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ミステイクファンタジー  作者: 鈴木拓郎
16/42

15話

 先ほどまでの黒髪の勇者とはまるで別人とも言えるほどに変身した赤い髪の勇者は虚ろな表情のまま魔獣が激突し崩れた岩山の残骸を静かに見つめていた、そしてそんな外部が大幅に変わった彼の内部では、ある人格が黒い剣に映った髪や顔を静かに見つめ、この変身について納得しながらも複雑な心境を抱いていた。

(…そう…ですよね…まあ…こうなっちゃいますよね…なんだか複雑な気分です…でもなんとか『メルティクラフト』は成功できた…やはり私の推測通り学説その2が正しかったようですね…とりあえず今はそのことは置いておいて、勇者様を起こさなくては)

「(勇者様! 目を覚ましてください!)」

 最初に目を覚ましたのはいなくなったはずのトイレブラシだったが、どういうわけか彼女の意思は勇者の体の内部に残り今も残留し続けており、同じ肉体に宿りながらもまだ目覚めていない勇者の意識に声を出さず呼びかけた。

「(勇者様ってば! 早く起きてください! まだ戦いは終わってませんよ!)」

 一度では起きなかった勇者だったがトイレブラシに何度となく呼びかけられついに目を覚ました。

「(…んん…なん…だ…何が…おき…たんだ…)」

「(あ、意識がはっきりしてきましたね! よかったです!)」

「(便…ブラ…か…確か…俺は…犬っころ…に踏みつぶされそうになって…それで…)」

 安堵したトイレブラシの声を聞いた勇者は、何があったのかをまだ完全にはハッキリしていない意識の中懸命に思い出そうとした。

「(…そっから先…がわからないんだけど…何が起こった…ってなんだコレ!? 誰だコレ!?)」

 勇者は左手に持った剣に映った自らの顔を見て驚きのあまり上擦った声を出した。

「(勇者様ですよ)」

「(は!? 俺!? え!? この剣に映ってんの俺なの!?)」

「(はい勇者様です)」

「(いやそんなバカなことが…)」

「(体を動かして確認してみてください)」

 言われた通り体を動かした勇者は納得せざるを得なかった、彼は自らの意思でその別人としか思えない体を自由自在に動かせることを確認してしまった。

「(…マジかよ…嘘だろ…これが…俺なのか…整形なんてレベルじゃねーぞ…)」 

 頭を悩ませながらも何が起こったのかまるで理解できない勇者は、トイレブラシにどういうことなのかを問いつめた。

「(おい便ブラ! 何がどうしてこうなったんだよ! 完全に別人じゃねーか! 俺のハンサムでイケメンで美少年の体はどこいった!)」

「(ハンサムでイケメンで美少年の体がどこに行ったのかは知りませんが、勇者様の体でしたら別にどこにもいってませんよ、今はある術式でただ少し体の作りが変化しているだけです)」

「(少しなんてレベルじゃねーだろ! だいたいなんだその術式ってのは!)」

「(説明したいところなんですが、やはり長くなると思うので町に戻ってからにしましょう。それに心配しないでください、術を解けば勇者様の前の肉体に戻りますから)」

「(…それは本当だな…?)」

「(はい、誓って本当です。それより今は体に何か不具合がないか確かめてください)」

「(不具合って言われてもなあ、特に異常はな…いや!? おい顔の筋肉が動かないぞ!?)」

 腕や足などを動かしながら動作の確認をしていた勇者だったが、剣に反射する能面のような不気味な無表情を不快に思い顔の表情を変えようとしたときに異常に気付く。

「(…本当ですね…まったく動きませんね顔…)」

「(つーかそれだけじゃねえぞ!? 今更ながら気づいたが声が出ねえ!?)」

「(…いやあ…何かしら不具合が出るとは思っていたんですが…こんな形で出るとは…)」

「(どういうことだ!? なんで顔が動かない上に声まで出ないんだよ!?)」

「(おそらく勇者様と私の魂が融合した結果、拒絶反応をおこしているためと思われます)」

「(ちょっと待てよ!? 融合!? 今お前融合っつったよな!? 俺とお前今融合してんの!?)」

 勇者は声が出せないことに驚き、トイレブラシに説明を求めたが彼女の発した融合という言葉にさらに驚くはめになった。

「(そうです、後で必ず説明しますけれど、痛覚などの主要な感覚は依然として勇者様が感じますが、勇者様と私の魂は今溶けかかった状態でまじわっているんですよ。無断でやったことには謝罪します、すみませんでした。ですが先ほどの魔獣の攻撃から勇者様を守るためにはこの方法しかなかったんです)」

「(…確かにあのワン公の攻撃は防げたけど…でもなんで拒絶反応なんておきてんだよ…?)」

「(ああそれは勇者様の魂が能無しで、超強力な魔力を有する私のハイスペックな魂と釣り合わな…)」

「(あんだとおおお!? なんつったコラ!?)」

「(い、いえ間違いました…ちょっとだけ魂の相性が良くなかっただけだと思いますはい)」

「(なるほど、それなら確かに納得できるな! 便所ブラシ如きがこの天才の魂と釣り合えるはずがないものな! ぬはははははは!)」

 勇者は機嫌がよさそうに声を出さないで笑い始めた、だがそれを遮るように先ほど魔獣が激突しそのまま下敷きにするように崩れた土砂が盛り上がり動き始めた、それは勇者とトイレブラシに魔獣の生存を思わせた。

「(お、おい! まだ生きてるんじゃないかあの犬っころ! どうするよ!)」

「(落ち着いてください。まだ姿を現したわけではないですし、ここから魔獣までの距離は結構ありますから今なら逃げら…)」

 トイレブラシが言い終える前に土砂を吹き飛ばした魔獣が微かな物音を頼りに一足飛びで勇者の目の前に現れた。

「(…れそうもありませんね…やはり戦うしかなさそうです…)」

「(のわああああああああああああああああああああ!!?? 出やがったぁあああああ!!??)」

「(剣を構えてください勇者様! ここで倒します!)」

「(いや、でも重くて振れないと思うんだけど…)」

「(大丈夫です! 後でこれも説明しますが、その黒い大剣は今、勇者様の体の一部のようになっているんです、自由自在に動かせるはず! 加えて今の勇者様は身体能力や反射神経、動体視力、肉体強度、保有魔力などその他もろもろがさっきとは比べ物にならないくらい跳ねあがっています! 左手だけで大剣を持ちあげてみてください!)」

 勇者はトイレブラシに言われた通りに黒く変色した大剣を左手だけで持ち上げて見た、すると彼女の言う通り剣は難なく持ち上がり、思い通りに振り回すことができた。

「(お、本当だ!)」

「(それでは今度こそ構えてください今にも飛びかかってきそうなので!)」

「(よよよよよ、よし。やややや、やってやろうじゃねえか!)」

 土で汚れた黒い体毛を立てて見えない敵を威嚇する黒狼に対してトイレブラシの指示した通り剣を構えた勇者は10メートルほど離れた正面の魔獣を迎え撃とうとおびえながらも気合を入れたその時だった。

「「((え…?))」」

 勇者とトイレブラシは呆気にとられたような声を同時に出した。

 それは光の塊だった、ただし大地を照らす太陽の光ではなかった。正面の魔獣に集中していたにもかかわらず空に目がいってしまうほどに、太陽すらも凌駕する強大な黄金の輝きを上空に捉えたために出た両者の驚きの声はさらに大きな驚愕に上塗りされる。

「ァギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!??」

 上空から轟音を立てながら光の塊が魔獣の頭部に突き刺さるように落下した、一瞬の出来事ながらそれは雷光で出来た槍のようだった、と勇者は思い、魔獣の絶叫を聞きながらあまりのまぶしさに目をつむった。その後勇者は数分ほど目を開けられず、落雷の轟音にも似た音をを間近で聞いた耳も同じくしびれて働かなかった。

「(勇者様、怪我はないですよね…?)」

「(あ、ああうん、大丈夫だけど…なんだったんだ…あの光は………あれ…?…おい…あそこ…)」

「(はい、わかってます)」

 体感時間にしておよそ三分、時間が経ったのち、つむった目を開けた勇者は先ほどまではいなかった人物をその目で捉えた、肉が焼けこげるような臭いと共に煙を噴き出しながら体を横たえるようにして死亡した魔獣の頭部の上で立ちながらこちらに向かって鋭い視線を向ける人物を。

