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ミステイクファンタジー  作者: 鈴木拓郎
31/42

30話

 シャルゼは自分を含む空全体が赤黒い霧に一瞬で包まれたことで、表情をこわばらせた。

(……赤毛の剣士……何をするつもりだ……)

 巨大な、それでいておぞましい魔力の霧はシャルゼの魔眼をも曇らせ、強烈なプレッシャーをシャルゼに与えた。むせかえるような血に似た魔力の臭いと目に映る濃度の高い霧によって荒い息をし始めたシャルゼは弓を引き空気の矢を現出させる。

(なんにせよ、向こうが何かをしてくる前にこちらから仕掛けるッ!!!)

 だがシャルゼが矢を放とうとした瞬間、魔力で出来た霧に変化が生じる。

(……なんだ……霧が一点に集まって……)

 自分の周りに漂っていた霧もやがて消えていき、視界が晴れて行ったが、シャルゼは妙な胸騒ぎを覚えた。やがて周囲を満たしていた霧は雲の下に集まっていき、赤い竜を中心に漂い始める。そして霧は渦を巻くように回り始めると巨大な竜巻を形成し、竜を覆い隠した。

(これは、何かの術式を形成しているのか!? 赤毛の剣士の属性は火、でもこんな術式は見たことがない!? マズイッ!? やらせるわけにはいかないッ!!!)

 敵が得体の知れない術を展開し始めたのを見たシャルゼは分析をやめると、竜巻に向かって即座に矢を撃った。放たれた直後の矢は静かだったものの、周りの空気を巻き込みながら回転していきしだいに大きくなると耳障りな音を発生させながら赤い霧の竜巻に高速で突っ込んでいった。

(術の発動はさせない。でも赤毛の剣士はなぜ『メルティクラフト』して魔技を放ってこないのだろうか。

魔技を隠すため? ……それともまさか手加減されているのか? レオン君やガゼル君は赤毛の剣士がまだ本気を出していないように思えた、と戦いの後に言っていたけど……)

 シャルゼが考え込んでいると、かん高い音が周囲に響き渡る。どうやら矢が霧に衝突し、破裂したらしく、離れた場所にいるシャルゼにも音が聞こえてきた。

(……相変わらず頭に響く嫌な音だ、ここまで離れていても頭が痛くなりそうだよ。僕の魔技は至近距離で撃てないのだ難点だ、下手をすれば僕の頭ごと破壊しかねない。まあ、でも弓の魔技にはうってつけ――)

 シャルゼは自分の魔技の欠点を知っていたが、それが動物、特に人間に対して絶大な威力を発揮することもまた知っていた。そのため相手がどんな人物でも至近距離から音を聞けば戦闘不能に出来ると思っていた、詠唱をすることなどあの音の響く空間で出来るはずがないと思い込んでいた。

(――な、なぜ止まらない!?)

 しかしその思い込みは常識外れの存在によって容易く打ち砕かれる。

 シャルゼの放った空気の矢は魔力の渦に激突し、超音波と衝撃波を同時に発生させたものの、その禍々しい赤い竜巻の回転を止めるどころか魔力さえも吹き飛ばすことは出来なかった。堅牢な建物でさえ消し飛ばす衝撃波はただの魔力の前に防がれ、超音波など聞こえてはいないように術式は組み立てられ、さらに竜巻は速く回転する。

(た、確かに赤毛の剣士を捕獲するために魔技の威力は落としている、だけどただの魔力の集合体に防がれるなんて……どれほど密度の高い魔力だというんだ!? それに、おかしい……あの音を聞いて平気でいられるはずはない! どうなっているんだ……耳をふさいだところで意味はないということも検証済みだ……あの音は一度聞けば脳を揺らし、意識を飛ばすことができる。仮に意識を保てたとしても言語を発するどころか平衡感覚さえも狂わせるほど強力な超音波だというのに……)

 だが現実は非情にもシャルゼの前に立ちはだかり、竜巻の速度はより増していった。悔しそうに奥歯を噛みしめたシャルゼはさらに矢を十本ほど竜巻に向かって撃ったが、やはり結果は変わらなかった。

(……なんて強固な魔力の塊……そして、どうやっているのかはわからないが赤毛の剣士にあの音は通用しないみたいだ……効いたのは最初の一回だけ、それ以降はなんらかの対策を施された……どうする……やはり威力を上げて――ぶち殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すッ!!!!!!!!!)

 シャルゼの瞳がケダモノのそれに変化し、矢を引こうとした――。

「――あ、今、僕は――何を――意識が飛んで――うぐッ」

 だが直前に意識が戻り、シャルゼは引いていた弦から手を離し口を押える、強烈な吐き気に襲われ、めまいによって再び意識が飛びそうになる。

(――威力を上げようとすれば、必然的に融合状態がさらに強くなる――それはすなわち、僕がアレに変化する速度を早めることを意味する……それにしても威力をあげようと考え始めた矢先にこれだなんて、ははッ、本当に僕はどうしようもないな)

 涙を浮かべ、自身を嘲笑しながらシャルゼは手を口から離した。

 その瞬間、竜巻が急速に小さくなり、一転に凝縮されていった。竜巻がなくなったことで現れた竜の口に集まった魔力は光り輝くとシャルゼの周囲にも熱波が吹き荒れる。シャルゼはそれを見るや否や無意識のうちに弓に手をかけて空気の矢を作り出していた、物理的防御にも転用できるほど密度の高かった魔力が一点に集中する光景を魔眼で捉えた結果の行動であった。

(理性を失わない限界ギリギリの威力で撃たなければやられるッ……!)

 シャルゼは焼けただれた手で弦を力強く引くと矢を作り出した。だが今度の矢は先ほどよりも空気を多く取り込んでおり、殺傷力は勇者に向けて撃ってきた数倍はあろうものであった。手を抜けば炎に焼き尽くされ、かと言って全力を出せば勇者の身の安全どころか自分の身にさえも多大な被害がいく、それゆえシャルゼはジレンマに悩まされながらも己の出せる最善の選択肢を選んだ。

 シャルゼの矢が膨れ上がっていくのと時を同じくして、赤い竜の口にも巨大なエネルギーが集中していき、夜の空を夕焼け色に変えた。

(――来るッ! だけど、ただの魔術と『メルティクラフト』状態の魔技ならば、魔技の方が威力は上ッ!)

 赤い竜の攻撃が放たれることを魔眼で感じ取ったシャルゼは先に矢を放った。矢はシャルゼの斜め下の空に吸い込まれるようにして流れて行った。形や大きさなどは地上に向けて撃っていたものと変わらなかったが、その矢の内部は乱気流のように荒々しくたくさんの空気を巻き込みながら激しく蠢いていた。

 そして矢が高速で竜に接近する中、ついに竜もその口に溜めたエネルギーを開放する。

 咆哮に似た振動と共に、空がより一層紅色に染まる。

 ドラゴンのブレスのようだ、とシャルゼはそう思った。

 両者の攻撃が空中に放たれた瞬間、轟音が空に響いた。

 そしていくばくもなく、竜から吐き出された赤黒い炎と五メートルほどの大きさの空気の矢は互いに引き合うようにして空中で激突した。

 バゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!!!

 鼓膜を破るような音が響き、光が周囲を照らす中、シャルゼは竜から吐き出された炎を見ていた。

(…………なんておぞましい力だ…………)

 その炎の実態は言葉で形容できるものではなかったが、あえて言うならばそれは亡者の群れに近かった。

 炎によって作られ、ドラゴンのブレスのように見えていた人の形をした大小無数の醜い怪物たちは互いに喰い合うようにして集まり暴れながら炎の渦を形成していた。

(……魔術、なのか、これは……本当に? ……こんな、こんなものが……)

 あまりにも醜い光景にシャルゼはただ茫然とそれを見ることしかできず、地獄の亡者たちが自分が今しがた放ち炎と激突し押し合っていた空気の矢に手を伸ばし始めたことで初めて我に返った。炎からワラワラと這いだし、一体の怪物が矢を掴むが矢の風圧によって逆に消し飛ばされる、それを見てシャルゼは安心するが次に瞬間には五体の亡者が矢を掴み消し飛ばされ、さらに次には三十体の亡者が矢に飛びかかりまた消し飛ばされる。最終的には何百体という亡者が一斉に矢に飛びかかり、そのうちの十数体が掴むことに成功する。そして何十体と消し飛ばしたことで威力の下がった空気の矢を喰らい始めた。

 シャルゼはすぐに二射目に取り掛かる、矢がもう半分近く食いちぎられたのを見たための行動であった、矢の抑えを失った亡者たちの行進は間違いなく自分の方に向かってくる、それゆえに二射目を放つ手は震える。自分が炎の怪物に食いちぎられるビジョンを頭の中で思い浮かべたシャルゼは無意識のうちに、生存本能から『メルティクラフト』の融合状態を上げて、魔技の攻撃力を強化していた。

「け、消し飛べぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!!!」

 手が光り輝くと、細長い矢があっという間に作り出された。叫びと共に十メートルを超える空気の矢が亡者の群れに向かって放たれる。

 高速で放たれた矢は餌になっていた空気の矢の尻に着弾する形で亡者を消し飛ばした。

(……や、やった……!)

