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ミステイクファンタジー  作者: 鈴木拓郎
28/42

27話

 勇者はアンサムの屋敷に潜入を開始しようと周りを窺っていた。

「……しっかしどっから入るかな……厨房から入ろうかと思ってたけど……まだ料理してるっぽいし」

 厨房からは怒鳴り声や調理器具で野菜を刻む音が断続的に聞こえてきており、勇者は頭を悩ませた。

「とりあえず周りを調べてみるか。便ブラ、お前は魔術的なトラップが近くにあったら教えてくれ」

「了解です」

 勇者は見つからぬように腰をかがめて屋敷の周りを探り始めた。

「……でけえなこの屋敷……サラマンダー盗賊団のいた屋敷もかなりデカい方だったけど、比較にならないなこりゃあ……」

 勇者は探りながらも屋敷の大きさに驚いていた。石造りのその巨大な屋敷は、王やアルトラーシャが住んでいる城よりはわずかばかり小さいものの、それでも十分な大きさを持っていたが、しかし夜が更けているせいか不気味な印象を勇者に与えた。所々にとまったコウモリに似た生物、屋敷にからまったツタや周りに植えられた毒々しい色をした花と相まって勇者は悪魔の住む城を連想し、震える。

「こんな趣味の悪い屋敷は初めて見たぞ……金持ちの嗜好はいまいちわからないな……」

 勇者は周りに注意しながら人がいなそうな場所を探したが、どこも屋敷を警備する警備員や番犬のような生物が闊歩しており屋敷内部への侵入は困難をきわめた。

「くっそー……! どこもかしこも警備員とか番犬だらけだぞ……! どんだけ金かけて警備させてんだよ、これじゃあ中に入れないぞ……!」

「確かにお金をかけてますねこれは。かなり権力のある貴族みたいなことを王様たちも言ってましたし、おそらく王族に匹敵する財源を持った大貴族なのでしょう。警備員一人一人がそこそこの魔力を持ってますもん」

「そこそこって、どれくらい?」

「サラマンダー盗賊団の首領さんくらいですね」

「げッ……クベーグと同じくらい強い奴らがあんなにうじゃうじゃいるのかよ」

 勇者はクベーグと戦い苦戦させられたことを思い出した。

「でもパツキンとかガングロクラスはいないのか?」

「……前にも言いましたが、あのレベルの怪物はそうそういませんよ。あの人たちは文字通り一騎当千の戦闘能力の持ち主ですから。仮にそのレベルの怪物が屋敷の近くにいたなら私は勇者様に逃げるように進言してますね間違いなく」

「逃げるだと? バカ言うなよ。その一騎当千の怪物に完勝したこの史上最強の天才の辞書に逃走という二文字は存在しない」

「完勝なんていつしたんですか……死にかけてようやく撃退できたんじゃないですかまったく……」

「うっさい! とにかくこの天才に逃走という二文字は……」

 勇者は言葉の途中で気が付く、黒い犬がグルル、と唸り声をあげて勇者を睨んでいた。屋敷を巡回していた犬の一匹に見つかり勇者は後ずさる。

「こ、この……天才が……逃げるなんて……あり、ありえない……」

「……と、言いつつ後退するんですね、わかります」

「グルルァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」

「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」

 勇者は逃げ出した。

 だが、

 ガブッ!!!!

「ぐわああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 尻に盛大に噛みつかれ、思わず叫び声をあげる。

「「「なんだ!? 何があったッ!?」」」

 勇者の悲鳴を聞きつけた警備員たちが一斉に勇者のいる場所まで駆け寄ってきた。それを見た勇者は急いで近くの茂みに飛び込み、身をひそめる。やってきた警備員の男たち三人が周囲を見回しながら首をかしげる。

「……おかしいな。今、ここから叫び声が聞こえたよな?」

「ああ。もしかして侵入者か」

「ここら辺一帯を重点的に調べてみようぜ。そこの草むらなんていかにも怪しそうだ」

(ま、まずいッ……!?)

 警備員の一人がピンポイントで勇者のいる草むらに指差した。これはいけない、と勇者は思い、必死に頭を使ってあることを思いついた。

「にゃ、にゃ~……」

 猫の物まねをし始めた。

「(これが低脳か……)」

「(なんだと!?)」

 トイレブラシは勇者の作戦のあまりのつたなさに辟易しているようだった。

「(だって……猫が、ぐわああああああああッ、なんて叫ぶわけないでしょう常識的に考えて……)」

「(そういう猫だっているかもしれないだろ!?)」

「(いや、いませんよ……そんなのいたらおかしいでしょ……あーこれはバレましたね確実に――まあ、相手が勇者様と同じくらいのド低脳なら話は別ですけど……)」

「「「なんだ猫か……」」」

「(これがド低脳か……)」

 警備員の男たちは納得したように頷くと、自分の位置に戻って行った。

「……行ったか……ふう、危機的状況だったけど、ま、天才的な俺の頭脳にかかれば優秀な警備隊を欺くのなんて、屁のカッパよ!」

「お金かけるんだったらもっと優秀な警備員を雇えばいいのに……きっと魔力だけで選んだんでしょうね……ペーパーテストありなら全員落第してもおかしくないひどさですよ……ところで勇者様……」

「なんだ?」

「お尻痛くないんですか……?」

「……ん……? って忘れてたああああああああああああああああああああああああ!!??」

 犬が勇者の尻にギチギチと歯を立ててかぶりついていた。

 再び、悲鳴をあげた勇者のもとに再び、警備員が現れるも先ほどと同じように切り抜ける。

 トイレブラシが犬を魔術で眠らせ、ようやく一息つく。

「何やってるんですか勇者様……」

「すまん……しかし助かったぜ便ブラ…………でもどうするか……前みたいに窓が開いてるかと思って一通り調べてみたはいいが……安全に入れそうな場所が全然見つからない……」

「勇者様、勇者様」

「……なんだよ?」

「あそこはどうですか?」

 トイレブラシはゴミ捨て場を指した。そのゴミ捨て場は屋敷と巨大なパイプのようなもので繋がっているようで屋敷内部から外部に直接ゴミが出せるように作られていた。

「……ええー……あそこから入るのかよ……なんかやだなぁ……臭いんだけど……」

 ゴミ捨て場に近づいた勇者は周りを確認してみたが、人らしき影や番犬はいなかった。しかし漂う悪臭に思わず鼻をつまみ、顔をしかめる。

「そんなこと言ってる場合じゃないと思いますよ。隠れてたっていづれ見つかってしまうわけですし、早いところ屋敷内部に潜入した方がいいですよ」

「いや、それはそうなんだけどさー……」

 勇者がトイレブラシの言葉に同意しつつもためらっていると、

「ここら辺の警備もしとかなきゃな」

「臭いから近づきたくないんだけどなー」

「金を貰っているしかたないだろう」

 警備員たちがぞろぞろと番犬をつれてゴミ捨て場の方に近づいてきた。体を低くし、警備員の数を数えるとざっと20人近いことが確認できた。

「ま、マズいですよ勇者様!? 急いでパイプに入ってください! あの人数に見つかったらいっかんの終わりですよ!」

「わ、わかったよ! クッソ!」

 勇者は腰を低くしたまま音を立てずに早歩きで進む、ゴミをかき分け、そしてパイプの中にもぐりこんだ。

「うえ、くっせー! ごほッ、ごほッ! マジありえねー!」

「勇者様静かに! 前に肥溜めに喜んで飛び込んだこともあったでしょう!」

「誰が喜んで飛び込んだんだよテメエが騙した挙句突き落としたんだろうが!?」

 なんとか警備員たちがゴミ捨て場に到着する前にパイプに入り込んだ勇者は文句を言いつつも狭いパイプの中を進み続けた。カエルのように手足をパイプに張り付かせ、上に登っていると徐々に光が見え始める。

「……ふう、ようやくゴールか……」

「いえ、安心するのはまだ早いですよ。探ってみた所、屋敷内部から強い魔力を感じます。外の警備員とは比較にならないほどの」

「……なるほど、こっからが本番ってことか……」

 勇者は気合を入れ直し、光に向かって進み続けた。すると出口が見え始め、勇者は屋敷内部へととうとう足を踏み入れた。勇者の出た場所は1Kルーム程の小さな部屋だった。

「……場所的に二階か三階くらいか、この部屋はゴミ捨てるために造った部屋ってところかな」

「そのようですね。あ! 勇者様、パイプの中に戻ってください! 早く!」

「なんだよ、うわあッ!?」

 勇者はトイレブラシに引きづられるようにして再びパイプの中に戻った。

「なにするんだお前はッ!? せっかく出られたのになんでこんな臭い中に戻らなきゃいけないんだ!?」

「(し! 声に出さずに脳内で会話してください! 人ですよ、人! 警備員さんたちとは比べ物にならないほどの魔力を持った人がこっちに向かって来てたんです!)」

「(ま、まさかパツキンの仲間か! いや、でもアイツらは敵国の目玉焼き戦士だから違うか……)」

「(来ました!)」

 トイレブラシの言葉と共に室内の扉が開かれた音がパイプの中の勇者に聞こえた。入ってきた人物は男性のようで、ブツブツと何かを呟いているのが聞こえた。勇者は注意深く男の話す言葉に耳を傾けた。

