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18 The latest mythology


 目を伏せ、死を待っていた男たちは皆一様に、恐々とその瞼を開く。

 なんだ?

 一体何がどうなっている?

 痛みはない。自分たちは死んだのか?

 それとも痛みも感じられないほどに傷つき果て、地に伏しているのか?


 その視線の先にあったのは──


「────ッッッ!!!???」


 ──竜の放つ極光が、己の僅か十数メートル上方で何かにせき止められる光景。


 男たちは声を出すことすらできない。


 皆、目の前にある現実に驚嘆し、そして言葉を無くしたのだ。

 なぜ、竜の吐息ドラゴンブレスが自分たちに降り注がないのか?

 そしてなぜ──いつもギルドで見慣れているあの筋肉の足りない事務員が一人、竜を前にして立っているのか?


「ハ、ハイガ……?」


 恐々と声を発したのは、男たちの中で最も早く自失状態から立ち直ったガーレフその人だった。


「なぜ、ぬしがここにおる……? これは何じゃ? ぬしがやったのか……?」


 その声に、ハイガはゆっくりとガーレフの方を向く。

 ガーレフはその様子に、自分が今までこの青年を理解などしていなかったのだと気づく。


「ああ、ガーレフさん――」


 その声色、その様子。

 それは確かにハイガのものだ。

 激さない、柔らかな口ぶり。

 しかしそれはこの状況下においては、あまりにも異質であった。

 この異常事態で平時と同じであることが、既に不条理。


 そしてハイガはこちらを向いていながら、その注意は常に竜を向き、欠片も油断などしていない。


「──ここは、俺が何とかします」


 だが、それでもやはり。

 その言葉には驚きを以って反応せざるを得ない。


「……な、何を言っとるんじゃ!? ぬしこそ逃げい! 竜はわしらが何とかする! それがわしらの責任じゃ! ……そも、応えになってないわ! なぜ、ぬしがここにおる!?」


 その、魔術師としての誇りとハイガへの心配をうかがわせる声に、しかしハイガはニヤリと微笑んだ。


「竜を倒すために、俺はここにいます」

「……なんじゃと?」

「俺は竜を倒せる、とそう言っているんです」

「……正気か?」


 既に極光は止んでいる。

 竜は己の吐息が破壊をもたらさなかったことをいぶかしんでか、慎重にこちらの様子を伺っている。

 しかし、男たちの注意は竜からはそらされていた。ただ一点、今この場を掌握する、ハイガという男の一挙手一投足にその視線は向けられている。


「もちろんこの上なく……【停止領域ゼロ】ッ!」


 その瞬間、竜からまたもや吐息が放たれる。

 ハイガはその攻撃を背にしながら、しかし魔術で防ぎきる。

 男たちは何が起こっているのかわからずとも、今、己たちを生かしているのが誰であるのかということを正確に認識した。


(なんじゃ……!? 何が起こっておる……!?)


 極度の混乱がガーレフを包む。


 それも当然のこと。

 竜に抗える人間などというものは、もはや人間ではない。

 そんな存在はあり得ないと、ガーレフは知っている。

 長い戦闘経験を持つからこそ、どこまでもわかりやすい目の前の竜の絶対的な力を理解しているのだから。


 しかし、そのありえないことが今目の前で起きている。

 方法は理解できずとも、今もって完全に竜の吐息ドラゴンブレスは防がれている。

 しかも、それを成しているのは目の前の己の半分、いや四半分の年にも満たない青年だという。


 どこまでもめぐり続けるガーレフの混乱を断ち切ったのは、やはりハイガの声だった。


「俺なら、やれます」


 その言葉に、ガーレフはハイガを見る。


「俺なら、あの竜に勝てます。あの竜を倒せます。ガーレフさん、業務の指示を」

「……本気で言っておるのか? 竜じゃぞ? ぬしにも分かろう。あれはどうすることもできぬ。それでも、ぬしは竜を倒すというのか?」


 その諦観にも似た問いに、ハイガは不敵な笑みを返した。


「──絶対です」


 瞬間、ガーレフは圧された。

 目の前の青年の放つ、“威”としか形容できない何か不可視の抗いがたいもの。

 それに誘われるように、ガーレフは地面に膝をつきそうになった。


「……竜を倒せ」

「了解」


 ハイガはガーレフから目を切り、竜へと向かう。

 ガーレフは老いた声で、男たちに指示を出した。


「……各々、身を守れい」

 

