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ミステイクファンタジー  作者: 鈴木拓郎
26/42

25話

 ファッションセンスを磨くために勇者はトイレブラシと共に町に出てきたが、早速難題にぶつかった。

「……ファッションセンス磨くっつっても何を参考にしていいのかわからん……」

 服屋の前で立ち止まった勇者は渋い顔で店の服を凝視した。

「(とりあえず売れてる流行りの服を店員さんに聞いてみたらどうでしょうか)」

「(なるほど! いい案だな! そうしよう!)」

 勇者はこじゃれた店の中に入ると店員を呼び止める。

「いらっしゃいませ」

「あ、すいません。実は服を買いたいんすけど、自分で選ぶのがちょっと自信なくてー、それで今売れてる流行りの服を教えてもらえないっすかねぇ」

「かしこまりました。少々お待ちください、いくつか人気のある服を取ってまいります」

「あ、お願いします」

 四十代ほどの男性店員はにこやかに微笑むと店の奥に消えて行った。

「(よかった。なんかうまくいきそうだぜ)」

「(そうですね。でもかっこいい服でも組み合わせ次第では田舎のデパートでお母さんの買い物に付き合うのに飽きてゲームコーナーにいる中学生みたいになるので注意してくださいね)」

「(わかってるよ……)」

 勇者は気を引き締め直すと、店員が戻ってくるのを待った。

 そして数分後、男性店員は何着かのたたまれた服を持ってきた。

「こちらが今大変人気のある服となっております」

「おお! これが!」

 勇者は試しに一枚の服を店員から受け取り広げた。

「素晴らしい!!! さすが売れ筋の商品だ!!! 実に俺好みだ!!!!」

「気に入っていただけたようでなによりです」

「ああ、まずこれをいただこうかな! とりあえず袋に詰めておいて、ぶふッ!?」

 勇者が豚と豚のカップルが豚丼を食べている絵柄のTシャツを買おうとした瞬間、顔面にトイレブラシのスポンジの部分が直撃した。

 左手を突然操って殴ってきたトイレブラシに勇者は掴みかかる。

「(て、てめえ何してくれてんだ!!!)」

「(こっちのセリフですよ!!! 何買おうとしてるんですか当初の目的忘れてるんですかこのチンチクリン高校生!!! そのダサいTシャツ買ったら今までと変わらないでしょうが!!!)」

「(だって売れ筋って言ってただろう!!! これが売れてるってことはこのTシャツがカッコいいことの証明になるはずだ!!!)」

「(何かの間違いですよ絶対に!!! とにかくこの豚のTシャツは却下です!!!)」

「(……わーったよ、ったく……まあ、他にもあるみたいだし、いっか……)」

 トイレブラシの迫力に負けた勇者は渋々Tシャツを店員に返し、店員の持っている別の服を手に取った。

「ほぉ~これもいいじゃないか! 実にいいじゃないか!」

「お客様お目が高いですね。それは当店一番の人気商品です」

「わかるわー! これは絶妙だね! 流石一番人気の商品だ! これを包んで、ぶぱッ!?」

 勇者が鼻の穴から鼻毛が飛び出しているTシャツを買う意思を見せた瞬間トイレブラシの鉄拳が顔面に突き刺さる。

「お、お客様ッ!?」

「だ、大丈夫……あはは……」

 盛大に床に倒れた勇者を心配する店員に愛想笑いを返した後、トイレブラシを右手で締め上げる。

「(てめえ今度はなんだ!!!)」

「(ぐううう! 苦しいです! だけど不当な暴力にこの美少女は屈しません! あんなダサいTシャツを買おうとした勇者様には鉄拳制裁が必要だと思ったからやったまでです! さっきの豚のTシャツと同等かそれ以上のダサいTシャツ選んでどうするんですか!!! 学習してくださいよ!!!)」

 トイレブラシは拘束から抜け出すと毅然とした態度で反論した。

「(お前が店員におススメの服を聞けつったんだろうが! あれがおススメなんだからあれを買っておけば間違いないだろう!)」

「(あんな服が流行ってるわけないでしょうが! 外の人たちの格好見てくださいよ!)」

「(いいだろう! みんな素敵なTシャツを着て……あれ……)」

 勇者は店の外に一度出て町の人たちの服装を確認した。

 そして気が付く、誰一人としてダサいTシャツを着ていないことに。

「ば、バカな、ありえない……」

「(ありえないのは勇者様のファッションセンスですよ……あの店員さんに騙されてるんですよ……どうせ世間知らずな勇者様に売れ残ったダサい服を買わせようって魂胆でしょう……まあ、私が店員さんに聞いた方が良いなんて言ったせいでもあるので、私も悪いんですが……とにかくこの店は止めましょう、服屋さんなら他にたくさんありますから)」

「(……そんな……騙されてたっていうのか……)」

 勇者はつらそうに嗚咽を漏らしながら顔を右手で覆い、地面に座り込んだ。

「(……あんな優しそうな人が……世間って奴はどうしてこう……うう……)」

「(勇者様……元気出してください。大丈夫、世の中悪い人だらけってわけじゃないですよ! 今回はたまたま、たまたまこういうことになってしまっただけです! あ、そうだ! 私に出来ることがあったらなんでもしてあげますよ! 店員さんの意見を聞けなんて言っちゃった私にも責任がありますから!)」

「(……ホントに?)」

「(ええ!)」

 勇者はパアっと花が咲いたような笑顔を見せると言う。

「(じゃああの店のTシャツ買っても――)」

「(絶対ダメです)」

 冷たい声でトイレブラシは即答した。

 結局勇者は服を買うことを断念し、通りをブラブラと歩きながら頭を悩ませていた。

「(あ~、買いたかったなぁ。あのTシャツ最高にカッコよかったのに)」

「(やめてくださいよ……あんなダサい服着てる人の手に握られたくないですよ私……気品あるこの私に似合う服装をしてください)」

「(何が気品だよ小汚い便所ブラシの分際で……でもどうすっかなぁ、また違う店入っても騙されるような気がするし……何かこう基準になるようなものが欲しいな……見本みたいなの……)」

「(ではファッション雑誌を見たらどうですかね。あれならまずハズレは無いはずです)」

「(ファッション雑誌かぁ……でも異世界にそんなもんあるのか……?)」

「(パチンコ屋とか牛丼屋があるんですからファッション雑誌くらい置いてありますよ多分)」

「(多分って……お前の出身世界だろうに……まあいいや、探してみるか……)」

 勇者はラムラぜラスにある書店に向かって歩き出した。

 十数分ほど歩いた後、勇者は目的の書店の中に入った。

「(……いや、それにしても既視感が半端ない本屋だな……この本屋この前見つけてから何度か来たことはあったが……異世界にあるとは思えない日本にありそうな見事なチェーン店だ……)」

 書店の中に入った勇者はしみじみと感慨にふけりながら中を見まわした。

 広い店内ではどこかで聞いた事のあるような曲が流れ、様々なフィギュアや本のポスターも貼られていた。それはまるで異世界に来る前の勇者がよく行っていた本屋の内装とそっくりだった。

「(さて、そんじゃあ探すとするか……確かファッション雑誌がありそうな所はあそこだったような……お! あった! あったぜ便ブラ!)」

「(よかったですね、でも……自分でファッション雑誌探してくださいと言っておいてあれなんですが……見つかるとそれはそれでなんか違和感が半端ないですね……)」

 勇者は書店の中でファッション雑誌がありそうな場所に向かって歩き出し、平積みにされたそれを発見した。トイレブラシもそのことを喜んでいるようだったが、微妙に困ったような声を出す。

 勇者は早速雑誌を手に取り題名を確認した。

「(『月刊ラムラぜラスファッション』ね。はてさて、どんなファッションが載ってるのかな――)」

 勇者はおもむろにぺラッとページを一枚めくった。

 バラの花に囲まれた全裸のスティーブ将軍が――

「ふん!!!!!」

 勇者はページをプレスするようにして閉じた。

「(……今の見たか?)」

「(……ええ、一応。スティーブ将軍に見えましたね)」

 そして勇者はおそるおそるもう一度ページを開いた。

 全裸の、正確に言うとボロ布を股間部分を隠すように巻いたスティーブ将軍がバラの花に囲まれながら笑っている写真が掲載されていた。

「……なぜパチンカスの誰得写真がファッション誌に載ってるんだよ……」

 勇者が呆然としながら雑誌に載ったスティーブ将軍を見ていると誰かの声が聞こえてきた。

「あー! やっぱり勇者様ではないですか! 奇遇ですな!」

「……噂をすれば」

 スティーブ将軍が笑顔で勇者のもとに駆け寄ってきた。

「おお! それは私が載っているファッション雑誌ではないですか!」

「……なんでファッション誌にアンタが載ってるんだよ……」

「実はパチンコをするために副業として読モを始めたのです」

「将軍が読者モデル……だと……」

 勇者は顔を引きつらせた。

「……つーか副業していいのかよ……将軍って公務員みたいなもんだろ……」

「大丈夫ですよ、バレなければ」

「雑誌にツラをさらしてるくせにバレないと思ってんのか……」

「問題ありません。何を言われようと他人の空似で通します。城の中では厳格な将軍としてのイメージで通ってるのできっとみんな私の言葉を信じるでしょう」

「俺の中じゃ底辺パチンカスのイメージで通ってるけどね……まあ、でもあのアロハ馬鹿とかババアやアホ兵士どもじゃ、何やったとしても気が付かないかもな。ところで借金は返したの? 借金取りに追いかけられてんだろ?」

「あはは! まさか! 職場も住所もバレてませんし、もうここまで来たら踏み倒しますよ!」

「そんな爽やかにクズ発言するなよ……でも、だったらマズいんじゃねーの?」

「何がですかな?」

 将軍は首をかしげながら問いかけ、勇者は将軍の写真が載ったページの左側のインタビューの内容が書かれたページを指差した。

 勇者の指差したページには将軍がインタビューに答えた時の言葉が書かれていた。

『いやー、実は私将軍をやっているんですよ。内緒ですよ、内緒。えへへ。しかもしかも将軍なのに、社会的地位が高いにもかかわらず借金があるんですよー、でも平気平気。バカな借金取り共は私が〇〇のところにある黄色い家に住んでるなんて知りませんから。超余裕っすわ』

 将軍の顔が真っ青になった。

「……あ、あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!! あのインタビュアー!!!! 絶対に載せない裏話的なあれだって言ってたのにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!! うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 将軍は猛ダッシュで彼方へ走り去って行った。

