16話
異世界ヴァルネヴィアにおいて初戦にして激戦を潜り抜けた勇者は『スサミソウ』をウルルグに渡し、その報酬としてアルトラーシャのパンツを手に入れると、サンダーブレードにまたがりラムラぜラスに帰還した。その後城に戻ると早速アルトラーシャにパンツを手渡し、その結果見事勇者は城の内部に自分の部屋を入手した。そして勇者は現在自分の部屋の中に用意されたベットの上に座っていた、だがその表情は暗く、悲惨さに満ち満ちていた。部屋中をを照らす天井からつり下げられた魔石の灯りはそれほど明るくなく、部屋全体の薄暗さと相まって勇者のその様子は不気味だった。
「どうしたんですか勇者様? せっかくご自分のお部屋を手に入れたというのに! もっと元気をだしてください!」
望んでいた部屋を手に入れ、ホームレスではなくなったにもかかわらず暗い表情をしている勇者にトイレブラシは疑問の声をかける。
「………なあ便ブラ…この部屋の…いいところを…俺に教えてくれないか…?」
勇者はトイレブラシに自分が手に入れた部屋の利点を力の抜けた声で聞いた。
「利点ですか? そうですねぇ、やっぱり公園と違って吹きさらしじゃなくなったところじゃないですかね!」
「………そうだな……でも…今度は…完全に…外界の空気に触れることができなくなった…」
勇者の用意された部屋は石のブロックを積まれるようにして作られ隙間風一つ入らないように厳重につくられていたが、窓さえも用意されていなかった。
「いいじゃないですかそれくらい! あとは、ほら隣人にも恵まれていますよ! いっぱい人がいてよかったですね! いつでもどこでも顔が見られて寂しい時なんてありません! それに魔術によって部屋の内部は完全防音になっていますからトラブルになることもありませんよ! こうして私たちが話していても皆さん全然気づきませんし! お友達がたくさんできるといいですね!」
「………ツラが全員凶悪だけどな………」
勇者がいる部屋はベットが置かれている背後の石造りの壁際を除いて非常にオープンになっており、あるものが遮っている以外は隣人たちの顔が丸見えだった。
「ペットだっていますよ! 可愛いですね!」
「………ドブネズミみたいな生き物とゴキブリみたいな虫が可愛いとは思えないんだよ俺は…」
勇者の足元をドブネズミに似た生き物とゴキブリに似た生き物が通り過ぎて行った。
「もう! さっきからなんなんですか! 揚げ足ばっかりとって! この部屋に何か文句でもあるんですか! はっきり言ってください!」
「………文句があるか…だとぉ………」
勇者はトイレブラシの逆切れに対して怒りでプルプルと体を震わせながらベットから立ち上がり、正面に向かって歩きだした。
「………あるよ…ある…ある…ある…あるに決まってんだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!! 何が部屋だよ!!!!」
そして勇者は自分の部屋を遮っているあるものを掴みながら、叫ぶ。
「ここ、牢屋じゃねええええかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
勇者は鉄格子を握りながら叫び声をあげた。
「ちくしょうが!!! どういうことだ便ブラ!!! 目を覚ましたらこんなところに入れられてて、ここがお部屋ですってお前に説明されてわけが分からず沈んだ気持ちでいた俺だったがもう我慢の限界だ説明しろよ!!!」
「説明しろと私に言われましても困りますね。私はアルトラーシャ姫にパンツと引き換えに地図と鍵をもらって勇者様をここまで連れてきただけなので。とういうかむしろ感謝していただきたいくらいですよ! 傷の治療や服の再生を終えたにもかかわらず、夜が明けても白目をむいたまま一向に目を覚まさない勇者様の体を動かして変な顔の勇者様を不審がるウルルグさんに対して裏声を駆使してごまかしつつ花を渡し、袋に厳重に入れて臭いが漏れないようにしたアルトラーシャ姫のパンツを受け取ったあとサンダーブレードにまたがってお城に戻ってきてアルトラーシャ姫にパンツを差し出したんですからね! とっても大変でした!」
「それに関しては確かに感謝する、だけどだからってなんで俺の体をこんな牢屋に入れたんだよ! 入る前に気づいただろ! ここが牢屋だってさ! 文句言いに行けよババアに!」
「勇者様の肉体を治療した後、体を長距離長時間動かして私の魔力も精神力も消耗してしまっていたんです! おかげで私もへとへとだったんですよ! ここまで連れてくるのがやっとだったんですから!」
「でもおかげで囚われの身じゃねーか!? なんで開かないんだよこの牢屋の扉!? これじゃあババアをとっちめに行けないじゃないか!!!」
勇者は鉄格子の扉にあたる部分を引いたり押したりしてなんとか開けようとしたが扉は全く開かなかった。
「オートロック式のドアなんじゃないですかね」
「内側から開かないオートロックなんてあるわけねーだろ!?」
「犯罪者様専用内側から開かないオートロックですよ」
「俺は犯罪者じゃない勇者だ!!! くっそこれじゃあマジで囚人みたいじゃねーか!!! 開けやがれこの野郎!!! 俺は無実だあああああああああああああああああああああああ!!!」
「落ち着いてください勇者様。確かに牢屋ですけどホームレスの時よりは壁や屋根がついて吹きさらしじゃなくりましたし、生活レベルは確実に上がりましたよ!」
「人としてのレベルも確実に下がっただろーが!? ホームレスのほうが犯罪者よりも確実に社会的には上だよクソが!!!」
「いやでもほら、社会的信用なんて功績をあげればすぐに取り戻せますよ! とりあえずは部屋を手に入れられたことを喜びましょう! 牢屋生活だってそう悪いものじゃないかもしれませんし、住めば都って言うじゃないですか!」
「俺は都に住みたかったんだよラムラぜラスに住みたかったの牢屋じゃなくて!!! なんで牢屋を都にしなくちゃいけないんだよ!!! 俺をここから出せええええええええええええええええ!!! 本物の都に住まわせろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
勇者は鉄格子にガンガンと蹴りを入れ始めた、だがいくら蹴っても固い鉄格子はびくともせず、数十分ほど蹴り続けた勇者だったが、無駄ということがわかると、ベットに力なく体を預け仰向けに寝転んだ。
「…あんだけ苦労したっていうのに…ババアめぇ…この恨み…ここから出たら晴らしてくれるぅぅぅぅ…パンツを手に入れただけでなく命がけで戦って敵国の戦士を撃退したこの最強の英雄に対する仕打ちがこれかぁぁぁ…!!!」
勇者はアルトラーシャの顔を空中に思い浮かべるとシャドーボクシングでもするかのようにそれを寝ながら右手だけで殴りだした。
「勇者様滅茶苦茶怒ってますね。機嫌が悪いところ申し訳ないんですがでちょっといいですか…?」
「なんだ! 今俺は空中に思い浮かべたババアの顔に怒りの正拳突きをやって鬱憤を晴らしてるんだ邪魔をするんじゃない!」
「とっても大事な話なんです。お願いですから聞いてください」
「…なんだよ…大事な話って…」
トイレブラシの真剣な声に手を止めた勇者は彼女の話に耳を傾けた。
「大事な話というのは他ならぬ勇者様が経験した戦いに関する話です。それでいろいろ話す前に、なんですけど勇者様は昨日の戦い、ちゃんと覚えてますか…?」
「当たり前だろ! 忘れるはずもない! なにせ異世界での初めての戦いだったからな!」
