14話
アルトラーシャから任務の概要を聞いた勇者は早速、都に出て行動を開始した、しかし自分の住む場所を手に入れるための重要な任務にも関わらずその顔はあまり乗り気ではなさそうだった。
「(勇者様何ですかそのやる気のない顔は! この重要任務を成功させられれば住む場所を手に入れられるんですよ! もっとしゃんとしてください!)」
都をフラフラと気の抜けた顔で歩く勇者に喝を入れるべくトイレブラシは声に出さずに話しかけた。
「(…重要任務なんかじゃないだろ…こんなくだらない仕事がこの世にあるのかってくらい酷い任務だよ…)」
トイレブラシの言葉を一蹴した勇者は町の人々に聞き込みを開始した。
「なあ、ちょっと聞きたいんだけどコレをどこかで見かけなかったか?」
勇者はポケットから取り出した写真を露店の店主に見せた。
「…し、知らないな…」
店主は顔を引きつらせながら写真を見つめ、勇者の質問に答えた。
「…そっか…ありがと…」
店主の突き刺さる視線を受けながら勇者は露店を去り、新たな場所で聞き込みを開始した。
「だぁ~! 見つかんねえよ! もう!」
町で何十人もの人たちに聞き込みを繰り返しながらも何の情報も得られなかった勇者はサムウェルス公園のブランコを乱暴にこぎながら休憩を取っていた。
「本当に全然情報が入ってきませんね。どうしてでしょうか」
誰もいない公園だったためトイレブラシも会話に入ってきた。
「こっちが聞きたいっつの。こんだけ目立つ代物だってのに。はぁ~、もうこの写真見せながら聞き込みすんのやだ~。俺が変な目で見られる~」
勇者は右手で持った写真をひらひらと振り回しながら、愚痴をこぼした。
「仕方ありませんよ、お仕事なんですから」
「…何が仕事だよ…任務っていうから戦いの方かと思ったのに…おっと…」
振り回していた写真は勇者の手を離れ地面に落ちた。
「…しかし何度見ても悪趣味だな…」
ブランコを降り、写真を拾い上げた勇者はそのなかに写るものをまじまじと見つめた。
「…こんなものを探してるなんて言ったらそりゃあ顔も引きつるよな…」
写真には宝石がゴテゴテと付いた虹色に輝く女性のパンツが写っていた。
「ああああああああああああ!!! なんで栄光ある異世界での初任務がババアのパンツ探しなんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!! うがああああああああああああああああああ!!!」
勇者は頭をかきむしりながらアルトラーシャから頼まれた任務を思い出していた。
「昨日ワタクシのお気に入りのパンティがなくなってしまったのです! きっと美しいワタクシに恋い焦がれた不埒な輩が盗み出したんですわ! ワタクシのパンティがイカ臭くなる前にどうか取り戻してくださいまし! このパンティは勝負下着なんですの! 好きな殿方にワタクシの十七歳の初めてを捧げる時の必須アイテムなんです! この任務は敵軍の大将を討ち取るのに匹敵する働きと思ってくださいまし! あと、できるだけ内密にお願いしますわ、ワタクシのパンティであることが知れればきっと奪い合いの殺し合いが始まってしまうおそれがありますので! これがそのパンティの写真ですの、どうか死にもの狂いで探してください!」
その説明を聞いていた時の勇者は半笑いで目が死んでおり、写真を手渡しされた時にはもう反論する気力すら失せていた。
「任務の内容はさておき、真面目にやらなければ浮浪者様に今度こそジョブチェンジしてしまいますよ!」
回想していた勇者をトイレブラシの言葉が現実に戻した。
「…わかってるよ…わかってるけどさ…ババアの悪趣味なパンツなんて牛乳拭いて放置した雑巾と同価値じゃないか…こんなんを真面目に探せって言われたって…はぁ…ってか今更だけど異世界にも写真はあるんだな。ババアがブロマイド出した時も思ったけど」
「原理は勇者様の世界のものとは違いますけどね。ドワーフ族が作り出した魔導技術の賜物だそうですよ」
「…そうなのか…でも…まあ確かにここでこうしてたってしょうがないよな…仕方ない…休憩はここまでにして聞き込みを再開するか…」
「その意気ですよ勇者様! 頑張りましょう!」
公園を出ると勇者は再び聞き込みを開始した。
「ああ、この趣味の悪いパンツなら昨日見たよ!」
「本当か!? どこで見たんだ!? 教えてくれ!」
聞き込みを行った人数が三桁を超える寸前で勇者はパンツを目撃した人物にたどり着いた。それはちょうど勇者がアルトラーシャから貰ったお金でお昼を買おうとした露店でついでに聞き込みを行った時だった。
「どこで見たっていうか、鳥がくわえて飛んでいくのを見たんだ」
「鳥!? どっちに飛んで行ったかわかる!?」
「あっちに飛んで行ったぜ」
露店の店主は西の方角を指さした。
「助かったよ、あんがと!」
「あいよ!」
勇者は店主にお礼を言うと、露店で買った野菜と肉が挟まったパンを頬張りつつ店主が指差した方角に向かって走り出した。
「んぐ、んぐ。中々うまいなこのパン! レタスのようなシャキシャキした食感の新鮮な野菜に軽くあぶった肉のとろけるような甘みと甘辛いソースが合わさってなんとも言えない美味しさだ!」
「(勇者様、走りながら食べるのはお行儀が悪いですよ?)」
走りながらパンの美味しさに舌鼓をうっていた勇者をトイレブラシはたしなめた。
「(しょうがないだろ急いでんだから! 昨日鳥がくわえて飛んでいったんだとしたらもう結構遠くまで行ってる可能性が高い! できるだけ近くにあるうちに何としてでも見つけなくては!)」
気合十分の勇者はパンをモグモグと食べながらスピードを上げた。
「(あれ…どうしたんですか勇者様? スピードが落ちましたが…)」
少しの間はスピードに乗っていた勇者だったが次第に走る速度は遅くなり、とうとうゆっくり歩き出した。
「(…喰いながら走ったらわき腹が痛くなった…すこしゆっくり行こう…しかしこっちの通りは初めて来たな。昨日通ったところとは売ってるものがだいぶ違う。それはさておきいや~さっきのパンは美味かったなぁ! 金が入ったらまた買いに行こう! 味もそうだが香りがよかったよ! あの食欲をそそるいい匂い、今でも思い出せるぜ!)」
「(気に入ったんですね! 確かにとってもいい香りのパンでしたもんね!)」
「(ああ、遠くからでも香りを感じられそうなくらいだからな…そう息をゆっくり吸うとまだあのおいしいそうな匂いが感じられ…)」
勇者は鼻から空気を思いきり吸い込みパンの香りを嗅ごうとした。
「………くさぁぁぁぁぁぁぁッ!? な、なんだこの悪臭はッ!? は、吐き気が…うぇッ!!!」
だが鼻から息を吸い込んだ勇者の嗅覚が感じ取ったのは美味しそうなパンの匂いではなく吐き気を催すような悪臭だった。
「(た、確かにすごい臭いです…うッ…くさい…さ、さいあくですね…)」
トイレブラシもその悪臭には耐えられなかったのか、珍しく愚痴をこぼした。悪臭を嗅ぎ取っていたのは勇者とトイレブラシだけでなく、よく見ると、通行人は嫌そうに顔を歪め、鼻をつまみつつ通り、この通りで店を構える人々は手拭いのような布で鼻から顎までを覆い隠していた。
「な、なあ…ちょっと聞きたいんだけど…この臭い何…?」
通行人たちと同じように鼻をつまんだ勇者は、近くで店を構えていたおばさんに話を聞いた。
「なんだい、あんた知らないのかい? 昨日この辺りで魔術攻撃があったんだよ!」
「マジで!? じゃあこの悪臭は…」
「そうさ! その魔術攻撃の副産物さ! まったくひどいもんだよ! きっと敵国の嫌がらせさね! こっちは商売あがったりだ! 戦争なんて早いとこ決着つけて終わらせてもらいたいもんだよ!」
(…ああ…そういえば戦争してるんだったっけ…他の奴らがあまりにも緊張感がないから忘れそうになるよ…)
勇者はウルハ国が戦争をしていることを今更ながら実感した。
「大変だったんだな。それで、その攻撃してきた奴はどうしたんだ? 逃げちまったのか?」
「違うよ、逃げるも何も魔術師は姿を見せずに攻撃してきたんだ!」
「姿を見せずにって…じゃあどうやって攻撃してきたんだよ?」
「それがなかなか奇抜なやり方でねぇ、きっと頭が回るやつだよ攻撃してきた魔術師は! なんと動物を使って攻撃してきたんだ!」
「へぇ~なるほど動物使ったのかぁ、確かになかなか工夫してやがるな! ところでどんな動物を使って攻撃してきたんだ? 犬とか猫かな?」
「鳥さ!」
「………鳥…?」
(偶然だな、俺も鳥を追っかけてここまで来た。ま、俺の任務とは無関係だろうけど)
偶然にも勇者が追ってきた動物と一緒だったため、彼は心の中で驚いた。
「ああ、そうさ! でもこう言っちゃあなんだけど頭はいいけどセンスはないねその魔術師は! 魔術のことはよく知らないけどあんな虹色で宝石が付いた派手な魔具は初めて見たよ!」
