8話
ひとしきり騒いだ後少年はトイレブラシになぜ契約を決意したのか事情を話し出した。
「酷い話だろ!? ありえないよな!? 普通は連れていくか、連れて行かないにしろ事情を説明してから行くだろうが!!! しかも冷蔵庫にはマヨネーズ以外全部きゅうりひたすらにきゅうりどこまでいってもきゅうりきゅうりきゅうりきゅうり野菜室もきゅうりさすがに冷凍庫にはないと思ったけど開けたらやっぱりきゅうりしかねーんだよ!!! あいつらどんだけ俺がきゅうり好きだと思ってんだよおおおおおおおおおおおおおお!!! 別に俺そんなにきゅうり好きじゃねえええええええええええ!!!」
「はぁ…事情はなんとなくわかりましたが…いいんですか本当に契約しちゃっても…」
「ああ構わねえよ!!! あのクソババアとクソハゲのことなんかもう知るか!!! くそ~!!! あの手紙思い出しただけで腹立つ!!!」
「でもKIZUNAはいいんですか…?」
「なぁ~にがKIZUNAだ!!! そんな目には見えないうえクソの役にも立たないものは真の英雄には必要ないんだよ余分極まりないんだよ!!!」
「…さっきと言ってることが百八十度違いますね…」
「うるさい俺は未来に生きる男なんだ!!!」
「…まぁ私としては契約していただけるなら…ありがたいんですが…」
「そうだろうそうだろう! いや~よくよく考えてみれば男は一度大人になる前に旅に出るべきなんだよな! この怒りを鎮めるのにも時間が必要だしなにより精神的にも肉体的にも大きく成長できるだろう! そうすればうちのクソッタレ両親が帰ってきたときに大人な対応が取れるしな! うんうん絶対そうだ! あいつらが帰ってきたら見返してやる! 成長したおれの姿を見せてやる!」
「成程…つまり一度異世界に行きご両親と距離を置いて異世界を救い精神的に成長し、地球に戻ってきたあかつきには今回のきゅうり事件を水に流すと、そういうわけですね勇者様!…いや~結構大人ですね!」
「は?…水に流す?…何を言ってるんだお前は…」
「え…?…だって大人な対応を取るって…」
「もちろん大人の対応として鼻の穴にきゅうりを突き刺して口には詰め放題の袋みたいに大量のきゅうりを突っ込んでからなら水に流すこともやぶさかじゃないけど…」
「全然大人の対応じゃないじゃないですか!? 何の成長も遂げてないですよそれ!?」
「黙れただで許すわけないだろうがッ!!!」
「まったくもう…さっきまで勇者様の隠れた人間性に感動してた私がバカみたいですよ…」
「うっせ! そもそも俺の優れた人間性は隠れてなんかない常に解放状態なんだよ! そんなことよりいいからとっとと契約するぞ! そしてこの怒りをエルフに癒してもらおうそうだそれがいい!」
「わかりましたよ…でも契約の前にもう一度説明をきいてください」
「説明ならさっきしただろ…」
「いえ状況の説明ではなくヴァルネヴィアという世界についての説明です」
「ヴァルなんとかっていう異世界そのものの説明…というわけか…?…フッ…そんなもの俺にはいらない」
「え…?…どうしてですか…?」
「異世界の事ならだいたいわかるからな」
「ええ!? そんなはずは!? だって勇者様異世界行くの初めてですよね…?」
「ああ…確かに初めてだ…だがわかるんだよ…俺には」
「な、なんでそんなに自信ありげなんですか…?」
「知りたいか…?」
「はい…教えてください…」
「それは俺が日本人だからさ…」
「…すみません意味が分からないんですが…」
「しょうがない奴だ…詳しく説明してやろう…日本人って奴は異世界が大好きなんだよ…特に学生なんか授業そっちのけで異世界に行く妄想をしてるはずだ…かくいう俺も布団に入ってからは自分が異世界で無双してる話を頭の中で連載している…そうだ!…ちょうどいい…今からお前に聞かせてやろう!…実は俺が破壊神に覚醒してるシーンから中々話が進まなくてな…もう五百回くらい覚醒してる…もしかしたらお前に話せば話が先に進むかもしれないし…あ…金は別に払わなくてもいいぜ…世に出たら出版社が書籍化に乗り出すほどの素晴らしいストーリーだけど…特別に今日だけ無料で話してやろう…光栄に思えよ!」
「いえ結構です」
「おいおい…遠慮するなよ」
「結構です」
「今破壊神の力で敵を…」
「結構です」
「おいちょっとくらい聞いて」
「結構です」
「…くッ…いいだろう…日を改めようじゃないか…それで…日本人は異世界が好きというところまで話したがお前もさっき言ってたように行けない奴がほとんどだし、妄想してる奴らも結局の所心の底では本当には行けないとそう思っているんだ…」
「ええ…そうでしょうね…」
「ああ…だから大半の奴は異世界に行く妄想はしているが具体的な計画まで立てている奴はまったくいないと言っていいだろう…がしかし少数ながら準備をしている奴らもいるにはいるんだ……お前は驚くかもしれないが…実は俺はその少数派に属しているタイプだ」
「…つまり勇者様は具体的な計画を立てていた、と…?」
「そうだ…具体的な計画を立てるためには異世界というものをよく知る必要があるだろう…?…だから俺は日夜研究に励んできた…お前と初めて会った時に着の身着のまま異世界に行こうとしたのはノリとテンションだけではなく根柢の部分に異世界というものに対する認識を正しく持っていたからだ…フフ…わかるか…?…俺はたどり着き導き出したんだ…答えを…長い研究の果てに異世界とは一体なんなのか、どんな場所なのか、どうすれば活躍できるのかという難問に対する完璧な解答を…その上であらゆる異世界に対応するであろう神がかり的なまでに素晴らしい計画を立てたのだ…」
「…では…参考までに教えていただけますか…?…勇者様が導き出した異世界というものに対する答えを…」
「よし…心して聞け…異世界っていうのはズバリ…」
「はい…異世界というのはズバリ…」
「ネットの知識があれば世界の覇権を握れる場所だ」
「全然まったく違います!!!」
「え…?」
