16 属性は盛ってゆくもの
悪戦苦闘の末、少女に一つの納得がもたらされようとしていた。
「つまり……オレの魔術師としての才能が、体の強さ以外の方向に向いている、ってこと?」
「まあ、その理解で間違っていない。……あえて言えば、原始魔術というのは総体としての効果をもたらすから、『体の性能』は非常に高いが、それがイコール『膂力の向上』ではない、ってことだな」
ハイガがそう言うと、カルーアが思案顔で問いかける。
「じゃあ、ヒノキちゃんの能力はいったい、どんな方向に割り振られてるんですか?」
「ハードではなく、ソフトの部分に割り振られていると表現すればいいだろうな」
「……えーと、そのハードとかソフトとか、どういう意味なのさ、おにーさん」
こめかみを抑えながらハイガに問いかけるヒノキ。
少なくとも、ハイガの一方的な講義にできるだけ追い付こうという気概はあるのである。
「肉体性能がハード。それを駆使するための統合的な肉体制御能力がソフト。そう考えてみてくれ。身体能力、といっても一口に膂力だけじゃない。本来と逸脱した性能を有する肉体を駆使するためには、やっぱり通常とは逸脱した性能の肉体制御能力がいる。この肉体制御能力というのがクセ者でな。出力が大きい分、動作精度、感知確度が精妙に組み合わさらなければ満足な運動機能は発揮できない。この二つの要素のかみ合わせが悪いと、通常の身体操作では数センチに収まるはずの動作誤差が、身体強化時では数十倍というレベルの誤差として現出しうるわけだ。じゃあ具体的に脳機能の分類から、各ソフト面での強化がどのように解釈できるかを説明すると」
「ハイガさん、一言で」
はやくクラック・クロックに会いたいなあ、思う存分魔術理論について語り合いたいなあ、と心の汗を流しながら、ハイガは一言で総括した。
「……早い話、ヒノキの能力として特筆すべき点は、ある種の自己操作……主観時間軸の制御能力にある」
「主観、時間……?」
ヒノキが訝し気な声をあげる。
無理もない、ヒノキにとっては考えの端にも存在しない概念だったのだから。
「つまりだな。……この世界を流れる時間軸と平行して、俺たちは皆、自分の中に一人ひとり、別物の時間軸を持っている。……例えば、目を閉じて経った時間を計ったとしよう。五秒とか十秒とかならまだしも、一時間もすればかなりの個人差が出てくる。これは要するに、個人個人で認識する一秒に、誤差が存在する、ということを示している。……ここまではいいか?」
「たぶん、大丈夫」
「よし。……そしてこの個人の中の主観時間軸は、ある程度任意の操作が可能だ。例えば、なにか退屈なことをしているときは時間が長く感じられるし、楽しいことをしているときは時間が短く感じられる。もっと極端な例を言えば、死を目前にしたときなんかは、人は極端に引き伸ばされた時間軸でものを考える。……カル、そういう感覚は体験したことがあるだろう?」
「……確かに。なんというか、覚えていること……いえ、覚えていないことまで心の中に浮かび上がってきて……ああいうのを、走馬灯というんでしょうか」
自身の体験に照らし合わせて意見を述べるカルーアに対し、ヒノキは疑問符を浮かべる。
「いや、でも……思い出とかなんとかはともかく、敵と戦うときに時間が引き伸ばされていると感じるって、割とよくあることじゃない?」
「まあ、そうだな。……が、ヒノキの場合はそれが行きついている」
「え?」
困惑するヒノキに対して、ハイガは説明する。
「いいか。ヒノキの能力というのは、環境に左右されることなく、理性で、完全に、主観時間軸を操作しきること。それに特化している。……要するに、自己暗示のある意味でのハイエンドだな。危機が迫ったからではなく、必要だから体感時間を引き延ばせるという域に達しているわけだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれない? ……よくわからないけど、ソレ、すごいの?」
