8 探索者の少女
深さを増す夕闇の中に、戦闘音は意外なほどに小さい。
目的地へと辿りついたハイガたちの目の前で繰り広げられていた探索者と魔獣の一対一の戦闘は、しかしその静けさとは裏腹に、緊迫感を漂わせていた。
小柄な探索者の前に立ちふさがり、猛るのは猛黒猪。
その名の通り黒い剛皮を体に纏い、気性は獰猛、かつ好戦的。
この三階層においては単純かつ絶対的なパワー型として、生態系の頂点付近に位置する魔獣である。
その攻撃方法は、魔獣としてさえもあまりに稚拙。
全力を込めた突進――ただ、それだけだ。
しかしながら、その突進は絶対的な破壊力を持つことで有名である。
そもそもの基礎能力値が人間とは絶対的に違う魔獣のその攻撃は、仮に正面から喰らってしまえば並みの魔術師を昏倒、あるいは死亡させるほどの威力を持つ。
猛黒猪が大音量の咆哮――激昂していることを示す雄叫びをあげ、恐ろしい勢いで突進、地面の土を捲り上げる。
足も竦むその猛黒猪の猛攻に比すると、相対する小柄な探索者の戦い方は冷静……言い換えれば、華が無かった。
避け、いなす。
地を蹴り、斬りつける。
ともすれば地味としか言いようのない、その動きの連なりである。
魔術師の戦闘における最大の武器は、言うまでもなく殴打である。
技術などいらない。
己の肉体が生来的に有する、純粋かつ莫大な筋力。
それが全てであり、全身全霊を込めて放たれる魔術師の拳の前には、少々の技の研鑽など大して意味を持たない。
そんな戦い方が一般的なものとしてまかり通るこの迷宮において、目の前で繰り広げられるその戦いは魔術師のスタンダードスタイルと比せばあまりにも異質だった。
力で叩き潰すのではない。
相手の動きを予測し、自分の動きを完全に制御して相手の選択肢を削っていくことで、薄皮を積み重ねるように優位を築くという戦い方。
当然のことながら、それは常に敗北と隣り合わせの戦い方である。
言うなればそれは、肉体性能という絶対的実力差をそれ以外の部分で埋める戦い方であり、余裕ある勝利など望みようがない。
紙一重での回避、浅く削るような斬撃。
見ているこちらが肝を冷やすような、命が惜しくないかのような戦闘軌道。
だが……そこには明らかに、勝利への『理』が存在していた。
『……ハイガさん、これは』
『ああ……そうだな』
後ろから小さな声でかけられる声に、ハイガもまた微かな声で返す。
実際に目にして、空気を肌で感じ取ればわかる。
それは確かに危なっかしく、薄氷の上に立つ戦い方である。
が、間違いなくそれは戦闘であって、決して蹂躙ではない。
人間と魔獣という敵対種間の、命を掛け金とした正統な闘争。
ならば今、魔獣と対等に命を懸ける探索者にハイガたちが手助けするような余地はない。
それはまさしく『余計なお世話』であり、あの探索者もそれは望まないだろう。
……まあ、それは別にいい。
介入する必要も意義も存在しないのなら、それに越したことは無い。
ここにハイガたちの席はなく、立ち去るのがむしろ当然なのだ。
それなのにハイガが立ち去ろうとしないのは、ただ単純にその戦闘……正確に言うならば、戦闘する探索者に興味を惹かれたからだった。
(……決して強靭ではない。が、間違いなく、勝利するための路を見据えた戦闘……)
背後からの、カルーアの制止するような小声はひとまず無視。
念のため【探索地図】を展開しながらもその他の感覚を傾けて、そこから立ち去るでもなく介入するでもなく、ハイガは目の前の戦いの観察に没頭する。
(……身体能力的には低い……少なくとも、カルよりも大きく身体能力が劣るのは確実。……だがこの三階層で、危なっかしいながらも階層上位の魔獣を相手に優位な戦いをする、か……)
ぺしぺしと背中を叩くカルーアの手の感触すらも脇に追いやって、なお思考を続ける。
(……あの身体能力では、とてもじゃないが猛黒猪と互角に戦えはしない。だからこそあの探索者には、足りない身体能力を補う何かがある。……武器か? いや、あのナイフには魔術反応はない。ただのナイフと考えるのが妥当)
薄暗闇の中に閃く銀閃は、探索者の振るうナイフ……短刀のものだ。
魔獣を相手にするには弱弱しいとしか言いようのない、そんな武器で僅かずつ削り取るように魔獣を消耗させている。
(なら、その他の装備……は、ないな)