『っべー! やっべーな! どうすっかなー! マジべーよ! べーよ! どうすんだよこれ、はぁーやっちまったわ! 三十過ぎてんのにやっちまったわこれ!』

「(……なんだ。なんか独り言言ってるけど)」

「(何かを失敗したみたいですけど、いったい何を失敗したんですかね?)」

「(たぶん警備員だろうから、警備中に寝て怒られたとかそんなところじゃねーの多分。もう夜遅いし、俺も眠くなってきた、ふぁ~)」

「(でもそんなことでこんな落ち込みますかね……)」

「(あれだろ、年下の上司に怒られたんじゃねーの。ほら、三十過ぎてるバイトのおっさんがバイトリーダーの女子高生に怒られてへこむみたいな感じなんじゃね?)」

「(やけに生々しい例えですね……)」

「(ま、どうせ大した失敗じゃねーよ。警備員にとって一番の失敗は警備してるものに被害が出ることだしよ、まだ俺とか変態共は何も盗めてないんだからさ)」

「(そうですね。まあ大した失敗ではな――)」

『う〇こ漏らしたわー』

「(……取り返しのつかない失敗だな……)」

「(……そのようですね……)」

 勇者とトイレブラシは三十過ぎた男が脱糞した姿を思い浮かべ、首を横に振った。

『……はぁー、でもやっちまったもんわ仕方ないし……犠牲になったのはパンツだけだし、いいか……』

「(いや、よくねーだろ……他にもいろいろ犠牲になってるだろプライド的なあれが……)」

「(まあ、でも仕方ないですよ。きっと勤務中はその場を離れられなかったのでしょう)」

『クッソー、休憩中にう〇こ我慢大会なんてやるんじゃなかったぜー。参加者俺だけだったけど』

「(どうしようもない三十代だな……)」

「(同情の余地なしですね……)」

 あらためて漏らした男に対して酷い評価をし直した勇者とトイレブラシだった。

『ふう、スッキリ。さて後はこのう〇こパンツを捨てるだけだな!』

 男はパンツを脱いだのか、明るい声でパンツを捨てることを宣言した。

「(うえ~! くっせーな! ここまで臭ってきてんじゃねーか!)」

「(ホントですね。あれ……でも、脱いだって、ことは……捨てるわけですよね?)」

「(そうなんじゃねーの? 今も捨てるだけって言ってたし)」

「(……捨てるって……どこに捨てるんですかね……)」

「(そりゃあゴミ箱に……ん? でも俺が出た時に見たけど、あの部屋……ゴミ箱……なかったよ……な)」

「(え、ええ……)」

 否、ゴミ箱など必要ないのだ。なぜなら直接ゴミを捨てられるパイプの口が開いているのだから。

 そして勇者は自分が今どこにいるかを冷や汗を垂らしながら理解する。

「(ま、まさか……)」

「(……勇者様……初めに言っておきますが……)」

「(な、ななな、何を、言うつもりだ……?)」

 勇者は心の中で動揺しながらも、トイレブラシの言う言葉がなんなのかを理解しながらも、なお問いかけた。

「(決して、悲鳴をあげないでくださいね……)」

「(ひ……!?)」

 勇者はゴミ捨て場に直結しているパイプの中でぶるぶると震えはじめた。

『さて、ようし! 景気づけに、ここはパイプの中で盛大に転がるように投げ捨てるか!』

「や、やめ――」

「(ダメです。我慢してください勇者様)」

 男の行為を制止しようと声をあげかけた勇者の体をトイレブラシが乗っ取り、寸でのところでそれを阻止した。

「(止めるな便ブラぁぁぁ! 俺に三十路のミソ付きパンツが直撃するだろうが! 今すぐ体の所有権を俺に返しやがれぇぇぇぇ!!!)」

「(ダメと言いましたよ。今出て行くのは得策ではありません、脱糞男だけならなんとか倒せるかもしれませんが、いかんせん、部屋の外の様子がわかりません。仲間が外で待機しているかもしれませんし、例えいなくても下手に攻撃して騒ぎを大きくしたら駆けつけてくるに決まっています。だから――)」

「(だからなんだ……!?)」

 トイレブラシはゆっくりと言った。

「(う〇こパンツをくらってください)」

「(いやだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!! 絶対にいやだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!)」

 勇者はジタバタともがき、トイレブラシからの支配から逃れようとした。

「(ゆ、勇者様、暴れないでください! せっかく登ってきたのにまた下に落ちますよ!)」

 勇者は現在、右手と素足の状態の両足で垂直のパイプの中に張り付いており、少しでも気を抜けば落ちてしまいかねないほど危うい姿勢だった。

「(うっさいわボケええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!! そんなこと言ってる余裕なんてないんじゃああああああああああああああああああああああ!!!! ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、ってあれ、うわあああああっと)」

 暴れたせいで、下に落ちそうになったがなんとか踏ん張り、落ちずに済む。

「(ほら、言わんこっちゃないですよ)」

「(うっせ! しょうがないだ――)」

『ほいさ!!!』

 ひゅうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ。

「(……………………………………………………………………え……?)」

 べちゃッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

「(!!?? !!!!!!!!???????? !!!!!!!???????)」

 上を見上げた勇者の顔面にソレは激突した。

 黄ばんだ茶色いブリーフが激突した。

 悪臭漂う、それは着弾し、布に溜まった中身が勇者の顔面をコーティングした。

 まさにデコレーション。

『……あれ~! おっかしいな! 着弾した音が響いたのは結構近くだったぜ! 下のゴミ捨て場に落ちるにはもうちょっとかかると思ったけど、まあいいか。ふんふーん♪ スッキリ♪』

 男は鼻歌を歌いながら部屋を出て行ったようで、扉を閉める音が聞こえてきた。

 しばらくの間、場を静寂が支配した。

「(…………もう大丈夫みたいですね。ふう、お疲れさまでした勇者様。じゃあ上に戻りましょうか…………勇者様……?)」

 応答のない勇者を気遣ったトイレブラシが勇者の顔を見た。

「(…………き、気絶してる………)」

 勇者は精根尽き果てた様子で、真っ白に、いや、真っ茶色になって燃え尽きていた。その眼は白目を剥き、鼻からは鼻水が垂れていた。トイレブラシはその様子を見て、どれほど勇者がショックを受けたのかを悟り、顔の上に乗ったブリーフをブラシで払いのけて下に落とし、糞で汚れた顔や体を小さな衝撃波で吹き飛ばしたのち、覚醒させた。

「殺す殺す殺す殺してやるぞォォォおおおおおおおおおおおお。脱糞野郎めえええええええええええ。絶対に絶対に許すマジ許すマジぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」

 ブツブツと小声で自分の顔にう〇こブリーフをぶつけた男への恨み言をつぶやく。

「勇者様、お願いですから正気を保ってくださいね……作戦行動中なんですから妙な気はおこさないようお願いしますよ……」

 気絶から目覚めた勇者はパイプを登りきると、再び部屋に入りこんだ。だが一回目に入った時とは違い、その顔は怒りで酷く歪んでいた。脱糞男への復讐、それが今の勇者の生きる原動力だった。