「そうですよね、激しい戦いでしたから忘れるわけないですよね」
「ああ、俺があのパツキンを『冥王黒弦斬撃破』で消し炭にしたところまで完璧に覚えてるぜ!」
「まったく覚えてないってことはよくわかりました」
「あれ、違ったっけ? あ! ああ、そうだった! 『冥王黒弦斬撃破』は前世で破壊神をやっていた時の技だった!」
「それは貧乏な農民が小さな畑を耕す時に使う必殺技ですか…?」
「そんなわけねーだろ! 最強の破壊神だった俺が繰り出す技の中でも最上位の技だったよあれは…聞きたい? 詳細聞きたい? ねえねえ?」
「いえ結構です」
「いや聞きたいだろ? 本音で言ってみ? な? んふふふふふ、しょうがない! 話てや…」
「結構です」
「………次元を切り裂いて相手の…」
「結構ですッ!!!」
「…怒鳴らなくたっていいじゃないか…怒鳴らなくたって…いいじゃない…」
トイレブラシは勇者の鬱陶しい物言いをバッサリと切ると、話に入った。
「妄想のお話は大学ノートにでも書き留めておいてください。激しい戦いだったせいでどうも勇者様の記憶が曖昧みたいですから私から昨日の戦いに関する情報を逐一出して説明していきますね、それでいいですか…?」
「わかったよ、わかりましたよ、静かに聞いてますよ」
勇者は不貞腐れながらトイレブラシの説明を聞き出した。
「すねないでくださいよまったく。それでは本題に入りたいと思いますが昨日の戦いで勇者様の体が変化したことは覚えていますか?」
「あー…そういえば…赤毛になって、しゃべれなくなって、相手の言葉が理解できなくなってたな…思い出してきた…」
勇者は昨日の戦いの記憶を回想しながら自らの体に起こった事を徐々に思い出し始めた。
「しゃべれなくなって、相手の言葉を理解できなくなったのは相性のせいだと昨日説明しましたが、あの術式自体の説明がまだ出来ていなかったのでそれの説明をしたいと思います。まずあの術式の名前ですが『メルティクラフト』と呼ばれています」
「『メルティクラフト』ねえ…確か身体能力とかが色々あがるとか言ってたなお前…」
「はい、あれは体内に魔結晶があり、属性を持つ者のみが使えるこの世界での究極的な戦闘魔術形態なのです。この技術が確立した時にもともと特別だった属性を持つ者たちはさらに特別な存在になりました」
「さらに…? どういうことだよそれ…?」
「それはですね、『メルティクラフト』状態の時の事を思い出していただければわかると思います」
「…そう言われてもなぁ……うーん………ダメだわかんね…」
「すみません、ちょっといきなりすぎましたね。ちゃんと順を追って説明します。まずこの世界、ヴァルネヴィアの魔術はどんな小さな魔術でも数秒から数分ほどの詠唱を必要とします、強力な魔術であればさらに時間がかかり、そして詠唱中は身動き一つできません」
「…そういえばお前も詠唱してたな…」
勇者はトイレブラシが行っていた魔術を思い出しながら納得した。
「そうです、私が勇者様に見せたのは無属性の弱小魔術でしたが、威力が弱すぎて生物に危害を加えられないあれでさえ数十秒から数分程の時間がかかります。魔術を実戦で使うとしたら確実に時間を稼いでくれる前衛や中衛の人が必要不可欠なんです…そしてそれはこのブルグゾン大陸でも基本的な戦闘の体系でした…しかし大昔はそれでもよかったんですが…時が経つにつれてそれではダメになってしまったんですよ…」
「なんでダメなんだよ? 前衛と中衛、後衛で役割分担するのは基本じゃないのか?」
勇者は疑問を述べ、トイレブラシはそれに対して真剣にある重大な事実を答えた。
「それが通じない敵が現れたのです、この大陸に住むもの達すべてにとって脅威となる存在である『魔族』たちが」
「『魔族』って…魔王とかそういうのか! マジかよ、そんなもんまでいたのかよ!」
魔族の存在を聞いた勇者は興奮気味起き上がり驚いた。
「ええ、でも昔の話ですよ。今はいません」
「…なんだよ……もういないのかよ…俺が倒そうと思ったのに…」
興奮が一瞬にして冷めた勇者は再び寝転んだ。
「いないと言っても完全に滅びたというわけではないんですが、まあ話していく過程でそれは説明します、今はその『魔族』がなぜ前衛や中衛、後衛などの役割を無意味にしてしまったかを話します。これは『魔族』が持っていた能力に由来するんです、人とは明らかに違う肉体の色や大きさをしていながら人型で人語を解した彼らは優れた能力をいくつも持っていました、鋼よりも固い肉体と脅威的な身体能力、人と同等以上の知能、そして人知を超越した魔術の行使、どこからともなく現れた彼らは当時のブルグゾン大陸の人間や他の種族たちを恐怖のどん底に突き落しました」
「………そんなに強かったのか…?」
「ええ、とっても。腕や足をを振り回すだけで防具をつけた頑強な男たちが肉塊に変わり果てたという話です」
勇者はその様子を想像すると、顔を白くしながら震え出した。
「…あの…大丈夫ですか勇者様…いったん止めときますか…?」
「ば、ば!? お前バッ!? ぜぜぜぜぜんぜんビビッててててねーよ!?」
「いえ…ビビってるかなんて言ってないんですが…気分が悪いなら遠慮しないで言ってくださいね…?」
「よ、余裕だよこのくらい!」
勇者はキョドリながらも体裁を取り繕った。
「そうですか…では続きを…人を凌ぐ身体能力や剣や槍すら貫けない体だけでも十分驚異的だったのですが一番厄介なのはそれらではなく彼ら『魔族』が行使する魔術だったのです…彼らは魔術を使うのに詠唱を必要としなかった…まるで息を吸うように自然に強力無比な魔術を雨あられのごとくこの大陸の人間たちに浴びせ、惨殺していきました…」
「……や、ヤバイなそれは…しかし…なんか目的でもあったのかその『魔族』どもには…」
「わからなかったそうです…当時この大陸に住んでいた人たちは幾度となく人語を解する『魔族』と交渉しようとしましたがそのたびに失敗し、殺されたという話ですよ…ですが…『魔族』の目的は誰にも分りませんでしたが彼らは楽しそうに、本当に楽しそうに笑いながら人間たちが苦しみ絶望していく様を眺めていたそうです…まるでそれが目的だとでも言わんばかりに…」
「………そ、それでどうしたんだよその『魔族』どもは…話を聞く感じじゃ、人間とか他の種族では勝てなかったんだろう…?…今はいないとかお前は言ってたけど…どういう形で決着がついたんだ…?」
「結果としては人間たちが勝ちました。まあ完全勝利とまではいかず一部の強力な『魔族』たちは倒しきれずに封印魔術によって魂と肉体を分離されいずこかに封じられたらしいのですが…」
「ああだからお前完全に滅んでないとか言ってたのか…でも劣勢だったんだろ…どうやって勝ったんだ…?」
「人間たちが『魔族』に勝てた理由…それは『メルティクラフト』と呼ばれる技術が誕生したおかげなんです。ここからが先ほどの属性を持つ者がさらに特別になったという話の答えになります」
勇者は静かにトイレブラシの言葉に耳を傾け続けた。
「人間たちでは『魔族』の戦闘能力には遠く及びませんでした…人間たちは絶滅を覚悟しましたがそんな時ある有名な研究者の弟子が新しい魔術戦闘体系を発表したんです…それが『メルティクラフト』でした…これの登場により一気に戦局は人間側に傾いたのです」
「そんなにすごい技術なのかよそれ…」
「そうです、すごい技術なんです。なにせ『メルティクラフト』状態では身体能力やその他諸々が飛躍的に向上するだけでなく、限定的ながらも普通の魔術攻撃よりも強力かつ長い詠唱をせず発動できる『魔技』といわれる技が使えるようになり、これにより『魔族』よりも数が勝っていた人間たちが有利になったのです」