「虹色の…宝石が付いた派手な魔具…ね…へえ…極めて趣味が悪いな…」
(…本当に偶然だな…俺が探してるババアのパンツと特徴が一致するじゃあないか…ハハハ…)
またしても勇者が追ってきたパンツの特徴と一致したためさらに驚く。
「だろ? それに魔術師って奴は冷酷だってことをあらためて知ったよ! その魔具をくわえてた鳥を使い捨てにしたのさ! 目を回しながらここらの店や人にぶつかって最後にはおっ死んじまったよ、可哀想にね! きっと魔術で操られてたに違いないよ! 突然だったからね! まるで今臭いに気づいたみたいに突然死んじまったのさ!」
「…それは…可哀想だな…」
「まったくさ!」
勇者は鳥に同情したが、同情の気持ちだけでなくある不安が彼の心を支配した。
「(…勇者様…あの…)」
「(…何だよ…)」
勇者の不安を知ってか知らずかトイレブラシは声に出さない会話を求め、勇者もそれに応える。
「(…鳥って嗅覚が鈍いんだそうです…)」
「(…そう…なのか…ざ、雑学に詳しいなお前…)」
「(…くわえて…しばらく飛んでから気づいたんじゃないですかね…臭いに…)」
「(何の…話だよ…)」
「(私の言いたいこと…もうわかりますよね?)」
「(何を言ってるのかわからないなぁ!?)」
心の中で必死に目をそらそうとする勇者に露店のおばさんがトドメを刺した。
「しかしあんな女のパンツみたいな魔具は始めて見たね!」
(…ババアの…パンツだ…間違いない…)
勇者は右手で顔を覆い現実を認めた。
「…あのさ…その…魔具って…もしかしてコレ…?」
勇者は写真を見せた。
「あ! そうだよそれだよ! 何、あんたこの魔具の関係者なのかい!」
「…関係者っていうか…事態の…収拾……を頼まれてる…みたいな…」
(それは魔具じゃなくて実はこの国のお姫様のパンツなんだよ、なんて言えないよな…はぁ…)
勇者は心の中でため息をついた。
「そうなのかい! だったら早くこの臭いを何とかしておくれよ! 臭くてしょうがないんだ!」
「…ああ…うん…わかった尽力してみるよ…ところで…そのパンツがどこに行ったかわかる…?」
「…んー…ええと…確か…鳥がそこらじゅうにぶつかった時にどっかに落ちたような気がしたけど…どこだったかねえ…うーん…ここのところまででかかってるんだがねえ…」
女店主は考え込みながらも横目で勇者と自分の店で売っている雑貨品を交互に何度も見た。
「………これ、おいくら…?」
店主のおばさんの意図を察した勇者は売っている中で一番安そうなロープを注文した。
「まったく…しっかりしてるよ…ったく…つーかどんだけ臭いんだよババアのパンツ…昨日あった場所にこんだけ臭いが残るとか…バイオテロかよ…探しに行く気力が大幅に削られたんだけど…でもやるしかないしなあ…」
多少の不満を口にしつつ買ったロープを片手に勇者は注文した途端パンツのことを思い出した女店主の言葉に従い、ある行商人を探していた。
「(見つかりますかね。あの女店主さんのお話だとウルルグさんという行商人の方の荷馬車の上に落ちたように見えたとのことですが)」
トイレブラシは心配そうに勇者の脳内に声をかけた。
「(わかんねーけど、探してみるしかないだろ。でもババアから貰った金はもう底を尽きたからまた露店で何か買って情報を得るって手段は使えねーな。とりあえず色んな場所に行って通行人とかの町の住民に片っ端から声をかけて情報を集めるしかないな、めんどくせえけど)」
「(捜査の基本は足、ですね!)」
「(…お前そういうのどこで覚えてくんの…?)」
「(勇者様の世界のテレビドラマで見ました!)」
「(…自称聖剣のくせに俗世間に染まりすぎだろ…)」
トイレブラシとの会話を終わらせると勇者は町で聞き込みを始めた。
「…見つかんねー…パンツの情報を掴んだとき以上に見つかんねー…どこにいんだよ…」
二時間ほど聞いて回った勇者だったが、一向に手がかりが掴めず、噴水の設置された広場のベンチで座りながら途方に暮れていた。
「(ウルルグさんのお話ならたくさん聞けたんですが、今日は町で見てないって皆さん言ってましたね)」
トイレブラシは勇者に再び話しかける。
「(…それに聞けた話っつっても話題の大半がウルルグは超ドケチで、友達が少ないとかそんなしょうもない話ばっかりだったしな…肝心の住んでる場所については誰も知らないなんて…どうしたらいいんだよ…)」
勇者は上に向けていた顔を下にさげ、横に置いたロープを何気なく見た。
(こんなことならババアにリュック預けるんじゃなかったな…正直また持って歩くのめんどい…でも捨てるのもなんかもったいないし…)
心の中でアルトラーシャに荷物を預けたことを後悔した勇者に、ある男性の声が聞こえてきた。
「ああッ!? なんてことだ!? 切れてしまった!? もっと頑丈なものを買えばよかったか!?」
声のした方を振り向いてみると、勇者の視界に行商人風の男が荷を縛るロープが切れてしまい騒いでいる様子が飛び込んできた。
「どうしたらいいんだ!? どうしたら!? こんなんじゃあ!? こんなんじゃあああああ!!! こんなんじゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
(う、うるせー…ただでさえ気分が沈んでるっていうのに…男の絶叫なんて聞きたくない…)
男の絶叫に辟易した勇者は、自分の買ったロープを持ちながら叫ぶ男に近づいて行った。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「…なあ…ちょっと…」
男は自分の世界に入っているのか勇者の声は届いていない様子だった。
「おしまいだあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「なあ! おいってば!」
やはり届いていない。
「なぜだあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「話聞けって!!! ロープをやるから静かに…」
勇者はかなり大きめの声で話しかけたが聞こえていないのか反応は変わらなかった。
「おなかすいたよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「うるせええええええええええええ!!! 静かにしろやあああああああああああああああ!!!」
とうとう勇者も叫び声をあげた。
「なんだい君は? 広場では静かにするものだよ?」
シラフに戻った男に勇者は注意された。
「お前に言われたくないんだよ!? ロープやるから静かにしろって言いにきたんだよ俺は!?」
「本当かああああああああああああああああああああい!? 本当にィィィィィィロォォォォォォォプをくれるって言うのかああああああああああああああああああああああい!!??」
「だからうるせーよ!? ロープならやるから耳元で叫ぶな!」
ロープをくれると言われ歓喜の叫びを勇者の耳元であげた男は勇者の手を握り礼を言い始めた。
「ありがとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!! 本当にィィィィィィィありがとううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!」
「わかったよ!? わかったから静かにしてくれ!? あと手を離せ!?」
握った手をぶんぶんと振り回しながら叫ぶことを止めない男を何とか静かにさせた勇者はようやく本題に戻り、会話を始めた。
「いや~助かるよ! 君は命の恩人だ! おっと、お礼の前に自己紹介をするべきだったな! 私の名はベルヴォルフ、今もビッグな男だが、さらにビッグになるべく修行の旅に出るところだったんだ! ところで君の名前は?」
ベルヴォルフと名乗ったスキンヘッドが特徴の30歳ほどで商人風の男は勇者に名前を聞いてきた。
「俺は…」
「なるほど、粗末粗相君か! 良い名前だね!」
「誰だよ!? まだ何も言ってないだろ!? 勝手に人の名前を変えるな!? 聞いて驚け、俺は異世界から召喚された勇者だ! 断じて粗末粗相なんて粗末で粗相をしそうな名前じゃない!」
「おっとっと先走ってしまったよ、私の悪い癖でね、って勇者!? 君、異世界から召喚された勇者なのかい!? すごいなあ!」
「へへッ、まあね!」
勇者は照れ笑いを浮かべた。
「それでは互いに自己紹介も終わったことだし、あらためてお礼を言わせてくれ、ありがとうティンティン君!」
「おいお前話聞いてたかッ!!??」
