暖かい残像
次の日、宿屋で朝食を取りながら、パーティは瑛刻を交えて今後のことを話し合っていた。
「すまない忠男。だが僕たちには目的がある。時間を無駄にはできないんだ」
リーダーシップを取って、勇者が切り出した。
「分かっている。今まで世話になった」
「忠男にはとても助けられた。冒険者登録所にもお願いして、忠男に渡すお金は弾んでもらうつもりだ」
「……」
「みんなで申請をしたほうが早いから、これから一緒に行こう」
「ああ」
隣では、好奇心旺盛なエルナールが女剣士に言い寄っている。
「あの衝撃波はどうやって出すの? 魔法?」
「あとで……今は話し中だろう」
ずっと黙ってうつむいていたリーナが顔を上げて、答えを求めるのでもなく呟いた。
「どうにか、ならないのかな?」
何か続きがあるのならと、正一郎たちは黙り、先を待つ。
「わたしたちは助けられて。たくさん、忠男に守ってもらって。こんなさよならって」
「でも、ボクたちには時間がないんだ! こうしている間にも、魔王は次の手を打ってくるかもしれないじゃないか。前からそうだけど、リーナはひとりでいい子ぶって!」
攻撃魔法使いが説教を始めると、リーナは再びうつむいた。しばらく聞いてから正一郎が説教を止める。
「僕も忠男と別れるのはつらい。できれば、みんなで冒険していたい。でも、何も変えなければ、パーティは全滅してしまう。こうしている間にも、魔物たちはどんどん数を増やしていく。立ち止まっていることはできないんだ」
「……」
「すまないリーナ。もういい。登録所に行こう」
忠男が促すと、リーナは「ごめんなさい」と小さく謝った。寂しそうな表情を近くで見るのが辛かった。
太陽が昇りつつある。冒険者登録所は、もう営業を開始している頃だった。
☆ ☆ ☆
登録所で外されたメンバーは、パーティの申告や登録所の審査に基づいて評価を受け、次の仕事に就くための一時的な給付金を受ける。いきなりパーティを追い出されては、たちまち路頭に迷ってしまい、元々世界を救うつもりだった冒険者が、盗賊や反逆行為を働くことになりかねないからである。
登録所に向かう最中、瑛刻に話しかける魔法使い以外は、みんな言葉が少なかった。
パーティを抜けてからどうするのかという正一郎の問いに、忠男は、田舎に帰って小作農の仕事をしたいと告げる。
冒険初心者のパーティを探せば、忠男はそれなりに歓迎されるのかもしれない。ただ、同じ思いをするのはもう嫌だった。それに、先頭に立って魔物から傷を負わされた結果、初めの頃より体力は落ちており、初心者パーティに入れてもらっても、かつてのように長く活躍できる自信がなかった。
「キズだらけ。忠男のうで」
後ろからついてくるリーナが、忠男の手を取ってつぶやく。
回復の魔法をかけているのか、暖かな光の感触をおぼえた。
魔法をかけたとしても、深すぎる傷が完全に癒えることはない。忠男の傷は既に治療を終えた後のものであり、どうしようもないのだが、それでも忠男は嬉しかった。リーナの暖かくて柔らかい光が好きだった。
リーナに語りかける。
「俺が魔物に突撃していたのは」
「……?」
「突撃してたのは……」
けれども、それ以上の言葉が出ない。冒険者登録所はもう目の前だった。
☆ ☆ ☆
登録所での手続きは一日がかりだった。
それぞれが別室に呼ばれて記憶の表層を覗かれたり。冒険者をやめても国家に忠誠を誓い、法を守り決して反逆しないという誓いを立てさせられたり。今後のパーティの責任者を決める手続きもあった。
空いた待ち時間で、新メンバーになる剣士と勇者たちが話をしている。
「瑛刻は魔法も使えるし、刀もすごいよね。あの衝撃波の原理がどうしても分からない」などと、エルナールがおだてたり絡んでいる。
剣士は必要な質問にだけ答えていた。どうしてパーティに加わってくれるのかというような問いに。
「お前たちは、名が知られつつある。これから有望なパーティだと聞いたから加わる気になった」
「でも、瑛刻のパーティはどうしたの?」
答えが想像できる質問を無頓着に尋ねるエルナールを勇者が止めようとしたが、瑛刻は気にする素振りも見せない。
「私を除いて全滅した」
「どうして。瑛刻みたいに強い剣士がいるパーティでも?」
「黒い影に殺されたと聞く。私は離れていて、どうすることもできなかった」