「(これは推測ですが…あの魔獣に傷を負わせ、目を潰したのは、おそらくあの人でしょう…)」

「(あいつがか!?)」

「(ええ…魔獣が今受けた傷と先ほど負っていた傷の二つがよく似ています)」

 魔獣に傷を負わせ、今まさに殺害した人物を勇者とトイレブラシは見つめた、戦闘を行っていたからなのか全体的に見て体中が傷つき汚れていたがそれでも気品ある雰囲気を青年は漂わせていた。簡素な装備ながらも薄い青色の服の上につけられた銀色の胸当てや手甲は立派なつくりになっており安物とは思えない輝きを放ち、右手と左手に一本ずつ握られた二メートル程の黄金の槍はそれぞれが違ったデザインをしていた、左手に握られていた槍は黒を基調としながらも金の飾りが施され、右手に握られていた槍は左手に握られていたそれと比べると黒色はなくほとんどすべてがくすんだ金色で長さも若干短めであった。そして魔石が取り付けられたその武器は間違いなく魔具であることを勇者に確信させた。

「(魔獣のことは…まあそれはそれとして、しかしながら…これは…すごい美男子…っというか男の人なんでしょうかこれほんとに…)」

「(ふん、まあまあだな! 俺には劣るが、そこそこってところか。ま、多少顔が良くても俺のような本物の美少年には到底敵うはずもないがな!)」

「(ハハハ、ナイスジョーク!)」

「(んだとてめえゴラ!!!)」

 特徴は装備だけではなかった、勇者とトイレブラシが見とれてしまうほどにその青年は美しかった。右耳につけられた鎖につながれた小指台の十字架の形をしたイヤリング、吸い込まれるようなコバルトブルーの瞳、兜をかぶらず露出した頭部の金色の髪は肩にかからない程度のショートヘアーで前髪は目にかからない程度に伸び陽光を浴びたそれは槍よりもハッキリとした黄金の光を反射させていた。その上肌の色は今の勇者と同じかそれ以上に透き通った白であり、女性かと錯覚させる程に整った中世的な顔立ちと合わせて、細身ながらもしっかりとした体格や180センチメートルを超えるであろう長身でなければ勇者とトイレブラシは女性だと一方的に思い込んでいただろうと彼らに密かに思わせた。両者が青年に見とれる中、当の青年は鋭い視線をこちらに向けながら魔獣の頭部から飛び降り、地面に降り立つ。魔獣から降りたためか、先ほどは気づかなかったがその青年の胸当てに描かれた青く輝く魔法陣に勇者は気が付いた。

(なんだあの青い魔法陣…おしゃれか何かか…?)

「(勇者様、警戒はまだ解かないでくださいね!)」

「(え? あ、ああ、わかってる、敵かもしれないってんだろ)」

 勇者は青年の行動を赤い瞳で注意深く観察し、青年も同じように青い瞳で勇者を見つめていた。風が吹き、対照的とも言える燃えるように逆立った勇者の真紅の髪と青年の枝毛一つない黄金の髪の両方を揺らした。睨み合いの中先に動いたのは青年の方だった、口を開き勇者に向かって声をかける。

「僕の名はレオンニール・ヘル・シュライゼン。アイオンレーデ国に所属する騎士だ。無礼を承知の上で一つ、いや何よりもまず最初に聞かねばならないことがある」

「(…おい便ブラ…何言ってるかわからないんだけど…)」

「(…言語翻訳の方もおかしくなってしまったようですね…私の方も彼が何を言っているのか全然わかりません…)」

「この『呪界』を展開させているのは貴様か!!! 答えてもらおう!!!」

 レオンニールと名乗った青年は勇者に向かって話しかけ始めたが、今の勇者には彼が何を言っているのか理解できず、この世界出身であるはずのトイレブラシですらそれに引きづられていた、だがそんなことを知るはずもないレオンニールは問い詰めるようなキツイ口調で右手の槍を天に向かって突きあげながら質問の言葉を投げかけてきた。

「(何言ってるかのかはさっぱりわからないんだけどさ…なんか怒ってるっぽくないか…?)」

「(そうですね…そんな感じに見えますね…)」

「(つってもさあ、何て言ってるのかわからないんじゃどうしてあいつが怒ってるのかもわからんし…どうしようもな…んん…!?…な、なんだ…耳が…)」

「(ほ、ホントですね…テレビの砂嵐のような音が…耳に…)」

「(な、なんとかならないのかコレ…ぐうう…)」

「(で、でも…おさまってきましたよ…だいぶ…)」

「(おお、マジだ。おさまってきたな…あれ…なんか…急にあいつの…言ってることが聞こえ始めてきたぞ…どうゆうことだこれ…)」

「(確かに…聞こえ始めましたね…)」  

 同じ体に同居する勇者とトイレブラシの耳に急にノイズのような大きな音が聞こえてきた、だがそれもおさまり始めたその時に勇者とトイレブラシの耳にレオンニールの声が聞こえてきた、そしてそんな彼らにレオンニールは語気を強めながら話を続けてきた。

「どうした! なぜ何も答えない! まさかこの『呪界』の中にいてそれほどの魔力を放ちながら無関係を装うつもりか! 僕は使命を帯びてここにいる、悪いが黙秘は許さない! こちらに残された時間はあとわずか、たとえどのような事情があろうとも答えてもらうぞ! もし、それでも答えないというのなら、力づくでも!!!」

 天に向けていた槍を勇者に向かって突き付けてきたレオンニールは最後通告を告げる。

「(…便ブラ…あいつが今言った言葉…俺の聞き間違いかもしれないからさ…ちょっと復唱してみてくれないかな…)」

「(…いいんですか…?)」

 トイレブラシはためらった。

「(ああ、構わない)」

「(…わかりました…)」

 勇者とトイレブラシはノイズがおさまった後に言語翻訳が一時的に戻った、が再び小さなノイズが耳にはしるとまた何を言っているのかわからなくなった。しかし一時的に聞こえるようになったその時、勇者とトイレブラシは確かにレオンニールの言葉を聞いた。だがそれは明らかに何かが違っていたのだった。

「(では言います…最初に言っときますけど私に怒ったりはしないでくださいね…?)」

「(わかってるよもちろん、わかってるとも…!)」

 勇者は心の中で強烈な怒りの炎を燃やし始めた。

「(…それでは今度こそ…『お前の顔が生理的に受け付けない、童貞とキモオタを超雑に融合したような顔しやがって! 見ているだけで気が滅入りそうだ、顔だけじゃなくて体も貧相だぜ。きっとお前の股間の四分の一カットされたヒノキの棒では女も満足させられないだろうよ、いやそれ以前にお前では女が寄ってこないか! 言っとくがこの国の女は全て俺様がいただくぜ、それが嫌ならかかってこい、この顔面偏差値ド底辺野郎が!!!』…って私には聞こえましたが…)」

 魂のスペックの合わない勇者とトイレブラシの『メルティクラフト』の弊害による狂った言語翻訳によりレオンニールの使命を全うしようとする決意の言葉は品の無い罵詈雑言に成り下がって勇者とトイレブラシに聞こえた。

「(…やっぱりか…俺にもそう聞こえたんだよ…ククク…クフフ…アーハッハッハッハッハッハ!!!)」

「(ゆ、勇者様…?…あのぉ…だいじょぶですか…?)」

 突然勇者は心の中で笑い声をあげ、トイレブラシは笑い続ける勇者を心配した。

「(ククク…初めてだよ…この俺を初対面でここまで怒らせたおバカさんは…かかってこいだと…?…上等だよ…覚悟はできてるんだろうなこの野郎がああああああああああああああ!!!!!)」

