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9 二日酔いの魔術師



「……あ゛ー」


 ハイガは目を覚まし、起き上がるなり側頭部を抑えた。

 考えがまとまらないため、とりあえず洗面場で顔を洗う。

 顔にかかるぬるめの水に、僅かに頭痛が緩和され、昨夜の記憶が蘇ってきた。


「飲み過ぎたか……」


 もっとも、その原因は改めて考えるまでもない単純なものであったのだが。

 折よく同時にランクアップしたということもあり、これも何かの縁ということで、昨日はヒノキも含めた三人で呑みに繰り出したのだ。


 それぞれに年齢の近い者同士のこと、そしてそれ以上に、ハイガとカルーアとヒノキ、三者が三様とも、あまりにも違う人生を歩んできている。

 ハイガたちにとっては、この迷宮都市でその人生の全てを過ごしていたヒノキの話は予想を大きく越えたものであったし、ヒノキにとっては外から来た二人の話は刺激的であった。

 それもあってか、話は大いに弾んだ。


 ただその風向きは、ヒノキが酒を頼み始めてから大きく変わった。


 この都市では基本、飲酒に年齢制限はない。

 酒を呑み、呑まれることは各人の自由とされている。


 基本的に探索者の多い都市である。

 それぞれに多様な事情を抱えている者が多いのだし、だいたいそんな年齢制限などと言うまどろっこしいことを探索者が守るはずもなく、呑みたければ呑む。

 それがこの都市における酒というものへのスタンスである。


 その常識に染まり切っていたヒノキもまた、飲酒に忌避感はなかった。

 話が盛り上がってくると、当然のように呑みだす。

 もちろんのこと一人だけ酔わせるなどというのも空気的に通るはずもなく、ハイガも呑みだす。

 すると、以前から酒に興味はあっても手は出してこなかったカルーアが、年下のヒノキが呑んでいるということで呑みだす。


 駄目な酔っ払い集団が生まれる見本のような展開で、三人は酒に呑まれた。


「……で、こうなってるわけか」


 自室を出て、共用スペースへ。

 どういう流れだったのかは忘れているが、どうやら三人、酒場を出た後にはハイガとカルーアの家になだれ込んだらしい。

 その結果が、目の前の惨状だった。


 一つ置かれている二人掛けのソファには、カルーアとヒノキの二人が並んで眠り込んでいた。

 二人とも体躯が小さいため、すっぽりとソファに横向きになってはまり込んでいる。

 それだけならほほえましい光景なのだが、眼の毒なことに、いったい何があったのか二人とも服をはだけさせ、大きく肌をさらけ出している。

 他人にはお見せできない有様だ。


 ハイガは嘆息して、部屋を出ていった。

 あの中に混じって眠らなかったのは、昨夜のハイガの好プレーであると言えよう。

 ハイガは二人の少女たちに包まれて眠りたいなどという欲望は持っていなかったし、これから先そんな業を背負う気も無い。


 ……その割には酒の席では、毎回カルーアを膝に乗せ猫かわいがりしているのだが。

 まあ、それはそれである。




 ところで、この現在ハイガたちが生活する屋敷。

 いまだ手に入れて浅い家のこと、まだまだ手を入れていない部屋の方が多い。

 まともに生活空間に活用しているのなど、共用スペースに一階の一番広い部屋、寝室に二部屋くらいのものだ。


 もっとも、寝室に関しては二部屋というよりも一部屋と言った方が良い。

 だいたいの場合カルーアがハイガの部屋に入り浸っており、そのまま眠り込むからだ。

 カルーアの部屋は現在、ほとんど物置と化している。


 と、まあそれはそれとして、それら普通の生活に使う部屋以外にも、使っている部屋はある。

 二階の、寝室から一番離れた部屋。

 それこそがハイガの誇る、魔術工房であった。


 基本的にがらんとしており、あまり物がない。

