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ミステイクファンタジー  作者: 鈴木拓郎
32/42

31話

「うわひゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!!?? 来ないでお願いィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!!???」

「グルァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!」

 勇者は夜の森をひたすらに走った、そしてその後ろには勇者をその鋭い爪で切り裂かんとする魔族が迫っていた。体内に魔結晶が生成されたことで自分自身で魔力を生み出すことが出来るようになった上に、トイレブラシからも莫大な魔力が常時供給されている現在の勇者は地球にいた頃に比べてはるかに身体能力が向上していた。その身体能力は当然走力においても発揮され、並みの人間程度なら追いつくことは不可能な速度も出せた、しかし――。

「グラァァァァァッ!!!!!!!」

「ぬわあッ!!!!????」

 咆哮と共に地面を一蹴りした魔族は一瞬のうちに勇者の目の前に移動した。

 驚いた勇者は走っていた足を止め、急ブレーキをかける。

 だがその反動で勇者は地面に尻餅をついた。

 そして地面に腰を下ろした瞬間、

「ひぇ……?」

 ヒュン、一陣の風が勇者の頭の上を掠るように通った。

 髪がパラパラと地面に落ち、勇者は気づく。

 棒立ちだった魔族の体勢が変わっていた。

 いつの間にか魔族の右腕が地面に突き刺さっていたのだ、勢いよく地面をえぐり突き刺さったその体勢、それはまるで腕を振り上げて渾身の爪撃を放った後のように見えた。

 何が起こったのかわからなかった勇者はわずかな静寂の後に理解する。

 パキキ、と音を立てて勇者の背後にあった一本の樹木が後ろに倒れた。ドシンと腹に響くように大き目の木が倒れ、勇者は思わず魔族から目を離しその木を凝視した。木は鋭利な斧で横なぎに切り倒されたようで、切り株からその切り口の鮮やかさがうかがい知れた。

 何が起こったのか、この時点では推測にすぎなかったが勇者は顔を青ざめさせる。

 そしてその推測が正しかったと確信させるように先ほどの樹木と同じように音を立てて勇者の後ろにあった木々たちの体勢が変わり始めた。ゆっくりと、だが騒々しく、木は悲鳴をあげるように倒れる。

 ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!!!

 勇者の背後にあったほぼすべての木々が轟音を立てながらバラバラになって崩壊した。

 勇者の後ろにあった木は、直線にして一キロほどの距離の中で全てなぎ倒されていた。

(……さっきの風は……やっぱり……)

 魔族の放った爪撃、勇者は確信し、

(……ふッ、おもしれえじゃねえか。こうなったら――)

 そして勇ましく立ち上がると――。

「助けてお巡りさァァァァァァァァァァァァァァァァァんッ!!!!!!!!!!!!!!!!」

 悲鳴をあげて逃げた。

「(何がおもしれえですかまったく……面白いのは勇者様ですよ……)」

「俺を褒めてる暇があったらさっさと詠唱を終わらせやがれッ!!!」

「(褒めてませんよ……ですが、詠唱はすでに終えていますッ!!!)」

 トイレブラシの叫びと共にブラシのスポンジから眩い光が溢れ出す。それを見た勇者は走っていた足を止めて振り返った。

「っしゃあッ! 食らえやッ!」

 追ってきた魔族が足の止まった勇者に飛びかかったその時、夜の森に閃光がほとばしる。

「ガァァァァァァァルァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!???」

 閃光弾のような強烈な光を直接見た魔族は両目を手で押さえて苦しみながら座り込んだ。

「はッざまあみろッ! ヒャッハー!! 見えないだろ? 見えないだろ? んん? どうだ? 見えないだろォォん? ぬはははははッ!」

 調子に乗った勇者は目を押さえながら座り込む魔族の周りで小躍りを始めた。

「(何やってんですか勇者様ッ!? 目は見えなくても――)」

「ふぇ?」

 シュン。

 無造作に振るった魔族の左腕から放たれた衝撃波が勇者の頬を掠めて、

 バゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!

 森の木々を再び消し飛ばした。

「あ……わ……わわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわッ!!!???」

「(音は聞こえてるんですよ……)」

 ガクブルと震える勇者にトイレブラシは呆れた声で言う。

「(音を立てずに離れてください、早くしないと眼が回復してしまいます。この機を逃せば『メルティクラフト』するチャンスはありません。つまり――)」

「(つつつ、つまり……?)」

 勇者は真剣なトイレブラシの言葉にビビりながらも続きを聞き――。

「(死にますよ)」

「(うん。遊んでる場合じゃないな、急いで離れよう)」

 真剣な顔になった勇者は急いで、だが慎重に、そろりそろりと魔族から離れた。

 そして二百メートルほど離れた場所で全力疾走した勇者は魔族から五キロ以上離れた所までやってきた。

「こ、ここまでくりゃ平気だろ。多分五キロ以上は離れたぜ……つーか森抜けちまったな……」

「というか、ここ、さっきの爆心地の近くですね」

 勇者がやってきた場所は先ほど小さな太陽が爆発した場所の近くであった。岩石地帯の、爆発痕よりも当方に位置する場所に勇者はたどり着いたのであった。

「じゃあ早速『メルティクラフト』しましょうか。急いで剣と私を重ねてください」

「……もう戦わなくてもよくないか? ほら、ここまでくりゃ魔眼の捕捉距離に入らないわけだし、逃げちまった方が楽だろ……ぶっちゃけ疲れた……」

「お疲れなのはわかりますが、もうひと踏ん張りです、頑張ってください。あのロビンフットさん、いえ半魔族を倒さなければ『暁の涙』を探索することが出来なくなってしまいます」

「それはわかるけどよ……ってか半魔族ってなんだよ?」

「魔族の遺伝子を受け継いだ子孫たちは、姿形は魔族に変身できますが、それはあくまで形と、ある程度の能力までの話なんです。まあ人や他種族と混ざったから当然と言ったら当然なんですが、きっと血が薄れているのでしょうね。オリジナルにあたる魔族の劣化コピーといった性能しか発揮できないんです。高度な知能や理性は失われ、破壊衝動が前面に押し出されたケダモノになってしまう、魔族とは言えない半端な魔族、ゆえに半魔族と青紫色の瞳を持つ人々は呼ばれているのです」

「へえ……劣化品ねえ」

 勇者は顎に右手を当てて考える。

(この疲れて眠い状態に伝説の化け物と戦わないといけないとかマジありえない、とそう思ってたけど……劣化版ならそんな苦労しなくても倒せるかも……メルクラすれば冥王紅炎斬撃波で離れた場所からフルボッコにできるし……アイツの爪による攻撃も、確かに強力っちゃあ強力だったけど、パツキンやガングロ、なにより変身する前のアイツのメルクラの必殺技と比べたら見劣りするぜ……それに劣化版とはいえ伝説の存在である魔族を倒したとなれば――)

 勇者は魔族を倒した後のことを妄想する。

『きゃあー! 魔族を倒すなんて素敵ー! そのうえカッコいいし、優しいし、顔がイケメンだし! 勇者様抱いてー!』

『ちょっと! 勇者様から離れなさいよ! 勇者様に抱いてもらうのは私なんだから!』

『違いますよぉー! 勇者様はあたしとエッチなことするんですぅ!』

『勇者……様……私……も……』 

『まったく、勇者様が困っているじゃないか。ここは公平に勇者様に順番を決めてもらった方が良い。まあ、もちろん僕が一番になるだろうけどね』

『わ、妾も勇者殿に抱いてもらいたいのじゃ』

 様々な個性を持った美少女たちが勇者を取り合うようにしてベットの上で争う姿に勇者はため息をつく。

『ふぅ、やれやれ。俺を取り合って争うのはやめてくれ、君たちが争う姿は見たくないんだ。大丈夫、俺はみんなの物だからさ』

 勇者はきらびやかなイケメンスマイルで美少女たちに微笑んだ。

 その瞬間、美少女たちは真っ赤になってうつむいた。

『おやおや、どうしたんだい子猫ちゃんたち?』

 勇者がイケメンスマイルのまま髪を掻き上げると、トロ顔になった美少女たちに押し倒される。

『『『『『『だ、抱いてくだしゃい』』』』』』

『ふふ、もちろんさ。みんなで気持ちよくなろう』

 勇者は美しく服を脱ぎ捨てると美しく美少女たちと結合するべく股間の剣を抜き放った。

 妄想の勇者は余裕綽綽であった――。

 がしかし現実の勇者は――。

「ぐへぇ、げへへへへへひゃひぶひゃふひゃえひゃひゃひゃ! みんなで気持ちよくなろうねぇぇぇぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃけけけぴゃあああああああああああ!」

「ホント気持ち悪いなこの人………」

 涎を垂らして白目を剥き、桃源郷を妄想する勇者にトイレブラシはかなり引いていた。

「勇者様いいかげんに――」

 トイレブラシが顔面を殴り倒そうとした時、勇者は自分で妄想から覚めて涎を拭いた。

 そしてキリッとした顔つきに変化する。

「――人々を脅かす邪悪な魔族。そんな存在、絶対に許すわけにはいかないな」

「どっちが邪悪ですかまったく……」

 トイレブラシの悪態もなんのその、勇者は邪悪な魔族(偏見)に対する討伐の意思を固める。

「いくぞ便ブラ! メルクラの準備だ! 美少女とセック――正義のために俺は戦う!」

「はいはい……」

 勇者は背中に背負っていた『火竜の剣』を引き抜くとトイレブラシとバッテンになるように重ねた。

「ではいきます――魂の契約の名のもとに命じる――交われッ!!!」

「そうだぞー美少女とも交わっちゃうぞーげへへー!」

「黙っててください……」

 地面に魔法陣が展開し、勇者は炎の繭に包まれる。高温の中、血のように全身に隈なく魔力が流れる感覚に身を委ねた勇者は自分の髪が赤く染まり、伸びるのを見た後目を閉じる。全身に莫大な魔力が流れると同時にやがて左腕に鱗のようなガントレットが形成され、左腕全体を肩まですべてを包み込む。