「黒い影ってあの……」
質問を重ねていたエルナールも黙りこんだ。
黒い影は、冒険者たちにとってあまりにも有名で、それでいて謎の存在であった。どこにいるのかすらハッキリせず、突然、熟練した冒険者たちを狙ったように現れては壊滅させていく。魔王につながる重大な手がかりが期待され、最も恐れられる存在でもあった。
(ゴーレム退治が、俺の最後の戦いだったか……)
忠男は、手持ち無沙汰に斧の柄に触れながら、話をしている勇者たちを眺める。
勇者と魔法使い、女剣士はそれなりに打ち解けているのに、リーナは一向に会話に加わる素振りを見せない。いろんな人に打ち解けられるよう一生懸命ないつもの彼女とは別人のようだ。
見ると、3人からも忠男からも少し離れてうつむき、指先に小さな光の玉のようなものを作っては、忠男に向けてふらふらと飛ばしてというようなことを繰り返している。
誰に触れられるわけでもないのに、先から時々暖かい感触があるのはこれだったかと気づく。冒険者にとって命綱とも言える貴重な魔法を使って、まったく何をやっているのか、彼女は。
目を向けると、リーナは弱々しく微笑みかけてくる。胸の底を締めつけるような感情が込みあげてきて、忠男はもう何も言えない。
エルナールたちが、リーナに苛立つような視線を向けているのに気づいた。
「リーナ、ちゃんとしないと」
忠男自身でもよく分からない言葉を伝え、リーナに彼らの近くへ行くよう促す。
そして自分の手続きを済ませると、先に宿へ帰ることを伝え、忠男はひとり、急いで登録所を抜け出した。
☆ ☆ ☆
宿へ帰っても何もする気が起こらず、忠男は与えられた部屋にこもり、ベッドに横になっては起き上がり、斧を持ったまま硬直したりというようなことばかりしていた。
窓からは夕陽が沈みつつあるのが見えた。昼間の太陽は眩しくて直視できないのに、遠くにある今日の夕陽はただぼんやりと燃え尽きるようだった。
新しい女剣士の加入手続きもあるとはいえ、自分のために1日も時間を無駄にさせたことを申し訳なく思う。
登録所などに行かず、挨拶を済ませて朝から活動していれば、次の目的地の情報収集や旅立ちの支度はできただろうに。正一郎たちはもうベテランだから、半日でもあれば準備を終えられたのではないか等と、ついパーティのことを考えてしまうのだった。
田舎で小作人の息子として奴隷のように働き、一生を終えるつもりだった忠男にとって、冒険者としての2年間はあっという間だった。
「頑張ってみよ。いっしょに。わたしも、ちょっとこわいけど」
目を閉じればその声が聞こえてしまう。忠男がパーティに加わったのは、リーナの励ましがきっかけだっただろうか。
あきらめて解散したり、成果を出せずに公認を取り消されたり、最悪な場合には全滅してしまうパーティも多い中で、忠男たちは上手くやっていた。
正一郎のリーダーシップが良かったのか、エルナールの作戦が上出来だったのか、リーナの懸命さが救いだったのか。忠男たちのパーティは、危機に陥っても全滅することなく、着実に成果を挙げていった。
「忠男には、損な役割を押し付けてばかりだな」
冒険が終わった後の酒場で、申し訳なさそうに告げた勇者を思い出す。最前に立って斧を振るうという役割が損かどうかは知らないが、嬉しかった。役に立てているうちは……。
「忠男の斧のおかげだね」
「俺は何もしてない。ただ斧を振り回してるだけだ」
「ちがうよ。守ってくれるから。だからわたしたち、安心して魔法や剣の練習ができる」
エルナールの茶々が入る。
「またボクを差し置いて、リーナだけいい子ぶって! 本当は、『このわたしの下僕が、もっと働けッ!』て思ってるくせにっ。……忠男も信じてると、ボクみたいに闇討ちされるからね。仲間の魔法を封じるなんて、怖い女の子だよね。あーこわいこわいっ」
「魔法の失敗は謝ったでしょ!」
楽しそうな笑い声。忠男が役立たずになってしまう最近までは、こんなやり取りも冗談で通っていたのだった。
だが、忘れられない思い出が残っただけでも幸せではないのか。後の人生を考えたら。
そんなことを考えながら、冒険ではもう使うこともない斧の手入れをしようとしたら、部屋の外から呼びかけられているのに気づいた。正一郎が立っている。