「聞いていたさ、タダでロープをくれるなんて、なんて良い奴なんだ君は! お金は出せないが、私は結構な情報通でね、何か知りたいことがあったら聞いてくれ! 君の恩義に報いたい、感動を覚えた一人の人間として! さあ皮カムリ君!」
「感動なんか覚える前に人の名前を覚えろよ!!??」
「あっはっはっはっはっは! わかっているよ、わかっているともウォシュレット君!」
「わかってねーだろハゲ!? その辺に生えてる雑草を死滅した毛根の代わりに植えてやろーかコラ!?」
「(待ってください勇者様! 情報通って言ってますし、ウルルグさんの話を聞いてみたらどうですか?)」
苛立つ勇者にトイレブラシは脳内でアドバイスを試みた。
「(いやー…この失礼なハゲが知ってるとはとても思えないんだけど…だいたい会話すら成り立ってねえじゃん…無意味だろ…)」
「(物は試しというじゃないですか。手がかりもありませんし聞くだけ聞いてみましょうよ。ね?)」
「(…そうだな…無駄だろうけど…一応聞いてみるか…はぁー…)」
「さあどうしたんだい! どんどん聞いてくれ!」
ベルヴォルフは胸を叩き、勇者からの質問を待った。
「…じゃあちょっと聞きたいんだけど…ウルルグって行商人の住んでる場所わかる…?」
トイレブラシのアドバイスに従った勇者はウルルグの話をしぶしぶ切り出した。
「ウルルグ? もちろん知っているよ!」
「あーわかったわかった知らないんだなまあ、あてにはしてな………え!? 知ってんの!?」
「当然じゃあないか! さっきも言ったが私は情報通なんだ!」
「…でも…本当に知ってんのか…?」
勇者は疑いの眼差しを向けた。
「失敬な! 知っているとも! ドケチで友達が少なくて足が臭いと評判の行商人ウルルグ・ラセラルのことだろう?」
「足が臭いってのは知らないけど…確かにあってる…」
町で調べたウルルグという商人の特徴と合致したため勇者は驚いた。
「それでどうするんだい? 知りたいのなら地図を描くが」
「うー…ん…」
勇者は歯切れの悪い返事を返しながら、腕を組んで考え込んだ。
「(どうしたんですか? 描いてもらいましょうよ地図!)」
考え込んだ勇者にトイレブラシは話しかけ、勇者もそれに返し出した。
「(いや、こいつの描いた地図ってあてになんのかなあ…と思ってさ。もし地図通りに進んで変なところに出たら嫌だし…)」
「(でも今日実際にやってみてわかりましたが、町中を何の情報も無くしらみつぶしに探すのは正直無謀だと思いますよ。このラムラぜラスは一応王都ですから人口や町の広さを考えると一日や二日ではとても不可能です。むしろ今日ウルルグさんの情報を手に入れられたのはかなりの幸運ですもん)」
「(…確かに…今日探した場所以外を探すにしてもかなり時間がかかるよな…かといって情報を手に入れるための金もない…か…これ以上時間をかけてホームレス高校生続けるのも嫌だし…仕方ない…賭けてみるか)」
ベルヴォルフをいまいち信用できない勇者だったが、かけられる時間や労力を考え、ベルヴォルフの情報に賭けてみようと決心した。
「頼む、地図を描いてくれ!」
「よおし、まかせてくれたまえよ!」
勇者の頼みに二つ返事で応じると、ベルヴォルフは荷馬車から無地の紙とペンを取り出し、勇者に背を向けながらささっと紙にペンを走らせ地図を描いた後、紙を四つ折りにして勇者に手渡した。
「どうぞ受け取ってくれ!」
「ああ、ありがと」
「他に聞きたい情報はないかい?」
「いや、今は特にないかな」
「そうか、では私はそろそろ旅に出発しようと思う。君のような優しい人と別れるのはつらいが今日という日の思い出を胸にしまってこの悲しみを乗り越えるとするよ! そうだ、最後に握手を交わそう!」
「……うん…それじゃあ…」
ベルヴォルフの涙をこらえた目に若干引きつつも勇者は握手に応じた。
「これで準備完了だ! よっと!」
ベルヴォルフは勇者から貰ったロープで荷をきつく縛ると馬車に積み込み、自身も乗り込んだ。
「それでは、さらばだ! はいよおおおおお!」
額の前で人差し指と中指をピッと立てたベルヴォルフは馬に鞭を叩き馬車を走らせ、取り立てて関心のなさそうな顔をした勇者はそれを無言で見送った。
「おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!」
「ん…? なんだ…?」
ベルヴォルフが出立したのを見て立ち去ろうとした勇者に向かって、すでに馬車でかなり遠くまで進んだベルヴォルフが馬車の操縦席から身を乗り出しこちらを振り返りながら手を振って勇者に声をかけてきた。
「またどこかで会おう!!! 君の名前は忘れない!!! 我が友、ボッッットン便器くううううううううううううううううううううううううううううううううううん!!!!」
「今すぐ忘れろこのハゲええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
友に別れを告げた勇者は、町の人々の突き刺さる視線とヒソヒソ話を無視し、貰った地図を開きながら歩き出した。
「……………なんだこれは……………これが…………これが地図だとォォォォォォォォォォォォォ!!??」
貰った地図を開いてみて勇者が感じた感情は感謝ではなく怒りだった。
「西門、出て、真っ直ぐ、大きな木の下、家………ってなんなんだよこれはァァァァァァァァァァァ!!?? 暗号か!? 暗号なのかァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!??」
勇者が地図として貰った無地の紙には以下のような内容が描かれていた、地図の下の方の紙の切れ目の部部には棒線が引っ張られ西門と説明され、その紙の切れ目から真っ直ぐ矢印が上に伸び、その矢印にさえも出て、真っ直ぐと横に解説の文字が書かれていた。そして矢印が指す場所には大きな木とその下に家と説明がされた簡単な図形が描かれていた。そう、その地図はそれだけだった、ただそれだけで構成されていた。
「幼稚園児の落書きだってもうちょっとちゃんと読み手にわかるようにと真心を込めて描くというのにィィィィィィィィィィィィィィ!!! 宝の地図じゃあねえんだぞォォォォォォわかってんのかあの腐れハゲはァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
人目も憚らず叫び声をあげた勇者はその後、歯をギリギリと音を立てて鳴らしながらベルヴォルフへの怒りに燃えた。
「(冷静になってください勇者様! 西門から出て真っ直ぐ行ったところにある大きな木が特徴の家ということはわかったんですから!)」
勇者と違い人目を憚ったトイレブラシは声に出さず勇者を鎮めようとした。
「(ふざけんなこんなんでなにがわかるんだよ!? こんな言葉の通じない原住民族との会話みたいな地図じゃ場所なんてわかるわけないだろ!? おれ・おまえ・ともだち、で通じるのは会話までなんだよ!?)」
「(いいじゃないですか無駄に装飾したものに価値はありませんよ)」
「(地図には必要なんだよ無駄な装飾がッ!!! 地図っていうのは目的地にたどり着くまでの間の部分が重要なんだろ!? だいたいこれ目的地にたどり着くまでの距離も書かれてねーじゃん!?)」
「(あ、でもほら勇者様! ここに小さく、すぐ着くって書いてありますよ!)」
トイレブラシの指摘通り、地図の中央に小さく『すぐ着く』と文字が書かれていた。
「(だから、すぐっていつなんだ!? それが知りたいんだよ地図っていうものはそれを教えるものだろ抽象的すぎるんだよおおおおおおおおおおおおおおお!!??」
「(………勇者様、文句を言いたい気持ちはわかりますが行動しなければ輝かしい未来はありません…また公園で寝るおつもりですか…?)」
「(うぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ…ぐがあああああああああああああああああああああああああ!!!)」
勇者は頭をかきむしった後、地面に膝をついて天を見上げた。
「…やるしか…ないのか…」
勇者は天に向かってポツリとつぶやくと上に向けていた顔を下にさげ、立ち上がり再び歩き出した。
「(とりあえず城にいったん戻ってアルトラーシャ姫に事情を説明しましょう! そうすれば馬車とかの準備をしてもらえますよ!)」
「(そうだな。町の外に出るならいろいろ必要だしな。ところで今までバタバタしてて聞いてなかったけどこのヴァルなんとかって世界には魔物とかいるのか? よくゲームとかだと町の外には魔物が出るけど)」
「(いますよ。ただ魔物といっても千差万別で人を襲う凶暴な魔物もいれば、おとなしくて人から逃げ回るタイプの魔物まで様々です。あと魔物とは別に魔獣という凶暴な怪物がいるのですが大きな町の近くにはでないので大丈夫だと思います)」