 その指示に反対の声は無い。

 これより、神話の戦いが始まる。







(さて、どうするか……)


 ガーレフからは自信あふれるように見えたハイガであったが、実際のところは無策と呼ぶほかなかった。


 さんざん恰好をつけたものの、現実にはこの場に到着するやすぐさま竜の吐息を浴びせられ、とっさに発動した魔術がうまく竜の吐息を防ぐことに成功した、というだけに過ぎなかったのだから。

 もし仮に竜の吐息の性質がハイガの睨んだ通りのものでなければ、ハイガは既に骨も残らずこの世から蒸発していた。


 ハイガはまっすぐに竜をその視線で射貫く。

 竜もまた、その黄金に光る眼でハイガを見つめた。

 瞬間、間髪を入れずに三度目のブレス。

 ハイガはタイミングを過たず、対抗魔術を発動する。


 魔術【停止領域ゼロ】。


 この魔術を端的に説明するならば、指定領域の運動体の持つエネルギーを吸収・拡散させるという魔術だ。

 そしてそれのもたらす効果は単純にして明快である。


 あらゆる存在の強制的な停滞。

 物体はもちろん、究極的には原子運動現象である竜の吐息ドラゴンブレスさえも完全にその威力を減衰させ、防ぎきる。

 こと物理的な守りという方面においては、他にしのぐもののない魔術である。

 結果的には、空間全体であらゆる種の運動を減衰させるこの魔術と、大気を励起・プラズマ化させそれを放つ竜の吐息という破壊光は、ハイガにとっては非常に相性が良く、竜にとっては非常に相性が悪かった。


 この結果をもたらした原因には、もちろん偶然もある。

 しかしそれ以上に、竜の放とうとする極光に似たものをハイガは知っており、【停止領域ゼロ】はそれに対するカウンターとして開発したのだという事実が大きい。つまり、それの意味することとは──


 ハイガは竜の吐息ドラゴンブレスが収まった瞬間、魔術を発動させる。


「【乖離熱流バーナー】……!」


 空間に奔る極光。

 それを眼にした人間たちはことごとく息を呑む。

 何せそれは、宙のあの怪物が放つものと全く同質の破壊の嵐。

 

 そう、ハイガもまた、同じ原理の攻撃魔術を開発していたのだ。


 魔術とは、現実の書き換えである。

 ゼロから何かが生み出されるということはなく、魔術によりもたらされる現象には、すべからくそれを実現させるための現実媒体が必要となる。

 魔術師であると同時に現代科学を修めたハイガにとっては、質量⇔エネルギー変換こそが魔術においての要であり、これにより簡単に一個人の腕に余るエネルギーを手にすることができる。


 しかしそのエネルギーをそのまま攻撃に使うことはできない。

 エネルギーとは状態であり、それを何らかの形で変換することにより初めて意味が出現するのだ。

 そのエネルギーの転用先としてハイガの見出したものが、どこにでもあるソレ──つまり、空気であった。


 莫大なエネルギーによる、強制的なエネルギー状態の励起・プラズマ化。

 

 それは全くの偶然でありながら、しかし魔術的な攻撃方法を突き詰めるという意味で、奇しくもハイガの発想が竜という種の築き上げた『竜の吐息ドラゴンブレス』という、世界最強種固有の業にまで到達したという驚くべき事実を含んでいる。


 破壊の極光に正面から身を晒した竜は怒りの咆哮を挙げる。

 が、しかし竜は怒りに燃え、さらにぎらりと光る眼をハイガに向けるも、負傷した様子は無い。

 ハイガの【乖離熱流バーナー】は竜のもののように拡散するのではなくほとんどビーム状に近いので、熱線の奔った跡が竜の蒼い鱗に黒々とその軌跡を残している。


 が、しかし反対に言えばその程度でしかない。ハイガは、竜にとってはせいぜい軽くやけどした……もしくはそれ以下という程度の認識なのであろうと、舌打ちをする。

 そしてその認識は間違っていない。

 竜は完全にして無敵である己の体に跡が刻まれたことに怒り狂いはしたものの、その動きに陰りはない。


(凄まじくタフだ……)


