7 第三階層
目の前に広がるは、その胎内に魔を潜ませる深緑の森。
植物と動物の織りなす濃厚な、それでいてどこか湿った雰囲気が鼻腔を満たす。
それこそは生命の坩堝であり、むせかえるほどの命の息吹が籠っていた。
第三階層。
この階層は今現在、数多くの中級探索者にとって主要な狩場となっている。
その理由としては、多くの探索者にとってこの階層の危険性と報酬が釣り合っているということが挙げられるだろう。
いわゆる森と呼ばれる植生を持つこの階層は、一階層、二階層と比べると雲泥の差の魔獣の出現率を誇る。
簡単に分類してみても、猛獣型に植物型、そして昆虫型。
猛獣型の魔獣は毛皮や牙、爪。
植物型の魔獣はその果実や蜜。
そして昆虫型の魔獣はその強靭な甲殻や羽などが盛んに取引される。
いわゆる中堅どころの探索者にとっては、四階層に比べ魔獣の強さが劣る割には報酬がよく、また魔獣の出現率が高いため、運による収入の上下の少ない階層として理想的な狩場であるわけだ。
さて、ハイガとカルーアは二階層の宿舎から、大多数の探索者が起きだすころには既に出達していた。
基本的に物資の全てをハイガの【限解保持】にて管理している二人は、様々な物資を迷宮に持ち込む必要のある他の探索者と比べて非常に身軽であり、それもまた行動の速さにつながっている。
転送陣を抜け、三階層へ。
瞬間、鼻腔に入りくる土と緑……森の匂いに、ハイガは僅かに顔を顰めた。
「どうしたんですか?」
その微かな表情の変化を読み取ったカルーアが尋ねると、ハイガは苦笑いして答える。
「いや……森にはいい思い出が無いからな……」
遠い目である。
ここでのどかな森林浴などの思い出が浮かぶようなら、とハイガは切実に思う。
実際に思い浮かぶのはアマゾンで半死半生で樹海を彷徨った思い出と、ネルヴァ大森林で魔獣を必死に気配を殺してかいくぐって行軍したサバイバルの日々である。
どちらにしても、何一つとして平穏な要素が存在しない。
なかなかどうして、森というものに平和な感想を抱けない人間。
それがハイガという男だった。
「それじゃ、さっさと抜けて、その苦手意識を払拭しちゃいましょう」
そのカルーアの言葉に、ハイガは笑みを浮かべた。
「ああ。……ランクアップのレコードでも破ってやろう」
……実際には一日でランク1からランク2にランクアップした時点で既にレコードはぶっちぎっているのだが、この場にはそんな野暮なことを指摘する人間はいなかった。
(一階層が戦闘への慣熟、二階層が危機察知能力なら……この三階層で求められるのは、多種多様な魔獣への対応力といったところか)
その腕の一振りで迫りくる魔獣を薙ぎ払いながら、しかしハイガにはそんな思考をするだけの余裕があった。
精悪樹のハイガを吹き飛ばそうと迫りくる蔓を、的確に力の流れをそらして捌き、容易くその幹にまで到達する。
精悪樹は主な攻撃手段がその蔓である故に、その幹の傍まで来てしまえばまともにこちらに攻撃を与える手段を持っていないようであった。
トン、と軽く地面を蹴って精悪樹のその太い枝を足場とし、簡単に実の成る高さまでたどり着く。
とりあえず、根こそぎ獲って【限解保持】に加える。
討伐証明としてランクアップの一助となると同時に、『精悪樹の実』は高い栄養価を持ち、また味も素晴らしいため好事家には垂涎の品であるらしく、高く売れるのだそうだ。
と、ドンと、何かが破裂するような音が聞こえた。
振り返ると、もちろんのこと立っているのはカルーアで、ピクピクと力なく動き、後数秒で絶命しようとするのは魔獣であった。
昆虫系の魔獣……胴体がひしゃげているがおそらく、翠羽蜻蛉であろうか。
ギルドで確認した限りでは、確かその美しい羽根が高値で売れるとか。
気性が荒く、また空中を三次元軌道で動き回る魔獣であるためにてこずる探索者が多いと聞くが……カルーアは既に、杖の先一点で完全にその素早い動きに対応することができているらしい。
「どうだ?」
「問題ないです。……正直、この杖のおかげってことはあると思いますけど」
ハイガが声をかけると、カルーアは嬉し気に、そして誇らしげにカドゥケウスを掲げる。
蒼鱗竜と正面から相対したとあって、ハイガがメンテナンス、改良した杖は、さらに以前を凌駕する性能に達している。
だが、しかし。
「……なかなか使いこなせるものでもないと思うけどな」
と、ハイガの言う通り、その性能もカルーアの杖という武器への適性と研鑽あってこそ生かされる。
高速で三次元移動する魔獣を正確に杖で一撃し、平行して術式を起動するというのは並大抵の技量ではない。
カルーアという少女は筋量と耐久力こそ魔術師としては平均を大きく下回るが、その速度、武器を含めての身体感覚には目を見張るものがある。
その特徴を生かしつつ弱点を補える武器がカドゥケウスであり、カルーアは徐々に独自の戦闘スタイルを築き上げていた。