「え、じゃないですよ!!! どんだけ舐め腐ってるんですか!? そんなわけないでしょう!?」
「何を言ってるんだ正しい認識だろう…」
「ホントどんだけバカにしてるのかわからないくらいありえない解答ですよ!!! ネットの知識だけで世界の覇権を握れるわけがないでしょうが!? ちゃんと異世界の説明聞いてもらいますからね!!!」
「お前こそちゃんとわかっているのか!? ネットだぞ!? あらゆる情報を網羅してるすごいものなんだぞ! どんな状況でもネットの知識があれば確実に乗り切れるはずだ! 実際俺は何度も困っている時にネットに助けられてきた! ゲームの攻略に困ったとき、火傷したとき、テストの解答に困ったとき、どんな時も俺を助けてくれたんだ!」
「最後のはカンニングじゃないですか!?」
「失礼な事を言うな! うちの高校ではテスト中にスマホを使っていいことになってるんだ!」
「何のためにテストしてるんですか!? それじゃあテストやる意味ないじゃないですか!?」
「何もわかってないなお前は! 数学はネット使うだけじゃなくて頭も使わなきゃできないんだよ!」
「数学でネット使ったんですか!? え!? じゃあもしかして今日の午後の授業で返されたテストって、まさか!? そんな!?」
「もちろんスマホ使ったよ」
「使ってあれなんですか!? 嘘でしょう!? というかネット使う必要がないじゃないですかあああああああああああああああああ!!! 電卓機能使えばすぐ終わるでしょうが!!!」
「あれってなんだよ…あとネットを介さないで数学が解けるわけないだろうが…まったくこれだから便所ブラシは…それに電卓機能なんか使うわけないだろう…」
「ど、どうしてですか!?」
「電卓機能を使ったらカンニングだろう…?…常識だ」
「なんでネットは良くて電卓はカンニングなんですか!? わけがわからないですよ!? いやそもそも両方いらないですよねあの程度の問題には!? 本当になんなんですかあの高校は!? そういう独自の常識があるんですかあそこは!? 異世界理解するよりよっぽど難解ですよ!?」
「なにを興奮してるんだまったく…」
「貴方のせいでしょうがあああああああああああああ!!!……はぁ…はぁ……あの高校に関する話題は…はぁ……はぁ…とりあえず置いて…おいて……と、とにかく…ネットの知識だけでは絶対に無理ですから…というかそれ以前にネットの知識今から全部覚えていくつもりですか…必要な情報を紙に書いたりプリントアウトして持っていくにしても時間がかなりかかります…出来れば明日中には出発したいので…そんなには時間はかけられないですよ…」
「何を言い出すのかと思えば…そんな心配ならいらない…ククク…なぜなら」
自身ありげに含み笑いをする少年に対してトイレブラシは心の中で驚愕した。
(もしかして…勇者様は必要な情報をもう全て頭の中に入れてるというの!?…そんな…勇者様クラスのド低脳にそんな芸当できるはずが…でもあの自信に満ち溢れた含み笑いは…もしかしたら…もしかするかもしれない!…記憶力には自信があるのかも!)
「なぜなら異世界からスマホでネットに繋げばいいんだからな」
「繋がるわけないでしょうがああああああああああああああああ!!!!」
「何をいってるんだよお前は…?…繋がるだろうが…冗談ばっかり言ってお前は…ハハハ」
「何を言ってるんだお前は、じゃないでしょうがッ!!! こっちのセリフですよ!? なんなんですかさっきの自信に満ち溢れた含み笑いは!? そんなバカな発言をするためによくあんな顔作れましたね!? びっくりですよ!? あれは自分の能力に自信のある人の顔ですよ!? てっきり記憶力には自信があるとか思った私が完全にバカでしたよ!」
「いくら俺が超天才でもネットの知識を全部覚えられるわけがないだろうがまったく…だからスマホを使ってネットにアクセスして情報を手に入れて異世界を攻略していくという完璧な計画を立てたのだからな…これを思いつくのにどれだけ時間がかかったかお前にはわからないだろうな…ククク」
「だから異世界ではネットは繋がらないですって言ってるでしょう!!!」
「え…?」
「繋がりませんよ!!!」
「だから変な冗談はやめろって…ハハハ」
「冗談じゃないですよ!!! 異世界ではネットは本当に繋がりません!!!」
「…………え……マジで…?」
「マジです!」
「ええええええ!? 異世界ってネット繋がんねーの!?」
「繋がるわけがありませんよッ!!! 当然でしょう!!!」
「なんでだよ!? そんなことありえない!?」
「ありえないのは勇者様の脳みそですよもう!…はぁ…勇者様が何もわかってないということはよくわかりましたからもういいです…それでは今からヴァルネヴィアという世界について説明するのでしっかりと聞いてくださいね…」
「ちょっと待て! まだ俺は納得してないぞ! なんで繋がらないんだよ!? しっかり説明しろ!」
「……なんでって…説明もなにも電波が届くわけないでしょう…」
「電波ってなんだよ!?」
「そこから説明しなければいけないんですかああああああああああ!?」
トイレブラシは電波とは何かを懇切丁寧に少年に説明した。
「…マジかよ…電波って…そんなものが…この世に存在したのか……」
少年はあまりの驚きに床にうずくまり黙り込んだ。
「……もうヤダ…こんなに頭の悪い会話をしたのは生まれて初めてです…どうして電波知らないんですか…なんで異世界から来た私が勇者様の世界の説明をしなければならないんですか…まだヴァルネヴィアの説明なんか全くできてないのに…ほんともう…ヤダ…」
硬直からとけた少年は立ち上がり再びトイレブラシに問いかける。
「……じゃ、じゃあ俺の完璧な計画は…」
「実現不可能という意味では完璧な計画ですね…」
「そんな!? チ、チクショウ! チクショウ! ネットの知識さえあれば! ネットの知識さえあれば!! 伝えられたのに!!! 役に立てたかもしれないのに!!!」
「…伝えたいことってなんですか…?…それに役に立てたかもしれないって…」