 まったく堪える様子のない竜に、ハイガの額を冷や汗が垂れる。

 それも当然である。

 なぜならこの【乖離熱流バーナー】は、ハイガの使用する魔術としてはほとんど最高レベルの破壊力を有する魔術だ。その威力は出力にもよるが、今放った熱線は100センチ厚の鉄板ならそのまま貫通するほどの破壊力を持つ。

 しかし、その破壊力をもってしても竜にはまったくと言っていいほどに効いていない。これはつまり、ハイガの有する攻撃魔術はほとんどその意味を失うということだ。


 ハイガは予想を遥かに超えた竜の頑強さに舌を巻き、そして苦戦の予感に冷や汗を浮かべながらも、僅かに笑った・・・


(……攻撃が全く効かない。それでいて、敵の攻撃は一撃で俺をミンチにできる──なるほど、絶体絶命か)


 だが、とハイガは竜を睨み付ける。


(だが、絶体絶命程度・・・・・・では俺は敗けない。見せてやる、魔術師のやり方を──!)


 そう。その程度では、この男の心を挫くことなどできはしない。


 意識を戦いに最適化し、極限の集中力を以って魔術師としての戦いを続行する。

 これより少々の時間、ハイガと竜の戦いは膠着を見せる。


 ハイガは竜の吐息ドラゴンブレスを【停止世界ゼロ】で防ぎ、また竜が衝撃波を生み出そうと上空に上ることも感知し、【停止世界ゼロ】によりそれを妨害。まともにソニックウェーブを生み出させない。

 竜は己の二つの大きな武器が封じられていることを理解し、明確な敵に昇格した目の前の小さな存在に直接襲い掛かる。膂力も体重も桁外れに違うために、一撃を完全に当てればそれだけでハイガは絶命必死だ。

 竜はそれを狙いとし、ハイガはそれを紙一重でかわしながら、【乖離熱流バーナー】により無駄にしか見えない攻撃を続け、竜の体には何本もの熱線の跡が奔る。

 竜は己の体に醜く跡が奔ることに激昂し、更に猛る。


 紙一重のバランスを保ちながら、竜と人が暴れ狂う破滅的な戦いは、ますますその熱を増していた。







「あれ、本当にハイガかよ……?」

「……そりゃな。未だに信じられんが」

「あんな力を隠し持っていたとは……」

「まあ俺は前々から、ヤツには何かがあるとわかっていたがな」

「嘘つけ」


 岩陰に隠れながら、目の前の神代の戦いを食い入るように見つめる男たち。

 彼らは軽口をたたきながらも、その視線は真剣であり、一時も戦いから離れようはしない。強さを求める魔術師という生き物の性として、ここまでの次元の違う戦いを目の前で繰り広げられて無関心でいられるはずがないのだ。


 しかし、この戦いを眺める者の中でも、ガーレフの心境はやや異なる。

 まずもって大きなものは、ハイガに感じる恩義。

 こうして見ていても、竜と互角に渡り合ってはいるがやはり、たびたび危険に陥っているのがわかる。

 その度切り抜けてはいるものの、やはり命を危険に晒していることに変わりはない。

 ハイガはその命を以って、今、自分たちやフェールの街の人間の命をつないでいる。

 それは、何にも代えてガーレフという人間にとって尊敬に値することだった。


 そして、第二に浮かび上がるのは『ハイガはなぜあのような力を持っているのか』という疑問である。

 この疑問は他の男たちも持っているが、ガーレフのそれは多少性質を異にする。

 なぜならガーレフは、『ハイガの魔力が0である』ということを知っているのだから。


 もしかすれば、あの魔力が0という測定結果すら擬態なのかもしれない。

 しかしそんなことをするくらいならそもそも魔力検査を受けなければよいだけの話で、少なくともあの時出た結果は、間違いなくハイガという人間の魔力値であるはずだった。であるというのに、ハイガは伝説の魔術師、そう、かの『クラック・クロック』が使ったと伝えられるような魔術を使っている。

 ……それだけならまだよい。失われた魔術ロスト・マジックにおいて魔力は重要ではないという、それだけのことなのだから。


 しかし、今ハイガは──


(……明らかに、ワシらのように身体強化しておるのう)


 そう。

 魔力によって行われるはずの、ガーレフにとっての『魔術』、身体強化すら使っている。

 あの動きを見れば一目瞭然。

 そもそも、身体強化すらもない素のままの肉体で避けられるほど、竜という生物の攻撃は生易しいものではないのだ。魔力0のハイガが『魔術』を使っているという事実は、ガーレフにとって晴天の霹靂と言ってよかった。


(まさか、ワシらの信じてきた『魔力』とは……魔術そのものに関係のない要素なのかの……?)


