9 新人魔術ギルド職員の平凡な日常(3)
NADEPO注意
夜の帳の降り始めたフェールの街。
その中でも比較的大きなある酒場は、騒がしい音で満たされていた。
「俺の唄を聞けええ! 『剛力挽歌』いくぞおお!」「引っ込めヘタクソー!」「酒が不味くなるぜ!」「口じゃなくて鼻から声だしてんじゃねえかー!?」「耳栓ー! 耳栓一つー!」「脱ぐんじゃねえ暑苦しい!」「汗の飛沫飛ばすんじゃねえよ!」
何かが割れる音や宙を飛ぶ音が断続的に起こる。
他の街でどうであるかはともかく、フェール魔術ギルドに所属する面々は、ほとんど毎日この酒場を貸し切って宴を開いていた。
おかげでこの酒場『レッキルの鍛治場』は、街の人々から酒場ではなくファイトクラブだと認識されている。
魔術師の暮らしは金は手に入るが、生命の保証はない。
もちろん各々で最低限の安全対策を施しはするものの、それでも万全とはいかない。
不測の事態というのはいついかなる時にも起こり得るもので、今日隣で酒を飲む友人が、一週間後にはもういなくなってしまっている、というのは決してありえない話ではない。
しかし彼らはそれを引きずりはしない。
魔術師とはそういう生き物なのだと割り切っているのだ。
代わりに彼らは酒を飲み、唄い、騒ぎ、生を謳歌する。
彼らはそれこそが死者への手向けであると知っているのだ。
ゆえに今日も、『レッキルの鍛治場』は笑い声と狂騒に溢れかえるのだった。
「吩ッッッ!」
「破ッッッ!」
「なあ、いい加減諦めないかお前ら」
喧騒から離れるように壁際でのんびりしながら飲むハイガは、うんざりだと言わんばかりの声を出した。
目の前には逞しく鍛え上げられ、美しく引き絞られた筋肉。
ナイスバルク、そして素晴らしくキレている。僧帽筋が微笑んでいる。
その筋の人が見れば垂涎の光景だろう。
が、惜しむらくは、それを見ているハイガともう一人は全くもってその筋の人ではないことであった。
というかむしろ暑苦しい。
巌のような筋肉は、それが目の前にあるだけで妙な迫力と圧迫感を纏っていた。
「どうだあああ!? カルちゃん!? キレてるだろ!?」
「こっちに来ないか!?」
「イヤ、だからさ……カル、見てないぞ?」
「うっせええモヤシ!」
「本当に優れた筋肉は目に見えなくても伝わるんだよ!」
「じゃあここでやらなくてもいいじゃん……」
「黙れモヤシ!」
「見せつけてんじゃねーよクソが!」
ハイガはため息をついた。
その膝の上にはカルーアの小さな体。
そしてその頭を断続的にハイガの手が撫で回し続け、カルーアは日向の猫のように目を細めて気持ちよさそうだ。
言うまでもなく、目の前のマッスルブラザーズを嫉妬に駆り立てている元凶であった。
(いや、違うんだよ)
心の中でハイガは弁解する。
まるであたかもバカップルの行為のように見えてしまうかもしれないが、これには確固とした理由が存在するのである。
……決して、カルーアのこのサラサラの髪の毛や、少々高い体温や、淡い香りが快いからという理由ではない。そう、決してだ。
「いや、違うんだよ」
「黙れハーゲ!」
「十年後にハゲんぞ!」
弁解を試みるも、反応は冷たいものである。
ちなみにハイガはハゲてはいない。少なくとも今はフサフサである。
(まあそりゃ、言っても理解できないだろうがな……)
ハイガはまたため息をついた。
話は三日前にさかのぼる。
この日も宴が開かれていて、ハイガはカルーアと共に飲んでいた。
ちなみに、この世界ではアルコールの年齢制限はない。
ハイガが飲んでいたのは、地球で言うビールに似た、麦から作られた飲み物だった。
カルーアが飲んでいたのは牛乳で、コクコクと飲んだ後にペロリと唇を舐めとる動作が可愛らしい。
「あー、生き返るな……」
「お疲れ様でしたー。仕事はどうです?」
「ああ、おかげさまでなんとかやってるさ……カルはどうだ? 危険な目には遭ってないか?」
「大丈夫ですよ。平凡にやっているぶんには大した危険はないですし……」
「そうか」
周囲の騒がしさの中で、二人で座っているこのテーブルだけが凪のようである。
周囲が騒がしすぎるのだ、というのも決して間違った認識ではないが。
「で、だ。『手がかり』を見つけた。悪いんだが、協力してもらえないか?」
「わたしに何かできるんですか?」
ハイガのいう『手がかり』とは、この世界の魔術がどうやって発動しているのか、ということの手がかりだった.