「勇者様、重ねて言いますが隠密行動中ですからね?」

「わかってるよ、安心しろ。決して目立たない技で暗殺者のごとくしとめてやるぜ。あの脱糞野郎を見つけたら叫びながらパイルドライバーをくらわしてやるぜ」

「どこが目立たない技なんですか……安心できないんですが……」

「とにかく俺は脱糞男に報復するからな!」

「まったく……ただでさえ難しい任務なのに、難易度が滅茶苦茶上がりますよ?」

「それくらい乗り越えてやるさ、なにせ俺は史上最強の天才だからな」

「はぁ……仕方ないですね。でもその脱糞男さんが見つかるまでは当初の予定通り『火竜の剣』の魔石とアンサムの不正を行った証拠資料の奪取を優先してくださいね」

「そうだな、見つかるまではそうしよう。見つかるまでは、な。ふふふふふふふふふふふふふふふふ」

 勇者は悪い顔で笑いながら脱糞男への復讐を思い描いた。どんな復讐にしようかと胸を躍らせる。

「とりあえず見つけたら俺の奥義の数々を食らわせてやるぜ。上段回し蹴りシューティングスターに上段回し蹴りソニックに上段回し蹴りギガントアックスストライクに――」

「わかりましたからとりあえず早く移動しましょう。廊下を確認してみてください」

「人をアゴで使いやがってからに……」

 勇者は扉を少し開けて廊下を確認した。

「……駄目だなこりゃ。想像以上に警備員がいやがるぜ」

「確かに……これはちょっと厳しそうですね……」

 勇者とトイレブラシが部屋から廊下を覗き込むと、そこには十人の警備員がいた。大柄な体格に青い制服を着た警備員たちはみな一様に目を光らせ、ネズミ一匹逃がさぬように周りを見張っていた。これ以上覗いていれば見つかる可能性が高かったため、静かに扉を閉める。

「……すげえ警戒態勢だ。どうするよ……」

「このまま進むのはまずありえないとして……まず道を見つけないとですね。勇者様、屋敷の地図を出してください」

「ああ」

 勇者はパンツの中から地図を取り出した。

「もうなんかスティーブ将軍みたいですよね……」

「あんなパチンカスと一緒にすんなや」

「そうですね……それで勇者様が今いる場所はおそらくここでしょう。二階のゴミ捨て場です」

 トイレブラシが地図のとある地点を指し、勇者の居場所を告げる。

「目的地が五階の宝物庫だから……どうにかして進まねえとな……だけど階段まで行くには廊下を通んなきゃだしよぉ。別の道は――」

 勇者は地図を見て現在位置から階段にたどり着く道を探してみたが――。

「……やはり進む場所は一つしかありませんね。廊下を渡る以外に道は他にありませんし」

「廊下、か。でも絶対バレるぞ……」

 勇者は再び、扉を少し開けて廊下を覗いてみたが、やはり警備は厳重であった。死角らしい死角も、隠れる場所もどこにもなかった。そしてまた、ゆっくりと扉を閉める。

「マジで無理だろコレ……詰んでるぜ……」

「普通に考えれば突破は無理でしょうね。普通に考えれば、ね。むふふふふふふふふ」

「なんだそのムカつく含み笑いは。なんか手でもあるのかよ」

「当然です。仕事も出来てとびっきり可愛い聖剣、それが私なのですよ!」

「別に可愛くはないけどな……」

「失礼ですよ! そんなこと言ってると教えてあげませんよ! プンプン!」

「わ、悪かったよ、ごめんごめん。んで、どうするんだ?」

「魔術を使って勇者様を透明にします、そしてこの廊下を抜けます」

「へえー、魔術でそんなことまでできるのか。じゃあ楽勝じゃん、もっと早く言えよ。そうすりゃコソコソ隠れる必要なかったじゃん。ってゆーか俺がゴミ捨てパイプの中を通る必要も、クソまみれになる必要もなかったんじゃねーか!」

「お、落ち着いてください。これを使わなかったのには理由があるんですよ。透明になる魔術には一種の欠陥がありまして、その上燃費も悪いのであまり使いたくなかったんです」

 トイレブラシは怒りの形相で小声ながらも凄みを見せてくる勇者に必死に弁解を始めた。

「……欠陥ってどんな欠陥だよ」

「使ってる間、術者は呼吸してはいけないんです。そのくせ透明を維持するにはとてつもない魔力を使うので、普通の魔術師はまず使いませんね。もって一、二秒で解除されてしまいますから、空気に含まれる魔力が反応を起こして透明化がとけてしまうらしいんですが、マジ欠陥魔術ですよねコレ。でも私なら維持したまま三十分以上はいけますよ。まあ、勇者様の呼吸がもてば、の話ですがね」

「三十分も息しないでいられるかよ……でも二、三分くらいなら頑張ればもつかもな、その間に素早く廊下を駆け抜けるか」

「でも足音までは消せないので注意してくださいね」

「靴履いてこなくてよかったぜ。やはりこの格好で正解だった」

「倫理的には間違いですけどね……」

「いちいちうるさいぞ貴様。ほら、さっさとかけてくれその透明になる魔術」

「わかりました。ああでもその前に一つだけ聞いてください。魔眼を持つ人には透明化は聞きませんので注意をしてください」

「そうなのか。確かカルチェのおっさんが魔眼持ってたよな、気を付けねーとな。でもさ……廊下にいる警備員が魔眼持ってたらソッコーで終わりだよな……」

「大丈夫ですよ、さっき確認しましたが魔眼持ちは一人もいませんでした」

「そんなことパッと見でわかるもんなのか?」

「魔眼を持っている人というのは他の人とは決定的に違うんですよ。気配や持っている魔力が根本的に」

 トイレブラシは声を低くし、あまり言いたく無さそうに魔眼持ちについて話した。

「……なんだ、なんか言いたく無さそうだな」

「……気のせいですよ。まあでもあまり魔眼持ちの人、っというか青紫色に光る眼を持つ人には関わらない方がいいと思いますよ。普通の魔眼は大抵緑色に光るんですが、青紫色に光る人が稀にいるんです。見つかりたくはありませんが、でもカルチェさんは前者なので安心です」

「どう違うんだよ?」

「何もかもですよ。なにせ魔眼というのはもともと――」

「おい! 誰か中にいるのか!」

 トイレブラシが勇者に魔眼についての講釈を始めようとしたその時、扉の外から中に向かって声が響いた。

「ブブルか? まだゴミ捨て部屋に入ったままなのか?」

 どうやら勇者の顔にう〇こパンツをぶつけた脱糞男の名はブブルという名前らしく、勇者はその名を脳内に刻んだ。

「……ブブルじゃないのか? ……おい! ブブルだったら返事をしろ!」

「どうした?」

「部屋の中で声がした気がするんだ」

「ブブルじゃないのかよ?」

「呼びかけてみたが返事がない」

「それに確かブブルは五階の自分の持ち場に戻ったはずだ。階段をのぼっていくのを確認したぜ俺」

 外の男たちも部屋に何者かがいるのではないかと疑い出した。

「(……勇者様、扉が開けられたと同時に透明化の魔術をかけます。絶対に息をしないでくださいね)」

「(わかったぜ。透明になってるうちに廊下を走り抜けて五階の宝物庫に向かう。それにしても都合がいいぜ、ふふふ、五階にいるのかブブルさんよぉ、会うのが楽しみだぜぇ……!)」

「(……目的を達成してからにしてくださいね)」

 呆れるトイレブラシをよそに勇者はあくどい笑みを浮かべながらブブルに対する制裁をひたすらに考えた。

「開けるぞ! お前らも武器を構えておけよ!」

 扉の外から野太い声が響き、勇者は身構える。扉の外の警備員たちはどうやら武器を構えているようで、金属が擦れるわずかな音を勇者は聞いた。そして扉が勢いよく開かれようとする――。

「(勇者様、いきますよ!)」

「(よっしゃ、こーい!)」

 勇者の体に蛍に似た緑色の光が密集し、一瞬でその体を透明にした。

 バタンッ!!!!

 と、同時に扉が開け放たれ、武器を持った男たちが入ってきた。勇者は壁際に張り付き男たちを避けながら部屋の入口に向かう。

「……誰もいないじゃねえか」

「おかしいな。確かにこの部屋から話声みたいなものが聞こえたんだが……」

「お前の聞き間違いだったんじゃねえの?」

 警備員たちは勇者とトイレブラシの声を聞きつけた男を半目で睨み、睨まれた男はバツが悪そうに頬を掻く。そんな中、勇者は音を立てずに素早く警備員の男達、総勢八人ほどの中を抜けて、ついに部屋を出ようとしていたが。

 ぷぅ~。

「(な、なんだ、う、お、おえッ!?)」

「(勇者様、我慢してください!)」

 強烈な悪臭が勇者の鼻をつく。

「おい屁をこくなよ!」

「わりい、わりい!」

「(こ、この野郎ォォォォ! 脱糞男といい。この屋敷には品の無い奴しかいないのか!)」

 警備員の男の発した放屁にむせそうになりながらも勇者はなんとか部屋を脱出した。その後、階段を目指して廊下を走っていたが、息が続かず、人気のない場所に隠れると息を吐いた。

「ぶはぁッ! そ、想像以上にキツイな、息しないで動くのって。こりゃあ定期的に隠れながら進む他ないぞ」

「人間は結構不便ですよね。まあ不便なのが人間の短所でもあり長所なんですけどね」

「なんだよそりゃあ……っていうか今どの辺だ……えーと、ここは……」

 勇者は再びパンツの中から地図を取り出すと広げた。

「ここは登り階段から東にある場所っぽいな、ならここから――」

「なんだ! 誰かいるのか!」

(ま、またかよ!!!)