 シャルゼは口を開けて喜んだ。

 だが次の瞬間――。

(……う、え……)

 歓喜は絶望に変わる。

 消し飛ばした亡者たちが合体し、一瞬で矢と同じかそれ以上に巨大化すると今しがた放った矢を丸飲みした。矢を飲み込んだ亡者は風の矢を喰らったことで、その風圧に耐え切れずに消し飛んだが、矢もそれと相殺される形で矢も消える。

 すなわち――。

 亡者たちの歩みを止めるものはもういないのである――。

「「「ウォガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」」」

 奇声をあげた亡者たちは凄まじい速度でシャルゼのいる空域に接近してきた。シャルゼも顔に脂汗をかきながら必死に矢を放った。

 だが――。

「……ば、バカな……」

 あっさりとその矢は群れの中の一匹に掴まれる。

(耐性が出来ている、のか……)

 空中を行進する百鬼夜行の中でただ一人群れから少し上に飛んでいたその一匹は、もはやそんな攻撃など効かないといわんばかりに矢を喰らい尽くすと、シャルゼの居場所がわかっているかのように眼を見て、あろうことか――。

「ッ……!?」

 二ィィッ、と微笑んだのだった。

 獲物を前に舌なめずりするかのような醜い笑顔に気圧されたシャルゼは息を飲む。初めて味わう恐怖、背筋が寒くなり、歯がガタガタと鳴りだす。亡者たちが我先にと自分のもとに向かってくる様子を見ながら意識が遠くなっていき、やがて目の前が真っ白になった。そして――。

「「「アギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」」」

 魑魅魍魎たちの叫びに呼応するように、

「……う、あ……あ……」

 シャルゼは、

「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!」

 叫ぶ。

 と同時に『メルティクラフト』の融合状態を限界以上に上げた。

 途端、シャルゼの魔力が爆発的に膨れ上がる。目の前に迫る巨大な地獄絵図を前に弓の弦を強引に引くと、先ほどよりも小ぶりな緑色に光り輝く矢が形成される。およそ四十センチほどの緑色の矢はすぐにシャルゼの手を離れて亡者たちに放たれる。

 すると、待っていましたと言わんばかりに先ほど矢を軽々掴んだ亡者が再び矢に手を伸ばした。

 また喰らってやる、そう思っているであろう涎を垂らした意地汚いその表情は余裕に満ちていた。

 だが、

「……アギャ……?」

 その言葉とも言えない鳴き声が最後の言葉になった。

 矢が手に触れた刹那の瞬間、群れの先頭から中間地点までの亡者たちが一瞬のうちに消滅した。

「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!」

 それでもなおも止まらない群れに向けて何度も、何度も、何度も、シャルゼは緑色の矢を放ち続けた。

 矢を放ち続けること数分、ついに竜の口から吐き出された醜い怪物たちは駆逐された。

「はぁ……はぁ……はぁ……すぅー、はぁー、すぅー、はぁー」

 目を見開きながら息を乱したシャルゼは気持ちを落ち着けると、目を閉じて深呼吸を繰り返した。

 やがてそれを終えると、目を見開き巨大な竜に鋭い視線を向ける。

「……僕は、間違っていた……」

 シャルゼは先ほどよりも弓を強く引き、緑色の矢を三本出現させる。

(手心を加えたとはいえ魔技を上回る魔術を平然と使う大魔術師、僕とは比べ物にならないほどの使い手だ。遥か格上の相手に手加減して勝てるはずはない、捕らえるなんて夢のまた夢。例えこの身がどうなろうと全力で挑む。そう、だから全てを賭して――)

 シャルゼは三本の矢を竜に向けて、

「殺すつもりで戦うッ!!!!」

 殺意と共に放った。

 三本の矢はそれぞれが淡い光を放ちながら竜を討つべく空中を走る。

 この時、シャルゼの覚悟が定まると同時に、その身に宿る呪われた血も覚醒し始めた。


 トイレブラシは飛んでくる三つの巨大な魔力の気配を感じ取りながら満足そうにうなずいていた。

 「……どうやら本気でヤル気になったみたいですね。奮発して別の世界から炎の亡者を召喚する古代の魔術を使った甲斐がありました。この魔術威力はすごいんですけどその分反動が凄まじいので勇者様とつながってる時は使えないんですよね。さて、これなら反射させても大丈夫そうです、それじゃあ――」

 そして飛んでくる矢に背を向けると、

「逃げますかね」

 一目散に逃げようとした。

「……あれ、って――」

 だが、飛んでいた矢の一本が急激に加速すると一瞬のうちにトイレブラシに近くに現れた。

「――う、うそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!??」

 そして破裂すると同時に空気の塊が内部から噴き出しトイレブラシの体に空気と魔力が絡みつく。

「――う、動けないッ――こ、これは」

 まるで実体があるかのようにトイレブラシをがんじがらめにして拘束した空気はさらに締め付けを強くする。苦しそうに呻くトイレブラシは他の二本の矢が近づいて来ていることを気配で察した。

(ま、マズイッ!? 一本目が拘束っていうことは残りの二本は間違いなく攻撃能力のはず――)

 トイレブラシは残りの二本が来る前に拘束から抜け出そうとしたが、

「ふぬうううううううううううううッ!!! くうううううううううううううううッ!!! ……だ、駄目ですねこれ……ふりほどけない……」

 そうこうしているうちに二本目が飛来する、

「――しまッ!?」

 そしてトイレブラシに衝突した。

 衝突する瞬間、赤黒い魔力を自分の周りに発生させ衝撃を軽減させようとした。

 だが、負傷を覚悟したトイレブラシだったが、その体が傷つくことはなかった。

「……攻撃じゃ、ない――」

 トイレブラシはいつの間にか自分が空気の膜の中にいることに気が付く。

(拘束、幽閉、ときて、最後は――)

 シャボン玉のような空気の膜に最後の矢が突き刺さる。

 その瞬間、矢は膜の中に入り込み破裂した。

 ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!

(う、うう、す、すごい音、空気と魔力の振動が物理的な破壊力になっているッ。なるほど、本来はこうやって使うわけですか)

 閉鎖された空間で反響し、大きく鳴って行く音の振動により、トイレブラシは自分の体が破壊されていく感覚を味わっていた。ビリビリと痺れる感覚は数十秒おきに段階的に大きくなり、崩壊までのカウントダウンを示していた。

(勇者様とつながってる状態でこれをやられていたらひとたまりもなかったですね。でもやってこなかったってことはやっぱり貴方たちは勇者様を倒すのではなく捕らえる事を目的としているんですね。いや、ロビンフットさん、貴方に限ってはそれだけではないようだ。攻撃のふしぶしからためらいが伝わってくる、そう、今この瞬間も。だけど、それは――)

 トイレブラシは一気に自身の魔力を開放した、空気の膜の中に赤黒い魔力が広がる。やがて広がった魔力は空気の膜の中を満たし、許容量を超え始める。

(こうして小さな隙につながる。そして小さな隙は――)

 ボコボコ、球状の膜を突き破るようにして中の魔力は暴走を始め、

(致命的なミスへと変化する)

 パァァン!!!

 泡が弾けるように膜は破れ、中から赤黒い魔力が狼煙のように空に昇った。

(全力になったのはいいんですが、やはりまだ甘いですね。性格の問題、ってだけではなさそうですけど。うーん、なんなんですかね、本気で相手を殺してやろうって気概はなんとなく感じるんですが、どこかまだためらいがあるような……ってやばいですね。そろそろ宝物庫に向かわないと、そろそろタイムリミット迫って来てるかもです! 出来ればもっと強力な矢を撃ってくれるとありがた――)

 トイレブラシの期待に応えるように十メートルを超える矢が雲を突き抜けてやってきた。

(し、心配なさそうですね! よし、今度こそ逃げよう!)

 トイレブラシは次の矢が放たれる気配を感じ取ると、全速力で空から地上に向けて急降下し、宝物庫に向かった。

 タイムリミットまで残り三分三十秒。


 カチッ――。

 ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!

「クソがぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!! あの腐れ便所ブラシ、走り抜けろってどういうことかと思ったらこういうことかよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!」

 踏んだ瞬間に鳴ったスイッチを押したような軽快な音と共に爆発した地面を背にした勇者は疾風のように森の中を駆け抜ける。

 カチッ――バゴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!!!!

 カチッ――ドバゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!

 カチッ――ドガバゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!

 カチッ――ゴォバァァァァァァァァァァァァァァァァァ――カチッ――バドォォォォォォォォォォォ――カチッ――ズゴォォォォォォォォォォォォ――カチ――カチ――カチッ――カチッカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ――。

「もうやだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!! 死ぬ死ぬ死ぬ絶対死ぬうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!!!!!」

 トイレブラシとシャルゼが空中で高度な戦いをしている一方で、勇者は踏むたびに爆発する地雷原を半泣きになりながらもなんとか切り抜けていたが、それももはや限界だった。

「うひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!!??」

 トイレブラシから魔術的付加をなされていたとはいえ、勇者の足はもうパンパンに腫れ上がっていた。爆発の衝撃と魔力による無理な脚力強化が相乗効果で合わさった結果の惨事、だがそれでも勇者に走る以外の選択肢は無く、ひたすらに両手両足をシャカシャカと高速で動かし暗い森の中を走り続けた。

「あああああああああああああもう、もう限界ィィィィィィィィィィィ――あッ、ああ!」

 もういっそ地雷で吹き飛んでしまおうかと思った矢先の出来事、勇者の目の前がパッと開けた。どうやら森を抜けたようで、目の前には目的の建物が見えていた。

「よっしゃああああああああああああああああああああああああああッ!!!! 着いたああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」

 目的地をその眼に捉えたことによって気が抜けたのか、勇者は走る速度を緩めた。

(はぁ、ようやく着いたぜ。これでひと安心、よくやったな俺の両足。さすがだぜ俺、何もかも計算通りに事が運ぶ、これぞ天運を持ってるってことだよな。なはははははは――)

 森を抜け、屋敷の敷地に入った勇者は、先ほどまでの情けない態度を忘れたかのように地雷原を見事に走り抜けた自身の俊足と自分の能力を褒めたたえた。その後、全力疾走から早歩きに切り替えて屋敷を見上げていた時。

 ――――――――――――――――――――――――――カチッ――――――――――――――――――――――――。

「……え……?」

 右足で地面を踏んだ瞬間、勇者は先ほど耳にタコが出来るほど聞き飽きたスイッチ音を聞き思わず立ち止まる。だが踏んだ右足はすでに地面を離れてしまっており、勇者の顔はサーッと青ざめた。

「あ、やば――」

 ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!

 爆音と共に勇者は空中を舞った。

 そして屋敷の方に吹き飛んでいくと、地面に激突し転がる。

「ぶるぶはびゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!????」

 結局屋敷の玄関付近まで転がり、死んだように倒れる。

「…………け、結果オーライだ、玄関まで、来られたんだから、計算、どォりだ、ぐふぉッ……」

 背中の『火竜の剣』引き抜き、それを杖のように使いながらを屋敷の五階を勇者は目指す。息を切らしながらも傷ついたボロボロの体で二階の階段をのぼる。

(もうちょい、もうちょいだ! 頑張れよ俺!)