探索者の纏うのはほとんどボロと呼んで差し支えないような、薄汚れたローブのような服である。
ハイガやカルーアのそう質の良くない軽鎧と比べても、防具としても服としてもなお劣るとしか表現のしようがないだろう。
もちろん魔術反応はなく、ただの布だ。
仮に探索者がハイガを大きく上回る技量を持つ魔術師ならば隠蔽ということもあろうが、それほどの魔術師ならば他にいくらでもやりようはある。
こんな紙一重の戦いを演じる必要はないだろう。
(ならばその戦い方の要訣は、眼には見えない部分にある、と考えるべきか)
ハイガは妙な皮算用をする。
(……金を出せば、撫でさせてくれるだろうか)
無論のこと、やましい理由からではない。
【解析】により探索者の有する魔術陣を解析するためだ。
【探索地図】では魔術陣を検知することはできても、それが具体的にいかなる意味を持つものであるかの解析には至らない。
その詳細を得ようと思うならば、直接頭に触れる……つまり、撫でる必要があった。
それも、かなりの長時間。
(……魔術師についてはまだ不明な部分も多い。……実際に解析したのがカルだけだから当然と言えば当然。だからこそ――変わり種は是非とも解析したい)
魔術師の解析をいまだにカルーアにしか試していない、ということの原因がハイガの怠慢に存在するのかどうかは、非常に微妙なところである。
魔術師という生き物をより深く分析したいと思うのならば、より多くの魔術師を対象に解析をすることは間違いなく必須だ。
しかしながら当然というべきか、カルーア以外の魔術師というのはそのほとんどが筋肉達磨なのだ。
ハイガは、カルーアに対して行ったのと同じように……つまり頭を撫でるという行為を通して筋肉達磨たちを解析する気には、とてもではないがなれなかったのである。
どう話を持ち掛けたものか、と野獣の目でハイガが悩んでいると、ハイガの頬をつつくものがあった。
さすがに振り返る。
『なんだ、カル?』
『……いま、よこしまなことを考えていませんでしたか?』
小声で、しかし妙な迫力を醸し出すカルーア。
やや押されながらも、ハイガは応える。
『いや、別によこしまなことは考えてない』
『……じゃあ、何を考えてたんですか』
『金を払ってあの探索者の体を自由にさせてもらおうかな、というただそれだけだが』
『それのどこがやましくないんですか……?』
絶望感すら漂わせるカルーアの声に、ハイガは首を捻った。
(魔術のための真摯な行動の、どこがやましい……?)
魔術である。
魔術の発展のためである。
ハイガにとってはそれはモラルやらなんやらかんやらよりは大幅な上位に位置する目的で、躊躇する必要性が見当たらない。
別に解剖してみようとか、そんな狂ったことを言うわけではない。
ただ二、三時間、撫でるだけ。
交渉次第ではあるが、金銭で解決できるならばそれが一番平和的かつ健全だ。
魔術は発展して、あの探索者は懐が潤う。
みんなハッピーだ。
ビバ・金。この世はやはり金である。
だから彼女にそれを交渉することには、何一つやましい要素などない――
資本主義の暗黒面に染まったハイガがそう説明しようとしたとき、もともと大きくなかった戦闘音が止んだ。
そこに立つのは、もちろんのこと魔獣ではなく探索者。
小さな傷を全身に追いながらも、よどみなく少女はそこに立っていた。
そして、声をあげた。
「――そこに隠れてるヤツ、出て来い」
普通に存在がばれていた。
ガサガサと草木をかき分けてハイガとカルーアが顔を出すと、探索者……その女の子は、警戒を緩めずに二人に問うた。
「……なんでオレの戦いを見てたんだ、おにーさん、おねーさん? ……あんまりいい趣味じゃないぜ」
その視線は油断なくこちらを見据え、いつでも動き出せるような体勢だ。
ハイガは言葉を紡ぎながら彼女を観察する。
「悪かった。……戦闘の気配があったから、ちょっと見てみただけだ。苦戦してるようなら手助けするつもりだったが……そんな必要は無かったな」
見た目の年齢はカルーアと変わらない。
しかし肌の色や髪の色はカルーアとは異なっていて、似通っていることと言えばスレンダーな体型くらいだろう。
肌は日に焼けたように浅黒く、それでいて艶やか。薄暗闇の中でしっとりと光を吸収する。
髪は黒のストレートで、肩口のあたりでナチュラルに切りそろえられている。