 勇者が地図を確認していると、警備員らしき男が近づいてきた。

「(便ブラ!)」

「(もうやってます、えいッ!)」

 再び、光が集まると勇者の姿を隠した。

 そして剣のようなものを持った男が姿を見せた。

「……誰も、いないか」

 警備員の男は勇者のそばを通り抜けると別の区画に進み始めた。勇者はその隙に階段を目指し駆け抜けた。が、どこへいっても警備の手が緩むことはなく、階段を見つけ上る時も二十人近い警備員と出会い、登った先でも五十人以上の警備員が待ちかまえ、警備をしていた。勇者は死ぬような思いで息をとめてそれらをやり過ごし、なんとか五階にたどり着いた。

 そして異臭漂う、とある小さな小部屋に入り込んだ勇者はそこで休憩をとっていた。

「つ、疲れた……息がつ、つづかねーよこんなん……」

「もう少しですから頑張りましょう、あとちょっとで目的地の宝物庫ですから」

「っつってもなー……当然ちゃあ、当然なのかもしんねーけどよ……宝物庫に近づけば近づくほど警備が滅茶苦茶厳しくなってんじゃねーか……」

「そりゃあ予告にあったものを守ってるんですから警備は厳重になりますよ」

「はぁ……アイツが余計なことしなきゃこんなめんどうじゃなかったろーに……恨んでやる……」

 勇者は今も洞窟で彷徨っているであろうアラン将軍を含む変態たちを恨みながら現状を呪った。

「……にしても、休む場所は他に無かったのかよ……」

「もう場所的にここ以外はほぼ警備に隙がないですよ。ここがおそらく今一番安全な場所です」

「でも、なあ……休憩場所が便所って、どうなんだよ……つーかもっとデカい便所を用意しておけよ、なんで個室トイレが一か所だけなんだ……」

 勇者は幅およそ三メートルほどの個室トイレでうなだれた。

 警備が厳しくなってきている中、勇者が休息に使っていた場所は五階の中で唯一と言っていいセーフゾーンであった、悪臭が漂っていることを覗けば。

「息を整えたら早速向かいましょう」

「いよいよ最終決戦か、息が持つか心配だぜ。ここから宝物庫まで走ったとしても三分くらいかかるし……俺の肺活量的に考えて厳しい戦いになりそうだ」

「そうですね。でももし勇者様が息をして姿を現したとしても私が一瞬ですぐに透明にしますから、そこまで気負わなくていいですよ。ただ息継ぎするときは出来るだけどこかに隠れてやってくださいね」

「隠れる場所がなかったら?」

「その時は隠密行動をやめて周りの警備員を全員倒す作戦に切り替えましょう。もともと宝物庫の近くにくるまで無駄な争いを避けたかっただけですからね。それにこの先は見つかる可能性の方が大きいです、戦うことを想定しておいた方がいいと思います」

「魔眼を持ってるカルチェのおっさんがいるからな。透明化の魔術は効かなくなるか……」

「そうです。魔眼には遠くを見たり、魔術の詠唱を短くしたりする効果があり、魔眼の所有者はかなり手ごわいんですよ。また、魔眼の能力の中には見た対象の魔力を見るというものもあります。以前カルチェさんが勇者様を警備員に誘った時も、勇者様、というよりは私の魔力を見て誘ったと言っていたでしょう? だからたとえ姿が見えなくてもその視界に入ってしまえば一瞬でバレるでしょうね」

 勇者は出会った時のカルチェの言葉を思い出し、深刻な顔つきになった。

「魔眼持ちってそんなに厄介なのかよ……カルチェのおっさん、警備隊長っつってたから絶対『暁の涙』の近くにいるだろうし……戦闘は確実に起こるだろうなぁ」

「苦戦はするでしょうね。でもここを越えなければ完全な『メルティクラフト』実現には至れません。目玉焼き戦争を勝ち抜いて財宝を手に入れることもできないでしょう」

「……それは困るな。俺は絶対に英雄になって、財宝を手に入れて、エルフの彼女を手に入れるんだ!」

「その意気ですよ勇者様! ここを乗り越えれば英雄に一歩近付けます!」

「だよな! よっしゃあ! やってやんぜ覚悟しとけよおっさん! あと脱糞男ブブル!」

 勇者は英雄の道に一歩踏み出す覚悟を固めた。

「じゃあそろそろ行こうぜ!」

「わかりました!」

 勇者は息を大きく吸いこむと、止めて、トイレブラシはその隙に魔術をかけて体を透明にした。

 そしていざカギを開けて扉を開こうとしたその時――。

 ガチャ、とドアノブが回されて扉が外から開けられた。

「「((え……!?))」」

 突然の出来事に勇者とトイレブラシが驚いていると、一人の男が冷や汗をかいてトイレに入ってきた。そして間髪入れずに扉を勢いよく閉めた。

「ふぅ、やべえやべえ、間に合っ――」

 ぶりゅるるるるるるるるるぶべッぷぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!!!!!!!!!

「……わなかったー……」 

「「((うっわ……))」」

 男が扉を閉めた瞬間、男の肛門は決壊した。

「(ぐうッ!? さ、最悪だコイツ漏らしやがった!!!)」

「(く、くはいでふぅー!)」

 勇者とトイレブラシが悪臭に悶絶していると、男は悟りきったような笑顔になった。

「ま、いっか。さっきも漏らしちゃったけどね、てへ☆」

「(いいわけねえだろこのクソ漏ら――ちょっと待て。今コイツ、さっきも漏らしたとか言ったよな)」

「(ええ、言いましたね。っということはもしかしてこの人が――)」

「たは~、やっちまったぜ。けどこのブブル、決してくじけない。三十過ぎて脱糞しすぎだと言われても自分を誇り続けよう、うん」

「(こ、コイツがブブルか!!!!!!!!!!)」

 勇者は殺気を込めた瞳でブブルを睨み付けた。中肉中背でケツアゴが特徴的な顔の大きい七三わけの男、ブブルを親の仇でも見るように見つめる。

「(どうしてくれようかこの脱糞クソ野郎!!!!!)」

「(ま、待ってください勇者様!!!)」

 勇者が早速ブブルに報復しようと前に出たが、トイレブラシに阻止される。

「(なんだよ!)」

「(このブブルって人、相当強いです)」

「(はぁ!? この三十過ぎてう〇こ漏らすような駄目な男の代表格みたいな奴がか!? 何かの間違いだろ絶対!?)」

「(本当です。魔力もそうですが、肉体面でも凄まじく鍛え上げているようです。おそらくまともに戦えば勇者様のお腹に風穴があきますよ)」

「(な……!?)」

 勇者は驚愕しながらブブルから身を一歩引いた。

「(考えてみれば当然ですよ。このブブルって人はたくさんいる警備員の中でこの最上階の宝物庫付近の担当を任されているわけですから。強くないはずはないんです)」

 ごくり、と勇者は生唾を飲み込みながら脱糞男を凝視した。

(た、確かに……脱糞することと実力は関係ない……それにたまたま今回俺の前で恥ずかしい失敗をしただけであって本来は優秀な人間なのかもしれない……人間誰だって一度や二度、恥ずかしい失敗をするものだし)

「今年に入ってから百四十回くらい脱糞しちゃったよ」

 勇者は無言でブブルに向かって拳を振り上げた。

「(やめてください勇者様!? 話聞いてなかったんですか!?)」

「(こんな四六時中脱糞してる奴が強いはずねーだろ!? お前の分析ミスだよ!!! こんな奴今ここでトイレのサビにしてくれるわ!!!)」

「(なんですかその臭そうなサビは! っというか本当に待ってください! 間違いなく強いですよその人は!)」

「(うるさい待てるか! ってか俺の息ももう限界寸前なんだよ! 不意をついて今のうちに倒しちまった方が――)」

 ぶ~ん。

 勇者とトイレブラシが言い争っていると一匹のコバエのような虫が勇者の近くの壁にとまった。

 その瞬間、ヒュン、という音と共に何かがコバエのいる壁に突き刺さった。そして――。

 ボゴォォォォォォォォォォォォ!!!!