「…詠唱しなくても単独で魔術師が放つ魔術よりも強力な攻撃が撃てるのかよ…そりゃあ特別にもなるよな…じゃあ、あのパツキンの光の槍とか俺の剣が燃え上がったのは『魔技』ってやつなのか…?」
「はい、そうですね。あれは『魔技』です。勇者様の世界風にいうと必殺技ですね」
「なるほど必殺技か素晴らしいな!…でもよぉ…あのパツキンの槍の威力は強力だから必殺技ってことがわかるんだけどさ…俺のほうはそんな強力でもなかったような気がするんだけど…」
「あれは『メルティクラフト』に使った魔具の質が低すぎたのです、だから威力のある『魔技』が出せなかったんですよ。今からどういうことか詳しく説明します」
トイレブラシは一呼吸置くと、『メルティクラフト』の説明を話し始めた。
「ウィル・ダッド博士の弟子であるア―サー・スタットマン博士が提唱したその技術は複数の魔術を組み合わせつつ、魔具を用いて肉体を変革させるというものでした。この技術は倒した『魔族』を解剖した結果わかった特徴を参考にして作ったそうです、魔族の肉体には人間とは違ういくつかの特徴がありました。体内には二つ以上の魔結晶、そして左手の甲にも同じように魔結晶が埋め込まれていたそうです」
「左手の…甲…って…おい確か…」
「はい、その通りです」
勇者は赤毛になった時の自分やレオンニールの左手の甲に埋め込まれていた魔石を思い出した。そしてトイレブラシは『メルティクラフト』とは何なのかを勇者に告げる。
「対魔族戦略複合魔術体系『メルティクラフト』とは体内に存在する魔結晶と魔石が埋め込まれた魔具を二つ以上用いることで『魔族』と同じ肉体に人間や他の種族を変革させる、いわば疑似的な『魔族』になるための技術なんです。毒を以て毒を制すという意味合い通り、魔族を倒すには魔族になるしかないというある種の究極的な選択だったそうです」
「『魔族』になるって…そんなことできんのかよ…」
「可能です、あくまで疑似的にですが。ある手順を正確に行うことで『魔族』と同じような肉体になれるのですよ」
「どうやるんだよ…?」
「それはですね、まず属性を持つ人が自分と同じ属性の魔具と契約魔術を結び、肉体と魂のつながりをより深めます、そして契約を結んだ魔具は『契約魔具』と呼ばれる特別なものになるんです。次に『契約魔具』とは違う別の魔具を用意します、『契約魔具』と対になるこれを『従属魔具』と呼びますが、ただしこれは同じ属性かつ『契約魔具』と同じかそれ以上の質の良い魔結晶を用いたものでなければなりません。それで最後になりますが、二つの魔具を重ね合わせるようにして交差させ、、二つの魔具の魂に命令し、融合魔術を同時に行使しつつ融合、という流れになりますね。ただ一番最初にやるときは術式の設定やら詠唱に結構時間がかかります。二回目以降は命じるだけでできますが」
「…なんか意外と簡単そうだな…」
「言葉ではそう聞こえますがとても難しい術式なんですよ」
「そうなのか…『メルティクラフト』ってのは属性を持つものがなれる強化形態みたいなもんなんだなつまりは…選ばれしもののみがなれるってことか…ククク…俺もなれた、ということは…どういうわけかは知らないが俺の体内にも魔結晶が存在したんだな…なんで便所ブラシが火属性の魔具なのかはわからないが、火属性の魔具を二つ用いて『メルティクラフト』をした俺…これらのファクターが導く解は、ただ一つ…」
勇者は起き上がると大仰に右手を天に伸ばし自分の属性を語る。
「俺は生まれながらの火属性だっ…」
「違います」
「なんでだよ!?」
トイレブラシは勇者の論理を遮る形で否定した。
「勇者様は安心安定の凡人属性…つまりは無属性でした」
「だからなんでだよ!? おかしいだろーが!? お前が言ったんじゃねーか!? 属性を持つ者、すなわち魔結晶を体内に持つ者が『メルティクラフト』を行えるってよー!?」
「ええ、確かに言いました。魔結晶が体内になければ『メルティクラフト』した際に拒絶反応が起きて体がバラバラになってしまいますからね、そして勇者様の体内には火属性の魔結晶が確実に存在するでしょう、ですがそれは先天的なものではなく、私と契約したことによって生じた後天的なものなのです」
「どういうことだそれは!? なんでお前と契約したら魔結晶が体にできるんだよ!?」
「その答えは私が人前でしゃべらない理由にあります。勇者様、この世界に来たばかりの時、この城の地下階段を上って地上を目指していた時にどうして私が人前でしゃべらないのか理由を言いましたよね? 覚えていますか?」
「…えーっと…たしかぁ…悪い武器ハンターに狙われる…とか…なんとか言ってたような…」
勇者はうろ覚えながらながらもトイレブラシの言葉を覚えていた。
「はい、その通りです。で、どうして狙われるかというとですね、意思を持ちしゃべることのできる武器型の魔具と契約魔術を用いて魂の契約した者はなんと生まれが無属性の人間であっても、後天的に体内に魔結晶が生じ属性持ちになれるからなんです」
「…契約って…確かお前とこのヴァルなんとかに来る前に結んだ奴だよな…」
「そうです。契約魔術にも二種類あって大半は血の契約と呼ばれる肉体を媒介としたものになりますが、魂を持ったものとの間では魂を媒介とした魂の契約と呼ばれる特殊な契約ができるのです」
勇者は黙ってトイレブラシの話を聞いた。
「でも魂の契約を結べるほど魂が大きくて意思を持ちしゃべれる魔具なんてものはほとんどありません、ですから希少価値が非常に高く、殺してでも奪い取りたいと思う輩が多いんですよ。まあ、契約するだけで属性持ちになれるんですから当然と言えば当然なのかもしれませんが」
「ちょっとまてよ!? じゃあなにか!? お前ってマジでレアな武器なのか!? メイドイン発展途上国の百均ブラシじゃないのかよ!?」
「違うって最初から言ってるじゃないですか! 私はすっごく可愛くって役に立つ最強の聖剣なんですからね!」
トイレブラシが思いのほかすごい存在だったため、心底驚いた勇者は力を失い、仰向けでベットに倒れ込んだ。
「…マジかよ…でも…なんで契約するだけで体に魔結晶ができるんだよ…」
「それはまた学説1と学説2で説が分かれているのですが、ややこしいので簡潔に言いますと、学説1は長年使われ意識が生じるようになった特殊な魔石の付いた魔具と契約を結んだことで魔具の魔石から発せられる魔力粒子が契約により体内に多く送られるようになったため生じたとされ、学説2は魔結晶を模して作られた魔石により属性を持った魔具の魂が契約者の魂に作用し属性を持つ魂に変質させ、その結果魂を通じて体内に魔結晶が生じたとされています」
「そうだったのか…俺の全知全能の力の一部じゃなかったのか…」
「そんなわけないでしょう…それではこれで『メルティクラフト』の概要の説明を終えたいと思います、次は使用するにあたっての説明に入りたいのですが、その前になにか疑問があったら聞いてください」
「そうだなあ………じゃあ意思を持った魔具と生まれつきの属性持ちが契約した場合はどうなるんだ…?」
「魂の契約を結んだ場合は非常に強力な『メルティクラフト』状態になれるでしょうね。ただ先ほども言った通り意思を持つほどの魔具はかなり希少で中々お目にかかれる品ではないですし、仮に手に入れられたとしても強力すぎて扱いきれないため、魂の契約は結ばず、あえて血の契約で済ませる場合が多いらしいです。まあ、血の契約でも十分すぎるほど強力なんですけどね」