今一つその有用性を理解できていない様子のヒノキに、ハイガがため息を漏らす。
「とんでもない能力だ。単純に、人が一の時間軸で物事を認識して、お前が十の時間軸で物事を認識しているとすれば、お前は対処するために必要な情報の入手、精査、判断……それらに、常人の十倍の時間をかけられるんだからな」
それはなるほど、あの凄まじい戦いぶりを展開できるはずだ。
いくら相手が速かろうとも、ヒノキはそれよりも早く動ける。事実上先手を取られるということが無い。
実際、複数の魔獣に遭遇して手数が足りなくなる、または肉体の操作速度そのものが絶対的に追い付かない、与えられるダメージの量がこちらのスタミナに対して小さすぎる、油断や逆上により主観時間軸の操作を行えない……と、役に立たない状況も多々あるものの、そういった例でもない限り、相当な優位で戦えることには間違いがない。
(さらに特筆すべき点を挙げるならば……無自覚の中にその能力を使いながら、本来の時間軸を見失っていない、ということか)
ハイガもまたとっさの魔術の構築のため【思考加速】という似た効果を持つ魔術を多用するが、ハイガの場合にはあえて加速の倍率を高く、展開時間を短く設定し現実時間とのギャップを大きくすることで、現実の時間軸を見失わずに済んでいる。
仮にヒノキのように、戦闘中に【思考加速】を展開し続けて戦ったならば……ハイガには、通常の時間軸を取り戻せるという自信がない。
(カルにも言えることだが……それこそ、生来から個性として魔術を有し、それを使用しながらの戦闘という研鑽を繰り返してきたという経験がなせることだろうな)
実際問題、ヒノキの主観時間軸操作というのは、とんでもない異能である。
そのほかヒノキの魔術特性で特筆すべき点である動作精密性の大幅な向上も相まって、オンリーワンと言ってよい能力だ。
「んー……そういえば確かに、戦うときは周りが良く見えるな、とか思ってたけど」
ヒノキとしては自覚が薄いのだろう。
のんきな様子だが、その特性をいかんなく発揮する戦闘方法を教唆すれば、とてつもない戦闘者となる素質を秘めている。
「ま、だいたいそういうことだ」
パン、と一つ柏手を打って、ハイガは言葉を続ける。
「わからないことや知りたいことがあったら、いつでも俺に聞いてくれ」
それを合図としてややこしい話は終了し、これからをどうするかという方向に話は方向転換した。
「ヒノキ、これまでに住んでいたところを引き払ったりとかの手続きは大丈夫か?」
「大丈夫。オレは宿暮らしだったし……それに探索者なんていうのは、死んで当然の職業だから。向こうは気にもしないと思う」
「じゃあ、ここに住むってことで問題ないな?」
「オレからすれば、願ったりかなったりだけど……いいの? おにーさんとおねーさんはそれで」
「当たり前ですよー。今日も一緒に寝ましょうね、ヒノキちゃん」
姉精神に目覚めて無邪気に喜んでいるカルーアとは対照的に、ヒノキはハイガへと身を寄せ、こっそりと口を開いた。
「……いちおう、もう一度聞くけどさ。おにーさん、オレがここにいてもいいの?」
「いや、なんでだ。無駄に広い家だからな、全然かまわないぞ」
「いや、そうじゃなくて……」
ヒノキは声を潜めて言った。
「その、おにーさんとおねーさんは……よ、夜とか、その……ふ、二人で過ごしたいんじゃないの……?」
思わずヒノキの顔を覗き込むと、目をぐるぐるとさせ、ひどく恥ずかしげな様子である。
ヒノキの言わんとすることを過不足なく読み取ったハイガは、ため息をついて言う。
「誤解を解いておくとな……別に、俺とカルはそういう関係じゃないぞ」
「えっ……で、でも、これまでおにーさんとおねーさんで二人暮らしだったんでしょ?」
「いや、だからってヒノキの想像してるみたいなことがあるわけじゃない。変な気の回しすぎだ」
「そ、そういうもんなのか……ごめん、適当なこと言って」
しゅんとするヒノキ。