 自身を鼓舞し、早歩きながらも着実に屋敷の内部を踏破して行った勇者であったが、ここで問題が発生する。

「……な、んだ、う……」

 勇者の目の前がぐにゃッとねじ曲がり始めた。それと同時に胃から熱いものがこみ上げてくる不快な感覚に手で口を押える、おそらくタイムリミットが迫っているのだろうと勇者は直感的にそう思った。

 強烈なめまいと吐き気、頭痛に襲われた勇者であったが、それでも足を進めて階段をのぼる。だがあまりのつらさにへたり込んでしまいそうになる。

(ちぃ! タイムリミットが近いせいなのか!? くっそ、今どれくらい経ったんだ!? くそー、スマホ城に置いてくるんじゃなか)

 心の中で毒づきながらも剣を杖にし、体を支えながら着実に歩を進め、ついに五階に着いた。

「……はぁ、はぁ……あとは、宝物庫を……目指すだけ……だ……」

 だが勇者はその言葉を最後に力尽きたように廊下に倒れた。

(……や、やべー……か、体が……動かねー……)

 あと少しで宝物庫というところで勇者の体は動きを止めた。

(意識はあるのに……体がまるでいう事きかねえ……)

 這ってでも宝物庫に行こうとした勇者だったが、体が言うことを聞かず、時間だけがゆっくりと流れていく。

(……ここまでなのか……こんな異世界の森の中にある薄気味悪い屋敷で生涯を終えるのか俺は……しかも全裸で…………便ブラ、悪かったな、タイムリミットに間に合わなくて……)

 勇者は途切れそうになる意識の中で故郷のことを思い出していた。

(……地球の、学校のみんなはどうしているだろうな、一言お別れを言ってくるべきだったぜ………それに先生も、どうか援交バレないで続けてください……そして父ちゃん母ちゃん)

 勇者は涙を浮かべて地球にいる両親に自分の思いのたけを述べる。

(父ちゃん、母ちゃん……何て言っていいのかわからないけどさ、これだけは聞いてくれ)

 自分を産み、育ててくれた両親に対して、先に逝く自分を恥じるように心の中で遺書を残す。

(俺、俺さ、死んでも絶対忘れないから……父ちゃんと母ちゃんが俺にしてくれたこと……)

 勇者は空中に両親の幻影を浮かべながら笑う。

(いつまでも忘れない、そう――)

 幻影の両親に心の中で言う、最後の言葉を伝えるために、心を込めて。

(俺を置いて世界一周旅行に出かけたうえにきゅうりしか飯を用意してなかったこと死んでも忘れません)

 最後の言葉、それは呪いの言葉だった。

(ハゲとババア、俺が死んだら怨霊になってそっちの世界に行くから覚悟しとけよ。旅行中に様々な嫌がらせをしてやるからな)

 ひとしきり言いたいことを言い終えると勇者は目をつむった。 

(………ちくしょう、今わの際だからかな……走馬灯のように今までの出来事が甦ってくるぜ……こっちの世界に来てから色々あったけど、結構いい思い出が――)

 勇者は思いだす、この世界で自分の身に起きた様々な出来事を。

(――いい思い出が――)

 初めて会ったお姫様が母親似のババアだったこと、滅亡寸前かもしれない異世界を救うつもりで肥溜めにまみれてまでやってきたにもかかわらず水道の修理をさせられた後もう帰って良いと言われたこと、外国で売ってるようなカラフルなお菓子のような色をした蛇に全身を噛まれたこと、姫と二人でビンゴ大会をやったり、姫と二人でバトミントンをやったこと、花火の直撃を受けて黒焦げになったこと、大して仕事がないと言っていたくせに実は戦争中であることが発覚したこと、自分の寝床にサムウェルス公という公爵家の貴族の屋敷があてがわれたと思ったら実はサムウェルス公園のホームレスに世話を任されていたということ。

(……いい思い出が……)

 住民票と戸籍が無ければ町に住めないと言われたため報酬としてそれらと住む家を手に入れるために五十を超えた姫のパンツを探す任務を引き受けるも敵国の人間と途中で遭遇しなんとか撃退、任務を達成したが手に入れた住処が牢屋だったこと、戦時中だというのに姫以外の王侯貴族と兵士を見かけないため何か事情があると思っていたら全員海に遊びに行ってたこと、戦争のきっかけが目玉焼きに何をかけるかで起こったということ、能力強化のために国宝の剣を手に入れようとしたら国宝が物置にしまわれておりさらに盗まれていたことが発覚したこと、国宝奪取のためにパーティを組むことになり美少女とようやく出会えると期待していたら出てきたのがワキガでガチムチの無能男三人だったこと。

(…………いい、思い出が……が…………)

 犯人とおぼしき人物たちと戦い、ケツを掘られそうになったがなんとか撃退に成功するも結局宝は見つからずワキガ三人の上司である人物、軍事を担う最高責任者である将軍がギャンブルに狂った挙句借金にあてるため持ち出したことがわかったこと、異世界にも関わらずなぜか存在したパチンコに狂ったパチンカス将軍を捜索するために王の力を借りてローラー作戦を決行しようとしたが、王侯貴族と他の兵士たちはブドウ狩りに出かけており人が集められないことを知ったこと、結局一人でパチンカスが出かけたとされる砂漠に行き倒れていたパチンカスを発見したが想像以上の無能で、持ってきた水でパスタを茹でた挙句風呂に入り貴重な水を全て使い切られて危うく死にかけたこと。

(………………い…………い……思い…………………で………が………………いや、そもそも俺――)

 砂漠で再び刺客と戦いまたもや撃退、国宝を手に入れるも国宝の魔石はパチンカスによって売却されて現在アンサムの屋敷に存在すること、魔石を取り戻すために変態無能と手を組みこうして今も戦っていること、今までの出来事全てが一瞬で頭に浮かび勇者は泣く。

(なんもいい思いしてない……)

 勇者は鼻水と涙を垂れ流しながら自身の境遇を嘆く。

(いやだあああああああああああああああああああああああああああああああ死にたくないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!!!! せめて、せめて美少女もしくは美少女エルフと一発やるまでは死にたくないよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!)

 全裸の童貞は静まり返った屋敷の中で汚い欲望を開放する、と同時に性と生への執着を取り戻し、その瞳に熱い意思が宿った。

(そうだ、冗談じゃねえこんなところで死ねるかッ!!! ババアとおっさんと男にしか出会ってないんだぞ、むさくるしい連中としか交流をしてないんだぞッ!!! 美少女とエロい事したりエロい事したりエロい事したりしてないんだッ!!! 絶対に諦めない、俺は――生きるッ!!!! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!!)

 勇者は動かない体に自分の意思を訴えるようにして力を入れる。

(はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!)

 不条理に抗う英雄のように全裸の童貞は自身の運命に抗い始めた。

(俺に、英雄の資格があるのならッ!!!! この程度の運命、切り開けるはずだぜッ!!!! さあ、一緒に運命に抗おうぜ、俺の体ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!)

 一分後。

(運命には勝てなかったよ……)

 勇者は運命に屈した。

 結局体は動かなかったからである。

(ば、バカな……結局俺に英雄の資格はないというのか……イケメンで頭脳明晰でスポーツ万能なうえに気取ったりせず誰にでも優しい完璧超人だっていうのに……)

 もはや体どころか意識すらなくなりかけた矢先、何者かの足音が聞こえてきた。

(だ、誰だ……いや誰でもいい……俺を宝物庫まで運んでくれ……た、のむ……)

 勇者はやってくる誰かに望みを託し、意識を失った。


 トイレブラシは高速で上空から屋敷に飛来した、

「……はぁ、はぁ……もう限界っぽいです……勇者様と、早く、合流、しない、と……」

 だが勇者以上に疲れ果てており、すぐにでも勇者と合流しなければ彼女の命も危うかった。玄関から侵入すると飛びながら階段を上り宝物庫を目指す。ふらつきながらも順調に進んでいると、突然巨大な音が屋敷に響き始めた。

「……もう追いついてきたみたいですね……」

 音は屋敷全体に響き、家具やシャンデリアなどがガタガタと音を立てて動き出す。その結果、屋敷に飾られていた品々が落下したり、倒れたりし始めたが、トイレブラシは構わず先を急いだ。

(……あの矢が屋敷に直撃すれば屋敷は粉みじんに消し飛ぶでしょうね。でも反射の結界に当てられれば攻撃をそのまま返せる。私がうまく誘導できるかに全てがかかってる、頑張らないと……それにしてもロビンフットさんはどうして私たち以外の魔力の反応を無視しているのだろうか……ここにはアラン将軍やボブさんたちもいるのに……まあ確かに私や勇者様に比べれば大して大きい魔力とは言えないですけど……)

 移動中にトイレブラシは戦闘中に感じた違和感について考察を始めた。朦朧とする意識を少しでもしっかり保つための行為であったが、それでもその疑問はかなり大きいものだった。 

(……まさか、見えていないのだろうか……もしかしてこの国全体に張られている結界と何か関係が――)

 ガタ、ガタガタッ!!!!!!!

(――って言ってる場合じゃ無さそうですね)

 凄まじい揺れによりホコリが舞い上がる屋敷の中でトイレブラシは足を進め、とうとう五階にたどり着く。もはや進む速度は徒歩よりも遅いかもしれないほどフラフラだったが、空中を滑空しながら宝物庫の前にやってきた。

(ま、間に合った……でもあと残り時間あと数十秒……勇者様、大丈夫ですかね。無事にたどり着いてるといいのですが……まあここに来て異常事態なんてそうそう起きるもんじゃないですよね――)

 開いていた扉に滑り込むようにして入ると、トイレブラシは勇者を探した。部屋の中は戦闘に滅茶苦茶になっており、灯りはなく、月の光のみが頼りであったが以外にも勇者はすぐに見つかった。

(……え……)

 だが先ほど自身が否定した異常事態が目の前に広がっていることに気が付く。

(……え……え、ええッ!?)