瞳は銀に近い。肌色と髪色にまったくそぐわないが、しかし奇妙な調和を感じさせる。
一種、神秘的とも異様ともいえる雰囲気を醸し出していた。
整った顔立ちにしなやかな身体。
今はこんなぼろをまとっているからそうとは感じられないが、磨けばとてつもなく光る。
そういった印象をハイガは受けた。
「……今まで見ていた理由は? オレの感覚だと多分、結構長い間覗いてたはずだ」
男言葉を使うのはいかなる理由によるものか。しかし、それが妙に似合ってもいる。
「戦闘に見惚れた、じゃダメか?」
「……おにーさん、変な奴だな」
僅かに構えたナイフを下げる。表情にも僅かな緩み……というよりも、苦笑いだろうか。
「いや、嘘じゃない。……なんせ、この世界の魔術師ってのはとにかく力押しだ。あんな戦い方をする魔術師は初めて見た」
「……そう言ってくれると嬉しいね。オレの戦い方は、はたから見ればちまちましてる上にまどろっこしいらしいから、さ」
確かにこの世界の魔術師そういった評価を下すだろう。
何せ、脳筋だから。
不意にハイガはリュックに手を突っ込んで、【限解保持】からあるものを実体化させて少女に放る。
リュックからものを取り出す仕草をしたときに一瞬の警戒の高まりを見せた少女だったが、ハイガが放ったものを受け取ると、首を傾げた。
「おにーさん……なに、コレ?」
「回復薬だ」
「いや、それは分かるんだけどさ……なんでオレに?」
「いい戦いを見せてもらったから、見物料」
ふーん、と目の前に回復薬を掲げる少女。
と、次の瞬間には目を見開いた。
「いや、コレ……高位回復薬だろ!? こんな高いもの、使えるかよ!」
慌ててハイガに回復薬を放り返す。
綺麗な弧を描いて、それはハイガの手の中に納まった。
「いや別に、店売り品だし使うあてもないから返されても困るんだが……」
「はぁ!? ……最高位回復薬なんて出回らないんだから、それは一番高価な回復薬だろ!? オレ、そんなのもらっても返せねーよ!」
「んん?……あー……そういう認識になるわけか」
ポリポリと頭を掻くハイガ。
実際、使うあてもない物だ。
死蔵されているよりは、少女の肌に走る大小の傷の治療に使われた方が、この回復薬も幸せであることだろう。
というよりもハイガ自身が個人的に、少女の肌が傷ついたままであることが気になって仕方がなかった。
(……)
ハイガは回復薬を開封して、一口含んだ。
(…………マズい)
味が。
いや、分かっていたことなのだが。
何と表現しようか、とても飲み物とは思えない異臭。
顔をわずかに顰めてから、それを持って少女へと歩み寄った。
「な、なんだよ……?」
棒読みでハイガは言葉を吐き出す。
「怪我したから封を開けたけど、一口で全快した。有り体に言って余ったんだが……もらってくれないか?」
少女は胡散臭そうな表情をしていたが、ハイガが実際に一口含んだことで信用したのだろうか。
半信半疑ながら、回復薬を受け取った。
「……本当に飲むよ?」
ハイガが頷くと、少女は瓶とハイガの顔を交互に見て、回復薬を飲んだ。
「……んっ」
僅かな声を発して、少女は顔を上げる。
体中の傷が癒され、どこを見ても傷一つない。
「……やっぱりスゲーな。これが高位回復薬か。……おにーさん、ありがと」
もともと、瓶の中身はそう多くもない。
少女が飲んだことで、瓶は既に空となっていた。
「……名乗りが遅れたが、俺はハイガ・ミッツヤード。魔術師だ。……そっちは?」
少女は己の身長よりも高い所にあるハイガの顔を見つめ、名乗りを上げた。
「オレはヒノキ。……ただのヒノキだ。」
少々の会話の後に、ギルド支部までの道中を同行することとなった。
同年代ということもあり、カルーアとヒノキはよく話が弾んでいるようだ。
「じゃあカルおねーさん。おねーさんたちも今日ランクアップするのか?」
「そうですよヒノキちゃん。……おねーさん……えへへ」
なんでも、ヒノキもまたハイガたちと同様に今日ランクアップ条件を満たしたようで、ギルドに付いたらランクアップ申請をするようだった。
とてつもない偶然だが、探索者は何万人といる。
下層であれば同日にランクアップする人間は何人もいるので、奇跡的と言うほどではない。
ちなみにカルーアはお姉さんと呼ばれて嬉しそうである。