「たぶん、私以外の人でもこの杖なら、同じように戦えますよ?」
「……いや、俺なんかは使いこなす自信がない」
カルーアの言葉に苦笑いして答えるハイガであるが、謙遜ではなく、事実である。
一見誤解されがちではあるが、ハイガという人間は本来、天才型というよりは秀才型の人間だ。
天才の証明が創造性にあるならば、秀才の証明は模倣能力にある。
手本を正確に模倣し、己のものとし、改良する――ハイガはこの能力には大きく秀でており、スポーツのようなルールの明文化された分野においてそれは有効に機能する。
ではなぜ迷宮においてそれが通用しないのかと言えば、その原因は『相手が人ではない』という単純な事実に存在する。
多種多様な初見の魔獣に対応しなければならないこの迷宮という場所で、ハイガの模倣という才能はあまり有効には機能しない。
むしろ必要とされるのは変化し続ける状況の中で瞬間的な最適解を本能的に見つけ出すというその能力――言ってみれば天凛であり、センスだ。
少なくとも戦闘におけるカハイガのそれは、カルーアのそれを大きく下回っていた。
今現在ハイガは素手で魔獣と戦い勝利しているが、ぶっちゃけたところそれは、ただスペックで勝っているから、というだけの理由だ。
スペックで上回れない相手が存在すれば、ハイガは簡単に敗北するだろう。
(この階層ならかなり余裕はあるし、かなり深い階層でも俺の力は通用するとは思うが……)
次なる魔獣を求めて【探索地図】を展開しながらハイガが考えるのは、ハイガ自身の戦力についてである。
ハイガの武器というのは本質的には、知覚・把握能力、判断能力であり、さらにそれを魔術でブーストできることにある。
それはオンリーワンの能力であり、他が追随できることではない。
また、単純な戦闘力という点に関しても、ほとんどの面で言うべきことは無い。
この世界の魔術師の使う生来の三次元構造詠唱の身体強化とは違い、ハイガの使う【身体強化】は思考詠唱による無次元構造の魔術陣により成る。
そもそもの強化率からしてモノが違い、筋量の不足を差し引いたとしても、身体能力はこの世界でのかなりの上位に属する。
スペック頼り、とは言ってもそのスペックが高いならば問題はないのだ。
――が。
(……直接的な戦闘能力も、【身体強化】に加えて開発すべきか?)
脳裏に浮かぶのは、『竜』というあの圧倒的な存在。
奇跡的に勝利を収めはしたが、しかしこの迷宮でアレに匹敵する敵が存在しないという確信などない。
思考を進める。
傍目には派手すぎず、しかしとてつもない破壊力を有する、そんな魔術。
(……ねーよ。あるかそんなモノ)
無理がある、と思いつつ新魔術の構想を練りながら、魔獣を撃滅してゆくハイガだった。
さて、この三階層のランクアップ条件は指定百種の内、七十種の魔獣の討伐である。
当然のことではあるが、このランクアップ条件を短期間でこなすというのはかなりの難易度……というよりも、はっきり無謀と言い切ってよい。
三階層には数多くの魔獣が存在するが、しかし魔獣以前に生物の性として、基本的にその生息域を魔獣は被らせようとはしない。
よってこのランクアップ条件を達成するためには、どのような魔獣がどのような場所に出現するのかという知識が必要になってくる。
加えて、季節ごとの餌場の変動、また妊娠、出産等による居住域の変化なども存在するため、どの地点にどの魔獣がいるということを大まかには分かったとしても、完全に把握することなど不可能だ。
実際には植物系の魔獣が存在するために、そういった居所の分からない魔獣だけではない。
しかしそれでも、短期間のうちに狙って七十種の魔獣を狩るということがどれだけ不可能に近いかということは、考えるまでもない。
第三階層は中級に足を踏み入れた探索者がようやく侵入可能な階層であり、そう簡単に攻略できるような場所ではないのだ。
――が、この男にはそんな常識は通用しなかった。
「――よし。七十種目だ。ちょうど二匹。……狩るぞ」
「はい!」
青銅甲虫。
その名の通り、青銅を甲殻として纏う昆虫系の魔獣である。
その高防御・機動性皆無という性質上、一定以下の攻撃に対してはほとんど不感ともいえる鉄壁ぶりを誇るが、ある閾値を超えた攻撃・衝撃に対しては為すすべもなく敗北する。
青銅甲虫には不運なことに、二人の放つ攻撃の破壊力は、その身に纏う青銅では到底耐えられないレベルであった。
あまりにあっけなく青銅甲虫は天に還る。
青銅と生体甲殻の融合した羽をむしり取り、【限解保持】処理を施す。
七十種の魔獣の討伐。
これから先も破られることのない、僅か一日での達成であった。
【探索地図】の【感知拡大】に比べての利点というのは、魔獣の種の判別が可能であるということに尽きるだろう。
