11 A.「いいえ、これは戦術兵器です」
空は遠くまで晴れ渡り、雲ひとつとしてない。
フェールの街はこの日、素晴らしい晴天だった。
ハイガは朝の眩しい日差しに目を細めながら、活気溢れるリューシャー地区の露店通りをカルーアと歩く。
目的の店にたどり着くまでに、幾度となく声をかけられる。
「兄さん、朝メシにどうだい!?」
「嬢ちゃん、熟れた果物はいかが?」
「ちょっとそこのお二人。時間あるかな?」
「うまい儲け話があるんですが……」
単純な露店の呼び込みから、詐欺話の持ちかけまで。
朝も早いというのに、リューシャー地区露店通りは熱気に満ち溢れていた。
ハイガはこの雰囲気が好きだった。
中東のバザールや地中海沿岸の朝市を彷彿とさせる、息苦しいほどのに人と人の距離の近い商売の形。
賑やかさと騒々しさの絶妙の中間に位置するこの雰囲気は、あまり日本では感じられない。
が、そんな賑やかな場所にいるというのに、ハイガは不機嫌そうだった。
不機嫌なのではなく、不機嫌そうだった。
「あーあ、カルが昨日教えてくれなかったせいでなあ。俺は露店を探し回って、昨日朝メシ食いそびれたんだよなあ……」
「す、すみませんでしたってハイガさん!」
「いやいやいいんだ。別にカルのせいじゃない。そう、カルが店の場所を教えるなんて単純なことを忘れるアホの子だってことを忘れてた俺が悪かったんだ」
で、ハァーーと大げさなため息。
「そ、そこまで言わなくても!」
「しょうがない、今日は店の場所を忘れてなかったら、特別に許してやる……店の場所を忘れてるのに三百五十エル」
「全然私の記憶力信じてないですね!?」
ぬぬぬ、と気の抜ける唸り方をしているカルーア。
ハイガはその様子を横目で見て、笑いをかみ殺す。
昨日、結局のことハイガは露店を見つけることができなかったのだった。
それで、店の場所を言い忘れたカルーアをからかっているのである。
「で?まだ着かないのか? ……まさか本当に忘れたのか?」
「お、覚えてますよ! ……いえ、昨日初めて見つけた露店なので、少々怪しいんですが……」
後半の声はボソボソ声だ。
ハイガは聞こえないふりをして、鼻をヒクヒクさせる。
(んー……屋台がこの通りにあるなら……昨日のスパイスの香りは……あれか)
ハイガはトントン、とカルーアの肩を叩き、視線をさりげなく誘導する。
「なあ、見つからないか?」
「うーん……あっ! ありましたよハイガさん!」
カルーアは一目散にその屋台へと駆け寄る。
ハイガはやはり笑いをかみ殺しながら、その後に続いた。
「いらっしゃい、何本ですか?」
「えっと……」
「二本で」
「七百エルね、毎度!」
ハイガが七百エルを渡すと、愛想のいい店主は串を火にくべた。
焼き置きではなく、その場で焼いてくれるらしい。
「ハイガさん、私の分……」
「さっきの賭けに負けたからな、しょうがない」
ああ、やれやれだとでも言いたげに肩をすくめるハイガ。
「まさかカルが店の場所を覚えてるなんてな……おかげで大損害だ」
「またそういうこと言う!」
ハイガは鼻で笑った。
「ふ、ふん! ……あ、ありがとうございます」
カルーアは小さな声でお礼を言う。
ハイガはひらひらと手を振った。
そんな二人に、店主が声をかける。
「お二人さん、兄妹ですか?」
「えっと……」
カルーアはちらとハイガを見る。
その様子を見て、店主はすぐに言葉を変えた。
「いやあ、すみませんね。カップルでしたか」
「ち、違います!」
カルーアは顔を真っ赤にして否定する。
「おや、じゃあどういうご関係で?」
「え、えっとその……」
「ああ、片想いですか」
カルーアが店主を涙目で睨むと、店主はそのハゲ頭を自分でペチンと叩いた。
「若い人を見るとからかいたくなってしまいまして。いやあすみませんな」
そして愛嬌たっぷりの笑顔。カルーアも仕方なしに矛を収めたようである。
なかなか憎めない話し方をするオッサンだった。
……まあ、実際はハイガとカルーアは明らかに人種が違うので、少なくとも兄妹には見えないのだが。