「その血の契約とか魂の契約ってのもいまいちよくわかんないんだよな」
「そうですね、契約魔術についてもちゃんと説明した方がよさそうですね。契約魔術というものは要は魂のやりとりなんです。例えば何かしらの道具、魔具とかの武器だけじゃなく包丁とかの調理用具でもいいんですがその道具に宿る魂と魔術的な契約を結ぶことなんです」
「結ぶとどうなるんだ…?」
「契約した道具は魂のラインでつながり己の肉体の一部のように自在に操ることができるようになります。それに伴い技術もより一層素晴らしいものになるんです」
「へえ、いいことづくめじゃないか」
「いえ、もちろんリスクもあります。契約がなされた道具は自分の体の一部のようになるのですが、もし契約を結んだ道具が破壊された場合、契約した人にも被害が及び最悪の場合は死に至ることもあるのです。まあでも契約者の近くにある限りはよっぽどのことでもない限りは壊れたりなんかしませんがね、なにせ魂から発せられる魔力を契約によって受けて強化されているので。しかし遠くにあると契約のラインが短くなり、魔力の供給もしにくくなって壊れやすくなってしまうため、契約者は契約した道具を肌身離さず所持していなければならないんです。そしてここで血の契約と魂の契約の話になるのですけど」
トイレブラシは間を少し置くと話を続け出す。
「まずは血の契約の話から始めましょうか、血の契約とは契約を結ぶ契約者の肉体を媒介にして肉体の中にある魂と間接的にラインをつなぐ方法のことを言います。これが一般的な契約魔術で大抵契約魔術というとこれになります。これはそれほど結びつきが強くないため契約を結んだ道具が仮に破壊されたとしても契約者が死ぬことはほとんどないでしょう、大怪我くらいはするかもしれませんが。問題は次の魂の契約の方ですね」
勇者は黙って話を聞き続けた。
「それで魂の契約の方なんですが、これは魂と魂を直につなげるもので血の契約と違い結びつきは格段に強まりますが、これを結ぶには結ぶ道具の魂が一定以上、すなわち人間と同じくらいなくてはできないんです。魂の契約とはすなわち互いの魂を互いに差し出す魂の取引で、取引をする以上は相手が自分と同じかそれ以上の魂を持つ者でなければ成立しないのです。で、魂の契約を結んだ道具が壊れたら契約者がどうなるかというと…」
「どうなるんだよ…」
トイレブラシの含みを持たせたような物言いに勇者はすかさず聞き返す。
「死にます」
「…それは…ヤバイな………あれ………ちょっと待ってくれ…俺がお前と結んだ契約って…」
勇者は自分とトイレブラシが結んだであろう契約の概要を今更ながら正確に認識し、顔がしだいに青ざめていった、そんな彼にトイレブラシは元気よく答える。
「はい、魂の契約ですよ!」
「そうだよな!? ってことは何か!? 俺はお前と一蓮托生ってことかよ!?」
「そうですね、そうなりますね!」
「何元気に答えてんだよ!? 便所ブラシと生死を共にしなきゃならないなんて聞いてないぞ!?」
「こんな可愛くって最強の聖剣と命を預け合えるなんて素敵だと思いませんか?」
「思わねえよ!? そんなヤバイ契約とっとと解除しろ!!」
「無理ですね」
「なんでだよ!?」
勇者は起き上がると左手にすでに握られているトイレブラシを右手でも握り、まるで首でも絞めるように掴み始めた。
「ゆ、勇者様、く、苦しいです! は、離してください!」
「だったら俺との契約を解除しやがれ!」
「や、やりたくても、できないんですよ! 一度契約を結んだ場合は特殊な事例でもない限り解除は不可能なのです!」
「な、なんだとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…!」
勇者は驚きのあまりトイレブラシを掴んでいた手を離した。
「げほッ、げほッ、もう! 女の子に掴みかかるなんて男性としてやってはいけないことトップテンに食い込む蛮行ですよ!」
「そんなことよりなんで解除ができないんだよ!」
「言ったじゃないですか、魂と結びつきを強めるためにラインを繋ぐって。そして繋がれた道具は契約者にとって体の一部となるって。自分の肉体の一部なんですからそんな都合よく繋いだり切ったりなんて出来ませんよ、契約を結ぶとは生涯をかけてそれを使うと決意した者が行う神聖な行為なんです」
「俺はそんな決意してないぞ!?」
「契約を結ぶ前に同意しますかと聞いたじゃないですか」
「ほとんど契約の内容すっ飛ばしてたじゃないか!? あんなもんほとんど詐欺と変わんねーよ!!! てめえはどんだけ俺をペテンにかければ気がすむんだこの野郎がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「うきゃあああああああああああああああああああああ!!! いたいですうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!??」
勇者は例のごとくトイレブラシを石造りの壁に叩き付けだした。
「痛かったです! とっても傷つきました! なんてことしてくれるんですか!」
「俺の方が傷ついてるんだよ! なんてことしてくれただと! こっちのセリフだ! はぁ~…何が悲しくて便所ブラシと心中契約なんて結ばなきゃならないんだよ…」
事を終えた勇者はまた寝転がりながら文句を言い始めた。
「騙すような形になったことは謝りますが、勇者様のような才能皆無戦闘ド素人の貧弱もやしが激戦を潜り抜けて戦っていくには『メルティクラフト』が必要不可欠なんですよ!」
「誰が才能皆無戦闘ド素人貧弱もやしだってコンチクショウ!!! また壁に叩き付けてやろうか!!!」
「そんなことして私が壊れたりしたら勇者様も間違いなく死んでしまいますよ…?」
「簡単には壊れたりしないっつってただろうが!!!」
「でも絶対に壊れないとは言ってませんよ? このヴァルネヴィアに来てから勇者様には結構虐待されてきましたからね、そろそろ危ないんじゃないかなー。今も叩き付けられちゃったしなぁ」
「ぬぬぬぬぬ…!!!……くッ…わかったよ…やらねーよ…」
勇者は起き上がって再び壁にトイレブラシを叩き付けようとしたが、彼女に言い負け、ベットに寝たままの体勢を維持した。
「それでは他に質問も無いようなので『メルティクラフト』の使用に関する説明に入ります。先ほど言った通り『メルティクラフト』とは複数の魔術と魔具を駆使して『魔族』と同じような肉体になるための技術なんですが、これには応用があるんです」
「応用って…なんだそりゃ…」
「勇者様とイケメンさんが行った『メルティクラフト』は『ファーストクラフト』と呼ばれる『メルティクラフト』における基本形態で、自分の属性の魔結晶と同じ魔石を使った魔具を二つ組み合わせて行うものなんです、この状態でも強力な『魔技』が使えてもちろん強いんですが、常に状況が変化する戦場で自らの戦い方を変化させるために『ファーストクラフト』状態でさらにもう一つ自分とは違う属性の魔具を融合させる『セカンドクラフト』と呼ばれる応用状態になることができるんです。そして『セカンドクラフト』状態の時に使う『魔技』は『ファーストクラフト』の時に使う『魔技』とはまったく別の性質へと変化します」
「へえ、そうなのか。じゃあ『セカンドクラフト』の時にもう一個違う属性の魔具を融合させたらどうなるんだ…?」