「…ああ…実は…さ…俺の世界の知識で…異世界の発展に貢献できないかなって…昔からそう思ってたんだ…なんかさ…異世界って色々大変だろ…魔術とか色々あるのかもしれないけど…それだけじゃあやっぱり足りないんじゃあないかと思ってさ…だからネットの知識があれば…ちょっとでも…教えられるかなって…それに…今なんか…緊急事態みたいだし…少しでも助けに…なるかなって…クソッ!…俺…俺…不甲斐ねーよ…結局俺の計画は…何の役にも立たないんだな…う…グス…うう…」
「……勇者様…そこまで…異世界について考えてくれていたなんて…」
少年は大粒の涙と鼻水を垂れ流し嗚咽を漏らしながら自らの無力を呪った、そしてそんな彼を見ながらトイレブラシも己の勘違いを恥じた。
(私は間違っていたのかもしれない…確かに勇者様は無知かもしれないけど…彼は彼なりに本気で異世界を知ろうと取り組んでくれていたんだ…それなのに私は…)
「すまねぇ…グス…うう…本当に…すまねぇ…」
「もういいんですよ勇者様…謝らないでください…私の方こそ怒ってすみませんでした…解釈の仕方は間違ってはいましたが…知識がなくてもその思い…きっとヴァルネヴィアの人たちに伝わると思います…だからもう泣かないでください…」
「べ…ベン…ベンジョ…ブラシ…うう…けどよぉ…けど…よぉ…どうしても…どうしても…一つだけ…伝えたいことが…あったんだよ…チクショウ!…教えられたらなぁ…喜んでくれると…思うんだよ…絶対…知らないはず…なんだ…この知識だけは…だから…だからよぉ…伝えてぇよぉ…これだけは…これだけはぁ…うわぁあああん!…」
「…勇者様…そこまで伝えたいことがあったなんて…」
「…グス…きっと…きっと…革命的な変化を…起こせた…かもしれないのに…それなのに…俺が…俺がだらしないばっかりに…うわああああああん!…チクショォォォォォォォォォォォ!」
「…あの…勇者様…よろしければ…その…一番伝えたいことというのを…私に教えてもらえないでしょうか…いえ…この言い方は…違いますね…ぜひ教えてください!」
「…べ…ベン…ジョ…ブラシ…うう…」
「確かに異世界でネットを繋ぐことはできません…だから満足に伝えることはできないでしょう…でも私勇者様が伝えたいと思った気持ちを無駄にしたくないんです…異世界の人たちの代表…とまではいかないかもしれませんが…私がしかと受け止めます…そこまで伝えたいと思うことの一部でもいいんです…私に教えてください…貴方の涙に報いたいんです…」
「…うう…わかった…聞いて…くれ…グスン…俺が…つ、伝えたかったの…のは…きっと…喜んでくれると思ったものは…」
「はい…きっと喜んでくれますよ…だから教えてください」
「…うう…きっと…きっと…」
少年は涙と鼻水でグチャグチャになった顔を腕で拭いトイレブラシにしっかりと伝えた。
「きっと…たし算教えたら発狂して喜んでくれ…ブハァッ!」
言い終える前にトイレブラシはスパァァンと空気が破裂するような音と共にスポンジの部分で少年を殴り飛ばした。
「な…!…何すんだてめえ!…今感動的な場面だっただろうが!…なぜ殴る!?」
「そうですよその通りですよ感動的な場面でしたよ貴方がそのバカな発言をするまではねッ!!! なんなんですかさっきから!? 人が真面目に話を聞いてると思えばほんとバカにするのもいい加減にしてくださいよ!?」
「いやお前人じゃないだろ…」
「お黙りなさい!!!」
「なんでお嬢様口調!?」
「涙流しながら悔しい思いを口にするほど伝えたいことって何なんだろう、とか私にうまく受け止めることができるだろうか、とか真剣に考えちゃったんですよ!? ドキドキしながら待ってたんですよ!? それで蓋を開けてみたら、たし算!? たし算って言いましたよね貴方は!?」
「ああ…たし算って言ったけど…知らないだろ異世界人は…へへッ!」
「へへッ!…ッじゃないですよおおおおおおおおおおおおおおおおお!? たし算くらいわかるに決まってるでしょうがあああああああああああああああああああ!?」
「ええ!? 嘘だろ!? マジで!?」
「ホントに驚いてるところが無性にムカつきます!!! だいたいネットの知識全然関係ないじゃないですか!? さっきまでのくだりまるまるいらないですよね!?」
「ネットの知識がなきゃ数学はできないと何度言えばわかるんだまったくやれやれ」
「勇者様がド低脳なだけですよ!? 異世界人にもプライドってものがあるんですからね!? ここまで馬鹿にされたら黙ってはいられません!!!」
「なんだとてめぇこの野郎誰がド低脳だ!!! だいたい何がプライドだどうせ水道管だって通ってないんだろうがッ!!! 偉そうな口を叩くならまず便所にウォシュレットをつけてから出直せや!!! どうせボットンだろ!!! ボットン便所だろ!!!」
「違いますよ!!! 水洗トイレとなにも変わりませんよ!!! ちゃんと魔術で快適なトイレ空間を維持できてるんですから!!!」
「消臭剤だって地球のほうが優れているに決まってる!!! なにせ薬局があるからな!!! 科学の力が生み出した奇跡の産物それが消臭剤!!! そっちはないだろう!!!」
「そんなことありません!!! 異世界だっていい香りのする消臭剤はあります!!! 魔術の力であらゆる悪臭を即消臭できるんです!!!」
「地球の最新式のトイレは汚れの落ちやすい新素材で出来てるんだそのうえ余分な水が流れないように節水機能までついてるときているどうだまいったか!!!」
「異世界のトイレなんて掃除しなくても勝手に綺麗になってそのうえ丈夫で耐久性に優れていて滅多に壊れたりしない素晴らしいものです!!! 負けたりなんかしません!!!」
「科学トイレの力こそが絶対で至高なんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「いいえ魔術トイレこそが最強かつ究極なんですよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