「(ふーんそうなのか、でも襲ってくる奴もいるならかっこいい剣とか盾とか装備しなきゃだめだろうな! 丸腰じゃあさすがにヤバそうだ!)」
「(丸腰? 何言ってるんですか! 勇者様はすでに最強の武器を持っているっていうのに!)」
「(最強の武器って…俺がいつそんなものを手に入れたっていうんだよ…?…あっ…そうか!)」
「(そうです! その通りですよ!)」
勇者は納得がいった顔をすると自信満々にトイレブラシに答えを言おうとした。
「(俺の股間の…)」
「(違いますよ!! 全然まったく違います!! ホントやめていただけませんか女の子の前で下ネタを平気で言う男の人は嫌われますよ!!!)」
「(…どこに女の子がいるんだよ…じゃあ俺の股間の聖剣以外に強力な武器があるとでも言うつもりか…?)」
「(当たり前です! そんな穢れた聖剣以上に役立つ真の聖剣があるでしょう! 左手をよくみんさいな!)」
勇者は言われた通り左手を、ひいては左手に握られたトイレブラシを注視した。
「(えへへー! いつでも貴方を守る輝かしい聖剣の姿がそこにはあったのであった! えっへん!)」
自身を聖剣と言って憚らないトイレブラシを白けた顔で見つめた勇者はポツリと一言つぶやいた。
「武器が必要だな」
左手に向けた目を前に向け直し、勇者は城に向かって歩き出した。
「(ちょっとォ!? なんですかその反応は!? こんなに可愛くて頼りになる武器なんて私以外いませんよ!? 聞いてますか!? ねえ!? 勇者様ってばあああああああああああああああああ!!??)」
トイレブラシの声を無視した勇者は黙々とただ歩き続けた。
「着いたな城門…さて…ババアのやつ、ちゃんと俺の顔登録しただろうな…」
橋を渡った勇者は相も変わらず誰もいない城門の前に到着していた。
「そんなことより私を無視するなんてひどいです!」
「わかったよ悪かったって、でもお前武器じゃねーからマジで」
トイレブラシをなだめて落ち着かせると、勇者は早速自分の顔が登録されているか確認した。
「認証開始!」
「了解。認証を開始します」
勇者が認証開始と言うと、門に取り付けられた水晶が勇者の顔を照らした。
「認証終了。開門します」
「ふう、よかった。さすがにババアも二度は間違えないか。危うく覚悟を決めてもらうところだったぜ!」
勇者はホッと胸を撫で下ろし門が開ききるのを待った、そして門が完全に開ききると来訪者の名前を水晶は高らかに告げた。
「ようこそ路上生活者様!」
「よしババア覚悟しとけよ」
勇者はアルトラーシャのいるであろう城の内部に突撃を開始した。
「うおおおおおおおおおお!!! 見つけたぞババアああああああああああああああああ!!!」
「きゃあああああああああ!!! なんですの!? どうして追いかけてくるんですのおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「なんでだとォォォォ!? てめえ今度は人の名前間違えやがってよおおおおお!!! なんだ路上生活者様ってコラァァァボケがあああああああああああああああああ!!!」
勇者とアルトラーシャは城内で壮絶な鬼ごっこをしていた。アルトラーシャはドレスの裾を両手でまくり上げながら走り、勇者も力の続く限り追いかけ続けた。その後両者は汗だくになり顔芸と呼んでも差し支えない表情のまま城の廊下で倒れ込み息を整えていた。
「ぜえ…ぜえ…ババア…そんなフリフリのドレス…着ているくせに…はぁ…ぜえ…なんて…速さだ…」
「わ、ワタクシ…ぜえ…こ…こう見えて…は、ゲホッ…走るの…と、得意なんですの…はぁ…ゲホッ…ゲホッ…」
「くっそ…ゴフッ…きょ、今日の…ところは…その…無駄に速い…ぜえ…足に…免じて…か…はぁ…かんべんしてやる…た、ただし…次は…ないぜ…今度こそ…ちゃんとなおし…ゲホッ…ておけよ…」
「わ…わかり…うえっふ…ました…わ…で、でもまさにピッタリのネーミングではありませんこと…?」
「あ゛あ゛ん!!??」
「な、なんでもありませんわ! オホホ!」
勇者とアルトラーシャは息を整え終わると立ち上がり、任務の話を始めた。
「なるほど、そういうことだったんですの。鳥さんが干していたワタクシのパンティをくわえて飛んで行ってしまったんですのね」
「ああ、だから泥棒とかではない」
「しかし種族の壁を越えて鳥さんまで魅了してしまうとは…ワタクシって…罪な女」
「…単純に光ってたからくわえて持ってったってだけだろ…」
「美しいって…それだけで…大・罪!」
「おい聞けよ」
自分の世界に入りこんでしまったアルトラーシャを現実に戻すと、勇者はいよいよ本題に入った。
「それで鳥が落としたパンツはウルルグって行商人が持ってる可能性が高いんだ。でも町の外に住んでるっぽいからさ、ウルルグの家に行くまでの馬車とか武器とか装備をいろいろ貸して欲しいんだよ」
「事情はわかりましたわ。武器などの装備に関してはご自由にお持ちください、ただ馬車に関してはちょっと問題がありまして…」
アルトラーシャは言いづらそうに言葉を濁した。
「問題って、馬車が無くて貸せないってことか…?」
「いえ馬車自体はあるんですが車を引く馬のほうが不足してまして…まったくいないわけではないのですが」
「なんだ、でも一応いるにはいるのか。それなら今いる馬でいいよ」
「そうですか? 勇者様がそうおっしゃるのなら、わかりましたわ。そういうことでしたらワタクシは水と食料を積んだ馬車を城門の前に用意しておきますわ。勇者様はどうぞ武器庫で武器を選んできてくださいまし。どれでも好きなものを選んで持ってきて構いませんので」
「おおマジで! 太っ腹!」
「レディに太っ腹なんて失礼ですわよもう!」
「ごめんごめん! じゃあ早速選んでくるわ!」
「場所はわかりますわよね?」
「大丈夫だ! 馬車の方は頼んだぜ! ひゃッほーい! 武器だ武器だ!」
「お任せくださいませ」
かっこいい武器が手に入ると思った勇者は喜び勇んでまるで子供のようにはしゃぎながら、廊下を走り出した。
「勇者様、武器庫の場所本当に覚えてるんですか? この城って結構複雑なのに」
ある程度アルトラーシャと距離が離れるとトイレブラシが心配そうに声をかけてきた。
「いやわからない。お前にナビゲートしてもらおうと思って」
「はぁー…他力本願なんですからまったくもう!」
トイレブラシの案内のもと複雑な城内を通り、勇者は件の武器庫に到着した、そしてホコリだらけの武器庫の中に入った。
「相変わらずホコリにまみれた武器庫だな。これで戦時中とか…今でも信じらんないぞ。手入れする人間は一人もいなかったのかよ」
勇者はホコリを被った剣や盾、槍などを物色しながら呆れた声を出した。
「そうですね。馬が少なかったり、お姫様以外この城に人がいなかったりすることと何か関係があるのかもしれませんね」
トイレブラシも勇者の意見に同調した。
「ま、いづれ聞き出すにせよ今は武器だな武器! ホコリ被ってるとはいえこの倉庫の武器自体は結構かっこいいデザインしてやがるぜ! うひょー!」
ホコリを手や息で払いながら武器の造形を確認した勇者は声を弾ませる。
「それにしても武器を見るのってそんなに楽しいですかね? いまいちよくわからないです」
「武器を見てなんとも思わない男なんていないだろ! 小学生とか中学生のときはよく箒とか木の枝でチャンバラしたもんだよ! まさか実物を握る日がこようとはな、ククク、それではさっそく…」
勇者は二ヤつきながら木の台の上に横向きにして置かれた鞘に収められた剣を試しに右手で持ち上げようとした。
「ん? 結構重いな。この重量、素晴らしい! 気合入れんぜ!」
だが想像していた以上に重かったのか一度では持ち上がらなかったが、再び気合を入れて持ち上げる。
「いよっ!!!…と、とととととと!? うわああッ!?」
一度はなんとか持ち上がった剣だったが、勇者の右腕が剣の重量に耐えきれず、ちょうど勇者の胸の上に落ちる形で剣もろとも勇者は地面に倒れ、ホコリが舞い上がる。
「ちょッ!? 勇者様ッ!? 怪我してませんか!?」
「いつつ…うー…ああ…大丈夫だよ…しかしこれ重すぎないかな…」
胸の上の剣をどかして床に寝かせると立ち上がり、学生服についたホコリを手で払う。
「鉄で出来てますからね。そりゃあ重いですよ」
「お前いったん左手から離れられないか? 両手ならいけそうな気がするんだけど」
「無理です、しばらくの間は離れられないと言ったじゃないですか。それにその剣は片手剣ですよ。片手で持ってください」
「んなこと言ったってなぁ………ふああああああああああああぬぬぬぬ!!!…だ、だめだ…」