「その場合は『サードクラフト』と呼ばれる状態になりますね、この時もファーストやセカンドの時とは違った性質の『魔技』へと変化します」
「なるほど、どんどんくっつけていけるわけだ。ってことはいっぱいくっつけたほうが強い必殺技が撃てるってことか…?」
「そうじゃないんです、使える『魔技』の性質は確かに変化しますがどんな変化を起こすかはわからないんです。『セカンドクラフト』よりも『ファーストクラフト』の方が威力が強力なんてことも多々あるんですよ。ただその代わり『セカンドクラフト』の方が『ファーストクラフト』よりも威力以外の部分で何かしら上回っている部分があるんですが」
「単純にいっぱい組み合わせればいいってわけでもないのか」
「そうなんです、まあ『セカンドクラフト』以上の『メルティクラフト』を操れる属性持ちなんてそうそういませんけどね、扱いがとても難しいので。使い方の応用に関してはこれで終わりになります、それで『メルティクラフト』全体の説明もこれで終わりたいと思うのですが、わかっていただけたでしょうか…?」
「うー……ん……」
トイレブラシによる『メルティクラフト』の説明を受けた勇者は理解しているのか、いないのか、あやふやな返事をトイレブラシに返した。
「どうかしましたか…? なにかわからないことでも…?」
「いや、なんていうか…やたら小難しい説明を延々とされてもなんか伝わりずらいというかなんというか…だいたいなんとなくこんな感じっていうことはわかったんだけど…」
「そうですか…ではかなり大雑把に説明するとですね、『メルティクラフト』というのは自らの肉体を媒介にして二つ以上の魔具を融合させ、超すごい肉体に変身させ、面倒な詠唱をすっ飛ばして強力な技をガンガン使えるようにする技術なんです」
「なるほどな! 完璧に理解したぜ!」
勇者は気持ちのいい笑顔でトイレブラシの大雑把な説明に理解を示した。
「……なんだかそれで理解されてしまうと長々と説明してきた私の立場がないような気がしないでもないですが…でも理解していただけたのならそれでいいです…」
トイレブラシはかなり簡単な説明で勇者の理解が得られたことに複雑そうな声を出すも、気持ちを抑え『メルティクラフト』の説明を終えたが、ここで勇者から疑問の声がかかった。
「だけどさあ便ブラ、メルティなんたらがそんなにすごい技術で肉体を強化するならさあ、なんで俺はあのパツキンとの戦いであそこまで重症負ったんだよ? あいつメルティなんとかを使う前から俺のあばらをへし折りやがったんだぜ!」
「それには二つの理由があります、私と対になった魔具の質が低かったこと、これにより不完全な『メルティクラフト』状態になってしまったからです。そしてもう一つは、あの金髪のイケメンさんが光の属性だったことです」
「そうだ、光の属性! あの時は必死だったから聞けなかったが、なんなんだよその光の属性ってのは!」
「説明しますよもちろん。どのみち『メルティクラフト』の説明が終わったら聞いてもらおうと思っていましたから。この世界には火・水・土・風の四つの他に例外としてあと二つの属性が存在するんですが、その内の一つが光の属性なんです」
「なんで例外なんだ…?」
「光の属性の魔結晶を体内に持つ人がほとんどいないからです、8000年以上続くこのブルグゾン大陸の歴史上でも確認されたのはわずか十数人程度だったんですよ」
「希少な属性ってことなのか…しかし8000年で十数人とか…もはや珍獣だな…」
「そうですね、ですが珍しいというだけではないんです光の属性というものは。属性というのは個々に特徴があるんですよ、火属性ならば強力な攻撃、水属性なら多様な性質変化、土属性ならば堅牢な守り、風属性ならば圧倒的なスピード、といった具合に。しかし光の属性は、火属性以上の攻撃力、水属性以上の多様な性質変化、土属性以上の堅牢な守り、風属性以上の圧倒的なスピード、全てを持っているのです」
「はあッ!? なんだそりゃッ!? 完全に上位互換属性じゃねーか!? 反則だろそんなの!?」
「そうですね、確かに反則的なまでの強さを持った属性です。でも扱いがとても難しいことでも有名なんです。そしてなぜ四つの属性よりも強力なのかも、どのようにしてその属性を持って生まれてくるのかも詳細には理解されておらず、その上境遇なども必ずしもいいとはいえないのですよ。なにせこのブルグゾン大陸では光の属性に生まれた者は、そのことに感謝しそして呪いながら死んでいくとまで言われているんです」
「どういうことだ…?」
「光の属性はとても強力です、身に纏う魔力も他の属性とは比べ物にならないくらいに。ですが強力な力には当然リスクが付きまといます。その膨大な力の制御に失敗した光の属性の持ち主たちはことごとく悲惨な最後を迎えたとか、そしてそれだけでなくただでさえ属性持ちは注目されやすいのに、周りの人間たちからの期待や嫉妬に押しつぶされて精神を病んでしまい殺戮の限りをつくしたものもいたとか…とにかくいい目に合うばかりではないんですよ」
「そんな建前はどうでもいいんだよ! カッコいいかカッコよくないかが重要なんじゃねーか! 光の属性とか明らかに主人公属性じゃん! 勇者の属性じゃん! ってことは俺のための属性じゃんよ! それでさ、俺の属性ってなんだっけ?」
「火属性ですよ」
「やだやだやだやだやだやだやだ! 俺も光の属性がいい! やだやだやだやだやだやだやだ!」
勇者はベットの上で手足をばたつかせ駄々をこね始めた。
「もう、子供じゃないんですからやめてください。それに火属性だって鍛えあげれば十分強力なんですからね!」
「じゃあ鍛え上げた火属性の攻撃と光属性の攻撃、打ち合ったらどっちが強いんだよ?」
「単純に打ち合えば光の属性の勝ちでしょうね」
「ほらな! やっぱりそうだべ! そうなるとやっぱり俺も光の属性がいいんだよ! 『お、お前はまさか!? ひ、光の属性…っだと!?』みたいなことをかませ犬に言ってもらって俺がその雑魚の反応に対して不敵に微笑む展開に持っていきたいの! そしてその雑魚を光の剣みたいなあれで秒殺したいのやりたいの!」
「相変わらずすごい妄想力ですね…でも無理なものは無理です!」
「なんでだよおおおおおおおおおおおお!…うう…」
勇者は寝そべったまま激しく落ち込んだ。
「そんなに落ち込まないでください…ほら、あれですよ! 勇者様は初戦にして最強の属性である光の属性の持ち主と戦って撃退したじゃないですか! 中々できることじゃないですよ! 勇者様すごい!」
「………ふッ…そうだったな…少々ネームバリューに惑わされたが俺はあのパツキンに圧勝していたんだったな…ククク…」
トイレブラシの見え透いたお世辞の言葉に簡単に引っかかった勇者は調子に乗り出した。
「いや…圧勝ではなかったですけど…死にかけましたけど…」
「最強の属性相手に超余裕で勝利をおさめた俺はすなわち超最強…属性に囚われない強さの極みをこの世界の刻み付けてしまったわけだな…」
「あの聞いてますか」
「俺は…強すぎるな…ふふッ」
「…だめだこりゃ…聞いてませんね全然…はぁ」
勇者はトイレブラシの話を無視して自分の世界に入り込むと、ウットリとした表情で自画自賛をし始め、トイレブラシはそれにため息をついた。その後しばらく勇者のナルシスト染みた言葉を聞き流しつつ治まった後で、トイレブラシは最後に例外になる最後の属性の話を切り出した。
「それでは最後に例外になる属性をもう一つ教えますね」
「光の属性の他にもう一つの例外って…もしかして闇の属性か…?」