店主も店主で、このよくわからない若い二人の組み合わせの関係の判断に苦しんでいたのだろう。
「ところでオヤジさん、ここにはずっと?」
「いやだなあ、まだまだ私はオヤジなんて歳じゃないですよ。お兄さんと呼んでください、お兄さんと」
「さっき若い人を見ると、なんて言ってたでしょう」
店主はまたハゲ頭をペチンと叩いた。
「いやあ、一本取られましたな。特別にオヤジで構いませんよ。……そうですねえ、多分一ヶ月くらいはここで店を出してますが……そこから先は南の方にでも行こうかと」
「ああ、やっぱり最近ここに店を出されたんですか?」
「ええ、私は流れの串打ち職人でして……手をどうぞ。焼けました」
「はー。ハイガさん、やっぱりいい匂いですね……」
ハイガもその言葉に頷きを返す。
その香りは昨日よりもなお香ばしく鼻腔をくすぐる。焼き立てだからだろう。
よだれが溢れそうだった。
「明日も来ますよ」
「私も!」
「おや、気に入ってもらえたようで。ありがとうございます」
店主は慇懃な礼を返した。
遠ざかりながら、串にかぶりつく。
(流れの商人……か。なんにしても、いなくなるまでは通うか)
ハイガは、そのほとばしる肉汁の旨味に頬をほころばせながらそう思った。
おそらく、隣で串を咥えるカルーアもそうなのだろう。
昨日見せた表情には及ばぬものの、幸せそうな顔であった。
「よし……じゃ、これからマギクラフト実験第一回を始めるぞ」
「いえーい! ……ところでハイガさん、マギクラフトってなんです?」
「まあ、そうなるよな……」
ここは街の外。
街中で目立つのもの好ましくなく、わざわざ街から出てきたのだった。
ハイガは肩を落とす。
やはりそもそも、魔道具という概念が存在しないのだ。
実験前にまず、その辺りの知識の共有からであった。
しかし、案外とこの作業に時間を食ってしまった。
からかっておいて説得力がないかもしれないが、カルーアは馬鹿ではない。
少なくとも覚えようと思ったことは覚えられるし、判断力・思考能力も十二分。
しかしそのカルーアがこれほどに理解に苦心するというのは、そもそもハイガの用いる魔術がこの世界のものとは根本的に異なるからだろう。
先人の残した魔術の遺産――魔力計測器。
それを解析して得られた魔法陣とは、対象を解析・参照するという類のものだった。
端的に説明するならば、ほとんどMRIと変わりないものと思っていただいて構わない。
もっとも、原理そのものは全く異なり、魔術的に解析をしているのだが。
あくまで、結果が似ているのである。
さて、作り出した魔法陣の効果がそのようなものだった時点で、ハイガの脳裏にはある仮説が浮かんでいた。
つまり、『この世界の人間は生まれつき人体のどこかに、魔術陣と酷似した形状・形質を有しているのではないか?』という仮説であった。
この仮説が正しい場合、幾つかの疑問が一気に氷解する。
第一に、この世界の魔術師が身体強化魔術を持続行使できる理由。
これはつまり、自分で魔術式を組み上げているわけではないのだから、武器を扱うのとそう大した違いはなく、難易度は大幅に下がる。
が、この場合にハイガにとって残念なのは、再現性が存在しないことだった。
これだと、ハイガが身体強化魔術を持続行使することの参考には全くならない。
結局、ハイガがその身体形質を有していないということに変わりはないのだから。
第二に、『魔力』とは何かという疑問。
これの答えは単純なことで、その身体形質の、身体強化魔術陣としても効率を示しているのだろう。
いくらある一定の形質を有しているとは言っても、個人差はある。
例えば、白人であっても相対的に肌の浅黒い人間だっているのだ。
身体形質が、魔術を効率よく発動させることに適しているか……その度合いを示して『魔力』と称されるのであろう。
こういった具合に、仮定の上ではいろいろと納得できることだったが……では一体、その形質とはいったいどこにどんな形で宿るのか?