もう一度右手で剣を持ち上げようと踏ん張った勇者だったが、中腰である程度剣を空中に浮かせることはできるものの完全に持ち上げ、振るのはやはり無理だった。
「もやしですね」
「うっせ」
(でもおかしいですね、今の魔力が通っている状態の勇者様だったらそのくらいの剣なら簡単に持てるはずなんですが…やっぱりまだ安定していないんでしょうか…)
勇者の非力っぷりに心の中で疑問を抱いたトイレブラシのことなど露知らず勇者は落とした剣を引きづりながらもなんとか台の上に戻し、別の武器の探索を開始した。
「く、クソッタレ! どれもこれも重すぎだろうチキショウめ!」
槍や別の剣なども試した勇者だったがやはりどれもこれも重いため勇者がまともに振れそうな武器はなく、結果として床には勇者が試した武器が散乱していた。
「というか勇者様さっきから重い武器ばかり選んでるでしょう。そこの壁にかかっている短剣なんてどうですか?」
左手を操作したトイレブラシは壁に取り付けられた柄と刀身を含めておよそ60センチメートルほどの短剣を指し示した。
「えー…こんなちゃちい武器で戦えんのかぁ…?」
勇者は壁にかけられた短剣を手に取ると鞘を左わきに挟むようにして短剣を抜いた。短剣は両刃タイプでそれほど太くはないが比較的に勇者でも扱えそうなものだった。
「振れない武器持ってたって仕方ないじゃないですか…と言いたいところですが、確かに短剣だけでは少し頼りないかもしれませんからもう一本いただいて行きましょう。勇者様、柄の先端に赤くて小さな水晶がついている剣を探してみてください」
「赤くて小さな水晶? なんだかよくわかんねーけど、わかった」
勇者は短剣をわきに挟んだ鞘に戻すとそれを抱えたままトイレブラシの指示した武器を探し始めた。
「ん~と、どこにあんのか、お? これか」
武器庫の奥の方に進んだ勇者は他の武器と分けられるようにして置かれていた剣の中からトイレブラシの指示通り、赤い小さな水晶が柄の先端に取り付けられた剣を見つけた。
「あれ、よく見ると他の剣にも色の違う水晶が付いてるな。なんなんだこれ?」
目を凝らした勇者は他の剣の柄にも青、黄、緑色の水晶が取り付けられているのに気が付いた。
「それは魔具に取り付けられる魔石というものです。つまりその水晶が取り付けられている剣は全て魔具ということです」
「へ~これ全部がかよ! 俗にいう魔剣ってやつか! かっこいいじゃないか!」
(よかった、ちゃんと見つかって。でも見たところあまり強力な魔具じゃないですね。もし『メルティクラフト』を使うことになったら耐えられるかどうか…いや…そんな状況にはまだならないはず…それほど遠くに行くわけではないはずだし…)
目当てのものを見つけることが出来た喜びはあったもののトイレブラシの望むほどの魔具ではなかったため大喜びできるほどではなかった。
「…でもこれ…かっこいいのは、いいんだけどさ…さっき持った剣より明らかにデカいぞ…こんなん振れないんじゃないか…?」
「大丈夫ですよ、それは保険みたいなものですから。実際に振っていただかなくても平気です、とりあえず持っておいてください」
刀身が1メートルを超える両刃で両手剣タイプの魔具を見ながら心配そうな声を出した勇者を安心させるようにトイレブラシは言葉を返した。
「そうか? ま、でも確かにこの破壊神にふさわしい剣であることには違いないわな! いざとなれば真の力を開放すればいいだけだしな! なははははははは! よっこらせっと! っととと!? うわああああああああああああああああ!?」
勇者は先ほどと同じように持ち上げた剣の重さに耐えきれず剣と共に地面に倒れ、ドスンという音が部屋に響きホコリが舞い上がる。
「…真の力なんか解放しなくていいですから筋トレして普通の力をつけてくださいよ…」
トイレブラシは呆れた声をだし、勇者を非難した。
「か、肩にヒモが食い込む…な…コレ結構痛いぞ…剣士って…肩こりそうな職業だったんだな…」
鞘に付いたベルト状のひもを右肩にたすき掛けするようにして剣を背負った勇者は顔を痛そうに歪めながら初めて剣を背負った感想を述べた。そして肩ばかり気にしていた勇者だったがその腰の左側には先ほどわきに抱えていた短剣が下げられていた。
「それくらいは我慢してくださいね。あと赤い魔石がついている剣ですよねそれ」
「ああ、言われた通り赤いやつにしたけど、何か意味あんのか…?」
「ええ。ウルルグさんのお家までの道すがらご説明しますよ、ただ全部の説明は無理かもです」
「何でだよ」
「一つを説明すると、また別の疑問がわくと思うからです」
「説明に説明が必要ってことか? めんどうだな」
「技術ってみんなそんなものだと思いますよ。それでは準備も整いましたし、そろそろ行きましょうか」
「そうだな、ババアも待ってるだろうし。行くか」
両肩を回しつつ勇者は武器庫を出てアルトラーシャが待っているであろう城の正門に向かった。
「…あのさ…確かに俺は今いる馬でいいとは言った、確かに言ったよ…」
「はい、勇者様のおっしゃる通りこのように馬を用意いたしましたわ」
勇者は城内を抜け城門の前に用意された馬車を見て表情を渋くした、そして馬車の横で勇者を待っていたアルトラーシャに物申すつもりで会話を始めた。
「でもさ…これは…ちょっと…元気が…ないっていうか…やる気が感じられないんだけど…」
華美な装飾が施された馬車の先頭で座り込んでしまっている馬に対して勇者は苦言を呈した。
「大丈夫ですわ! なんと言ってもこの馬、サンダーブレードは競走馬の大会で優勝した経験のある名馬中の名馬ですもの!」
「へえ、それはすごいな! 今年の優勝馬か、そりゃあ縁起がいいぜ! このやる気の無さそうな態度も強者の余裕ってやつか!」
「今年? いえ優勝したのは二十年ほど前ですわ」
「え?…二十…年前…?…ちょっと待って…サンダーブレードって今何歳なの…?」
「ええと…確か…優勝したのが六歳ころと聞いておりますから今年で二十六歳のはずですわ」
「(おい便ブラ、お前馬の寿命って知ってる…?)」
「(確か二十歳から二十五歳くらいだったような…)」
「完璧ジジイじゃねーかッ!? 引けないだろ馬車なんてこれじゃあ!? 他の馬はないのか!?」
トイレブラシに脳内で問いかけた勇者は答えを聞くなり声を荒げアルトラーシャを問い詰める。
「残念ながら今この城にいるのはこのサンダーブレード一頭だけですわ」
「なんでだよ!?」
「戦時中ゆえ」
「またそれか!? 前から聞こうと思ってたけど、この城に誰もいないことと何か関係あんのか!?」
「ええ…深く関係しておりますわ…でも…この場では語りつくせませんの…グス…グスン…この任務が終わり…時間に余裕が出来た時には…グスン…必ず…お話いたしますわ…ぅグスン…」
アルトラーシャは目に涙を溜めてすすり泣きをしだした。
「…わかったよ…わかったから泣くなよ…でもこの任務が終わったらちゃんと聞かせてもらうからな!」
勇者と約束を交わしたアルトラーシャは胸元からハンカチを取り出すと鼻をかみはじめた。
「はい、お約束いたしますわ…グスン…チィィィィィィィィン!!!」
「はぁ…泣きたいのはこっちだっつの…」
「…使いますか…?」
アルトラーシャは鼻水で汚れたハンカチを勇者に差し出してきた。
「いらねーよッ!!??」
勇者はこのまま会話していても埒が明かないと思ったのか、とりあえず動くかどうか確かめるために馬車に乗り込み操縦席で手綱を握っていた。
「…しかし…これ…動くのか…サンダーブレードは一応、立ってくれたけど…」
何とか立たせることに成功した白というより灰色に近い老いた馬を見つめながら勇者は心配する。
「大丈夫ですわ! きっとサンダーブレードは期待に応えてくれますわ! フレッフレッサンダーブレード! フレッフレッサンダーブレード! きっとワタクシの期待通り動いてくれますわー!」
(…切り替えの早いババアだな…)
さきほどの悲しそうな表情はどこえやら、どこからか取り出したピンクのボンボンを持って応援し始めたアルトラーシャを半目で睨みながら勇者は心の中で呆れる。
「…ババアはともかく…頼むぜサンダーブレード…!」
勇者は願いを込めて手綱で走るように指示をだした。
「………ピクリとも動かないんだけど…」
がいつまでたっても動く気配がなかった、そして時間だけがただ過ぎ去って行った。
「はいよおおッ!!! はいよおおお!!! サンダーブレードはいよおおッ!!!」
いつまでたっても馬車を引くことが出来ないサンダーブレードに業を煮やした勇者は馬車で行くことを諦め馬にじかに乗っていくことに決め、西門に向かって今まさに町の中をを駆け抜けていた。
「早くしないとおいてくぞー!」
「待ってよ兄ちゃん!」
「はいよおおッ!!! はいよおおお!!! サンダーブレードはいよおおッ!!!」