 それというのも、ハイガはこの屋敷を購入するやいなや、屋敷で一番広い部屋となるこの部屋の、家具や調度品を全て【限解保持ボックス】で収納したからだ。

 ハイガは基本的に生活用品すらも【限解保持ボックス】により保管している。

 それは便利であるという理由があることはもちろんだが、それ以外にも盗まれる心配がない、という防犯上の理由もあった。


 ならば、研究中のマギクラフトや作成中のスクロールといった、できるだけ人目に触れさせたくないものをわざわざ工房に広げておく道理がない。

 【限解保持ボックス】での保管では都合の悪いいくつかの品物を除いて、工房にはほとんど何も置いてはいなかった。


 広いスペースと、部屋の隅に机と椅子がポツンとあるだけ。

 それでもこの部屋が異様な雰囲気を醸し出すのは、部屋中に奔る黒線と、点々と存在する変色や焼け焦げの跡のせいであろうか。


 黒線はハイガが施した簡易的な魔術陣であり、部屋全体を補強している。

 ハイガにはメイド人形を創り出すような手腕が存在しないため、クロックの館ほどの完成度ではない。

 が、単純な強化という意味でのこの魔術陣の性能には問題はなく、ハイガは魔術や魔道具の実験の際には、この魔術陣を起動させていた。

 

 そして、それとは別に部屋中に存在する焼け焦げや変色。

 これは言うまでもなく、魔術や魔道具の開発により刻まれたものだ。

 ……決して、補強の魔術陣が役目をはたしていないのではない。

 

 そう、逆に考えるのだ。

 『補強の魔術陣のおかげでこの程度で済んだ』と。


 実際、この魔術陣による補強が存在しなければ、この部屋、ひいては屋敷は既に崩壊していた可能性もある。

 ハイガは基本的にマギクラフトの作成や魔術の仮起動を安全を確保した状態で行うが、それでも失敗はゼロではない。

 勘案していなかった要素により魔術の工程がある段階で遅延したり誤作動することなどはざらであるし、また物体自身の強度が足りないために、作りかけのマギクラフトが爆発したこともある。


 この屋敷を購入してからまだ一週間ほどしかたっていないのにもかかわらず、これほどに部屋に傷跡が刻まれているのは、それだけハイガが魔術に取り組み、挑戦し、失敗した跡でもあるのだ。


 ……ハイガが部屋に刻まれた傷跡をそうポジティブにとらえる一方で、実はカルーアはいつか屋敷ごと爆発するのではないかと、戦々恐々しているのだが。

 カドゥケウス・プロトの起動実験がヘタをすれば死んでいたものであるからこそ、カルーアがそう心配するのも無理からぬ話だろう。




 と、そのような有様のこの魔術工房であるが、この部屋に今ハイガがやってきたのは、魔術の実験をするためではない。

 二日酔いの頭でそんなことをすれば、どんな惨事が起こるか想像するのも恐ろしい。

 流石のハイガもそんな蛮勇は振るわない。


 ハイガは部屋の中央の地べたに座り込み、【限解保持ボックス】からあるものを取り出した。


 蒼く輝く、その美しい見た目の割には恐ろしいほどの強度を有するソレ。

 見まごうことなどありえない、蒼鱗竜の忘れ形見、竜鱗である。


 ごろん、と地べたに寝そべりながら、一枚がハイガの顔程の大きさのそれを頭上に掲げ、考え込む。


(……何に利用するか?)


 魔術の実験をするのでなくとも、一度暇が生まれれば寝ても覚めても魔術に関係することを考え出す。

それがハイガという人間である。

 二日酔いというおよそ良いとは言えないコンディションであっても、その姿勢は変わらない。

 むしろ常とは違う発想が生まれるのではないかと、より一層の熱意を持って取り組むという有様だ。

 ワーカーホリック、と言ってもいいが、実際にはただ魔術にジャンキーなだけと表現した方がいいだろう。


 二日酔いの頭で、ぼんやりと思考を進める。


(素材としてはとんでもなく有能なんだよな……)