「(……どこに行ったんですかね……)」

「(……出版社に抗議にでも行ったんじゃね多分……)」

「(今更遅いと思いますが……)」

「(確かに……さてじゃあパチンカスのことは放置して別のファッション雑誌を見ますかね)」

「(相変わらず冷たいですね……)」

 勇者は頭を切り替えると別の雑誌を手に取った。雑誌の名前は『月刊ヴィーナス』という女性向けと男性向けの両方のファッションを取り扱っている雑誌のようだった。

「今度はちゃんとしたモデルを頼むぜ」

 祈るように目をつぶった後、勇者はページを開いた。

 一ページ目は色鮮やかな水着を着た女性が砂浜で水と戯れている写真が載せられていた。

 そしてそれを見た瞬間勇者の目はカッと見開かれ、強烈な嘔吐感に襲われ、

「うっぷ!? おえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」

 盛大に床にゲロをぶちまけた。

「(ちょ!? 勇者様!? いったいどうし――ああ、なる……ほど……)」

 トイレブラシは写真に写っている女性を見て納得した。

「お、お客様!? どうかなさいましたか!? ご気分でもお悪いのですか!?」

 何かあったのかと店員がやってきたが、勇者は写真を睨んだまま微動だにしない。

 ダルンダルンにたるんだ腹、大根のような太さの豚足、もじゃもじゃとした青いスチールウール、豊齢線やシワが刻まれた丸い顔、そして何よりも恐ろしかったのが白いビキニの水着だった。

 美女が着れば間違いなく似合うであろうその白い水着はレースが幾重にも付けられ、白いドレスを水着に改良したのではないかと思うほど見事なものだった。だが――

「ひ、ひ、ひ、ひどすぎる……!!!!! 豚に真珠なんてレベルじゃねーぞ……!!!!!」

「お、お客様!? て、店内ではお静かに……」

 あまりにもモデルがひどすぎた。

「ババアああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!! どこまで出しゃばるつもりだあの更年期障害は!!!!!!! 何が月刊ヴィーナスだ!!!!! 月刊モンスターの間違いじゃねーか!!!!!」

 羽衣のようなものを首に巻きカメラにウィンクするアルトラーシャに勇者は罵声を浴びせた。

「しかもツインテールの真似事か!!!! ふんッ!!!! ふんッ!!!! ふんんんん!!!!」

「お客様!? 商品を傷つけるのはおやめください!?」

 ゴムで短いアフロのような髪の両端を縛ってツインテールにしているおばさんの写真を勇者は渾身の力でひたすら殴り続けた。

 数時間後。

 勇者は人気のないサムウェルス公園のブランコに乗っていた。

「もう、何やってるんですか……そんな本まで買っちゃって……」

「……しょうがないだろ……俺が殴っちゃったんだから……俺が買わないと……マジでいらねーけど……」

 勇者は袋に入れられたグシャグシャの月刊ヴィーナスを見ながらため息をついた。

「なんていうか骨折り損でしたね。結局ちゃんとしたファッション雑誌も買えませんでしたし……」

「つーかちゃんとしたファッション雑誌なんて売ってなかったじゃねーか……」

 勇者は色々と他のファッション雑誌を見てみたがどれもこれもまともなモデルではなかった。

「アロハ馬鹿にパチンカス、ボブとブラック、ゴンザレスまで出てやがった……パチンカスとババアに至ってはそこらじゅうに載ってたよ……どうなってんだよ……」

「人気のモデルさん、なんでしょうねおそらく……ところで勇者様、もう一冊なにか雑誌買ってましたよね」

「ああ。これか」

 勇者は月刊ヴィーナスの入れられた袋から別の雑誌を取り出した。

「なんかゲロ吐いちゃって店員さんに迷惑かけちゃったからさ。お詫びの気持ちを込めてもう一冊、立ち読みの時に読んでなかったファッション雑誌を適当に買ったんだけど……」

 勇者は雑誌の表表紙を目を細めながら見た。

 『月刊裸族』

「……失敗したかな……」

「間違いなく失敗ですね……お金をドブに捨てたようなものです……」

 裸の男たちがムキムキの体を見せつけている表紙が勇者に不快感を与えた。

「ちゃんと確認してから買えばよかったな……」

 勇者はガックリとうなだれるとブランコをゆっくりとこぎはじめた。

「どうすっかなー。あてにしてたファッション雑誌がこれじゃあ見本になんねーし。うーん…………便ブラ、お前さんざん偉そうに説教してきたんだからファッションには当然詳しいんだよな?」

「え? ……え、ええ、もちろんです!」

「なんだそのちょっとの間は」

 勇者はジト目でトイレブラシを見た。

「べ、別に動揺なんかしてないですよ!」

「動揺してたかなんて聞いてないけど、それはまあ置いておいて。じゃあお前に任せるよ」

「えっと……それはどういう……」

「わからないか? イケメンに似合う最高のコーデをしてくれと言ってるんだよ」

「イケメンがいないのでそれは不可能です、モブメンに似合う恰好ならすぐにでもぐわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ勇者様勇者様ギブギブですううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!??」

 勇者は笑顔でトイレブラシを両手でねじり始めた。

 数分後、ようやく勇者は落ち着きトイレブラシは解放された。

「まったく。ファッション以前に女の子に暴力的なことをするからモテないんですよ」

「何が女の子だ黙れ便所ブラシが。ったく……それで俺に似合うコーディネイトは出来るのか、出来ないのかどっちなんだ?」

「出来ない、ことはないと思います。ですがスタイリッシュな服は結構お金がかかるんですよ、勇者様って今いくら持ってるんですか?」

 勇者は学ランのポケットから袋を出して中を確認した。

「……あんま無いな……」

「そうみたいですね……じゃあひとまず靴だけでも見に行きませんか? それだけは変えないと命にかかわりますよ?」

「どんだけだよ……」

 勇者はブランコから立ち上がると同時に伸びをした。

「靴か……」

 勇者は悲しそうな目で自身の履いている靴を凝視した。

「……思い入れがあるのはわかりますが、もう旅立つ時ですよ勇者様」

「……そう、だな。いつまでも運動靴ってわけにもいかないか……よし、行くか」

 勇者は悲しそうに笑うと靴屋に向かって歩き出した。

 そして靴屋に到着した勇者は物色し始める。

「(で、便ブラ。どういう靴がカッコいいんだ? 俺だとお前らの言うところのダサい靴を選んでしまうかもしれない。教えてくれ)」

「(お任せください。とりあえずあれですよ、えーっと確か……あっ、と見つけました! 勇者様、そのまま真っ直ぐ進んでください! そして正面にある靴を手に取ってください!)」

「(わかったぜ!)」

 勇者は言われた通り真っ直ぐ進み、正面にある靴を手に取ろうとしたが、

「(……え……? ……これ……?)」

 勇者は手に取る直前で目を見開き驚いた。

「(べ、便ブラ……これを……履くのか?)」

「(ええ。履いてみてください)」

トイレブラシが手に取るように指示した靴は明らかに普通のものとは違い勇者は戸惑った。

 その靴は先端が槍のように尖っており、先端だけで五十センチ近い鋭利な武器のようにも見えた。

「(……なんでこんな尖ってんのこの靴は……ってゆーかなぜこれを選んだし……もうなんか普通に武器だろこれ……こんなの履きたくないんだけど……)」

「(なんか先端が尖ってる靴を履くと女の子にモテると風のうわさで聞きまして)」

「(良い履き心地だ)」

 勇者は手のひらを返したように靴の感触を確かめた。

「(さてじゃあ値段は……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん…………)」

 勇者は靴をそっともとの場所に戻した。

「(便ブラ無理だ……今の手持ちじゃああの靴買えない……)」

「(仕方ないですね。それじゃあ別の尖った靴を探しましょうか。あれはどうでしょう?)」

 トイレブラシが指した場所にはさらに尖った靴が壁にかかっていた。

「(…………あれは流石に尖りすぎっていうか、なんだあれ……)」

 壁にかかっていたのは槍のように尖った、という比喩ではなく、実際に靴の先端から槍が突きでているとても変わった靴だった。

「(なんで靴から槍が飛び出てるんだよ……)」

「(尖ってる靴の中では頭一つ抜けて尖ってますね!)」

「(意味わかんねーよ……)」

 勇者は試しに靴の片方を手に取ってみた。

「(うわ、重ッ!? なんだこりゃあ……これマジで本物の槍を靴に先端に付けてんのかよ……てっきり飾り的なものとばかり思ってたけど……)」

 勇者は右手で持った靴、というよりは槍の重さに驚きながら顔を引きつらせた。

「(これにしましょう勇者様。最強の尖り具合です。これなら女の子のハートも間違いなく射抜けますよ!)」

「(ハートっつーか下手したら体を串刺しにしそうだけどな……)」

 と言いつつも物は試しと勇者は靴を履いてみた。

「(どうですか勇者様?)」

「(……動きにくい……)」

 靴を履いたまま歩いたり、跳んだりしていた勇者だったがあまりの歩きにくさに顔を歪ませた。

「(ですが値段も手ごろですよ)」

「(確かにさっきの靴よりは安いけど……この靴はどう考えてもイロモノだろ……実用的じゃないぞこれ……)」

「(おしゃれなんて飾りなんですからそれでいいんですよ。実用性うんぬんは問題ではないのです。実用性だけなら勇者様のクソださい靴でもいいわけですし)」

「(便所ブラシにダサいって言われるとあらためて腹が立つぜチクショウが……)」

 勇者は腕を組んで考え始めた。

(便ブラに言われてその気になってしまったけど……こんな靴履くの嫌だなぁ……手ごろな値段って言っても俺の手持ちの半分以上を使うことになりそうだし……これ買うくらいなら別のもの買ってほうがいいんじゃないか……ってゆーか俺の靴や服装がダサいダサいと言われてるけど、この靴がカッコいいとはとても思えない……結局便所ブラシの感性に基づいたファッションだし……どうすっかな……)

「お客様、何かお悩みでしょうか?」

 本日三度目となる店員からの声が勇者を現実に引き戻した。

「……ああ、いや……この靴、についてちょっと悩んでまして……この靴ってなんていうか変わってますよね……ははは……」」

「そうですね、普通の靴とは少し違うかもしれません。なにせそちらの靴は有名なデザイナーがデザインした限定モデルでして」

「有名なデザイナーッ……!? 限定モデル……!?」

 庶民の勇者は店員の発する魅力的な言葉に心を奪われかけていた。

「海外でも多数のシェアを誇る有名なブランドのデザイナーが作り出した渾身の力作だと聞いています」

「海外の有名なブランドッ!? 渾身の力作ッ!?」

 勇者は陥落しかけていたが、ハッと気が付く。

「いやいやいやおかしいよ!? こんなんどう考えてもおかしい!!! そんなすごい靴だったら他の人が、この国のファッション雑誌に取り上げられてるはずだ!!! っていうか異世界なのに海外ってなんだよ! ときめいちゃうじゃないか! とにかく俺はこの町にあるファッション雑誌を一通り見たけどこんな靴履いてる奴なんていなかった!!!」