 勇者は左手の剣をレオンニールに向けて突きつけた。勇者とレオンニール、20メートルの距離の間を互いの得物が相手を捉え緊迫した空気が場に漂い始めた。

「(やるぞ便ブラ!!! あの野郎をぶちのめす!!!)」

「(ええ!? 戦うんですか!? ちょっと冷静になってくださいよ!? 戦うってことはあの人を殺傷するってことですよ!? わかってますか!?)」

「(安心しろ殺さない程度に手加減してやんぜ! ただしあの顔面はもう使い物にならなくなるだろうがな!)」

「(なんで上から目線なんですか!? あの巨大な魔獣を倒してしまった相手なんですよ!? あのイケメンさんも見た感じ消耗してるみたいですけど、それでも圧倒的にこっちが不利です!!!)」

「(うるさいここまでコケにされて黙ってられるかよ!!! それにあいつだって槍をこっちに向けてきてんだから敵だろ!!! あれだよ多分ウルハ国と戦争してる相手国の奴だ間違いない!!! なにせあのパツキンこの国の女は俺がいただくとかほざきやがったからな!!! させるかよまだ一人として出会ってないけどこの国の美少女は俺様のものだ誰にも渡すか!!! いつ開戦するかもわからんけど、どのみちいつか戦うことになるんなら今のうちに潰したる!!! っというわけだくたばれこのカスがああああああああああああああああああああああああああああああ!!!)」

「(勇者様!? 待ってくださいってば!? もしかしたらあの金髪のイケメンさんの属性は…って聞いてくださいってばあああああああああああああああ!?)」

 トイレブラシの制止を振り切り勇者はレオンニールに向かって一直線に駆け出した。剣を携えながら自らの方に向かってきた勇者にレオンニールは小さくため息をつくと勇者を正面に見据えながら左手に持った黒金の槍に対して声を出さず念じるように話しかけ始めた。

「(シーナ、どうやらやるしかないようだ。使うつもりはないが『メルティクラフト』はあと何回使えそうかな?)」

「(あと一回なら使えるよレオン! でもここまで来る途中に魔獣といっぱい戦っちゃったから魔力はあんまり使えないよ! 気をつけて、魔力がなくなっちゃったら…)」

「(ああ、わかってる。ようやく見つけた手がかりだ、何としても捕らえる! 連戦続きで悪いが力を貸してくれ、シーナ!)」

「(うん!)」

 槍から発せられる少女というより童女に近い愛らしい声と脳内で会話を終えたレオンニールは腰を落としながら二本の槍を勇者に向けて構え臨戦態勢を整え、迎撃に備えた。レオンニールとシーナと呼ばれた黒金の槍が会話を終えるのとほぼ同じ時に、心の中で叫びながら駆け込んできた勇者の両手で振りあげた剣がレオンニールの頭上を捉え、振り下ろされた。

「(俺様の剣をくらえパツキン!!! おらあああああああああああああああああああッ!!!)」

 がレオンニールはまるで何でもないかのそれを右手で掲げた槍の腹で受け止めた。

「(な、なんだとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!? こ、この天才の剣を受け止めただとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!? おのれええええええええええ!!! ぐぐぐぐぐぐぐぐぐううううううう!!!)」

 つばぜり合いの中、ガリガリと金属が擦れあうような音を立てながら槍を抑え込むようにして両手で剣に体重をかけてそのまま押し込めようとした勇者だったが、いくら力を込めてもレオンニールが掲げる槍を動かすことはできなかった。

「(ッ!? 勇者様さがってくださいッ!?)」

「(何言ってんだこれからだろうが、って、うぼあッ!?)」

 トイレブラシはレオンニールの左手に握られた槍が勇者の足を狙って構えられるのを察知すると、足に槍が突きたてられる寸前に勇者の体を強制的に動かし後方へと飛び退かせた。だが完全には回避できず、風のように鋭い刺突が勇者の学生服のズボンごと右ふくらはぎの側面を抉り、乾いた大地に赤い雫が流れ、赤黒い染みをつくった。

「(いってええええええええええええええええ!!?? くっそやりやがったな!!!)」

 勇者とレオンニールは距離をあけ再び睨み合い始めた、互いの出方を窺うように。

(通常の状態で『メルティクラフト』状態の勇者様の肉体に傷をつけるなんて、あの槍は間違いなく魔具の中でも一級品。そしてそれを振るうあの金髪のイケメンさんの腕も確かだ、分が悪すぎます。私は武人ではないけれど、素人の勇者様とあのイケメンさんの技量の差は明らかだ…それにあの槍の中央に埋め込まれた魔石の色…先ほどの雷光…やはりこの人の属性は…)

 黒金の槍と金一色の槍のちょうど真ん中に埋め込まれた白い魔石を見ながらトイレブラシは自身の推測がほぼ間違いない事を確信した。

(だとしたら…最悪だ…ただでさえ初めての『メルティクラフト』だっていうのに…これなら黒狼の魔獣と戦っていた方が余程マシだったかもしれない…どういうわけかは知らないけれどあのイケメンさんは勇者様を捕らえようとしている…隙だらけの胴ではなくわざわざ足を狙ってきたのがその証拠…逃げられればそれに越したことはないけど、この人の属性を考えれば逃げることなど到底不可能…背中を見せれば即座に距離を詰められお終いだ…戦うしかない…でも…希望がまったくないわけじゃない…あの胸の魔法陣…私の記憶が間違っていなければあの紋様…もしそうなら魔法陣の輝きが消えるまで持ちこたえられれば…)

「(勇者様! 私もお手伝いします! 今からこの状態でしか使えないとっておきの技をやるので驚かないでくださいね!)」

「(とっておきの技だと!? そんなことできるのか!? よしきたかましてやれ!)」 

 レオンニールの胸当てに描かれた青く光る魔法陣を見て希望を見出したトイレブラシは戦うことを決め、勇者に声をかけ、勇者もそれに応え、片手で構えていた剣を両手で握って前方のレオンニールに向けた。

「(いきますよッ!!! はあああああああッ!!!)」

「(やったれ!!!)」

 気合の掛け声と共に左手に埋め込まれた赤い魔石が輝くと、剣の黒い刀身がオレンジ色の炎に包まれ、燃え上がった。

「(おおッ!!! かっけえ!!! ファイアー!!! これであのいけすかない野郎をこんがり焼くわけだな!!!)」

(…だめだ…こんなものでは『魔技』とは到底言えない…素材に使った大剣ではやっぱり質が低すぎたみたいです…しかしそれでもやる以外に選択肢はない…)

 喜んだ勇者とは違い、思った効果を出せなかったトイレブラシは落ち込んだがそれでもすぐに気持ちを立て直した。勇者とトイレブラシ、互いの心中が乖離する中、レオンニールは燃え上がった剣を見つめながら考察を開始した。

(…属性は火属性か…あの左手に埋め込まれた魔石を見るに、間違いなくあの赤毛の剣士は『メルティクラフト』状態だ…だが…あの剣を燃え上がらせるのが『魔技』なのか…?…それにしては威力が心もとなさすぎる…手を抜いているのか…一見隙だらけに見えるあの構えといい…読めない…いや…違うな…僕が本当に恐れているのはそれじゃない…)

 レオンニールは一呼吸置くと心の中を整理しながら構えた槍を強く握りしめた。

(なんという莫大なまでの魔力量…信じられない…これが人の発する魔力なのか…『メルティクラフト』で魔力量が増幅していることを考慮に入れてもあの魔力は異常だ…肌にビリビリと伝わってくる…それでも…だとしても引くわけにはいかない…!!!)

 勇者から発せられる膨大な魔力を肌に感じ戦慄したレオンニールだったが、自らを奮い立たせた。金色の髪の騎士は地面を蹴ると、見据えた勇者に向かって距離を詰めながら右手の槍を後ろに引き、力をためると、引いた槍を勢いよく、それこそバネがもとに戻るかのような勢いのもとに勇者の右太ももに渾身の槍撃を放った。

「(ふん、その程度の攻撃、軽くいなしてや…)」

 勇者はレオンニールの槍を燃え上がった剣で受け流そうとした。

「(勇者様の体に攻撃なんかさせませんよ! はあッ!!!)」

「(おごおッ!?)」

 だがトイレブラシは攻撃を回避させるべく、足をあらぬ方向に曲げ、勇者は痛みのあまりおかしな声を出した。そして見事かわされた右手の槍は地面を貫き、その衝撃は大きな穴を地面に開けた、よけられたもののその直後息つく暇もなくレオンニールの左手の槍が勇者の右腕に向けて突き放たれた。

「(ていやああッ!!!)」

「(うべえええッ!?)」

 がこれもまたトイレブラシの操縦のもと、勇者の右腕が通常とは逆の方向に曲がり回避された。二段攻撃をかわされたレオンニールだったが彼の攻撃はまだ始まったばかりだった。

(まだだ!!! まだ終わらない!!!)

