19 ホリック
イーリア迷宮探索ギルドマスター・アルドは、非常に多忙である。
数多く発生する迷宮関係のゴタゴタの最終判断。上位団体との折衝の方針決定と締結。内部陳情に対する対応。各地での大きな事件に対するギルドマスターとしての立場の表明……。
仕事は無数に湧いてくる。
それらのほとんどは非常に微妙な判断を即時に求めてくる仕事であり、当然のごとくアルドの精神力と胃壁をゴリゴリと削る。
これでアルドがその剛腕一本でのし上がった典型的魔術師であれば、その苦労もあるいは随分と小さなものとなるに違いなかった。が、悲しいかな。
いわゆる組織内の妥協と馴れ合いと政治的空白によりギルドマスターという地位を得たアルドにとっては、それは望みではあっても決して実現しないことであった。
「……私はそろそろ三十連勤なんだが」
「私も同じです」
「そうだな……詮無いことを言った」
「いえ」
疲れに凝り固まった肩を、書類をさばく合間にほぐす。
これでひたすら書類を差し出してくるこの秘書が、眼鏡のよく似合う妙齢の美女ででもあれば、おそらくアルドの心にとっても一つの清涼剤となるのだが。眼鏡のよく似合うというところまでは合致していたが、残念なことに男性であった。
「少し休憩にしましょうか」
とはいえ、有能である。
アルドが未だに倒れずにギリギリ働き続けていられるのは、間違いなくこの謹厳実直な秘書のおかげであった。
秘書の出してくれる紅茶を口に含み、一息つく。
一杯を飲みきることはできそうになかった。最近、腹を五分目以上に満たすと、途端に消化器系に異常が出るのである。
激務を乗り切る体力をつけるためにも食事はおろそかにできないため、たかが一杯の紅茶でも飲みきれない。
「……体調はいかがですか?」
「いや、大丈夫だ。……なんとかな」
アルドは笑って見せたが、空咳を伴ったそれはどう贔屓目に見ても、半病人のものであった。
「無理をなさらずに。最近は特に、頭を悩ませる出来事が多いですから」
秘書の言う通り、最近は特に酷い。
先だっては竜の討伐。今はどうやらその事実の発表権、手柄の所有、遺骸の奪い合いと、いわゆる醜い争いが非常に盛んな様子である。
何せ、はっきり言って全く関係のないこの探索ギルドにまで、支持してくれだの一筆したためてくれだの、雲霞のごとく面倒な使いが舞い込んでくる始末である。
アルドにしても竜の討伐というのは目を見張るニュースではあり、非常な興味を持ってはいたが、今こうして面倒ごとが山のように飛び込んでくる当事者になってみると、うんざりせざるを得なかった。
そして今、ここイーリアに限って考えると、もっとも厄介なのは間違いなく、『迷宮狂い』の増加であった。
とはいってもこれは、一朝一夕のうちに幅を利かせてきたものではない。アルドからさらに遡って何代もの探索ギルドマスターが頭を悩ませてきた、慢性的な病のようなものである。
迷宮狂いというのは、探索者の中に存在する一種の狂信者たちである……各人たちにその意識があるかどうかは別として。
しっかりとした組織ではないのだが、その狂人どもは奇妙なまとまりを見せているのだ。
その主張は単純なものである。
『迷宮は、潜る者のために存在する』
『故、迷宮の中で何をしようとも、一切の干渉を受ける筋合いはない』
この、吐き気がするまでに稚拙な論理。
迷宮狂いとは、言ってみればある種の精神疾患なのである。
外部との出入りが極端に制限される傾向のあるこのイーリアという都市では、基本的にイーリアの外壁の中で生まれた者は、一生をイーリアの中で過ごす。
魔術師が多く存在する都市であるから、必然的に生まれる子にも魔術師が多く、彼らの多くは探索者として迷宮に潜ることとなる。
そうした中には、『迷宮こそが世界の全てであり、そしてその世界は自分のために存在する』といったあまりに視野狭窄な考えを持つ者が一定数存在するのだ。
世界の広さを知らず、ただ迷宮という場所にだけ適応して暮らすことの生み出す弊害といえよう。
魔術師らしい全能感と、知っている世界の狭さのギャップがその大きな原因となっている。
そして彼らの傾向として挙げられるのが、迷宮内における非常なまでの狼藉である。
己の生命の為ならば平気で他人に魔獣を擦り付け、陥れてでも他人の獲物を奪い、時には気に入らないというただそれだけの理由で他人を殴り殺す。
それでいて、迷宮の外ではその凶暴性はなりを潜めるのだから厄介極まりない。
探索ギルドとしては迷宮内でのトラブルに関与しないというスタンスを貫いているが、それは恒常的に治安維持に割けるほどの戦力を有さないという、悲しいまでの現実に縛られてのことである。
決して、迷宮内の治安を軽視しているわけではない。むしろ、できる限り平穏であることを望んでいるのだ。