 そして炎の膜が内側から破裂した瞬間、赤い髪に赤い刀身の剣を持った勇者が現れた。

「(無事成功です。融合状態は良好ですよ)」

「(良好なのに相変わらず喋れないんだな……)」

 喋れず無表情で固定された顔を剣を持っていない方の手で触りながら勇者は確認する。

「ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!」

 獣の叫び声が森中に響き渡る、どうやら眼が回復したらしい。

 勇者が自分の顔を触っていたその時、森の木々をなぎ倒しながら魔族が現れた。

「(……もう来たのかよ……)」

「(勇者様と私の魔力の残滓をたどってきたのでしょう。勇者様、というか私の魔力は契約の際に生じた不具合で常時垂れ流されてるようなものですから。『いい目』を持ってるあの方からすれば道に落ちているパン屑をたどる感覚で追跡できるはずです)」

「(初めから逃げるなんて不可能ってことかよ……)」

 魔族はバキバキと腕の骨を鳴らしながら警戒するようにして勇者にゆっくりと近づく。先ほどの不意打ちが効いたらしく警戒しているようだった。

「(ふーん、知性はなくとも多少の警戒心くらいはあるらしいな。さっきの目くらましがだいぶ効いたらしいぜアイツ)」

「(そのようですね。出来れば接近を許さず、ある程度の距離を保ちながら攻撃したいところですが)」

「(ふふん、なら任せろ。俺の冥王紅炎斬撃波で奴を消し炭にしてやるぜ)」

 勇者が黒い鱗のガントレットで握った剣を魔族に向けようとした時、ふいにある疑問が頭をもたげる。

「(……今、ふと思ったんだけど……この鎧の手甲みたいなの黒い鱗で出来てるよな? なんかあの魔族の体の鱗と似てる気がするんだけど気のせい? なんか竜っぽいような……)」

「(…………この世界では竜という生き物は最強の魔獣に分類されているんですが、魔族がドラゴン型の魔物に自身の細胞を埋め込んで生み出されたとされています。勇者様の手の鱗と魔族の鱗が似ているのはおそらく『火竜の剣』の材料に竜が使われたせいだと思いますよ)」

 なぜか一呼吸間があったが、トイレブラシは硬い口調で自身の見解を述べた。

「(へえ、そうなのか。ってうあわああああああああああああああああああああッ!?)」

 勇者が魔族から少し目を離した瞬間、視界から消えた魔族が横から爪による斬撃を放ってきた。

 かまいたちに似た不可視の斬撃が勇者を襲う。

 ザシュッ!!!!!!

「(う、ぐ……あ……っぶねー……!?)」

 だが執事服を爪で切り裂かれたものの、間一髪体を横にずらしたことで直撃を免れる。

「(……すみません勇者様、警戒を怠っていました)」

「(いや……俺こそ悪い……ちょっとよそ見しすぎたぜ……)」

 勇者が避けたことを確認した魔族は後ろに飛び退くと再び様子を窺い始めた。

「(どうやら考えてることは向こうも同じみたいですね)」

「(距離を取りつつ攻撃するってやつかよ……この距離で警戒されながらだと、俺の必殺技ってアイツに当たるのか……?)」

「(相手の反応速度と身体能力次第としか現状は言えません。私も半魔とはいえ魔族と戦うのは初めてなので……戦いながら確かめていくしかないかと……)」

「(んじゃ、まあとりあえず――)」

 勇者は両手で赤く発光し始めた大剣を握りしめると、上に振り上げた後――。

「(ぶっ放すかッ!!!!!!!)

 高速で地面に振り下ろした。

 凄まじいスピードで剣が地面に直撃し、土を焼き切った時。

 バゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!

 爆音が響く。

「(あ、あれ……?)」

「(す、すごいです……)」

 勇者が脳内で素っ頓狂な声を出したのも無理は無く、トイレブラシでさえも驚愕していた。

「グルァ……グゥゥゥゥルゥゥゥゥゥ……」

 ジュウゥゥゥゥゥゥ。

 煙をあげながら、魔族が両手を地面について座り込んでいた。

 それはまるで強力な熱を帯びた攻撃を受けて負傷しているように、勇者に見えた。

「(お、おい、便ブラ……これってもしかして……)」

「(ええ。私もびっくりしてますが、どうやら、魔技の威力とスピードが上がってるみたいですね。私も目で追いきれないほど早い炎の斬撃が魔族に直撃したみたいです)」

「(マジか……)」

 勇者は自身の『メルティクラフト』が強化されていることを実感した。

 と同時に確信する。

(勝てる)

「(いやー、勇者様の魔力感知能力が上がったからもしかしたら『メルティクラフト』に変化があるかもなと内心思ってはいたんですが、ここまでとは。これは嬉しい誤算です、でもだからって調子に乗らずちゃんと冷静に戦って――)」

「(ひゃっはああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!)」

「(ちょっと勇者様ッ!?)」

 勇者は調子に乗っていた。

 調子に乗ったおバカな勇者は強化された足で駆け出すと、その俊足で魔族に迫る。

「グルァ……!」

 飛び込んでくる勇者に対して魔族は魔力を込めた爪によるかまいたちを放った、

「(無駄なんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!!!)」

 が、飛んでくる斬撃を剣で受け止め消し飛ばした勇者はさらに速度を早めて魔族に近づこうとする。そしてそれに対して魔族は回避のために立ち上がろうとするも、先ほどの一撃が効いたのかなかなか立ち上がることが出来ず、仕方ないといわんばかりに連続で空気の斬撃を放ち、牽制を試みるも――。

「(無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄、無駄ァッ!!!)」

 『メルティクラフト』の性能の向上によって調子に乗った勇者の前には牽制にもならず、全ての斬撃は逆に叩き切られ、ついに魔族を数センチの距離に捉える。

「ガルァッ!!!!」

 魔族は勇者に急所だけは切らせまいと両腕を頭上に構え、顔と頭を守った。

「(フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!! 食らうがいいッ!!!!!)」

 座り込んでいた魔族目がけて突進するとその頭上に構えられた腕に剣を振り下ろす。

 ガキィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィンッ!!!!!!!!

 硬い鱗と剣の刃が衝突し、火花が散る。

 魔族の右腕と勇者の剣が激突した瞬間の出来事であった。

 数十秒ほどつばぜり合いになったが、すぐに変化が訪れる。

「ガァァ……ァァァァッ!?」

 獣の短い叫びと共に魔族の黒い鱗が赤く変色し始めた。

 赤く染まった鱗は発光し、煙をあげ始める。

「(やはりそうか、クククッ! この剣自体の威力も上がっているようだ! ブブルと戦った時は床をバターみたいに焼き切ったうえ、カルチェのおっさんと戦った時は剣ごとへし折った、やっぱり国宝の名前は伊達じゃないぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!)」

「(そういうこと確かめたいなら一言言ってくださいよ……調子に乗ってまたバカなことやるのかと思っちゃいましたよ……)」

「(ふん、バカなことなんざ、この天才が、するはずねぇだろォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ

!!!!!!)」

 勇者は心の中で叫ぶと、全体重を剣に乗せた。

 パキ、パキキ。

「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!???」

 赤く発熱した鱗にやがてヒビが入り始め、魔族は苦しみ始める。

「グルァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!」

 苦し紛れに左腕の爪で勇者の顔めがけて鋭い爪による攻撃を放つが――。

「(ふッ甘いぜ――)」

 顔を横にずらしてあっさりかわすと――。

「(愚かな狂犬よ、挑んだのがこの究極破壊神だったのが運の尽きだったな。せめてもの手向けだ、受け取れ――)」

 勇者の持つ赤い剣の刀身がさら赤く輝き光を放ち、その光はオーラのように刀身を覆い始めた。

 そして光はやがて赤い蒸気へと変化し、そして――。

「ァァッ!?」

 魔族の短い悲鳴が場に響いたと同時だった。

 バゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!

 魔族の体が巨大な炎の斬撃波に飲み込まれ吹き飛んだ。

 三日月型の炎の斬撃波はガゼルと戦った時よりも遥かに巨大で、全長五メートルほどはあろうかというほどの巨大さを誇っていた。当然大きさだけでなくその威力も格段に上がっており、大小無数の石や岩を次々と飲み込みながら原石地帯を蹂躙しつくす。地面に大きな焼け跡を作りながら進んでいた炎の斬撃は一キロほど離れた場所まで進むと円形に形を変え破裂する。

 ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!