 コバエと共に壁が吹き飛んだ。  

「(……はへ………?)」

 勇者が心の中で間の抜けた声を出しながら崩れた壁の方にゆっくりと向くと、ブブルがいつの間にか崩れた壁の近くにいた。崩れた壁を前にして拳を前に突き出したまま制止しているブブル。その状態はまるで拳で壁を破壊した後のようだな、と勇者に思わせた。

「(……はは、なんか拳で壁を破壊したように見えるんだけど……)」

「(その通りですよ。ブブルって人が一瞬で壁際に移動してコバエごと壁を破壊しました)」

 勇者が思ったことはまごうことなき事実あり真実だった、ブブルは一瞬で壁に近寄ると素手による殴打で壁を粉砕した。

「俺、虫嫌いなんだよね。壁ごと破壊しちゃったけどまあいいか。どうせお金持ちの屋敷だし、修理くらい簡単にできるっしょ。気張ってたら壊れましたってカルチェさんに説明すれば問題ナッシング。それより脱糞で汚れたパンツの処理を考えなくちゃな。近くにゴミ箱、あるかな?」

「……はッ、しま――」

「んん?」

 勇者はあまりの出来事に我を忘れ、息をしてしまった。その時、勇者の姿は露わになり、ブブルは勇者の方を見た。

「……気のせいかな? 今誰かいたような――」

 間一髪だった。

 我に返った勇者は破壊された壁の穴から急いで脱出し、壁を背にして身を隠す。

(あ、あっぶねー……見つかるところだった……もし、もし見つかってたら俺も――)

 勇者は粉々になった壁を見て震え出す。

「(ね? 言ったでしょう?)」

「(そ、そう、だな。うん、俺は心の広い男だ。だから脱糞パンツを顔にくらったくらいじゃ怒ったりしないんだ。今回のことは特別に許してやろう、命拾いしたなブブル)」

「(さすがです勇者様、マジでチキンですね!)」

「(違う! 別にチキったわけじゃない! 無駄な戦闘を避けようとしただけだ! 俺は勇者だぞ! 勇敢な男なんだ! あの程度のへなちょこ打撃でビビるはずが――)」

「またいやがったな虫め、ふんッ!!!!!!!!」

 ドッゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ。

 勇者のすぐ近くの壁が吹き飛んだ。

「(ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!??)」

 勇敢な勇者は膝を抱えて丸まり、震えはじめた。

「(いやはや、男の中の男ですね)」

「(うう、ちくしょう! 早く宝物庫にいくぞ! ここにいたら脱糞クラッシュをくらいかねない!)」

「(それもそうですね、じゃあ息を吸い込んでください。いきます)」

 口いっぱいに息を吸い込み、息を止めた勇者がへっぴり腰になりながらもホフク前進で進もうとした瞬間。

「またいたな! そォォォォォォいッッッッ!!!!!!!!」

 再び、壁が吹き飛ばされそして――。

「(……うそ……)」

 勇者は吹き飛ばされた壁の瓦礫に埋もれた。


 真っ暗闇の中で勇者は目を覚ました。 

「……いつつ……ここは……」

「(お目覚めですか勇者様。出来れば声は出さずに脳内会話でお願いします)」

「(ああ、うん。あれ、動かないぞ体……)

 トイレブラシの声を心の中で聞きながら体を動かそうと身をよじったが、なぜか動かない。

「(つーかここは、俺なにしてたんだっけ……ってそうだ! 俺は屋敷に潜入してそれで五階まできたのはいいけど脱糞クソ野郎の攻撃のせいで瓦礫の下敷きになったんだ。ってことは今も――)」

「(ええ、今も瓦礫の下敷き状態です。でも不幸中の幸いとでもいうべきでしょうか、助かりましたよ)」

「(何がだよ! 思いっきりピンチじゃねーか! 体動かねーんだぞ!)」

「(瓦礫くらいなら魔術で吹き飛ばせますよ、勇者様の体に怪我がないことも確認しているので問題ありません)」

「(……じゃあ不幸中の幸いってのはどういう意味だよ)」

「(勇者様が瓦礫に埋もれて気絶したすぐ後にカルチェさんがここにやってきたんです。瓦礫に埋もれずあのまま向かっていたら鉢合わせしてましたよきっと。それでなんでカルチェさんがここに来たのかという話なんですが、どうやらブブルさんが壁を壊したことに気づいたらしくて、怒りに来たみたいでした。勇者様が気絶した後、カルチェさんとブブルさんの言い争う声が聞こえてきたんです、なんかブブルさんって優秀で強いらしいのですが結構問題もあるみたいで……)」

「(そりゃあところかまわず脱糞する奴に問題がないわけないわな……)」

 勇者は職務中に脱糞しまくるブブルを想像し、顔をしかめた。

「(いえ、脱糞もそうなんですが、度を越えた虫嫌いでで虫を見ると我を忘れてしまうらしいんです)」

「(そういえばさっきも便所の壁を破壊してたな……しかし虫を見ただけで我を忘れるとかどんだけだよ、しかもあの怪力だろ、暴れられたら確かに厄介…………いや…………)」

「(勇者様……?)」

「(これは……使える……イヒヒヒ、でゅふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ)」

「(……なんか悪だくみしてる顔ですねそれ)」

 勇者は悪魔のような壮絶な笑顔でブブルに対する報復と魔石奪取の方法を思い描いた。

 そしてトイレブラシに作戦を話し、静かに瓦礫をどけると作戦のための準備に取り掛かった。そして数十分後、勇者は巨大な麻袋を抱えたまま廊下を静かに進んでいた。警備員は山ほどいたが透明化を使っているため気づかれずになんとか通れていた。それでも息が苦しい時は少しの隙間や、物陰に身を隠し、息継ぎをしながら目的地の宝物庫に向かっていた。

「(やっぱり警備が厳重だな、だがこの作戦が成功すれば帰る時に大幅に楽になるぜ、くくく)」

「(相変わらず性格が悪いですね勇者様……ですがまあ確かにこの作戦なら警備をかく乱することができるでしょうね)」

「(だろ? ククク、楽しみだぜぇ、なあ、虫嫌いのブブルさんよぉ。くひゃあああああっははははははははははははははははははは!!!!!)」

 蠢く麻袋を持ったまま勇者は駆け抜け、そしてとうとう宝物庫の近くに到着した。扉の前にはブブルを含めて筋骨隆々とした大男たちが十人ほど陣取っていた。勇者は曲がり角の廊下で身を隠すようにすると、麻袋を床に置いて準備を始めた。

「(いやがったなケツアゴ! 覚悟しとけよ!)」

「(気を付けてやってくださいね、バレたら戦闘は確実です。あの扉の前にいる警備員さんたちはブブルさんも含めてサラマンダー盗賊団のクベーグさんより強いですから)」

「(わかってるって、大丈夫だよ。さあ、今こそ解き放とうじゃないか、お前たちを……!)」

 勇者は嬉しそうに口を閉じていた麻袋を開けた、その瞬間だった。

 黒い小さなものが一つ、袋の中から飛び出て行った。その黒い物体は悠々と空を飛んでいたが、やがてあくびをしていたブブルの顔にぶつかった。

「いてッ、なんだこれ……」

 ブブルは顔にとまった何かを不思議そうな顔でつまむと引きはがし、まじまじと見つめていた。

 そしてその黒い物体がなんなのか、正体がわかったのか、顔を青ざめさせた。

「……っひ……うわぁああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 ブブルは黒い物体、もといゴキブリのような虫を壁に叩き付けた。叩き付けられたゴキブリもどきは茶色い汁をぶちまけながら死んだ、だがそれだけでは終わらなかった。

「気持ち悪かった、って、嘘、だろ……」

 それはブブルのつぶやきとほぼ同時だった。

 ザァァァァァァ。

 黒い物体がびっしりと床、壁、天井を覆いつくしながらブブルたち警備員のもとに迫っていた。

 ゴキブリもどきによる黒い嵐がそのフロアを覆っていた。

「……あ、あ、あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」 

「(あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!! げひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃプゲラァァァァァァァァァァあああああああああああああああああひゃっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!!!!)」

 発狂しながら壁やら床を破壊しまくるブブルを尻目に勇者は爆笑していた。他の警備員がブブルを取り押さえようとしていたがブブルの怪力の前に倒れ、そして勇者は爆笑していた。ひたすらに爆笑していた。

