6 第二階層
「……はー」
目の前に広がる岩と砂の大地に、感嘆したような声を漏らすカルーア。
写真などといった風景の記録媒体がほとんど存在しないこの世界では、居住地域の周辺以外の地理を視覚的に知る方法など無きに等しい。
幼少期からフェールしか知らなかったカルーアにとっては、その目の前の光景は新鮮な驚きをもたらすものであった。
第二階層。
一日の休日を挟み、ハイガとカルーアはこの第二階層へと侵入していた。
周囲には一階層とは違った、生命感を感じさせない景色が広がっている。
空気は湿り、決して水分が足りていないようではない。
しかし雑草すらも滅多に生えていないのは、地質そのものが生命を拒んでいるためか。
基本的に草木は存在せずに見晴らしのいい階層ではあるが、その代わりとばかりに周囲の環境に擬態する能力を持った魔獣が多いのもまた、この階層の特徴である。
ルーキーが一番最初に挫折する場所であり、一般人の到達限界。
それが第二階層であり、決して楽観視してよい場所ではない。
「基本的な立ち回りは一階層と同じな」
「ハイガさんが索敵して、二人で仕留める、ですね?」
「ああ。……それにここは障害物が少ないから、俺の【探索地図】も使いやすい」
【探索地図】はかなり使い勝手の良い魔術であり、たとえ水中であっても体中の皮膚の水感触、水圧などから地形や生命体、魔獣の存在を感知できるし、暗闇であっても視覚以外の要素で感知するための情報源を補える。
感覚の解析を第二の脳に任せているため、森などの障害物の多い地形でも、感知範囲は狭まるが有効に使用できる。
とはいえもちろん情報が多いに越したことは無く、基本的には平地において有効な魔術であることは間違いない。
あえて使用できない状況を挙げるならば、術者、つまりハイガの感覚器官そのものがつぶされる環境だろうか。
轟音や超高熱、そして視界の効かない暗闇といった人間の活動に向かない条件が重なると、さすがにまともに機能しない。
逆に言えばそうでもしないと封じられない、非常に汎用性の高い能力であるともいえるのだが。
ハイガは【探索地図】を展開するとともに、周囲の様子を観察する。
これまでに訪れた地球上の地形で言えば、礫砂漠に近いだろうか。
足元には大小の石が転がり、その隙間を細かい砂粒が埋めている。
(……かなり足場が悪いな。簡単に足を取られそうだ)
経験や実力の足りない探索者であれば、魔獣が出現した際に普段と同じように戦おうとし、その足場の悪さから体勢を崩し不覚を取る、ということもありえよう。
地に足を接する以上、足場の良し悪しというのは時に敵の強さ以上の難敵となりうる。
(迷宮の環境に対応するための魔道具でも作ってみるか……?)
極端な例ではあるが、足を踏み入れた階層がマグマ滾る活火山であったり、厚い氷の張る雪原であるというのも、ありえない話ではないのだ。
幸い、現在までに解放された階層にはそこまで極端な階層は存在しないようではあるが、深階層の攻略までを視野に入れるならば、そうした対策用の魔道具は、むしろ必須なのかもしれない……などと考えながら【探索地図】の示す場所へと移動し、魔獣を指し示す。
「そこだ」
「? ……あっ!」
一瞬の戸惑いののちに、驚きの声をあげるカルーア。
ハイガが示したのは数十メートルの先。
近づいてみると、平たい蜥蜴のような生物が岩場に張り付いていた。
「……なんですかアレ!? 全然見分けがつきませんでした!」
「……ああ、そうか。フェールの辺りにはああいう擬態をする魔獣はいなかったからな」
きらきらした瞳で魔獣を指さすカルーアに、ハイガは納得するように頷く。
ギルド職員としてフェール近郊の各種魔獣の特徴を一通り把握していたハイガではあるが、思い返せば擬態や演技といった、いわゆる搦め手的な方向に長けた魔獣というのは存在しなかった。
フェールの街は他の都市に比べれば随分と魔獣の多い土地柄であったが、魔獣も力こそパワー的な思考なのか、単純に膂力やサイズにおいて常軌を逸しているという魔獣ばかりだったのだ。
目を輝かせながら魔獣を眺めるカルーアを尻目に、魔獣を観察する。
尾まで含めると一メートル半に近い体躯に、岩肌に擬態するざらざらとした灰色の体表。
口蓋が非常に大きく、体の三分の一ほどが口部であり、ずらりと鋭利な歯が生え並ぶ。
この特徴を持つ魔獣は……
「岩蜥蜴だな」
この階層ではかなり危険な部類に入る魔獣で、待ち伏せを得意とする。
気付かずに捕食圏内に入ってしまえば、腕程度簡単に噛み千切ってしまう咬筋力、かなりの痛手を負うこととなる。
