黒い影
リーナは一瞬だけ忠男に瞳を向けたが、特に何の反応も見せることなく、男たちに連れられて歩いていった。
昼だけではなく、夜も落ち着いている町。
意味が分からない。だが放っておけるはずがなく、後をつけようとすると、酒場の店主に呼び止められた。
「お客さん、どうしてこの町に戻って来られたんです?」
前に尋ねたときは、正一郎たちのことについて、ほとんど覚えていないような素振りをしていた店主が問いかけてくる。
「早くあきらめて町を出て行っていれば、いちいち余計なことを知らずに済んだのに」
「お前がリーナに何かしたのか。他のみんなはどこに行った」
「さあ? でも、女の子が幸せそうなのは見たでしょう。なんなら、あの冒険者の用事が終わってから、彼女の部屋を訪ねてはどうですか。話は通しておきますから」
店主は、リーナが居住しているという家を教えた。
そんなのいちいち待っていられないとばかりに駆け出そうとすると、いつの間に寄ってきたのか、忠男の目の前に女が佇んでいた。
すらりとした気品ある長身。忠男の代わりにパーティに加わった女剣士――瑛刻。
「お前……、正一郎たちはどうした!」
「エイさま、わざわざ出られなくとも……」
忠男と店主が同時に発した。
「この男は、どうせリーナから話を聞くのだろう。それなら同じことだ」
剣士があごで酒場に戻るよう示す。聞けずに立っていると、急に我慢できない眠気が襲ってきて、忠男はそのまま地面に崩れ落ちるのだった。
☆ ☆ ☆
眠りの中。早く目覚めたくてしょうがないのに、起きられない眠り。
焦りに追われているのに、目を覚ますことができない。
『エイコク――コクエイ。黒い影。ボクにはすぐに分かったよ』
どこかで、少年の面影を残した魔法使いが得意気に喋っている。
(忠男の斧のおかげだね)
……そして、正一郎が血まみれで地面に倒れているのが見える。倒れながらも、必死に言葉をしぼり出していた。
(世界を救えるのなら、僕はもう……)
『世界を救う? お前が救いたかった世界はこれか』
長身の女剣士の冷徹な声が、忠男の頭を通り過ぎる。そして、年老いた母の罵声。
(おまえなんかしんでしまえッ! しんだ父さんも、なにもかもこんなクソみたいななにもみんな滅べ、しに滅んでしまえ!)
☆ ☆ ☆
目覚めると、酒場が閉店するところだった。
地面に倒れていた忠男の周りには、誰もいなくなっている。
酒場の店主から教えられたとおりに、急いで、リーナが住むという家を訪ねた。
「ああ待ってたよ、来ると聞いてた男か。入っていい。あれは2階の部屋にいる」
酒場で、冒険者と話していた男が、玄関から退いて階段を指差し、忠男に上がるよう促した。
屋敷というほどではないが、小綺麗で上品な雰囲気の家だ。広い玄関には宝石細工の置物が飾られている。忠男が住んでいた町では、それなりに裕福でないと暮らせないような家に思えた。
「ひさしぶりだね、忠男」
リーナがいる部屋は、上品な香水のかおりがした。忠男たちが冒険をしていたときには縁が無かったもの。鼻につく香りというわけではなく、どこか人を穏やかにさせるような香りで、彼女の身体からもそれは発せられていた。
風呂あがりなのだろうか。薄い絹の服を身に着けており、着衣からは、やわらかそうな胸や下半身のかたちが浮き出ている。
忠男は、なんだかそこにいる自分が場違いで、恥ずかしく思えてきた。
「どうして、リーナがこんなところに住んでる? 正一郎たちは? 俺が抜けた後、何があった」
堪えて、なんとか会話を続ける。
リーナは、靄がかかったようにとろけそうな瞳で、けれども真正面から忠男に向きあって話した。
「新しく入ったエイが、ね。わたしたち、砂漠の洞窟で終わったんだ」
「あいつが裏切ったのか!」
「洞窟で、魔法が効かないたくさんの敵に囲まれて。エイが急にいなくなったと思ったら、正一郎が倒れてた。一緒に、魔法で逃げようとしてもだめ。登録所の人が言うのとぜんぜん違ってて、ワナだったの」
気を失って目が覚めたら、この家の別の部屋で、ひとり寝かされていたという。
「町の男の人たちがね。いろんな男の人たちが、まいにち部屋に来た。すごく泣いて。でも、エイにいろいろお話してもらったり。下の部屋にいる彼からも優しくされたから。いまは、すごく幸せだって思えるの」
忠男には訳が分からなかった。リーナは、魔法にでもかけられているのではないか。
しかし、彼女は忠男の疑問を拒絶する。
「いろんなことしたよ。一緒に冒険してたとき、はずかしくて、ダメと思ってたこと。でもどうして、わたしはそう思ってたのかな。町のみんなに教えられて、わからなくなった」
黙って続きを聞いていた。
「わたしほんとは、いまみたいに。『いい子』になりたかったってわかった。みんなから喜ばれて。愛してもらいたかった」
矛盾した複数の感情がこみあげてきて、忠男はそれ以上、何も言えなかった。
リーナがやさしく、忠男の手を取る。
「忠男のこと、お兄ちゃんみたいだって思ってたよ?」
自分の両手で包んだかと思うと、そのまま彼女の胸にあててきた。前に触れたときのやわらかさを思い出す。リーナはほんの少しだけ微笑み、首をかしげていた。
忠男はたまらずに背を向けて、家を飛び出し走り続けた。
綺麗な家からは、女の子が誰かを呼んでいるような、かすかな声が聞こえていた。
☆ ☆ ☆
元来た道を走っていると、酒場の前に、長身のエイの姿がある。
「もう気は済んだか。それと、斧を忘れてるぞ」