「この靴を履きこなせるモデルがいなかったのです」

「なん……だと……」

「この靴を履きこなすには顔がカッコよくて、モデル体型で、何よりも纏う空気が常人とは一線を画すような人物でなければいけません。そんな人そうそういるはずが――あッ!」

 店員は勇者を見ながら目を見開いた。

「――すみません、大声を出してしまい。それでは私は仕事に戻ります」

「え? いやいや? 何? 何か言いかけてたよね? 言っていいよ?」

 店員が飲み込んだ言葉を察した勇者はソワソワとしながら嬉しそうに頬を染めてモゴモゴと口を動かし、期待した言葉を待った。

「――いえ、あまりにもお客様が条件に適合した方だったので、つい……」

「ちょ! やめてよ! ちょッ! 俺がいくら足が長くてスラッとした超絶イケメンだからってそんなッ! ちょッ! ちょッ! もうッ!」

 勇者はくねくねと体をよじりながら手を前でバタつかせて謙遜という名の自画自賛を始めた。

「生まれ持ったものもあるのでしょうが本当に素晴らしいです! まるでド―ベルマンが服を着ているようですよ!」

「おいおいおいおいやめてよーー! もうやめてー! マージ―でー! 買いたくなっちゃうからやーめーてー! そんなド―ベルマンなんてモデル体型じゃないか!」

「(ダックスフンドもおだてれば木に登っちゃうんですかね、あぱああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??)」

 笑顔でトイレブラシのスポンジを右手でむしりだした勇者は買うことを視野に入れ出した。

(くふふ、この店員はなかなかわかってるじゃないか。どうするかな……よくよく見たら結構イケてるような気がしないでもないじゃないかこの靴。買っちゃおうかなー、でもさっきの靴より安いとはいえこれを買ったら他の服が買えなく――)

 勇者が口に手をあてて考えていると店員が笑顔を向けてきた。

「ちなみにこれが最後の一点となっております」

「いただこう」

 勇者はいい笑顔で店員に言った。

 数分後、勇者は袋から突き出て槍に注意しながら町を歩いていた。

「(いやー、いい買い物したなー)」

「(……おだてられてから買うまでの時間が短すぎでしょう……)」

「(うっせー。いいんだよ、お前だってこれを買えっつってたただろ。それで次はどうするよ)」

「(そうですね、次はそのもっさりとした髪型を変えにいきましょうか。確かこの辺りに美容室みたいな看板があったはず……ありました!)」

 トイレブラシが指した場所を見ると、そこにはハサミが描かれた看板が店先に置かれていた。

「(確かに床屋っぽいけど、よくここにあるって知ってたな)」

「(一度行った場所は隅々まで把握してますからね。無論、このラムラぜラスも例外ではありません。まあ勇者様と歩いたことのある場所の周辺に限られますけどね)」

「(へえ、そうなのか。じゃあとりあえず入ってみるか)」

 勇者は美容室らしい店の中に入って行った。

「いらっしゃいませー! ファッションアンドヘアコーディネートサロンへようこそ!」

「ファッションアンドヘアコーディネートサロン?」

「お客様、初めての方でしょうか?」

「ああ、はい、そうなんすけど……」

「そうでしたか! これは失礼いたしました!」

 店に入ると店員が勇者を暖かく出迎えたが、店の名前に違和感を覚える。

「では本日、ご予約はないのでしょうか?」

「あ、はい……予約してないんすけど……駄目っすかね」

「いいえ、とんでもございません! それでは当店の説明をさせていただきますね! この店は髪型やファッションに対して免疫のない、迷える子羊たちに救済を与える店でなのです!」

「ファッションに免疫のない、迷える子羊に救済って……具体的には何してくる店なんすか?」

「簡単に言いますと、髪型や服装に対してイケてるカリスマ店員がお客様にアドバイスする店です」

「へえ、イケてるカリスマ店員さんが……で、どこにカリスマ店員さんがいるんすか?」

「ここに」

(アンタかよ……)

 目の前のヨレヨレのシャツを着た中年の店員を勇者はいぶかしげに見つめた。

「(自分でカリスマとか言っちゃうとか……どうなんだこの店……)」

「(勇者様も人の事は言えないと思いますが……自分でイケメンとか面白い冗談を言って、くわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??)」

 トイレブラシに無言で攻撃を加えながらも勇者は店員から目を離さなかった。

「それで、本日はどのようにいたしましょう。服装の相談でしょうか、それともカットでしょうか? パーマでしょうか? カラーリングでしょうか? もしお決まりでないのならお任せコースなどいかがでしょうか? お任せコースの場合、本日、お客様は初めてとのことなので来店記念、プラスお任せコース特典で洋服をいくつかプレゼントいたしますが」

 その後、店員は懐から電卓のようなものを取り出すとお任せコースの値段を見せてきた。

「え? ……えーっと……ちょっと待ってください」

 言うと勇者はトイレブラシに視線を向けた。

「(べべべべ、便ブラどうするよ! だどっどどどうしたらいい!)」

「(テンパりすぎでしょう。落ち着いてください、とりあえず髪型変えるだけだったらカットでしょうねここは。でも服をもらえて、髪型まで変えてくれるのならお任せコースの方がお得だと思います。プロの意見が聞けるわけですし、そのうえ値段もお手頃みたいですし)」

「(わ、わかった)」

 勇者は店員に向き直った。

「おおおお、おま、お任せコースで」

「かしこまりました。それではお席にご案内します。これをどうぞ」

 勇者は黒いローブを渡されると、それを着て店員に連れられて行った。

「(こ、これはッ……!?)」

「(どうしたんですか?)」

「(店の奥……だとッ!?)」

 勇者は手前の座席ではなく店の奥の座席に向かっていた。

「(ネットで聞いた事がある……店の手前はイケメンと美女専用で……店の奥は……)」

「(いや、デマですよそれは……)」

「(そ、そうだよな……デマだよな……)」

「こちらです」

 店員は階段を上り始めた。

「(二階……だとッ!?)」

「(だからデマですってば……)」

 勇者は少々ショックを受けながらも階段を上り、座席についた。

 そして軽くシャンプーをしてもらったのち鏡のある座席に再び座り直した。

「では、まず髪型から変えていきましょうか。お任せコースとはいえ、髪は重要ですからお客様にどんな感じに仕上げてもらいたいか聞くことにしているのですが……どのような髪型にいたしましょう。ちなみにおススメはボウズとスポーツ刈りとスキンヘッドなど、おしゃれヘアーなどございますが」

「なんでそんなメニュー偏ってるんすか……ちょっと待ってください……」

 勇者はトイレブラシに相談しようと意識を集中した。

「(便ブラ、髪型どうするよ)」

「(任せてください。確かツーブロックとかいうのが最近の流行りです)」

「(ツーブロック……聞いた事あるけど大丈夫かな……なんかちょっと心配なんだけど……)」

「(もし失敗しても髪の毛なら魔術で再生できるから平気ですよ)」

「(ああ、そういえばそうだったな。じゃあいっか)」

 勇者は決めると店員の方に顔を向けた。

「すんません、ツーブロックって出来ますか?」

「……ツー……ブロック……ツーブロック……ツー……? ブロック……?」

「……あの……」

 首をかしげながら繰り返しつぶやく店員に勇者は声をかけた。

「あ! 申し訳ありません!」

「いえ……あの、もし知らないんだったら――」

「いえ! 大丈夫です! 知ってます! ツーブロックですね! かしこまりました! 今準備をしてくるので少々お待ちください!」

 勇者は店員の態度に不信感を覚えながらも言われた通り待つことにした。

 そしてそれほど経たずに店員は戻ってきた。

「お待たせいたしました! それでは始めます!」

「……カット始める前にちょっと聞いていいっすか?」

「はい? なんでしょう?」

 勇者はジト目で鏡に映る店員を睨む。

「……その手に持ってるのはなんなんすか……?」

「ブロックですが」

 店員が手にしていたのは二つの正方形のブロックだった。色は灰色で、コンクリートを想像させるそのブロックの大きさは二十センチほどで、勇者はそれを見ながら顔を嫌そうに歪めた。

「ブロックですが」

「……いや、二回言わなくてもいいしブロックなのはわかるんすけど……何に使うんすかそれ……まさかとは思いますけどその二つのブロックを頭に乗せて……はい、ツーブロックの出来上がり! ……なんてほざきませんよね?」

「まさか! そんなはずないじゃないですか!」

「で、ですよねー! 安心した! いくらなんでもそれはないですよね!」

「もちろんです! ちゃんと髪を灰色に染めた後に乗せます!」

「ふざけんなッ!!!!!!」

 勇者は唾を鏡に飛ばしながら激怒した。

「どうかしましたかお客様!?」

「どうかしてんのはアンタだろ!? なんで髪切りに来て頭の上にブロック乗せられなきゃいけないんだよおかしいだろうが!?」

「……あッ! そうですよね! 失礼しました! カットですもんね!」

「そうだよ! 忘れないでくれよ! 髪を染めてブロック頭の上に乗せただけで終わりにされたらたまんねーぜ! ったくよぉ、っておいおいおいおいおいおいおいおい!!??」

 店員はおもむろにバリカンで勇者の襟足から後頭部を刈り上げ始めた。

「なにしてんだよ!? ちょッ!? 刈り上げ過ぎじゃないのこれ!? 注文したのなんだか覚えてる!?」

「角刈りですよね!」

「ちげーよッ!? ツーブロックだよ!? ツーブロックって言ったでしょ!? 地肌が丸見えじゃん!? これじゃあ芝刈り機に刈り取られた芝生以下だよ!!! 不毛な大地みたいになっちゃてるじゃん!?」

 勇者の髪は後ろだけハゲているように見えて大変滑稽だった。

「失礼いたしました! ですがここからツーブロック後頭部に乗せていくので安心してください!」

「安心出来るかそんなもん!!?? ハゲ隠しに使ってるだけじゃねーか!? つーかいい加減置けよその二つのブロック!!!! まだ乗せる気でいたのかよ!!!! だいたいツーブロックっていうのは――」

 勇者は言いかけた言葉を止めて、ハッと気が付く。

(……俺……ツーブロックがどんな髪型なのか具体的に知らない……え? もしかして俺の指摘がもしかして的外れなのか?)