 爆発と同時に爆炎は広がり半径五百メートルほどを飲み込んだ。

 やがて炎がある程度収まると、勇者の立っている場所を除いた半径五百メートル全てが焦土になっていることを確認する。

「(……これが忌まわしき邪炎の力か……俺は、この呪われた炎と共に生き続けなくてならない運命〈さだめ〉……ギルティだぜ……)」

「(中二病乙)」

 トイレブラシの言葉を無視した勇者は今だに燃えている岩石地帯に背を向けて来た戻ろうと踵を返した。

「(どこ行くんですか勇者様?)」

「(どこって、帰るんだよ屋敷に。魔石探さないとだろ?)」

「(いえ、そうですけど。まだ戦闘終わってないんですから戻っちゃダメでしょう)」

「(戦闘終わってないって……お前何言って――)」

 勇者は今さらになって気づく――。

「グルァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!」

 魔族の巨大な魔力反応が今だに途絶えていないということに。

「(ば、バカなッ!? あの必殺の一撃をもろに食らったのに、なぜだッ!? さっきは食らって苦しそうに悶えていたっていうのにッ!?)」

「(……確かに、少しおかしいですね。あれほどの熱量をまともに受けたのに……)」

 勇者とトイレブラシは驚嘆した、なぜならば爆炎から姿を現した魔族の体には傷一つなかったからである。それに対してトイレブラシは密かに考察する。

(……勇者様が先ほど与えた攻撃はかなり強力だった。いかに魔族といえどもあれほどの威力の魔技をゼロ距離で受けて無傷なんてありえない……どうなって――)

 勇者の眼を通して見える魔族の体の一部分、とある一点にトイレブラシは注目した。

(――鱗のヒビが治っている…………これはもしかして――)

 トイレブラシが魔族の能力について推察していると、勇者が再び魔族に向かって走り出す。

「(くッそッ! だったらもう一度喰らわせてやんよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!)」

「グルル……」

 勇者が突進してくるのを見た魔族は先ほどと同じように両腕で体を守る。

 勇者は距離が近づくと加速し、空高くジャンプした。『メルティクラフト』の影響で強化された肉体により勇者は十メートル近く跳ぶことに成功する。

「(食らえ、我が必殺の炎! 冥王紅炎斬撃波ァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!)」

 空中で剣を大きく振りかぶった勇者は下にいる魔族に向けて先ほどと同じかそれ以上に大きい炎の斬撃を放ち、放たれた炎は下にいる魔族に直撃した。

 バゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!!!!

 爆炎が広がり、今度こそ魔族を黒焦げに出来る、勇者はそう思っていた――。

「(今度こそやった――――――あれ?)」

「(やっぱり……そういうことですか……)」

 だがしかしそううまくはいかなかった。

「(な、なん……だと……)」

 勇者は地上に着地すると同時に自らの放った技が爆発するどころかしぼんでいく様子を目の当たりにする。勇者の撃った魔技はどんどん収縮していくやがて完全に消え失せた。

「グル……」

 そして消え失せた炎の中から先ほどよりも強力かつ濃密な魔力を放ちながら魔族が姿を現す。

「(ど、どうなって……)」

「(吸収されたんですよ)」

 勇者の疑問に答えるようにトイレブラシは淡々と言った。

 その間、魔族はゴキゴキと首を回しながらも勇者の行動を待っていた。どうやらこちらの様子を窺っているらしく、その隙にトイレブラシは説明を始める。

「(あの両腕の鱗から勇者様の魔技の魔力を吸い取ってるんです。そして吸い取った魔力を自分の怪我の治療に当てたり、自身の魔力に上乗せしてるんです)」

「(なにィィッ!? そんなことできんのかよッ!?)」

「(……私も初めて見ました。ですが間違いありません。勇者様が先ほど剣で鱗にヒビを入れたでしょう? その部分を見てください)」

 勇者は先ほど剣戟でダメージを入れた腕を鱗を凝視した。

「(……マジかよ……治ってやがる……じゃあ俺の冥王紅炎斬撃波は……)」

「(現状役には立たないですね)」

「(うう……)」

 勇者は自分がドヤ顔かつ決め顔で放った必殺技が役に立たないと言われショックを受ける。

「(そんなに落ち込まないでください)」

「(……いや、必殺技が役に立たないって言われたのもそうだけ、っどおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?)」

 いつの間にか勇者の死角に入っていた魔族の爪撃波が勇者の肉体に向けて放たれた。これを勇者は、魔力感知能力で察知しなんとか回避する。

「(お見事です。いやー伝える前に気づくとは勇者様も魔力感知だけなら戦士と呼べるレベルかもです)」

「(気づいてたんだったらもっと早く言えッ!?)」

「(いえ、勇者様が気づけるか確認したかったんですよ。役割分担が出来れば作戦の幅も広がりますから)」

「(作戦の幅も何も……俺の必殺技が通用しねーんじゃどうしようも――)」

「(そんなことはありませんよ。勇者様の魔技を通させる方法ならあります、さっき勇者様は鱗にヒビを入れられたでしょう? それを思い出せればおのずと答えが導き出せるはずです)」

 勇者は剣で鱗にダメージを与えたことを思い出す。

「(――そうかッ! 魔力による攻撃は通らないが、物理攻撃なら!)」

「(その通りです。いやー低脳にもわかるように説明できるエクスカリバーちゃんの先生力は天才的ですね。えへへー!)」

「(誰が低脳だコラ! お前が説明しなくてもそのくらいこの天才はすぐに気が付いたぜ! そして弱点がわかった今、俺は大地を駆け抜けるぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!)」

 勇者はわき目もふらずに魔族に向かって駆け出したが、魔族の姿が一瞬で消える。

「(消えた、わけじゃねえな!)」

 勇者の死角に当たる斜め後ろに一瞬で移動した魔族の魔力の気配を探り当てた勇者は迫る爪による斬撃波を剣で切り伏せる。

 ギィィィィィィィィィン!!!!

 鋼が擦れあったような音が周囲に響く。

 と時を同じくして魔族は再び勇者から距離を取った。

「(……いっつー! なんつー重さだよ……!)」

「(勇者様から吸収された魔力も上乗せされてますからね。破壊力はさっきの倍以上です、注意してください)」

「(人から掠め取ったもので戦うとは、それもよりにもよってこの天才から……! 卑怯な……!)」

「(勇者様っていうか私の魔力なんですけどね……)」

「(この天才の魔力を盗むなんて絶対に許せない! ぶった切ってやる!!!)」

「(聞いてないですかそうですか……)」

 トイレブラシの話を軽くスルーしながら今度こそ目を離さぬようにと魔族を見据えた勇者は、距離を一歩詰めようと足を前に出す。

「ガァルガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!」

「(く、こんちくしょうめ……!!!)」

 それを見た魔族は即座に距離を取り、後方に下がる。勇者が接近戦を仕掛けてくることを察知したかのような迅速な対応に勇者は内心苛立つ。

 さらに魔族の行動は勇者の接近を決して許さぬように徹底される。

 距離を取った魔族は両手の爪を輝かせると、連続でかまいかちを放ってきた。

「(んなッ!?)」

 勇者はすぐに剣を構えて放たれた無数の斬撃を切り落していく。

 ギィィィィィン!!!

 ガギィィィィィ!!!

 バギィィィィン!!!

 鋼を切り捨てるように、迫りくる大小無数の斬撃を素早く、正確に切り捨てていく。その手腕は見事なもので、斬撃を破壊する際に舞い散る光の粒子と相まって、一種の曲芸ともとれる美しい攻防だった。

「(ぐ、そッ!!! 重いぃぃぃぃぃぃ……!!!)」

 鈍い音と共に斬撃は剣に切り消されていったが、勇者の手にかかる衝撃は半端なものではなかった。そしてさらに魔族の斬撃を繰り出すスピードが上がっていくと次第に勇者が後ろに押され始める。一方はただ魔力のこもった斬撃を撃ち続けるだけで済んだが、もう一方はその斬撃を正確に処理しながらかつ、剣に魔力を込め続けなければならないため、集中力という点で勇者の方が疲労が大きかった。さらに言えば先ほど魔力を奪われたことも強く影響していたのかもしれない、腕を通して体全体に響く衝撃に耐えながら押し返される。遠距離攻撃が可能な魔族と遠距離攻撃を封じられた勇者、そう考えれば当然の帰結ともいえる結果であった。

「(こ、これじゃあ……ち、近づけねえッ……!)」

「(そうですね、確かに厄介ですね――勇者様、魔技を撃ってください)」

「(冥王紅炎斬撃波のことか?)」

「(……ええ、魔技を――)」

「(冥王紅炎斬撃波)」

「(……魔――)」

「(冥王紅炎斬撃波)」

「(冥王紅炎斬撃波ですね! わかりましたよもう! その中二臭い必殺技を撃ってください!)」

 爪による斬撃にさらされながらも頑なに必殺技の名前を言わせようとしてくる勇者に根負けしたトイレブラシは勇者に指示を出す、しかし――。

「(吸収されたら意味ねえじゃん……)」

「(確かに魔族に撃てばそうなるでしょう。ですから地面に撃ってください、全力でお願いします)」

「(地面に? …………なるほど、そういうことか)」

 トイレブラシの言おうとしていることを理解した勇者は目前に迫っていた真空の刃を叩き落すと同時に魔技を発動する。剣から赤い蒸気が舞い上がり、濃密な魔力が場に漂い始めた。魔族はそれを見ると即座に腕を前に出して防御の姿勢に移る。

「(オラァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!!!)」

 だが勇者は言われた通りに地面に向けて巨大な炎の斬撃を叩き付けた。

 バゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!!!!!!