 全裸の勇者の周りに全裸の男たちが群がり口づけをしようとしていた。

(何この展開……)

 トイレブラシは空中で呆然と立ち尽くした。

 残り時間およそ一分。


 トイレブラシが屋敷の宝物庫に到着するより少し前、気絶した勇者は目を覚ました。起きてすぐ、ぼんやりとした様子で寝ぼけ眼ではあったものの自分の寝かされている場所を理解する。天井や周りに散乱した宝からそこは間違いなく宝物庫であると思った。

(誰だかわからないが、俺の願いを叶えてくれたんだな……たぶんアラン将軍かボブ達、その他変態の誰かが運んでくれたんだろう……もう、口も動かせねえが、感謝するぜ……)

 勇者が心の中で感謝の言葉を述べていると、ふいに声が聞こえてきた。どうやら聴覚も鈍っているらしく話声はよく聞こえなかったものの、アラン将軍たちの声であることはわかった。勇者のいる場所から少し離れた場所にいる将軍たちは輪を作りながら何かを話し合っているようだった。

「……相棒があんなことになっているなんて……どうしたら……」

「「「やはりアレしか方法はないと思うぜ!!!」」」

「「我々もそう思います」」

「……そうだな。このまま何もしなければ大事な裸族を一人減らすことになる、そんなのは御免だな」

(裸族じゃないんだけど……)

 聴覚が少しだけ戻りだした勇者は将軍たちの話が聞こえ始めた。

「「「でもどうして勇者様はあんなことになったんだ?」」」

「……私は原因に心当たりがある」

「「本当ですか隊長ッ!?」

「……ああ、彼を見ていればすぐに気が付くさ……あの魔力のしぼみ方は間違いない」

 神妙に頷くアラン将軍の眼は全てを理解しきったと言わんばかりに優し気なものだった。

(アラン将軍……そんなに俺のことちゃんと見てくれていたなんて……感激だぜ……確かにちょっと見ればわかるよな……便所ブラシ持ってないし……でもそれだけで魔力のこととか契約のことまでよくわかったな……これが長年将軍として培ったものなのか……大したもんだな)

 勇者はアラン将軍を見直し、尊敬した。

「しかし、何て危険なことをするんだ彼は……一歩間違えば死ぬところだぞ……私にも経験がある……」

(え、そうなの!? アラン将軍も便ブラみたいな魔具と契約してこういうことしたことあったのかよ!?)

「「「「「どんなことをしてこんなことにッ!?」」」」」

「――彼がこんなに衰弱している原因――それは――」

(俺が説明したいところだけど、代わりに言ってやってくれ将軍。そう、契約した便所ブラシが――)

「抜きすぎだ」

(ざけんなよ変態)

 勇者は静かに怒りの炎を燃やしながら将軍を睨み付けた。

「――さっき森で彼はシコシコと自家発電に励んでいたんだ――一人SMプレイでね――」

(だからアレは違うって言っただろうッ!? つーかお前黙ってるって言ってたじゃねーか!?)

 訂正しようとした、だが勇者の口は動かない。

「相棒もそろそろ満足しただろうと先ほどティッシュを取りに行ったんだが――」

「「「「「――まさかッ!?」」」」」

「ああ――一箱まるまる使い切ったらしい――ティッシュどころか箱さえ見つからなかった――まさか紙だけでなく箱まで使うなんて――」

(違うからッ!? 魔術使った時に周りにあったもの全部燃えただけだからッ!?)

 股間から発射された炎の影響で周囲が若干燃えたことを思い出す。

「私も丸一日かけて一人でシコシコ励んでいたことはあったが――」

(何やってんだよ……)

「ここまで衰弱するほど抜きまくるとは……こんな人間がいるとはな……生まれて初めてだよ、他者にこんな感情を抱くのは……ここまで――」

(違うんだって!? 戦ってて仕方なくこうなったんだよ!? だからそんな軽蔑するような目で――)

「尊敬できる人間に出会えるなんて!」

(もうやだコイツ……)

 勇者は想像を絶する変態的解釈に頭が痛くなった。

「さすがは私の相棒だ! みんな、見習うように!」

「「「「「了解ッ!!!」」」」」

(こいつらとは金輪際仕事をしたくないな……っていうかこんなことしてる場合じゃねーよ!? 便ブラ、お前まだ来ないのかッ!? 俺の意識はもうやばいぞッ!? 早く来てくれ、このままじゃ――) 

「なにはともあれみんな!!! アレを相棒にするぞッ!!!」

「「「「「了解ッ!!!」」」」」

 勇者がトイレブラシの帰還を祈っていると、アラン将軍たちが議論を終えてやってきた。

「アレの準備に取り掛かれッ!!!」

「「「「「アイアイさー!!!」」」」」

(アレ? アレってなんだよ? なんかさっきもアレがどうとか言ってたけど……)

 とっさに寝たふりをしてしまった勇者は、周りを取り囲み始めた将軍たちを薄目を開けて見ていた。すると将軍たち一斉に屈み、勇者を見つめ始めた。

(な、なんだコイツら……気持ち悪ぃな……)

 なぜか頬を染めて照れている将軍たちを見ていた勇者はあまりの気持ちの悪さに鳥肌が立っていた。

「し、しかしあれだな……恥ずかしいものだな……いくら救護活動のためとはいえ……」

「「「「「は、はい……」」」」」

(救護活動? もしかして俺のこの状況をこいつらなんとかできるのか? それなら確かに嬉しいけど……なんで恥ずかしいんだろうか……猛烈に嫌な予感がするぜ……予感というか悪寒というか……)

 勇者は顔を赤らめながらもじもじし始めた将軍以下変態五名を頬を引きつらせながら見ていたが、将軍を含む六人が覚悟を決めたように真剣な顔をしだした。何をするのか興味があった勇者は薄目を開けたままじっと動かず将軍たちの出方を見た、だが躊躇することをやめた六人が一斉に顔を近づけ始めたのを見て眉を八の字に変えて困惑する。

(え……何する気なのコイツら……ちょ、おい、まさか……)

 彼らが唇を尖らせて突き出し、向かう先はまさしく――。

(や、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!??)

 勇者の唇だった。

 勇者は動かない体を精一杯よじりながら拒否反応を示す。

「ど、どうしたんだ相棒ッ!?」

(こっちのセリフだよなんのつもりだ変態ッ!!??)

「「「将軍、勇者様の気持ち、俺達ならわかるぜ……」」」

 暴れる勇者の気持ちを察したボブ達ワキガ三騎士目を伏せた。

(そうだやめさせろッ!!! 俺は嫌がって――)

「「「恥ずかしがり屋さんめ」」」

 ボブ達は勇者の眼をそっと手でふさいだ。

「なるほど、確かに見られながらだと恥ずかしいか……」

「「さすが同じ任務に就いただけあるな、もはや以心伝心ということか……」」

「「「てへへ」」」

 感心する将軍たちに対してボブ達は照れながら笑った。

(ちがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁうッ!!!!!!!!!!!)

 勇者は陸に打ち上げられたシャチのようにビクンビクンと飛び跳ねた。

「ひどく興奮しているようだ、まずは落ち着かせなければな。聞いてくれ相棒、これからすることはそんなに怖い事じゃないんだ。君が考えているようなことではないと、断言しておくよ」

(……え、そうなの? き、キスじゃないの?)

 勇者は一時的に飛び跳ねるのをやめて将軍の話に耳を傾けた。

 その様子を見た将軍は思わずにっこりと微笑んだ、どうやら勇者のおとなしくなった態度を見たおかげのようで、続きを口にする。

「ディープキスで魔力を補充するだけ――」

(うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおやらせるかぁああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!)

「相棒ッ!!! 落ち着いてくれ、大丈夫、キスをするだけだッ!!!!」

(何が大丈夫なんだ全然大丈夫じゃないだろうがッ!!!!????)

「「「「「怖くない怖くない」」」」」

(怖いよッ!!!!!!?????)

 落ち着かせようとしてくる将軍たちの言葉など耳に入らないかのようにひたすらに身をよじり暴れる。 

「相棒ッ!!! このままでは君の体がもたないんだッ!!! 頼む、言うことを聞いてくれッ!!!」

(聞けるわけないだろうッ!!?? 俺のファーストキスの相手はエルフの美少女って決めてこの世界に来たんだぞ!!! それをなんで貴様らなんぞに奪われなきゃいけないんだよッ!!! 冗談じゃない、だいたい今だってこうして気力を振り絞れば体だって動け――あ……)

 勇者は体から力が搾り取られるような脱力感を味わい、地面に倒れた。

(……マジかよ、こいつの言う通り……もう、限界、っぽいぜ……)

「やはり、もう一刻の猶予もないな。みんな、始めるぞッ!!!」

「「「「「おうッ!!!!!」」」」」

 むさい顔が六つ、勇者に急接近してきた。

(いや、いや、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??)

 もはやこれまでか、そう思った勇者の眼にあるものが映る。入口近くでふわふわと浮かびながらたたずむそのピンク色の棒は今まで自分の左手に握られていたそれであった。入口に背を向けていた将軍たちとは違い、勇者は入口の方を向いていたからこそ気づいた、これは偶然、いや運命のいたずらなのではないかと勇者は一瞬錯覚した。ゆえに勇者は心の中で叫ぶ、たとえ口に出せずとも、意味がないとわかっていても、それでも叫んだ。

(便ブラァァァァァァァァァァァァァ助けてぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!)

 キスが迫る最中、勇者の魂の叫びが伝わったのか、トイレブラシは慌てたように一直線に勇者のところに飛んでくる。

(便ブラ……心の友よ……流石俺の所有物、ご主人様が穢されそうになるのを見て慌てて飛んでくるなんてな……可愛い奴め……!)

 トイレブラシがまるで何かに追い立てられるようにして勇者のもとに突っ込んできたその瞬間。将軍たちの唇が勇者の口に触れる直前の出来事である。

 ゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!