「その通りです! よくわかりましたね!」
「…そりゃあ光と闇なんてベタベタな属性だからな…ゲームの設定でもよく見るし…それで…?…闇の属性も光の属性と同じで他の四つの属性を上回っているのか…?」
「闇の属性…詳しく説明するとしたら…それは…」
「それは…?」
トイレブラシは間を引っ張るように伸ばすと、衝撃の事実を勇者に告げた。
「正体不明の力です」
「おい!!!」
勇者はトイレブラシの適当な説明に激怒した。
「説明になってねえよ! いくらなんでも適当すぎるだろ! 例外の属性だからって省くなよ!」
「怒らないでくださいよぉ。ちゃんと説明しますからぁ。実はこの闇の属性というのは大昔の伝承から伝えられているもので実際にあるかどうかはわかってないんですよ。あれです、都市伝説みたいな感じの奴なんです、ですから断片的な情報しか知らなくて。光の属性以上に理解されていない伝説の力としか」
「…じゃあその断片的な情報ってのは…?」
「えっとですね、伝承によるとなんでも闇の属性は死者をよみがえらせるとかなんとか…」
「…なんか魔術とかのとんでも能力があるとはいえ…さすがにそれはうさんくさいな…」
「ですよねぇ。死者をよみがえらせるなんていくらなんでもすごすぎますもんね。できるとしたら神にすらなれちゃいますもんね、ですからこれはおとぎ話レベルの属性なんです。勇者様には火・水・土・風・光の五つを覚えておいていただければなんの問題も無いです」
「わかった、メルティなんとかと属性の話は確かに聞いた。じゃあこれで説明は終わりか?」
「はい、お疲れさまでした!」
「じゃあ俺寝るわ。どのみち出られないし話聞いてたら昨日の疲れがぶり返してきやがったから」
「わかりました、ごゆっくりお休みください」
「ああ…それにしても…腹減ったなぁ…」
勇者は腹の虫を鳴らしながらも目を閉じ眠りについた。
「勇者様! 起きてください! 勇者様!」
「…んあ?…なんだよ…まだ眠い…もう少し寝かせろよ…あと汚ねえからやめろ」
左手を操作したトイレブラシは眠っていた勇者の顔にブラシの部分をこすりつけながら起きるように促した。
「誰かがこの牢屋にに近づいてきているみたいなんです! この魔力の感じは多分、アルトラーシャ姫だと思いま…」
「なんだと! ババアが近づいて来てるだと!」
トイレブラシの発言によって眠気が吹き飛んだ勇者は飛び起きると牢屋の前に来るであろう人物を見るべくベットに座ったまま待った、そしてついにその人物は現れた。
「あら勇者様! おはようございます! どうですかご自分のお部屋を手に入れた気分は、そのお顔を見るに、どうやら爽やかな朝を迎えられたようですわね!」
音声を遮断していた魔法陣を外側から解除したアルトラーシャは勇者に微笑みながら挨拶してきた。
「ざけんなババア!!! 豚箱に入れられて爽やかな朝なんて迎えられるわけねえだろうが!!! どうゆうことなのか説明しやがれ!!! この国は牢屋に入るのにも身分証が必要なのかこの野郎!!!」
興奮した勇者は突進するように鉄格子を掴むとアルトラーシャに向かって怒りをぶつけた。
「あら? ですが勇者様は納得してこのお部屋に自分から入ったのではないのですか?」
アルトラーシャはトイレブラシに操作されてこの部屋に入った勇者がなぜ怒っているのか理解が出来なかった。
「あ、あれは、その、あれだ! 疲れてたから文句は後で言いに行こうと思ってたんだよ! それよりなんで牢屋が臭いパンツを頑張って手に入れた俺への報酬なんだよコラ! 嫌がらせか! ああん!!!」
「いえ、そういうわけではないのです。調べたところ肝心の部屋の方がまったく空いていなくて…ああでもご安心ください! 身分証などの各種書類は用意できましたわ!」
「部屋がねえのに身分証とかだけあっても意味ねえだろ!? どうして部屋が空いてないんだよこの城いっぱい部屋があっただろ!?」
「申し訳ありません勇者様、しかしこの城のお部屋は全て先客がいるんですの」
「誰もいないじゃないかこの城!」
「…今は…いませんが…必ず…必ず帰ってきますわ…!…そういうわけですのでワタクシが提供できるお部屋はここくらいしか…」
「ふざけんな! 他にないのかよ! 全然納得できないぞ!」
勇者は右手で掴んだ檻の鉄格子をガタガタと揺らしながら文句を言い始めた、そんな勇者にトイレブラシは制止するように声をかける。
「(落ち着いてください勇者様!)」
「(これが落ち着いていられるか! 納得のできる理由が聞けるまで俺は檻を揺らし続けるぞ!)」
「(お猿さんじゃないんですからやめてください勇者様…これは私の推測ですがこの城に住んでいた人たちは今は多分何かしらの作戦を行っているのではないでしょうか…)」
「(停戦中なのになんの作戦をやってるっていうんだよ!)」
「(停戦中だからこそ今のうちに準備を進めているのではないでしょうか、いつ開戦してもいいように)」
「(…仮にそうだったとしても城にババア一人残すか普通…町にも兵士らしい奴はいなかったし…)」
「(そこら辺はアルトラーシャ姫が教えてくれますよ、帰ってきたら説明してくださると言ってましたし、今はここから出してもらいましょう)」
「(…わかったよ…とりあえずここから出た方がいいっていうのは俺も同意見だし…)」
「おいババア! 全然まったく納得はしてないがとりあえずここから出しやがれ! 話はそれからだ!」
「わかりましたわ。それにしても勇者様すっかりここに馴染んで見えますわ、うふふ」
「嬉しくねえよ!? ケンカ売ってんのか!?」
アルトラーシャにカギを開けてもらった勇者は牢屋の外側に出ることに成功した。
「ったく、ようやく出られたぜ。それで? なんか用事があったからここに来たんだろ? 俺の方の文句はその後に言うから先にそっちの要件を話せよ」
「はい、実はなぜこの城に人がいないのか聞いていただこうと思いまして…」
「なるほどようやく話す気になったわけだな」
「約束でしたので。立ち話もなんですので応接室でお茶でも飲みながらお話しますわ」
「わかった。ああ、あと俺今すごい腹減ってるから何か食わせてくれ」
「わかりましたわ何か食べるものも用意いたします、ではついてきてください」
勇者はアルトラーシャの後について行く形で歩き出した。石造りで出来た壁を見ながら勇者は地下の召喚魔法陣があった場所を思い出していた。
「…もしかしてここも地下なのか…?」
「そうですわ。勇者様もここの地下階段をご自分で降りて来られたのではないのですか?」
「そ、そうだったな。そうだったわ」
勇者とアルトラーシャは地下階段をのぼりきると、城の内部に出た。そしてそのままアルトラーシャに案内された勇者は応接間に入り、柔らかそうなソファーに腰掛けた。
「ふう~、ようやくかび臭い場所から出られたぜ。これで一息つける」
「ワタクシはお茶とお茶菓子の用意をしてきますのでしばらくお待ちくださいませ」
「おっけー」
勇者はくつろいだままアルトラーシャに返事をすると、彼女は扉を手早く開け閉めし、外に出て行った。その後アルトラーシャがいなくなったことを確認したトイレブラシは勇者と会話を始めた。
「いや~やっぱりシャバの空気はおいしいですね勇者様!」
「…やめろよ犯罪者みたいだろーが…」
「それもそうですね、てへへ! それにしても立派な応接間ですねここ!」
「ああ本当にな、ここに住んじゃおうかな俺…」
「流石にそれはだめでしょう」
「…はぁ…そうだな…やっぱりだめだよなぁ…」