苦笑してハイガは言葉を続ける。
「まあ、たいてい寝床は同じだけどな」
「えっ」
「カルは寝相が悪いから、朝起きたら抱き着かれてたりしてるけどな」
「えっ」
「まあ、大したことじゃない」
ぶつぶつと、『ヒノキおねーさんと一緒に寝ようって言われたけど、それって……』などと呟いているヒノキに、ハイガは質問を続ける。
「どっかに預けてる荷物とかはないのか?」
その声に我に返ったヒノキは、慌てて応える。
「いや、基本的に着の身着のままだったから……。特に、持ち込むものもないかな」
「そうか……」
思案顔のハイガ。
さりげない様子で質問する。
「……服は、どうしているんだ?」
「えっ? ……基本的に一番安いヤツを、使い物にならなくなるまで着てた。マントがあれば、それでもあんまり視線とか気にならなかったからさ。……ああ、でも、そうだ。なにか服の都合をつけないと、この屋敷にはあわないかなあ……」
基本的に、清潔ではあっても浮浪者とあまり変わらない格好であったヒノキである。
家というよりは邸宅とか屋敷とか呼んだ方が似合いそうなこれからの住居では、その格好ではダメなのではないかと思っているのだ。
と、その様子にハイガの頭脳が高速回転を始める。
(……時期尚早か? ――否。服事情が定着してしまい、その後で頼んでは断られる可能性が高い。……確かにリスクはある。ここで悪い印象を残せば、目的の達成は不可能に近くなるだろう。だが……今だ。今しかない。いかにも親切を装って提案することのできる、ただこの一瞬。逃してはならない……!)
あくまで紳士的に。
常より柔らか、かつ思いやり溢れる(ように見える)雰囲気を醸し出しつつ、ハイガは【限解保持】よりある服を取り出し、提案する。
ドクドクと打ち付ける心臓が痛い。
ハイガはそれを無理やりに押さえつけて、言葉を紡ぐ。
「ヒノキ、もし服に困っているなら……なんだけどな」
「ん? なに、おにーさん」
「この服、使ってくれないか……ッ!」
ヒノキの前に突き出された服。それは――
至高。
かつて地球上より生み出されし数多存在する服飾の特異的到達点にして原型であり数限りない雄生命体を冥府魔道に引きずり込みし萌という一種信仰にも似た感情を強制的に引きずり起こす歴史と実用性と厳格さと可愛らしさと愛しさと切なさと心強さを一つの属性に統合して持ち合わせる概念装備。
――名を、メイド服という。
「……おにーさん」
「なんだ」
「かわいい服だけどさ……このフリルの意味は何?」
「魂だ」
「……はい?」
「魂だ」
「……そ、そうなんだ」
「そうなんだよ」
生温い沈黙。耐え切れなくなったヒノキが言う。
「えっと……なんでおにーさんが女物の服を持ってるの?」
「とある事情で、知り合いから入手した」
「そ、そっか……オレが着ていいやつなの?」
「大丈夫だ、問題ない」
「そっか……」
いつか、可愛い女の子にメイド服を着せたいというハイガの欲望という事情から、呪いの館のメイド人形から譲り受けた逸品である。
ヒノキが着るのに問題があるはずがない。
「えっと、じゃあちょっと借りるよ。ずっとこの服のままってわけにはいかないし」
部屋を出て、寝間着からメイド服に着替えてきたヒノキ。
「着心地は悪くないかな……」
「わ! 可愛い!」
「そ、そうかな……」
カルーアに『可愛さ』というあまり意識したことのない要素を褒められて照れるヒノキだが、実際、ヒノキにメイド服は少々危険な魅力を放っていた。
瑞々しい褐色の肌にメイド服の白が良く映えて、それぞれの魅力を引き出しあっているというのはもちろんのことなのだが、年端も行かない少女が安っぽいコスプレでない、ガチのメイド服を着ていることへのワケあり感というか、いろいろとヤバい。
「ヒノキ……」
「あ、おにーさん。コレ、いい服だね」
「そこで一回、くるっと回ってみてくれ」
「? ……こう?」
「――――ッ!」
ハイガ、稲妻走る。
(す、素晴らしい……!)