「(ザマァァないぜえええええええええええ!!!!! 脱糞くらったお返しと瓦礫に埋もれさせたお返しだぜ!!!! せいぜい発狂しやがれう〇こ野郎がッ!!!!!)」

「(しかしよくもまあこんなに集めましたよね。森が近くにあるとはいえあんな大量に……私、虫とかはちょっと生理的に受け付けないですね、女の子なので)」

「(何が女の子だよ、つーか便所ブラシに生理的もクソもねえだろうに……)」

「(ありますよ! ああいうちょっと不潔なものに私は弱いのです!)」

「(便所の掃除用具に不潔って言われる虫が気の毒だぜ……)」

 勇者は袋からあふれ出る虫たちを見ながら次の行動に移るためのタイミングを待っていた。そしてついにその時が訪れる。外の騒ぎを聞きつけたのか、宝物庫の扉が勢いよく開かれ、とある人物が現れた。

「どうした!? なんの騒ぎだこれは!? これは虫、っとうかブブル!? お前は何をやっている!」

「うわああああああああもういやだあああああああああああああああああああくるなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

「(来たな、カルチェのおっさん)」

 魔眼を持ち、警備隊の隊長をしているカルチェが血相を変えて現れたのだった。カルチェはブブルを取り押さえると、組み敷いてそのまま無力化した。勇者はそれを見てほくそ笑むと作戦の第二段階へと移ろうとした。

「(便ブラ、今だ)」

「(はい、了解です)」

 トイレブラシは勇者に言葉を返してすぐに魔術を発動した。あらかじめ詠唱しておいた魔術によって黒い煙幕が発生し、周囲を包み込む。

「今度はなんだ!?」

「誰か魔術を使ったのか!?」

「まさか侵入者!?」

「増援を、他の階に増援を頼みに行こう!」

 警備員たちが口々に騒ぎ出し、黒い煙幕に包まれたフロアをドタドタと大きな音を立てて走り回る。

「お前たち落ち着け! 走り回るな! これは罠だ!」

 カルチェが走り回る警備員たちを怒鳴りつけたが、混乱はいっこうに収まらなかった。

「(さて、これでトドメだぜ!)」

 勇者は口いっぱいに空気を吸い込み、そして――。

「気を付けろ! これは毒の煙だ! 吸い込んだら全員死ぬぞ!」

 叫び、場所を変えながら移動する。

「毒!?」

「そういえば、喉が、痛いような……」

「げほッげほッ、し、死にたくねえ!」

 煙の中で警備員たちは一斉に苦しみだした。そして場所のわからない出口に向かって一斉に走り出すも、味方とぶつかったり、壁にぶつかったりと、大きな音を立ててフロア全体が振動する。

「(いや~、大変だな彼らは。ま、毒じゃないんだけどなこれ、くくく)」

「(プラシーボ効果でしたっけ、思い込みによる錯覚。まさかこれほど効果があるとは思いませんでしたよ)」

「(ふふふ、テレビでやってたからな。間違いなく効果があると思っていたが、想像以上だ。この俺の天才的な記憶力と応用力に感謝をして――)」

「(わかりました、わかりましたから先を急ぎましょう。煙なんて魔術で吹き飛ばされればお終いなんですから)」

「(でもお前が出したこの魔力の煙は普通の爆風じゃ吹き飛ばせないんだろう? 確か強力な魔力を帯びた魔術じゃなきゃ吹き飛ばせないって言ってたじゃねえか)」

「(それはそうですが、念には念をいれてというやつですよ。それにこの煙は一定時間が経つと催眠効果が出るようにしたので急がないと眠っちゃいますよ?)」

「(な!? 聞いてないぞ!? そういうことは先に言えよ!?)」

「(すみませんでした。では急ぎましょう!)」

「(ちょ、わかったよ!? お、おい! ひ、ひっぱるな!)」

 トイレブラシに引っ張られながら勇者は煙の中を進んだ。周りの兵士たちにぶつからないように宝物庫の中に入り、内側からカギをかける。煙が外から多少入り込んだものの、宝物庫はそれほど煙で満たされてはいなかった。一息つきつつも周りのきらびやかな光に目が奪われる。

「(すげえ)」

 明るい部屋の中、天井に吊るされた豪華なシャンデリアだけでも相当の値段が付くであろうことは想像できたが、周りに置かれた宝はどれほどの値段が付くのか勇者には想像できなかった。しかし均等かつ個別に用意された台の上に乗せられたイヤリングやネックレス、指輪、黄金の杯などの様々な宝は素人目で見ても凄まじい価値があることは容易に予想できた。

 ホコリが被らないようにガラスケースに入れられたそれらの宝を勇者はガラスに触れながら凝視した。大粒の宝石が埋め込まれた宝を涎を垂らしながら舐めるように観察する。

「(……勇者様、涎垂れてますよ。あとここの宝は全部持っていけないですからね。私たちの目的はあくまで『火竜の剣』の魔石、つまりは『暁の涙』なんですから)」

「(……そ、そうだな、すまん……それでもう声出して大丈夫だよな? もう敵も外に締め出したわけだし)」

「(そうで……すね、と言いたいところですが。まだです。どうやらこちらの狙いに気づいて冷静な対応をした方が二人もいたようです)」

「(それはどういう――)」

 トイレブラシに聞き返す前に勇者はあることに気が付く。

「(なんだこれ、なんか体が痺れてくるようなこの感じは……)」

「(勇者様も感じ取れるようになったみたいですね、魔力の気配を。たくさんの魔力をその身に受けてきた影響かもしれませんね。遅まきながら勇者様も魔術師として成長した証ですよ、おめでとうございます)」

「(ああ、ありがとうって、違うだろ!? 魔力の気配だと!? これが、この感覚がお前の言う魔力の反応的なあれなのか!?)」

「(ええ、そうですよ。まあ勇者様が今感じている気配は正確に言うと魔力と敵意が混ざり合ったものですけどね)」

「(て、敵意ってことは……)」

 勇者はねばっこく自身にまとわりついてくるような痺れた感覚に身を震わせる。そして注意深く周りに目を光らせた。

「(……敵が宝物庫に潜んでるんだな?)」

「(はい、かなり強力な敵が二人います。加えて私たちはその人たちとすでに会ってますよ)」

 勇者は目を閉じて感覚に身を委ねた。

「(……もしかしてブブルとカルチェのおっさんか? なんかそんな気がするんだけど……)」

「(ピンポーン! 大正解ですよ! 勇者様って結構感覚が鋭いのかもしれませんね! ただのド底辺じゃなかったんですね! 魔術的な才能なんてなさそうだったからてっきり魔力感応の才能も、廃棄処分寸前の壊れたテレビのアンテナくらいだと思ってましたよ!)」

「(お前を廃棄処分にしてやろうかコラ)」

 失礼な物言いをしてくるトイレブラシを恫喝した後、勇者は感覚を頼りにブブルとカルチェの居場所を探った。すると、右奥と左奥にある台から強烈な魔力の気配を感じ取った。おそらく二人はそこに隠れているのだろう、と勇者はあたりをつける。

「(右奥と左奥の台からすごい痺れを感じるんだけど……特に右)」

「(素晴らしいですね、本当に魔力感知の才能があるかもです)」

「(ってことは……)」

「(ええ、その通りですよ。左はカルチェさんで右は……)」

「(ブブルだろ? たぶん虫の件が相当効いたらしいな、ククク。怒りからか、俺への敵意がこうしてビンビンに伝わってくる、つまりあれだ、あのう〇こ野郎に一矢報いてやれたわけだな)」

 勇者は怒りに震えるブブルを思い浮かべて口元を歪ませた。

「(そんなこと言ってる場合じゃないでしょう、まったく。それで、どうしますか? 向こうはこっちの出方をうかがってるみたいですが)」

「(決まってるだろ。場所がわかってるんだからこっちから先制攻撃だ)」

「(わかりました、でもいいんですか? お宝も吹き飛ぶかもしれませんよ)」

「(お宝を吹き飛ばさないようにやりんさい)」

「(また無茶を……)」

「(無理ならかまわん。どうせ全部は持っていけないし、最悪『暁の涙』だけでも持ち出せればいいよ。とにかくあの脱糞野郎にとどめをさしてやるんだ!)」

「(さっき許したとか言ってたくせに……)」

「(さっきはさっき。今は今なんだよ、いいからさっさとやれ)」

「(わかりましたよ……えーっと『暁の涙』はここにはないみたいですね。じゃあ、いきますかね)」

 トイレブラシが詠唱を始めた瞬間、奥にいるであろう二人の気配に変化があった。先ほどまでのひりつくような感覚が和らぎ、代わりに熱風を浴びているかのような錯覚を勇者はした。