 ハイガが分析するところによると、竜鱗はその宝石のような輝きとは裏腹に、どちらかといえば金属的性質を有する。

 すなわち、変形性を有するのだ。

 それと同時に、一定の高い剛性も持ち合わせている。

 竜の体の一部であったときの強度は何らかの魔術的機構により実現されていた様子だったが、しかしそれを失ってなお、馬鹿馬鹿しいほどの強度を誇る。


 総括すれば、剛性と塑性という矛盾した二つの要素を高いレベルで兼ね備えるという、極めて有用な素材なのだ。

 加えて熱変形が極めて小さいという特徴も持ち、耐久性という面では申し分ない素材だ。

 ハイガの【乖離熱流バーナー】をものともしなかったことからわかるように、あるいは熱加工には純粋に物理的な加工に勝る難易度が存在することだろう。


 これだけ見れば理想的な素材のようで、しかし実際には、加工難易度という壁が立ちはだかる。

 強度が高ければ変形加工は難しいし、熱耐性が極めて高いのなら熱加工もできない。

 例えばそれらを組み合わせて鍛造のような方法で加工するとしても、途轍もない技術と時間を要することだろう。


 ――が、それはもちろん『通常ならば』の話である。

 魔術を用いれば、実はそれらの問題はほとんど解決する。

 物質の意味論的な構成要素に干渉することのできる魔術においては、強度という概念はほとんど意味を成さない。

 竜の身体の一部であった時には不可能であったが、今は既にただの素材である。

 魔術で加工できない道理が無い。


 では、なぜハイガが悩んでいるのかといえば――


(しかし、普通に使うのはあまりにも惜しい……)


 ――竜鱗の持つ、通常の物質とは異なるある特性からであった。

 竜鱗は基本的に物質としての性質を持つ。

 けれどもそれと同時に、純粋に物質とは言えない。

 これがこの竜鱗という素材の顕著な特性であり、どうやら通常の状態と重ね合わせて、『万象の原型』とでも表現すべき性質を持つようなのである。


 具体的に言えば、この素材は確固とした形を持ちながらも、物質として確定する前の多重原型状態を維持しているのだ。

 これが実際にどのような結果をもたらすかといえば、魔術へのとてつもない反応性の高さである。


 基本的に、魔術は事象を最小意味単位まで分解し、術者の観測した虚構に従って再構成するというプロセスを取る。

 竜鱗を魔術の対象として使用した場合、この『事象の分解』というプロセスを省略して、いきなり『事象の再構成』を行えるのである。


 いかにも何かの役に立ちそうな性質ではあるが、正直なところ、これがどのように役に立つ性質なのかということはハイガには未だ判然としていない。

 必然的に魔道具を作るときに使用することとなるが、そこまでの精度と高反応性を求める魔道具などそうそう無いのだ。


 むしろ、この性質を無視して高強度の素材として利用すれば、それはそれでかなり有用なものが出来上がるだろう。

 ならばなぜハイガが悩んでいるのかといえば、


(魔術的に利用すれば何か凄いものが出来上がるかもしれないものを、それを無視してただ素材として使う……それはもう、魔術師じゃない)

 

 と要するに……ただの、魔術師としての意地からであった。

 もっとも、ハイガから言わせれば『魔術の醍醐味』とでも嘯くのかもしれなかったが。







『……ガ様。ハイガ様』

「……ん?」


 と、そこにハイガを呼ぶ声があった。しかし、ここにはハイガ以外の人影は無い。

 ならば心理現象か――といえば、もちろんそんなわけはない。


「なんだ、アインか。……どうした?」


 【限解保持ボックス】で保持していては意味のないマギ・クラフトとして、この部屋の壁にかけてある、魔道具――呪いの館のメイド人形たちに渡した通信機の片割れであった。


『ハ、ハイガ様!? いらっしゃって……!? ……こほん。お久しぶりです、ハイガ様』

「……なあ、もしかして、いつもこの時間はこうやって話しかけてきてるのか?」


 フェールを発ってからも折に触れてメイド人形たちとは通信してきたのだが、実のところこの時間帯に話すのは初めてである。

 別にやましいわけではないのだが、なんとなくカルーアの前で通信するのが気が引け、カルーアの寝静まった後の夜中などに通信していたのだ。


『いえっ、その! ……その、大変に暇でして。ハイガ様はこの時間は通信にお応えなさらないだろうとわかってはいたのですが。……なんといいますか。ええと、遊びで。ときどき、通信機に呼びかけているのです』