 己の知る事実をつなぎ合わせて得た事実に、今までの価値観を覆されるような衝撃を受ける。

 そして同時に。

 ガーレフは己の魔術の源がそれならば何であるのか、全く見当もつかないことに愕然とした。


(ワシは、与えられた力をただ盲目的に使っていただけに過ぎなかった、か……)


 たとえ、与えられた才能に無関心なままにただ漫然と依りかかったところで、それは何ら恥ずべきことではない。しかし、このかつて誰よりも強さを求めたガーレフという老兵に、その事実は奈落の絶望に突き落とされるような心地をもたらした。

 と、同時に芽生えるのは、その己のないがしろにしてきた道を踏破したのであろう、ハイガという一人の男への憧憬。

 今この瞬間こそが、今なお『鉄腕』として雷名を轟かせるガーレフという男にとっての新たな目覚めであった──しかし、今はこの目覚めを自覚するのはガーレフ自身その人だけである。







 と、ここでなぜハイガが身体強化魔術を使うことができるか、そして魔術を連続して使用できるかという点についての解説が必要だろう。


 まず、ハイガの用いる思考による魔術における最大の難点は、その維持と言ってよい。

 現在用いている魔術であれば【乖離熱流バーナー】については、発生させるのが現象であるために熱線を放つ瞬間にのみ魔術を発動させればよいので、そこまでの難易度はない。しかし【停止領域ゼロ】と【身体強化ドープ】、そして【思考加速アクセル】においてはそうもいかない。

 どれについても継続的な使用により初めて意味が生じる魔術であり、魔術という歪められた事象に対する揺り返しが起きるため、その揺り返しへのカウンターとして継続的に魔術を発動させ続ける必要がある。


 かつてのハイガはこれについて、『少なくとも動きながらは不可能』であると考えており、そのこと自体は今も依然として変わっていない。

 しかし、現実としてハイガは【停止領域ゼロ】、【身体強化ドープ】、【思考加速アクセル】を発動させ続けることに成功している。竜の攻撃をしのぎながら、である。


 では、どのようにしてそれを成し遂げているのか?

 そこに存在するのは単純な発想、つまり。



 ──自分でできないことならば、他人にやってもらえばいい。



 その発想は、あのクラック・クロックの館と同じであった。

 屋敷を維持するための魔術陣を、主人のクラック・クロックに代わってメイド人形が発動させ続けている。

 これと同じように、常に自分自身にその魔術をかけ続けてくれる存在を作り出せばよい。


 この発想にはハイガは簡単にたどり着いたのだが、しかしそこからが難航していた。

 クラック・クロックのように人形を使うにしても、ハイガには人形を制作するような技術はない。それにそもそもアレは、屋敷の整備という一点に絞っているからこそうまくいっていることである。目まぐるしく変わる戦況において、わざわざ意思疎通をとる必要のある人形という形態は、柔軟性に欠けることこの上ない。

 そういった理由で、ハイガはこの方法を除外していた。


 ならば、どうするか。

 灯台下暗し、とでも言おうか。

 答えは驚くほど身近──ハイガ自身が持っていた。


 そう──『声』である。


 この世界に転移してきたときにアフターサービスとしてかハイガの脳裏に植え付けられていた『声』。

 しかし、その『声』はハイガの質問を認識し、ハイガの質問に対する応えの解答をどこからか引っ張り出し、そしてハイガに過不足なく伝えるという機能を有しているのである。


 その答え自体はその辺の通行人に聞けば帰ってくるものとなんら変わりないので、ハイガはこれまでこの『声』に大した価値を見出していなかった。

 が……解答がどこから得られているのかはともかく、ハイガの質問の認識、そして情報の選別――これは、『声』が高度な判断能力を備えていると考えて間違いないのではないか?