 心の中で叫んだレオンニールは腕を鞭のようにしならせ、両手の槍で目にも止まらないほどの連続攻撃を開始した。左手の槍を後ろに引いた時にはすでに右手の槍は勇者の体を目掛けて打ち放たれ、右手の槍が後ろに引かれた時も同じように左手の槍が勇者を捉えようと空気を切り裂き放たれる、交互に繰り返されるレオンニールの嵐のような槍さばきに勇者は晒されたが、トイレブラシの神がかり的な回避がそれらをすべて紙一重のもとに無駄にした。

 右肩を狙った槍の攻撃。

「(いよいしょッ!!!)」

「(えがああッ!?)」

 左肩を狙った槍の攻撃。

「(とりゃあああ!!!)」

「(ぶびゃああああああ!?)」

 右脇腹を狙った槍の攻撃。

「(ちぇいさああああああ!!!)」

「(ちょ、待、おごおおおおお!?)」

 左脇腹を狙った槍の攻撃。

「(しぇらああああす!!!)」

「(あべんじゃべえしッ!?)」

 致命傷を避けるようにして打たれた槍撃は全身をくまなく襲ったが、関節を無視したような奇抜な踊りにも似た回避の前に全て避けられ、レオンニールは息を整えるべく、後ろに飛び、勇者を見据えたまま後退した。

(…すべてかわされた…なんという身のこなし…その上表情一つ変えないとは…この男…油断できない…) 

 全ての攻撃をかわした勇者に警戒をさらにあげたレオンニールは深呼吸をして冷静になるべく努め、攻撃を凌いだトイレブラシは嬉しそうに勇者に語りかけた。

「(勇者様うまくよけられましたね!………勇者様………?)」

 トイレブラシは呼びかけたが勇者は応答しなかった、というよりも応答できなかった。関節がおかしな方向に曲げられるたびに体の持ち主である勇者には激痛が走り精神がショートしかけていたのだった。

「(勇者様! しっかりしてください勇者様!!!)」

「(………かはッ!?…意識が…飛んでいたのか…あまりの痛みで廃人になるかと思ったぜ…ってそうだ…便ブラてめえ!!! よくもやってくれたなあ!!!)」

 トイレブラシの何度目かの呼びかけで勇者の魂の意識は目覚めた。

「(何を怒っているのですか? それよりこれならいけそうですね!)」

「(ああイケそうだよ逝っちまいそうだよ俺があの世にな!!?? てめえは人の体をなんだと思ってんだ!? 俺の体はフィギュアじゃねえんだよ!? グリグリグリグリ関節を変な方向に曲げやがってからに!?)」

「(しょうがないじゃないですか! あの槍を避けるにはああするしかなかったんですよ!)」

「(もっとうまく避けられるだろうが! ったくお前にまかせてたら俺の体は人形どころか手足がもげてダルマになるっつの! もういいよ避けるのは俺がやるからお前は手を出すな! いいな?)」

「(ええ~…大丈夫ですかね…変な避け方すると体に負担がかかりますよ…?)」

「(一番負担かけたお前に言われたかないんだよ!!?? いいから黙って見てろ、この俺の華麗な体術をな! 凡人と天才の差ってやつを見せてやんよ!)」

 勇者はレオンニールを睨みながら炎を纏った剣を構え直した、レオンニールも勇者を見つめながらどうすれば勇者に攻撃を当てられるかを考え、ある策を思いつく。

(通常の攻撃ではダメだ、避けられる…だが…それならば虚をつくまでッ!!!)

 息を整えたレオンニールは先ほどよりも腰を低くしながら真っ直ぐ勇者のもとに走り出し、勇者もレオンニールを迎え撃つべく腰をかがめて待った。やがて両者の距離は近づき、勇者はレオンニールの槍の射程範囲に入った、と同時にレオンニールは両手の槍を同じタイミングで放った、右手の槍は勇者の頭を狙い、左手の槍は勇者の右ふくらはぎを狙った。二本の槍の鋭く早い同時攻撃が勇者に迫る。

「(勇者様!?)」

「(フッ心配するな! この程度、あらよっと!!!)」

 勇者は頭部を狙い迫る槍を剣で弾き、防ぐと足を狙う槍も足の位置をずらして寸前で回避した。一方の槍は空を切り、もう一方の槍は地面に突き刺さり、勇者は完璧に槍の攻撃を防いだように見えた、だがレオンニールの本当の狙いは槍による攻撃ではなかった。

(かかった!!! これならば!!!)

 二本の槍による攻撃はおとりであった、レオンニールは槍を放つ時の勢いのまま、自身の槍の射程範囲の内側に左足でもう一歩力強く踏み込むと、勇者の懐に入り込み、右足を高く掲げた。

「(槍はおとり!? 勇者様、右足での蹴りがきます!?)」

「(ククク…言ったはずだぜ…心配するなとな!!!)」

 トイレブラシの叫びが勇者に届くより先にレオンニールの魔力を込めた光り輝く蹴りが勇者の腹部に炸裂した、完全に捉えたとレオンニールは確信したが、蹴りが直撃する前に勇者はトイレブラシに向かって自信のほどを言ってのけた。

(なッ!? バカなッ!?)

 レオンニールは目を見開き、驚きをあらわにした。蹴りのインパクトの瞬間に勇者は上半身をそらしながら後方へと大きく飛び退いた、攻撃を受け流すそれはまるで風を受け流す柳のようで、ある種美しささえ感じる動作だった。わずかなミスすらも許されない完璧な防御にレオンニールは歯を噛みしめながら、悔しさを感じながらも、今だに上半身を後方へ大きく反らしている顔の見えない目の前の赤毛の剣士に対して心の中で認め、後悔した。

(くッ…受け流されたか…小手先の技術では通用しないということか…魔力も無駄に使ってしまった…僕は…愚かだな…どうする…魔獣との連戦続きで魔力も体力も底を尽きかけている…迂闊に仕掛ければ魔力と体力を同時に失うことになりかねない…)

 レオンニールが心の中で後悔している中、トイレブラシは勇者に称賛の言葉をかけようとしていた。

「(勇者様すごいです!!! 上半身を反らしつつ後ろへ飛んで相手の攻撃を軽減したんですね!!! そんな小賢しいマネが出来たなんて、私すっごく驚いてます!!! バカになんてしてすみませんでした、あなたは真の天才です!!! あのわずかな瞬間をとらえるなんて常人には不可能ですよ!!! これなら勝てそうな気がします、相手がどんな人であれ貴方ならきっと勝てる、そんな気がしてきました!!! いきましょう、相手も魔力を無駄に使い消耗しています、畳み掛けるなら今がチャンスです!!! カッコよく倒しちゃってください天才剣士様!!!)」

 トイレブラシはいつになく勇者を褒めたたえたが、勇者は反応しなかった。

「(…あれ…?…勇者様…?…どうしたんですか…?…ねえ…?)」

 トイレブラシの問いかけに勇者はやはり答えない。

「(…どうしたんだろう…おかしいな…なんで応答がないのでしょうか…それに体も動かさないし…)」

 ブリッジをするように立ったまま上半身を反らし、そのまま動かない勇者に疑問を持ったトイレブラシは剣の炎を消して左腕だけ動かし、見事攻撃を受け流した天才剣士の顔を剣に反射させ見ようとした。

「(………え………そんな……え………)」

 その顔を見た瞬間トイレブラシは絶句した。

「(………軽減出来てないじゃないですかあああああああああああああああああああああああ!!??)」

 赤毛の天才剣士は口をあんぐりと開けたまま涎と鼻水を垂らし、白目をむいて気絶していた。

「(そんな、嘘でしょう!? あんなにかっこつけて自信満々に受け流したというのになんて無様なんですか!? この様子を見るにまったく受け流せてないじゃないですか!? 急いで体の損害を調べなくては!?…あ、あばらの骨が…た、大変です…これでは…起きてください勇者様!!! まだ気絶するには早いですよ!!! 勇者様あああああああああああああああああああああああああああ!!!!)」