カルーアには魔術を使ったところを見られていたので、ハイガは一通り自分の境遇を説明していた。
もちろん、異世界なんて突拍子のない話ではなくて、『こことは違う魔術を使う異国での出身で、新たな魔術を求めて旅をしている』といった具合の、それっぽい話ではあるが。
なんにせよハイガが魔術を使え、また魔術を求めているというのを知っているのはこの世界ではカルーアただ一人であり、ハイガはこの少女には心の内をさらけ出しているのだ。
「ああ。カルに協力してもらえば、俺の知りたいことは大方、知れると思う」
「わかりました。わたしにできることがあったら何でも言ってください!」
ハイガからの頼み事とあって意気込むカルーアを、しかしハイガは苦笑と共に制止する。
「張り切ってもらえることは嬉しいんだがな。……できれば、張り切らないでほしいんだ」
「? ……どういうことです?」
疑問符を浮かべるカルーアの前に、ハイガは右手を突き出す。
「コイツを見てくれ。どう思う?」
「うわー……細かいです……」
カルーアが感心したような声を上げるのも無理はない。
ハイガの右手の掌には、ハイガ謹製の魔法陣が描かれていたのである。
魔術ギルドで働くことで、ハイガは比較的すぐにこの世界の魔術師は身体強化魔術しか扱えないことを知った。
それはハイガを目的から大きく遠ざからせる事実であり、当初ハイガは絶望の淵にあった。
では一体、何がハイガをそこから立ち直らせたか?
それがハイガの魔術師としてのプライドであったのは言うまでもないことなのだが、そのほかに最もそれに貢献したものは何か、と問われれば、ハイガは間違いなく、『魔力計測器』について知ったことだろうと答える。
あのハイガも使用した、魔術師と常人を判断するための装置である。
魔力計測器はギルドの管理品となっており、もちろん、ギルドで働く人間にはこれを保持するという仕事もある。
掃除をするために『装置』を検分した時の事。
ハイガはあることに気づいた。
(動力源が――ない?)
このいかにも未来的な音と動作と雰囲気を醸し出す装置。
しかしそれを動かすためのバッテリーやコンセントといったものは見つからない(仮にそんなものがあったとしたら、その方が驚きであったかもしれないが)。
では一体、この装置の動力源とは何か?
装置を体験するのではなく、観察・分析するという姿勢をとった瞬間、ハイガにはその事実が、今まで理解できなかったことが馬鹿馬鹿しいほど明瞭に見て取れた。
この装置は、機械ではなく。
機械と見まごうほど精密に設計されたマギ・クラフトなのだと。
ある海外のSF作家が言っていた。曰く――
――高度に発展した科学は、魔法と見分けがつかない、と。
これは自己の視点からあまりに隔絶したものに対する理解の難しさを示しているのだが、しかしこの時のハイガにとっては文字通りであった。
つまり、『高度な魔術は科学技術と見分けがつかない』。
目の前のうさん臭いものが、金塊に姿を変えた瞬間であった。
ハイガは夢中でその魔術式を解析する。
(……は。……は。…………はははははは!!!!)
それはハイガの求めるものであった。
つまり――『新たな発想』である。
魔術の起源を有するハイガは、解析できる全ての魔術を再現することができる。
しかしそれは裏を返せば、ハイガの考えつく魔術しか使えないということでもあった。
もちろん、年月と熟達に比例してそのハイガの考え着く範囲というのも広がっては行くのだが――
しかし、他人の発想というのはいわば『異次元からの一撃』である。
目の前に存在する、誰かの残した高度な魔術技術の結晶は、まさしくハイガにとっての宝の山だった。
と、共にハイガは確信する。
(俺の求める魔術師は今は存在しなくとも――存在していた)
もちろんのこと、目の前の『装置』はその証拠である。
その事実はハイガにとって素晴らしい朗報であり、同時にハイガを立ち直らせた。
(落ち込む、というのは退屈だ――魔術を極めるのに、立ち止まる暇はない)
ハイガは装置を構成する魔術を解析しつくし、さらなる効率化を図った。
この装置を作り出した魔術師がどうやってこの術式を制作したのかはともかく、ハイガにとっては、魔術の効率化というその作業はむしろ本業であったのだ。
そしてその集大成こそが右手に刻印したこの魔法陣。
魔術的な蒸着により刻印されたその魔法陣は、汗でかすれることは無く、消したくなればすぐさま消し去れるという優れものであったが、カルーアには『細かい』という感想しか抱けないようであった。
少々残念に思いながらも、ハイガはカルーアに頼みたいことを伝える。
「この右手で、カルを撫でさせてほしいんだ」