そこでハイガが出した答えこそが、『脳』だった。
脳構造そのものが三次元的な魔術陣を構成しているのだ、とハイガは仮定した。
一応、この予想にも理由はあった。
魔術陣の特性として、形が大きく歪めばうまく発動しないというものがある。
であるから、できるだけ堅牢に守られた場所が魔術陣を構成している可能性が高い。
人体で、もっとも揺れず変形しない場所……それが、脳以外にあろうか。
そこで、ハイガはカルーアを撫でるという行動に出たのである。
脳を調べるのならば、魔術陣を頭に接するのが一番であるのは言うまでもない。
つまり、れっきとした理由あっての行為だったのだ。
結果、カルーアの脳は脳としての機能を十分に維持しながら、間違いなく魔術陣として機能していた。
まさしく人体の神秘である。
神秘、では片付けられないほどのことに思えるが、これについて、ハイガは一応の仮説を立てた。
つまるところは、一種の自然淘汰である。
もともと、人間という種族の脳が魔術陣的な形質を持っているとしよう。
そしてそれをうまく魔術として開花させた人間は、神がかった力の持ち主として崇め奉られ、子孫を多く残したことだろう。
魔術陣の血脈は延々と拡大し、混じり合い、今のこの世界を形作ったのだ。
これは地球でもありえたことで、しかし地球がこの世界と異なったのは、地球が魔術を許容しなかったということだった。
結果として魔術陣的脳形質を有し、発現した人間は地球から『禁忌』として追放され、魔術陣的脳形質を持たない人間だけが地球には残った。
そのために、その末裔たるハイガは『魔力0』という結果を叩き出したのである。
まだ色々と粗があるが、大筋ではこれに近いのではないかとハイガは推測している。
また、この世界の魔術師が用いる魔術が身体強化だけであるというのにも説明がつく。
例えば他の魔術陣に似た形質……例えば火を生み出す形質を有した人間がいたとして、身体強化の形質の人間とどちらが生存競争に有利か?
言うまでもなく、身体強化の形質を有する人間である。
火をつけるのなら木を擦りあわせればよかったのだ。
便利ではあっても、それ以上ではない。
というよりもそもそも、火をつけるなどという魔術はその発動すら難しかったのではないか?
温度が上がれば火がつくということを知らない時代の人間であれば自分で火をつけようなどと考えはしないし、また火の起こし方を知る人間であれば、念じるだけで火がつくなどということは考えもしないだろう。
身体強化というのはシンプルかつ応用が利かず、そしてそれ故に何よりも強力だったのだと推測できる。
何せ、魔術の対象が自分である以上、感覚で全てを処理できるのだから。
他にも、他の魔術に比べ、気づきやすく、発現させやすかったのだとも考えられる。
力を求める。
それは、人間が生存競争の中に身を置く以上、いついかなる時代であっても存在する欲求だ。
……長々と語ってしまったが話を戻すと。
例えにしては極端にしても、かの有名なヘレン・ケラーの『Water!』でも思い出していただければよいだろう。
まるきり認識の根底から異なるものを理解するというのは、それだけでとてつもない労苦なのだ。
カルーアがハイガの魔術を見たことがあるということで、一応、ハイガの魔術のことを教えておいたのが幸いであった。
その事前知識すらなければ、この認識共有にかかる時間は二倍を数えていたとしてもおかしくない。
「……で、つまりハイガさん。私がいつも魔術を使っている要領でこの棒に意識を込めると、えーと……ハイガさんの使うような魔術が出てくるんですか?」
「正解。飲み込みがいいご褒美に、うまく発動できたらこの棒、やるよ」
「え!? いいんですか!?」
「もちろん。プレゼントする」
ハイガがこう言うのは単純な話、この棒、ハイガには重すぎるのであった。重量的な意味で。
……いや、気づいてはいたのである。
どう考えても、今の自分の筋力でこの棒を振り回すことなど不可能なのだということは。
サイズと鉄の密度から考えて、およそ十キログラム。
日本刀が重くとも一キロほど、大型の武器として知られるハルバードでも四キロほどである。
ちなみにハンマー投げの球が七・五キロほどだというのだから、どれだけこの鉄の棒を武器として扱うのが無謀か、わかろうというものだ。
が、安い値段に惹かれてその事実を無視し、結果ハイガには扱えないものが出来上がった。
もっとも、大して失敗したとも思ってはいない。
もともと憂いに備えて、という程度の品だったし、自分用に新たに作り出せばいいだけの話だからだ。
よーし、と気合を入れて棒を構えるカルーア。
「じゃあ、いきますよ?」
そのカルーアの声に応えようとした瞬間。
ゾワリと。
ハイガを言いようのない悪寒が包んだ。
「っ! ……ストップ! 中止だ中止!」
「ふぇっ!?」
急な大声に驚いたカルーアは棒を取り落とす。ごとん、と鈍い音を立てて棒は地に転がった。
(なんだ……? 何が引っかかった?)