 トイレブラシは勇者に怒りをぶつけるがごとく大声で、ダメージを受けた際に痛みで魂をショートさせた勇者を起こそうとした。

「(早く起きてください!!! 勇者様ってばああああああああああああああああ!!!)」

「(………う……お、俺は…いったい…ああ…そうだ…奴の蹴りを受け流したんだったな…)」

 トイレブラシによる魂を揺さぶるような叫びのもとに勇者は意識を取り戻した。

「(やっと起きましたか! もう! 何やってるんですか何が心配するなですか!)」

「(…なんだお前は…起き抜けだっていうのに…まったくピーチクパーチクうるさい奴だ…)」

 勇者が意識を取り戻すと赤毛の剣士も無表情に戻り、剣にも再び火が燃え上がった、のけ反っていた上半身を元に戻すとレオンニールと勇者は再び睨み合うような形になり、互いに一歩も動かず牽制し合う状態になった。

「(それよりお前俺の神回避を見たか? あのパツキンの蹴りが当たる刹那の瞬間を捉えるのに意識を集中しすぎてつい気を失ってしまったぜ、俺の集中力って凄まじいな! どうだ、完璧だっただろう?)」

「(ええ完璧でしたよ完璧にクリティカルヒットでしたよ!!! 何都合のいい解釈してるんですか痛みで意識を失っただけでしょう!?)」

「(何だと!? そんなはずあるか!? 現に今痛みをそんなに感じてないぞ!? これは俺の超絶神回避技術の賜物だろう! クリティカルヒットなんてありえない!)」

「(今は私が痛覚を鈍らせてるから痛みをそんなに感じていないだけです! 痛覚だけ鈍くするなんてことできませんからおかげで他の感覚まで鈍らせなければいけない状態なんです! 絶体絶命なんですよ!)」

「(そ、そんなバカな…!?)」

「(バカなのは勇者様ですううううううううううううううううううううううう!!!!)」

 トイレブラシは自分の魂が摩耗していく錯覚にとらわれた。

「(い、いや、仮に偶然たまたま超幸運にも俺の超絶神回避をすり抜けることができたとしても、あんなパツキンのなよなよした蹴りがそこまで強いとは思えない! 損害ってどの程度なんだよ!)」

 どうしても納得のいかない勇者は戦闘中にも関わらず目の前のレオンニールを無視してトイレブラシに損害の程を問い詰めた。

「(………聞いても取り乱さないでくださいね…)」

「(問題ない! たとえ重傷だったとしても、己の行いの果てに受けたものならば我が子のように愛でてみせよう! 戦いで負う傷は男の勲章だ! 俺の覚悟を見誤るなよ!)」

  勇者は決意の程をトイレブラシに告げた。

「(…わかりました…損害は腹部です…あばらの骨が4本から5本折れて…)」

「(ほう…あばらが4、5本イッたか…偶然とはいえ奴もなかなかやるようだな…だが…戦いはこれか…)」

「(内臓に突き刺さってます)」

「(救急車をよんでくれええええええええええええええええええええええええええええ!!?? きゅうきゅうしゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!!??)」

 勇者の魂の悲鳴が木霊した。

「(あるわけないでしょうそんなもの!!?? ここ異世界ですよ!!!)」

「(パチンコ屋はあるのになんで救急車はないんだおかしいだろう!!??)」  

「(ないものはないんです!!! だいたい漫画の主人公みたいな事をするからそういうことになるんですよ!!! 後ろに飛んで衝撃を軽減するなんて一部の天才にのみ許された高等技術だと言うのに!!!)」

「(だったらなおさらだろうが俺のような神に愛されし天才のためにあるような技術だろうが!!!)」

「(失敗してるじゃないですかッ!!!)」

「(偶然だって言ってんだろ!!! たまたま奴の蹴りが俺の跳躍の瞬間に炸裂して俺のあばらの骨をへし折っただけなんだこれは偶然だ!!!)」

「(それを必然と呼ばずなんと呼ぶんですか勇者様は凡人ですううううううううううううううううううううううううう!!!!!)」

「(バカを言うな俺は天才だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!)」

 勇者とトイレブラシは窮地にもかかわらず頭の悪い喧嘩を始めた、だがこの絶体絶命の状況はまだ序の口に過ぎず、ある覚悟を決めたレオンニールの行いによって勇者とトイレブラシの状況はさらに悪化する。レオンニールは静かに目をつむると左手の黒金の槍に対して声を出さず再び話しかけた。

「(シーナ)」

「(なあにレオン?)」

「(『メルティクラフト』をやる。補助を頼むよ)」

「(え…でも…いいの…?…捕まえるんじゃ…)」

「(使うつもりはなかったが、手加減して捕らえられる相手ではなさそうだ。もちろん殺すつもりはないが、行動不能になってもらうにはこちらも全力で臨むほかはないよ)」

「(そっか、わかった! 補助はまかせて!)」

「(ああ、頼む。これで決めよう!)」

 目を開けたレオンニールは勇者に向けて構えていた二本の槍を下げた、その様子はまるで戦う事を諦め、脱力でもしているかのように勇者に映った。

「(見ろよ便ブラあのパツキン槍を下げたぜ! どうやらこの天才に恐れをなして諦めたと見える!)」

「(こっちが向こうを恐れるのならわかりますが…向こうがこっちに恐れをなす要素がどこあったんですか…あれは…まさか…)」

 トイレブラシはある一つの考えに思い当り、それを恐れた。そしてそれは現実へと変わる。その序章ともいえる、レオンニールの行った動作に勇者は目を見張った。

「(…何やってんだ…あいつ…)」

 レオンニールは左手で持った黒金の槍の切っ先で黄金の槍を持ったままの右手の甲を小さく切った。切った場所からは血が流れ出す。

「(やはりそうだ間違いない…!!! 勇者様今すぐあの人に攻撃してください!!!)」

「(何言ってんだあばらが折れて内臓に突き刺さってるんじゃ動けば大惨事になるだろうが!)」

「(大丈夫です今の勇者様は自己回復能力もけた違いに上がっています、ですから今でも重症には違いありませんが先ほどからある程度時間が経っているおかげで動ける程度にはもう回復しているんです! 早くあの動作を止めさせてください! 急いでください!)」

「(マジかよもう回復してんのか…それにしてもあいつはそんなにヤバイことをやろうとしてるのかよ…まあ動いても平気なら仕掛けるか…見た感じ隙だらけみたいだし、だったら…よっしゃ行くぜええええええええええええええええええ!!! あばらを折られた恨みにてめえをこいつで焼き尽くしたる!!!)」

 燃える剣を両手で持ったまま自分に突進してきた勇者を見たレオンニールは次の動作に移った。手の甲から流れる血の雫を黒金の槍に一滴垂らした、だが問題は次の動作だった、勇者はその動作に強い既視感を覚えた。

「(おい!? あれって!?)」

「(はい、そうです!)」

 レオンニールは左手の槍を縦に、右手の槍を横に構え、十字架の形になるように二本の槍を重ね合わせた。レオンニールを中心にして黄金の魔法陣が地面に展開される。それを走りながら見た勇者はトイレブラシに思わず確認し、そしてトイレブラシもその確認を正しいものであると肯定した。レオンニールがやっているその構え、その光景は多少の違いはあれ、まさに勇者が先ほど倒された魔獣に襲われた際にやった動作そのものだった。レオンニールは目をつむり口に出して言葉を紡ぐ、今の勇者ではレオンニールが何を言っているのか理解できなかったが、勇者がこの赤毛の状態になる際に、意識を失う時に聞いたあの言葉をレオンニールはつぶやいた。