一番望ましいのはイーリアという都市の人の流れを開放することなのだが、それを決定するのはニーズル家であり、探索ギルドではどうにもできない。
一応、アルドもまた歴代のギルドマスターのように、探索者の教育水準の向上や、素行に問題のある者の監視といった方法で迷宮狂いの減少に取り組んではいる。
だが、一向に効果はない。
なぜ、これほどに幼稚な考え方を信望できるのかとアルドなどは疑問にすら思っているのだが、何のことはない。
要するに、稚拙であり拙劣であるものは分かりやすく、それゆえに支持されるというだけの話なのだ。
刷り込まれた考え方の優劣を判断できるほどに賢い人間など、ほとんどいない。
やりたいようにできる状況に、それを肯定する論理を刷り込まれれば、大抵の人間は疑いもせずにそれに従う。人間の大多数は愚劣をこそ好むのである。
紅茶で唇を湿らせて一息ついたアルドは、詮無い思考を振り切って、また書類の山に挑む。
今は愚痴を吐いている暇はない。目の前の書類の山こそが敵なのだ。
しばらくの間、カカカカカトントンカカカカカトントントンカカカカカカというペンと捺印の音だけが部屋に響き渡る。
と、ある時アルドがその動きを止める。
それは決裁書でも認可書でもなく、挨拶書き兼報告書。アルドが信用を置く情報屋のものである。
(……店をたたんでまたどこかに行く? まだイーリアに来てから二か月もたっていないというのに……? 肝心の内容は何だ)
時には串を打ち時には菓子を揚げるその情報屋は、アルドが好んで利用する情報屋である……というよりも、利用せざるを得ない情報屋、だろうか。
風に任せていかにも適当に行き先を選んでいるようでありながら、不気味なほどに重要な出来事の傍にいる。
店を営んでいるのは趣味だとかほざいていたが、怪しいものだ。
封を解いてその中身に目を通したアルドは、僅かに目を見開き、数秒間黙考する。
そして、秘書に指示を出した。
「ある探索者の、この都市に来てからの動向をまとめてくれ」
「遅くなりました。こちらが報告書になります」
「……ああ、ご苦労だった」
腱鞘炎一歩手前の腕をさすりながら、アルドは秘書をねぎらう。
指示を出してから丸一日。
記録の残し方が書面だけに頼る現状、素晴らしい速さである。別に秘書がまとめたわけではないだろうが、そういった作業を監督しているのが秘書である以上、秘書の労をねぎらうのは当然のことだ。
上命下服。
これが速やかであるというのは、少なくとも組織として健全であるということである。アルドはささやかな満足を感じていた。
しかし、秘書はいつもと反応が違った。
常ならば僅かな会釈を残して邪魔にならぬように控えて書類の選別に戻っている男が、顔をわずかに引き攣らせて、もの言いたげである。
「……なんだ?」
無論、それに気づいたからには無視することなどできないアルド。
その意を尋ねる。
「……アルド様。私は、この報告書に既に目を通しています」
「それはそうだろう。そうでなければお前を解雇している」
冗談めかして返すが、秘書の顔は緩まない。むしろ、その厳しさを増す。
「……部下としての分を逸したことをお聞きしますが。いったい、この男は……何者なのですか?」
アルドは思わず笑い飛ばそうとするが、その表情を見て態度を改めた。この秘書は少なくとも、仕事上で冗談を言う男ではないのだ。
「……渡してくれ。話はそれからだ」
「…………」
アルドは目を閉じ、己のこめかみを手で押さえ、やや強めに力を加えた。
もしかすれば疲れによるものであり、この現実も目を開けば変わっているかもしれない。そんな馬鹿馬鹿しいことを期待したのである。
しかし、そこには予想通りというべきか、厳然と変わらない事実が連ねてあるだけだった。
「アルド様」
「わかっている」
アルドは精神的な疲労を感じながら、ひらひらと手を振った。
「なんだこれは……一、二、三階層をそれぞれ一日でランクアップ? そしてその後二週間ほど間を空けるが、そこから一週間、つまり昨日で既に四階層のランクアップ条件もほぼ満たしている? ……何の冗談だ、と言いたいところだがな」
「はい。決して、虚偽の内容は含まれていません」
「疑ってはいない。お前のことだ、確認くらいはとっただろう」
だからこそ、信じざるを得ない。
ハイガ・ミッツヤード……少なくとも、尋常の男ではない。
アルドは内心の動揺……いや、もはやそれは驚愕と表現した方がいいだろう。その感情が表出しないように制限することだけで精いっぱいであった。
アルドは魔術師ではなく、探索者ですらない。しかし、迷宮の責任者として一応、高ランクの探索者の護衛をつけて五階層までは潜ったことがある。
その時の護衛はランク8。つまり、万全を期してほぼ最高ランクの探索者に依頼したのだ。
いい機会と思い様々に尋ねたが、確か彼らはランク4、つまり中級の探索者になるまで一年を要したと言っていた。