忠男はエイの足元に屈み、地面に置かれた斧を取った。そのまま斧で殴りかかってしまいたいという昂ぶり。しかし、忠男に向けられた視線と、以前の徹底的な敗北がそれを許さない。
「これからどうする」
特に感情を込めるというわけでもなく、どうでもいいというように投げかけられる。
「正一郎とエルナールはどうした? どうして……」
「会わせよう。だが暴れたりしたらすべて終わりだ。守れるか?」
自分を突き放すこともなく、エイは疑問につきあっている。その事実が、忠男の発作的な衝動を抑えていた。
「……わかった。守る」
数秒ほど沈黙が続いたかと思うと、忠男の周りの景色がまったく別のものに変わっていた。
淡い暖色系の壁で囲まれた通路に、ふたりは立っていた。暑くも涼しくもない通路。
移動魔法のようなものだろうか。だが過去に体験したものとは異なり、発動するまでの時間があまりに短く、転移後のふらつきもなかった。
通路は真っ直ぐに伸びており、片側は壁で、もう片側には牢屋のような部屋が規則的に並んでいる。
忠男が壁に触ると、あたたかい色調の壁は弾力的にへこみ、手を離すと元に戻った。通路と部屋を仕切っている格子は、鉄格子のように硬く頑丈なものではなく、体重をかけても動いたりはしないが、斧で力いっぱい殴りつけたら砕けてしまいそうに思えた。
格子を隔てた部屋では、丈の短い衣服を着けた豊満な女性が手足を大きく広げて仰向けで横たわり、うっとりとした表情で部屋の天井を眺めていた。耳の穴の辺りから飾りのようなものが見えている。
「うふ。うふふふ」
女の口からは、機嫌の良さそうなハミング。それに合わせてリズミカルに小さく首を振ったり、腰をかすかに突き上げたりしている。忠男たちが目の前に立っても、虚ろな目は何も見ていなかった。
「あの男はこっちだ」
先を歩くエイが無表情で、2つ先の部屋を指す。
追って駆けて行くと、部屋の中には、別人のようになった勇者。正一郎の姿があった。
先に見た女と同じように、耳に何かをつけ、壁際に座り込んでいる。
しばらく難しそうな表情を浮かべつつ、額に汗をかいていたかと思うと、急に満足そうな笑みに変わり、忠男に向かって大きくうなずいた。しかし、かつて使命感にあふれた目は、忠男には向けられていなかった。
「これは……。正一郎に何をした!?」
「この男は、捕らえた後も抵抗し、私を殺そうとするのを止めなかった」
次の部屋には、町の手前にある検問所でみた酔っ払いの男性職員が入っていた。やはり、耳に飾りのようなものをつけて、口を開けてよだれを垂らしている。
疑問を持って見ていた忠男に、エイが答える。
「この男は、町での共同生活に馴染めなかった。町を出るという提案も拒否し、自分から装置をつけた」
どうしようもなく、正一郎の姿を眺めつづけた。この状況で助けられるだろうか。助けたとしても……。しばらく考えていると、歩いてきた通路から声がする。
「伝達で、ここに来るようにって。やっぱり忠男だったね、久しぶり。この町に来たんだ?」
興味津津な様子で向かってくるのは、魔法使いのエルナールだった。
☆ ☆ ☆
ここではなんだからと、通路の先の階段を昇るように言われた。
上へあがると、石で作られたがらんどうの部屋に出た。高すぎる天井。離れた壁にある窓や、外へ続くのであろう両開きの扉が、今までは地下にいたことを示している。
「だから、応接室くらい作ればいいのに」
魔法使いが、エイに愉快そうな顔を向ける。今まで無表情だった彼女は、微笑みを浮かべるかのようにわずかに口角を上げ、フッと息を吐いた。
「リーナにはもう会ったの?」
それは自分に向けられた質問だったので、忠男はエルナールに、この町に来てからの経過を簡単に説明する。
「この剣士が裏切ったのは聞いた。だがエルナール、お前も裏切ったのか?」
「剣士、か……」
ひとこと発すると、魔法使いはエイの姿を見て短く笑う。
「裏切ったというより、ボクは最善の選択をしただけだ」
「正一郎を……リーナを、ほったらかしてか!」
「リーナは幸せなんじゃない? ふふっ。ちょっと意外だったけど。……正一郎は、ボクにはこれ以上、何もしてあげられない」
意味が呑み込めない。
「正一郎は、ほんとうは殺されるしかなかった。登録所の記録が消えるまで町に置いて、記憶を消して外に出しても、正一郎は使命感が強すぎるから冒険をやめない。もし思い出して、『聖剣』をまた手に入れたら」
エイの刺すような視線を感じたのか、魔法使いは話を変えた。
「そのままずっと牢屋に入れてたら、脱け出すことしか考えないし。そのほうが残酷だよ。正一郎のことは尊敬してたから、生きている間だけでも、良い夢を見てほしい。たぶん、永遠に繰り返される魔王退治の夢を見てるんじゃないかな」
斧を握り締める腕に、力がこもるのを忠男は感じた。
石で作られた空間を照らす灯りは弱く、薄暗い部屋で、光と闇がせめぎあっている。
「これからどうしたい? また、リーナにでも会っておく? 忠男は好きだったよね。でもリーナ、頭おかしいしヘンタイだから……」
目の前にいる者が、まだなにか話しつづけている。
視界に映る光景が赤く歪んでくる。腕が震えてしょうがない。
「…………!」
今まで心の中で積もり、ほとばしっていた熱さを、忠男は抑えきれなくなった。
すべてを叩き壊すように!
獣のように吠えると、斧を握り締めたまま、忠男は目の前のものに飛びかかっていった。




