4話
映し出されたテレビの画面には周辺に生えた草木の陰から先ほどのコンビニの中の様子をうかがう少年の姿が捉えられ、また、映された彼の顔には尋常ではないほどの脂汗が浮かび、血走った眼は泳ぎ、先ほど地獄から逃げ出し見事生還を果たした人間とはとても思えないほどに緊迫した表情を見せていた。
「……財布……落としてしまった……」
コンビニから逃げ出す際に店内の商品が羅列された棚に激突したその時に少年の財布はズボンのポケットからスッポリと抜け落ち、そのことに気づき急いで引き返してきた所であったが、中の現金が心配なのはもちろんだがそれ以上に彼の感情を揺さぶったのは別のことであった。
「…マズイ…マズイぞ…財布の中には大量のポイントカードと共に学生証とか保険証とかが入っている…これはマズイ本当にマズイ…あのコンビニヤクザにもしそれらが見つかったら…俺だけじゃなく家族一緒にドラム缶で海底大冒険をしなくてはいけなくなる……なんとか…なんとかしなくてはッ…!!」
少年は木陰からさらにコンビニに接近し中の様子を伺った。
「…奴は…いるか…?……いないな……さっきの金髪しかいない…チャンスだ…ッ!!」
千載一遇のチャンスと思ったが、出来ればさっきバカにした金髪の店員とは顔を合わせたくない小心者の少年は気づかれずに中に入る方法を思案するもなかなか妙案が思い浮かばなかった。
「誰かの後ろに隠れて一緒に入るか…?…でも俺の体を隠すような大柄な人じゃなきゃ無理だよな…」
そんな都合よく自分の思いどおりにいくわけはないと半ば諦めていた少年だったが、その時まさに彼の理想の人物が横を通り過ぎて行った。
「…マジかよ…天は俺に味方をしているようだッ…!!」
一瞬チラッと見たその人物はニット帽をかぶり、無精ひげをはやした巨漢とまさに今の少年には理想的な人物で、急いで背中に隠れ背後から感謝の気持ちを両手を合わせて表し店内に共に侵入した。
「……なんとか侵入出来たな…あとは財布を探すだけだ…!」
店員に見つからないように体を屈めて商品棚に隠れるようにすると、這いつくばりながら財布を探し出すもなかなか見つからない。
「なんでないんだよッ! どこいった!? クソッ!!」
苛立ち始めた少年は商品棚に八つ当たりまじりに殴りつけると商品が床に一斉に音を立てて落ちる、と同時にレジの方角から怒声が聞こえてきた。
「おいッ!!!」
「ひぃッ!? す、すいませんッ!!」
レジからの自分への怒声だと思いすぐに謝った少年だったが、声が先ほどの金髪の店員とは違い野太い男の声だったため疑問に思いレジの方向に静かに移動し、こっそりと物陰から様子を見る。
「…え…?…なにこれ…マジで…?」
少年が背中に隠れて一緒に店に入ったニット帽をかぶった巨漢が金髪店員にナイフを突きつけていた。
「これにレジの金全部入れろッ!! 早くしろよッ!! ぶっ殺されたくなければなッ!!!」
先ほどの声は店員を脅すための声だったのだと少年は納得するも、状況を把握すると体が痙攣をし始め自身がどんな事態に直面しているかがはっきりと彼の脳内を支配する。
「ご、強盗だ……ど、ど、ど、どうしよう…」
少年がうろたえている間にも店員は強盗が持参した黒い革製の大きなバックにレジの金をおぼつかない手つきで入れようとしていた。
「財布探してる場合じゃない…け、警察に連絡しなくては…!」
ポケットからスマートフォンを取り出し、震える手で番号を押す。
「えっと確か警察は…119番だ! ふう~ッ!! こんな状況なのに俺はなんて冷静なんだッ!!」
しばらく呼び出し音が鳴り、通話先の相手とつながる。
「はいこちら…」
「急いできてくれッ! 緊急事態だッ!」
「え…?…急病に」
「そうだよッ!! とにかく早くッ!!」
「わかりました! それでは場所の住所をお願いします!」
「〇〇県〇〇町〇〇の324-12番地の歩道橋近くのコンビニだッ!」
「…はい、わかりました! それで患者の…」
「…ん…あれ…電話が切れた…しまった…電池切れかよ…まぁ場所は伝えられたし、じきににパトカーがここに来るだろ…!…それまで何をするかが問題だな…」
小声で興奮気味に電話の相手をまくし立てた少年は自分は冷静に事態を処理できていると思い込み、興奮も冷めぬうちに強盗の様子を見て、次の手を打とうと思案を始めた。