これまでが魔術ギルドという究極的な男所帯での生活であったため、そんな呼び方には免疫がなかったのだ。
「にしても、おにーさんとおねーさんみたいにオレと同じくらいの歳の探索者がこの階層にいるなんて知らなかったな。……まあ、オレも毎日潜ってるわけじゃないから、当たり前かもしれないけど」
「ちょっと前まで違う場所にいたからな。知らないのも当たり前だろう」
「へー。オレはこの都市しか知らないから、羨ましい……って言っても、オレもいつかはこの都市から出るって決めてるんだけどさ」
そう語るヒノキの表情からは険が取れ、年齢相応に幼く見える。
どうやらヒノキはハイガたちとは違ってこの都市で生まれ、この都市で育ったようだった。
親がどうやら放蕩の魔術師であったらしく、ヒノキは捨てられ、孤児であるらしい。
名のみで姓が存在しないことは、それによるものだという。
魔術陣的脳形質が遺伝するということを考えれば、この都市で生まれた子供に魔術が発現しやすいというのも道理である。
ヒノキの口ぶりではどうやら、同じような境遇にある探索者たちというのも相当数いるようだった。
ギルドに着き、受付へ。
先にヒノキがランクアップをすませる。
ランク証明のプレートが鉛製から銅製へと変わり、ここからが真にこの迷宮の中堅どころ、主力の探索者というくくりだ。
ヒノキは満面の笑みでプレートを受け取り、後ろに下がって興奮気味にカルーアに話しかける。
はしゃぐ姿には、もう森の中での警戒の様子は無かった。
興奮でこちらから注意が逸れている様子を横目に、ハイガは小さな安堵の息をついた。
(さすがに、な……)
カウンターの上から零れ落ちそうになるほど次から次へと取り出される素材、七十種が二つずつと、遭遇してやむを得ず交戦した魔獣のプラスアルファの素材、合わせて百六十の素材が、カウンター越しの事務員の目の前に山のように積み上げられていく。
事務員は完全に動転し、何が起こっているのかを判断できずにいるようだ。
「ランクアップ承認、お願いします」
ハイガが声をかけるとはじかれたように目を見開き、大声を出そうとするので、ハイガは慌てて【停止領域】をカウンターを隔離する膜のように展開、音波を阻害して後ろに音が聞こえないようにした。
非常に無駄な魔術の応用であった。
蒼鱗竜も草葉の陰で泣いているに違いない。
(……どれだけヒノキが時間をかけたのかはともかく、一日で俺らがランクアップしたというのは……流石に、な)
別に悪いことをしたわけではない。
けれども間違いなく、それを知ればヒノキのあの喜びようには、僅かながらも曇りが発生するだろう。
……ハイガなけなしのデリカシーの発露であった。
「こ、これは何ですか!? い、意味が……!」
「ランクアップ承認お願いします」
「いえ、ですから! そのリュック、いったいどうなって」
「ランクアップ承認、お願いします」
要求を通すために必要なことはただ一つだけ、無表情で繰り返すことだ――『お願いします』と。
ハイガがずい、と身を乗り出すと、事務員は気圧されたように黙り込んだ。
そして平静を取り戻した、というよりも平静を必死に取り繕う様子で、ぎこちない笑顔を浮かべて言葉をひねり出した。
「……ラ、ランクアップ承認、いたしますか?」
「はい、お願いします」
ハイガはにっこりと笑いかけて応える。
むろん、その表情を『にっこり』と認識していたのはハイガだけであったのだが。
このような経緯を経て、なんとか騒ぎを起こさずにハイガとカルーアのランクアップを認めさせることに成功した。
ハイガの恫喝……もとい、交渉術が光った結果である。
ハイガは何食わぬ顔でランク3の証、銅プレートを胸にぶら下げ、いまだ話し込むカルーアとヒノキに声をかけるのであった。
ぐごごご……リアルが若干アレでして、較正があんまりできてません。
ご勘弁を。
高位回復薬の相場は一回の分量で50万エルほどです。
高価ですが、探索者にとっては度を越して高すぎるわけでもありません。
なかなか手が届かねえとかそういうレベル。
ちなみに回復薬の値段と効果はこんな感じ。
↑安価・低効果
低位回復薬
中位回復薬
高位回復薬
~越えられない壁~
~越えられない壁~
~越えられない壁~
エリクシール
↓高価・高効果
エリクシールはそもそも市場に出回りませんが、仮に買おうと思えば億単位です。