 爆炎と共に埃が舞い上がり、勇者や魔族の姿を覆い隠した。

「(……でもよ、目くらましはいいんだけど……魔眼で俺らの魔力丸見えなんじゃねえの?)」

「(大丈夫です。魔技は発動と同時に魔力の残滓を周囲にまき散らします、これによって魔技発動後の周囲は魔力の流れに乱れが生じるんです)」

「(レーダーをジャミングするみたいな感じか?)」

「(そんなところです。まあ、普通の人では魔眼を使用不能にするほどの魔力の残滓は発生させられませんがね。ひとえにこの可愛くって美しくってひたすらに可愛く優秀なエクスカリバーちゃんのおかげ――)」

「(よし、とにかく今がチャンスだな! その小癪な鱗を砕いてくれるわ!!!)」

「(ちょっと聞いてくださいよ!?)」

 トイレブラシの自画自賛を聞き流した勇者は魔族に向かって行こうとしたが――。

「(……いまさら気づいたけど……魔族がどこにいるのか俺にもわかんねーぞ……)」

 数歩歩いたところで勇者は立ち止まった。

 当然と言えば当然だが、煙と魔力残滓に覆われた場所では勇者も何も見えず、何も感じることができなかった。それ故に魔族の居場所がわからない勇者は進行を方向をキョロキョロと見まわしながら目を細めて先を確認しようとするも――。

「(……駄目だ……わかんね……)」

「(仕方ないですね、では私が――)」

 トイレブラシが何か言いかけた瞬間――。

 ヒュン。

 勇者の頬を何かが掠めて通っていった。

 微かな痛みを感じると同時に頬から赤い血が垂れる。

「(……なんか、さっきも似たようなことがあったような気がする……)」

「(そうですね……)」

 勇者とトイレブラシが既視感を感じていた時。

「ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!)」

 魔族の雄叫びと共に真空の刃がいたるところに放たれ始めた。

「(な、なにやってんだアイツッ!?)」

「(見えないからそこら中に無差別攻撃を開始したみたいですね。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、というアレですよたぶん)」

「(なんつー滅茶苦茶な……)」

 滅茶苦茶な軌道でそこら中を飛び交うかまいたちを見た勇者は背筋を凍らせる。

「(でもちょうどいいですよ。私が飛び交ってる魔力残滓を処理しますから勇者様は斬撃が飛んでくる軌道と魔族の魔力反応、二つの要素から場所を導き出して接近し鱗を破壊してください)」

「(い、いやいや、ちょっと待て。いくらなんでもいきなりすぎ――)」

 ヒュン。

「(え?)」

 勇者が素っ頓狂な声を脳内であげた瞬間、先ほど切られた頬とは反対の頬に激痛が走る。

 ブシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ。

「(ぐああああああああああああああああああああああ切られたぁああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??)」

 頬が斬撃でえぐられ、血が噴水のように噴き出す。

「(急所じゃなくてよかったですね、顔でよかったですよ。眼とか鼻とかなら重症ですけど、頬っぺたなら全然平気ですね!)」

「(――る、さ――ない――――)」

 勇者は体を震わせた後――。

「(……え……?)」

「(……許さない……許さない……許さないぞぉぉぉ……)」

「(え、どうしたんです――)」

「(許さんぞぉおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!)」

 心の中で絶叫した。

「(……なんで怒ってるんですか?)」

「(なんで怒ってるんですかだとォォォッ!? 俺の頬を見ろッ! ここに傷がついちゃったんだよどうするんだどうしてくれるんだッ!? 宝石の付いた指輪の一番価値のある部分はどこだと思う!? そうだよ、それは宝石の部分だ、その宝石の部分に傷がついたんだとしたらどうだ、怒るだろ!?)」

「(……そうですね、確かに価値のある部位に傷がついたんなら怒るのも頷けます――)」

「(だろうそうだろうッ!? だかた俺は怒って――)」

「(――でも今傷ついたのは全体の部分で一番価値の無い場所なので)」

「(なんだとォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!????)」

 トイレブラシにバッサリと言葉で切り捨てられた勇者はもはや戦闘中などということは頭から排除して食って掛かる。

「(お前はアレか!? 俺の顔は指輪のリングの部分とでも言いたいのかそうなのかッ!!!???)」

「(いいじゃないですか箱の部分が傷ついたって問題ないでしょう)」

「(箱ッ!!!!???? 本体ですらないじゃないかッ!!!???)」

「(箱は本体を守るために存在しているものですから、いくら傷ついてもへっちゃらですよ)」

「(ふざけるな俺の顔が指輪を守るための箱だとッ!!!???)」

 魔族の斬撃が煙の中で無数に飛び交う中でも、勇者とトイレブラシは呑気に喧嘩を始める。

「(じゃあなんだ指輪の宝石に当たる部分はなんだっていうんだよッ!!!???)」

「(そんなの決まってます。勇者様の一番大切なものです)」

「(チ〇コか)」

「(違います)」

 トイレブラシの抑揚のない否定の言葉に勇者は考えさせられる。

「(……そうか! わかったぞ!)」

「(ようやくわかりましたか)」

「(ああ! 俺の肉体の中でもっとも価値のある部位、それは――)」

 勇者は思いついた至高の答えを高らかに宣言する。 

「(俺の優秀な頭脳だな!)」

「(トイレのタワシ以下の価値ですね)」

「(なんでだよッ!!??)」

 トイレブラシの容赦の欠片も感じられない暴言に勇者は怒りと悲しみをその胸に抱く。そして周囲の煙が少し晴れてきたことに勇者とトイレブラシは気づかない。

「(俺の偏差値の高い頭脳にケチつけようっていうのかお前はッ!!!)」

「(何が偏差値ですか、あんな高校に通ってるくせに)」

「(てめえ、コラ失礼だろ! つーか聞いて驚けよ、俺の通ってる高校の偏差値は結構高いんだぞ!)」

「(えッ!!!!!!!???????)」

「(ふふん、驚いたか? まあ、聞けよ。俺の高校の偏差値は――)」

 トイレブラシは盛大に驚き、勇者は得意げになるが――。

「(あの高校、偏差値なんてあるんですかッ!!!!!!??????)」

「(なんでそこで驚くんだよッ!!!???)」

 トイレブラシの驚いた部分に勇者は逆に驚く。

「(偏差値があることに驚くとかどういうことだよッ!!?? 当たり前だろうがッ!!?? 偏差値が無い高校なんかあるわけねえだろッ!!?? 入試とかできないじゃねえか!!??)」

「(にゅ、入試……あの高校、入学試験なんてあるんですかッ!!??)」

「(お前バカにするのも大概にしろよッ!!!!!!??????)」

 勇者は当たり前のことを当たり前のようにバカにされて腸が煮えくり返る。

「(あ、で、でもあれですよね? 試験って言っても自分の名前を漢字、いえ、ひらがなで書ければ合格でしょ?)」

「(そんなわけあるかッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)」

「(ああ、すみません。そうですよね、よくよく考えたらありえないですよね)」

「(よくよく考えなくてもありえねえよ!!! ったく、俺の母校をサル小屋扱いしやが――)」

「(文字なんて書けるはずないから口頭で名前を言えれば合格ですね!)」

「(貴様ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!)」

 勇者は怒り狂ったサルのように心の中で叫んだ。

 しかし煙が晴れて周りの視界が少しずつ良くなってきたにもかかわらず、勇者とトイレブラシはやはり気づかない。

「(いいかよく聞けよ!!! 俺はちゃんと五教科の入試を受けて入学したんだ!!!)」

「(見る、聞く、触る、食べる、嗅ぐ、の五教科ですね)」

「(それは五感だろッ!!!!!!!!)」

「(え、でも、それじゃあまさか……国語、算数、理科、社会、英語ですかッ!!!!!?????)」

「(だからなんでそこで驚くんだ張っ倒すぞッ!!!!!!!!!!!!!!!)」

 トイレブラシが抱く自身の高校のイメージは相当低いことを勇者は痛感した。

 完全に煙が晴れ、視界が良好になった岩場で、魔族は棒立ちのまま動かない勇者に近づく。

「(いやいやいや、冗談でしょう勇者様。五教科の入試なんてあの高校にぶっちゃけ必要ないですよ。だってあの高校って江戸時代の寺子屋と比較しても明らかに劣ってますもんどう考えても。考えなくても生きていけるバカの楽園じゃないですか)」

「(ふざけるな!!! 俺の高校の生徒は全員頭が良い、そして全校生徒の中でもトップクラスに頭の良い俺は間違いなく超天才だ!!! だいたい江戸幕府を開いた織田信長の時代から何千年経ってると思ってるんだ!!! 当然勉学だって時代と共に発展している、よって俺の高校の方が明らかに頭が良い!!! QED証明終了!!!)」

「(バカの証明お疲れさまでした)」

 勇者に気づかれないように接近した魔族は爪にありったけの魔力を注ぐと、側面から強力な爪による斬撃波を放った、がやはり勇者とトイレブラシは気が付かない。

「(勘弁してくださいよ。勇者様が超天才とか……ただでさえ勇者様と喋ってるだけで脳細胞がゴリゴリすり減ってるっていうのに、今の笑えない冗談で私の可愛い脳みそがさらに減少しました)」