「…隣のレジからも金を出そうとしてるのか…これならちょっとは時間をくうだろうけど…あんまり長くはもたないな…なんとか時間を稼がなければ…いや…ちょっと待てよ…時間なんか稼がずに…俺が捕まえればいいんじゃないか…そうすればパトカーが来た時に俺の活躍が警察に伝わり…賞が…ノーベル平和賞が貰えるはずだッ!…そして俺の名があらゆる場所に轟くッ!…なんとしてでも捕まえなければッ!!」
自分の表彰される姿をよだれを垂らしながら妄想すると、なんとしても捕まえるべく少年は強盗を捕まえるための作戦を立て始めた。
「まず奴を無力化する方法を考えないとな…ナイフ持ってるし…隙をつくようなことでもしないとな…別に怖くはないけど…そのままでも全然いけるけど念のためだ…さてどうするか……ん?…あれは…」
なにか使えるものはないかと周囲を見渡すと入口近くのレジ付近にあるものを発見する。
「電気ポッドか…あの中のお湯を強盗にぶちまければ…幸いあいつは奥の方のレジにいるし…でもそれだけでは無力化は無理っぽいような…他に何かないか…電気ポッドを使ってうまく奴を倒す方法…電気ポッド…電気…ポッド…電気……そうだッ!…電気だッ!」
少年は強盗撃退作戦の全容を明確に頭の中に描き始める。
「まず奴が金を全てバックに入れ終わった時、間違いなく入口近くのレジの前を通って店を出ていくだろう…その時、レジ近くに隠れた俺が電気ポッドのお湯を奴の顔めがけてぶちまける…驚きと熱さで当然奴の動きは止まる…そこで仕上げに延長コードで繋がれた電気ポッドのコードを使う…ハサミで切って電線を露出させたコードだ…当然コンセントに刺さった状態のな…そしてお湯で濡れた奴の服めがけて電線を…ククク…完璧だ…なんて悪魔的な作戦なんだ…!…おっとあまり時間は無いな…急いで準備だ!」
見ると強盗の作業はもう終わるまでさほど時間を必要としないところまできており、安堵の気持ちからか、店員のわずかばかりの抵抗か恐怖によるものかわからないもたついた動きに最初は苛立った様子だった強盗も落ち着きを取り戻し、キョロキョロと周囲の様子を見渡していた最初の頃よりは少年にとって強盗の目を盗んで動きやすくなり、最後のチャンスとばかりに急ぎ作戦の準備を整えた。
「よ~し準備完了だ…いつでも始められるぜ…!…来やがれ豚野郎…お湯を顔面にくらい、のたうちまわった後…電流を流され白目をむき泡を吹いて失神しやがれ…そして豚箱に入るがいい…!」
少年が準備を終えると同時に強盗の作業は終わり、予想どおり入口近くのレジの前を通ろうと早歩きで向かってきたため電気ポッドの蓋を外し、タイミングを合わせるように深呼吸をして待つ。
「………よし、今だッ!」
勢いよく立ち上がると電気ポッドを持ち上げ顔めがけてお湯をぶちまける、するとお湯は見事に頭から顔にかけて綺麗にかかりコンビニに絶叫が響き渡った。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!」
そして見事に熱湯を頭と顔に浴びのたうち回る無様な少年の姿がそこにはあった。
「な…なんだおまえは…」
強盗は突然現れ自ら熱湯をかぶった少年に引き気味に疑問の言葉を投げかけるも少年には届かない、それどころか、あまりの熱さに我を忘れ床や商品棚に頭をぶつけてしまい、額から鮮血がほとばしる。
「くわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「な…なんなんだよ…こいつは!?」
強盗は奇声をあげながら額から血を流す少年を見てさらに混乱の言葉を口にしたが、そんなものは序の口といわんばかりに少年の奇妙な動きは強盗の予測を遥かに上回る。
「ノ…ノ…ノーべ…ノーベ…ノノ…ノーベル賞…ノーベル賞」
「なッ!? く、来るなッ!! ち、近づくんじゃねぇッ!!」
立ち上がり額から血を流したままうわ言をつぶやくようにゾンビにも似た緩慢な動きで強盗に迫っていくも、強盗の方も興奮気味にナイフを構え威嚇する。
「ノ…ノ…ノ…こ、こふ……」
「…え…?」
強盗に迫っていくかに見えたが少年は意識を失い、先ほど自身がつくり出したお湯の水たまりに背中から倒れこもうとしていた、がさらに少年の悲劇は続く。
「ぴゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
水たまりに倒れた少年は先ほどよりも大きな声で絶叫し痙攣したのち口から泡を吹き、白目をむいて今度こそ完全に気絶して動きを止めた。
「……結局なんだったんだ、こいつ…」
強盗は少年に懐疑の目を向けるも、逃げるのが先と判断したのか少年を跨ぎ出口に向かおうと水たまりに足を踏み入れたが、次の瞬間思いがけないことが彼を襲った。
「ああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
絶叫が店中に響き渡った後、強盗の巨体が少年の体にのしかかるように倒れこんだ。
金髪の店員が確認しに行った際にわかったことだったが、二人が倒れこんだ水たまりには、少年があまりの熱さに暴れまわった際に床に落ちてしまったと思われる用意していた電気コードが火花をちらして水に浸かっていた。
店員は電気コードを処理すると、警察と救急車両方に連絡しようと電話に手を掛けたが、その時サイレンの音と共に1台の救急車がコンビニの前に到着した。
「急病人がこちらにいるとの通報を受けたのですが、どこでしょうか?」
「…え…?…えーっと……そこに…」
「こ、これは酷い…急いで病院まで搬送しなければ」
店員が指をさした場所には額から血を流し白目をむき泡を吹いた少年や、同じような状態の強盗が大の字で寝ころんでおり、図らずも少年が呼んだ救急隊員は事態の緊急性を再確認すると急ぎ患者を荷台に乗せ病院まで搬送しようとしたところで映像は終わり、トイレブラシが茶化すように少年に声をかける。
「いや~華麗な撃退でしたね~! 勇者様!」
「……そんなバカな…ありえない…」
「それにしても凄まじい記憶の改竄ですね! 電気ショックの影響ですか?」
「……認めない…認めないぞッ!…こんな無様な姿を俺がさらすはずがないッ!!!」
「往生際が悪いですよ! あの後コンビニの店員さんが警察に勇者様の財布を届けて、警察の人がそれを渡すついでに勇者様に危ないことをしないようにと厳重注意してきたでしょう?」
「……確かにされた……いやしかしあれは俺の渾身の右ストレートが犯人に決まったせいで犯人が大けがをしたからだと…その時に財布も落としたものだと…バカな…俺の記憶が間違っているというのか…」
「それだけじゃないですよ、勇者様はあの後強盗のあったコンビニに行ってないですよね?」
「……行ってないが…それがどうしたんだよ…」
「それは勇者様が無意識にヤクザみたいな店長のことや、そこであった苦々しい思い出を覚えているからその店を忌避しているという確固たる証拠です! 間違いありません!」
「……こんなイケメンでスタイリッシュな俺が…ありえない…あってはいけないこんなこと…」
「あははははははッ! もうやめてくださいよぉ~! ただでさえさっきの映像が爆笑もので笑いをこらえるのに必死だったのにぃ~! い、イケメンだなんて、ブッ! ククク、あははははははは! 勇者様ナイスジョーク! もう! 冗談は顔だけにしてください! あははははははは!」
トイレブラシの笑い声と罵倒に近い称賛の言葉は少年の怒りに火をつけ、見る見るうちに顔は赤く染まり血管が浮き出て、まるで怪物のように表情を豹変させた。
「勇者様のスタイリッシュジョーク最高です! あははははははははははッ! あは…あれ…勇者様…なんか…お顔が…とってもスタイリッシュになって…ますよ…?…あはは…」
「…そんなに面白いか…てめぇコラ…!…そんなに笑いたけりゃあよぉ…!」
「…え…?…いや、まさか…また外に投げ飛ばすつもりですか!?」
「そうだよそのつもりだよッ! なんか文句あるかッ!!」
「フフフ…残念ながらそうはいきませんよ…」
「な、なんだよ…その変な含み笑いは…」
「私がなんのためにさっきの映像を勇者様に見せたか…わかりますか…?」
「…俺をバカにするためだろう…?」
「もちろんそれもありますが…それだけではありませんよ…フフフ」
「もったいつけずに言いたいことがあるならハッキリ言えッ!」
「そうですか…それでは…あの映像……他の人に見せたらさぞおもしろいだろうなぁ…」
「て、てめぇ…まさか脅すつもりかッ!」
