外へ
一週目。
三番手:独りっ子
どこか違和感のある言葉づかい。
……三か月前に書いた文章だから仕方がない……のか?
いくら考えても名前は思い出せなかった。おかしいな、と彼は少し取り乱しながら回答を求め、周囲を見まわす。しかし、その視界に入ったのは先ほどと同じ、一輪の赤い花だった。いつの間にか開いていた窓から吹いてくるかすかな風を受けて、揺れていた花を見ると、急になにかを思い出せそうな気がしてきた。
彼はそのなにかの糸口をつかもうと、赤い花が活けてある花瓶をじっくりと観察する。長考する彼を見て、看護師はもしかして記憶喪失では、と内心で焦りながら彼が言葉を発するのを待っていた。
美しい、花。病室のカーテンをたなびかせる風の音。五感を最大限まで使って、彼は自らが置かれた状況を思い出そうとしていた。
「音、かあ」
彼の突然のつぶやきに看護師は異質なものを見るような目で彼を見たが、すぐに表情をもとに戻した。
看護師のそんな行動は彼の眼中にはなかった。彼はつぶやいた後、自らの手を見て、あることを思い出したのだ。
「あの、看護師さん。すみませんが、この病院にピアノってありますか?」
彼の脈絡のない質問に看護師は戸惑いながらも、院内の地図を思い浮かべる。ピアノなんてあったかしら、と言う思いで頭の中の地図を眺めていると、看護師はあることに気付く。
「この近くにある**タワーって知っていますか? その**タワーの近くに、何台ものピアノが展示してある場所があるんですよ。そこならきっとお望みのピアノが弾けると思いますよ」
慣れた笑顔を彼に向けながら、看護師はそうスラスラと話した。その脳内にはすでに彼の名前を訊くという行動は消えていた。
彼はその言葉を聴き、必死に病院から抜け出す手段を考えはじめた。看護師を見た限り、なんとかなりそうかなと考えれば、でも病院を脱出する手段はないに等しい、とも考える。
そして彼は結論を出した。
「僕って全治何か月くらいなんですか?」
まずは自らが動ける状態かを確認しようという魂胆だ。彼の言葉に看護師は目じりにしわを浮かべて、視線を上に向けた。そして、言った。
「奇跡的に、あなたは少し脳震盪を起こしただけですみました。今のところ、後遺症のようなものは見つかっていません。でもまだ安静に――」
彼の耳にはもう看護師の言葉は入っていなかった。なんら問題はなく動ける、という事実を確認した彼はピアノが置いてある場所に行くため、**タワーへ向かうことにした。
「ちょっと外の空気を吸ってきますね」
「え?」
「いつまでも病室にいたらその方が気分的に悪いので、じゃあ、そのうち戻ってきますね」
看護師が引き留めようとするのを躱し、じゃ、と言いながら彼は病室を飛び出した。
病室の中に取り残された看護師はポカン、としていたが、彼のしっかりとした足取りを思い出し、他の患者の面倒を見ることにした。
「急がなきゃ」