異世界すげえなとんでもねえな異世界。
謎の感慨がハイガを支配する。
「ヒノキ、一回だけでいい……誓って、今この時だけでいい」
「な、なに?」
重々しく声を発するハイガに、ヒノキの緊張が高まる。
「――『ご主人様』と言ってみてくれ」
「……?」
「『ご主人様』と言ってみてくれ……頼む」
「……えっと」
困惑顔のヒノキに、カルーアもまた困惑しながら言う。
「……言ってみてあげたらどうですか? 一回だけって言ってますし」
その言葉に押されたように、ヒノキが上目遣いにハイガを見上げて言う。
「……ご主人様?」
「…………」
反応はなかった。そこにはただ、全ての悔いなく感涙する男の姿があった。
(ありがとう……世界よ、ありがとう)
ハイガは大いなる愛を抱いていた。
今ならすべてを許せる。
そのまま立ち上がり、ふらふらと部屋を出る。
「ハ、ハイガさん?」
「……ちょっと、夜風に吹かれてくる」
そのまま出て行ったハイガ。室内には、何が起こったのかを把握していない少女が二人。
「えっと……おにーさん、どうしたの?」
「私にも、ちょっと……」
困惑顔の二人。
数分沈黙ののちに、カルーアがポン、と手を打つ。
「……ああ、もしかして」
「なにかわかったの、カルおねーさん」
「たぶん、なんですけど……ハイガさんは、遠い国の出身みたいで、初めて見た時は全裸……じゃなくてっ! えっと、たしか見慣れない、黒い服を着てたんです」
「いま、全裸って」
「察するに、ですけど。その服はたぶんあの黒い服と一緒で、ハイガさんの故郷の服なんじゃないでしょうか。何か特別な意味を持つ服とか」
「スルーなんだね……」
真面目な顔をしてカルーアが考察を締めくくる。
「それで、その服を着ているヒノキちゃんを見て、故郷のことを思いだしたんじゃないでしょうか。ほら、ヒノキちゃんはハイガさんと同じ黒髪ですし」
「……そういえば、魂とかなんとか言ってたし、なにか意味のある服なのかも……」
「じゃあ、やっぱりそうなんじゃないですか?」
一応の推測を立てた二人。
ヒノキはスカートの裾をつまんで言う。
「オレなんかが着ていい服なのかな……?」
ヒノキの素人目にもわかるほど縫製のしっかりとした、高価な服であるとわかる。
それでいてハイガの思い入れのある服となると、気後れのする部分があるのだ。
「たぶん、ヒノキちゃんが着てくれたら、ハイガさんも喜ぶんじゃないでしょうか。……やっぱり故郷を離れるのは寂しいものですし。故郷を思い出させてあげられるというのは、ハイガさんにとっても嬉しいことだと思いますよ」
「そうなのかな……」
ハイガについてきてフェールを離れているカルーアの言葉には、実感がこもっている。
望んでついてきたのだし一片の後悔もないが、やはり故郷は恋しい。
「そういうものですよ。……私からしたら、ちょっとだけヒノキちゃんが羨ましいです」
「? ……なんで?」
「私の髪の色では、きっと意味がないですから」
「あ……」
さらさらと流れる艶やかなカルーアの金髪。
……いや、まあ。
そんなことには関係なく、カルーアがメイド服を着ればハイガは狂喜乱舞するのだが。
今までも、良い口実が無かったので着せなかっただけなのだから。
だが、今この場ではそのツッコミを入れる者はいなかった。
「だから、ヒノキちゃんがその服を着ていてくれると、ハイガさんも内心では喜んでくれると思いますよ」
「……うん、わかった」
神妙に頷くヒノキ。
ハイガは確かに大喜びだろう。
数秒の間をおいて、ヒノキが聞く。
「ねえ、カルおねーさん」
「はい?」
「……おにーさんのコト、『ご主人様』って呼んだ方が喜んでくれるかな……?」
カルーアがヒノキを見ると、真っ赤になっている。
「……いや、それはないです。いろいろと」
「……そだね」
苦笑しながらのカルーアの言葉に、安堵する様子のヒノキ。
ハイガがこの会話を聞けば、ここで舌打ちすること必至であった。