無論、情報の処理を第二の脳に任せることで障害物の多い森という地形においても使用可能になったことを土台として成立することではあるが、ことランクアップ条件を満たすということにおいて、魔獣種の識別が可能であるということの利点は群を抜いている。
【感知拡大】で見分けるのは、あくまでも対象の形状である。
慣れた場所であれば形状だけでそれがどの魔獣であるか、そして誰であるかなども判別がつくが、それでは初見の階層における探索ではあまりに頼りない。
【探索地図】であればそういった心配はない。
魔術陣の有無、種類で魔獣や魔術師を判別できるため、混同ということがまずありえない。
第二の脳による自動判別で、ただただ未知の反応に急行すればよいのである。
その圧倒的な性能は、日が暮れる前に七十種の討伐を成功させるという偉業を伴って現れていた。
(【探索地図】の性能に頼り切っているのは間違いない……が、正直、浅い階層で時間を無駄にしたくはない)
日は暮れる寸前。
さすがに、一、二階層とは違って一日を最大限活用しなければ不可能であった。
【探索地図】を時折発動し不要な魔獣との接触を避け、三階層のギルド支部に急ぐ。
疲労の為であろう、さすがにカルーアも言葉数が控えめだ。
一日中、動き回り続けながら魔獣を狩り続けている。
さすがにこれで疲れなければ嘘というものだ。
疲労を感じるくらいであればなにも一回で探索をこなさなくとも良かろうに、というのも正しい判断ではあるが、その辺りは疲労したとて三階層程度の魔獣相手では不覚を取りはしない、という事実もあってのことでもある。
というよりも、そもそも【探索地図】により戦闘を避けることが容易であり、そもそも窮地に陥ることが考えづらいのだ。
(さすがに……次の階層からは日を分けて、か)
が、命を担保に金銭を稼ぎ出す魔術師にとって深追いと拘泥は忌むべき敵である。
ここよりも深い階層でこんなことをしようとは、さしものハイガも考えてはいない。
と、その時。
第四階層の攻略プランを考えながら移動していると、ある反応が不意に【探索地図】へと引っかかった。
(……なんだ? 危なっかしい……それに体格的に……子供?)
【探索地図】により得られるのは、リアルタイムの周囲の情報である。
【探索地図】がハイガの脳裏に描き出したその光景は、まだ年端もいかない……とはいえカルーアと同い年、ハイガより二、三歳下という程度ではあるが、そのくらいの体格をした探索者が、魔獣を相手にナイフ一本を片手にギリギリの戦いを演じている様子であった。
(……ポーターがパーティーからはぐれてしまった……とかか?)
ハイガは瞬間的に思考を巡らせる。
(……どうする?)
選択肢は二つ。
一つは、とりあえず様子を見に行く。
危険であれば手助けすればよい。そうしたとて何ら痛手でない戦闘力を、ハイガとカルーアは未だ保持している。
無論、おせっかいとなる可能性は大いにあるが……。
二つ目は、このまま無視してギルドに急ぐこと。
自己責任が基本であるこの迷宮という場所で、たまたま目に付いたからといってそれを助けに向かうなど、お人よしもいいところだ。
それに夜も近い。
感情を抜きにして考えれば取るべき選択肢ではある、が……
(――ないな)
ハイガはすぐさま現場を確かめることを決定した。
「カル、ちょっといいか?」
「なんですか?」
「少し右手に行ったところで、やけに危なっかしい戦いをしているヤツがいる。……悪いが、そっちに向かってみていいか?」
一応、カルーアに確かめると、カルーアはくすくすと笑った。
「声が最初から、行くって決めてますよ?」
「……了解ってことだな」
方向を修正し、その場所へと向かうハイガ。
当然、カルーアもまたその後についてくる。
理由などない。
衝動的に助けようと思った、というそれだけのことでしかない。
それでも――
(……助けることができるなら、助けた方がいいに決まっている)
その想いこそが大抵、ハイガに厄介ごとを運んでくるのだし、ハイガ自身もそれに気づいてはいる。
しかしだからといって、ハイガはこの考え方を改めようとはしない。
もはや直せない、性癖のようなものだ。
夕闇の深まる森を、二人は目的地に急いだ。
ちょっとした補足(読まなくていいやつ)
本文中で天才だの秀才だの言っていますが、適当です。正直なところ、一定以上の模倣能力も天才的な才能ではあると思います。極めれば虚刀流の姉ちゃんみたいなのになりますし。
ハイガという人間については、一言で言えば『天才に憧れた秀才』です。
秀でるが故に自分に天才性が無いことを簡単に理解してしまい、だからこそ『魔術』という天才ですら及ばない分野に足を踏み入れたわけです。諦め悪いですね。
結局、『執念』といういかにも天才的でない方法でその壁を破ってしまった変態でもありますが。
キャラクタ造形的にはこう、ダイというよりもポップ的な感じです。
かっこいいですよね、ポップ。作者は大好きです。
以上、蛇足的補足でした。