一人と一本は睨み合いながら距離を詰めそして
「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」
雄叫びをあげながら壮絶な殴り合いを始めた。
結果として少年とトイレブラシの殴り合いの喧嘩は夜遅くまで続いた。
「ハア…グフ…ハァ…ゴホッ…ハア……クソ…便所ブラシの分際で…中々どうして…」
「ハア…ハア…ハア…勇者様の…もやしボディに…この私が…ここまで…ゴフォ…ゲホッ…」
喧嘩が終わる頃には両者はボロボロの状態で床に倒れこみ動けないほど疲れ果てていた。
「ゴフッ…ゲホッゲホッ…ゆ…勇者様…」
「な…なんだ…よ…ゲフォッ…ハア…ハア…」
「と…とりあえず…できるだけ…簡単に…ヴァルネヴィアの…説明…しますから……勇者様…はほとんど何も…もわかって…ないみたいですし……それに…時間も…さっきより……かからない…はずです…だから…黙って…聞いていて…ください」
「わ…ハア…ハア…わかった…よ…ゲホッ…」
トイレブラシは起き上がり深呼吸すると息を整え少年に簡略した異世界の説明を始めた。
「それでは始めます…異世界がどんな状況なのかはわかりませんがヴァルネヴィアから召喚魔術を行った国は何となく検討がつくのでまずそれと…あとその国がある大陸についての大まかな解説だけ…今はとりあえずその二つだけ説明します…よろしいですか…?」
「し…しば…らく…だま…黙って…聞いて…るから…俺に…構わず…説明…して…くれ」
「わかりました…では…召喚魔術を行った国ですが…これは十中八九ウルハ国とみてまず間違いないでしょう…いえやはり王制なのでウルハ王国の方が名前としては正確なのかもしれません…まぁ呼び方はどっちでもいいんですが…それでなぜ私がウルハ国だと思ったのかについてなんですが…理由としては主にいくつかあるんですが…大きな理由としては一つですね…ですが…それを説明する前にまず前提として召喚魔術の概要についてあらためて説明させていただきたいのです…前にも説明したと思うんですが召喚魔術というものはとてつもなく古い魔術なのでほとんど使われてきておらずさらに付け加えて言うなら成功率も極めて低いときていまして…悪いことづくめの魔術なんです…そしてにもかかわらず莫大な魔力を消費するため現実的に役に立たないと言われ、よほど昔から伝わっている一部の国を除き捨て去られてしまった魔術なんです…この魔術が伝わっている数少ない国の中にウルハ国が数えられているんですが…ここでなぜ私がウルハ国が召喚をしたと思ったのかの大きな理由があげられるんです…実は召喚魔術が代々伝わっている国の中で最も英雄召喚の成功率が高い国がウルハ国なんです…実際過去に行われた英雄召喚のほとんどはウルハ国の手によって行われていたと言われています…」
少年はいまだに息を荒くしているため、トイレブラシは話を続けた。
「これはウルハ国の位置する場所に関係があるのではないかと言われていますが…真相は定かではありません…まぁこれはあんまり関係ないですかね…とにかく…まず勇者様が召喚されてからたどり着く国はウルハ国だと思います…ここまでは大丈夫ですか勇者様…?」
「あ…ああ…問題ない…ウル…ウプッ…ウプハね…」
「…ウルハですよ…続けて平気ですか…?」
「…だ…だいじょーぶ…だ」
「……それでは…次に説明するのはウルハ国が存在する大陸の話です…大陸の名はブルグゾンといいヴァルネヴィアに存在する中で最も広大な大陸です…この大陸には人間だけではなく異種族も存在していまして…ドワーフや獣人、妖精などや勇者様のお望みのエルフもいます」
「エルフッ!!!」
エルフという言葉を聞くと少年は元気を取り戻し立ち上がった。
「……元気になられてよかったです…良かったついでに続けさせていただくとですね…この大陸には大きく分けて六つの大国といくつかの小国が存在します…その大国の一つにウルハは属しているんですが…ウルハ以外の他の国については説明に時間がかかりそうなのでヴァルネヴィアについてからおいおい説明していきます…かなり大雑把ですがだいたい説明するところはこれで大丈夫だと思います…もう夜も遅いですし…今日はこのへんで説明は終わりにしておきます」
「なんだ…ずいぶんあっさりした説明だったな…」
「かなり省きましたからね…誰かさんが横道にそれることを言い出したせいでほとんど説明できませんでしたよ…疲れました…早く寝たいです…」
「まったく…反省しろよ」
「貴方に言ってるんですよこのあんぽんたん!!!」
「誰があんぽんたんだてめぇコラ!!!」
「貴方ですよ貴方!!! だいたい何で教えたいことがたし算なんですか!? そんなことで喜ぶ原始人がいる世界なわけないでしょう!!!」
「なんだてめぇじゃあ引き算か!? 引き算が良かったってのか!? この身の程知らずがッ!!!」
「そういうことを言ってるんじゃないんですよ!!! それに何で引き算ごときで身の程知らずなんて言われなきゃいけないんですか!? バカにするのもたいがいにしてくださいよ!?」
「引き算ごときだと!? なんて身の程を知らない奴!? 俺でさえ!! この俺ですら時々!!!」
「……え……いや…もうやめてください…聞きたくないです…これ以上…これ以上ド底辺で私を染め上げないでください…そんな…まさか…いや!…聞きたくない!!!」
「俺だって時々間違えるんだZE☆ッ!!!」
「いやああああああああああああああ聞きたくなかったああああああああ引き算もできないんですかああああああああああああああああ!!??」
「もってなんだ!? 数学は奥が深くて難しいんだぞッ!!!」
「やめてください貴方が数学を語る事自体が冒涜です!!!」
「何言ってやがる!!! 俺が数学を語らず誰が語るんだよ!!! どうせ異世界は数学なんてないだろうが!!! 俺が布教してやんよおおおおおおおおおお!!! 感謝しろよげへへへへ!!!」