「……ハイガさん、もう一回お願いします」
「この右手で、カルを撫でさせてほしいんだ」
「き、聞き間違いじゃなかったんですね……」
頬を赤くし、視線をいずこへとさまよわせるカルーア。
しかしハイガとしては至極真面目に言ってのけている。
この魔法陣の魔術は、その性質として対象者に近づくほどにその精度を高める。そのため、できる限り対象者――この場合はカルーアと接触する必要があり、それには撫でるという行為が最適なのである。
「カル、こっちに来てくれ」
「は、はい……」
カルーアはトテトテとテーブルを回りこみ、ハイガの目の前に座った。
「撫でるぞ」
「よ、よろしくお願いします……」
カルーアの声は消え入りそうであったが、ハイガは早く魔術を発動したいという欲望に逆らわず、何の躊躇もなくカルーアの頭を撫でた。
(ふむ……)
サラサラの金髪はどこまでも滑らかで、柔らかでありながら手に絡みつかない、素晴らしい触感であった。
しかし、ハイガの顔は晴れない。
(浸透が弱いな……)
見れば、カルーアは緊張のために体をがちがちに固くさせている。
普段は白い頬は熱っぽいほどに赤く、今にも倒れこみそうに見える。
心理的な抵抗――というよりも、『ソレを望まない意志』が存在する場合、対人魔術は著しくその干渉力を弱める。
魔力計測器でうまく魔術が作用しているのは、ひとえに使用者がそれがどのようなものであるか了解しているからだ。
仮に何も知らない地球の人間に『装置』を試させればおそらく、被験者の心理的な抵抗によりその測定を阻まれるだろう。
あるいは、無駄に未来的な見た目は、この世界の人間から見て何か神秘的な雰囲気を醸し出す為の、『あえて』なのかもしれない。
ハイガがカルーアに『できるだけ張り切らないでほしい』といったのは、その理由である。
なんであれ、気負いというのは緊張に分類されるのだ。できるだけリラックスして臨んで欲しかったのだが、このままではそれは望めない。
数秒悩んだ挙句(つまりほとんど悩まず)、ハイガはフェーズ2を実行することを決定した。
フェーズ2、その名も『甘やかし』であり、つまるところ、『些細であるからこそ相手は恥ずかしがるのであり、ならば恥ずかしがる気も抱かせないほどに溺れさせてしまおう』というジゴロ理論であり、そしてハイガにはその才能も経験もあった。
その1,「有無を言わせぬ行動」。
「カル、こっちに座ってくれ」
「……え、ちょっと……ふぇ!?」
ハイガがカルーアの華奢な肢体を持ち上げ、トスンと座らせたのは、己の膝の上であった。
この男、ノリノリである。
その2,「言い訳を与える」。
「ちょ、ちょっとハイガさん! みんな見てますよ……」
「……恥ずかしがるなって。俺がこうしてるんだ。お前が望んだんじゃない。俺が無理やりな。そうだろ? ……だから、カルはこうしてればいいんだよ」
ハイガはカルーアの柔らかな髪の毛を手で梳きながら、耳元で囁くようにそう言う。
年齢的に事案感が溢れている。
その3,「身体感覚の共有」。
「で、でも……」
「ほら、俺の胸に耳をつけてみてくれ……心音が聞こえるだろう。どくんと跳ねる音がわかるか……俺もお前の鼓動がわかるぞ。軽やかに、その度にほんの少しずつお前の体が柔らかくなっている。……カルは温かいな……俺の体がカルの体温で温まってるだろう……。どうだ、分かるか……?」
そして巧みなボディタッチ。
カルーアは体をわずかに震わせ、そしてすぐにくたりと体の力を抜き、全身の体重をハイガに預けた。
陥落。
この間僅か五分の早業であった。
なお、この理論は完全なるフィクションであり、決して現実世界で通用する理論手管ではないことを明記しておく。
ハイガは周囲から注がれる戸惑いの視線を意に介さず、鼻唄をうたいながら、己の魔術の行使に没頭した。
(よし……よし。やっぱりだ……)
三日間の末、ついにこの夜解析が終了し、ハイガはこの世界の魔術の答えを得た。
ハイガは半ば予想のついていた、その結果が正しく確認されたことを認識し、頷く。
伸びをし、カルーアの頭から手を放す。
三日間も拘束してしまったのだ、カルーアには礼を言わねば。
そんな思考でカルーアの顔をハイガは眺める、が……。
そこには、何かもの言いたげなカルーアの顔。
年齢にそぐわぬ妖艶すらも感じさせるその表情に、一瞬でハイガは言わんとすることを察した。
ハイガがまたカルーアを撫で始めると、カルーアは気持ちよさげにまた眼を細める。
(……酔いが回ってるからな)
ハイガは酔いを理由にカルーアを撫で続ける。
この時まだハイガは、次の日もまた次の日もカルーアの表情に負けて、同じ状況に陥ることに気づいていない。