「(てめえ脳みそねえだろッ!!!??? つーか俺の高校の偏差値を聞け!!!! いいか――)」

「(横にマイナスつけていくつですか?)」

「(資源回収に出されたいんだなそうなんだなッ!!!!!?????)」

 ザシュッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

「(……あ……?)」

 先ほど切られた頬とは反対の頬に強烈な痛みが走り、勇者は口論を一時やめた。

 そして今更ながら気づく。

 ブシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ。

「(ぎゃああああああああああああああああああああまた切られたあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!???)」

 勇者は噴き出す血を左手で押さえながら魔族を睨む。

「(ちくしょうこの野郎また俺の美顔を傷つけやがった!!!)」

「(ふぅ、危なかった。間一髪でしたね)」

「(何が間一髪なんだ完全にアウトだよッ!!??)」

「(ちょっと油断しすぎていましたね。運がよかったです、顔で良かった)」 

「(いやよくないだろッ!? 顔だぞッ!? 俺の顔だぞッ!!??)」

「(イケメンさんの顔ならまだしも勇者様の顔なら傷があってもなくても変わりませんよ)」

「(そんなわけあるかッ!!! この、俺の、イケメン顔にこんな、許さねえぇぇ!!! よくも切ったね!!!! 二度も切ったッ!!! 親父にも切られたことないのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!)」

「(そりゃあ普通無いでしょう……)」

 トイレブラシの呆れた声など届かない、勇者の心に怒りの炎が灯った。

「(くたばれ魔族ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!!!!!!!!)」

 『メルティクラフト』の自然治癒力によって血が止まった頬から手を離すと、両手で剣の柄を握り、振り上げると再び魔技を地面に叩き付けた。

 ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!!!!

 爆炎と共に周囲がまたしても土煙に覆われた。

「(便ブラ!!! 魔力残滓の処理をしろ今すぐにッ!!! あの野郎たたっ切るッ!!!! ぅおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!)」

「(え、ちょ、ちょっと待ってくださいよッ!? ――って言ってももう聞きいてませんよね、はぁ……)」

  煙の中を突進する勇者を見たトイレブラシは慌てて周囲にバラまかれた魔力残滓の気配のみを勇者の魔力感知に引っかからないように脳内で処理した。その結果――。

「(――わかる――わかるぞ、俺にも奴の気配が――そこッ!)」

 土煙の微妙な揺らぎと魔力反応によって魔族の位置を知りえた勇者は突進すると、剣で刺突を仕掛けた。

「(うおらああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!)」

 勇者の剣は空気を裂きながら揺らいだ空間目がけて一直線に突き刺さる。

「(串刺しにしてやんぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!!)」

 そして剣は確かに空間の揺らぎを貫いた。

「(なぬッ!!??)」

 だが勇者の剣は魔族を貫くことなく空を切る。

「グルルッ!!!」

「(ッ!?)」

 と同時だった、勇者の剣がそこを通るとまるで分っていたかのように近くで爪を光らせて待機していた魔族のうめき声が勇者の耳に響いた。

「(マズイッ!!??)」

 振り上げられた爪が勇者の後頭部目がけて振り下ろされようとしたその時。

「(させませんよッ!)」

 トイレブラシの言葉と共に剣が光だし、まばゆい光が周囲を照らした瞬間。

 バゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!

「(ブルああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアぁああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!??)」

 突如、剣から放たれた魔技によって地面が爆発し、勇者と魔族は吹き飛んだ。

 勇者と魔族は二十メートル近く吹き飛ぶと、地面を転がり岩に衝突して動きを止めた。

「(……かはッ……うぐ……)」

「(ふう、なんとか直撃は避けられましたね)」

「(お前、この野郎……やるなら、やると……言え……)」

 恨めしそうにトイレブラシを見ながら勇者はうつぶせで倒れていた。

「(そんなこと言ってる暇なんて無かったでしょう?)」

「(うう……)」

 勇者は焼けたボロボロの執事服を見ながら立ち上がった。

「(……アイツは……?)」

「(勇者様と反対の方向に吹き飛びました)」

 勇者は煙が再び上がった周囲をキョロキョロと見まわしながら魔族を探したが、かなり遠くに吹き飛んだらしくいくら探しても見つからない。

「(……ひとまずは安心ってことか……でもなんで俺の攻撃が分かったんだよ……)」

「(分かった、というよりもおそらく向こうの誘導に乗せられたって感じですかね)」

「(誘われたってことか?)」

「(ええ。あえて強く魔力を放出して自分の場所に誘導して、勇者様が近くに来たのを見計らって体の位置をずらして回避したのでしょう。魔力残滓の影響で遠くは見えなくてもあの強力な魔眼なら強い魔力を放つ勇者様がある程度近づけば感知することは容易いでしょうし)」

「(……お前アイツに知性が無いとか言ってたよな? 知性が無い奴がこんな作戦立てるか普通……)」

「(……そうですね。通常の半魔ならありえないところです……もしかしたらロビンフットさんはただの半魔ではないのかもしれませんね)」

 トイレブラシの不吉な言葉に嫌な予感がし始めた勇者だったが、

「グラァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」

 時すでに遅く、魔族の咆哮が周囲に響く。

 と同時に魔族が放ったであろう爪による斬撃波が一直線に勇者に向かってきた。

「(嘘ぉおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!?? なんで俺の居場所がッ!!??)」

「(勇者様、早く構えてくださいッ!!!)」

「(わ、わかったよッ!!!)」

 トイレブラシの言葉で混乱から正気に戻った勇者は剣を構え直すと、斬撃を剣で切り払う。

「(ぐ、うッ! さっきより威力が増してやがるッ!)」

 剣で爪撃波を切り払うことはできたものの、その威力は手に強烈なしびれを残した。

「(つーか、なんでアイツ俺の居場所がわかったんだよ!? 魔力残滓の影響で魔眼は封じたんじゃないのかッ!?)」

「(そのはずなんですが……うーん……これは……)」

「(これは……?)」

 トイレブラシの唸り声から答えを考察していることを察した勇者はオウム返しで問う、

「(わかんないですぅ☆♪)」

「(掃除用具ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!!!!!)」

 が返ってきたきた言葉に切れる。

 と、そうこうしているうちに再び斬撃が飛んできた。

「(くっそ、こうなったらまた飛んでくる方向から逆算して位置を突き止め――)」

 しかしその思惑もまたあっさりと崩れる。

「(――な、なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!!!????)」

 上空、左、右、後方、前方、ありとあらゆる場所から斬撃が飛んできた。

「(勇者様動いて、動いてくださいッ!!!)」

「(動けって、こんなのどうすりゃいいんだよッ!!??)」

「(とにかく剣を振りまわしてください!!! あとは私がなんとかしますッ!!!)」

「(振り回すったって……)」

 ザシュッ、ブシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!!!

「(あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああまた、またしても俺の顔面があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!?????)」

 葛藤する勇者の顔を最初の斬撃が抉り、血が噴き出した。

「(うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!!! よくも、よくもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!)」

 自分の顔面を攻撃された怒りで迷いが吹っ切れた勇者は滅茶苦茶に剣を振りまわす。

 滅茶苦茶な軌道で振り回された剣だったが、剣が空を切る寸前に横、正面、斜め、後ろ、から迫る魔力の斬撃に向けて軌道修正され、全て正確に魔力の斬撃を叩き落していった。その結果、見事全ての斬撃を切り落とすことに成功したのであった。トイレブラシの肉体操作技術の賜物であったが――。

「(く、はぁ……はぁ……つ、疲れた……)」

「(想像以上に執拗な攻撃でしたね……)」

 百を優に超える斬撃の嵐を前にして、目にも止まらぬスピードで動き回りながら全てを相手取るには相当の体力を必要とした。そのため勇者の体は疲れ切っていた。

「(で、でもよぉ……なんで俺の位置がアイツにはわかるのか、理由を知らなきゃ対策とれねえぞ……このまま防御にまわってたら絶対死ぬ……)」

「(そうですねぇ…………それにしても――)」

「(なんだよ? なんかわかったのか?)」

 膝に手を置きながら肩で息をしながらも相変わらず能面のような顔の勇者はトイレブラシに問う。

「(いえ、なんで攻撃をやめてしまったのかなぁと思いまして。あのまま爪の斬撃を撃っていればこちらに反撃する機会や休む機会も与えずに潰すこともできたはずなのに)」

「(疲れたんじゃねえの。魔力放出しながら戦うのって疲れるし……俺も滅茶苦茶疲れてるし……はぁ……疲れたぁ……早くベッドで休みたい……部屋に帰りたい……)」

「(豚箱に戻りたい気持ちもわかりますけど今は耐えてください)」

「(お前の言い草に耐え切れねえよ……豚箱言うなし……)」

 勇者はそう言いながらも手を膝から離して姿勢を戻すと態勢を立て直して剣を構える。

「(……でも、お前の疑問もちょっとわかる気がする……なんだろうか……不気味だ……)」

「(そうですよね。なんか――気味が悪いですよね……)」

 煙が晴れて視界が良くなった場所、静かな岩場で勇者とトイレブラシは言いようのない気持ちの悪さを感じていた。

 それはまるで嵐の前に静かさに感じられたのだった。

「(――あ、もしかして――)」

「(なんですか?)」

 勇者は思いついたある一つの答えを提示する。

「(チマチマ攻撃するのはやめて大規模なチャージ攻撃に変えたとか?)」

「(あははは! 心配しすぎですよ! 魔族がチャージ攻撃してくるなんて聞いたことないですもん!)」

「(そ、そうだよな! 知性の無いケダモノだもんな! さっき誘導されたのだって偶然だよな!)」

「(そ、そうですよ! 知能の高い魔族ならともかく、半魔ですもん! うふふふふ!)」

「(アハハハハハハ! 心配しすぎか! 敵も休んでるだけだよな! もう夜だし、一休みしたい気持ちもわかるぜ! アハハハハハハハハハハハハハ!)」

「「((アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!!))」」

 疲労困憊に、深夜独特のおかしなテンションが加わり、勇者とトイレブラシはひたすらに笑い続けた。それは疲れを忘れるためだけではなく、無意識に気付いていたからなのかもしれない。

 ――間違いなく魔族は何かを仕掛けてくる、と――。

 ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!