「(感覚が変わったな、アイツらも何か仕掛けてくるのか。その前に発動できればいいんだけど、便ブラしだいだなこれは。でもまだ流石にまだ無理――)」

「(終わりましたよ)」

「(……相変わらず早いな)」

「(当然ですよ。魔術に関しては誰にも負けないですよ。ではあちらも動き出したみたいなのでここは早々にぶっ放させていただきましょう)」

 トイレブラシの先端が光ると、空気が震え出す。魔力の光が波となり、部屋全体を包み込むと一気にブラシのスポンジ部分に集まり、巨大な光の塊が出来上がる。

「(いきますよ! 衝撃魔術! インパルス!)」

「(よしいけ! ぶちかませ!)」

 集まった光は掛け声と共に部屋の二つの場所、すなわちカルチェとブブルが隠れている場所に解き放たれた。極太のレーザーにも似た光の衝撃波はゴォォォォと音を立てながら目標地点に着弾すると周囲を巻き込み爆ぜた。当然、宝物庫の宝の一部はその瞬間に吹き飛び、宝だった残骸が勇者の足元に転がってきた。

「(……た、宝が……もったいない……もうちょい手加減できなかったのか……?)」

「(無茶言わないでくださいよ。あれでも手加減したほうなんですから。それに勇者様も構わないって言ってたじゃないですか)」

「(それはそうなんだけどさ……ああ……もったいない……)」

「(いつまでも言ってないで周りを警戒してください)」

「(軽快って……いや、もう倒せただろ。あんなんくらったら流石に……あれれ……?)」

「(気が付きましたか?)」

 勇者は目ではなく先ほどと同じように感覚で部屋全体の魔力を感じ取ろうとした。すると先ほどと同じ場所から痺れるような感覚を感じ取ることが出来た。

「(ま、まさかあれくらっても無事だってのか……?)」

「(まったくの無傷ではないみたいですよ、ほら。出てきたみたいです)」

 衝撃魔術によって部屋が損壊し、巻き上げられた煙の中から二人の男が姿を現した。一人は顔中に青筋を浮かべたブブル、そしてもう一人は光る目を鋭く細めたカルチェだった。二人とも怪我をしているようだったが、傷の具合が違っていた。カルチェの方は比較的軽傷であったが、ブブルはそこそこのダメージを負っているらしく、息を荒げながら額から血を流していた。

「あんな気持ち悪い虫を廊下に放った挙句、この俺に傷を負わせるなんてぇぇぇぇ……!!!! ぜったいにぜったいに許さないぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!!!!」

「ブブル、落ち着けといっただろう。まったく、だから攻撃魔術ではなく防御魔術を行えと言ったんだ」

「(なるほど、おそらく私が魔術の詠唱を開始した時、カルチェさんは防御魔術を優先し、ブブルさんは攻撃魔術を優先して使おうとしたんですね。防御魔術をギリギリでカルチェさんは成功させたみたいですけど、ブブルさんは攻撃魔術を行う前に私の攻撃が炸裂してしまったみたいですね、それで傷の具合が違うんですよ。それにしても私の詠唱速度について来れるなんて流石魔眼所有者といったところでしょうかね)」

 トイレブラシが称賛したカルチェは勇者を見ながら口を開く。

「私の名はカルチェ、ここの宝物庫、いや屋敷全体の警備を預かっているものだ。自己紹介をして早々に申し訳ないのだが、頼みがある。どうか引いてはくれないだろうか。今なら君が逃げても誰にも手は出させないことを誓おう」

「な!? 何言ってるんだカルチェ警備隊長! アイツは――」

 ブブルはカルチェにくってかかったが、カルチェはそれを手で制して黙らせると続ける。

「ここで君と私たちがやりあえば多くの宝物庫の宝に被害が出かねないんだよ、先ほど君が放った魔術を見るに君が相当の使い手であろうことはわかる。だからこそ冷静になって考えてみてくれ、今の状況を。私たち二人はここの警備員の中でも間違いなく一、二を争う力を持っている。それにたとえ私たちを君が倒せたとして、宝を奪えたとしてもその後どうする? この屋敷は三百人近い警備員たちが警備している、我々を二人を倒した後に連戦して勝てると思っているのかな? いくら君が強くてもそれは不可能だよ。つまりここを突破できたとしても逃走は容易ではないということだ。君ほどの実力者なら理解できるはずだろう?」

 確かにカルチェの言う通り、今の状況は決して芳しいと言えるようなものではなかった。敵地に一人、厳密には一人と役立たず六人だが、その状況で今勇者は敵のリーダーにして魔眼という厄介な能力を持つ歴戦の警備員カルチェと実力は未知数ながらも怪力を持つブブルという二人の相手をしなければいけなかった。

そして仮に二人を倒せたとしても無事に脱出できる保証はどこにもなかった。一度引いてもう一度、という考えが勇者の頭をよぎる。しかし――。

「断る」

 勇者ははっきりとした口調でカルチェを見据えながら提案を断った。

「……なぜかな?」

「リスクの無い戦いなんて存在しない、仮に今逃げ延びたとしてもまた別の場所で同じような状況に陥るかもしれない、今逃げたら俺はその時もまた逃げるだろう。そうやって逃げ癖がついたらもうどうしようもない。ここまで来たなら引くなんて選択肢はありえないんだよ。それにアンタが本当に逃がしてくれるっていう保証もどこにもないしな」

「……そうか、残念だよ」

 カルチェは目をつぶると、やがて腰に下げられた剣を引き抜いた。

「(勇者様かっこいいです! 見直しましたよ!)」

「(まあな!)」

 だがさきほど語った内容は建前だった。

(まあ本音を言うともうこんな仕事はこれっきりにしたいからなんだよね。今引いたらまたあの変態共と作戦しなきゃいけなくなるじゃん。冗談じゃないぜマジで……)

 勇者は一刻も早く仕事を終わらせて役立たずな変態たちと縁を切りたかった。そのため何としても『暁の涙』を入手し、ここで終わらせるという決意を固める。背中から『火竜の剣』を抜刀し、中段に構えた。そしてそれを見たカルチェはブブルに目配せした。カルチェとブブルは勇者を挟み込むようにして両側に移動すると戦闘態勢に入る。 

「ここまで侵入したその手腕は実に見事なものだ、だがここまでだ。君を倒し、職務を遂行する」

「お前のせいで気持ち悪い虫を素手で触らなくちゃいけなくなったんだ! このツケはキッチリと支払ってもらうぜ! クソ野郎!!!」

「どっちがクソ野郎だこの脱糞男が!!! 三十超えてう〇こ漏らして恥ずかしくないのかコラ!!!」

「な、なぜ、知っている……!?」

「……ブブル、お前はまた漏らしたのか……」

 勇者の左側にいるブブルは驚愕し、右側のカルチェは嘆息した。その瞬間、空気が一瞬緩んだ瞬間に勇者はブブルに飛びかかると右手の剣で上段から切りかかった。

「隙ありッ!!! うおらあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

「しまッ、ぐうッ!?」

 ザン!!! っと空気を切り裂くように鋭い斬撃がブブルを襲ったが、それはとっさの機転で後ろに跳んだブブルによって回避される。

「ちぃ……!!!」

 勇者の放った斬撃は床を切り裂き、大きな傷跡を残した。ジュウゥゥゥ、と焼き切られた床の斬撃痕は『火竜の剣』の強力さを雄弁に物語っていた。今だに赤く熱を帯びている床の傷跡を見ながらブブルは息を飲んでいる様子だった。

「ふふん! お前の怪力に最初はビビ……じゃなくて驚いてしまったが、俺が本気を出せばこの通りよ! お前のその弛み切った肛門と魂に根性焼きをくれてやるぜ!」

「くッ……流石世間を騒がせている怪盗ってことか……! ただの変態じゃないってことかよ……!」

「な……!? 誰が変態だ……!?」

「いやお前だよ」

「君だ」

「(勇者様ですよ)」

 ブブル、カルチェ、トイレブラシは即答した。

「俺は変態ではないぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!!!!」

「何言ってるんだよこの変態ピーマン野郎」

「ぴ、ピーマン……野郎だと、誰がピーマン野郎だ!!! っていうかなんで異世界にピーマンがあるんだこの野郎がぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」

 緑色のペンキを全身に塗りたくったほぼ全裸の変態は咆哮する。それに呼応するように魔力が噴き出し、『渦中の剣』を覆った。そして勇者は再びブブルに切りかかろうとした、

「死にさらせええええええええええええええええええええええええええええええッ!!!!!」

「こちらを忘れてもらっては困るなッ!!!!」

 が勇者よりも先に動いていたカルチェに機先を制され、先に切りかかられると、剣でそれを受け止める。つばぜり合いの中で勇者はカルチェの持つ魔眼を見た。緑色に光る両目から放たれる独特の魔力に勇者は気圧される。そしてカルチェの方ばかりに気を取られていたためか、後ろから迫る影に気づくのが遅れる。