 ハイガはそう気づいたのである。


 そこからは早かった。

 思いつく限り全ての疑問を『声』にぶつけ、その反応応答の基準を見つけ出すとともに、己の脳に【解析アナライズ】を施して、『声』の構造を探る。

 地道な作業ではあったが、青春時代をすべて放棄して魔術に執着した男の執念と集中力を舐めてはいけない。僅か一週間で、『声』の分析を完了した。


 結果として、ハイガの知らない情報の仕入れ方こそ不明であったものの、それ以外の部分については丸裸となった。

 ハイガは思考詠唱イマジナリ・キャストにより成立している『声』の思考回路を模倣・改変し、新たに魔術で組むことに成功した。


 求めるのは知能ではなく、演算観測能力。

 どの魔術を使用するかの判断はハイガが下し、魔術の起動・維持を『声』から作成した思考回路に任せる。

 わかりやすく表現すれば、今のハイガは頭の中に魔術用のPCを仕込んでいるとでも考えていい。


 こうしてハイガはこの思考回路を『第二の脳マギ・サーキット』と名付け、発動に継続を必要とする魔術の使用に成功した。

 ハイガが【停止領域ゼロ】、【身体強化ドープ】、【思考加速アクセル】を使いこなせているのはこのような理由に依るのである。


 【思考加速アクセル】を使用するのは【乖離熱流バーナー】を放つ時であるし、ハイガが【停止領域ゼロ】を使用しなければならないときには竜はハイガに直接の攻撃を仕掛けてこない。

 また、【身体強化ドープ】を使用して竜の直接攻撃をしのいでいるときには、衝撃波や竜の吐息ドラゴンブレスは使用されない。


 いかに竜とはいえ体は一つ。

 同時に異なった攻撃をすることなど不可能。

 ハイガはその穴を巧妙に利用し、十分の一秒単位で第二の脳マギ・サーキットをめまぐるしく転換・酷使することにより、辛うじてこの拮抗状態を形成することに成功していた。







「……ッ!!」


 ハイガの髪の毛をかすめて竜の爪が翻る。

 僅かにかすりでもすれば、即座にハイガを戦闘不能に追い込むであろうソレ。

 離脱し、上昇してゆく竜の背に、ハイガは魔術を放つ。


「【乖離熱流バーナー】!」


 さらに一本の熱線の跡が竜の体に奔り、竜はその怒りをさらに深くする。



 竜というこの生き物の長きにわたる生において、敵と呼べるものは存在しなかった。

 全ては己の贄であり、ひれ伏し、絶望し、そして己に蹂躙されるために存在するのだと竜は確信していた。


 それがこの小さな生き物はどうだ。

 竜の攻撃を防ぎ、そして不遜にも竜の焔を操るときている。


 竜の鱗は絶対の盾である。その頑強さはあらゆる種類の攻撃を寄せ付けず、その証拠に小さな生き物の操る竜の焔に貫かれることは無い。たとえ竜同士で争ったとて、互いの体に致命傷を与えることができず決着がつかない。それほどの、ほとんど馬鹿馬鹿しいとでも表現すべき頑強さを竜の体は有する。


 しかし。


 その体の頑強さと対照的に、竜の絶対者たる誇りはいともたやすく傷つけられていた。

 遥かサイズで勝る人間という相手に己の武器を封じられ、しかもなりふり構わぬ肉弾での攻撃においても殺しきれない。あまつさえ、己の何よりも美しい体に跡を刻まれてさえいる。


 ──これが屈辱でなくて何か。


 数千年という時の中で肥大に肥大を重ねた竜の自意識は目の前の小さな生き物の力を認めようとはせず、ただそれを滅せんという意識のみに塗りつぶされてゆく。

 これは竜が、戦いではなく蹂躙しか経験してこなかったからこそだ。

 殺せぬ相手など無かった故にその倒し方を知らないし、そんな存在を認めることすらもできない。

 竜はずたずたになった己のプライドを補修せんと、ますます殺意のみに塗りつぶされて人間に襲い掛かる。


 一方、ハイガの方にも決して余裕があるわけではなかった。

 自分の攻撃は相手にダメージをもたらさず、それなのに相手の一撃は自分の身を打ち砕く。

 その状況下で、余裕などという悠長なものなどない。

 それでもハイガがその絶望的な戦いを諦めないのは、己の見出した針の穴を通すような勝機を見据えるがため。竜と魔術師の戦いは既にして三時間を超え、ハイガは幾百の危機を潜り抜けながらその可能性をつかみ取ろうとしていた。







(あと、三撃……!)