「血の契約の名のもとに命じる…」

「(うおらあああああああああああああああああああああああああああッ!!!)」

 言葉に出せない気合を内面で叫びながら勇者は荒れた荒野を駆け、距離を詰めると地面を蹴り、レオンニールに飛びかかった。飛ぶと同時に両手で握り、振り上げた燃え盛る剣が勇者の着地と同時にレオンニールの頭を捉える瞬間、レオンニールは叫ぶ。

「まじわれッ!!!」

「(うぼおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!??)」

 強力な黄金色に輝く光の渦が魔法陣とレオンニールを覆い隠し、近くにいた勇者を後方に大きく吹き飛ばした。数十メートル以上飛ばされ、地面に背中を強打しながらも勇者は立ち上がり、光の渦を見つめた。

「(いつつ…便ブラ、あれって俺がこの血色の悪い赤毛になる前にやったやつだよな…)」

「(…ええ…そうです…防ぎたかったのですが…一歩遅かったみたいですね…)」

「距離は…十分離れているな…ちょうどいい…今の僕ではこの『魔技』を展開するのに時間がかかる」

 光の渦が消え、霧散した後その中央にはレオンニールがたたずんでいた。勇者ように容姿こそ激変することはなかったが、やはり同じように持っていた槍が一本になり左手に握られ、左手の甲には白い魔石が勇者と同じように埋め込まれていた。光の渦が消えてすぐに、レオンニールは自分を見つめる勇者の視線に気づくと、距離が離れたことを好都合に思い腰を落としながら、デザインが大きく変貌し長さも3メートルを超えるほどになった長大な黄色い透き通ったガラス細工のような槍を両手で握り勇者に向けて構えた。

「(おいおいアイツこんな離れた距離から構えてやがるぜ! 届くわけねーだろーが! お馬鹿さんめ! がはははははははははははは!!!)」

「(油断しないでください勇者様!)」

 トイレブラシはレオンニールがやろうとしていることに気づいていたが行動を決めかねていた。

(…おそらくあの人は『魔技』をやろうとしている…できれば発動する前に止めたい…でも技の性質がわからない以上迂闊に勇者様を飛び込ませるわけにはいかないし…やはり様子をみるしか…)

 勇者の言う通りレオンニールと勇者の間は百メートル近く離れており、いくら長槍を持っているからといっても構えるには早すぎる距離だった。しかしレオンニールの表情は真剣そのもので、勇者をその槍で貫こうと呼吸を整え始める。そして呼吸を整え終わると、レオンニールの肉体に変化が起こり始めた。

「(な、なんだあれ…!?)」

 左手に埋め込まれた白い魔石が輝くとレオンニールの肉体から小さな電気がほとばしり始め、それを見て驚愕した勇者だったが、それはまだ始まりに過ぎなかった。小さかった電気はやがて大きくなり、黄金の光を放ちながらレオンニールの体全体を駆け巡るように断続的に走るようになった。そして最終的にはレオンニールは槍を含めて巨大な雷光に包まれた、その黄金の輝きはまさに黒狼を殺した雷光の槍が形を変える前の光の塊だった。

「(あの光はワン公が倒された時に見たやつじゃねえか…!?)」  

(…やはり…あんな雷光を放てる属性は一つしかない…)

「(勇者様! 剣を構えてください! 来ます!)」

 勇者は黒狼が殺された時の状況を思い出し、トイレブラシは先ほど確信した認識をより強固なものへと変え、勇者に注意を呼びかけた、そのすぐ後だった、レオンニールを包む巨大な光の塊は姿を変え同じ大きさのまま、雷光の槍を形作った。それは勇者に向けられた巨大な一本の槍だった。

「いくぞッ…!!!」

 レオンニールが叫ぶと、雷光の槍の一部と化したレオンニールの突撃が、勇者に放たれた。そのスピードは風のような、という言葉では生ぬるいほど凄まじい速度だった。百メートル近かった距離を一秒にも満たない速さで光の槍は勇者の眼前に迫った、それは声すらあげられないほどに速かった、がレオンニールが狙った右足を貫く寸前、狙いがわずかにそれ、学生服ごと勇者の脇腹を抉るように削りとると、通り過ぎ後方の岩山に激突し、岩山を跡形もなく消し飛ばした、その結果破壊された岩山の周囲に粉塵が舞い上がる。

「(ぐはああああああ!!!…があああああああ…がは…ががが…ぐぐぐ…わ、脇腹があああ…がが…ぐぐ…)」

「(勇者様!? 大丈夫ですか!? 意識をしっかりもってください!!!)」

「(が…だ、だい…じょうぶ…よ…よゆう…だ…この…くらい…)」

 雷光の槍が脇腹を抉ると同時に回転しながら横に吹き飛ばされうつぶせで倒れた勇者は今にも意識を失いそうなほど深刻なダメージを受けていた、負傷した脇腹は焼けこげ、生々しい傷跡を残した。

「(勇者様しっかり!…かすっただけなのにこの威力…これが…光の属性…)」

「(…光の…属性って…なんだ…それは…聞いてないぞ…火と水と風と土の四つじゃなかったのか…よ…)」

「(…勇者様が公園で寝落ちする前に話そうとしたんですが…属性には四属性の他に例外としてあと二つの属性があるんです…その一つが光の属性…あの金髪のイケメンさんはまさにその光の属性なんです…)」

「(そう…なのか…光の…属性…か…今は…まあいい…それよりも…ぐぐぐ…)」

 勇者は燃え盛る剣の刀身を地面に突きたて、杖のようにして支えにすると力なく立ち上がった。

「(勇者様! まだ立ち上がっては危険です!)」

「(んなこと…言ってらんないだろうが…見ろよ…)」

 勇者が見つめる100メートルほど先に岩山を粉みじんに吹き飛ばした際に舞い上がった砂埃の中から人影らしきものが浮かび上がってきた。砂埃がすべて晴れるとレオンニールが姿を現した、だが圧倒的に有利な状況にもかかわらずその表情は曇っており、その理由を知る先ほどまで黒金の槍で、今はレオンニールと融合状態のシーナはそんな彼に声をかけた。

「(レオン、『魔技』は使えてもあと一回だけだよ。胸の魔法陣がもうもたないもん)」

 レオンニールの胸当ての上で青色に輝いていた魔法陣は点滅し始めていた。

「(ああ、わかってる。さっきの『魔技』は最初から出力を全開にしすぎたみたいだ、次は確実に捉えられる距離までは威力を抑え、射程距離に入ったら出力を最大に上げる)」

「(うん、それじゃあタイミングはレオンにまかせるね。私は魔力をコントロールするからレオンは槍の突進に集中して!)」

「(すまないシーナ。助かるよ)」

「(ううん、役に立てて嬉しいよ! 一緒にがんばろうレオン!)」

「(そうだね、今度こそ決めよう!)」

 レオンニールはまた同じように雷光を纏い始め、勇者はそれを見ると先ほどの凄まじい突進を思い出し、急ぎそれを止めるべく行動しようとした。

「(くっそ! あの野郎またあれをやるつもりだな! させるかよ! その前につぶ、す、ぐううううううううう…!!!)」

 勇者はレオンニールが光の槍を展開する前に攻撃するべく走り出そうとしたが、先ほど受けた脇腹の傷の痛みがそれを阻止し、勇者は脇腹を抑えながら倒れそうになるも炎を纏った剣を地面に突き刺し、突き立てるようにすると、杖のようにして踏みとどまる。 

「(…勇者様…一つ、提案があります…おそらく次の攻撃は避けられないと思います…ですから…受け止めましょう…)」

「(受け止める!? あれをか!? 無理じゃね!?)」

「(聞いてください…いくら今の勇者様の自然回復速度が早いと言っても負傷した肉体が完全に回復するまで時間をかけられるとは思えません…ゆえにあの光のような速さの突進を回避することや、展開する前にこちらから仕掛けて向こうの攻撃を阻止することは事実上不可能だと思います…ですからそれならば大半の魔力を腕に集中、強化して腕の筋力を上げ槍の刺突を剣で受け止めてある程度まで威力を殺し、防御に使わずに残した魔力を足に込め同じように強化し、向こうの槍の威力が弱まったのと同時に反撃する、というのが私の提案です…が正直に言いますとこれはかなり危険な賭けになるでしょう、いくら魔力の大半を腕に込めて防御したとしてもあの突進を無事に受け止められるとは思えません…少なくても腕はズタズタになると思います…)」