が。
所詮は二階層の魔獣であり、見つかってしまえばその移動速度の遅さは致命的であり、獲物でしかない。
危険を察知し逃げようとした岩蜥蜴の背をカルーアが杖で一突きすれば、簡単に絶命した。
……擬態に感動していた目の輝きはどこに行ったのか、容赦無いなと思いつつ尻尾を切り取って、【限解保持】で保管。
ランクアップの為には二人分の素材が必要となるため、【探索地図】でもう一匹岩蜥蜴を探した。
近辺の魔獣の捕捉は簡単に終了し、次々と魔獣を狩ってゆく。
通った跡にはぺんぺん草も生えない(もともと生えてない)サーチ&デストロイにより、昼頃には既にランクアップ条件まで後僅かというところまで来てしまった。
そのまま勢いのままに進もうとするカルーアに、いったんハイガはストップをかける。
(……正直、【探索地図】とこの階層は相性が良すぎるな)
二階層の特徴としては障害物の少なさと、砂や岩に擬態し、待ち伏せを行う魔獣が多いという点が挙げられる。
本来、それは探索者にとってかなりの心理的圧迫となる。
障害物が存在しないということは魔獣を察知しやすいと同時に察知されやすいということでもあるし、もし完全に不意を突かれてしまえばこの足場の悪さ、不覚を取る可能性は高いだろう。
それもあってこの階層からランクアップするのに、才能のある探索者でもかなりの時間……およそ一ヶ月ほどをかける。
そもそも魔獣が擬態するために、その発見自体が一階層などよりよほど困難であり、さらにランクアップに必要な討伐証明は一階層を大きく上回る、四十体二十種の魔獣である。
時間がかかるのは当然なのだ。
が、ハイガに限っては違う。
障害物の少なさ、基本的に擬態・待ち伏せを得意とする魔獣ゆえの継続的な機動性の乏しさ。
あらゆる点が【探索地図】での捕捉に適している。
居場所が分かれば、もともとスペック上ではこの二階層の魔獣は魔術師の平均に劣り、何ら危険性はない。
つまりこの二階層もまた、一階層と同様にハイガにとってはカモなのだが……
(流石に意味がなさすぎる、か……)
なんとなくではあるが、この迷宮にはある意図が透けて見える。
一層ごとに魔獣が強くなっていくというシステムがその最たるものではあるが、ある程度の探索者への配慮というものが感じられるのだ。
(……せっかくの機会、逃す意味もない)
ハイガは今か今かと指示を待つカルーアに声をかける。
「カル。ここから先は、俺がいないものと考えて行動してみてくれ」
「え?」
カルーアはきょとんとした顔だ。
「時間もたっぷりとあるしな。それに、俺がいないときにカルが魔獣を察知できないのも困るだろ。訓練みたいなものだ」
「……」
「……カル?」
「……あ、はい!」
カルーアは慌てたように言葉を返す。
「どうかしたのか?」
反応にどこか戸惑いが存在したことにハイガが疑問を呈すると、カルーアは少し口ごもった。
「えっと……いえ、何でもないです」
「……逆に気になるんだが」
その言葉に、カルーアは観念した様子だった。
「……自分のこと、成長してないなって思ったんです。……ハイガさんの力になりたいっていつも思ってますけど、でも、魔術についてはわかりません。戦闘くらいでは狩人として頑張りたいですけど、『あ、ここでもハイガさんに頼りっぱなしなんだ』って実感しちゃって……」
「……」
「あ、落ち込んでるわけじゃないですよ? だから、もっと頑張らなきゃ、って思っただけで!」
そう言いながら杖を握り締める少女の頬を、ハイガは無言で撫で、そして小さく嘆息する。
(分かっていないな……)
まるで分かっていない。
この少女はどうやら、ハイガがどれだけこの少女に助けられ、また頼っているか、分かっていないようなのだ。
ハイガは、魔術を求めて世界中を飛び回った時代のことを思い出す。
その頃には、この小さな少女は傍らにはいなかった。
魔術の断片を求める一人旅が楽しくなかった、というのは嘘だろう。
何の因果かその全てが大冒険と化していて退屈する暇はなかったし、旅先では多くの知人を作った。
見たことも聞いたこともないものに触れるという体験は驚きの連続であったし、着実に進んでいるという達成感もあった。
けれども。
間違いなく――ハイガは孤独だった。
どれほどの大冒険を経ようと、どれだけの友情を築き上げようと――それでも『魔術』というハイガにとっての絶対に譲れない部分は、誰にも理解されない。
当然のことではある。
いったい誰が、科学全盛の世の中で『魔術』などという絵空事にしか思えないものを信じてくれるだろうか?