 勇者は困惑しながらトイレブラシを見つめた。

「(便ブラ……ツーブロックってこの店員の言う通りのやつなの?)」

「(えー……っと、どうでしょうか……実は私も話で流行ってるって聞いただけなので……どんなものなのかはちょっとわかりかねますね、えへへ)」

「(貴様そんな曖昧な理由で進めたのかボケがッ!!!!!)」

「(だってだって、女の子はツーブロックにしないんですもん。私も女の子なので)」

「(何が女の子だ、てめえのスポンジに絡まった毛は便所に落ちてるちぢれ毛だろうが!!!!!)」  

「(ま、また言いましたねセクハラを!!!!! 天誅ッ!!!!!!)」

「おぼええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!??」

 トイレブラシは勇者の口にスポンジを突っ込んだ。

「お客様ッ!?」

「うぼえッ!!! ぺっ!!!! なんてことしやがるッ!!!」

「お、お客様……何を……してらっしゃるのでしょうか……」

「……な、なんでもない」

 店員が引いている様子を見た勇者は我に返ると、トイレブラシをしめあげようとしていた右手を離した。

「と、ところで、その……」

「はい、なんでしょうかお客様」

「ツーブロックっていうのは、あれだよな、あのここからでも十分あれになるよな? いやツーブロックについては一応予備知識もあるし、知ってるんだけど一応その、確認というかなんというか……」

 勇者の言葉を受けて店員は首をかしげる。

「(勇者様、知ったかぶってないで普通に聞いた方がいいと思いますよ。知らないんだから)」

「(今更そんなこと言えるかよ!!! 俺はこの店員に怒鳴ってしまったんだぞ!!! こんなのはツーブロックじゃないって断言してしまったんだぞ!!!)」

「(いえ、普通にブロックを二つ頭に乗せるのはツーブロックではないと思いますからさっきの怒りは問題ないと思いますよ……)」

「お客様」

「え?」

 店員が悩む勇者に向かって優しく声をかけた。

「……初めて来る店に全幅の信頼を寄せてもらおうなどとは私は思っていません。髪型や服装とはその人が持つ個性を最大限に引き立てる、いわばスパイスのようなもの。しかし、このスパイスの加減というのは非常に難しい。自分でカッコいいと思っていてもアピールする相手にダサいと思われてしまえば一巻の終わり。私にも覚えがあります、よく知りもしないでファッションを語り、その結果酷い目にあったことが。ですが今は違う! ファッションを学んだ今の私ならば以前の私のような人々をきっと救える! ……最初は自分の格好良さを追求していた私でしたが、いつしか私は学んだファッションの知識を自分のためではなくファッションに悩む人々のために使おうと思い始めたのです! そして私は迷える人たちの手助けをしたくてこの店を始めたのです! だから、だから――」

 店員は息を大きく吸って勇者の手を握った。

「少しでいいのです。私に貴方の信頼を預けてくれませんか? きっと最高のコーディネートを施してごらんにいれます」

「……店員さん……わかったよ! その熱い想い、確かに俺の心に響いた! アンタの言う通りにするぜ!」

「ありがとうございます、お客様」

 二人は熱い抱擁を交わした。

 そして店員に任せておよそ二時間後、勇者は見違えたその姿を路上に見せつけるように歩いていた。

 町の人々は通り過ぎる勇者を見た途端、目を見開き大声をあげる。

 そんな中を勇者は悠然と歩いていた。

「(人々の歓声が聞こえるな。まるで映画スターにでもなった気分だぜ)」

「(……ゆ、勇者様……や、やっぱり……その、学ランに着替えて髪型をもとに戻しませんか……?)」

「(何を言ってるんだお前は。このナイスでイケてるファッションを戻せるわけないだろう)」

「(いや、ファッションがイケてるっていうか……頭がイっちゃってるような……)」

「(おいおい。俺があまりにもスーパーイケメン化したからってひがむな。フフフ、これで俺もファッションリーダーの仲間入りか。やべーな、読者モデルも狙えるんじゃねこれ。いや、読者モデルどころか異世界の芸能事務所にスカウトされたりなんかしちゃって……げへへへひゃあああああああああああああああああああああああああああああああっふううううううううううううううううううううう!!!!)」

 勇者は心の中で奇声を出しながらチヤホヤされている自分を想像した。

 そしてそんな時だった、勇者の肩を後ろから誰かが叩いた。

「(お、さっそく俺のファンかな! それとも事務所のスカウトマンかな~! うひひひひひひひひ!)」

 勇者は振り向きざまに満面の笑顔で口を開く。

「あッ! 悪いんすけどサインは勘弁してもらえないっすかね~! 一人に書くとみんなずら~ってきちゃいますから! ああ、でも握手ならOKですよ!」

「いや、違う。君にちょっと用があるんだ。来てくれるかな」

 強面の屈強な体格の男は勇者の手を掴むとどこかに連れて行こうとした。

「あッ、そういうことっすか! なるほど、でも困ったなぁ~! たはぁ~! そういうことかぁ~! いや~、わかったっすよ! オタクあれでしょ? スカウトマンでしょ? わかるよ~! 今の俺ってあれだもんね、千年に一人のスターっていうか、逸材っていうか、あれだもんね! でも困るわ~! 今俺勇者やってるんだよね! だから俳優になって欲しいっていうのはちょっと困るんだよね~、えへへへへ! でも、でも、あれだよ? もしギャランティがよければちょっと耳を貸すくらいのことはしてあげてもいいんだぜ? あとは、そうだなぁ、事務所の大きさとかも重要ね。大手じゃないと俺を扱うのは不可能だから。まあ、とりあえずは事務所まで案内してもらおうかな。事務所でお茶とシースーでもごちになろうかな~」

 勇者は男に腕を引っ張られながらどこかに連行された。

 三十分後。

「開けろぉおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!! ここから出しやがれええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」

 勇者は牢屋に入れられていた。

「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!! なんなんだよ!!! どうして俺が牢屋に入れられなくちゃいけねーんだよクソがッ!!!! ってかここどこの牢屋だよッ!!!! 城の牢屋じゃねーぞここッ!!!! 出せ、出しやがれえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」

 勇者は自身が寝泊まりしている場所とは違った牢屋の鉄格子を掴みながら絶叫した。

「おいうるさいぞッ受刑番号1919番!!!!」

「誰が1919番だコラッ!!! ベルサイユ条約じゃねえんだぞてめえコラッ!!!」

 勇者がうるさくしていると看守の役目ををしている先ほどの強面の男が注意をしに来た。

「この野郎なんで俺を捕まえたんだよッ!!!」

「お前の格好が原因だ」

「俺の格好のどこに掴まる要素があるんだよ!!!」

「全てだ」

 看守の男は白い目で勇者を見ていた。

「なんだその目はッ!!! ……ははーん!!! わかったぜッ!!! てめえ、俺がカッコよすぎるからそれでこんな嫌がらせをしてるんだな!!! 男のひがみはみっともないぜ?」

「そんなわけないだろこの変態が……」

「変態……だと……!? 貴様、今の超絶イケメンモードのこの俺に変態と言ったのかッ……!?」

「他に誰がいるんだ。とにかく静かにしていろよ」

 看守は言うなり足早にその場を去って行った。

「(便ブラ! どういうことなんだこれは! なぜこんなことになっているんだ!)」

「(いや、なぜって……看守の人が言った通り恰好が原因ですよ……)」

「(どうして恰好が原因になるんだ! コーディネートしてもらったやつだぞこれ!)」

「(そのコーディネートが問題なんですよ……ちょっとそこにある鏡で自分の格好をもう一度見直してくださいよ……)」

 勇者は牢屋の壁に取り付けられていた鏡に自分の姿を映した。

「(何もおかしなところなんて無いぜ)」

「(……そんなわけないでしょう……もっと目をカッと見開いてください)」

 勇者の体を操作したトイレブラシは目をカッと見開かせた。

 鏡に映ったのは緑色をした男だった。

 全身を緑色のペンキを塗りたくったほとんど裸のその変態は、かろうじて下半身を隠しているボロ布を除いて顔から足のつま先まですべてを緑色に塗りたくっていた。髪型もこれまた奇妙なもので、後頭部はほとんどが禿げており、てっぺんから前髪までは二つの四角いブロックのような形に無理やり固定されていた。

「(ふふふ、やはり素材を極限まで活かしたこのファッションは俺にしか似合わないぜ。あの店員が言った通りだ、流石はファッションのカリスマ。いい仕事をするな、ふつくしい)」

「(だめだこりゃ……)」

 ほうれん草のような勇者は鏡に映る自分の姿にご満悦のようで、トイレブラシはため息をこぼすと説得することを諦めた。

「おや……君は……もしかして……」

「ん?」

 勇者が鏡に映るキャベツのような自分の色に見惚れていると、突然後ろから声がかかった。広い牢の中にはどうやらもう一人いたようで暗闇から姿を見せる。

「やはり! 君だったか! 裸族の少年!」

 全裸に赤いペンキを塗った男が姿を見せた。

「うわああああああああああああああああああ!? へ、変態だあああああああああああああああ!?」

「(人のこと言えないと思いますが……)」

 驚き腰を抜かすグリンピース男にトイレブラシは冷静にツッコミを入れる。

「君とはまたどこがで出会うような気がしてはいたんだが、まさかこんなところで再会するとはね!」

「さ、再会? どゆこと?」

「おっと、失礼。君は気絶していたから気づいていなかったんだったね。君は森で毒にやられたことを覚えているかな?」

「え、毒? じゃ、じゃあもしかして解毒してくれた人って……」

「(はい、この人です)」

「マジかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 トイレブラシの説明に勇者は信じられないものでも見たかのように絶叫した。

「(勇者様、早くお礼の言葉を言ってください。命の恩人ですよ)」

「(……あ、ああ。そうだな、そうだった)」

 ゴホンと勇者は咳払いすると真剣な顔になった。

「この前俺が毒にかかった時に解毒してくれたのはアンタってことなんだよな?」

「ああ、そうなるな」

 穏やかな笑顔を浮かべる全裸の男に勇者は若干引きかけたものの、姿勢を正す。

「そっか、それじゃあお礼を言わせてくれ。本当にありがとう。おかげで助かった」

「そこまでかしこまらくてもいいさ。仕事で立ち寄ったついでみたいなものだったしね。私の方も謝らせてくれないか。本当なら君が目を覚ますまでそばにいるのが筋というものなのに、立ち去ってしまって」

「いや、治療してくれただけで十分だよ」

 目覚めた時に赤いペンキを塗った全裸の男が視界に入ったらどういう反応をしていたか自分でもわからなかった勇者は立ち去っていてくれてよかったと心から思った。

「いいや、治療したのなら最後まで面倒をみるのが良識のある大人の対応というものだよ」

「(良識のある大人の格好はしてないのにな……)」

「(勇者様も似たようなものですけどね……)」

 トイレブラシのツッコミを無視した勇者は息を吐くと、少し安堵した。

(なんだ……まともな人じゃないか……格好からしてド変態かと思ったが、よかった話の通じる人で……)