 そして轟音と共に現実逃避の時間は終わりを告げた。

「「((アハハハハハハハ――は?))」」

 勇者とトイレブラシは森の方角から煙をあげて木々を切り倒しながら向かってくる三日月形の巨大な斬撃を見た――その瞬間、理解する。

 だからこそ勇者は声にならない叫びをあげる。

「(やっぱチャージ攻撃じゃねえかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!????)」

 魔族の放った凶悪な一撃が勇者を引き裂く、どころか消し飛ばそうと速度を上げる。

「(どどどど、どうする、どうすりゃあいいんだッ!!??)」

「(……あの大きさでは、今からどこに逃げても飲み込まれてしまうでしょうね)」

 四十メートル近い巨大な三日月の斬撃波は森の木々を飲み込むように進みながら勇者に向かう。

「(じゃ、じゃあどうするよッ!!??)」

「(迎え撃ちましょう、勇者様の魔技で)」

「(でででで、でもよぉ! あんなデカいのを打ち消せると思うか?)」

「(私もフルパワーで魔力を注ぎます、ですから勇者様も死ぬ気で撃ってください。じゃないとホントに死んじゃいますよ)」

「(し、死ぬ気ってったってよぉ――)」

「(勇者様、覚悟、決めてください)」

 トイレブラシの声はいつもと変わらなかったが、有無を言わせない迫力があった。

「(ぐぐぐ……わかったよ……)」

 勇者はトイレブラシの言う通り全力で迎え撃つべく覚悟を決めた。

「(私の指示通りにやってみてください。大丈夫、今の勇者様なら出来るはずです。まず魔力を全て剣に流し込む工程から。全身に流れる魔力を感じ取ってください、深呼吸しながら目をつむって意識を肉体に集中させるところから)」

 トイレブラシの言う通りすべての魔力を注ぎ込むべく、全身に流れる魔力の感覚を感じ取ろうと眼をつむった勇者は自身の内部に血のように流れる何かを感じ取った。

「(……おお! これが魔力なのか! なんか川みたいだな!)」

「(そうです、そのイメージを持ったまま全身に流れる川の水を両手のほうだけに流れるよう意識してください)」

 勇者は指示通りにさらに自身の内部に意識を潜らせていく。そして魔力が均等に流れる川のイメージを持ったまま、両手にだけ川の水が流れるように意識する。

 すると、勇者の両手が赤く発光し始めた。

「(いッ!? 腕が滅茶苦茶痛いぞッ!? なんか、痺れて来たッ!?)」

 腕だけに流れるように変えられた魔力の流れは強い変化を勇者にもたらした。ダムにせき止められた膨大な水のように腕の中でのたうち回る巨大な奔流に勇者に腕は悲鳴をあげる。

「(それでいいんですよ、そしていよいよ大詰めです。手に流れるようにした水をそのまま限界まで押しとどめてください、限界がくれば肉体にサインが出ますから。なんかこう噴き出すような)」

「(なんだよその抽象的な答え、は、ああああああああああああああああああああああああッ!?)」

 ブシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!

 勇者の手から血が噴き出した。

「(今です! 溜めた魔力をいっきに剣に流し込んでください!)」

「(くぅおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォッ!!!!!!)」

 言いたいことは色々あったものの、それらを飲み込んだ勇者は剣にありったけの魔力を流し込む。

 その瞬間、高音と共に周囲に光が満ちた。

 赤い剣がより一層真紅に染まり、赤い蒸気が冷えた夜空に舞い上がる。

 膨大な魔力を吸った剣は許容量を超えたのか、カタカタとひとりでに震える。

「(お、おおお! これならいけそうだぜぇぇぇッ!!!)」

「(はい! では十分に引き付けてから撃ちましょう! タイミングは私におまかせを!)」

「(よし、まかせた!)」

 勇者は直前に迫った巨大な三日月型の斬撃を見据えながら剣を構えた。

(……まだか、便ブラ……)

 ジリジリとした振動音が地面を介して勇者に伝わる、それは巨大な斬撃が地面をえぐる振動だった。無表情ながらも冷や汗をかく勇者には一片の余裕もなく、迫る脅威に対しての焦りと恐怖で心の中はざわつくばかり。だがそんな勇者のことなど知らないといわんばかりにトイレブラシは静かだった、だが無言だったとはいえ勇者にもトイレブラシの考えはなんとなくわかっていた。まだ早い、と。

 ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!

 しかしもはや斬撃波は目と鼻の先に来ており、勇者のチキンハートはすでに限界ギリギリまで来ていた。

 だが漏らしそうになる寸前、

「(勇者様)」

 ついに訪れる。

「(やっちゃってください)」

 その許可が。

「(…………く、くくくくくくくく――)」

 勇者は心の中で笑うと――。

「(――いくぜ)」

 その引き金を引くべく、剣を高らかに掲げた。

 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!

 迫る斬撃波は山のようにそびえ立ち、勇者をひき肉にせんと波のように押し寄せる。

 目前の怪物が放つ伊吹による風圧で前髪が逆立つも、気にせず勇者は剣を掲げたままゆっくりと右足を前に出し、左足を後ろに引いた。

「(感じるぜ、今までにない威力の大技が出せる)」

「(カッコつけてないで早く撃ってくださいよ……)」

「(カッコいい必殺技が出せるんだ、カッコつけないでどうするよ)」

 勇者は再び悦に入る。

「(さあ、ショウタイムだ――その姿を見せよ、あらゆるものを焼き尽くす禁断の焔。概念や空間さえも焼き尽くす我が猛火よ、狂い咲け、火の花よ。歌い踊れ、炎の魔神よ!!! いくぜ、我が必殺技――)」

 勇者は振り上げた剣を高速で振り下ろし、地面に叩き付ける。

「(冥王紅炎ハイパー斬撃波ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!)」

「(引っ張ったわりにあんまりカッコよくないですね……)」

 空気を切り裂き、地面に刃が叩き付けられた瞬間、剣の内部で暴れていた魔力の奔流が一気に外に流れ出す。勇者はそれを見て思う――。

「(くるぜ、巨大な怪獣みたいな一撃が――)」

 ヒュン。

 十センチほどの斬撃が剣から放たれた。

 ……………………………………。

 ……………………………………。

 ……………………………………。

「(くるぜ、巨大な怪獣みたいな一撃――)」

「(さっきのでお終いです。なに無かったことにしてるんですか)」

 剣から魔力は完全に消えていた。

 勇者は絶句する。

 目の前に迫る怪獣のような一撃が自身を飲み込もうとしている光景を見てようやく我に返った。

「(ちょ、嘘だろッ!? あれで終わりとか嘘だろッ!?)」

「(嘘じゃないですよ)」

「(だって、だってあんなすごいイメージ力を要したのに、あんなスカシッペみたいなのしか出ないなんて絶対おかしいってッ!? あんなんじゃ――)」

 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!

「(うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ死んじゃうよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!????)」

 十メートルほどの距離まで迫った巨大な三日月形の斬撃を前に勇者は心が折れた。

「(落ち着いてください。ちゃんとこっちも斬撃波を撃ったじゃないですか、あれで相殺できますよ)」

「(できるわけないだろ!? あんなショボいのじゃあチワワだって倒せねーよ!? うええええええええええええええええん!!! 俺の人生ここまでなのかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!)」

「(まったく、やれやれですね)」

「(なんでてめえは落ち着いてんだよッ!!?? もうお終いなんだぞ辞世の句まで考えちゃったよ俺はよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!??)」

「(そんなもの必要ないので黙って見ててください。魔術的攻撃力に――)」

 ズドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!!!!!

「(――大きさなんて関係ないんですから)」

 巨大な斬撃が動きを止めた。

「(……うっそッ……だろ……)」

 そしてその動きを止めさせたのは勇者が放った小さな斬撃だった。

 巨大なブルドーザーに激突した小さな車がその巨体を押し返すようにして動き出す。

 ズゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!!

 その小さな形からは想像できないほどの馬力で魔族が放った斬撃波を受け止め、拮抗し合っている。

「(す、すごいぞッ! 俺の冥王紅炎スーパー斬撃波!)」

「(そのダサい名前はともかく、確かに素晴らしい威力ですね)」

 押し返す小さな斬撃にエールを送っていた二人は物見遊山感覚で斬撃同士のぶつかり合いを見る。

「(よし、そこだ! いけ! 根性を見せろッ!)」

「(がんばってください! もう一息で相殺できますよ!)」

 さながら子供の運動会を応援する親のように声援を飛ばす勇者とトイレブラシであったが――。

 ォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!!!

「(がんば――ん? なんか聞こえないか?)」

「(――え、あ、ほんとですね――なんでしょう?)」

 勇者とトイレブラシが背後から聞こえる何かの音に気付き、声援をやめる。後ろを振り向いた勇者はそのままその音に意識を集中させた。

 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!