 巨大な音と共に屋敷全体が揺れ出した。

「な、何事だッ! なんだこの不快な音はッ! 邪魔をするなッ! 私たちは相棒を救わなければいけないんだ! たとえこの命に代えてもな!!!」

「「「「「おうッ!!!!!!」」」」」

(お前ら……)

 方法はどうであれ、自分のために真剣に、それも命を賭けるとまで言ってくれている将軍たちに対して勇者はいたたまれない気持ちになった。ただ自分が気持ちが悪いというだけで彼らの行為を否定した自分を恥じた。人工呼吸のようなものだというのに、崩れていく屋敷の中で、将軍たちは勇者のためだけに行為を再開しようとしていた。自分のことなど顧みず、ただ仲間のために尽くすその姿勢はまさに高潔な騎士そのものだった。

「私たちは相棒を見捨てないッ! 決してなッ!」

「「「「「おうッ!!!!!!」」」」」

(……ごめん、みんな……お前らのことクソの役にも立たないなんて思ってた俺が間違って――)

 全長二十メートル近い矢が屋敷に突っ込んでくる光景を前にしても彼らは決して屈せず――。

「退避ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」

「「「「「おうッ!!!!!!」」」」」 

 恐怖に屈した将軍たちは勇者を見捨てて逃げた。

(――間違ってなかったよ……クソが……)

 一方でトイレブラシはフラフラながらも勇者のもとにたどり着こうとしていた。だが後ろから巨大な矢が屋敷もろともトイレブラシを破壊しようと迫っていた。

(便ブラ、もうちょっとだ! 頑張れッ! がんば――)

 だが勇者の心の中の声援も虚しく、トイレブラシの前進はゆっくりと下降していった。

(なッ!? 便ブラッ!?)

 そしてトイレブラシは後一歩のところで床に落下して動きを止めた。勇者との距離はおよそ数メートルほどであったが、今の二人にとってはその距離が数百キロ、永遠にさえ思えた。

(便ブラッ!? く、このままじゃアイツが矢に潰されちまう! どうするッ!? どうするッ!? 今俺に出来ること、俺がやらなくちゃいけないことはなんだ!? 何を、どうすれば……っていや違うな……俺が出来る事なんて初めから決まってる――)

 迫るタイムリミットの中、勇者は必死に頭を巡らせ答えを出す。

(――そう、俺がやらなきゃいけないことはただ一つッ!)

 勇者は決意を胸に己の体に力を入れた、全てを賭けて。


 トイレブラシはぼやける視界の中、必死に勇者のもとにたどり着くことだけを考えていた。しかしその体は動かず、苦悩する。

(す、すみません……勇者様……私の作戦……うまくいきそうにないです……こんな不甲斐ない美少女をパートナーにさせてしまい申し訳ありませんでした……本当ならあなたと共にこの世界を駆け抜け、そしてこの物語の結末を見届けたかった……でも、どうやらここまでのようです……だけど、せめてあなただけでも生かす方法を今考えて――)

 だが目の前の驚きの光景は心の中の懺悔を遮った。

(そんな……ありえない……)

 トイレブラシは驚嘆した。

(……はず……ないのに……契約の影響で…………)

 勇者の行いは、トイレブラシに衝撃を与えた。

(指一本動かせるはず……ないのに……)

 悠然と、まるでこのくらい余裕といわんばかりに笑みを浮かべたその表情にトイレブラシの心は揺さぶられる。普段ならバカにするであろうその根拠のない余裕面は今のトイレブラシにとっては全く別の様相に感じられていた。

(……立てるはず……ないのに……)

 勇者が立っていた。

 生まれたての小鹿のようにプルプルと足は震え、口から出る荒い息からは余裕など微塵も感じられなかったが、それでもその顔は余裕に満ちていた。

「べ、便ブラ……言ったはずだ……森で俺を侮辱した……こと……許さない……とな……帰って、お前を床に叩き付けるまで……死なせない……ぜ……」

(声だって出すのは苦しいはずなのに……勇者様……貴方って人は……どこまでも……)

 死にかけの状況にもかかわらず、格好をつける勇者にトイレブラシは驚き、呆れ、そして――。

(性格が悪いですね)

 称賛した。

「俺を信じろ……お前を……助ける……」

「……は、い……」

 勇者の今までで一番勇者らしい言葉に一瞬ときめいたトイレブラシは勇者を待つ。

(ど、どうしよう……顔はまったく好みじゃないですけど……ちょ、ちょっとドキドキしちゃいますぅ……)

 勇者はゆっくりと一歩踏み出し、トイレブラシはそれを見守る。

(あわわ……どうしよう、本当にどうしましょう……こんな、こんな状態で勇者様に助けられちゃったら……私、私、今まで通りでいられるかわからないです……こんなカッコいい一歩を踏み出されたら……私の心の中にも一歩踏み出されてしまいますぅ……ああ、どうしよう、落ちる、落ちちゃいます……これじゃチョロインの仲間入り――)

 そして勇者の一歩が床についた瞬間――。

(あうう、恋に落ちちゃ――)

 勇者はこけた。

(……え……)

 ずっこけた、だけではなく――。

(ちょ……)

 こけた瞬間、周りの宝物を三つ弾き飛ばし――。

(待っ……ぶッ!?)

 弾き飛ばされた宝物の一つはピンボールのようにトイレブラシを弾き飛ばす――。

(うっそ……!?)

 さらにもう一つは別の宝物を弾き飛ばすと連鎖的に別の宝物を弾き飛ばし、最終的に巨大なツボのような宝物が上空に舞い上がるとトイレブラシを下敷きにするように押しつぶす。

(ぶはッ!? な、なん――)

 そして最後の一つ、ヒビの入った宝石が遅れてトイレブラシのもとに転がり、

(こ、これ、魔力が入れられた宝石……ここの宝物庫の宝ってもしかして全部魔具だったんですか……っていうかなんで割れて、普通魔石はそんな簡単に割れたりしないのに! それこそよほどの衝撃でもない限り――)

 トイレブラシは勇者とカルチェが宝物庫で死闘を繰り広げていたことを思い出した。カルチェの放った魔力の渦が部屋中を破壊したり、トイレブラシ自身が放った魔術が宝物を吹き飛ばしていたことを今頃になってさらに思い出す。あの時点で既に宝物にダメージが入っていたとすれば、ヒビが入るのも納得だった。

(――マズイ……これ割れたら……中の魔力が暴発する危険が――)

 ピキキ。

 ヒビが広がり完全に割れそうになった瞬間、トイレブラシは救いを求めるように勇者を見た。

 惚れそうになっていた不屈の闘志を見せた男はそれに対して、フッと笑みを浮かべると、

「いってー、あーもうダメだわ動けないわ」

 諦めた。

(こ、この、ド底辺がァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!)

 勇者とトイレブラシの契約が切れるまでのタイムリミット、残り十秒。

 そして一人の乙女の儚い幻想が砕け散ったその時、

 残り九秒。

 キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン。

 宝物庫が赤い光に包まれた。

 八、七、六、五、四、三。

 ドガバゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォ!!!!!!!!!!

 魔力が爆発し、部屋が爆風により一層滅茶苦茶に吹き飛ぶ。さらに背後から迫る巨大な空気の矢が屋敷全体を押しつぶそうと迫り、魔石の魔力爆発による爆風と空気の矢による風圧が衝突したことによって部屋の中に嵐のような乱気流が吹き荒れる。その嵐のような気流によってトイレブラシと勇者は吹き飛ばされ、その結果――。

 二、一、

「「わ、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」」

 勇者とトイレブラシは空中で意図せずして引き合い――。

「「ぶばふッ!?」」

 顔面とスポンジがぶつかり、ぶつかった後、トイレブラシは勇者の左手目がけて落下した。

 そして両者は再び、交わる。

 0。

 勇者の左手にトイレブラシが握られた。

 握られた瞬間、床に落下し、激突する。

「いっててて……何がどうな、って……お、おおおおおおおおおおおおお! 苦しくない! 普通に立てるぜ! なんというミラクル、これぞ運命のなせる業、やはり俺はこんなところで死ぬようなチンケな男ではなかったようだ! なは! なはははははははははははははははははははははははははははは――なぶるふぁッ!!!!????」

 笑う勇者の横っ面に左手を操ったトイレブラシの一撃が入れられる。

「なにすんだよ、おいッ!?」

「私の乙女心を弄んで、絶対に許さないですッ!!! あれだけカッコつけておいて何なんですかあのありえない醜態はッ!!! 私の乙女心が盛大に泣いています謝ってくださいッ!!!」

「何が乙女心だ、黄ばんだ便器を擦る掃除用具にそんなもんあるかッ!!!」

「違いますもん、傷つきやすい美少女ですもん! だから謝ってください気遣ってください全力で慰めてください!!!!」

「断る!!! だいたい俺は悪くない、お前があんな中途半端な作戦を立てるからいけないんだお前こそ謝れッ!!! 地雷原で死にかけた俺に謝罪をしろッ!!!!」

「「こんちくしょォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!」」

 仲良く取っ組み合いの喧嘩を始めた二人に大きな風が吹く。

 ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ。

「「……ぅえ……?」」

 距離にして2メートルほどの場所に矢が見えた瞬間、トイレブラシと勇者は悟る。

 こんなことしてる場合じゃない、と。

「便ブラッ!? どうすりゃあいいんだよこれッ!?」

「なんとか、私が誘導して――」

 だがそんな時間は残されてはいなかった。

 ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!