部屋に入れると、正一郎は、お金が入った包みを渡してきた。一時金の支給は、明日の朝、登録所で行われるはずだが。
「僕とエルからだ。エルは最後まで悪者になりたいのか、来てくれなかった」
「エルナールはキッパリしている。その金も、お前がひとりで用意したのだろう?」
「……すまないと思う。だが、エルのことも分かってやってほしい」
包みは重く、登録所から支給される一時金よりも多額の金銭が入っているようだった。必要な経費を考えたら、冒険者の生活はそう裕福なものではない。こんなに渡してしまったら、勇者たちは当分困るのではないだろうか。
「分かっている。俺には、エルナールのように難しいことはわからない。メンバーの入れ替えとか戦術みたいなものはあいつに任せるしかないし、それで良かったと思っている」
「……」
しばしの沈黙を勇者が破った。
「問題は、リーナのことなんだ」
「リーナは、優しすぎる」
「うん。エルもそう言ってた……それだけが『問題』だって。でもその問題がなかったら、僕たちはここまで心を合わせてこれなかったかもしれない」
「そうだな」
いつしか、窓の外は暗い闇で満たされてきていた。野犬が走り去るような音も聞こえてくる。また少し、沈黙が続いた。
「そのお金は、君へのお願いのために渡したんじゃないことを、まずわかってほしい」
「……」
「他の皆はまだ酒場にいるけど、僕たちはリーナに、ちゃんと君と話して自分で納得するように伝えた。それでリーナがどんな結論を出しても構わないと。でも、ここでリーナにやる気を無くされたら、僕たちはどうしようもない。忠男にこんなことを頼むのは、あまりに虫がいいのは分かってる。聞いてくれなくても構わない。……できれば、リーナに決心をさせてやってくれないか」
「決心? 俺は何をすればいい」
「リーナに嫌われてほしいんだ。二度と君と会いたくないと思うくらいに。こんなことを頼むのは最低だと分かっている。勇者としてありえないくらい汚い。でも、世界を救えるのなら、僕はもう……」
正一郎の呼吸に感情がこもった。彼がリーダーとして最終的な責任をひとり背負い込んでは、悩んで決断してきたのを、忠男も見てきた。
そこまで思いつめていたのか。仲間や自分のためだけに戦ってきた忠男には、彼を追い詰める義務感は未知のものだった。自分を犠牲にしてまで、世界のために悩む理由が分からない。
その理解できない重荷や焦燥が、勇者の証なのだろうか。
忠男はただ、リーナや仲間たちの楽しそうな姿を見ていたくて。だが、このままでは壊れてしまいそうで。それは何より自分の無力さこそが原因だから、現在に至ってしまった。
「わかった」
悔しそうにうつむく勇者に、忠男は応えた。
「俺がリーナと二人になれる機会を作ってほしい。あと、この金は要らないから、お前たちが使ってくれないか」
「……どうして?」
「よくわからない。『忠男の斧のおかげだね』と、また言ってほしいのかもな」
窓の外の闇がさらに濃くなった。翌朝には別れることになる彼らに時間はない。虚しく笑いながらも、正一郎と忠男は、『計画』について話し合った。
☆ ☆ ☆
「忠男……いる?」
正一郎が出て行って、かなりの時間が経っただろうか。部屋の外から、リーナの声が聞こえてきた。
「ああ。どうした」
「えと、渡してほしいものがあるって。正一郎から。それと、すこし話がしたくて」
彼女は所在なさげに、部屋の入り口に立っていた。酒場から戻って、あとは眠るだけだったのか寝間着用のローブをまとっている。それでも、正一郎が教えてくれた、魔法の首飾りはかけたままだ。
「そんなところに立ってないで、早く入ったらどうだ」
忠男はリーナの手を取ると、引っ張るように部屋に入れた。引く力が強かったのか疑問が投げかけられた。
「その……怒ってるのかな?」
何も言わずに忠男も部屋に入り、外への通路を背にするように立った。戸惑う様子を見せながらも、リーナは言葉を続ける。
「あのね、これ。忠男に使ってほしいって」
金の入った包みが渡される。正一郎に返したときより、明らかに中身が増えていた。彼女が自分のお金を足したのだろうか。
窓の外の空気が揺れていた。
「その、ね。忠男はほんとに」
「本当に、どうした?」
「わたしは、できれば今のまま、みんなで一緒に……」
「俺も一緒にいたい」
そうだよね、と言わんばかりにリーナはうなずいた。