「(勇者様、後ろです!)」

「何ッ!?」

 トイレブラシの声で振り返った勇者は、ブブルが拳を振り上げながら接近していることに気が付く。振り上げられた拳が勇者に届くまでおよそ一歩ほどの距離の中、どうすればいいのかわからなくなった勇者の思考は停止する。

「(勇者様ッ!!!)」

「ちくしょう!!!」

「もらったァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!」

 ブブルの叫びがフロアに響いた瞬間、勇者の顔にブブルの拳が突き刺さる、

「痛いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……ってあれ……痛くない」

 はずだったが、なぜが拳は勇者の顔の前で急停止していた。

「……あ……あ……あ……あ……」

 何があったのか、と勇者はおかしな声をあげているブブルの顔を覗き込む、すると。

「……え……虫……?」

 ブブルの顔に一匹の黒光りする虫がへばりついていた。

「……ああ、あの時の虫が部屋に入り込んでいたのか……」

 勇者は納得した、と同時にブブルが白目を剥いた。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 悲鳴をあげて、さらに泡を吹いたブブルは倒れた。

「……はぁ……」

 剣で勇者の剣を抑え込んでいたカルチェは後ろに跳んで後退すると、ブブルの醜態にため息をついた。

「……ふッ、まず一人」

「(自分で倒したわけでもないのによくカッコつけられますね……)」

 勇者は不敵な笑みを浮かべながら人差し指をカルチェに見せつけるようにして立て、トイレブラシはそのことにツッコム。

「残りはアンタだけだ。おとなしく降参するなら見逃してやるぜ?」

「……なるほど。立場が逆になってしまったというわけか。だが悪いがこちらも引けないんだよ、だから……奥の手を使わせてもらおうかな」

「お、奥の手だと!? で、デタラメを言うな! 強がってるだけだろう?」

 勇者の問いに穏やかな笑みを見せた老紳士はただでさえ光っていた瞳をさらに輝かせる。

 静かに笑うカルチェに得体のしれない恐怖を感じた勇者は後ろに一歩下がろうとした、だがその前に事は起きた。

「はぁァァァァァァァァッ!!!!!」

「なッ!?」

 カルチェが気合を声で表現するように叫ぶと、剣を勢いよく振り上げて振り下ろした。だが、勇者とカルチェの間は十メートル近く離れており、振り下ろしたところで当たるはずはなかった。しかし問題は剣を振り下ろした瞬間だった。剣を振り下ろした場所から突然巨大な魔力の渦が輝きながら発生し、渦はやがて周囲を巻き込みながら有鬚に向かって進みだした。そのスピードは凄まじく速く、勇者が声をあげる間もなくあっという間にゼロ距離まで接近し、あわや直撃といったところで、トイレブラシから発生した光の膜に守られる。

「(大丈夫でしたか勇者様)」

「(あ、ああ。助かったぜ便ブラ。だけどどうしてカルチェのおっさんは詠唱無しで魔術を……)」

 光の渦と膜が衝突し、拮抗し合うが、やがて光の膜が打ち勝ち、渦は横の壁に衝突する形で消滅した。そして結果として壁には大穴が開いた。

「……ふッ、やるな。やはり一回では無理か」

「そ、そうだ。いい加減無駄なあがきはやめて降参しろ。大丈夫だ、命まではとらな――」

「だが連続なら、どうかな?」

 カルチェが言った瞬間、またしても高速で剣が振り下ろされ、巨大な渦が発生する。勇者は迫りくる魔力の渦に驚きながらもとっさに横に飛び退き、それを回避した。かわされた魔力の渦は再び別の壁に激突すると、轟音を立てて壁を破壊し、大穴を開けた。勇者はかわせたことに安堵し、気を一瞬緩めた。

「はぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ……!!!!!」

 だがカルチェの攻撃は止むことなく再び勇者に襲いかかる。

「なッ!?」

 カルチェは空間を切り裂くように、一撃、二撃、三撃、四撃、と何度となく剣を振った。そして切り裂かれた空間からは先ほどと同じような渦が発生し、勇者に向かってくる。そして勇者に向かってくる過程でやがて四つの渦は合体し、今度は空間全てを埋め尽くすほど巨大な渦が発生した、逃げ場を完全に失った勇者は歯を噛みしめながらただ立ち尽くす。

「(大丈夫ですよ! こんな時こそ可愛くってとっても可愛くって凄まじく可愛いエクスカリバーちゃんの出番ですから!!!)」

 左手を操作したトイレブラシは、自身を前に突き出させた。そして先ほどとは比較にならないほどの巨大な光の膜が勇者の周囲全体を包み込み、巨大な渦と衝突した。

 ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!

 フロア全体が再び大きく揺れ、二つの巨大なエネルギーはやがて相殺し合い、静かに消滅した。その一部始終を口を開けて呆然と見ていた勇者だったが、攻防が終わると同時に正気に戻る。巨大なエネルギーがぶつかった余波からか、周囲にホコリが舞い上がり、勇者とカルチェの姿を覆い隠す。

「(……思わず見入ってしまった。そ、そうだ。お、おい! アイツ詠唱してなかったぞ!? しかも連続で魔術攻撃みたいなのを撃ってきてるぞ!? どうなってるんだ!? クベーグの時みたいに屋敷に仕掛けがあるのか!?)」

「(説明しますが、『暁の涙』を探しながらにしましょう。今舞い上がっているホコリは魔力の残滓が混ざっているので魔眼でも周囲を見渡せないはずですから)」

「(魔力の残滓? そういえばお前、前にもそんなことを言ってたような……)」

「(カルチェさんの使った技とまとめて説明しますから捜索しながらでお願いします)」

「(……わかった)」

 トイレブラシの言に従った勇者は霧のようなホコリの中で『暁の涙』の捜索を始めた。視界が晴れない中、手探りで目当ての宝物を探す。

「(それで説明なんですが……先ほどカルチェさんが行ったのは魔術ではなく空間に満ちた魔力の残滓を利用した攻撃です。私たちやブブルさん、そしてカルチェさん自身が使った魔力の残りかすを利用し、攻撃として成立させた。たいしたものですね)」

「(魔術とどう違うんだよ!?)」

「(カルチェさんが行ったことを簡単に説明するとですね、魔術を行った際に出た余分な魔力の再利用と言ったところですね。まず魔力の残滓についての説明ですが、これは二種類あるんです。魔術には魔力が必要なんですが、術式自体が完璧に適切な量の魔力を吸い上げるわけじゃなくて、術者が魔術を使う際に必要じゃない魔力まで余分に出てしまうんですよ、一つ目はこれですね。そして魔術を使った際に出る魔力の残りかす、これがもう一つです。この二つの魔力のことを魔力の残滓と呼ぶんですがね、それをカルチェさんは再利用したんだと思います)」

「(再利用って……そんなことできるのか?)」

「(普通はまあ無理ですね。ですが魔眼を持っている人間なら可能です)」

「(それはどうやって……って、これじゃないか『暁の涙』って)」

 勇者は魔石の発するわずかな魔力をたどり、目的の『火竜の剣』の魔石である『暁の涙』発見した。鮮やかな緋色をした卵ほどの大きさの石が入れられた台座は他の台とは明らかに別で、黒光りする装飾が施され、豪華な造りになっていた。

「(カルチェのおっさんの魔眼の能力は気になるが、今はいい。よし、これを持ってとっとと逃げ……)」

「渡しはしないよッ!!!」

「ぐッ!?」

 台座に手をかけようとした瞬間、横から現れたカルチェの剣が勇者に向かって振り下ろされたがとっさに『火竜の剣』で防ぎ、薙ぎ払われる。

「この眼に賭けて、宝は決して渡さない」

「くそッ!!! 魔眼の使い手ってのはこんなに厄介なのかよ!!!」

 勇者と魔眼の使い手であるカルチェの魔石争奪の戦いが始まっている時、もう一人の、ある意味カルチェよりも危険な魔眼の使い手が迫っていることに勇者は気づいていなかった。

 

 アンサムの屋敷周辺、深い森の中、一人の騎士が空から降り立った。

「『呪界』到着、これより任務を開始します。レオン君、ガゼル君、フリード君、隊長、必ず赤毛の剣士を捕縛して見せます。そして『呪界』の手がかりを得てみせる……そうしなければ――」

 ゆっくりと言葉を絞り出す。

「この世界は間違いなく滅びるのだから」

 呪われた世界の中でシャルゼ・ベルト―ルの言葉が静かに響いた。 

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