「しかしどんな理由で城の人たちはここや都の警備を空けているのですかね」
「さあ、お前はさっき作戦を遂行してるとか言ってたけど…他国に忍び込んで破壊工作…それとも自国の地下かどこかで秘密裏に特殊兵器を開発中とか…でもそれにしたっていくらなんでも町の警備兵とか王様、お妃様まで消えるか普通…明らかにおかしいよなあ」
「そうですね、おっしゃるとおりですね…何かあることはわかっているんですが…そうでなくてはアルトラーシャ姫があんなにも号泣するとは思えませんし…」
「…かと言ってその重要な理由が検討もつかないんじゃどうしようもねえし…結局ババアの説明待ちだな…」
「はい、あれこれ考えても仕方ないですし大人しく待ってましょう」
トイレブラシの言う通り応接間で勇者は待ち、しばらく時間が過ぎた後お盆にティーポットやティーカップ、山積みになった饅頭に似た茶菓子をアルトラーシャが運んできた。それを見た勇者は目を輝かせ、アルトラーシャが紅茶をティーカップに注いだのち、茶菓子を食べていいかと確認を取ると、右手でこれでもかと持てる限り茶菓子を持ち、口に詰め込みだした。
「んん! んまい!!! んぐんぐんぐんぐ」
中身はあんこではなく生クリームをベースにチーズや各種のフルーツが生地につめられ、勇者の味覚を楽しませた、滑らかな舌触りの生地、こってりとしたクリームソースやチーズに酸味の少しきいたフルーツの詰まった茶菓子を勇者は夢中になって頬張り、アルトラーシャはその光景をただ茫然と見つめていた。
「…ずいぶんお腹が空いてらしたんですのね…」
勇者は自分を見るアルトラーシャの視線など気にすることなく、全ての茶菓子を平らげ、口に詰め込んだそれらを、入れてから少し時間が経った生ぬるい紅茶で流し込んだ。
「はぁ~、喰った、喰った!」
勇者は腹をさすりながら満足げにソファーの背もたれに体を預けた。
「ではなぜこの城や町に兵士がいないのか説明してもよろしいでしょうか…?」
「ああうん、腹も満たされたし問題ないぜ」
「それでは聞いてくださいませ…この話は…涙なしには…語れません」
アルトラーシャは涙を目に溜めながら真剣な表情で事の顛末について語りだし、勇者もそれに応えるように真剣な顔で彼女の話を聞こうとした。
「…あれはちょうど各国で停戦協定が結ばれて七日ほど経った、ある晴れた日の出来事でした…想像を絶するような過酷な戦いを繰り返した我が国の兵士たちはまたいつ始まるかもわからない戦いに備え、訓練に励んでいたのです…この国を守る重責を彼らに負わせた我々王族や文官も同じように日々政務や完全なる和平のための敵国との交渉などに没頭していました、こんな酷い戦争をできるだけ早く終わらせるために」
「そうなのか、大変だったんだな」
「ええ、しかしこちらの思惑通りにいかないのが世の常というものですわ…交渉はなかなかうまく進まず、停戦わずか一か月ほどで開戦の空気が漂い、兵士たちの緊張もピークに達し始めました…ですがこのまま戦いを繰り返しても我が国の兵士や王族たちは疲弊していくばかり…ですから我々王族や兵士らはある決意を固めました」
「決意って…もしかしてそれがこの国に兵士や王様がいない理由につながるのか…?」
「その通りですわ勇者様。いつ戦争が始まってもいいように決意のもと、とある計画を立てました、その名もプロジェクト『ブルーシー』」
「プロジェクト『ブルーシー』…か…」
「(勇者様、たぶんそれが開戦に備えての破壊工作かこの国を守るための秘密の防御策ですよきっと!)」
「(どうやらそうみたいだな…いったいどんな作戦なんだろうな…マジで見当もつかないぜ…この国の兵士全員と王族でいったいなにを…)」
勇者は考えてみたがやはりわからず計画の詳細を聞くために再びアルトラーシャの話に耳を傾ける。
「素晴らしい計画だったのですが…このプロジェクト『ブルーシー』を行うには誰か一人がこの城にとどまらなければいけなかったのです…そしてその役目にワタクシが選ばれた…」
「それは重要な役目なのか…?」
「とても重要な役目ですわ…出来うるならばワタクシも『ブルーシー』に参加したかったのですが…この役目を全うするべく城に残りました…」
「そうか、それでその作戦の最中に俺がこの国にやってきたってことか…」
「そうですわ、誰もいないと思っていたら貴方が現れたのでそれでワタクシびっくりしてしまったのです、で、出会い方も…その…衝撃的でしたし…」
乙女のように恥ずかしそうにするおばさんに対して勇者は顔をしかめ、激怒する。
「おいやめろ気色わりぃんだよババア!? そんなことどうでもいいから早く続きを話せ!」
アルトラーシャは顔を赤くしながら、身をよじりだし、勇者は吐き気を催した。
「そうですわね、真剣なお話の最中でしたわね。それで肝心のプロジェクトに関してのお話なのですが」
「ああ、肝心なのはそこだよな。どういうものなんだその『ブルーシー』っていうのは」
「ワタクシが参加出来なかったプロジェクト『ブルーシー』それは…」
アルトラーシャは口を堅く結び、言いよどんだ、うつむく彼女の表情は暗く沈んでいた。アルトラーシャはそれ以上動かず、それを見た勇者はつらそうな彼女にどう話しかければいいのかわからずトイレブラシに打開案を求め話しかける。
「(…なあ、便ブラ、ババアの動きが止まってしまったんだけど…どうすればいいのかな…)」
「(余程つらい作戦だったのでしょう…彼女の様子を察するにその作戦に参加出来なかったことを悔やんでいるのでしょうね…『ブルーシー』という言葉が意味するのは多分青い海、つまり海に関する魔術的な作戦と思われます…それも帰って来れるかわからないほど過酷な作戦なんだと思います…きっと帰ってくると、涙ながらにそう信じなければいけないような)」
「(…命を賭けた作戦ってことかよ…それも城の奴らを総動員しなければならないくらいの………ババアは一人残されたんだな…政務なんかも全部一人でやって…そしていつ帰ってくるか、いや帰ってくるかどうかもわからない奴らを一人で待ち続けなければならないんだ………俺、本当に何も知らなかったんだな…)」
「(無知を恥じる必要はありませんよ勇者様、人は誰しも無知なもの。問題は知った後どうするかです、それを知った今の貴方はどうしたいのですか…?)」
「(…俺が今できることか…フッ…そうだな…お前の言う通りだな…)」
勇者は薄く笑うとソファーから立ち上がり、うつむくアルトラーシャの肩に手を置いた。その行為に驚いたアルトラーシャは思わず顔をあげ勇者を見た、そんな彼女に勇者は笑顔で言う。
「安心しろババア! この天才がすぐにでも戦争を終わらせてやる! だから計画の続きを教えてくれ、彼らの想いを無駄にしないためにもその計画の情報は必要だ!」
「…勇者様…わかりましたわ…貴方も今はこの国の戦士…聞く義務がありますものね…申し訳ありませんでした、つい悲しみのあまり目を背けそうになってしまいました…ですが貴方の言葉で目が覚めましたわ…いつまでも引きづっていては仕方がありませんものね…ありがとうございます勇者様…貴方の言葉、胸に響きましたわ」
「気にすんなって! それより話せそうか?」
「ええ、大丈夫ですわ、遅くなって申し訳ありませんが聞いてください。プロジェクト『ブルーシー』それは城の兵士や王族たちで海に…」
(便ブラの言う通り海で行う作戦かやっぱり…となると…どういう手で敵国を攻撃する作戦なんだろうか…魔術で行う攻撃…つっても俺魔術あんま詳しくないしなあ…城の奴らの命を捧げて行うような魔術なんだからとんでもないやつなんだろうけど…)