 恩人が、見た目はともかく中身は普通の人でよかったと安心した勇者だったが、赤い男の視線に気づく。

「……えっと、俺に何かあるの……?」

 赤い男の視線は勇者の全身を隈なくとらえ、舐めまわすように見ていた。

「いや、すまない。なんでもないんだ、ハハハ。やはり君を助けて正解だったと思ってね。私の目に狂いはなかったと感じていただけなんだ」

「は、はぁ。そう、なんだ」

 いまいち釈然としなかった勇者だったが赤い男からは悪意を感じなかったため流した。

「ところで、君はどうしてこんなところにいるんだい?」

「そうだ、聞いてくれよ! 不当逮捕なんだ!」

「(いえ、正当な逮捕だと思います……)」

「実は、かくかくしかじかで――」

 トイレブラシを再び無視した勇者は赤い男に今までのことを話し始めた。

「……なるほど。それは酷いな」

「でしょう! そう思うっしょ! まったく、ファッションセンスのない未開人はこれだから嫌なんだよ!」

「気持ちはわかるよ、私も実はあらぬ罪でここに捕まっているんだ」

「え!? アンタも!? ひでえな!」

 勇者は自分以外の人間も被害にあっていた事を知り、義憤にかられた。

「まったくだよ。何か悪いことをしたのならわかるが、何もしていないのにこの仕打ちはあんまりだ。こんな檻の中に隔離されるような罪を犯した覚えはない。まあ、幸い今日知り合いが迎えに来て私の罪を金で帳消し、じゃなくて無罪を証明してくれるからよかったが」

「今、金で帳消しにするって聞こえたけど……」

「気のせいだよ」

「そ、そっか……ところで、アンタはいったいなんの罪を着せられてこんなところに?」

「公然猥褻罪だよ」

 赤い男は勇者にふるちんを見せながら胸を張った。

「まったく、人が普通に公園で子供と遊んでいたら変態呼ばわりさ。やってられないよ」

 やれやれといった風に両手の手のひらを天にむける赤いふるちん男に勇者は顔を引きつらせた。

「(……べ、便ブラ、こいつ、もしかして……ド変態なんじゃ……)」

「(もしかしなくても変態ですよ……見ればわかるでしょ……そして勇者様も同類に見られてますよ……)」

「(な、なにッ……!!??)」

 勇者は自身に向けられる赤い男の熱い視線の正体に今になって思い至る。

「(そ、そういえば森で俺が倒れていた時、俺は全裸だった……そして今のこの格好は確かにちょっと露出が多い……!)」

「(ちょっとどころではないと思いますがね……)」

 勇者がショックを受けていると赤い男が肩に手を置いてきた。

「ところで相棒」

「相棒!? ちょっと待って相棒って何!?」

「私たちは同じ嗜好をもつ仲間だ。そして何よりもセンスがよく似ている。これからは相棒と呼ばせてくれ」

「いや……その呼ばれ方はちょっと……っていうか俺は露出狂じゃないんで、仲間じゃないから……」

 勇者は本当に嫌そうに首を横に振った。

「ハハハ! なに照れることはない!」

「嫌がってんだよ!?」

「いやあ、今日はいい日だ。新しい仲間がまた一人増えた」

「話聞けよ!? 仲間になんかならな――ってちょっとまって。また一人増えたって……」

 勇者が赤い男に話の続きを聞こうとしたその時。

 コツコツという音が廊下から聞こえてきた。その音はヒールで地面を踏んで出る音に酷似しており、勇者は女がこちらに向かっているのではないかと思った。

 そして音の主はとうとう勇者と赤い男のいる牢の前までやってきた。

「連絡を受けてやってきてはみましたが、思わぬ方とご一緒のようですわね」

「なッ!? ば、ババアッ!? なぜここにッ!?」

 姿を現したのはアルトラーシャだった。

「それはこちらのセリフですわ。兵から連絡を受けてやってきたのですが、まさか勇者様もご一緒だったとは」

「勇者? え、君が勇者なのかい!?」

「あ、ああうん。そうだけど……君がってなんだよ。なんか知ってたみたいな物言いだな……」

「いやいや、これはとんだ巡り合わせだな! ハハハハハ!」

「おい俺の質問に答えろよ!?」

 赤い男は勇者の肩をバンバンと叩きながら笑い始めた。

「この方が勇者様のことをご存じなのはワタクシが前に勇者様のことを説明したからですわ」

「なんでババアが俺のことをこの変態に説明したことがあるんだよ……」

「それはこの方がこの国の兵士だからですわ」

「ええ!? こ、この人兵士なのッ!?」

 勇者はアルトラーシャの説明に驚き、赤い男を見つめた。

「その通り! アルトラーシャ姫の紹介の通り私はこの国で兵士をやっている! 業務内容としては犯罪者を捕まえたりしている!」

「アンタ今、犯罪者として捕まってんじゃん……」

「言っただろう! 冤罪なのだよ! 私はただ全裸で公園に行き子供たちと遊んでいただけだ!」

「自白してんじゃねーか……」

「自白ではない! 潔白を証明しているだけだ! 君だって同類なのだからわかるだろう!」

「わかんねーよ!? 一緒にするな! 俺はちゃんと大事なところは布で隠してるんだ!」

「ならばそれを早く取り去るがいい! そんな重りを身に着けていないで私と共に行こう! 遥かなる高みに!」

「いくわけねーだろ!? や、やめろ!? 変態道に俺を誘い込もうとするんじゃない!!??」

 勇者の腰布を赤い男は強引に取り去ろうとし、勇者はそれに抵抗する。

「まあ、お二人ともすっかり仲良しさんですわね」

「ええ。相棒とは下半身の棒を見合った中です。それとフルチンブラザーズがさっき発足しました」

「してねーよ!? 勝手に変なコンビ名付けんな!?」

 アルトラーシャは布を引っ張り合う二人を見ると微笑み、そして続ける。

「しかしよかったですわ、紹介する手間が省けましたもの」

「全然よかねーよ!? ってかなんでコイツを俺に紹介しようとしたんだよ!!! ふぬううううううううううううううううううううううううううう!!!!」

 勇者は赤い男の思わぬ力に布を取られそうになったため、さらに力を入れる。

「なんでって、お父様が言っていたではないですか。共に仕事をしてもらうと」

「いや、変態と仕事しろなんて聞いてないぞ!? いつ言ったんだよ!?」

「勇者様が『火竜の剣』の魔石がはまってないから貴族が盗んだのではないかと言った時ですわ。もしそうならチームを組んで貴族の屋敷に行ってほしいと、お父様が言ったはずですわ」

「ああ、それは確かに聞いたけど。でもそれはアランとかいう将軍と一緒に……って、まさか……」

 勇者は戦々恐々といったような表情で布を引っ張り合う赤い男の顔を見た。

 全身真っ赤で全裸の変態を見た。

 常識に外れた赤唐辛子のようなド変態露出狂を見た。

「はい、その方がアラン将軍ですわ」

「そんなバカなああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 叫んだ瞬間、勇者の理性と腰布ははじけ飛んだ。


 勇者がアラン将軍と衝撃的な再会をしていた時、アイオンレーデ国のカーマインにおいて一人の騎士が道を歩いていた。緑色の髪を風になびかせながら穏やかな表情で歩く騎士、シャルゼ・ベルト―ルは会議のために伯爵邸宅までの道を歩いていた。どこからか来た野良犬が足にすり寄ってきたため頭を撫でて、持っていた昼食用のパンを分け与える。

 曇った空を少し見上げ、時間的にはまだ余裕があったためか、シャルゼは町の警邏も兼ねてゆっくりと辺りを見まわりながら伯爵邸に向かっていた。そして何事も無さそうだと気を緩めて、息を吐いた瞬間だった。

「や、やめて! 離して!」

 女性の悲鳴が町に響き、シャルゼが急いで悲鳴のした方に顔を向けた。すると二本の大剣を背負った一人の男が女性の腹部にナイフを突き立て、その隙に荷物を奪っているところを目撃する。女性は糸の切れた人形のように力なく倒れ、男はあらかじめ用意していたのか馬に飛び乗ると町の外に走り出した。

 シャルゼは一目散に倒れた女性の元に駆け寄ると、抱き起す。

「大丈夫ですか!? 意識をしっかり保ってください! 今、傷を治します!」

「……荷物……荷物を……あの、中には……お金が……病気の子供の、治療費……が……」

「大丈夫、安心してください。必ず取り戻します」

「あ、あり、がとう……」

 血だまりの中で女性は涙を流しながら自分の身の安全よりも荷物の心配し、それを聞いたシャルゼは女性の手を握ると安心させるように微笑んだ。その笑顔をみて安心したのか、女性は嬉しそうに笑うと意識を失った。止血をしながら治癒魔術の詠唱を開始したシャルゼは目を青紫色に輝かせながら信じられない速度で詠唱を終え、女性の傷はみるみるうちに消えていった。

「シャルゼ! 何があった!」

 人ごみの中からくたびれた鎧を着た中年の男性が現れ、シャルゼは立ち上がり男性の方に振り向く。

「ケインズさん。ひったくりです、荷物を奪われる際に持ち主の女性が刃物で刺されましたが傷は今魔術で治しました。しかし犯人は馬で逃走中です」

「そ、そうか、わかった。犯人は駐屯所に戻ってから追跡しよう。しかしお前がいてくれて助かった、刺されてすぐに詠唱して傷を治すなんて芸当俺には到底出来そうにない」

 中年の男、ケインズは心の底から安堵したように硬かった表情を崩す。

「ですがかなり血を失ってしまったようでまだ完全に安心はできないかもしれません。ケインズさん、申し訳ないのですがこの女性を駐屯所まで運んでいただけませんか? あそこならばキチンとした治療が施せるはずですから」

「いや、もちろんそれは構わないが。お前は来ないのか?」

「すみません、僕は犯人を追います」

「だが犯人は馬で逃走したのだろう? こちらも駐屯所に戻り馬を用意しなければ――」

「ケインズさん。僕の眼は詠唱を早めるだけじゃないってことを忘れていませんか?」

 シャルゼはケインズの言葉を遮り微笑む。

「……ふっ、そうだったな。しかし、いいのか……その眼は……」

「大丈夫です。犯人の姿はしっかり見ました。しかし今ならまだ平気ですが、馬を取りに戻っていたら見失ってしまうかもしれません。それに――」

 シャルゼは女性を見た後に一際優しい顔になると、ケインズに向き直り、口をひらく。

「取り戻すと約束しましたから」


 荷物を奪った男は馬に乗りながらほくそ笑んでいた。

「チョロイいもんだったぜ! しかし女一人からにしちゃずいぶん取れたな、マジでついてるぜ! アハハハハハハハ!」

 男は女性から奪った荷物の中から小さな布袋を取り出し、手で弄びながら笑い声をあげる。

「追手が近いうちに来るだろうがその前に仲間と落ち合って森に逃げ込んじまえばこっちのもんだぜ! これだけじゃあまだたいしたことはないかもしれねえが、ちっとは俺のギルドでの地位も上がるはず!」