 次第に大きくなっていく音と何かが破壊されるような音が背後から断続的に聞こえ始める。

「(……お、おい……これって……)」

「(……あは、あはは……)」

 近づいてくる巨大な魔力の気配に気が付いたためか、たじろぎながら後ずさった。

 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!

「(やっぱりィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!!???)」 勇者の叫び声を合図にするようにして二度目の斬撃波が勇者の背後の彼方から姿を現す。

 物見遊山気分だった勇者とトイレブラシにも十分過失はあったが、二射目を見逃し、接近を許したのはそれだけが理由だけではなかった。

「(……でも、よく見ればあのデカいのに比べてずいぶん小さいな)」

 勇者とトイレブラシが見逃した原因、それは斬撃の大きさであった。

 背後から迫っている斬撃の大きさは正面の大きい斬撃よりも遥かに小さく、二メートル程しかなかった。

「(これなら別にだいじょう――)」

「(ダッシュです!!! ダッシュしてください勇者様!!! 森の方にむかって!!!)」

「(――え――)」

 トイレブラシの切迫した声に勇者の間の抜けた声が重なる。

「(別にあれくらいならそんな逃げなくても大丈夫だろ。剣で切り落とせば――)」

「(見た目で判断しないでください!!! 言ったはずです、魔術的攻撃に大きさは関係ないと!!! 今のあなたの魔力感知能力ならわかるはずですよ!!!)」

「(んな大げさなこと言って俺をおどかそうったってそうは――――あれ、え、うそ……)」

 どうせトイレブラシが大げさに言ってるだけだろうと、自分が先ほど撃った小さな怪物のことなど忘れてしまったかのような低脳ぶりで楽観的に考えていた勇者は背後から迫る小さな攻撃に意識を集中させた。そしてその結果、戦慄する。

「(うっそ、え、うっそマジかよッ!!!??? やべえよ、やべえよやべえよッ!!!!????)」

 勇者はキョドリながら全力で森の方に向かって駆け出した。

 本能が、感じ取る、それは己の無残な死。

 小さくとも、その内側に内包されたありえないほど高密な魔力。圧縮された力に、勇者は今頃になって気が付いたのであった。

 勇者は後ろを振り返らずにひたすら走る、小さな斬撃から少しでも離れるために。

 二百メートルほど引き離すことに成功した、だがそれでもまだ気は抜けなかった。

「(ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!!??? まだやばいだろ、あれってあれだろ、アレ、アレになるやつだろアレッ!!!???)」

「(あれあれ、ってなんですか!? わかんないですよッ!?)」

「(だから、ほら、近づいたら爆発――)」

 バゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!!!!!!!!!!!

 勇者が言いかけた瞬間、小さな斬撃波は破裂した。

 巨大な魔力の嵐が全てを飲み込むべく膨張しながら進み、当然走っていた勇者も――。

「(うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっぺはあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!???)」

 謎の奇声をあげながらその魔力爆発に飲み込まれた。

 その凄まじい爪撃の威力は大地に文字通り爪痕を残す、効果範囲はおよそ半径五キロにも及んだ。その攻撃はあらゆるものを破壊した、当然勇者もその被害を受けた。

 だが――。

「(……い、生きてる……)」

「(……ええ、なんとか生きてますね……)」

 勇者は生きていた。

 服はボロボロ、傷だらけではあったものの木の枝に引っかかった状態で生きていたのだった。

「(まったく、感謝してくださいね)」

「(ああ、助かったぜ……)」

 というのも、トイレブラシの機転のおかげであった。

 魔族の放った圧縮魔力が解放され、勇者を飲み込もうとした瞬間、トイレブラシが魔技をとっさに地面にぶつけその衝撃で勇者は森まで飛ばされてきたのであった。

「(しっかし、あぶなかったー……つーか、なんだよ、アレ……デカい奴を囮にして、時間を見計らって後ろからチッコい奴を撃ってくるとかよ……しかも小さい奴は圧縮された魔力の塊ときてやがるし……あれって普通に作戦じゃん……ホントにアイツ知性ねーのかよ……信じられねーんだけど……)」

「(……確かに、勇者様の言う通りですね……二重の波状攻撃に加えて、視覚による誤認を引き起こす魔力圧縮攻撃……私や勇者様が魔力感知できたからいいものの、あの攻撃には普通の人なら確実に騙せるような高度な偽装が施されていました……これは明らかに知性を持った者の行動……)」

 勇者とトイレブラシが思案していると、風を切る音が聞こえてくる。

「(……おい、また来たぞ……なんでアイツには俺の位置がわかるんだよ……魔力残滓の設定はどこいった……)」

「(魔力残滓は相変わらず漂ってますよ……でも何らかの方法でこちらの場所を掴んでいるんでしょうね……とりあえず――)」

 風を森の木々を揺らすと同時に魔力の斬撃が勇者目がけて飛んでくる。

「(――避けてから考えましょう!)」

「(――うわっと、ちょッ!?)」

 トイレブラシに体を引っ張られる形で木から落とされた勇者は、先ほど自分がぶら下がっていた位置に斬撃が通り過ぎるを見ながら地面に落下した。

「(っと、あぶねーな! ちゃんとやる時はやれとあれほど――)」

「(勇者様、まだ来ます! 全方位に意識を集中してください!)」

 なんとか着地に成功した勇者にトイレブラシはまくし立てるように言った。

 そしてトイレブラシの言う通り、地面に着地した途端、再び無数の斬撃が勇者を襲い始めた。剣を振りまわしてこれらを防ぐも手数が圧倒的に足りない、よって剣を振りまわす腕が斬撃により削り切られていく。血がジワジワト垂れ始め勇者も防戦一方の状況に苛立ち始める。

「(あーもう!!! なんなんだよ!!! アイツめ、ヒュンヒュンヒュンヒュンと同じ攻撃繰り返しやがってからに!!! しかも決まって同じ部分ばっかり狙ってきやがるしよぉぉぉぉ!!!)」

「(……同じ場所ばかりを狙う……確かに……)」

 ヒュンヒュンと音を立てて襲い来る斬撃の数々に勇者は辟易するも、トイレブラシは勇者の言った言葉に着目した。

 確かに先ほどから斬撃は勇者のある一部分だけを狙って放たれていた。というよりも、振り返って見れば先ほどというよりもずっと、それこそ圧縮魔力の時よりも以前から斬撃は勇者の体の、ある一部分を的確に狙っていたのだった。

 そしてある一部分、それは――。

 ザシュッッッッッッッ!!!!!!!!!

「(ぐわああああああああああああああああああああああああああああああああまた、また俺の顔がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!????)」

 血が噴き出したそこは勇者の顔だった。

「(狙いは、勇者様の顔……いや、というよりもこれは――)」

 なぜかは斬撃たちはこぞって、勇者の顔に吸い込まれるようにして軌道を変えながら進んできていたのだった。それを見たトイレブラシは胸の内に溜まった疑問に答えを出す。

「(――そうか、わかりました! どうして勇者様の位置が相手にわかってしまっているのか、どうして勇者様の顔ばかり狙ってくるのか!)」

「(ほ、本当か!)」

 斬撃を切り落としながら疲労感といつ終わるかもわからない絶望感に襲われていた勇者は光明を見つける。

「(ええ。なぜ勇者様の顔ばかり狙っていたのかっていうと――)」

「(俺の顔が美しすぎるからだな、かっこよすぎるせいだろ?)」

「(最初、私は何の価値もない勇者様の顔ばかりなぜ狙っていたのかがわかりませんでしたが――)」

「(おい貴様無視するなよッ!? っていうか失礼だろッ!?)」

 トイレブラシに怒りながらも、希望を見出したことで動きのキレを取り戻した勇者は次々と素早く斬撃を切り落としながら舞い踊る。だがいくら切り捨てても攻撃が止むことはなかった。

「(くっそ、マジでキリがねぇな。おい便ブラ、前置きはいいからさっさと説明してくれ!)」

「(そうですね。では、このなんとも言えない悪い状況になった原因から、結論から言いますと勇者様の顔に刻まれた傷が原因です)」

「(どういうことだッ!?)」

「(勇者様の顔に自分の魔力でマーキングしていたってことですよ。つまり、強力な魔術的引力を発する印、サインを刻んでいたってことですね。これによって適当に撃った斬撃波であっても勇者様の顔に向かって進んでいくようになります。いろんな方向から斬撃が飛んできているのは適当に撃った際にある程度進んで、勇者様のサインの発する魔力に引き寄せられて方向を変えたためであると推測できます)」

「(ってことはアイツは俺の居場所がわかってるんじゃなくて――)」

「(ええ、ただ適当に撃ってるだけでも勝手に攻撃がこちらに吸い寄せられていく。つまるところ相手にこちらの位置が知られているわけではないわけですね、たぶん)」

「(なんだそりゃ……)」 

 マーキングという行為によってただ適当に攻撃しているだけですべてこちらに引き寄せられてしまうというあまりにも理不尽な状況に勇者は頭を抱えそうになった。だが攻撃は相変わらず続いており、休む暇も頭を抱える暇さえなかった。