ランク8。
現在解放されている最深階層・第九階層に踏み入る権利を持つ、まごうことなき最高クラスの実力者たちである。その、才と努力と天運に溢れた者たちがかけた時間が、一年。
もちろん、それだけを比較の対象にするべきではない。しかし、一つの基準としてはこの上ない物差しだ。
それに対し、期間にして僅か一か月弱、迷宮に潜った時間で言えば十日足らず。
それはもはや、夢想することすら難しい。
「……どう思う?」
「どう思う……とは」
「どのような方法をもってすれば、この短期間での攻略が可能になる?」
「……少々、考えさせてください」
秘書は黙した。
もともとは将来を嘱望される探索者であり、不運の負傷により再起不能に陥ったところをアルドに拾われた男である。
こと迷宮の攻略という点に関する見識は、アルドよりもはるかに深かった。
「二つに可能性を分けて考えます。……つまり、攻略によりランクアップした可能性と、攻略以外の方法でランクアップした可能性」
「……攻略以外でランクアップした可能性?」
疑問を呈するアルドに、秘書が説明する。
「迷宮からの討伐部位の持ち出しは探索者には認められていませんが、探索者同士の迷宮内での取引は禁じられていません。……つまり、他の探索者から目当ての討伐部位を買い取るなどしてランクアップ条件を満たすという方法です。探索ギルドとしては、ランクは目安でしかないと明言しています。ですから、窓口では確かに本人の討伐したものかなどは確認しません」
「だが、それは……」
「ええ。……イーリアに到着してから何の伝手もなかったミッツヤードには、おそらく不可能かと。もちろん、無理とは申しませんが……ですが、この方法ならば三階層に次いで探索者の多い四階層など、一日で抜けていそうなものです」
「……その通りだな」
アルドは秘書の考えに首肯する。
わざわざ相場よりも高い金額を払い討伐部位を譲ってもらってまで高速のランクアップをするならば、その目的は誇示であり、顕示である。
というよりも、それ以外に思いつかない。
それならば、四階層に一週間以上をかけるというのは、あまりに不合理に見える。
「ならば、攻略でのランクアップの可能性はどうだ?」
アルドのその問いに、秘書はますます眉間の皺を濃くしながら答えた。
「……そもそも、ランクアップを阻害するのは魔獣の密度なのです」
「どのように分布しているか、ということだな」
「その通りです。……三階層のような過密状態の階層ならともかく、一階層、ことに二階層は、そもそも簡単に魔獣とは遭遇できません。魔獣と言えど生物、霞しかない場所には存在しないのですから、植生の豊かでない一階層、二階層などでは一時間に一回……いえ、二時間に一回魔獣に遭遇できれば良い方です。そして三階層に上がれば、今度は魔獣の種類のあまりの豊富さがランクアップを妨げます。まだ討伐していない魔獣を的確にハントするということがどれほど難しいことか……言うまでもないでしょう」
「……つまり」
「ええ」
秘書はゆっくりと頷いた。
「一日でのランクアップを可能とするためには、少なくとも非常に高度の魔獣の索敵手段・判別手段を有している必要があります……そして、十分な力。この二つの要素が仮にそろったとするならば……不可能ではないかもしれません」
「……なるほど、なるほど」
アルドはゆっくりと頷く。
(異能持ちということか……? それも、類を見ないレベルの……)
失われた魔術に類する魔術を、一つその身に宿す存在……それは、一般的に異能持ちと呼ばれている。
しかし、非常に希少で存在すら疑われるうえ、せいぜい暗闇の中で方角がわかるだの、綿毛を宙に浮かせられるだの、いつ役に立つのか、そもそも本当に失われた魔術なのかというレベルの力しか持たないと言われているため、アルドは深くその存在について考えたことが無かった。
(超高精度な索敵能力……本当に存在するならば、あまりに有用だ。そして、彼は――竜を倒した可能性すらある)
アルドは顔を上げ、指示を出した。
「……四階層に出現したという特殊個体。アレの討伐部隊に、ミッツヤードをなんとか捻じ込め」
「……いいのですか? 確か、最低でもランク5以上の探索者で組織していましたが」
「構わない。……そして、十分な能力を有すると判断できるならば、何としても引き込め。どんな報酬でもいい。金が欲しいならばくれてやれ。名誉が欲しいならば祭り上げろ。女が欲しいなら抱かせてやれ。……本当に存在するならば、あまりにも魅力的な能力だ」
その指示を受け、秘書は僅かにためらった後、言った。
「もし……もし仮にミッツヤードが、何の能力も持たない青年であった場合は?」
「その場合は……まあ、そうだな。言うまでもない」
アルドはにやりと笑った。
「騙った報いを受けるだけだ」