 男は荷物を馬に結び付けると、速度を上げて荒野を駆け抜けた。

「……遅えな、この辺のはずなんだが……お! こっちだ! お前ら!」

 大きな岩の近くに馬を止めて地べたに座っていた男は前方から砂ぼこりをあげて近づいてくる馬に乗った野武士のような集団に手を振った。

「お前ら遅えよ! とっ捕まっちまったのかと思ったぜ!」

「悪いな、なかなか獲物が引っかからなくてよ! まるで人が通らねえ!」

「だから言ったろ? 『呪界』騒動のせいで貴族やら金持ち商人はおろか、旅人なんかも含めてほとんどの奴らが安全な王都周辺に引っ込んじまってるからな。街道で商人やら旅人を待ち伏せて狙うより『呪界』に近い町でやったほうがいいんだよ。なにせ優秀な騎士様たちは『呪界』の探索やら調査やらでお忙しいみたいだしな。ほとんど町の見回りもいなかった、その証拠にほれ見ろよ、こいつを」       

 男は仲間に金貨の入った小包を見せびらかした。

「すげえな! くっそ、俺らもお前について行くべきだったぜ! 誰だよ、街道周辺に行こうなんつったバカ野郎は!」

 大声でわめきながら野武士のような男たちは互いに責任をなすり付け始めた。

「おい、喧嘩してる場合じゃねえだろうが! とっとと森に向かうぜ!」

「っち、わーったよ!」

 女性を襲い、金を手に入れた男が野武士たちを一喝すると馬に乗り込み森に向かって移動を開始した。

「……よし、森に入った。ここまでくりゃあもう大丈夫だろ」

 男は嬉しそうに言うと、馬の速度を緩めた。

「しかしよ、足跡がもろに残っちまってるんだが大丈夫かよ。これじゃあ間違いなく追跡されるぜ」

「問題ねーよ。見ろ」

 馬で横に並んだ野武士が心配そうに言うと、男は空を指差した。

 空は灰色の雲に覆われていた。

「もうすぐ雨が降る。今日やろうって言ったのは気まぐれじゃねぇんだよ。朝から雲行きが怪しかったからな、この湿った空気の臭い。間違いなくそろそろ降る」

 男が言うや否や、雲からゴロゴロという音が鳴り始めた。

 そしてぽつぽつと雫が空から流れ落ち、男たちの頬に当たる。

 降り注ぐ雨はしだいに早く、量も多くなり、やがて土砂降りの雨が森全体を濡らした。

 ザァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!

「アハハハ! やっぱりな! ドンピシャだぜ! 今日の俺は最高についてやがる!」

「そうみたいだな! お前の予想は完璧だ! 流石だぜ、お前ならギルドの幹部も狙えるかもな!」

「はッ! おだてたって、俺の金はわけねえぞ?」

「ちぇっ」

 当てが外れたように横に並んだ野武士は舌打ちした。

「金が欲しけりゃ自分で奪いな。楽なもんさ、俺が今日取った女なんざチョロすぎて達成感もなかったぜ。『お願い、子供に使うお金なんですぅ~』なんて言ってたが、てめえのガキのことなんて知るかよ! おおかた『呪界』の影響で出た病気なんだろうが、俺の知ったこっちゃねえ! とっととのたれ死ねばいいんだよガキなんざ! ああ、いやだが死んじゃ困るか、なにせガキのために必死で金をかき集めたマヌケ女から金が奪えなくなっちまうからな! くくくく、アハハハハ!」

「ぎゃはははは! 違いねえ! 俺も今度適当にガキのいる女見つけて金を奪うかな、なんなら奪うだけじゃなくそのまま犯して――げぶッ――」

 隣に並んで馬に乗っていた野武士が血を吐いて落馬した。

「……は……?」

 馬に乗ったまま進むのを止めた男は呆然としながらも馬から落ちて地面にうつぶせで倒れた野武士を見た。そして気が付く、その背中に深々と矢が突き刺さっていることに。

「て、敵だ……! てめえら、円形に陣を組みながら周囲を警戒しろ……!」

 すぐに状況に気づいた男は野武士たちに指示を出した。

 男の指示に従った野武士たちは死角のない円形になり、馬上で剣や槍、弓を構えながら森を見まわす。

(どういうことだ……! 追跡してくる奴の気配なんざ微塵も感じられなかったぞ……!)

 表面上は冷静に取り繕おうとした男だったが動揺を隠せなかった。

 深呼吸しながら背負った二本の大剣を引き抜く。

(だ、だがバカな奴だぜ! 追ってきた騎士なのかもしれないが仕掛けるタイミングが早すぎるんだよ! こういう奇襲は俺らがバラけた時に一人ずつ気づかれないように殺していくもんだぜ! やられた奴の位置と受けた傷の箇所を考慮して、探索魔術を使えばマヌケのいる場所を割り出すことくらい造作もない!)

 熱くなりかけていた頭を豪雨が冷やし、男を冷静にさせた。

 そのまま詠唱に入ろうとした男だったが次の瞬間風を切って何かが高速で飛んできた。

「ぎゃあッ!?」

「ぐあッ!?」

「おぶッ!?」

 それは一瞬の出来事だった。

 三本の矢が別々の場所から同時に高速で放たれ、三人の野武士のわき腹、肩、背中に突き刺さった。

 血を流しながら三人の野武士も最初の犠牲者と同じように落馬する。

「な……!? バカな……!?」

 視界の悪い豪雨の中とはいえ、警戒中の三人に矢が当てられた事実に男は驚愕する。

 他の野武士たちにも動揺が広がり、騎士の集団に待ち伏せされたのではないかと騒ぎ始める。

(襲って来てる奴は一人じゃねーのか!? 俺たちがこの森を通ることを見越して待ち伏せされたのか!? いや、落ち着け、冷静になれ……! そんなはずはない、この森までの最短距離を事前に調べ上げて進んできたんだ……! 待ち伏せはありえない、確かに仲間と合流するのに多少時間がかかったが俺らよりも速く馬で最短距離を移動したとしても足跡まで消す時間はないはず……!)

 男は馬で通ってきた道に馬の蹄の跡がなかったことを思い出す。

「騒ぐな! 冷静になれテメエら! あれはただの魔術だ! 矢を操って四方八方から撃ってるようにみせかけてるだけだ! 武器を構えて警戒を怠るな!」

 男の怒号で野武士たちは多少の冷静さを取り戻す。

(そうだ、あの矢は魔術によって操作されたもの。矢から微量な魔力を感じるしな。追ってきた奴が森の中にいることは間違いない、だが敵の数はおそらく一人か多くても二人。三人以上ならローテーションを組み断続的に魔術による攻撃を仕掛けられるが、そうしてこないのは詠唱による時間のラグが入るからだ。一度目の奇襲から二度目の攻撃まで時間が空き、そして今攻撃してきていないのが何よりの証拠)

 男は剣で自分の手を切り、血を付着させると二つの剣を交差させた。

「血の契約の名のもとに命じる、交われ!」

 男の周りに緑色の魔法陣が浮かぶと、緑色の光が体全体を包みやがて爆ぜる。

 男の左手には緑色の魔石が埋め込まれ、右手には、くの字に折れ曲がった曲刀が握られていた。

「矢は俺が防ぐ! テメエらは詠唱を始めろ! そして終わり次第、辺り一面に魔術をばらまけ! それほど距離は離れてねぇはずだ、半径三百メートル以内を狙え!」    

 男の指示に従った野武士たちは一斉に魔術の詠唱を始めた。

(俺たちが混乱して散って行くとでも思ってたかバカが! どこに隠れてるかは知らねえがあぶり出してやる!)

 男が笑みを浮かべながら持った剣に力を入れる、すると再び矢が四方八方から五本男たちのもとに飛んできた。

 矢は詠唱している野武士目がけて放たれていた、

(甘いんだよ!)

 がしかし、男が曲刀を一振りした瞬間周囲に巨大な風の壁が発生し矢を全て弾き飛ばした。

(てめえのチンケな矢の攻撃なんざ俺のメルティクラフトの前じゃただのお飾りみたいなもんだぜ! 探索魔術を使うまでもねえ、そのまま吹き飛んで死にやがれ!)

 男が心の中で罵声を飛ばした時、野武士たちの詠唱は終わり青白い光の光弾が空に一斉に撃たれた。

 光弾は空に上がった瞬間に弾け、無数の流星のような小さな光の塊が森の一部に降り注いだ。男達の周囲を除く半径約三百メートルに降り注いだ光は着弾すると同時に強烈に発行し爆発する。

 ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!

 一瞬だが、雨音をかき消すほどの爆音が森中に響き渡る。

 男は倒れた木々を見ながら周囲を警戒したが、野武士たちが魔術を使って以降矢が飛んでくることは無かった。

「……あ、アハハハハハハハハ! 木っ端微塵に吹き飛んだか! 一撃じゃあ無理かと思ったが運が悪かったなマヌケ野郎が!」

 雨水が口に入ることもいとわず男は大口を開けて天に吠えた。

 他の野武士たちも男と同じように笑いながら自分たちの勝利を確信しているようだった。

「アハハハハ――なッ!? ぐうッ!」

 だが、安堵しているその場の切り裂くように矢が一本男たちの元に飛来した。とっさの事で驚きぐぐもった声を出した男だったが、反射的に手に持った曲刀を振るい風の壁を発生させ矢を受け止める。

 風の障壁が矢を阻んだことで男たちは事なきを得た、

「ちぃぃッ! まだ生きてやがったか! てめえら今度はさっき着弾しなかった場所を狙え! 今度は死体を確認するまで続けるぞ! 周囲の木々をふっ飛ばしてここら辺一帯を丸裸にしてやれ! 敵からの攻撃は心配するな、どうせこんなショボい攻撃しかできない雑魚の――」

 と思っていたことが間違いだったと男は気づく。

「な、なにぃぃぃぃぃぃッ!?」

 ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィギュルルルルルルルルルルルルルルルルッ!!!!!!

 風の防壁によって受け止めた矢が高速で回転しながら見えない壁を抉りながら突き進む様子を目を見開いて男は見た。空気を圧縮したような分厚い風の壁を摩擦音を出しながら突き破らんとするその一本の矢に男は着目し、自分の認識が甘かったことを悟る。

(これは、風の膜ッ!? 敵も属性持ちかッ!? いや、ただの属性魔術じゃねえ、これは――)

 最初はちっぽけな一本の矢だと思っていた男だったが、風を纏いながら周囲の空気を取り込みさらに回転を増していく矢を見て顔を青ざめさせる。

(『メルティクラフト』!? だ、だめだ、破られ――)

 矢の威力に耐えられなくなった風の壁に穴が空いた瞬間、パキィィンと矢が砕ける。

 ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!!