「お願いですからやめてください!!! 完全にテロです!!! それに異世界にもちゃんとした学問として数学はあります!!! ですからもう勘弁してください!!! ネットの知識などを電波に乗せて異世界に持っていくことで文明を発達させることは絶対に無理ですがそんなことなんかよりも貴方が発するバカ電波にわけのわからない知識を乗せて異世界に垂れ流すことのほうは簡単に出来ることなんですからね!? そっちのほうが遥かに心配です!!! もういいじゃないですか余計なことはせずに世界を救うことだけをを考えましょうよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「誰がバカ電波を垂れ流すだとおおおおおおおおお!? 口を慎めよ俺は二十二世紀に生まれた天才的な学問の伝道師だぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「貴方の世界は今二十一世紀でしょうがあああああああああああああああああああああああ!!!!」
「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」
時計の針が十二時を指したところで第二ラウンドのゴングが鳴った。
「……ん…ふぁ…あれ…私…確か…勇者様と殴りあって…それで…倒れて…そのまま寝ちゃったんだ…」
翌日カーテンから差し込む光に目を覚ましたトイレブラシは起き抜けに少年と互いに殴り合い疲れ果てた状態で床に倒れてそのまま寝てしまったことを思い出すといまだ寝こけている対戦相手を尻目に時間の確認をするべく時計に目を向けた。
「……え…ええ!?…うそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
「……んだよ…うるせーな…まだ眠いんだよ…静かにしてろよ…むにゃむにゃ…」
「勇者様起きてください! もう午後三時半ですよ!」
「……だからどうしたんだよ…今日は…祝日だろ…問題…ない…グー……」
「……いや…そうなんですけど……えーとその…」
(マズイ…もうすぐ夕方になってしまう…あいつが…あいつが来る…その前に何としても…勇者様を連れ出さなくては…!……うう…だいたいまだ契約の儀式すらできてないっていうのに…こうなったら…)
「勇者様! 実は言ってませんでしたが夕方までに扉を開けないと異世界に行けなくなってしまうんです! このままだとエルフに会えなくなってしまいますよ!」
「なんだとぉ!? マジかよ!?」
少年は聞くや否や飛び起きた。
「エエマジデスヨ…」
「なんで片言なんだよ…」
「イエ、ベツニ」
「つーかそういうことは先に言えよ! ったく! 急いで準備するからちょっと待ってろ!」
「ワカリマシタ…」
(ごめんなさい勇者様…)
少年は話し終えると一階に駆け下り、玄関から中庭に出て物置の中にあった大きめのリュックを取り出した後再び家に入り急いで自分の洋服や下着などの着替えを乱雑にリュックに詰め込むと二階に戻り寝巻を脱ぎ捨て学生服に着替えた。
「待たせたな! 行くぞ!」
「学生服で行くんですか…?」
「ああ…異世界に行くなら学ランで行くと最初から決めていた…どうしてか理由が気になるだろう…?…実はな話せば長くなるんだけど…」
「あー…じゃあまた今度で…」
「…そうか…」
「あのーそれで…急かしてしまってなんなんですが…忘れ物とかやり残したこととかありませんか…?…行ってしまうとしばらくは戻ってこれないと思うので…」
「大丈夫だ問題な…いや…ちょっと待ってくれ……忘れ物とかではないんだけど…異世界行く前に…学校に何かしら休む口実を言っとかなきゃダメだと思うんだよ…なにせ俺みたいな完璧な優等生が無断で休んだりなんかしたらきっとみんな滅茶苦茶心配してそれこそ大事件に巻き込まれたとか思われかねないからな…でも今日祝日だし…誰もいない気が…どうするか…うーん…仕方ない…この際担任の先生の家に直接話をしに行くしか方法はないか…」
「住所はご存じなんですか…?」
「ああ…確かそんなに遠くは無かったはずだ…てかそれより魂つなげる契約とやらはやんないのか…?」
「勇者様が先生に話し終えてからでも大丈夫です…しかしその…出来るだけ早めにお願いします…こちらの不注意で本当に申し訳ないのですが…」
「わかってるっつの…俺だってこんなチャンスを逃すつもりは無い…それにもし行くのに失敗なんかしたら俺は父ちゃんと母ちゃんが帰ってくるまでにカッパになっているだろうからな……それだけはマジ勘弁…だが異世界に行くのに成功すればきっと勇者様歓迎パーティでご馳走が食える……いや歓迎会だけじゃなくきっと毎日ご馳走が出てきて毎日ぱーりぃになるはずだ…クハァ!…たまらないぜ!…ククク…」
「……ご馳走が出てくる歓迎パーティ開ける状況かどうかはわかりませんが…」
「よし行くぞッ!」
「聞いてませんね…えっと…それでは私は勇者様が先生に事情を伝えるまでは見つからないようにリュックの中に入ってますね…」
少年は洋服以外の私物を最後にリュックにまとめ、背負うとトイレブラシもリュックに入り込み両者は支度を終えた、そして最後に家の戸締りやガスなどを点検した後玄関の扉から家を出た。
「さらば我が家よ…しばしの別れだ…」
自分の生まれ育った家に別れを告げ、カギをかけると教師の自宅へと歩き出した。
「(勇者様なんか足取りがずいぶんしっかりとしていますね…もしかして前に先生の家に行ったことがあるんですか?)」
リュックの隙間から顔を出したトイレブラシは少年の頭の中に直接疑問を問いかける。
「(ん…?…いや直接行ったことはないけど先生の家…っていうか先生本人がって言った方がいいのかもしれないが…この辺じゃあ結構有名だからな…ここら辺に昔から住んでる奴ならまず迷わない)」
「(有名…?…どうして有名なんですか…?)」
「(先生って前にテレビとかマスコミに取り上げられたことがあるんだよ)」
「(へぇ~! すごい人なんですね!)」