「そんな脅すだなんて…ただ…学校では秀才(笑)の勇者様ですからね…他の人…特に学校に通ってるお友達に見せたらどんな反応を見せてくれるかな…とふと思っただけですよ…フフフ…」
「だからそれは脅しだろうがッ! 何が目的だッ!」
「あー私と契約してくれる人誰かいないかなぁ…」
「こ、こいつッ!? なんて白々しいッ!!」
横目で見るように少年をチラチラと見ながら契約しなければこの映像をばら撒く、とトイレブラシは暗にほのめかし始めた。
「なんなんだお前はッ! なんでそんなに俺に契約してもらいたがるんだッ! いくら俺が勇者としてふさわしくてイケメンで頭が良くて聖人のように性格がいいからって限度ってものがあるぞッ!」
「全てまったく当てはまってないと思いますが…すみません詳しくはどうしても話せないんです…まぁ世界のためってこともあるんですが…一番の理由は私個人の疑問というか納得できないことがあって…勇者様ならその答えを出せると思うんです!…私としてもまったくもって不本意なんですが…」
「なんだその抽象的な理由はッ! そんな理由でお前みたいな小汚い便所ブラシと契約しろってかッ!」
「はいぜひお願いします」
「断るッ!」
「そうなりますと明日の朝、体育館で行われる全校朝会で校長先生の長ったらしい話の最中に勇者様の華麗なご活躍がフルスクリーンで流されることになりますね…オープニングの曲は激臭キモラブソングストーカーさんが考えた素晴らしい曲を使わせていただきたいと思います」
「こ、この野郎ッ! なんて悪質な! お前絶対友達いないだろッ!!」
「フフフ…なんとでも…さぁどうしますか?」
「くッ…………いいだろう…契約してやるよ!」
「わーい! わーい! やった! やった! ついにうまくいきました! もうほんとに手間をかけさせないでくださいよ! あーめんどくさかった!」
「…………なんか悪かったな、手間をかけさせて…」
「……え…?…な…なんですか急に…気持ち悪いです…」
「いや、なんかさ…よくよく考えたら世界のためにお前はここまで来たんだよな…遠路はるばる異世界から…わざわざ…こんな田舎まで」
「……ええまぁそうですが…なんですか…?…何を企んでるんですか…?」
「別に何も企んでなんかいないさ…俺はお前に逆らえないし…だからさ…どうせ契約するんなら関係を改善するところから始めようぜ?…俺たちは出会い方がちょっと悪かったからな…」
先ほどまでの雰囲気とは違い優しげに語りかけてくる少年をいぶかしげに見つめながらトイレブラシは真意を知るべく言葉を返す。
「…まぁ関係の改善はこちらも望むところではありますが…」
「そうだろう! まずは俺から謝らせてくれ、暴言ばかり吐いてすまなかったな…」
「え!?……いえ…こちらこそ…すみません…」
「よし! これで仲直りだ!」
「……はい…」
釈然としないながらも穏やかに微笑みかけてくる少年の笑顔を見ているともしかしたら本当はいい人なのかもしれない、今までの事は彼が一生懸命やった結果ああゆうものになっただけで彼自身は善人なのでは、という思いと自分が脅迫に使ってしまった映像に対する罪悪感がトイレブラシを襲った。
「それにしてもお前の能力はすごいな! 魂の記憶を記録できるなんて! 万能じゃないか!」
「……いえ…そんな万能ってわけじゃないですよ…記録するには素手で私に5秒以上触れてなくちゃいけないので…何かで手を覆えば読めませんから…それに全ての記憶が読めるわけでもないですし」
「へぇ~そうなのか…」
「…あのぉ…」
「どうした?」
「……必要に迫られたとはいえ脅迫してしまって…すみませんでした…」
「いいんだよ! 気にすんなって! 俺が間抜けだったってだけなんだからさ!」
(なんだろう…私がすごく性悪に思えてきた…す…すごく居心地が悪い…)
「……勇者様…先ほどの映像記録なんですが…すぐに消しますから…」
「なんでだよ? 消さなくていいって! 俺自身いい教訓になったしさ! それにもし今後俺が過ちを犯しそうになったらその映像を見せて俺を止めてくれ! 信頼してるぜ!」
「もう、もうやめてくださいよ! なんか私がとんでもないゲスに思えてきましたよ! 今すぐ消しますよこんな映像は! だからそのさわやかな笑顔はやめてください!」
「まったく気にしすぎだって! だけどさ…お前も俺の事少しは信頼してくれるとうれしいな!」