 ようやく……無限に思えるほどに濃密な時間を経て、ようやくここまでたどり着いた。

 残り三回。

 たったそれだけの回数、あの竜に熱線を浴びせれば、ようやくハイガの策が実を結ぶ。


 迫りくる踏みつけスタンプ

 ハイガは第二の脳マギ・サーキットに命じた最大出力の【身体強化ドープ】により回避を図る。

 それは成功し、またしてもハイガは命を長らえたものの、しかしほとんどその回避も限界に達していた。


(【身体強化ドープ】……もうこれ以上は体が持たない、か……!)


 身体強化などといっても、結局のところその運用をするのは自分自身。

 ハイガには時間と経験が全く足りていなかった。

 【身体強化ドープ】に適した体の使い方、戦法。

 それらはもちろん、平時のものとは全く違う。


 魔術を隠していたがゆえにハイガは、【身体強化ドープ】を実際に発動して動いたことなど二、三度しかなかったのだ。

 この戦いで竜の攻撃を避けられているのも、身体強化というよりはほとんど、ハイガのその図抜けた洞察力と予測力が故だ。

 時間が経るにつれ慣れない身体強化下での無茶な動きによる弊害が体に蓄積し、表情にこそ出さぬもののハイガの全身は錐で突かれるように痛んでいた。


(あと、二撃……!!)


 放った熱線魔術により、竜の体にまた新しく跡が刻まれる。

 竜は轟くような咆哮を放ち、怒りのままにこちらへと突っ込む。

 ハイガはそれを避けるため身体強化魔術を発動し、必死でその場を離れる。


 ──が。

 一歩の、致命的な遅れをとった。


 予期せぬ動きを見せた竜の尾が、ハイガを打つ。


「────ッ! ……がぁ、はッ……!」


 戦闘が始まった時であればそれは避けられただろう。

 しかし、蓄積した疲労と身体強化の弊害がハイガの動き出しの一歩目を鈍らせ、一回目の、しかし勝敗を決めうる攻撃をハイガは受けてしまった。


 肺の中の空気が全て吐き出されるのを感じる。

 地面にたたきつけられた体は十メートルも土ぼこりを跳ね上げ、ようやく停止する。


 竜は初めて与えた有効な攻撃に歓喜の咆哮を放ち、しかし、更に己の体に奔った一本の熱線に赫怒を示した。

 それは敵がまだ生きているという証明。瀕死としか表現のしようのない有様でありながら、ハイガはその執念を以って一撃を放ち、その熱線は狙い通りの軌跡を描いたのだ。


 ハイガはふらつきながら立ち上がる。

 体は大小の傷に覆われ、口からは血を吐く。

 しかし、その眼光だけは爛々と異様に輝く。


 真正面からの攻撃ではなく、おそらく竜すらも意図せぬ出会いがしらのような攻撃であったこと。

 そしてぎりぎりではあるが身体強化魔術を発動させていたこと。

 それらがかろうじてハイガに生存を許していた。


(あと……一撃……!)


 竜が上空を旋回する。

 おそらく、こちらに最後の一撃を与えるその瞬間を伺っているのだ。

 だが、最後の一撃であるのはこちらも同じこと。


 ハイガが狙うのは竜が襲い来るその一瞬だ。

 熱線であと一筋の跡を刻めば、ついにハイガの策は成る。

 ハイガはこちらを睥睨する金色の眼を見据える。


 竜は翼をたたみ、尋常ならざる加速度と大質量を纏ってハイガへと襲い来る。

 ハイガはもはや動かない体で、しかし確かに熱線を竜の額に放った。

 その一撃は狙い過たず、竜の額に一筋の跡を刻む。


 さらに轟く竜の咆哮。

 数秒後には竜はこちらへと突っ込むだろう。

 ハイガにはそれを避ける術はない。


 ──しかし、策は成った。


 ハイガは乾いた唇で小さく呟いた。



「──────────【絶対零度アブソリュート・ゼロ】」



 瞬間、ハイガを除くすべての存在は目を疑った。

 竜の、降下してくる竜の――首が、ない。


 いや、消滅したのではない。

 竜の首は切断され、加速度に追い付けず胴体を離れ、宙を舞っているのだ。


 数秒後の地面への落下を待つ竜の首は、驚愕にその黄金の目を見開く。


 ──あれは、なんだ?