「(ああ…なにせ俺はあの人に出会ってからさらに勉学に磨きがかかったからな…とても立派な人だよ)」
「(尊敬なさっているんですね! 何の教科の先生なんですか?)」
「(数学だ)」
「(…………あのリンゴとみかんの人ですか…)」
「(そのとおり!…そういえばお前もいたんだったな!…聞いて驚け!…なんと先生は頭が良くて情に厚いだけじゃなく地域のボランティア活動にも取り組んでいてな…しかもそれに加えて俺や学校の生徒達のような子供に対しても真剣に接してくれる素晴らしい人ときている…だからさ…俺にとっては数少ない尊敬できる大人の一人なんだ…まさに教師の鏡だよ!)」
「(そうなんですか…ボランティアを…)」
(頭が良い…とは思えませんが…確かに生徒のために涙を流していたし…ボランティア活動もしているとなると…根は立派な人なのかもしれませんね…あっ…もしかして)
「(勇者様!…あの…もしかして…)」
「(なんだよ…?)」
「(テレビやマスコミで有名になった理由って…)」
「(お?…流石のお前も今の会話で察したようだな…)」
「(はい…流石に…)」
「(そうだよ…先生はな…)」
(きっとボランティアの功績が認められてテレビやマスコミにとりあげられたってところでしょうね…確かに数学という学問の教育者としては間違った教え方でしたけど…一人の人としては正しい教育者だったんですね…まだまだ私も未熟者です…結構長生きしてるんですが…全然ダメだな…片面的にしか人を見れないなんて…)
「(先生は昔、援交して捕まったんだ)」
「(ただの屑じゃないですかッ!!??)」
「(失礼だろお前…一度や二度や三度や四度や五度や六度の過ちで人をクズ呼ばわりなんて…)」
「(六回も!? そんなにやってるんですか!? クズどころかドクズですよ!? 教師の鏡なんてよく言えましたね!? というか今の会話の中でどうしてそういう結論に行きつくんですか!? 察せませんよ絶対に!?)」
「(生徒に対して真剣に取り組んでいたらそういう関係にもなるだろ…?)」
「(自分の生徒にお金払って手を出したんですか!? ホントよくも教師の鏡なんてよく言えましたね!? どうしてそんな犯罪者を雇ってるんですかあの高校は!? 異常ですよ!? 絶対に異常です!!!)」
「(まったくお前は…六度くらいの過ちでそこまで騒ぐなんて…狭量な奴だ…その点うちの高校は例え昔全裸で走り回って捕まっていようが…痴漢の常習犯で捕まっていようが…下着泥棒で捕まっていようが…盗撮で捕まっていようが全然気にしないで雇う寛大な場所だよ…自分の高校ながらなんだか誇らしいな…フッ)」
「(あそこの教師全員捕まってるんですか!? 全員前科持ちなんですか!? もしかしてあれですか!? 社会復帰した後の留置所代わりに使われてるんですかあの高校は!? ただのクズの掃き溜めじゃないですかああああああああああああああああああああああああああああ!!??)」
トイレブラシが少年の頭の中で絶叫する頃にはちょうど両者は担任教師の家にたどり着いた。
「先生…すみません突然訪ねて…」
「いや…その…構わないが…ど…どう…どうしたんだ突然…」
教師の家の前に着いた少年はインターホンを鳴らした、が教師は中々出て来ず七度目のインターホンでようやく姿を現した。
「あ…もしかして何か取り込んでたりしますか…?」
「い…いや…ぜ…ぜぜぜ…全然…取り込んでたりしないぞ…ああ…大丈夫だ…」
出てきた教師は明らかに挙動不審だったが短く刈られた角刈りの頭を手でガリガリと掻き毟りながら口笛を吹き少年の前で平静さを装っていた。
「そうですか…じゃあちょっと話を聞いてもらえますか…?」
「…話…?」
少年は教師に嘘の事情を話し出した。
「実は…グス…海外に住んでる叔母が…ステーキと間違えて…靴底を…う…食べてしまい喉に詰まらせて死にかけているという連絡を受けまして…グス…うう…うええええええええええん……」
(…勇者様…もうちょっとちゃんと考えた方がいいですよ…いくらバカ教師とはいえこんな程度の低いありえない嘘に騙されるわけが……ああでも…勇者様の血縁者ならありえることなのかも…いや流石にないか…それにしても勇者様……泣く演技下手だなぁ…)
「…うう……そ…グス…そんな…悲しいできごとがああああ…うぇええええん…」
(正真正銘のバカは格が違いますね…)
教師は少年につられるようにして号泣しだした。
「そ…それで…俺…海外に急遽…急用で行けない両親の代わりに行くことになって…でも…でも…そうなると…学校を休むことになってしまいますよね…」
「うう…そうだな…どのくらいの間…海外に…グス…滞在する…予定なんだ…」
「わ…わかりません…うう…でも…でも…かなり…長い…期間に…なると…思うんです…うう…なにせ…なにせぇ…最愛の…叔母ですからあああああ…うおおおおおおおおおん!」
「そ…そうだよなあああああ……わかる…わかるぞ…先生も…昔…パン…パン…を…喉につまらせたことがあってな…救急車で運ばれた…あれは苦しかった…」
(……なるほど…この人も…でもパンなら靴底よりはマシですね…)
「せ…先生もですか…パンを…」
「そうだ…女の子のパンティを喉に詰まらせたんだ」
(マシじゃなかったあああああああああああああああああああ!?)
「先生…ここからが…本題なんですが…その…俺…」
「わかってる…皆まで言うな…休学届だな…」
(……はぁ…はぁ…いちいちツッコムのが…つらい…でも勇者様の方がずっとつらいんだろうな…休学してまで…異世界に行くってことは…きっと大きな痛手になるはず…確かこの日本って国は学歴社会で成り立っているはずですからね…それに出席日数とか高校にはあるはずですから…もしかしたら進級に響いてしまうかもしれませんし…無理してるんだろうな…無理してまで一世一代の取捨選択をしてるんだ)
「いえ海外行ってる間ずっと俺が出席しているってことにしてくれませんか…?」
(無理してなかった!? なんて滅茶苦茶なお願いしてるんですか流石に無理でしょうそれは!?)