「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!??」   矢が砕けたことで矢に巻き付いていた巨大な空気の渦は行き場を失い周囲に爆風を巻き起こした。そして破裂した風はかまいたちのような真空の刃に変わり、半径三百メートルに存在する全ての物体を切り刻む。

 巨大な風の嵐を受け、男たちを含む木々や土、岩もまた切り裂かれて吹き飛んだ。

「……が、ふ……ぐうう……ちく、しょう、いてえな……」

 風の刃による嵐が収まった後、倒れていた男は曲刀を支えにしてなんとか立ち上がると周囲を見渡した。

「……嘘だろ……こんな……」

 男は周囲の惨状に茫然自失となった。

 男のいた場所は確かに森だった、しかし今立っている場所はもはや森の中とは言えなかった。

 倒れた木々や粉々に砕けた岩、血まみれで倒れている野武士たちがいるその場所は森から切り取られたようにまっさらな更地になっていたのだった。半径およそ三百メートルほどの円形の更地の中心で男は曲刀を持っていない手で顔を覆う。

(……これほどの威力の魔技を使う騎士がいるなんて完全に想定外……どうする……)

 男は恐怖で叫び出しそうになるのを必死でこらえ、打開策を練ろうとした。

 覆っていた手の指の間から目で周囲を見ます、すると驚きの光景を目の当たりにした。

(……馬が生きてる……なぜだ……)

 木や岩、人が風の刃で滅多切りにされている中、なぜか男たちの乗っていた馬たちだけは風の刃の影響を受けずに悠々と立っていた。

(……まあいい、好都合だ。馬を使って森を抜けて逃げよう。敵が次の攻撃を仕掛けてくる前に)

 男は曲刀を大きく横なぎに振るい風を巻き起こすと、木々の下敷きになっている野武士たちを助けた。

「……ぐ、す、すまねえ……」

「気にするな。立てるか?」

「あ、ああ……大丈夫だ………」

 男は野武士たちを助け出し、野武士たちは男に礼を言った。

 男たちは身を屈めて倒れた木々に身を隠しながら話し始めた。

「聞いてくれお前ら。なぜ敵が今次の攻撃を仕掛けて来ないのかはわからないが、正直このままじゃ全滅もありうる。次に攻撃がきたら今度こそ終わりだ、だからその前になんとかしなきゃならない。そこで作戦を考えた」

「さ、作戦?」

「ああ、そうだ。その作戦は簡単に言うと誰かが囮になって敵を引き付けるってものだ」

「じょ、冗談じゃねえ! 俺は御免だぞ!」

 一人の野武士の悲鳴に続き、他の野武士たちも口々に拒否の言葉をつぶやく。

「大丈夫だ、その役目は俺がやる。お前たちはただひたすら森を抜けることを考えて馬を走らせろ」

「い、いいのか……?」

「俺だってやりたくはないがそれでも誰かがやらなきゃならねえ。そうだろ?」

「そ、そうか……そうだな……すまねえ……」

「謝ることなんてねえよ。俺たちは仲間だ、それに俺は『メルティクラフト』が使える。囮になったとしても俺の方が生き残れる確率は高いんだ。俺が暴れまくって注意を引くから安心してくれ。さあ、時間がねえ、行こう」

 男は言うと、野武士たちと共に馬のいる場所に走り出し飛び乗った。

「俺がこのまま正面に走る。お前たちは俺とは反対の方向に走ってくれ。固まって走るとまとめてやられるかもしれねえからできるだけバラけて行けよ」

「わ、わかった……あ、ありがとな、ホント、すまねえ……!」

 野武士たちは申し訳なさそうに謝ると、男は儚げな笑みでそれに応えた。

 野武士たちは馬で一斉に走り出し、男は馬に乗ったまま反対の方向へと走り出した。

 馬に乗って数分足らずで男は下に顔を向けて肩を揺らしながらプルプルと体を震わせ、そして、

「く、くくくく……ぷッ、アハハハハハハ! マジで馬鹿だろアイツら! 囮はてめえらの方だっつの!」

 笑い始めた。

(俺の『メルティクラフト』の魔技は風の壁を作ることなんかじゃねえんだよ! あれは副産物に過ぎない!)

 そして馬に乗ったまま、男は曲刀を大きく振るった。

 すると風が男の体と馬に巻き付き、馬と男を覆い隠した。完全に男と馬が空気の膜に包まれてからおよそ数十秒後、男と馬は完全に姿を消した。だが、ぬかるんだ土を踏む音だけは依然として続いた。

(俺の魔技は空気の膜を作り出し、覆ったものを透明に出来る。風の壁はこの膜を防御に転用したに過ぎない、俺が透明で見えない間に森を抜け、姿が見えるアイツらは襲撃者に狙われ続ける。俺にとってとっても安全な作戦だ)

 男は笑みを浮かべながら雨の降り続く森を駆け抜けた。

(よし、もうすぐだ。もうすぐ森を抜ける。しかし雨が降ってくれて助かった、これだけの豪雨なら足跡が多少残ってもすぐに消えてくれる。ギルドまで行けば今度こそ安全……だ……な、んだ……)

 男は猛スピードで走らせていた馬の手綱を引き、動きを止めた。のけ反る馬にふるい落とされぬようにしながら前方で倒れている人間たちに視線を向ける。

(……な、んで……コイツらが、ここに……いる……)

 男の視線の先には先ほど別れ、そして囮として反対方向に馬を走らせていたはずの野武士たちが血まみれで倒れていた。それぞれ程度の差はあるが、それぞれ傷ついていた。そしてなぜか矢が一本だけ近くの地面に深々と突き刺さっていた。

(……いや、それ以前になんでバラけて進んでいたはずのコイツらがまとめてここにいるんだ。まとめてやられたのか? いや、だとしても反対方向にいるはずだ。ここにいるはずねえのに……どうして俺の進行方向に全員転がってやがるんだ……なにがどうなってやがる……!)

 男は答えの出ない疑問に頭を悩ませていたが、前方を睨み付けて息を吐く。

(なんにせよ進むしかねえ。答えは先に進めばわかる……!)

 男は精神を落ち着けて馬を再び走らせ始めた。それは例えどんなことがあったとしても自分の体は透明になっているから平気であるという考えに支えられた行動であった。しかし、

 ザシュッッッッッッッッ!!!!!

(があッ!? く、っそがッ! なんでだ……!)

 走り始めてすぐに矢が猛スピードで男の腕をかすめ、肉をえぐった。

(いってえよ、チ、クショウ!!! 何で俺に攻撃が当たるんだよ!!! ……まさか――)

 血が腕から滴り落ちるのを目で確認しながら男は憎々し気に心の中で毒づく。そして服を強引に引きちぎり止血しながらある考えに思い至った。

(見えてやがるのか俺が。いや、そんなはずはねえ。なら――そうか、なるほど、馬か)

 男は馬をその場に止めると、馬の体を見まわした。

(――やっぱりな、おかしいと思ったぜ。そういうことかよ)

 馬の体に一本の細い針のようなものが刺さっていたことに気が付いた男は、その針を引き抜き地面に投げ捨てた。そして再び泥道を走り出す。

(最初に『メルティクラフト』の魔技を使って俺と仲間を吹き飛ばしたあとに針を飛ばして馬に付けたのか。あの針はこっちの位置を知らせる役目を持った魔具か何かで、バラけた俺たちの位置は敵にまるわかりだったわけか)

 男は自分の透明化がなぜ破られたのかという理由や野武士たちが早々にやられた理由を悟った。

(だが解せねえな、なぜこんな面倒な真似をする。敵の『メルティクラフト』の魔技の威力は想像以上に凄まじかった、俺達全員を倒したけりゃもう一発あの場で魔技を撃てばよかったっつーのに。なぜだ? アイツらが俺のいた方向にいた理由ってのは針の存在を知った今ならわかる、たぶん矢を使って進行方向を変えさせてこっちに誘導して一網打尽にしようとしたんだろうが、やはり手間がかかるやり方だ。なにがしてえんだ俺らを襲って来てる野郎は ……まあいい、どうせもう敵には俺の位置がわからねえんだ。姿も見えねえ以上お手上げのはず)

 奇妙な胸のつかえを感じていたがいくら考えても答えは出なかった。男は疑問を胸の奥にしまい込むと、土砂降りの雨の中馬を必死に走らせた。

 男の思惑どおり、それから矢が男に向かってくることはなかった。そしてとうとう森を抜け、開けた荒野のような場所に飛び出た。

(よし、このまま進んでアジトまで――)

 ヒュンという音が後方から響き、何かが男の耳の近くを通り過ぎて前方の、およそ30メートルほど先のぬかるんだ地面に突き刺さった。そしてその瞬間、前方に突き刺さったそれは破裂した。

 ズドォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!!!!

 泥が舞い上がり、天から降る雨を押しのけるような強力な横なぎの風が馬に乗っていた男を吹き飛ばした。風の衝撃波を受けたことで馬から投げ出され、衝撃波の影響からか風の膜が破れると同時に地面を転がりながらうつぶせで倒れ込む。

「……なんなんだよ、くそがあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 豪雨の中、今までの鬱憤を晴らすように男は吠え、そして立ち上がった。

「どこにいやがるッ!!! どこから見てやがるッ!!! 出てきやがれッ!!!」

 周囲を見渡しながら威嚇するように怒鳴る男の頭を支配していたのは確かに怒りだったがそれ以上に頭の中を占めているものがあった。

(針は取った、位置はわからねえはず……! 加えて俺の姿は馬と一緒に見えなくなっていた……! それに、それに何より……!)

 男の頭を支配している強い感情、それは――

(周りにはだだっ広い荒野しかねえんだぞ……!!! 隠れる場所なんてどこにもねえのになんで矢が飛んでくるんだよォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!)

 恐怖だった。

「どこだッ!!! どこにいるんだよォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」

 しかし襲撃者は男の心意を知ってか知らずか話しかけてくることは無かった。

 男をあざ笑うかのように雨音だけが場を満たす。

(……落ち着け、落ち着けッ冷静になれッ!!! 感情的になればなるほど敵の思うつぼじゃねえかッ!!! どっかから見てんのは間違いねえんだッ!!! 俺が森を抜けてから走ってきた距離はおよそ五百メートル程度、ギリギリだが魔力で視力を強化すれば森の中からでも見えるッ!!! 俺の透明化をどうやって見破ったかは知らねえが、覚悟しやがれ、俺を本気にさせたことを後悔させてやるぜッ!!!!)