「(…どうせ避けられないなら負傷覚悟で防いで攻撃に転じる、肉を切らせて骨を断つってやつか…便所ブラシにしてはなかなかいい作戦だな…いいだろう、やってやるぜ…)」

「(…提案しておいてなんですけど…本当にいいんですか…?…受け止められるかもわからないですし、受け止められたとしても勇者様は確実に重傷を負うことになりますよ…)」

「(何言ってんだもう十分重症だろうが、それにお前の言う通り動けないし、その作戦が一番だろう。なにより俺のかっこいい顔をディスっただけでなく、あばらを折られたあげく、脇腹まで抉られたんだぞ! ここまでやられて黙って引き下がれるか! あのパツキン絶対ぶちのめしたる!)」

「(…わかりました…ではその作戦でいきましょう…それで足で反撃する場所なんですが…)」

(あのイケメンさんは槍で突進する際にわずかに左脇があがる、そこを狙えば…)

 トイレブラシはレオンニールのわずかな隙に気づき、そこを攻撃しようと提案しようとした。

「(狙う場所なら最初から決めてたぜ)」

「(え!?)」

(勇者様、まさか気づいて…!?)

 トイレブラシは勇者の観察眼が存外に優れていたことに驚いた。

「(すごいです勇者様! ちゃんと弱点を見抜いていたんですね!)」

「(当然だろ? 戦闘中に相手の弱点を観察し考察するのは戦士の基本だぜ?)」

「(感動しました! では勇者様の言葉で教えてください! イケメンさんのどこを狙いますか!)」

「(よし、よく聞けよ…?)」

「(はいッ!)」

(左脇腹ですよね…?)

「(顔面を狙うぞぉぉぉぉ! ぐへへへへへへへへへへへ!)」

「(…………うわぁ………)」

 勇者は自分よりも整った顔立ちのレオンニールに対しての顔面への攻撃を喜々として提案した。

「(なんだよなんか文句あんのかよ)」

「(…いえ…別に…勇者様が狙いたいのならそれでいいですけど…こんな状況でもブレないんですね…)」   

勇者とトイレブラシの作戦会議が終わるのとほぼ同時に、レオンニールの雷光は槍へと形を変え始めた。

「(…もう時間的に余裕はありませんね…今から魔力を両腕に集中します…)」

「(いつでもいいぜ…!)」

 勇者は炎を纏った剣を中段に構え腰を落とした、すると両腕がが赤い光に包まれ、勇者の肌を覆い隠した。

「(…すみません勇者様…もっとちゃんとした作戦を立てられればよかったのですが…)」

「(ふん、便所ブラシ如きが余計な心配をするんじゃない)」

「(ですが、失敗すれば勇者様は死んでしまうかもしれません)」

「(…何度も何度も同じことを言わせるなよ便ブラ…)」

「(え…?)」

 勇者はゆっくりと、だがハッキリとした口調でトイレブラシに宣言する。     

「(俺は天才だ、天才は負けない)」

 絶体絶命の状況にもかかわらず自分を天才であり絶対に負けないと言い張り続ける凡人にトイレブラシは少し、ほんの少しだけだったが、本物の勇者のようだな、とそう思った。

「(…そう…ですね…そうでしたね)」

「(まったく、ようやくわかったか…)」

「(はい、よくわかりました! あのイケメンさんにド底辺の底力を見せてやりましょう!)」

「(誰がド底辺だ天才だって言ってんだろ!? お前全然わかってねーだろ!?)」

「(わかってますよ! それより眼前の敵に集中を!)」

「(くっそお前、後で覚えとけよ!)」

「(後があるのならいくらでもどうぞ!)」

 勇者とトイレブラシは会話を終え、備えた。そしてレオンニールも完全に光の槍の一部になり、突撃する前にシーナと最後の声をかけ合った。

「(行こうシーナ!)」

「(うん、レオン!)」

 同じように勇者とトイレブラシもまた最後の声をかけ合う。

「(行くぞ便ブラ!)」

「(はい、勇者様!)」

 両者共に会話が切られると、レオンニールの雷光の槍が一直線に勇者に向かって突撃を開始した。激しい発光が周囲を照らすとみるみるうちに巨大な光の槍は勇者に迫り、勇者はそれを炎の剣で受け止めようと、剣の柄を今出せるだけのありったけの握力で握ると同時に握力と同じかそれ以上の力を腕に込め、構えた、そして光の騎士と炎の勇者はついに激突した。

「(ぐぐぐぐううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!!!)」

「(耐えてください勇者様!!! あと数十秒ほどで威力を殺しきれます!!!)」

 目がくらむような光の槍の衝突を剣で受け止めることに成功した勇者だったが、その衝撃と威力は勇者の想像のはるか上をいっていた。受け止めた際に学生服の両腕の袖部分は吹き飛んだ、それだけならばまだよかったが槍の衝撃と重圧は数トンから数十トン以上の重量を持ち上げているようで、受け止めてからわずか数秒足らずで勇者の腕の骨はきしみ、筋肉は悲鳴をあげ、少しでも気を抜こうものなら腕そのものが吹き飛びかねないほどにその雷光の槍の威力は強力だった。勇者の脳内は、トイレブラシの言うその数十秒が数時間、数日、数年にも思えた、それほどの苦行だった。中腰にして踏ん張っていた勇者の足は槍の衝突の際に地面にめり込み、今だ威力を殺しきれていない現在は線を引くように地面を抉りながらジワジワと後ろへ押され、ついには踏ん張っていた右足の膝を地面につけてしまった。

「(ぬううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!!! まだか便ブラああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!)」

「(もう少しです!!! もう少しだけ頑張ってください!!!!!)」

 筋肉が限界を示すように勇者の腕からは血が噴き出し始めた、その様子を光の槍の内部で見ていたレオンニールはシーナに指示を出す。

「(今だシーナ!!! 出力を最大に上げてくれ!!!)」

「(わかったよ!!! 出力最大開放!!!)」

 シーナが叫ぶと、ただでさえ巨大だった光の槍が、黄金の輝きと共にさらに大きく跳ね上がり倍増した威力と共に勇者を襲った。

「(なああああああにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!?? ぐわあああああああああああああああああああああああああああああああ!!??)」

「(勇者様!!??)」

 威力がけた違いに上がり、さらなる重圧が勇者の両腕にかかった結果、限界ギリギリだった筋肉はブチブチと音を出し、血を盛大に噴き出しながら引き裂かれ、筋肉だけでなく両腕を支える骨も筋肉が断裂する余波を受け砕けるようにして大きく折れた。勇者の腕が破壊されるのとほぼ同時に握っていた剣の炎は消え空高く弾き飛ばされ、そしてレオンニールは間を入れず次の行動に移った。

(今だ、足を消し飛ばす!!!)

 勇者のガードが外れたことで、槍の狙いを足に変えたレオンニールは右足を立てて座り込む勇者の、左足太ももに向かって槍を突き立てようとし、それは確かに命中した。

(威力は落ちてしまったが、まだ攻撃できる! これで終わりだ!!!)

 勝利を確信したレオンニールの槍が勇者の足、学生服のズボンのポケットに付近に命中した、だが槍の刺突はポケットに突き刺さる寸前に止められた。

(な…!? なんだこれは…!?)