「……わかりました…私も勇者様を信頼します! その証としてこの映像は消します!」
「……そうか…そういうことなら…俺も誠意に応えないとな!」
「では…今消します…契約はその後お願いします」
「今じゃなくていいのか?」
「今契約したら私が罪悪感で押しつぶされますから…」
「そうか、わかった!」
「では…はぁッ!」
ベットの上で隣り合うように座ると一人と一本は互いに信頼の言葉を口にし、トイレブラシはそれに応えるように全身から光でできた映像のフィルムのようなものを空中に出し、そしてそれを破裂させた。
「はい…これで記録は完全に消去しました! じゃあ次は契約ですね!」
「…………………ク…………………」
「クってなんですか?……勇者様…?」
「ククク…クフッ! クハァァ! ゲハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
「なんなんですか! そのゲスい笑い方は! まさかッ!」
「そうだよ! そのまさかだよ! 契約なんてしーまーせーんー!」
「な! 誠意はどこにいったんですか!」
「誠意って言葉は人間様に対して使われる言葉であってお前のような下等な掃除用具風情には過ぎた言葉なんだよッ! バーカッ! バーカッ!」
「グググ…ひどい…ひどすぎます…信頼の言葉を口にしたくせにッ! この国の人は一度交わした約束や信頼を守る人情というものを持っていると聞きましたッ! 特に男の人はそういうのにこだわったり、大切にしたりするんじゃないんですかッ!? 恥ずかしくないんですかッ!」
「人情だとッ!? 人の事脅しといてよくもそんな言葉ぬけぬけと吐けるなコラッ! だいたいよぉこの国だけじゃなく万国共通で男がやってることを俺はやったまでなんだよッ! 俺は悪くねえッ!」
「わけがわかりません! この国だって他の国だって男の人が約束を破ったらいけないはずです!」
「わかんない奴だな…つまりこうゆうことだよ…男がベットで囁く言葉なんてものはなぁ! 真に受ける方が悪いってことなんだよッ!!!」
「うわッ!…最低すぎますよッ!…それにその言葉は童貞には敷居が高すぎますッ!」
「うっせ黙れッ! もうお前に用はない! 窓の外に投げ飛ばしてやんよッ!」
「いいんですか! また触ったら読みますよ記憶!」
「バカめ! 直に触らなければいいんだろう? お前が教えてくれたからな!」
「くッ!…無い知恵を絞って誘導尋問してくるとは…迂闊でした…!」
「当然の結果だ、なにせ天才だからなッ! さぁ消え失せろッ!」
「こ、この程度の失敗では絶対に諦めませんからねえええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
少年は机からボロ布を取り出すと、右手に巻き付けそのままの勢いで布ごとトイレブラシを掴み窓の外の夕闇に向かって全力で投げ飛ばした。
「ふぅ…ようやく終わったぜ…」
急ぎ窓を締めカギをかけたが、休む間もなく続いて家の中のドアや窓に全てカギをかけるべく走りまわった、そして全ての事を終える頃には少年の体はかなりの疲労感に苛まれていた。
「つ、疲れた…しかし…これでもう入ってこれないだろう…少し…休むか…」
体を休めようとベットに横になったが、その時1階から母親の声が響く。
「ちょっと! 晩御飯よ!」
「…わかった! 今行くー!」
1階に降りていくとリビングのテーブルには食事が置かれ、備え付けられた3人分の椅子にはすでに母親といつの間にか帰ってきていた父親が座り少年を待っていた。
「まったく、あんたはドタドタさっきからなにやってんの!」
厳しく詰問してきたのは少年の母親で、年は50を超え背は低く体系は寸胴そして短く切られた髪はパーマがかかりさながら大仏のようで、典型的なおばさんそのものだった。
「まぁまぁいいじゃないか…はっはっはっはっはっはっは」
にこやかにそれをたしなめたのは少年の父親で、体系はやせ気味、背丈は母親より高く顔には丸メガネをかけた穏やかな顔立ちの人物で頭部が禿げかかっている以外はこれといって特徴のない人物だ。
「いろいろあったんだよ…」
「いろいろってなによ! まったくあんたは! だいたいなんなのそのボサボサの髪は! 坊ちゃん刈りか角刈りにしてきなさいってあれほど言ってんでしょうが!」