馬で町を全力疾走する勇者の横を兄弟と思しき小さな子供たちが元気よく抜かしていった。
「腰がいたいのぅ。足がつってきたわい」
「はいよおおッ!!! はいよおおお!!! サンダーブレードはいよおおッ!!!」
杖をついた老人も勇者の横を追い抜いて行った。
「うう…日帰りは…絶望的だ…」
足の悪い老人以下の走力のサンダーブレードの上で勇者は嘆いた。
「(なあ便ブラ…これなら徒歩で行った方がよかったんじゃないか…?…水と食料、装備も最低限度のものしか積めなかったしよー)」
「(でもせっかく貸していただいたんですし…なんだかんだいっても体力温存にはなりますよ…それに勇者様って馬に乗るの初めてでしょう…? このくらいの速度のほうが初心者にはかえってよかったんじゃないですか…?)」
「(つっても遅すぎだろ…杖ついた爺さん以下じゃねーか…)」
かなりの時間をかけてようやく西門付近に到着した、そして不安げな勇者の心を心配したのかトイレブラシは西門をくぐる寸前にウルハ国の周辺の地形や気候の話をして安心させようとした。
「(そんな不安そうな顔しないでください勇者様! ウルハ近郊は温暖な気候で緑にあふれてるって話ですよ! この世のものとは思えないほど綺麗なお花畑や珍しい木々でいっぱいとかなんとか! それゆえウルハ国は緑の楽園とか言われてるんだそうです! それらを見ながらピクニック感覚で行きましょうよ!)」
「(…この世のものとは思えないほどの綺麗な花、か…そうだな…落ち込んでたってしょうがないもんな…のんびり行くか! ピクニック感覚で!)」
「(はい! もう遠足に行くくらいの気持ちで行きましょう!」
「(遠足? おいおい、おやつなんて用意してないぜ?)」
「(それもそうですね、あははははは!)」
「(まったくだよ、あはははははは!)」
談笑しながら町の西門をくぐった勇者とトイレブラシの目に飛び込んできた風景はまるでこの世のものとは思えないほどの
「「((あははははははははははははは!!!))」」
荒れ果てた荒野が広がっていた。
「「((あは…は…ははは…は………は…………))」」
乾いた風が砂埃を巻き上げながら勇者とトイレブラシの間を吹き抜けていった。
「…おい…緑の…楽園が…なんだって…?」
「…あれれぇーーー…?」
勇者の問いかけにトイレブラシはすっとぼけたような声をあげた。
「…いくら進んでも先に見えるのは変わり映えのない荒野…真っ直ぐ進めているのかどうかもわかんないんだけど…」
「大丈夫ですよ、私が確認していますから。間違いなく真っ直ぐには進めています」
西門の前でいつまでも立ち尽くしてはいられなかったためサンダーブレードに跨り、ゆっくりと地図通りに真っ直ぐ進み始めた勇者だったが、いくら進んでも何もない荒野しか見えず、彼の心を虚しくさせた。
「…それにしてもマジで何もねえな…お前のガイドブック情報どこ経由よ…?…実際に行ったことのないライターが適当に書いた情報だろ絶対…」
「信頼できる情報のはず…なんですがたぶん…でも確かにこれじゃあちょっと退屈ですね…そうだ! 退屈しのぎも兼ねて今のうちに魔石や魔具について説明しておきますね!」
「…ああ、そうだったな…説明してくれるんだっけか…」
「はい、じゃあまずは魔石について説明しますね。魔石とはその名の通り魔力の塊の石なんですが、これは大気に満ちた目に見えない魔力の粒子が鉱石などに付着し、長年かけて内部の構造を変化させたものなんです。実際見た感じは鉱石と言うよりは水晶に近い感じに出来上がるんですが、勇者様も町やお城で見ましたよね?」
「確かに、町で売ってるのを見たな。城では俺が背負ってるこの剣とあとは、そういえば城の門にもくっついてたな」
「はい、その通りです。ではここで魔具の話に移りたいと思います。魔具とは魔石を取り付けられた種々の道具のことを指す名称のことです。武器から門の開閉や町の灯り、水を汲み上げるポンプのような魔具まで様々で、魔石を動力源にして動く、人々にとっては大切な文明の礎なんですよ」
「地球でいうと動力の違う機械みたいなもんってことか」
「そうですね、そういうことでいいと思います。魔具には魔術と同じくらい種類がたくさんあるので勇者様には武器についてだけ簡単に説明したいと思いますね。それでここから勇者様が今背負ってる剣についての説明になるんですが、その前に昨日私が話した属性魔術の説明をどこまで覚えているか確認してもいいですか…?」
「えっと、火と水と土と風の属性があって、無属性魔術と違って誰でも使えるわけじゃなくて、攻撃力が高い、だっけか…?」
「合ってます、よかった。これなら話しても大丈夫そうです。では続きを話します、この世界の人間は誰しもが強弱はあれど魂から魔力を発して生きているのですが、勇者様が今おっしゃったように属性魔術は魔術師というだけで誰でも使えるというわけではないんですが、これは大気に含まれる魔力粒子の影響を受けた魔術師の体内で生成された魔結晶という、まあいうなれば人間の体内に出来た魔石みたいなものが原因と言われています…けど…」
「けど? けどってなんだよ?」
「なんか学説が分かれてまして…今あげたのが主要な学説なんですがこれは属性魔術を行うための要素として体内の魔結晶こそが重要というものなんです、これを学説その1としますね。それに対してもう一つ有名な学説がありまして、それを学説その2と呼称します…その学説その2では属性魔術を行うのに重要なものは魂そのものであり、魔結晶とは魂から生じた副次的なものにすぎないと言われています…つまり魔結晶が大気に含まれる魔力粒子や遺伝によって生じたから属性魔術を使えるようになったわけではなく魂を持って生まれたそのときから属性は決められている、というらしいです、だから仮に属性を持った人から魔結晶を引き抜いても魂さえ健在ならば属性魔術は使えるはずだと主張しています…私は学説その2が正しいんじゃないかなあと思ってるんですが…世論は学説その1が強いらしいですね…まあどっちが正しいかはちゃんとした結論が出ていないのでわかりませんが」
「引っこ抜いて確かめてみればはっきりするんじゃね?」
「いえ…多分協力する人はいないと思います…もしそれで属性魔術が使えなくなってしまったら、その人の人生いっかんの終わりですから…属性を持つというのはエリートの証明であり、人生を左右するものなんです…属性持ちというだけでまず貧乏な暮らしをすることはないでしょう」
「そうなのか…しかしマジかよ…体の中にあの石っころがねえ…」
「学説その1では大気に満ちた魔力粒子を体内に取り込んで内部が変化したとされています。そしてさっきも言いましたが、遺伝によって属性を持った人の子供はその属性の魔結晶を持ちやすいとも主張されています。でも必ずしも遺伝するわけではなく親が火属性の魔結晶を持っていても子供は水属性の魔結晶になったり、もしくは魔結晶自体遺伝しなかったりと色々あって、逆に親が魔結晶を持っていなくても子供が持っていたりという場合もあるらしいです。ただ監禁されて外に出されず、魔力粒子とは無縁で、親が属性持ちでないにも関わらず属性を発現させた子供がいまして、それが学説その2の勢いを強めたんです。魔結晶とは魔力粒子や遺伝によって生まれるのではなく魂そのものが物質化したものであると、がそれは単に隔世遺伝の問題と反論が…」
「あーわかったわかったもういいよどっちにしろ属性ってのは生まれ持った才能みたいなもんなんだろ。それで、なんでそれがこの剣の話につながるんだ…?」
「それはその剣、というか魔具の武器全般に埋め込まれた魔石が魔結晶を模して作られたものだからです。学説その2は証明しようがないのでこれからする話は学説その1によって魔術師全員に教えられる共通の知識と思って聞いてください。無属性魔術は魔力さえあれば使えます、しかしそれとは違い属性魔術とは詠唱により体内の魔結晶と魂の魔力の両方を使用し、体外の大気に含まれた魔力粒子を反応させて起こす強力なものなんですが、魔結晶を持っていない人でもその剣に用いられている魔石を使えば比較的に簡単な詠唱で同じような事が出来るんです」
「え、じゃあ属性魔術が使えるってことか? なんだそれなら別に魔結晶持ってるやつらは特別でもなんでもないじゃん」
「いえ、確かに属性魔術を使えるには使えるんですが、魔結晶を持った人が放つ属性魔術の威力とは比べるまでもなく弱いんですよ。いわゆる劣化版属性魔術というやつですね、魔術攻撃というよりも武器にその属性を付加するエンチャントみたいな感じです。火属性だったら剣を燃え上がらせて攻撃力を上げたりといった具合に、魔術師が持つというより無属性の剣士とかの前衛の人が持つんですよ武器系統の魔具は。属性を持った人たちには別の使い方もあるんですがこれはまた後で説明します。とにかく今はそれだけ覚えておいてください」