 槍が太もも付近を直撃する寸前にズボンのポケットから輝く光のバリアに似た結界が突如発生し、それが槍を受け止め勇者の足を守り、レオンニールを驚愕させた。その後、光の槍はバリアと対消滅する形でガラスが砕けるようにして消え、槍の直撃の際に衝撃でやぶれたポケットの中からあるものが空に舞い上がった、その時トイレブラシは勇者のズボンの左ポケットに入れられていたものを思い出した。

「(そうか、手帳の防御魔術が! 勇者様今です!!!)」

「(おっしゃああああああああああああああああああああああああああ!!!!! くたばりやがれ!!! おらあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!)」

 急ぎ立ち上がった勇者は茫然とするレオンニールの懐まで駆け込んだ。

「(レオン!!! 危ない!!!)」

「くッ!?」

 防御を終えると同時に攻撃に転じ、レオンニールに向かってきた勇者を見たシーナはレオンニールに呼びかけるが、レオンニールが態勢をを立て直すよりも早く勇者はレオンニールの間合いを侵略した。

「(右足に残りの魔力全部を注ぎました!!!!! 決めちゃってください!!!!!)」

 走る勇者の右足が赤く光り輝き、勇者は懐に入る際に、まるで踏み抜かんばかりの勢いで力強く左足で地面を踏むと、右足を振り上げ渾身の力を込め、そして

「(くらいやがれえええええええええええええええええええ我が奥義『上段回し蹴りィィィィィィィィィィソニィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッッッッッック』!!!!!)」

 レオンニールの顔面を蹴り飛ばした。と同時に

「(があああああああああああああああ足が折れたあああああああああああああああああ!!??)」

 ボキッという音と共に勇者の右足もインパクトの瞬間にへし折れた。

「ぐはああッ!!!」

 レオンニールは顔を蹴り飛ばされた衝撃で後ろに転がりながらうつぶせで倒れ込んだ。

「(いってえええええええええええええええええええええええええ!!?? 右足が折れやがったぜチクショウ!!!………だけど…なんだろうこの湧き上がる感情は…)」

 左足を立てて座り、痛みに悶えながらも勇者は心の内に湧き上がってくる感情を抑えられるず、心の中で歓喜し、狂喜し、愉悦した。

「(くふふふふふふふふふふ、やだあイケメンの顔面を蹴りとばしちゃったわあああああああああああああああああああああああああ!!!! 何これ超きもちいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!! あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!! どうしよう笑いがとまらんぜよ!!!!)」

 顔は無表情のままだったが勇者は楽しそうに、本当に楽しそうに絶叫しながら、うっとりと喜びにひたった。そんな勇者の様子をトイレブラシはただただ気持ち悪そうに観察し、心の中でドン引きした。

(…全身ボロボロだっていうのにホントにブレないなあこの人…引くわぁ…)

 勇者が歓喜の声を脳内で響かせていた時だった、レオンニールが倒れた場所に空中から先ほど舞い上がった手帳が落ちてきた、それを見たトイレブラシは間一髪だったことをあらためて思い知った。

(…危なかった…防御の魔術が施されたあの手帳がなければ今頃はどうなっていたか…)

 トイレブラシが内心冷や汗をかいていたにも関わらず、勇者はひとしきり笑った後、倒れたレオンニールを見てさらに笑い始めた。

「(ククククフフフフ、あいつの顔はもうお終いだな! 何せ俺の『上段回し蹴りソニック』を足がぶち折れる勢いでもろに食らっちまったからなぁ! 今日から奴のあだ名は『顔面ドクターストップ君』で決まりだなぁ! うひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!)」

「(勇者様まだ気を抜かないでください! 戦闘不能かどうかもわかってないのに!)」

「(ありえないことを言うんじゃないよお前は! 俺の奥義を食らってすぐに動けるはずが…)」

 レオンニールはうつぶせに横たえた体を動かし始めた。

「(動いてますよッ!?)」

「(バ、バカな…!? か、顔は!? 顔はどうなっている!?)」

 レオンニールはその後難なく立ち上がり美しい顔で、座り込む勇者を睨み付けた。

「(…全然効いてませんね…イケメンのままです…)」

「(おのれアイアンフェイスがああああああああああああああああああああああああ!!!!)」

 レオンニールは勇者を睨み付けたまま、勇者に向かって一歩、足を踏み出した。その様子を見て勇者は声に出せない悲鳴をあげた。

「(ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!?? どうすんだ便ブラもう動けないぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!??)」

「(どうしようもないですね)」

「(なんだその投げやりな解答は!? 俺の命がかかってるんでしゅよおおおおおおおお!!??)」

「(落ち着いてください。もうどうこうする必要がないという意味ですよ)」

「(へ? どういう意味だ?)」

 一歩踏み出したレオンニールだったがそれ以降は動かず、悔しそうに顔をしかめていた。そんな彼にシーナは声をかけた。

「(…レオン、時間切れだよ…)」

「(…その…ようだね……)」

 レオンニールの胸当てに点滅しながらもなんとか輝いていた魔法陣は完全に今消えた。その瞬間レオンニールの足元の地面に先ほど胸当ての上で輝いていた魔法陣と同じ色、同じ紋様をした魔法陣が大きさを変え、彼を中心にして一メートルほどの大きさで展開した、そしてそれを見たレオンニールはため息をつくと、勇者を見ながら再度話しかけてきた。

「…今回は…ここまでだ…だが忘れるな僕は必ず貴様を捕らえる…!…この世界が滅びる前に、必ず…!」

 槍を勇者に向けて宣誓したが、当の勇者は何を言っているのかさっぱり理解できていなかった。

「(何言ってんだあいつ…また狂ってるだろ翻訳…)」

「(…そのようですね…)」

 勇者に宣誓し終えるとレオンニールは魔法陣の光に包まれ、いづこかに消えた。

「(おい…なんだ…どこいったんだあいつ…なにがどうなったんだよ…)」

「(勇者様、あのイケメンさんの胸に輝いていた小さな魔法陣は見ましたか…?)」

「(ああ、光ってたな)」

「(あれは無属性魔術の術式の一つで条件型の転移魔法陣と呼ばれるものなんです)」

「(なんだそれ…?)」

「(簡単に説明するとですね、ある条件を達成した場合あらかじめ決められた場所に転移させる魔法陣とでも言った方がいいのかもしれません)」

「(じゃああのパツキンは条件を達成したからどっかに飛ばされたってことか…?)」

「(はい、そうです)」

「(条件ってなんだよ…)」

「(おそらくですが、保有する魔力の消費量が規定値を超えたってところでしょうね。知らない場所を探索をするときに使われる魔術形態です。思うにあのイケメンさんはウルハ国を探索してたんじゃないでしょうか…?)」

「(そうなのか…なるほど停戦状態の敵国の探索中に運悪くこの伝説になって語り継がれるであろう予定の天才に出会ってしまったわけか……まあいいや…決着もついたし…どっかに飛ばされたんなら…とりあえずは終わったって…ことでいいんだよな…?)」

「(そうですね、そういうことでいいと思います)」

「(ならこの赤毛モードをといてくれや…さ、さすがに疲れた…)」

「(わかりました、確かにこれ以上維持するのは私も大変なので、これを解いた後に傷の治療を開始しますね。ではさっき吹き飛ばされた剣を握…るのは無理そうなので触れてください)」

「(…あそこか…クソ…めんどくせえ…ふッ)」

 足が折れて立てなかった勇者は横に転がるようにして剣が落ちていた場所まで行くとうつぶせで寝ながら折れた腕で剣に触れた。

「(勇者様、解除する前に言っておきたいんですが、この状態を解除した場合今鈍っている勇者様の痛覚がもとに戻るので注意してください)」

「(問題ないぜ! その程度の痛みさっきの激戦を潜り抜けた俺なら余裕で耐えられるぜ!)」

「(そうですか、では…解除!)」

「ほら全然余裕で…たえ…が…ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 解除と同時に勇者の絶叫が荒野を駆け巡った。

「…それにしても…見通しが甘かった…もうおそらく戦いは始まっている…相変わらずどういう状況なのかはさっぱりわからないけど…でもなんにせよ…まずは私と対になる強力な火属性の魔具を探さなくては…やはり私と『メルティクラフト』するにはあの剣では役不足だった…」

 勇者の左手に戻ったトイレブラシは解除と同時に折れて、煙をあげている大剣を見ながらつぶやいた。

「それに勇者様にも早急に聞いてもらわなければいけなくなった…『メルティクラフト』について…傷が治ったら聞いてもらおう…まあ…それはそれとして…初戦、お疲れさまでした勇者様…」

 白目をむきながら泡を吹いて悶絶している黒髪の勇者にねぎらいの言葉をかけたトイレブラシは決意を新たにした。だがそれと同時にあることに気が付いた。

「…あれ…そういえば手帳…どこにいっちゃったんだろう…」

 トイレブラシの小さな疑問の声は荒野の風にかき消された。

 

 



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