 ──巨大、そして美しい至高の肉体。

 ──竜の肉体。


 竜の首はそれ以上の思考を許されず、完全にその意識を絶つ。

 神域の竜が一体、蒼鱗竜の最期は、ひどくあっけなかった。




 ハイガは、極限に引き伸ばされた時間の中で自分の策が成った様子を見届ける。


 【絶対零度アブソリュート・ゼロ】。


 せいぜいが物体運動の停止、熱運動の拡散といった程度に収まる【停止領域ゼロ】とは格が違う。

 完全なる絶対零度を召喚する魔術である。


 低温に至るにつれ物質の原子振動は減衰を始める。

 そしてさらに温度が低下し、ある時、もはやこれ以下が存在しないという極低温――絶対零度。


 この温度においては、物質原子の振動減衰は減衰という域には留まらない。

 停止ゼロ……物質原子の振動は、完全に停止する。


 そして、仮にその状態となった物質はどうなるか?

 物質における絶対零度という状態のあり方は、それそのもの矛盾と呼んで良い。

 それは現界の物質に許される在り方ではなく、もはや物理現象として考えるには不適とさえ言える。


 では、実際的には何が生じるか?

 ──答えは、存在そのものの崩壊である。

 物質としてありえない基底状態、絶対零度に一度堕とされてしまったモノは、もはやその状態以外においては現存しえずに崩壊と消滅という運命を辿る。


 それはどのような物体であってもまぬかれない。



 たとえ──竜の肉体であろうとも。



 この世界に存在し、生きている。

 ならば、強度など何の関係もない。

 存在し得ぬ、いわば虚数状態とも言える絶対零度ソレ

 抗う術などあるはずもなかった。




 しかし当然のことながら、絶対零度の召喚というのは魔術を以ってしてもとんでもない荒業だ。

 絶対零度など、地球上における物体の在り方としては不自然の極み。

 その召喚は、もはや通常の魔術と比べるべきですらない。

 無限の数を数え終える……そういった種の、矛盾すらも凌駕した領域の観測能力が必要とされるのだ。


 そしてさらには竜の体。

 空間に絶対零度を召喚するのならともかく、竜……生体の肉体というのは魔術的な観点からは、それそのものが結界であると言える。

 そんなものに絶対零度を何の補助もなしに召喚するなどというのは、ハイガには不可能だ。



 そう。何の補助も・・・・・なしであれば・・・・・・



 ハイガが放ち続けた、竜には何らダメージももたらさない熱線魔術。

 しかしそれは、竜の体に跡をつけることはできていた。


 ハイガはこう考えたのだ。



 ──竜に熱線魔術で魔術陣を施して【絶対零度アブソリュート・ゼロ】の触媒にする、と。



 確かに生命体の……竜の体というのは魔術に対する結界となる。

 しかし、そこに魔術陣が刻まれ、それそのものが魔術の触媒と化せばどうだ?


 魔術触媒と化す以上、そこには虚構まじゅつの観測を妨げる意思など存在しない。

 むしろ、空間に絶対零度を召喚するよりもその確度は上昇する。

 竜自身も魔術を観測するということと同義となり、魔術の強度を補強するからだ。


 敵の肉体そのものを魔術の一部として使用するという大胆不敵な発想。

 しかし当然のことながら、それは簡単なことではない。


 竜の体の造形から【絶対零度アブソリュート・ゼロ】を召喚するために最適の魔術陣を概算し、それと一部の狂いもなく熱線魔術で跡を刻む。

 竜と戦いながら、である。


 そして魔術陣は形のゆがみによりその効力を弱めるため、【絶対零度アブソリュート・ゼロ】を発動し得るタイミングというのも、竜がその翼をたたんでこちらへと突っ込んでくる、たったのその一瞬。