「……いや…流石にそれは…できないな…」
(そりゃあそうですよね…流石にそれは無理ですよね…当たり前ですけど…)
「そ…そんな…」
「すまないな…優等生…」
うなだれる少年の肩に教師は手を置くが決して彼の願いにはイエスと言わなかった。
「…本当はお前の願いを叶えてやりたい…だが…俺は教師という職業にまだ誇りを持っているんだ…だから不正はできない……いや…偉そうなことは言えないな…俺みたいな奴が言っても説得力のかけらもない…お前も知っているとは思うが…俺は過去に色々とやらかしちまっているクズ野郎だ…だがな…だがこんな俺だからこそ分かる最後の踏み越えちゃいけないラインてのがあるんだ…お前の言うそういった改竄行為は俺を拾ってくれた高校に対する最大の裏切り行為になっちまうんだよ…それをしたら俺はきっと外道に堕ちるだろう…」
「先生…」
「俺は…最後の一線だけは超えたくない…わかってくれ…」
「いえ…俺の方こそ無理言って…すみませんでした…」
「いいんだ…気にするな…」
「先生……やっぱり先生はすごいですね…いくら可愛い生徒の頼みだからって易々と引き受けたりなんかせずに大人として分別のある行動がとれるなんて…俺も先生みたいに不正を憎む大人になりたいです!」
「なれるさお前なら…なぜならお前は俺なんかと違って過去に過ちなんか犯していない…いやたとえこれから先過ち犯してしまったとしてもお前なら俺よりもずっと早くそれを糧にして前よりも強く立派な人間になれるだろう…なにせお前は俺が教えた生徒の中でもトップクラスに優秀だからな…それにひきかえ…俺は更生できた今でも過去の過ちを悔やみつづけている…情けない奴さ…」
「そんなことありませんよ! 過去を見つめて反省出来るだけで十分に貴方は俺にとって尊敬に値する素晴らしい人格者だ!」
「優等生…」
「だから…そんな風に自分を卑下しないでください…そうじゃないと貴方を追いかけている俺は…」
「…優等生…すまなかった…そうだよな…こんな俺でも慕ってくれるお前みたいな奴がいるんだからな…今日の事を切っ掛けにこれからは今まで以上にちゃんと自分を見つめて、そしてそのうえでしっかりと自分を誇れるように生きて行くよ…そうじゃないとお前に申し訳が立たないもんな…」
「先生…」
「ありがとう優等生」
「そんな…俺の方こそ…ありがとうございました!」
(なんだ…ちゃんと教師っぽいところもあるんですね…過去の行いも反省してるみたいですし…)
少年の願いを大人らしくキッパリと断り、過去の行いを反省し更生している様子の教師をトイレブラシは少し見直した。
「それじゃあ立派な教師としてお前に休学届の書き方を教え…」
「あー! パパじゃん☆! 外で待っててくれたのぉ~?☆」
教師が少年に休学届の書き方を教えようとしていると不意に少女の声が割って入った。
「パパ?」
少年は復唱しながら声のした方に振り向くとそこには日焼けした黒い肌と染めてから時間がたったからなのか金髪に黒い髪が混ざったボサボサのロングヘアーにパーマをかけた中学生ほどの少女が立っていた。
「ひゃあ!?…い、いや…これは違うんだ優等生…この子は…その娘…そう娘なんだ!」
「え…でも先生って独身じゃ…」
「いや…あれだ…か…かか隠し…か…隠し子…てきな…」
「もう~パパったらぁ!☆ 早速プレイに入っちゃってるわけぇ~!☆」
「プレイ?」
少年は少女の言葉を復唱しながら教師を見つめる。
「いやぁ…プレイ…プレイっていうか…その…そう!…ゲームの話だよ!…ゲームをプレイするっていう意味合いだよ…わかるだろ…?」
「あっパパ!☆ 今日のプレイは三万円だからね!☆」
「三万円?」
再び復唱しながら教師を見つめる。
「げ…げげげ…ゲームの…賞金の話だ…立派な教師だってたまには賭け事がしたくなるときがある…だろ?…な…?…あはは…」
「それにしてもパパったら娘になりきってあげないとおっきくならないんだもん!☆」
「おっきくならない?」
少年の語気と視線はさらに強まる。
「おおおお…おっきく…ならないっていうのは…その…なんだ…大きく…立ち上がって…ゲームをしてるんだよ…エコノミークラス症候群に…なったら大変だからな…な?…大変だろ…?」
「近親相姦プレイが好きだなんてパパったらほんとにHENTAIさん☆!」
「きんし…」
「ゆみちゃあああああああん!? ちょっと先にパパのおうちに入っててくれるかなあああああああああああああああああああああ!!??」
「きゃ☆!? もうパパったら超強引☆!」
少年が復唱する前に教師は急ぎ少女を掴み家に押し入れ扉を厳重に閉めた。
「はぁ…はぁ…はぁ…いや~…実は…あの子は親戚の子供でな…たはぁ~困るんだよ最近ませちゃって…ああいうこと言い出しちゃってもう…ほんと困ってるんだよ…たまに遊びに来るんだけど…今日祝日だから来ちゃったんだろうな…うん…きっとそうだ…」
教師の顔は冷や汗でびしょびしょになり目の瞳孔は開ききっていたが頑なに真実を隠し通した、がやはり隠蔽は叶わず再び閉めた玄関の扉の中から少女の甲高い声が漏れてきた。
「きゃあ~☆! ゆみジャン☆! あんたもパパに呼ばれたの☆?」
「ああ~☆! かなちゃんたちもぉ来てたんだぁ☆!」
「ってかパパはどうして入ってこないのかなぁ☆?」
「わかんな~い☆! お外で男の人と話してたよぉ~☆!」
「そうだ☆! みんなでドア開けてパパを呼ぼうよ☆! そうすれば中に入ってくるかも☆!」
「え!? ちょ!? ま!? パパすぐに行くからドア開けちゃらめえええええええええええ!!??」
教師は中の少女たちを制止しようとするも、もはや手遅れだった。
「「「パパ~早く来てぇ~☆☆☆」」」
内側から開け放たれた玄関の中にはきわどいビキニ型の水着を着けた浅黒い肌に金髪といった先ほどの少女と似た十人以上の少女たちが教師を呼び込むべく手招きをしていた、もちろんそれも異常かつ問題のある光景だったが一番少年の目を引いたのは玄関の天井に吊るされていた文字の書かれた垂れ幕だった。
「祝日だけど娘たちに迫られてズッコンバッコンファッキンハーレムヌルヌルローション祭り開幕」
少年は書かれていた文字を読み上げながら心から尊敬する教師を見たが、そこには白目をむきながら涎を垂らして絶望する三十を過ぎた変態オヤジしか存在しなかった。
(おまわりさああああああああああああああああああああああん!!!! このクズ全然更生してないですよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!??)
トイレブラシは今まで黙っていた分声を張り上げ心の中で絶叫した。
「先生…」
「ち…違うんだ…優等生…違うんだ…違うんだああああああああああ!!!」
「先生…」
「頼む通報は勘弁してくれええええええええええええええ!!??」
「大丈夫ですよ…先生」
「…え…優等生…?」
「先生…俺…いいと思いますよ…」
少年は教師を安心させるように菩薩のような慈愛に溢れる笑顔を向けた。
「ゆ…優等生…」
心の中で絶叫しながら非難するトイレブラシを尻目に少年は教師の肩に手を置きながら肯定するように優しく声をかけた。
「通報なんかしませんよ…俺と先生の中じゃないですか…だから…ね…ごにょごにょ…」
声をかけると同時に教師の耳元に何かを静かに話し出した。
(なにやってるんですか勇者様!? 早く通報してくださいよ!!!)