念のため【感知拡大】で周囲を探るが、何も怪しい存在はない。
(気のせいか? いや、でも……確かに……)
ハイガはこういったとき、目に見えるものよりも己の勘を信じる。
少なくとも、ハイガはそうして生き残ってきた。
「もー、急になんですか。いきますよー?」
そう言ってカルーアが拾い上げた棒を構える。
「っ! すぐ棒を手放せ!」
「ひゃい!?」
またしてもカルーアは棒を取り落とす。舌を噛んで涙目のカルーアを横目に、ハイガは棒をつかんだ。
(これだ……これを使おうとする度、悪寒が襲う。なぜだ……? この棒は衝撃の発生・放出という二段階の工程を完全な調和をもって進行させ、最高効率で衝撃を生み出す高水準なマギクラフトで………………あ"っ)
ハイガは気付いた。
この棒、陣の効率を上げるのが楽しすぎて、何一つ自重しなかったのだった。
安全装置すら取り付けていない。
そう。
魔道具としては非常に高いレベルにあるこの鉄の棒。
しかし、それがイコールで武器として優れているということでは、決してないのだ。
冷や汗が浮かぶ。
急に手の中のものが爆弾に思えてきた。
シンプルに二段工程とか言ってた自分を殴り飛ばしてやりたい。
「カル。ちょっとこっちに来い」
「? ……なんです?」
棒を地面に突き刺して、そこから離れながらカルーアを手招きする。
棒から十メートル。まだ悪寒がする。
二十メートル。背筋がピリピリとする。
四十メートル。警報を止めた己の感覚に従って、ハイガは棒を起動させてみることにした。
「ハイガさーん。本当に、何が……」
「すまん、ちょっと試してみたいんだ……【衝】!」
瞬間。
地が爆ぜた。
凄まじい轟音が鳴り響き、鼓膜を震わせる。
土砂がバサバサとハイガとカルーアに降り注いだ。
近くの草むらから野鳥が狂ったような鳴き声を挙げながら飛び立つ。
グアン! と音がした。
見ると、すぐ目の前に、ちぎれた棒の半分が突き刺さっている。おそらくもう半分は、地中深く突き刺さっていることだろう。
数分の時を経て、もうもうと舞っていた砂埃が収まる。
見えてきたのはクレーター。
直径三十メートルに及ぶそれの中心部は人一人がすっぽりと隠れるまでに陥没し、棒を突き立てたちょうどその場所は、底が見えないほどに地面にめりこんでいる。
ハイガはカルーアと顔を見合わせる。
無表情であった。
ハイガもカルーアも、空恐ろしいほどの無表情だった。
そのまま三分経ち。
ようやく、ハイガは声を発した。
「……やばくね?」
「……そ、そ」
「そ?」
「それは私のセリフですよーーっ! こ、殺す気ですか!? あんなもの試させる気だったんですか!? あんなん……あんなん、無理ですよ! パーンってなりますよ! 私、跡形も無くなりますよ!」
ハイガは深く頷くと、落ち着き払って言った。
「それな」
ハイガは殴られた。身体強化こそないものの、カルーア渾身の腹パンであった。
もちろん甘んじて受け入れた。全面的にハイガが悪かった。
結局、謝罪は一週間に及ぶハイガのカルーア撫で回しと、今度こそ安全に作った魔道具のカルーアへの譲渡に落ち着いた。
前者はそれが謝罪なのかと訝りながらもカルーアの要求を了承したのだが、後者はハイガが伏して頼み込んだのだった。
魔術師として、失敗だけでは終われないと。
カルーアは渋々ながらそれを了承した。
少なくとも安全なものなのであれば、贈り物自体は嬉しいのだ。
魔杖・カドゥケウス――数日後に譲渡されることとなるその魔道具がこれから先カルーアを幾度となく救うことは、この時の大失敗からはまだ、誰も読み取れなかった。
魔杖という語感からガッデムを連想するのは、私だけじゃないと信じています。