 宝物庫の部屋の約半分異常を破壊した巨大な矢は屋敷そのものを押しつぶさんばかりの勢いで勇者とトイレブラシに襲いかかる。その様子は外から見ればまるで細長い竜巻が空から屋敷に突き刺さっているような奇妙な光景にも見えただろう。

「わ、わ、わ、わああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 勇者が悲鳴をあげて腰を抜かした時。

 矢が勇者とトイレブラシに直撃する直前――。

「やられ――」

 勇者がやられる、と声を出し目をつぶった瞬間の出来事。

「……ぁ……あ、あれ……? ゆ、勇者様……」

「ああ神様仏様助けてください今までいろいろやってきましたがそれでも僕はそこまで悪い事はしてないはずですどうか命だけはご勘弁願いますどうかどうか――」

「勇者様ッ!!!」

「な、なんだよ! 今忙し――」

「見てください!」

 トイレブラシも勇者と同じくやられると思っていた――。

「……と、止まってる……みたいです……よ……」

「……え? マジで?」

 だが矢は勇者とトイレブラシに当たる前に動きを止めていた。

 なぜ止まったのか、疑問を解消するためにトイレブラシは矢を凝視した。

「……これは、金色の粒子……」

 矢にまとわりつくようにして金色の光の粒子がその動きを止めていた。そして金色の粒子がなぜ発生したのかトイレブラシはすぐに理解する。

 粒子が発生している場所、ちょうど矢の先端位置には破壊されたツボが床に散乱していた。

(……あのツボも魔具……さっきの爆発は宝石だけじゃなくてあのツボの分の魔力も含まれていたということでしょうか……いやもしかしたらそれだけじゃないのかも……) 

 宝石が割れた時に起きた爆発によってツボが破壊された瞬間、ツボにはまっていた魔石も破裂し、爆発が起こった。

(宝石とツボの二つの魔具だけでなく宝物庫に存在する全ての魔具が連鎖的に爆発した。にもかかわらず私と勇者様に怪我がないのは魔力同士がぶつかり合い衝撃を打ち消し合ったから……だけど巨大な魔力の塊がぶつかりあったことで、魔力同士が混ざり合いこの部屋を満たした……)

 二つ以上の魔力が混ざり合い、黄金の輝きを持った魔力を生成した。そう結論を出したトイレブラシだったが、矢が止まった原因についてはあくまで推論に過ぎず、困惑する。

(だけどその結果、この部屋はひどく歪な魔力の力場を形成してしまった。おそらく矢が止まった原因はその力場に関係している……はず……でも、結構長い事生きていますがこんな出来事生まれて初めてですよ……魔力が混ざり合って力場を形成するなんて……これは……偶然……それとも……計算づくで――)

 トイレブラシは勇者を見たが、当の勇者は寸でのところで止まった矢を見ながらアホ面を晒していた。

(――いや、ないか……)

 トイレブラシが勇者の知能理解していたため計算でやったわけではないことは即理解できたが、

(でも、ただの偶然なんかじゃない……これは――)

 金色の光の粒子を纏った矢がギギギ、勇者とトイレブラシの方から別の方向に向きを変えた瞬間、

(きっと、あなたの『特性』に関係してるんでしょうね)

 その『ありえない能力』が関係しているのだと確信する。

(よかったです。最初の確認としてはこれ以上ないものですよ)

 矢が向きを変えた瞬間、まるで止められた時が動き出すかのように巨大な矢は再び突進を開始する。

(やっぱり、あなたは――)

 その先は、トイレブラシが必死に誘導しようとして失敗した場所、作戦遂行の要となる結界。

(本物だった)

 『暁の涙』が保管されているケースに向かって矢が高速で突き刺さった。

 ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!

 鋼をを研磨するような摩擦音が周囲に響き渡り、同時に衝撃波が発生する。

「ぐわがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 結界と矢がぶつかり合い、その衝撃に耐えかねた屋敷がガタゴトと音を立てて倒壊していく傍らで勇者は吹き飛び、壁の穴から外に飛び出し落下する。

「頭が痛いィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!! ぐふッ!?」

 頭を押さえながら落下した勇者は背中を地面に強く打ちつけ悶絶する。

「落ち着いてください、今なんとかします」

「なんとかってどうやって――んん? 痛くなくなった……」

 勇者は頭から手を離すと、ゆっくりと立ち上がる。

「……お前何やったの?」

「勇者様の耳に微弱な魔力を放出して音を遮断したんです。相手の超音波は魔力が原因、ということは――」

「魔力で防げる、か。だったら最初からこれやれよ……」

「無理ですよ、相手の魔力に合わせて正確に調節しなきゃいけないんですから。言っておきますが、これって結構神業なんですよ? 戦闘中、しかも相手の魔技を防ぎながらなんて絶対無理です」

「へぇ、そうなのか……」

「そうです。簡単そうに見えるのは私がとっても優秀でその上可愛いからです。術式を介さない魔力放出なんて素人がやったらとんでもなく危険なんですから。可愛い私に感謝してください」

「別に可愛くはねーけどな……でも素人がやったらどうなんの?」

「今やってる魔力放出をミスすると勇者様の耳が消し飛びます」

「なんだとッ!!??」

 勇者は思わず右手で左と右の耳を交互に触った。

「大丈夫ですよ、私はミスしませんから……たぶん……」

「たぶんってなんだたぶんって!? 絶対って言えッ!? だいたいそういう危険があるならあらかじめ言っとけやッ!? なんでいつも事後承諾なんだお前はッ!?」

「いや、さっきも言ったじゃないですか。勇者様がヘタレだからって。実際今だってビビってますし」

「び!? ビビッてねえしッ!? ちょっと動揺してるだけだしッ!!!」

「同じですよ……」

「全然違う!!! とにかく、今後そういうことするときはちゃんと確認をとれッ!!! いいな!!!」

「わかりましたよ」

 トイレブラシは勇者の言うことに従った――。

(まあ、ヘタレたら困るので、ある程度の情報はこちらで管理しますが)

 ――フリをしつつも事後承諾の姿勢を崩すつもりはなかった。

「さて、反射の結界が作用してそろそろ――あ、マズイですね……」

「ん、なんだよ?」

「屋敷が吹き飛びます」

「…………は……?」

 トイレブラシの言葉と同時に、

 グッシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!

 屋敷が内側から爆発した。

「ぶッッッごはぱああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!??」

 勇者は衝撃と共に吹き飛び転がって木に激突し、目を回していたが、トイレブラシは空を見上げる。

 一筋の光が高速で空に向かって飛んで行く様子を見ながらつぶやく。

「……これでお終い、だといいんですが……」

 結界によって衝撃を殺され、威力を増してはじき返された魔技と同じ形をした矢を見ながらトイレブラシは静かに言った。


「こんな……ことが……」

 自分の持ちうる限り最強の威力を持った一撃を以てしても勇者を倒すことが出来ず、それどころかさらに強力な威力を持った攻撃が迫っていることを魔眼で知ったシャルゼは絶望していた。

(……あの一撃でダメならもう手がない……このままでは先に戦って情報を手に入れてくれたレオン君やガゼル君に合わせる顔がない……)

 情報を収集し、作戦を共に練ってくれた戦友たちの顔が頭に浮かび、思わず奥歯を噛みしめる。

「……勝てないのか……僕では……」

 悔しさと情けなさが心を強く揺さぶり、全身がカッと熱くなる。自分に対する怒りで熱くなっていると、地上から雲を突き破って光の矢が向かってくることがわかった。

(……赤毛の剣士なら間違いなくこの攻撃にも追尾能力を持たせているはず……どのみち避けることはできない、防御したとしても破られるのが関の山、それなら……!!!)

 シャルゼはギュゥゥゥと、手に血がにじむほど強く弓を引いた。

(攻撃のみに集中するッ!!!!!)

 その瞬間、先ほど屋敷を襲った矢と同じかそれよりも少し大きいくらいの空気の矢が一瞬で生成された。

(技量が及ばずとも、例え負けるとしても、僕は――)

「僕は、みんなのために戦わなけえないけないんだッ!!!!!」

 叫びと共に、矢を放つ。

 ゴォォォォ、地上から放たれた魔力と天から放たれた魔力の振動音が響きわたる。

 互いに引き合うようにして巨大な魔力の塊は進み出すと、やがて――。

 バゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!

 空中で光の矢と風の矢が激突した。

「ぐ、ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッッッッッ!!!!!!!!!!!」

 シャルゼは衝突の際に上空にさらに吹き飛ばされた。

 二つの巨大な魔力が衝突した際に産まれるその余波は想像以上のもので、近づくことすら叶わないほどにその空域は荒れていた。

「頼むッ!!! まだ、終われないんだッ!!!」

 自分が放った矢に向かって、シャルゼは弓を引くともう一撃放った。

 拮抗し合おう魔力に、もう一撃が加わりシャルゼの空気の矢のほうが優勢になった、

「くッ!!!」

 だがそれは一時的なものに過ぎず、地上から放たれた光の矢にすぐに飲み込まれる。

「まだだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!!!」

 手に食い込んだ弦から血が流れていることすら気づかぬまま、シャルゼはひたすらに弓を引き続けた。しかしいくら空気の矢を光の矢に向けて放っても効果がなく、全ての矢はことごとく光の矢に呑まれ消滅していった。そしてとうとうシャルゼの眼前に迫る。

(……強いな……)

 光の矢が肉体を貫く寸前、シャルゼは硬かった表情をフッと崩す。

(……すまない、みんな……僕は結局……何も……)

 力無く両手と弓を下に下げたシャルゼは敗北を認めた。

 心の底から、諦めた。

 ――諦メル、ノか?

「な、なんだッ!?」

 その時、声が、内側から、漏れ出すように、脳内に響く。

 ――ナラ、俺にヨコセ――。

 不気味な声がささやくと同時に――。

「がああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアぁああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアぁああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアぁああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!?????」

 光の矢がシャルゼの胴体を貫き、そのまま爆ぜる。

 バゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!