少年の静かな語りを聞き終えた教師は頷いた後、キリッとした顔に戻り再び自分の生徒に向き直る。
「優等生ッ!!!」
「はい先生ッ!!!」
「お前はッ!!! 明日ッ!!! 以降もッ!!! 学校にッ!!! 通っているッ!!! たとえ姿は見えなくてもお前は確かに学校に通っているッ!!! たとえ誰一人目撃しなくてもお前は出席しているッ!!! 休むことなく皆勤賞をとる目前まできているッ!!! 成績だってこれからもトップ!!! たとえテストの時にいなくてもずっとトップ!!! 確実にトォォォォォォォォォッッップ!!! そういうことだなッ!!!」
「先生は親戚の女の子たちを善意で家にあげ遊んであげている優しくて立派な人ですッ!!! たとえパパと呼ばせていようがお金をあげていようがきわどい水着を着けさせていようがローションにまみれさせてていようが祝日だけど娘たちに迫られてズッコンバッコンファッキンハーレムヌルヌルローション祭りを開催していようが関係なく教師の鏡ですッ!!! そういうことですねッ!!!」
(げ、外道に堕ちましたよおおおおおおおおおこのクズ教師!!?? 超えちゃいけない最後の一線超えちゃいましたよ!!?? 勇者様も勇者様です!!! 不正を憎む立派な人になるんじゃないんですかああああああああああああああ!!?? これじゃあ立派にクズの仲間入りじゃないですかああああああああああああああああああああああああ!!??)
二人は固い握手を交わすと下卑た笑みを浮かべて笑い出した。
「「ゲハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!! ゲヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!」」
(さ、最低だ! 最低な取引を目撃してしまった! これはさながら時代劇の悪代官と越後屋の取引、いや悪代官や越後屋だってこんな酷い笑い方しませんよおおおおおおおおおおおお!!?? 頭が悪い上に性格まで最悪だこの二人ッ!!!!)
「ゲへへ…それじゃあ先生そろそろ俺は行きます…」
「グへへ…ああ…道中気をつけろよ…あと他の教師達の事も俺に任せておけ…もし奴らが何か言ってきたとしても俺がなんとしてでもごまかす…なにせ奴らの弱みはすでに握っているからな…」
「ありがとうございます…先生も…どうか気をつけて…あの子たちはなんか…バカっぽいので…」
「わかっている…細心の注意を払うさ…」
「それではまた…」
「会うその日まで…」
「「あでゅー!!!」」
互いにサムズアップを決めると夕陽を背に二人の男はそれぞれの道を歩き出した。
「(最低ですよ勇者様!!! 超最低です!!! なにがあでゅーですか!?)」
「(うるさい黙れ便所ブラシ如きが男同士の交わした約束…いや契約に口を出すな!…安心しろ次はお前との契約を結んでやるぜ! ゲハハハハハハハ!)」
「(あんなゲスい契約の後に神聖な契約を執り行わなければいけないなんて…うう…)」
「(それで…?…どこでやんだよ契約とやらは…さっさと済ませてファンタジーしに行こうぜ!)」
「(…勇者様の周りも十分ファンタジーですよ…はぁ…私と初めて会った場所を覚えていますか…?…そこに向かってください…あそこの周囲なら人気はないですから…そこで執り行います…)」
「(よしわかった)」
少年は言われた通り黙々と歩き目的地に向かっていたが途中で不審な人物と擦れ違った。
「らりりん♪ らりらり♪ らりってる♪」
股間をボロ布一枚で隠していること以外は全裸の人物が奇妙な踊りを踊りながら少年の横を通り過ぎて行った。
「(……なんですか…あれ…)」
「(ああ…あれか…ラリッテル教の教祖だよ)」
「(…ラリッテル教…なんですかそれ)」
「(田舎にありがちな変な新興宗教だよ……まあ宗教つっても教祖だけで信者なんかいねーんだけどな…ああやって歩きながら踊り狂ってるか、近所の公園でよく教義について誰もいないのに演説してる…)」
「(つまり…あれな人なんですね…)」
「(そういうことだ…それにしてもあんなわけわからん宗教じゃ余程のバカでもなきゃ引っかかんないだろうに…インテリとしては理解に苦しむよ…)」
「(世界を救った後引っかからないように気を付けてくださいね勇者様!)」
「(どういう意味だてめぇ!?)」
多少の口喧嘩を挟みつつも両者は目的地付近にたどり着いた。
「止まってください勇者様…あともう周りには誰もいないはずですから普通にしゃべっても大丈夫だと思います…それでは…ここで契約の義を執り行います…」
「よしきた! それで俺はなにすりゃいいんだ…?」
「私を利き腕以外の手で掴んでください」
「利き腕以外…?…なんでだよ…?」
「契約してしばらくの間は安定するまで私を掴んでいないといけないからです」
「なんだと!? それじゃああれか!? 便所ブラシ掴んだまま異世界に行かなきゃなんないってことかよ!? 嘘だろ!?」
「我慢してください! しばらくの間だけですから! それと私は聖剣です!」
「うぐぐ…」
「エルフに会えなくなりますよ…」
「グッ……わーったよ!…握りますよ…清掃員になりますよ…」
少年はリュックから取り出したトイレブラシの柄を左手で握った。
「…勇者様…それ私じゃないですよ…」
「あれ…ほんとだ…母ちゃんが百均で買ったやつを俺のリュックの中に入れやがったんだな…中が暗くてよく見えなかった…しかし…お前とそっくりじゃねーか…」
「そんなことありません! 私の方が気品に満ち溢れています!」
「いや変わんねーだろ…ま…いいや」
少年は喋らない方のトイレブラシをリュックに戻すと今度こそ喋るトイレブラシを左手で握った。
「それでは…始めます…」
トイレブラシが少年の聞いたことのない言語で詠唱を始めると彼の体全体を万遍なく暖かな光が包み込む。
「おお!…なんて暖かく神々しい光なんだ…」
全ての詠唱が終わるとトイレブラシが光に包まれた少年に最後の確認を求めてきた。
「勇者様…それでは最後の確認です…本当に私と共に異世界救済に力を貸していただけますか…?」
「フッ…いいだろうこの俺の偉大な力を貸してやるぜ!」
「では同意の宣言をお願いします」
「同意の宣言…?」
「はい…私の問いに対して貴方の口で契約に同意すると宣言してください…両者の合意を示す最後の確認です…」
「わかった」
「それでは問います…貴方は私との魂の契約に…同意しますか…?」
少年は深呼吸をすると叫ぶように言い放った。
「同意するッ!!!」
この瞬間光はさらに強く少年を覆い、そして契約の名のもとに名もなき一人の少年は勇者へと生まれ変わった。