「ふーん、この剣にはそんな効果があるのか…でもなんで赤い水晶が付いてるやつを選ばせたんだ?」
「それを説明する前にまず、魔石の色について説明しますね。赤は火属性、青は水属性、黄色は土属性、緑は風属性の魔石なんですよ」
「ってことは赤い魔石のついたこれは…」
「はい、火属性の剣ということになります。そしてなぜ火属性の剣を選んだかというと…」
「選んだかというと…?」
「獣や弱い魔物は火を怖がるからです!」
「………そんだけ…?」
「はい」
「………なんだよ…もっと何かすごい理由があるのかと思ったよ…」
「十分ちゃんとした理由ですよ! それではこれで私の話は以上になります。他に何か質問はありますか?」
(本当はもっと重要な理由があるけど…これ以上説明したら勇者様の頭がこんがらがりそうだから今日のところはやめておこう)
トイレブラシは心の中でそっとつぶやくと、勇者に他に何か質問があるか尋ねた。
「…一つ聞きたいんだけど」
「何ですか…?」
「赤い魔石は火属性って言ったけど、門のところに取り付けられたあのデカくて赤い水晶も火属性の魔石なのか…?」
「確かにあの魔石はもう少し純度が高ければ火属性の魔石になっていたでしょうね」
「純度ってなんだよ」
「大気に満ちた火属性の魔力粒子が鉱石に多く付着したものを純度の高い魔石と言うんですがこの純度の高い魔石のほうは確かに魔結晶と同じ働きをしてくれるんです。しかし火属性の他に水やら土やら風やらが多く鉱石に付着してしまうと純度が低いただの動力源としか使えないものになってしまうんです、これは他の属性の魔石にも言えることですね。純度の高いものは色が濃く、低いものは色が薄いんです。門についていた魔石と今持っている剣を思い出しながら比較してみてください」
勇者は言われた通り背中の剣をひもをずらすようにして胸の前に回しながらもっていくと柄についた魔石と門の魔石を思い出し、比較した。
「…確かにこっちのほうが真っ赤いうか赤黒い気がするな…なるほどそういうことだったのか」
「ご納得していただけましたか?」
「ああ、でももう一つあるんだけど」
「何でしょうか…?」
「お前、前にしゃべる魔具は珍しいとかなんとか言ってたけど、なんで魔具がしゃべれるようになるんだ?」
「それはですね、物にも魂が宿るからです。勇者様の世界にもあるじゃないですかほら、長年使い続けたものに魂が宿る付喪神というやつが。この世界にもそういうもの、というか信仰みたいなやつがありまして、母なる世界によって人や動物、植物に限らず魔石や魔力粒子など万物全てが大小差はあれ魂をもって生まれ、死んだり壊れたり消滅するときには再び世界に還るとされるんです。どんなものも元をただせば皆同じ世界の一部ということなんですね。それで特に純度の高い魔石などの神秘の力を埋め込んだものは魂がやどりやすく長年使っていると宿った魂が人間と同じとは言えないまでもかなり大きくなり武器にしろ他の道具にしろ意思をもち会話が出来るようになるそうです」
「なるそうですって…他人事みたいだな、お前もそうなんだろ…?」
「えっ…?………あ、ああっとそうですね…あはは…そうでした…」
「で、その説明を聞いてさらに気になることができたんだけどさ…」
「な、なんです…か…?」
「お前魔石ついてなくね?」
勇者は左手で握ったままのトイレブラシを舐めまわすように見つめたが、魔石らしいものは確認できなかった。
「…えー…っとぉー…それはー…ですね…その…えの…そう柄のー…部分の…内部に…埋め込まれてるっていうか…その…」
「内部って、この安っぽい柄にか…?」
「安っぽくなんかないですよ! わ、私は特別性なので、魔石が露出しないように出来てるだけなんですよ!」
勇者は疑り深そうな目でトイレブラシを見つめた。
「な、なんですかその目は…」
「なーーーーんかお前って胡散臭いんだよねぇ。前から思ってたんだけどさぁ。何か隠してないかお前」
「い、いやですよもう! そ、そんなわけないじゃないですか! 清く正しい美少女聖剣のエクスカリバーちゃんが隠し事なんてそんなバカな…」
「だいたいエクスカリバーって俺の世界の伝承の剣じゃねーか、なんでその伝説の聖剣がヴァルなんとか出身なんだよ」
「な、何言ってるんですか! 聖剣というものは時間や空間を越えてあらゆる世界や時代に舞い降り、英雄のもとに馳せ参じるものですよ! 地球でもひと仕事を終えたら伝説になってしまっただけのことでして…」
勇者はジト目で言い訳のような弁明を繰り返すトイレブラシを見つめ続けた。
「きゅうぅぅぅぅぅ…あんまりいじめないでください…泣いちゃいます…きゅうぅぅぅぅぅぅぅう」
可愛らしい声で鳴き声をだして勇者に媚を売り始めたトイレブラシに対して勇者はさらに表情を疑わしそうな顔に変えた。
「そッ…そんな…私の可愛らしい仕草と声が効かないなんて…!?」
「…便所ブラシがやったところでキモイだけなんだよタコ」
「…うー………あっ! 勇者様! あそこ! あそこ見てください!」
トイレブラシは握られている左手ごと操作し、前方、というよりも斜め左上を指した。
「なんだ話をそらすつもりか…?」
「違いますよ! 大きな木が見えるんです!」
「なんだと! 本当か!」
トイレブラシのことを疑わしげに見つめていた勇者だったが、大きな木という単語を聞き、トイレブラシの指す方向を急いで見た。
「おお! 確かに! でもなんかずいぶん枯れてるな」
何もない荒れ果てた荒野の先に見えた大きな木はベルヴォルフが書いた地図の目的地だったが、勇者がポケットから取り出して比較した地図の絵とは違いずいぶん枯れている様子だった。
「ま、いっか! とにかくよかったぜ! 日もだいぶ暮れてきたみたいだし、野宿しないで済みそうだ! よくやったなサンダーブレード! 慣れない乗馬でケツは痛くなったが体力はそれほど消費しなかったよ! ありがとうサンダーブレード! もう少しだけがんばっ…」
勇者があと少し頑張ってもらおうとエールを送ろうとした瞬間にサンダーブレードは地面に座り込んだ。
「え!? サンダーブレードぉぉぉ!? ウソでしょ!? 老体に鞭打つようで申し訳ないんだけどもうちょっとがんばってくんない!? サンダーブレードさん!? ちょ、ねえってば!?」
勇者の呼びかけも虚しくサンダーブレードは頑として動かなかった。
「目的地までもう少しだってのに!? 仕方ない…よっと…よしこれで軽くなったろ? さあ歩いてくれ!」
サンダーブレードの鞍から地面に降りた勇者はサンダーブレードに再度立つように指示を出すがやはり動かない。
「おいってば!? なあ!? たのんますよサンダーブレード先輩!?」
サンダーブレードはそっぽを向いて勇者にこれ以上動きたくないと態度で示した。
「勇者様、今日は無理みたいですから、野宿して明日また進みませんか?」
「何言ってんだよ! もう目的地見えてんだぞ! もうちょっとじゃねえか! もうちょっと進めばこんなさびれた荒野で野宿せず暖かいウルルグの家でさらに温かい食事をご馳走になれるはずなんだぞ!」
「いや…ご馳走になれるかどうかなんてわからないですよ…ドケチって話じゃないですか」
「そんなことはないはずだ、人間困ったときはお互い様っていうだろ! もうこうなったら引きずってでも連れていくぞサンダーブレード! ふぬぬぬぬぬぬぬぬうううううううううううううううう!!!」
トイレブラシの意見を蹴って先に進むことを決心した勇者はサンダーブレードの手綱を前方に引っ張るようにして引きずって連れて行こうとした。
「ぐぬぬぬぬぬうううううううううううう!!! う、動かねえええええええええ!!!」
「馬って結構重いですからね、やっぱりやめた方がいいと思いますよ」
トイレブラシの言う通りサンダーブレードはとても重く、老いて痩せたとはいえ引きずって進むにはかなりの筋力を必要とした。
「あきらめるかああああああああああああああ!!! ぬううううううううううううううううう!!!」
しかしやはり勇者は諦めず、前方に見える枯れた大木を暖かい食事の想像に重ねながら歯を食いしばってサンダーブレードを引きずり、少しづつではあるものの前に前進し始めた、長く遠い2キロメートルほどの目的地にむかって。
「げほッ…ぜえ…ぜえ…つ、つ…い…だあ…ぜえ…うえっほ…かあ…うえふぇ…ぜええ…はあ…」
「いやあ、がんばりましたね勇者様! サンダーブレードを置いていかずに進み続けたその根性に敬意を表しますよ! 借りたお馬さんですからね、途中で放り出したらまずいですもんね! 偉いです!」