 眩い光が夜空を照らし、闇を晴らした。

 勇者と騎士の戦いの決着。

 この時、確かに『シャルゼ・ベルト―ル』という一人の『人間』は勇者に敗れた。


 アイオンレーデの国境付近の町、カーマインでレオンは『呪界』を見上げていた。時間は昼、太陽がまだ空に昇っている時だった。本来ならばまだ勤務中であり、呆ける余裕などなかったがレオンはなぜか仕事に集中できずにいた。

「なーにやってんだよレオ助」

 そんなレオンに後ろから声がかかる。

「……ガゼル、すまない。サボっているつもりはなかったんだが……」

「……シャルゼが心配だってんだろ? だけどアイツの遠距離狙撃攻撃は並大抵の奴じゃ……って赤毛くんは並大抵の奴じゃねーか……ま、まあでもあれだ、赤毛くんに遠距離攻撃の手段があってもシャルゼならうまくやるだろ」

「いや、シャルゼの実力を疑ってるわけではないんだ……ただ、もしシャルゼが追い詰められ、『メルティクラフト』を使った時……それが切っ掛けとなってアレを呼び起こしてしまうのではないかと……そう思ってしまったんだ……」

「……アレか……確かに、もしシャルゼが『あの状態』になっちまったら、例えシャルゼが赤毛くんに勝ったとしても赤毛くんをこっちに連れて戻ってくるのは無理だろうしな。それどころか『呪界』からシャルゼがこっちに戻ってきた時、シャルゼを止めるために戦わないといけないかもしれねえし。俺とお前、フリードと隊長、全員が『メルティクラフト』しなけりゃ制圧は難しいかもしれない……っていうか『メルティクラフト』しなけりゃぜってー勝てねーぜありゃ……」

「ああ、通常の魔術で勝てないのは当然だ……そもそも『メルティクラフト』とは本来アレと戦うためにあるものだからな……」

 レオンとガゼルは表情を曇らせて顔を下に向けたが、やがてガゼルの方から顔をあげる。

「ま、考えてたって仕方ねーよ。俺らはシャルゼを信じて帰りを待つだけだ、だろ?」

「……そうだな、その通りだ。話に付き合わせてしまってすまなかった、ガゼル」

「気にすんなよ、ダチなんだからよ。じゃあ仕事に戻ろーぜ」

 ガゼルの屈託の無い笑みを見て緊張が解けたレオンはガゼルの後に続いて持ち場に戻ろうとした。目の前にある親友の大きな背中に心の中で感謝すると、『呪界』内部のシャルゼを想う。

(シャルゼ、決して無理だけはするな。心優しい君が……ああなるのはもう見たくないんだ)

 レオンは戦っているであろう戦友を想うと同時に赤毛の青年を脳裏に思い浮かべる。 

(……だが、赤毛の剣士の実力は底知れない……赤毛の剣士、できれば素直に捕まってくれ……なぜかは知らないが君に対しては単純に敵とは思えないんだ……もし、万が一にも君がシャルゼを追い詰め、アレを引き出してしまったのなら――)

 歩みを止めたレオンは再度、黒いドーム状の結界を見上げた。

(――地獄を見るのは君かもしれないのだから) 


「ぶぅえーーーーーーーーーっくしょんッちくしょうめ!!!!!」

「汚いですし、おっさん臭いですよ勇者様……」

 盛大にくしゃみをし、唾をまき散らした勇者を見てトイレブラシは苦言を呈する。

 現在勇者は崩壊した屋敷を足場にしながら宝物庫になっていた場所を探していた。 

「しょうがねーだろ、全裸だから寒いんだよ。くしゃみだって出るぜ……あのペンキって保温機能でもあったのかな……ペンキが剝げてからやたらと寒いような……あーもう、寒ッ!!!!」

 勇者は両腕で全身を抱くようにして震えると、やがて屋敷の残骸を右手で漁り始めた。

「そこは宝物庫じゃないと思いますよ勇者様」

「宝物庫探す前にまずは服だ、服。このままじゃ寒くて仕事どころじゃねーし……あと足も瓦礫を踏むたびに俺に痛いと訴えかけてくるんだよな……えーっと、どっかにないかな、なんか、なんかないかなー……」

 瓦礫やら家具の破片やらを掴んでは後ろに放り投げていった、そして運よく服のような布を掴み、引っ張る。引っ張り出したそれは倒壊の影響で埃とススで汚れていたものの、服自体に破れた箇所はなかった。ズボンやYシャツ、上着となるジャケットなどの洋服一式を勇者は手に入れた。

「これは――」

「執事服、みたいですね」

 パンパンと手で埃などの汚れを払いのけると黒い執事服が姿を現した。金色の刺繍が施された衣装は大貴族の屋敷に務める者として恥じないように丁寧に作られており、生地も丈夫なもののようだった。どうやらこの屋敷の使用人が使っていた服のようで、胸元に名前のようなものが縫い付けられていた。勇者が今立っている場所は崩壊した使用人の部屋の一つらしい。

「贅沢言ってられねえし、これでいいか……誰のだか知らないけどちょっとだけ借りるぜ、悪いな」

「サイズ合ってるんですか?」

「今着て確かめる――」

 勇者はズボンを履き、Yシャツに腕を通すと、ジャケットを羽織った。

「……ちょっとデカい気もするけど……まあ、こんなもんだろ。パンツが無いからちょっとスース―するけど温かいぜこの服、厚手で良い素材使ってる。流石金持ちの屋敷の従業員だ」

「うーん……」

「なんだ見とれたか? この俺の執事服姿に」

 値踏みするように勇者の方を向いているトイレブラシに勇者はポーズを決めて格好をつける。

「なんかガラの悪いチンピラが執事のコスプレをしてるような……」

「ほっとけ」

 期待した言葉とはまったく違ったためか勇者は淡泊に言葉を返すと、さらに瓦礫を漁り革靴を見つけそれを素足に履き、探索を再開する。

 少しダボつく執事服を着た勇者は潰れた屋敷を悠々と踏みながら宝物庫を探す。

「どこだよ宝物庫……つーか屋敷が壊れるなんて想定外だぜマジで」

「それだけ凄まじい威力だったんですよ、敵の魔技の威力が。跳ね返す余波で屋敷がこんな風になっちゃうなんて私も予想してませんでしたが」

「でも跳ね返せたってことは、もう勝ったって思ってもいいんだよな?」

 確かこの辺りのはず、と当たりを付けた勇者はトイレブラシと適当に会話しつつも瓦礫の山を掘り返し始めた。目的は『火竜の剣』の魔石の一つである『暁の涙』の入手である。

「そう……ですね。あれだけの威力の攻撃を倍加して跳ね返されれば流石にもう終わりだと……思いますけど……」

「なんだよ、歯切れが悪いな。なんか心配なことでもあるのか?」

「……敵は魔眼を持っているかもしれない、と私は言いましたよね?」

「ああ、言ってたな。それがどうしたんだよ?」

 トイレブラシの言おうとしていることがいまいちわからず眉を寄せながら聞き返す。

「勇者様にはまだ魔眼の事についてキチンと話してなかったと思うので聞いてください。この話を聞けば多分私の心配がわかると思いますので」

「キチンと話してないって……話してくれたじゃん。あれだろ? 相手の魔力が見えたり、呪文を短縮できるってやつは聞いたぜ」

「いえ、能力面の話ではなく魔眼の由来です。なぜ魔眼というものが人に発現したか、という話です」

「由来ねぇ、確かにそれは聞いてないかもしれないけ、ど。お? 宝の残骸発見! やっぱここら辺で間違いなさそうだ!」

 話しながらも手を動かしていた勇者は宝の破片を見つけ喜ぶと大急ぎで掘り始める。早く任務を終わらせて帰りたいという気持ちからの行動だった。

「掘りながらでもいいので聞いてください勇者様、大事な話なので」

「わかった、聞いてるから続けてくれよ」

「はい。まずは、勇者様、魔族について覚えていますか?」

「あー、えっと、確か昔いたっていう人型の化け物だろ? 詠唱無しで強力な魔術をぶっ放したり、体が頑丈で、頭が良かったっていう」

「そうです。かつてこの大陸に君臨していた強力無比な暴君にして悪魔、それが魔族でした」

「でも人間とか他の種族に負けたんだろ、最終的には。メルクラのおかげだっけか」

 城の牢屋で聞かされたことを思い出しながら勇者はトイレブラシの話に合わせる。

「勇者様の言う通り確かに魔族は負けました。そして一部の強力な魔族は封印され、他の魔族たちも大半は『メルティクラフト』の力によって駆逐されました」

「聞いた聞いた。でもそれが魔眼となんの関係があるんだよ?」

「今の話はおさらいです、ここからが本番になるんですよ。確かに魔族の大半は殺され、殺しきれなかった魔族も封印されました、がしかし話はそれで終わらなかったのです」

「どういうことだよ?」

「人間の追撃を逃れて生き延びた魔族も少数ながらいた、ということです」

「ふーん、少しは生き残った奴がいたのか……でも少しじゃどうしようもないんじゃね?」

「そうですね、それは魔族もわかっていたんだと思います。だからこそ、ある手段を用いて『自分たち』を生き延びさせようとしたんです」

「ある手段ねぇ……くっそー、見つかんねえなぁ……どこにあんだよ」

 勇者はゴミと化した宝たちを引っ張り出しては後ろに放り投げ続けていたが、『暁の涙』が置かれていた台座はいっこうに見えず、苛立ちまじりに頭をかきむしる。

「で、その手段というのが人間や他種族に化けて交尾を行うというものでした」

「こ、交尾だとッ!?」

「なんでそこに食いつくんですか……」

 どうでもよさそうに聞いていた勇者だったが交尾という単語を聞き、興奮したようにトイレブラシの方を向いた。

「その交尾っていうのは、アレか? 男女で行う、デュフ、デュフフ、あれのことかい?」

「勇者様マジキモイです訴えますよ……」

「なんでだよッ!? ……それよりその化けて交尾っていうのはエルフとも、その、どうなのよ?」

「……エルフにも化けたとは聞いてますけど……」

「ほう……エルフと……魔族が……ほうほう……魔族の触手的なアレが白く柔らかいエルフの肌を這いまわり、喘ぎ声が漏れる……自分は絶対に感じてなんかいない、気丈にも唇を嚙みしめ堪えるが男根を模した無数の触手が太もも、乳房に絡みつき、その触手から出る粘液の催淫作用によって体が熱くなる、すると徐々に頬が赤く染まる。最初は嫌悪の表情で魔族の事を見つめていたエルフだったがしだいにトロンとした表情になった。そしてだらしなく口から涎を垂れ流し、太ももをもじもじさせ始める。それを見た魔族は『どうしてほしいんだ? 言ってみろ』と醜く顔を歪めて笑った。その下卑た笑みに嫌悪感を覚えながらもやはり快楽には抗えない、やがてエルフは閉じていた太ももを自ら開き、男根を受け入れようとする、もはやその眼は自らの敵に対する敵意のこもったものなどではなく、自らに快感を与えてくれる主人に対しての服従のそれであった。呂律の回らない口からは粘ついた唾液と共に嘆願が述べられる、エルフ陥落の瞬間であった。『お、お願いしましゅ、ど、どうか私のいやらしい雌マ――』」