 ……無茶苦茶である。

 とてもではないがやり通せるものではない。

 が、しかしそうでもしなければ竜という存在の頑強さを突破できないというのもまた事実。


 結果的に。

 そう、結果だけを述べれば、ハイガはやり遂げた。

 竜の体に二百三十四本の熱線痕から成る魔術陣を築き上げるという、とてつもない戦術を。


 そして発動した【絶対零度アブソリュート・ゼロ】は指定した竜の首の約1mm厚を完全に消滅させ、竜の首は切断された。

 それこそは新たなる神話の誕生であり、人間が竜を斃すという伝説が成った瞬間であった。







 しかし、ハイガはあまりにも流れの遅い時の中で、ゆっくりとこちらに墜落する竜の体を見上げ、何もできずにいた。


(……体が、動かない)


 酷使に酷使を重ねた上、竜の一撃を受けたハイガの体は完全に破壊されている。

 それこそ、落ちてくる竜の体を避けることすらできないほどに。


(というよりも、なぜこんなに時間が緩やかに……?)


 と同時、ハイガは気づく。


(俺は……死ぬのか?)


 死の瞬間、人生の全てを反芻し、時が極限に引き伸ばされるという走馬灯にも似たソレ。

 過去を想起こそしなかったが、間違いなくハイガは後数秒で死ぬ。

 死に面した本能が、ハイガの時を極限にまで引き伸ばしていた。


(……俺は、死ぬのか)


 ハイガはその事実を、凍りついた思考の中で簡単に受け入れてしまった。

 疲れていた。

 ここまでに傷つき果てたのは、生まれて初めてだった。


 全てやり遂げたのだと、ハイガの肉体がハイガ自身にそう思い込ませようとする。


(まあ……それも、アリか)


 少なくとも、自分は他人を守って死ぬ。

 ただ死ぬというのよりは、何倍もマシに思える。

 ハイガは引き伸ばされた時の中、己の守ったものを見る。


 皆、驚愕の表情を浮かべている。


(……なんて顔をしている……ガーレフさんとか、駆け出そうとしてるのか……まあ、間に合わないな)


 たとえガーレフがこの瞬間に動き出しても、ハイガを助け出すことはできまい。

 距離がありすぎる。

 どれだけうまくいっても、ハイガにたどり着き、そして竜の体に潰されるのがオチだろう。


(これで終わりか……)


 ハイガは思う。

 まあまあ、幸せだったと。

 悪くない人生だった、と。


 思って──


 ──ハイガは、少女の視線を捉えた。


 岩の陰に倒れる少女。

 

 見ている。

 少女は確かにハイガを見ている。

 傷ついた体で、それでもその蒼翠の瞳で、自分を見ている。

 

 視線の交差する極小秒。

 しかし少女の透き通った瞳の光は、ハイガの中のなにかを掻き乱し、幻惑した。

 

 ──そのたったの一瞬が、青年の運命を書き換えた。


 臓腑が煮えたつ。

 脳髄が熱くなる。

 思考が発火する。


(まだだ……!)


 ハイガの五体に、生への執着が奔る。


(何を血迷っていた……俺は死なない、死ねない……!)


 引き伸ばされた時の中、ハイガはそれすらも利用して魔術を組み上げる。


(体が動かないからどうした、魔術の前にそんなことは障害ですらない──!)


 ハイガは組み上げた魔術を発動させる。

 魔術は正常に起動し、ハイガの周囲の土を瞬時に陥没させ、その周りの土を硬化する。


 次の瞬間、竜が地面に激突した。

 衝撃とそう表現することすら生温い、大質量の地を叩く轟音。

 地面は土砂を噴き上げ、巨大なクレーターを形成する。


 その様を見ていた男たちは一様に言葉を無くし、しかし次の瞬間には我に返った。

 竜が突然に死したという衝撃、そしてそれを成したハイガが竜に踏み潰されてしまったという事態。

 現場は狂騒に包まれ、ガーレフ指示のもと必死で竜の体の下を掘り返し、ハイガを捜索するという作業に移る。




 浅い井戸のように沈下した地面の底で、極度の疲労と負傷により昏々と眠るハイガが発見されたのは、実にその三時間後のことであった。










ということで一章のメインバトル終了です(サブバトルなんて無かった)。

一万三千字ほどの長い一話となりましたが、お読みくださった方には感謝感激です。


さあ、そのまま感想コメント欄へとどうぞ(露骨な誘導)

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