勇者は計画を頭の中で考えたがいまいちよくわからず、アルトラーシャの説明を待った。
「海に…海に…海にィ…」
「うんうん、つらいんだよな、わかるわかる。それで海に?」
「う、う、う、海にィィィィ…」
アルトラーシャは悔しそうに涙を流しながら勇者に衝撃的な一言を放った。
「海に遊びに行ったんです」
「そうかそれはつら…い………え………………ごめん…ちょっと聞き取れなかったもう一回お願いしてもいい?」
「に、二度も言わせないでくださいませ、ワタクシ、ショックで…」
「俺もちょっと今軽くショックを受けちゃってさ…もう一回だけでいいんだ頼むよ」
勇者は顔を引きつらせながらアルトラーシャに再び問いかける、兵士や王族がどこに何をしに行ったのかを。
「こ、今度こそ、ちゃんと聞いてくださいませ…うう…みんなは、う、海に遊びに行ったのですわ!」
勇者は眉間にしわを寄せながら口を開け固まった。
「……………うう…どうか…なさいましたか…勇者様」
動かなくなった勇者に対して涙を流しながら話しかけたアルトラーシャだったが、勇者は一向に動かずしばらくしたのちようやく動きだし、アルトラーシャに再度確認の質問を矢継ぎ早に浴びせだした。その際の勇者の顔は表情がなく、さながら赤毛の状態と同じような能面のような顔をしていた。
「…なあババア…一つ確認したいんだけどさ…」
「はい、なんでしょうか…」
「戦争してるんだよな?」
「はい、凄惨な戦いの最中ですわ」
「ってことはさ…戦争中に海に遊びに行ったの?」
「はい」
「………戦時中に町や城をほっぽりだして兵士や王族で海に遊びに行ったのか?」
「はい」
「………戦争を終わらせるために敵国に対して行う魔術攻撃を準備する作戦じゃないの?」
「いえ、どうせ戦争が始まってしまうのなら停戦中にみんなでバカンスに行こうという話が出まして、それがプロジェクト『ブルーシー』という、まあ言うなれば旅行の計画ですわ」
「………泣いてた理由を教えてくれる…?」
「ワタクシだけ一人じゃんけんで負けてしまって…うう…オニューの水着も買ったのに、それなのにィ…城に誰もいないのでは郵便物とかの受け取りが出来なくなってしまうからと…この城にいなくてはならなかったのです、う、うわああああああああああああああああああああああああああああああん!!」
アルトラーシャは泣き出したが、勇者は構わず質問を続ける。
「…そ、それじゃあ…じゅ、重要な役目っていうのは…」
「…ええ、お留守番のことですわ…グスン…」
勇者はショックのあまり右手で顔を覆い、現実逃避をしようとしたその時だった、廊下から大勢の人の足音が聞こえ思わず扉の方を凝視する。すると、扉が豪快に音をたてて開かれ、アロハシャツに半ズボンを着て、サングラスをかけ、青色の短髪にカールしたもみあげが特徴の壮年の男性が姿を現した。そしてその男性は扉を開けてすぐにアルトラーシャに声をかけた。
「ただいまアルちゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!」
「お父様!」
「お父様!?」
(嘘だろ!? ババアより若く見えるぞ!?)
開口一番にアルトラーシャを愛称で呼んだ人物にアルトラーシャは立ち上がり応え、その人物の正体を呼び、勇者もそれにつられてアルトラーシャの言葉をオウム返しするように驚きの声をあげる。呆気にとられる勇者に構う事なく二人は駆け出すと、固く抱き合った。
「どうしてこんなに早く戻られたのですか!? 帰ってくるのはもう少し後では!?」
「アルちゃんのことが急に心配になってしまってね、 どうだい? 一人でお留守番できたかい?」
「………うう…バカバカバカ! わ、ワタクシ頑張ったんですの! 怖くても一人で頑張ったんですの!」
「そうか、そうか、よちよちよち、いい子だったんだね」
父親の胸を可愛らしくポカポカと握りこぶしで叩きながら涙を流すアルトラーシャとそれを赤ちゃん言葉でなだめるオヤジを見た、勇者は心の中で思った。
(気持ちわりぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい)
二人はひとしきり抱き合った後抱擁をを解いた、そしてアルトラーシャが父親と呼んだ人物が勇者に視線を向けてきた。
「…ところでアルちゃん、そのソファーに座っている方はどなたかな…?」
「この方は異世界からいらっしゃった勇者様ですわ、戦争に参加して一緒に戦ってくれるそうです」
「何!? 勇者様だって!? これは失礼した! 私はこの国の国王で名はバルンスという、厳しい戦いになると思うが、どうかよろしく頼む! 異世界の勇者よ!」
「え、ええ、ああ、はい、よろしくお願いします」
ソファーに座る勇者に近づき、握手を求めてきた国王に対して勇者は立ち上がり固く握手を交わした。
「いや~、てっきり私はアルちゃんの彼氏かと思ってしまったよ!」
(ねーよ)
勇者は心の中で即座に否定した。
「いやですわお父様ったら! そ、それにわ、ワタクシにはあの方が…」
「なんだって!? あの方とは誰なんだ!? お父さん許しませんよ!」
「無理ですわ! 例えお父様といえどもワタクシの恋の炎を遮ることなど出来ませんし、許しません! あのお方のためなら…ワタクシ…うふふ…」
「あ、アルちゃんが、アルちゃんが雌の顔をしている!? そ、そんな!? 私のアルちゃんが遠くにいってしまう…うわああああああああああああああああああああああ!!」
(うぜえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ)
恋する乙女の顔になった五十代後半のおばさんとそれを見て泣き出したオヤジを見て勇者は心の中で声にならない叫び声をあげる、その後いつまで経っても状況が変わらなかったため、勇者は王に声をかけた。
「あのぉ…いいっすかちょっと…」
「うう、なにかね…」
「…旅行に行ってたってマジッすか…?」
「ああマジだが」
「…じゃあ他の人たち全員今戻ってきたんすか…?」
「いや、家内はスキューバダイビングにはまってしまってしばらく戻りたくないそうだ、だが兵士たちは全員連れて戻ってきたぞ、気になるのなら確認してくるといい…私はしばらく立ち直れそうにない…」
「…そうっすか…」
桃色の空気を発するアルトラーシャと、床に手をついて絶望するバルンス王をその場に残し、廊下に出るべく扉を開き、応接間を後にした。
「…なんだこれは…」
歩きながらも先ほどからすれ違う兵士とおぼしき人物たちを横目で見た勇者はあきれたように声を出した、王様が着ていたアロハシャツと同じものの上から胸当てなどの鎧を付けた兵士たちは皆とても楽しそうに談笑しながら廊下を歩いていた、まるで戦争のことなど頭にないかのように。
「…空が…青いな…便ブラ」
「…そう…ですね…」
城の中をしばらく見て回っていた勇者だったが、どこを見ても能天気そうなアロハシャツ集団しか見えず、なんともいえない気分になった彼は現在中庭の芝生の上に寝転び空を見上げていた。
「…特殊な作戦でもなんでもなかったな…」
「…そう…でしたね…」
空を眺めながらしばらく呆けていた勇者だったが、不意に立ち上がると口から空気を思いきり吸い込み、そして空に向かって叫ぶ。
「なんなんだよこの国はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
勇者の絶叫が空に虚しく響いた。