たとえ『応援する』と口先では言ってくれたとしても、ハイガはその観察眼の鋭さから欺瞞を見抜いてしまう。
だからこそ、ハイガは孤独だった。
誰一人として、ハイガの隣に立って本気でその夢の実現に力を貸そうとする者など、存在しなかったのだから。
しかし、この眼前の少女はそうではない。
いつだってそばで、『力になりたい』と言ってくれる。
ただ隣にいてくれるということが、どれほど心強いことか。
無論のこと、既にハイガの『魔術』が形になっているということは大きいだろう。
もしかしたら、今のハイガであれば元の世界でも孤独を感じずに済むかもしれない。
けれども今――他ならぬ今、ハイガという人間を孤独から救ってくれているのは他ならぬカルーアという少女なのだ。
力を持とうが魔術を得ようが、ハイガは人の子である。
自分がどれほどこの少女の存在に助けられているのか、ハイガ自身が一番に自覚していた。
――まあ、だからといってそのまま感情を口に出せるほどハイガは素直ではないのだが。
「……『頼る』じゃなくて役割分担、適材適所だ。カルは十分に頑張ってるぞ。……そもそも、俺がカルの傍にいないってことが想定でしかないんだから、そこまで真剣に考えなくていい。……離れたらガーレフさんに殴られるからな」
そんなハイガに、カルーアもまた苦笑する。
「そこはもうちょっとかっこいい理由で……でも、ありがとうございます」
少女が浮かべた笑顔は、一瞬、ハイガから思考を奪った。
愛想で笑う訳ではなく、ただ、嬉しいから笑っている――それが容易に伝わってくる。
ハイガは僅かな動揺を押し込めて言った。
「……で、結局カルがこの階層、残りを索敵してみるってことでいいか?」
その言葉にカルーアが頷く。
「わかりました。……それじゃ、今から私のやり方でやってみます」
「ああ。……なんだかんだ、カルの狩人としての姿を見たことってあんまりないからな」
というよりも、よくよく思い返してみれば。
ハイガの見たカルーアの狩人としての姿は、大抵ピンチに陥っている。
……結局生き延びてはいるので、トータルでは十分な実力なのだろうが。
ほんの少し芽生えたハイガの懸念をよそに、カルーアは行動を開始した。
ハイガは保険として時折【探索地図】を展開しながら、その後に続くのであった。
ランクアップに必要な魔獣を全て狩り終えて二階層のギルド支部にたどり着いたのは、それから四時間を経てからのことだった。
その間にカルーアが発見、討伐した魔獣は三匹。
流石に【探索地図】による効率と比べてはいけないが、十分すぎる成果だ。
その手慣れた姿に、ハイガはアフリカで出会った狩猟民族を幻視したほどであった。
よくよく考えてみればカルーアは幼いころから魔術師として活動してきたので、ハイガのように日常的に事件に巻き込まれ危険に身を晒す、というほどではないにせよ、命のやり取りには慣れている。
比較的魔獣の多い土地柄のフェールにいたということもあり、その辺の魔術師と比べても手慣れていて当然なのである。
ただ、カルーアからすれば鈍っていたらしく、自身の感覚を遊ばせていたと自覚するきっかけとなったようだ。
実際的には【探索地図】があてにならない状況の方が考えづらく、またハイガは素でも第六感と評するレベルの危機察知能力を持つとはいえ、カルーアもまた感覚を鍛えておくに越したことは無いだろう。
――と、そこまでは順調だったのだが。
この二階層の探索、最大の難関はランクアップ申請であった。
そもそも一階層よりも多くの討伐証明が求められる二階層であることに加え、一日でランクアップするというその馬鹿馬鹿しい速度。
注目を集めないわけがない。
通常の魔術師が一か月かけるところを一日で終わらせたのだから、不審に思われない方がおかしい。
ハイガは舌先三寸手八丁の脅し賺し、もとい交渉を行い、誤魔化しながらその場を離脱したのであった。
風呂。
それは心のオアシスである。
例えばそこは心の洗濯場であり、友との語らいの場であり、またキャッキャウフフなイベントが起こる場所でもある。
どんな物語であっても合法的に裸を露出させることができる素晴らしき舞台装置。
古くはご隠居が印籠を掲げて諸国を漫遊する物語から、某猫型不思議ポケットロボットの映画まで。
風呂のシーンを盛り込めるならば無理矢理にでも盛り込むべきだというのは今は遠く遥か彼方ハイガの生まれ故郷変態国家ニッポンで広く伝えられる言説であるが、ハイガはその言説に今、ささやかな異議を唱える必要性を猛烈に感じていた。
(ただし、混浴か女風呂である場合に限る……か)
ハイガは現実を儚んでニヒルな笑みを浮かべる。
目の前に広がるのは、逞しき漢の園。
ボンッ!と山脈のごとき大隆起、大胸筋!