しかし、直後に彼女の目は驚愕で見開かれることになる。
「一緒にいたいんだ!」
正一郎に教えられていたとおり、なによりも先に、魔法の首飾りをむしり取って部屋の隅に投げた。魔法の発動や集中を助けるという装具。パニックになった彼女に、魔法をかけられてはかなわない。
「きゃっ」
驚いて反応できないでいる内に、忠男はリーナをベッドに倒して、逃げられないように押さえつける。
忠男の豹変振りに、どうして、と投げかかるように彼女は見上げてきた。
片手でリーナの口を塞ぎ、寝間着用のローブの上から、もう片手で彼女の胸を揉みしだく。服を通しているのに、ビックリするほどそれは柔らかかった。リーナは小刻みに震えている。あまりに驚いたのか声も出そうともせず、忠男から目を離さずに胸の鼓動を伝えてきた。
しかし、その胸に顔をうずめてから彼女の下半身に手を伸ばし、今度はローブを脱がせようとすると、我に返ったのかリーナは泣き出した。初め硬直していた全身は、時おり涙でしゃくり上げられながら、忠男の目の前にぐったりと投げ出されている。
興奮を抑えきれなくなっている忠男は、いけないと自分を戒めた。好きな、憧れの女の子が目の前にある。そして彼女とはもう、二度と会うこともないだろう。
それでも強い意志で、リーナの口を塞いでいた手を離し、早く大声をあげてくれと願った。彼女の悲鳴を目安に、正一郎が仲間を連れて飛び込んでくるはずだ。
口を塞いだ手を離してから、忠男は両手でゆっくりとローブの裾を捲り上げていった。だが、リーナは身体を震わすばかりで、肝心の悲鳴があがらない。
こわくて声が出せなくなったのかと心配になって、忠男は手を止めた。別の方法で合図をすべきだろうか。
なにをしてる早くしてくれ。リーナの顔を覗き込む。見ると、目の端に涙を浮かべながらも、まぶたを閉じて、彼女はただじっとしているのだった。
思えば、いくら忠男に力で劣るとしても、手足を使って暴れたり逃れようとするくらいはできそうなものだが、リーナは今に至るまで無抵抗なのだった。
「リーナ?」
「……っ」
リーナの唇が少し動いたかに見えた。
「なにをしてるんだ、リーナ?」
自分がしていることも忘れて、忠男は身体から手を離し、立ち上がった。しばらくそのままでいる。
待っているとリーナの目が開き、黒目がちの瞳を涙で濡らしながらも、疑問の視線を向けてきた。
「いくらなんでも、そこまで『いい子』にならなくてもいいだろう?」
遠くから小さな足音のようなものが聞こえる。二人の間に、しばらくの静けさが流れた。こぼれかけていた涙を拭く彼女。
「……べつに、いい子じゃないよ」
「どうして叫んだりしないんだ。まさか、俺なんかにしてほしいという訳でもないだろうが」
「だって」
リーナはローブの裾を直すと、少し間を置いてから続けた。
「わたしも、どうすればいいのかわからなかったもの」
「……?」
「どうしたら、忠男にって。そのね、何も思いつかなかったから。わたし」
「だからって無抵抗でいることはないだろう!」
相変わらずの彼女らしさに、忠男は苛立ちを隠せなかった。自分がしていた行為はともかく、そんな調子でこれからどうするんだと憤りすら感じてしまう。
すると、リーナはベッドから起き上がり、立っている忠男の身体を包むように手を回してきた。心臓の鼓動が止まらなくなったのは、今度は忠男のほうだった。
「恥ずかしくて言えなかったけど」
言葉を切って、リーナは続けた。
「わたしは、回復使いで、そういうことがわからないけど……」
癒し手として神に仕える者は、奔放に欲望には溺れられないことを伝えていた。
「忠男のこと、お兄ちゃんみたいだって思ってたよ」
翌朝、登録所へ一時金を受け取りに向かう途中、ついてきた正一郎に詳しい経過を話した。
忠男と別れた後、勇者たちは町で情報収集や次の目的地の申請をするらしいが、忠男にとっては冒険者としての最後の道だ。
「なんだか、リーナらしいな。最初から卑怯なことなんか考えず、忠男と話をしてもらえばよかった」
正一郎が嘆く。
睡眠不足の目をこすりながら、夜の部屋に佇むリーナの姿を、頭の隅にしまった。哀しいくらいに眩しい残像に目がさえてしまう。
途中で正一郎と別れた。
冒険者の終わりの日、朝の空気はどこまでも透き通っていた。