 男は森の方角を睨み付けると馬のいる方に走り、そして飛び乗った。馬を走らせながら曲刀を構え、先ほど来た方角、森の方に向かって馬を走らせる。馬の速度を上げ、森まで一直線に進むと曲刀を天に掲げる。

(もう逃げるのはやめだッ!!! さんざんイラつかせてくれた礼をキッチリさせてもらうぜ、襲撃者さんよォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!)

 血走った目で虚空を睨み付けた男は、森の中に入った瞬間に頭上に構えていた曲刀を振り下ろした。

 すると風の膜が男を中心に発生し、次第に大きくなると竜巻のような巨大な風に変化した。

「俺の『メルティクラフト』による魔技は風の膜を発生させて自分の体や体に近い位置にあるものを透明化させる、だが使い方次第じゃあ攻撃にも転用できるッ!!! こんなふうになァッ!!!」

 竜巻は男を中心に大きく円状に広がっていき、森の木々をなぎ倒しながら襲撃者がいるであろう場所まで迫って行った。竜巻の大きさは全長二十メートルを超えており、木や草、岩を飲み込みながら360度死角無く全てを薙ぎ払い、300メートルほど進んだ地点で消えた。

「はッ! どうだッ! この俺の魔技の威力はよォッ! 攻防一体、逃げ隠れなんてできないように全てふっ飛ばしてやったぜッ! 俺を本気で怒らせた報いだぜ、これで俺の勝ち――」

 叫ぼうとした時、再び矢が男目がけて飛んできた。

 男は瞬時に曲刀を振るい、風の竜巻を作り出すと矢を弾き飛ばした。

「――まだ生きてやがんのかッ! だったらさらに範囲を広げてやるよッ! 今度は限界ギリギリまでだあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!」

 唾を飛ばしながら野獣のように雄たけびをあげると、男は全魔力を使い果たしても構わないという覚悟のもとに魔技を発動した。竜巻は四十メートル近い大きさに形を変えると森全てを吹き飛ばさんが如く進撃を始めた。ゴォォォォと周囲に轟音を響かせながら竜巻は周囲を飲み込み、その範囲は二キロ以上に及んだ。

「……はぁ、はぁ……げほッ、ごほッ……こ、これなら、もう……」

 息を切らして馬にまたがる男を中心に森の四分の一ほどの範囲が円形の荒野と化した。

「もう、大丈夫のはずだ……矢が届く範囲なんざとっくにふっ飛ばした……魔力で視力を強化してようがもう見える位置にはいないはず……俺の勝ちだ……」

 およそ二キロ、それほどの膨大な範囲を更地にした男の魔力はもうほとんど尽きかけており、今にもたおれてしまいかねないほどに疲弊していた。

 崩れ落ちるように馬から降りた男は降りしきる雨の中、十メートルほど歩くと仰向けに倒れ込んだ。

「あは、アハハハハハハハハハハ!!! 俺の勝ちだああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!! どうだ見たかクソッタレがああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」

 仰向けに倒れたまま曲刀を天に掲げて勝利を宣言した男は襲撃者を嘲り笑うと、荒かった息を整え立ち上がった。短い休息だったが勝利を宣言した男の顔は満たされていた、それは不安から解放された安堵からなのか強敵を倒した達成感からなのか、男自身わかっていなかった。

「――滅茶苦茶疲れたがなんにせよ、これで終わり――」

 馬に向かって馬に向かって歩き出したその時、

 その矢は男と馬の間、距離としておよそ十メートルほど離れた地面に深々と突き刺さった。

「――ッ!? バカなッ!?」 

 馬にまたがる前に地面が爆ぜ、男は風の衝撃波を受けて転がりながら木に激突した。

「――う、馬は、っくっそッ!!!」

 逃げる、という選択が真っ先に浮かんだ男は馬を探したが衝撃波でどこかに飛ばされたか、怯えて逃げ出したからなのか風の壁によって開けたその場所にはすでにいなかった。

(……仕方ねえ、か……)

 男は曲刀を地面に置くと、両手をあげて座り込んだ。

「……俺の負けだ、降参する! 攻撃をやめてくれ、頼む! もう、俺は戦えねえんだ!」

 男は雨音に負けないように声を張り上げて降伏を宣言した。

(……周辺一帯を丸裸にしたっていうのに姿が見えない、どういう仕組みかわからねえがこのまま臨戦態勢を取ってたら相手は容赦なく攻撃してくるだろう……だが相手はどうせ騎士道精神とやらを大切にするアイオンレーデの生ぬるい騎士だ、降伏したふりでもして待ち構えてりゃあ姿を現すだろう……そして出てきたところを襲って殺す……)

 男は顔を伏せて泣く演技をしながら騎士が現れるのを待った。だが、

(……現れねえな、警戒してやがるのか? めんどくせえな……)

 男はいつまでも現れない騎士に業を煮やし、傷ついた腕を見せながら苦しみだす。

「ううッ! ほ、本当に痛くてもう戦えないんだ! 盗った金は返す、だから助けてくれ!」

 表情を歪めながらたいして深くない傷の痛みを訴えていた男だったが、

(とっとと姿を現しやがれ!)

 内心では悪態をつき、ひたすらに反撃の機会が訪れるのを待っていた。

 そして降伏に対する答えがようやく返ってきた。

 グシャッッッッッッッ!!!!!!!

「……は……? あ、ああぐああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!??」

 飛来した一本の矢が男の片腕に突き刺さり、吹き飛ばした。

 血が際限なく溢れ、苦痛に顔を歪める。

「ちょ、ちょっと待ってくれッ!? 俺は――」

 荒い息を吐きながら片腕をあげて見えない敵に降伏を伝えようとした男だったが、

 ザシュッッッッッッッッッ!!!!!!!

「がああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!?? えぐぐうあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 あげていた腕にも風を纏った矢が突き刺さり吹き飛ばされる。男はあまりの激痛に悲鳴をあげ、傷口から流れ出る大量の血を見て強烈な嘔吐感に襲われた。

「た、たすけ、助けてくれ……し、死にたくない……死にたくない……」

 立ち上がり駆け出すが、ぬかるみに足を取られて思うように進まず、つまずき途中で転ぶ。

(こ、殺される……このままじゃ、殺されちまう……)

 両腕を失ってしまった男はすぐに立ち上がることは出来ずにイモムシのようにもがきながら前に進もうとした。しかし――

 ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥゥ、ザクッ!!! ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!!

「がはッ!? ガハァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!」

 雨粒を切り裂きながら飛んできた矢が男のちょうど目の前に突き刺さり、同時に矢に巻き付いていた風が爆発する。風に巻き上げられたその体は無数の小さな風の刃によって切り裂かれぼろ雑巾のようになりながら宙を舞い、地面に落下した。

「……あ、ぐ……うあ……あ…………」

 目は霞み、耳も聞こえなくなってきていた男は死を覚悟する。

(ち、くしょう……報い、なのか、これは……ガキのいる女から金を奪い取ろうとしたことに対する罰なのか……そういえば俺が刺したあの女も結構な血を流してたっけ……あいつ死んだのかな、ガキの薬も買えずに……俺のせいで…………ああ、悪かったよ……今更遅いけど……俺が、悪かった……)

 男は痛みで苦しむ中、なぜか自分が刺した女性のことを思い出した。苦しみの中で初めて理解する、奪われる痛みと理不尽な痛みをその身で味わい始めて気が付いた。だからこその謝罪だった、心の底から自身の非道を見つめ直したゆえの答え。

 そして新しい矢が再び男を貫かんと放たれる。

 矢が迫る中、男は小さく、誰に聞こえずとも、自分が数秒後に死のうとも関係ないといわんばかりの気持ちでつぶやいた。

「……悪かっ…………た………」

 死にかけた男の口から出た小さな謝罪の言葉は雨音にかきけされた。

 ヒュゥゥゥゥ、ザシュッ。

 が、矢は男を貫く寸前に軌道を変えて地面に刺さると、爆発せずにそのままの状態で動きを止めた。

 男はそれを見た後に意識を失った。


 シャルゼは森から数キロ以上離れた小高い丘から弓を構えていたが、やがてゆっくりと構えていた弓を下に向けて下ろした。

「殺したか?」

 降りしきる雨の中、シャルゼの後ろから声が響いた。

「フリード君、よくここがわかったね」

 後ろを振り向いたシャルゼの眼に飛び込んできたのは気怠そうなフリード・アイアスの姿だった。髪の長い銀髪の騎士は丈の長いローブのフードを被りながら馬に乗っていたが、降りると隣にやってきた。

「ここは絶好の狙撃ポイントだ、お前ならここから狙うと思っていた……それで、殺したのか? それとも殺さなかったのか?」

「……全員生きてるよ」

「相変わらず甘いなお前は」

「そんなことないよ。嘘とはいえ降伏を宣言していた主犯の男の両腕を吹き飛ばしたからね。かなりひどいことを僕はしたと思う」

 シャルゼはつらそうに言うと顔を伏せた。

「だがとどめは刺さなかったのだろう? 十分甘い、腕など魔術で再生させられるからな。俺なら全員跡形も無く消し飛ばす」

「……フリード君はハッキリしてるね、うらやましいよ。でも彼らにもやり直す機会は必要だと思う。もう反省もしたと思うから」

「その考えが甘いと言っている。市民に危害を加えた時点で奴らは人ではなく害獣だ、人権などない。即刻殺すべきだ。お前なら俺がここに到着する前に片付けられただろう、殺さずに全員捕縛しようなどと考えていたから時間がかかったんじゃないのか?」

「うーんと、それもあるんだけど……馬が……」

「……馬……?」

 言い難そうにするシャルゼにフリードは怪訝そうな顔を向ける。

「馬を傷つけたくなくて、できるだけ馬と彼らを引き離してから攻撃したかったんだけど……なかなかうまくいかなくて、あはは。時間がかかったのはそれが理由かな、使う人間が悪いことをしたとしても使われる馬には罪はないからね」

 シャルゼは困ったように笑いながらフリードに言った。

「……やはり、お前は甘いよシャルゼ・ベルト―ル。その呪われた魔眼を宿すにはあまりにもな」

 フリードは馬の方に戻ると、またがり、森の方に向かっていった。

 ひどく降っていた雨も今になりおさまる。

「……甘い、か。そうかもしれない、でも――」

 一人丘にたたずむシャルゼは目を青紫色に輝かせながら晴れて行く空を眺めながらそっとつぶやく。

「心まで化け物になりたくはないんだ」

 悲しそうに言うシャルゼの視界には数キロ先の森はおろか、その遥か先も見えていた。

 通常とは違う視界の中で、シャルゼは小さくため息をついた。

 そして魔眼を宿す青年の瞳が勇者を捉えるのはそう遠くないことだった。

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