バンッ!と大地のごとき安定感、腹背筋!
ドンッ!と巨岩のごとき重量級、大臀筋!
三位一体、完全に仕上がったそれは正にダイナマイト・バディ!
前後左右どこを見てもヒグマが裸足で逃げ出す肉体の持ち主、逃げ場など存在しないッ!
服という不純物すらも脱ぎ去った、その漢たちの憩いの場!
つまりは――!
――男湯である。
もともと、二階層と三階層は二日連続で、ダンジョン内で寝泊まりして探索する腹積もりだった。
階層を上がるにつれて目的地に向かう為の時間は馬鹿にできず、ダンジョン内での生活というのは当たり前になってくる。
ならば、深い階層に到達してからいきなりそうするよりは、二階層と三階層という、危険の少ない階層で早いうちに体験しておいた方が良い。
順当な考え方と言えるだろう。
ギルドは日をまたいで迷宮を探索する探索者が存在することを踏まえて、各階層のギルド支部に宿泊所を併設している。
やや、と評するのはためらいがあるほどに割高ではあるが、しかしダンジョン内で安全が保障されるということの意義は大きい。
迷宮中で寝泊まりする探索者の半分ほどは、この宿泊所を利用することとなる。
そして宿泊するのは探索者であるからにして、自然に需要の高いのが風呂である。
体をさっぱりさせて次の階層に挑もうという探索者は、少なくともギルド側が風呂を設置することで十分な利益が上がると判断する程度には大きかった。
幸いにも各階層には水が豊富に存在しており、燃料も木材や魔獣の残骸、油脂などで事欠かない。
一見、水の少なそうなこの二階層でも、実際には水の存在しないせいで草木が生えていないのではなく、土壌が悪すぎるせいで草木が生育しないだけであるので、案外と風呂の水は十分に確保できるのである。
ちなみに、土壌のよい一階層ではギルド支部近くで野菜を栽培していたりもし、その野菜は迷宮野菜などと安直なネーミングで売られ、これがまたバカ売れしていたりする。
迷宮というのは一つ一つの世界の連なりであり、人が生存していくに十分な資源を内包しているのだ。
だからこそ、土地、鉱物……様々なその魅力もまた、迷宮を巡った権力争いを加速させている。
……と、余談であったが。
大切なのは、風呂中に蔓延する筋肉により、安らぎの場がちっとも安らげない場に変貌していたという、ただその一点であった。
「わ。……なんだか、元気ないです?」
風呂からぐったりとした様子で出てきたハイガに、こちらも風呂から出てきたばかりなのだろう、ホコホコとほのかに湯気をのぼせるカルーアが声をかける。
いつも白い肌であるが、風呂上がりとあって赤ん坊のようにつるつるとしている。
軽く上気した頬も相まって、健康的なものだ。
「あ、ああ……カル……」
よろよろと歩み寄ったハイガは、思わずカルーアに抱き着きそうになって停止した。
周囲どこを見回しても巌のような筋肉しか存在しなかった男風呂から生還したハイガには、カルーアが何か救い主にでも見えたのだった。
変な姿勢で停止したハイガにカルーアは一瞬、不思議そうな視線を向けてから、特に何も聞かなかった。
ハイガの奇行にもそれなりには慣れているのである。
「夕食は地上で買ってきたものがありますし……部屋に戻りますか?」
「……そうだな。ちなみに、女湯はどうだった?」
「え? ……二、三人いました。 皆さんフレンドリーで、たくさん話せました!」
「そうか……良かったな……」
来世は女に生まれよう、などと現実逃避的なことを考えながら部屋に戻る道すがら、探索よりもギルド支部に到着してからの方が疲れている気のするハイガだった。
題名を『もう何も怖くない』にしようかと一瞬血迷ってからやめました。
ちなみに女風呂の皆さんも基本はゴリマッチョなので、女に生まれ変わっても救いはないです。