「いい加減にしてください張り倒しますよ」

 トイレブラシの絶対零度の冷たい声が勇者を現実世界に連れ戻す。

「だいたいなんでエルフと魔族の凌辱シチュなんですか……エルフに化けたって言ってるでしょう……」

「エルフに化けたけど結局見破られて仕方ないから快楽堕ちを狙ったっていう状況なら説得力があるだろう? ふふん、どうだ?」

「なんでドヤ顔でそんなひどい妄想を堂々と言えるんですか貴方は……」

 勇者の気持ちの悪い妄想を聞いてため息をついたトイレブラシは仕切り直そうとする。

「もう、交尾のくだりはどうでもいいんですよ! その後が重要なんですから!」

「えー……でも俺にとっては交尾の方が重要で――」

「いいから聞いてください!!!」

「わかったよ……」

 渋々といった具合ではあったものの勇者を聞く姿勢に戻したトイレブラシは咳ばらいをすると続きを話し始めた。

「それで、魔族と交尾した他の種族たちはそうとは知らずに魔族の子孫を残していきました」

「でも生まれた子供が化け物だったらヤッた相手が魔族って気づくんじゃねえの?」

「いえ、魔族の血を引いているとはいっても魔族と他種族の間に産まれた子供たちは姿かたちはほとんど普通の人間やエルフと変わらなかったんです。で、子供たちは健やかに育ち、親たちがそうしてきたように、生まれた子供たちもまた同じように子孫を残していきました」

「なんだ、なんの問題もないじゃん……」

 勇者はあくびを噛み殺しながら魔石発掘作業に戻っていた、手を動かしながらトイレブラシの話を聞く。

「いえ、確かにこの時点では問題はありませんでした。しかし魔族たちは自分たちと他種族の間に産まれた子供に、いえ正確に言えばその子供たちが繋いでいくであろう遺伝子に時限爆弾を仕掛けていたんです」

「遺伝子が爆発するのかッ!?」

「比喩表現ですド低脳様」

「あんだとッ!? 誰がド低脳――」

「そしてその爆弾は世代を超え、ついに爆発したんです」

「おい聞けよッ!!??」

 トイレブラシは勇者を無視して話の結論に入った。

「数百年の時を経た遺伝子の爆弾は、その子孫たちのもとで爆発し、ある能力として開花しました」

「……こいつ、人の話を聞きやがらねえ――ってあれ? ある能力? そういえば今って――」

 勇者はトイレブラシが何の能力の由来について話しているのかようやく思い出した。

「そうです、今までの話からようやくつながるわけですね」

「……なるほど、それでお前の言う由来とやらにつながるわけね」

「その通りです。発言した力、それが魔眼でした」

 勇者は魔眼と魔族がただならぬ因縁で結ばれていることを知った、だがそれだけではなぜトイレブラシの心配していることまでは理解できず首をひねる。

「それはわかったけど、そのことと敵が倒しきれてないかもしれないっていうお前の心配にどうしてつながるのかがわかんねーんだけど。だいたい遺伝子に爆弾残したって言い方もわからん、魔眼ってすごい能力なんだろ? ならそんな呪いみたいな言い方しなくてもいいんじゃねーの?」

「……確かにそうですね。能力だけをみれば良い事ずくめにも見えるでしょう、ですが良い事ずくめなんていうのは世の中には無いんですよ、勇者様。物事には光があれば影が付きまとうものです」

「いちいち詩的な物言いだな、お前ポエマーか? 自作ポエムとか書いてる口?」

「ち、違いますよ! と、とにかく! 魔眼にはメリットだけでなくデメリットもあったんです! ……というかおそらく魔族はデメリットの方を望んで遺伝子を残したんだと思います」

「どんなデメリットなんだよ?」

「破壊衝動です、それも異常なまでの」

「破壊、衝動……だと……」

 勇者は掘っていた右手を止めて、自らの顔を掴むようにして顔面を覆う。

「……俺にも覚えがあるぜ……中二の時に目覚めた、前世の破壊神としてのカルマが覚醒し――」

「中二病と一緒にしないでください」

 格好をつけたまま自分に酔いしれる痛々しい勇者を冷たい声で止めたトイレブラシは話を戻す。

「魔眼の所有者は魔眼を使い続けると、いづれ、あらゆるものを壊したい、生き物を皆殺しにしてやりたい、全てに絶望と悲劇を与えてやりたい、と思うようになるそうです。まるでかつての魔族の意思を継ぐようにして。事実、魔眼所有者の中にはその衝動に呑まれて大量虐殺に手を染めてしまった人や国を丸ごと吹き飛ばしてしまった人もいたようです」

「そ、それは確かにヤバイな……」

「そうです腕に包帯巻き付けるだけの中二病なんかとは比較にならないヤバさなんです。ゆえに魔眼所有者は戦争なんかで利用されると同時に結構な頻度で迫害されてきました、ですので人格が歪んでいる人が多かったとかなんとか」

「ええ!? そうなの!? カルチェのおっさんはまともそうだったけど……」

「まあ、魔族が封印されてから戦争が頻発し始めた時代の話ですから、今は時が経っているので迫害もそれほどではないはずですし。それに魔眼の能力の強さと破壊衝動は比例します、カルチェさんの魔眼はそれほど強力ではなかったです、なので破壊衝動もほとんどなかったでしょう。迫害される心配はほとんどないはず……ただ……」

 トイレブラシは声を沈ませる。

「ただ?」

「……今の時代、というか、例えどんなに時を経ようとも恐れられ、忌み嫌われる魔眼があるんです。その瞳は青紫色に輝き、他の魔眼とは一線を画すほど強力な能力を持っています。大量殺戮や地形、国を破壊したりしたのは大抵この瞳を持った人たちでした。ですのでその瞳を持つ人は子孫を残せないように過去に一族郎党ほとんど殺されたと聞いていましたが……」

「が、ってなんだよ。まるで見たみたいな言い方……して……っておい……もしかして……俺を襲ってきた魔眼を持った敵って……」

「ええ、おそらく。敵は青紫色の瞳を持っているはずです、なにせ尋常ではない距離から狙撃を行ってきたり、ありえない速度で上位魔術を展開してましたから」

「……い、いや、でもメルクラの必殺技跳ね返したんだろ? 自分の技で自滅したはずだろ? あんなすごい攻撃喰らったら流石に無傷じゃいられないだろうし、し、心配しすぎだろ……」

 勇者は屋敷を倒壊させるほどの威力の魔技を思い出す、アレを跳ね返されれば到底無傷でいられるとは思えなかったからである。

「無傷じゃいられない、確かにその通りです。ですが、それが怖いのです。そしてこれが今までの説明を経て私が勇者様に伝えたい本題になります」

「ど、どういうことだよ?」

「青紫色に輝く魔眼を持った人物が本当の意味で恐れられたのは、その眼の性能などではなかったんです。負傷したり、追い詰められした際に起こる特異な現象が彼らを恐怖の象徴にしていました。特に『メルティクラフト』状態の時にそれはよく起こっていた言われています。眠っていた遺伝子と魔力が互いに共鳴するようにして細胞を活性化、肉体を変異させました」

「へ、変異……?」

「はい、まあ『メルティクラフト』が遺伝子を刺激するのも無理はないと思います。なにせ『メルティクラフト』という形態は『彼ら』の肉体を疑似的に再現するために開発されたのですから」

 猛烈に嫌な予感を感じ、手を止めてトイレブラシの話に聞き入っている勇者に彼女は結論を話す。

「それ故に強力な青紫色の魔眼を持った『彼ら』の血を引く者が『メルティクラフト』状態で負傷し、精神に多大な損害を受けた時、肉体は変化し、そして――」

 ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!

 猛獣の唸り声が夜の森に響き渡る。

「な、なんだ……!?」

「……やっぱり……最悪ですね……」

 ズドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!

 ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!

 バゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!

「な、なになになにッ!!??」

「向かってきてますね……勇者様も感じるでしょう?」

 トイレブラシの言う通りだった、地形が破壊され、木々がなぎ倒される音を聞きながら勇者は理解していた。何か、そうおぞましい魔力の塊が一直線に自身のもとに向かってきていることに。

「肉体は変化し、そして鋼のような鱗で体全体が覆われる。頑強な肉体に強大な魔力、そのおぞましき姿は今もなお語り継がれ、恐怖の代名詞とされる。その名は――」

 雄叫びをあげた後、ものの数秒だった、木々を吹き飛ばし、粉塵を巻き上げながらやがて勇者の近くの木々を消し飛ばし『それ』は現れた。

「グルル……ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ……!!!!!!!!!」

「……あ、ああ……あ……あ…………」

 現れた『それ』の眼を見た勇者は潰れた屋敷の上で完全に腰を抜かした。

 その人型の怪物は大きさこそ魔獣に遥かに劣っていたが、放たれる威圧感と魔力は別次元のものだった。三メートルほどの肉体は赤黒い鱗に全身が包まれ、鱗の隙間から漏れる赤い光と赤い蒸気が全身からオーラのように放たれ肉体に纏わりついていた。恐怖で震えながらも勇者は『それ』の肉体的特徴を捉えようと目を必死で動かす、鱗で出来たような一メートルの太い尻尾、鋭い爪、裂けた口、尖った牙、そして何より印象的なのがその青紫色の瞳だった。

 翼の無い竜を小型にして人に着せたような、そんな印象を勇者は抱く。

「も、もしかして……これが……」

 勇者は小さな声で呟く。

「ま、ま、ままままま――」

「ウガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!」

「魔族ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!??」

 咆哮と共に伝説の怪物が勇者に襲いかかった。       

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