「うっせーな! 坊ちゃん刈りと角刈りなんて誰がするか! 母ちゃんこそその髪型やめろや! 大仏にしか見えねーんだよ! 恥ずかしいんだよ!」
「なに言ってんのよ、はじけるようなおしゃれパーマじゃない! あたしを見ておしゃれを少しは勉強なさい! そんなんだからあんたは彼女ができないのよ!」
「ババアの大仏パーマから学ぶものなんてなにもねーよ! 何がはじけるおしゃれパーマだ! 化学工場が爆ぜたあとみたいな髪型しやがって!」
「まぁまぁ二人ともその辺にして、そろそろ食べようじゃないか」
いつものように言い合いを始める二人を父親が慣れたようになだめ、食事が始まる。
(…はぁ疲れてあんま食欲ねえなぁ…あの便所ブラシのせいで踏んだり蹴ったりだ…今日はうまく撃退できたが明日はどうなるか…いやそれよりも心配なのは…本当に今日これで終わったのかってことだな…)
「…っと! ちょっと! 聞いてんの!?」
「……え?…ああ聞いてる聞いてる」
母親が何かしらのことを話しかけていたらしいが、上の空の少年は食事をとりながらもし部屋に戻った時またトイレブラシがいたらどうしようかと考えを巡らせていたため適当に相槌をうち聞き流した。
食事を終えると歯を磨き階段を上り部屋に向かうも、食事中に考えていた事が実現するのではないかと不安で階段を上る足はいつもより確実に遅かった。
「いや…家のドアとか窓は全部完全にカギをかけたんだから…大丈夫だ…きっと…」
長々と階段を上り、ついに少年は自身の部屋の前にたどり着いた、しかしドアノブに手をかける前に三度目になる部屋の中の異常に気づく。
「クソが! またかよ! あのゲロブタ肥溜め便所ブラシがッ! 今度という今度はもう許さん!」
少年は明かりの点いた自身の部屋でゴソゴソと音をたてている中の人物に悪態をつくと、上った階段を駆け下り一階に置いてあった熱湯の入ったヤカンとコップを持って再び階段を駆け上がる。
「侵入と同時に熱湯を便所ブラシにぶちまけてやるぜッ! 汚物はせんじょうだぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ドアを開放すると同時に中の侵入者に熱湯の注がれたコップを振りかぶり中身を叩き付け見事お湯は中の人物に命中したが、
「あははははははははは! ざまぁ! どうだ! 洗浄してやったぜ! まるで捨てられた小汚い大仏のようなお前をな!…………………ん…?……あれ……大仏……?…」
見事にお湯は命中し当たった人物は悲鳴をあげたが当たったのは予想したトイレブラシではなかった。
「……あんた…なにすんのよ………!」
スチールウールのような髪の毛をお湯で濡らし、横に太い寸胴体型をゆらしながらドスンドスンと音をたて鬼のような形相で少年の元に迫りくるのはトイレブラシなどではなく、少年の母親だった。
「か、母ちゃん…!?…な、なぜ………ここに……?」
「ご飯食べてる時に言ったでしょうがッ!!! ゴミを取りに来るってッ!!!」
「………い、言ってたっけ…?…そ、それよりもさ母ちゃん…」
母親の話を食事中に話半分に聞き流していた事を冷や汗をかきながら後悔しつつも何とか状況を好転させる糸口を探そうと必死に会話をつなげる。
「なによッ!?」
「お、お湯に濡れた姿も、と、とっても似合ってるよ! まるで、そうまるで妖怪、じゃなくて! ババアの、えーと、そうまるでババアのミイラ! じゃなくって! えーと、水の、そうだ! おぼれかけのセイウチ! もマズイよな、あはは」
「あんた何ッ!? ケンカ売ってんのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」
「悪気はなかったんだ、ゴメン母ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
「ま、待ちなさいよぉぉぉぉ! あんたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
少年は踵を返すと部屋から勢いよく逃げ出し、それを追いかけるように母親もドスドスと音を立て彼を捕まえるべく走り出すも、結果として騒動は夜遅くまで続き翌朝少年の顔はあざだらけになっていた。