「(……で、どうするんだ? なんか打開策もあるんだろ?)」

「(おや、なぜそう思うんですか?)」

「(お前のウッキウキの弾んだ声聞いてりゃいやでもわかるっつの!)」

 トイレブラシの声はなぜか楽しそうで、勇者はその声に期待半分、不安半分の両方の気持ちを抱く。

「(ふふ、では作戦を開始します。でも、その前に一つ確認したいことがあるんですがいいですか?)」

「(なんだよ? 悠長にしてる暇なんざ、ねえだろっと! またさっきみたいな波状攻撃仕掛けてくるかもしれねえってのによ!)」

「(簡単な質問ですよ)」

「(なんだよ! 早く言え!)」

「(そうですね、それでは――勇者様、たとえどんなことになろうともこの状況を変えたいですか?)」

「(当たり前だッ! このままじゃ絶対死ぬだろ!?)」

「(何を犠牲にしてもですか?)」

「(くどいぞッ!)」

「(そうですか――では――最後の確認なんですが――)」

 攻撃をかわしては弾き、地面を転がりながら動き回る勇者はひたすらにこの状況が変わることを望んでいた。

「(――それはご自分の顔を犠牲にしても、ですか?)」

「(なん……だと……!?)」

 勇者は選択を迫られた。

 

 魔族は遠く離れた木の上から四方八方に爪による斬撃を飛ばしていた。適当に飛んで行った斬撃たちは最初はバラバラな方向に向かって行っていたが、一定の距離を過ぎると皆自動的にある方向に向かって行っていた。そしてその方向にはもちろん、自身の敵がいた。

「…………」

 しかし、突然、自身がつけていたマーキングの反応が消え、斬撃がバラバラの方向に散りだす。

 それを見た魔族は木の上から勢いよく飛び降り、着地と同時に先ほど斬撃たちが向かって行っていた場所に走り出した。強靭な足で地面を蹴り、疾風のように木々の間をすり抜けた魔族はあっという間に目的地に到着する。

 自身の放った斬撃の影響からか、間違いなく目的地は今魔族が立っている場所なのだが、勇者の姿は確認できなかった。そしてよく見ると、辺りが黒く焼け焦げており、その上濃密な魔力残滓が漂っていたため魔眼の能力も使用できなかった。

 魔力残滓の影響か、辺りを注意深く観察しても勇者の気配はまるで感じられない。

 だが――それならば――と行動に示す。

 爪に青紫色の光が宿ると共に、魔族は辺り一面を薙ぎ払う。

 その瞬間、一瞬のうちに周囲の木々や草が切り払われ、森が禿げる。

 それを何度も、何度も、自身の周囲が丸裸になるまで繰り返した。

 数分、程ひたすらそれを行うと、辺りが開け、周囲1キロほどの景色が見渡しやすくなる。円形に切り取られた広場の中で、魔族は再び勇者を探すが――。

「…………」

 やはり見つからない。

 ひとしきり確認した後、踵を返した瞬間、

 魔族の足元の土が盛り上がり、破裂する。

 ゴオッ!!!!

 そして地面に穴が開き、その中から勇者が飛び出してきた。

 魔族はすぐに飛び退こうとしたが、それよりも早く勇者が剣を振るう。

「グルッ!?」

 魔族も首を落とされぬようにと腕の鱗でガードした。

 ズシャッ!!!!!!

 一閃。

「グルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」

 勇者の振るった渾身の斬撃の前に魔力を吸収する腕の鱗は切り砕かれた。

 痛みに呻きながらも、魔族は勇者を見た。

 その顔を、自身が刻んだ顔を見た。


 勇者は悲しみに耐えながら必殺の一撃で魔族の鱗を砕き、深いダメージを負わせる。

「(どうだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 見たか、このドラゴンもどきがッ!!!! 俺の、俺の怒りの一撃だぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!)」

「(勇者様、頑張りましたね。よくご自分の顔を……うん、偉いです)」

 勇者は魔族を見ながら声にならない叫びを言い、トイレブラシも称賛した。

 なぜ、マーキングした場所が消えたのか疑問に思っているのかはわからなかったものの、自分の顔を見てくる魔族を勇者は睨む。

「(よく見ろオオオオッ!!! おめーのせーで、俺の、どの宝石や芸術品よりも価値がある俺の顔が、こんなんなっちまったんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!!!!)」

 勇者は自分の焼けただれた顔を見せつけた。

「(魔力でマーキングされたなら、同じくらい、いえ、もっと強い魔力を用いればいい、つまるところ魔技で上書きすればそれは消える。いやー、私の理屈は間違ってませんでした)」

「(うう……ちくしょう……人間国宝になる予定の俺の体が……)」

 自分の顔に魔技をぶっ放した勇者はやったことに対して深く後悔する。

「(そんなに悲しまないでください。戦いが終わったらちゃんと直してあげますから)」

「(そういう問題じゃないんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!! 美しいものを傷つける事、汚すことそれ自体が罪なんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!)」

「(いいじゃないですか便器は汚れるものでしょう?)」

「(俺の顔を便器呼ばわりすんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!)」

 勇者がトイレブラシに物申していると、ダッ、と魔族が地面を蹴り勇者の周りを高速で移動し始める。

「(――確かに早えな……目じゃ、追いきれねえ……だが――)」

 勇者が魔族の進む方向を先読みし、魔技を放つ。

 バゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!!

「(魔力の気配でてめえの位置は丸わかりなんだよ)」

 魔族はその一撃を受けて爆発し、煙をあげながら後方に吹き飛び三キロほど転がり木に激突する。

「(ふふ、魔力残滓が漂っていようが感知がいっさい衰えないこの天才の力を見たか)」

「(私が魔力残滓の気配を消して処理してるおかげなんですかどね……)」

「(だが、貴様は楽には倒さんぞ。俺の受けた屈辱と恥辱、百万倍返しで受けてもらう!!!)」

「(聞いてないですかそうですか……)」

 勇者は強化された足で駆け出すと魔族の飛んで行った場所まで走り、剣を横に構える。木を背にして尻餅をついている焼けた魔族を視界に捉えた勇者はほくそ笑みながら走り近づいていく。

「ガルルルルルルッ!!!! ガル――」

「(威嚇してこようがてめえなんざもう怖くもなんともないぜッ!!!!)」

 鋭いサメのような歯をむき出しにして威嚇する魔族に対しても怒りに燃える勇者は気にせず特攻をかけた。

「――ガル――くふ、くふふふふふふふふふふふふふふふふ――」

「(――は……?)」

 言っている意味も言葉も相変わらずわからなかった勇者だが、魔族のその行為だけは理解できた。

 ゆえに立ち止まる。

 その不気味さゆえに立ち止まらざるを得なかった。

 そしてその行為とは――。

「くふふふふふふふふ――アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!」

 笑い、だった。

 先ほどまで獣のようにうなる、もしくは叫ぶしかしなかった、否、出来ないと思っていた魔族が嬉しそうに笑い出したのだった。

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!! いやー、参ったぜッ!!!! ただの半魔のフリしてりゃ油断してくれると思って演技してたんだが、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!! まあつっても途中までは意識なかったんだけどな!!! 寝ぼけてたっつーか、お前がたぶん、あれだ、ほら『メルティクラフト』だっけか、それをして俺に攻撃をしてきた辺りから意識が戻り始めたんだよ!!! 『強烈な同族の匂い』に起こされてさ、でも見てみたら人間じゃん? ビックリしたぜぇ、だが久しぶりに意識がはっきり表に出せたんで楽しく暴れさせてもらったぜ。だが、想像以上に強敵でさらにビックリッ!!!! しっかし、自分の顔面に技ブチ当てて俺のお手製の『魔呪印』を消すとはな、とんでもない狂人だ!!!! 最高だぜお前ッ!!!!!」

「(……おい、何言ってるかわかんねーけど……アイツ滅茶苦茶楽しそうに喋ってるんだけど……知性あるじゃん……マシンガントークじゃねーか……)」

「(やっぱり、ただの半魔じゃなかったみたいですね……)」

 明確な知性の象徴、言語を操る魔族に勇者とトイレブラシは驚愕する。

 そしてひとしきり楽し気に笑った後、魔族は立ち上がり勇者に問う。 

「俺の名はガルバルト。ずいぶん前になるけど、この大陸で猛威を奮ってた魔族の名前なんだぜ、聞いたことあるか? すげーたくさん人間殺したこともあるんだぜ!!! まあ、兄貴たちにはちぃとばっか劣るけどな! 今はこのシャルゼって小僧の体に宿ってる。しかし時代が変わってもやはり人間は悲劇を繰り返すねぇ、くふふふ」

「(……またなんか話しかけられてるっぽいんだけど……)」

「(わからないし、こっちもしゃべれませんもんね……)」

 トイレブラシの言う通り何の反応も返せない勇者は黙りこくるしかなかった。

「……だんまりかよ。せっかく人間の言葉で話してるっつーのにつれないなぁ。それにしても、どういうわけだ……お前、普通の人間じゃねーだろ? 『呪界』の中にいてもなんの影響も受けてねーみたいだし……それにお前からは『お母様』の匂いがプンプンするんだよなぁ」

 スンスンと鼻をならした魔族は勇者に再び、話しかける。

「――お前、魔族なの? 人間なの? なんなの? 計画に加担しての?」

 だが勇者は答えない、というより答える術をもたない。

「――話すつもりないってか……ま、いいや――それなら――」

 魔族の体が膨れ上がり、筋肉が隆起していく。

 それはそう、さながら――。

「(だ、第二形態、かッ!?)」

 勇者の目の前で巨大化した魔族は笑う。

「力づくでお話してもらう、からよぉ」

 そして決戦が始まる。 

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