統な攻略法など存在しない。
必要となるのはバグ、裏技、そういった類。異なる視点からの、理を超えた発想だ。
さらに意識を潜らせ、瞑想、或いは無意識的な思考により何らかの思考の切っ掛けを得ようとした矢先──
「……ハイガさん、特殊個体がゆっくりと動き始めました! ……こちらに近づいています!」
西端出口から特殊個体を観察していたカルーアのその声に、意識を浮上させられる。
「……どれくらいでこの西端出口に取り付かれそうだ?」
「私の見立てでは、恐らくあと十五分ほどで」
僅か五百メートルを移動するのにそれほどの時間がかかるのは個体としては欠点であるかもしれなかったが、しかし圧倒的な能力の差をもって攻められる側としては、それは欠点というよりも嬲るための余裕に思えてくる。
ハイガは内心で舌打ちする。
(……時間も無い。あれだけの物量、近づかれればこの西端出口ごと破壊される可能性が高い)
その場合、こちらに勝ち目は無い。
それまでに確固たる撃破方法をハイガが見つけ出さない限りは、この討伐はハイガたちの敗北で終わる。
(……完全な生命は存在しない。どこかに何らかの綻びが存在するのが道理)
完全な生命とはもはや生命ではない。死を超越したならば生きるという表現は既に不適なのだから。少なくともあの特殊個体は生きている。ならば完全ではなく、必ず綻びが存在する──
しかし、考えれば考えるほどに穴など存在しない。自己創生というあまりにも常軌を逸した能力一つが既に、個体としての弱点を全て補って余りあるのだ。
ハイガは一瞬、弱気な思考に呑まれる。
(弱点が無ければ、アレを倒す手段は存在しな……い…………ッ!?)
──だが。その一瞬の弱気の中にこそ、解答のヒントが存在した。
刹那、ハイガの頭を過ぎったのはげたげたげたという、あの悪意に塗れた哄笑。それを思いだした瞬間に、ハイガの思考が爆発する。
これまでの停滞を嘲笑うように展開される仮説。抜け道としか表現のしようのないその方法はしかし、論理の面において成立しうる、唯一の攻略法としての光明を有していた。
(待て……待て待て待て! ……アレはつまりそういうことなのか!?)
目をやるのはヒノキの様子。
一時の恐慌こそ脱したものの、今もまだ震え、恐怖を隠しきれない視線で周囲を怖々と見ている。その様子には常の理性的な様子など見られず、まるで幼児に退行してしまったかのような怯えよう。
……そしてその様子にこそ、ハイガは確信する。
(──ならば、手はある)
敵の有するあまりにも不確かな、しかし致命的な弱点。
今この状況、このメンバー。それならば確かに、そこを突くことは不可能ではない。
ハイガは合図してカルーアとガルドを呼び寄せる。
「待たせた。……作戦の内容を説明する」
数分後。作戦の内容を聞いた二人の表情には、驚愕が張り付いていた。
「ハ、ハイガさん? できるんですか、そんなの!? っていうか、知らないんですけどそんなの!?」
「できる。……ガルドはこれでいいか?」
「……いいもなにも、正直何を言ってるかわかりゃしなかったんだがな。だが、指示の内容は完璧にこなしてやる。どうやらお前らに比べりゃかなり負担の小さい仕事みたいだしな。……というか、お前らは本当にソレを実行できんのか?」
「俺はなんとでもなる。ヒノキは説得する。カルはどうだ?」
「……怖いです。けど、大丈夫です。ここで動けないようなら魔術師じゃないです。……確認しますけど、全力で戦っていいんですね?」
「ああ。お前の全力で戦ってくれ。隠す必要も無い。むしろおそらくは今、それこそが一番に重要な鍵だ」
「……わかりました。なら、私の全てで戦います。ハイガさんは、ヒノキちゃんを立ち直らせてあげてください。……それは私にはできなくて、私にできるのは戦うことだけですから」
カルーアは頷き、カドゥケウスを握りしめ、深く息を吸い込むと、フィルデリア渓谷への入り口まで進む。
その姿はどこまでも力強い。恐怖を感じていないのではなく、恐怖を克服できる人間であるからこその力強さ。ハイガはその姿を、少し眩しげに見た。
と、少女がふと振り向く。
「──あ。戦いの後は、ご褒美お願いしますね?」
そう一言言い残すと、少女は戦場へと駆け出して行く。
ガルドが口笛でも吹き出しそうに言った。
「マジ可愛いな、あの子」
「やらんぞ」
「別にそんな気もしねーよ。俺は胸のデカいねーちゃんじゃないと興奮できん」
「知るか。……そこ、任せたぞ」
「おう」
ガルドに西端出口の守備を任せ、ハイガは踵を返す。
そしてそこに今もまだ蹲り震える、少女に声をかけた。
「時間が必要なのはわかっている……が、待っている余裕は無い。悪いが戦ってもらおうか。俺にもカルにもできない、お前にしかできないことがあるんでな──ヒノキ」