(怖えよ)


 想像してみてほしい。

 メイド服を着こんだ妙齢の美女が、応えの返ってこない電話機に向かってひたすら自分の名を呼ぶその様を。

 なかなかの狂気を感じる。


 アインの言葉に恥じ入る様子があったのが幸いだろう。

 これで喜々とした、あるいは誇らしげな様子で言われたら、さすがのハイガもどう反応してよいか分からなかった。


「ま、まあ……そういうこともあるだろ。で、どうだ? どうせ暇だから、ちょっと話すか?」

『はい! ……それでは、クロック式マジカルバナナなど』

「いいんじゃないか?」


 クロック式マジカルバナナ。

 それは、アイン達メイド人形の創造主にしてハイガのソウルブラザー、クラック・クロックから連想する言葉だけでマジカルバナナのように言葉を繋げるというゲームである。

 

 ――意味が分からない。


 補足すると、クラック・クロックについてはアインは主として、ハイガは先達、そして追い付くべき対象としてある種の尊敬を抱いてはいるものの、どちらも本人と会ったことはない。

 それで連想も何もあったものではない。


 しかしこの頭のおかしめなゲームが三十分続くあたり、根本的にアインとハイガの頭がおかしいのだろう。

 途中からハイガとの通信を聞きつけて乱入してきたツヴァイやドライも加わって、白熱した時間が過ぎてゆくのであった。




「ところでなんだが」

『なんでしょうか、ハイガ様?』


 アインの粘り勝ちという結果に終わったクロック式マジカルバナナの後、雑談の途中にハイガは、ふと思いついたことを聞いた。

 アインの声の後ろには、わちゃわちゃとツヴァイとドライの声が響いている。

 アインの後にどっちがハイガと話すかということで争っているようだった。


 ハイガはそれをひとまず無視して、言葉を続ける。


「今、俺の居るイーリア迷宮都市……ここの迷宮には、クロック殿が何か関係しているのか?」


 ハイガがこの一週間、その内半分ほどの時間を迷宮で過ごしてから得た感想――それは、『明らかに作為的だ』ということだった。

 作為といえば聞こえはよくないが、要はこの迷宮というものが、人か、人以外の意志ある何かに支配されているように思えてならないのであった。


 地表と時差が無いという迷宮ダンジョンの仕組みもそう。

 階層を経るごとに強くなっていく魔獣もそう。

 そして極めつけは、転送陣ゲートの存在である。

 あんなに高度な魔術の結晶が、自然に出来上がるはずもない。


 そしてこの世界でそれを成せる者を挙げるならば――ハイガは、クラック・クロックを挙げる。

 というよりも、それ以外には思いつかなかった。

 ハイガのその疑問に、アインは面目なさそうに答える。


『……申し訳ありません。私たちは、ここしか知らないのです』


 その声には、忸怩たる感情が籠っている。

 彼女らは被造物であることを悲しんではいないし、むしろ誇ってすらいる。

 それでも、創造主の望む在り方からほんの一筋も自分たちが逸れていないことに、何らかの感情はあるようだった。


「いや……すまなかった。それは俺が自分で確かめることだった」

『ふふ……おそらくクロック様はハイガ様に待ち焦がれていらっしゃいますので、早く見つけて差し上げて下さい』

「そうだな。……その通りだ」


 僅かに笑みを含んだアインの声に、ハイガもまた苦笑を返す。

 と、その時。

 ハイガは、誰かがこの部屋のすぐそこまで近づいているということに気づいた。


「悪い……通信を中断する。また今度な」


 そう言いながら、『えー!?』と争いに勝利したらしきツヴァイの言葉を尻目に通信機の同期を断絶させたのと、工房のドアが開くのはほとんど同時だった。


「おはよう……おにーさん」


 そう言いながら目を擦ってハイガに声をかけるのは、健康的な褐色の肌と、さらさらとした黒髪の少女――ヒノキだった。




タイトルが思い浮かばなくてこんなんなりました。


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