辺りはすっかり暗闇に包まれてしまったものの、勇者は枯れた大木の下にある屋根から飛び出た煙突が特徴的な小さな小屋のような家の前にサンダーブレードを引きずりながら到着した。しかし代償は大きく、息を荒げ、汗だくになりながら仰向けになって倒れてしまっていた。
「でも、到着したのはいいんですが、家に明かりがついてませんね。もう寝てしまったのでしょうか。それとも今日町に来てなかったみたいですから遠出してて留守なのでしょうか」
喋れないほど息を荒くした勇者に代わって、家の様子を見たトイレブラシは感想を漏らした。
「ここからではいるかどうかわかりませんし、やはり近づいて確認するしかないみたいですね。勇者様、立てそうですか?」
「あ、ああ…だ、大丈夫…はぁ…す、少し休めたから…な…」
勇者はヨロヨロと立ち上がるとふらつきながら家のドアに近づいて行った。
「…あのー…ウルルグ…さん…夜分遅くに申し訳ないんだけど、いたら出てきてくれないか!」
コンコン、とドアに二回、手でノックしながら勇者はウルルグに呼びかける。
「…やはりいないんでしょうか…」
続けて三回ほど同じようにノックをして呼びかけても何の応答もないため、トイレブラシはウルルグが遠出して留守の可能性を勇者に示唆した。
「それは困るぞ! ここまで来て無駄足なんて最悪すぎる!」
焦った勇者はドアノブをガチャガチャと音を立てて回し出した。
「ダメですよ勇者様! はたから見たら泥棒っぽいです!」
「んなこと言ったってこのままじゃ…あれ…?…開くぞ…このドア…」
驚いたことに、ドアにカギはかかっていなかった。
「…本当ですね…どうしてでしょうか…って何開けようとしてるんですか!」
勇者はがすでに扉を半分ほど開けているのに気付くとトイレブラシは非難した。
「何かあったのかもしれないだろ? 現状確認だよ!」
トイレブラシの非難の声にも構わず、勇者はドアを完全に引いて、開け放った。
「…暗くて何も見えな…え…うわあああああああああああああッ!!??」
ドアを引いて開けた瞬間、何者かの顎が勇者の肩にのり、そのあと体全体で勇者にのしかかってきた、そしてその拍子に勇者ともども地面に倒れ込む。
「勇者様!? 平気ですか!? 攻撃を受けましたか!?」
「い、いや、攻撃は受けてない。ただ俺のいる方に倒れてきただけみたいだ」
のしかかってきた人物をどかし、仰向けにして横たわらせると勇者は立ち上がった。
「それにしても…誰だ…こいつは…うッ…!?」
勇者は突然右手で顔を覆い、苦しそうなうめき声を出した。
「どうしたんですか!? やはり攻撃を受けたのですか!?」
「いや、ち、違う、こ、こいつ…臭いッ!!!」
「え? すんすん…うッ!?…本当ですね…しかもこの臭い…」
鼻を鳴らすようにして臭いを嗅いだトイレブラシはどこかで嗅いだことのある臭いに思い至った。
「ああ…間違いない…ラムラぜラスで嗅いだ臭いだ…ってことは…」
勇者は開かれたドアの先、家の中の暗闇にキラキラと光る虹色のパンツを見つけた。
「あッ! ババアのパンツだ! やっぱりここにあったのか! じゃあ…この男が…」
「ウルルグさん…なんでしょうかね…」
勇者はトイレブラシと共に鼻血を出して気絶している若い男性を見つめ、なぜ鼻血を出しているのかと疑問に思ったが鼻血自体はもうすでに乾いており倒れてからある程度の時間は経っているものと推測した。
「まさか…死んでるわけじゃあ…ないよな」
男の生死を確かめるべく勇者は体をかがめて、おそるおそる男の胸に耳を当てた。
「………はッ!? 鼓動が聞こえない!? 死んでる!?」
「勇者様」
「なんだよ!? 心臓マッサージをしたほうがいいのか!?」
「心臓が動いているかを確かめたいのなら左胸に耳を当ててください」
右胸に耳を当てた勇者にトイレブラシの冷たい声が突き刺さる。
「…あ、ああ!? し、知ってるよ!? 心臓は左胸にあるんだもんな!?」
「いえ違います、心臓は胸の中心です」
「え!?……や、やだなあ…ちょっとした…冗談だよ…嫌だなあ…ははは…もちろん知ってるって…汲み取ってよもう! 冗談だってばさあ! 本気にしな…」
「いいから早くやってください」
言い訳を繰り返す勇者をさらに冷たい声でトイレブラシは突き放す。
「…お前ってそういうとこあるよなほんと直した方がいいよそういう物言いは人を傷つけるんだからね!」
トイレブラシの冷たい言い方を非難した勇者はあらためて男の左胸に耳をあてた。
「…うん大丈夫だな普通に生きてる」
「そうですか、とりあえずよかったです」
心臓の鼓動の音を確認した勇者は男の胸から耳を離し、立ち上がった。
「さて、まあ誰かはわからないが何にせよ起きてもらわなきゃだな…おい! 大丈夫か! しっかりしろ!」
勇者は男の体を揺さぶり起きるように促した、すると男は小さいが確かに声を出した。
「…み、水…を…くれ…」
「水? わかった、ちょっと待っててくれ」
水を要求してきた男に言葉を返すと、勇者はサンダーブレードのいる場所まで走り、積まれていた荷物の中から水筒を取り出すと、男のところまで急ぎ戻り、上半身を起こさせると口に水を含ませた。
「…んく…んく…はぁ…た、たすかった…あ、ありがとう…」
「いやいいよ。ところでちょっと聞きたいんだけどさ、貴方がウルルグ・ラセラルさん?」
「ああ…いかにも俺がウルルグ・ラセラルだ…それで…君はいったい…?」
「俺の名前はゆう…」
勇者は口を開けたまま始めていた自己紹介をいったん止めて固まる。
「あの…どうかしたのかい…?」
ウルルグは固まった勇者に眉をひそめながら問いかけ、勇者はその声によって我に返るとあらためて自己紹介をし始めた。
「ごめん、ごめん。俺の名前はユウセルだ、よろしく」
「そうか、ユウセル君か。それではあらためてお礼を言うよ、ありがとう」
「いいよ、いいよ気にしなくて」
「(勇者様、なんで勇者って名乗らないんですか…?)」
トイレブラシは不思議に思い声に出さずに話しかける。
「(名乗ろうと思ったよ、でもさあ、俺はこれからこのウルルグって人にババアのパンツを回収しに来たってことを伝えなきゃならないんだぞ! 異世界から来た勇者の仕事がババアのパンツ探しなんて最悪すぎるわ! 勇者の名が穢れるっつーの!)」
「(ああ、それで偽名を使ったんですか。なるほど、でもまあ勇者ってそもそも名前じゃないですもんね)」
勇者は納得したトイレブラシとの会話を切るとウルルグとの会話に集中した。
「ところでユウセル君、君はなぜ俺の家に…?」
「それなんだけどさ、実は…」
勇者はなぜこの家に訪れたのかの経緯を嘘を交えつつウルルグにかいつまんで説明した。
「そうだったのか、君はウルハ国の騎士でアルトラーシャ姫から依頼されて私物を回収するために情報をたどりここまでやってきた、とそういうわけか」
「そうなんだよ。悪いとは思ったんだけどさ、さっきウルルグさんが気絶してる時に部屋の中がちょびっとだけ見えちゃってさ、それで中にあのパンツを見つけたんだ。で、なんだけど、あれを返ししてもらえないかなーと」
勇者はウルルグにパンツを返してもらおうと交渉に入ったが、しかしウルルグは目をつむり腕を組んだまま何かを考え込んだ後、言いづらそうに勇者にあることを聞いてきた。
「…命の恩人にこんなことを言うのは本当に不本意なんだが…何か身分を証明するものはないだろうか…?…身分が定かでない者にアルトラーシャ姫程の私物を引き渡したとあっては後々何かあった時に俺が処罰されかねない」
「う…た、確かに…それもそうだな」
(そんなもんねーよ! だって身分証とか作ってもらうためにパンツ探しにきたんだから!)
勇者はウルルグの言い分をもっともだと思いながらも無いものの提示はできないと頭を悩ませた。
「(勇者様、サンダーブレードの馬の鞍を見せればいいじゃないですかね? あれには確か王家の紋章が刻まれていたはずですよ)」
「(そうか、なるほど! 冴えてるな便ブラ!)」
「(へへー♪ そうでしょう!)」
「ウルルグさん、身分証はないが代わりに王家の紋章が刻まれた鞍があるんだけど、それでも大丈夫?」
「王家の紋章が刻まれた鞍、すごいなそんなものを持っているのか君は! それが本当なら確かに身分の代わりになるよ!」
「よかった、じゃあ行こうぜ、馬のところにあるからさ」
トイレブラシの妙案を褒めた勇者はウルルグにそのことを話し、ウルルグもそれを了承すると、二人はサンダーブレードのいる場所に向かった。
「…確かに…これは王家の紋章だ…それにこの馬…」
「馬? サンダーブレードのこと?」
「やっぱりか! この馬はサンダーブレードなのか!」
盾と獅子にも似た四足獣が隣り合うようにして並んだレリーフが特徴的な王家の紋章をまじまじと見つめた後に座り込んだ馬を紋章と同じかそれ以上にじっくりと見だしたウルルグに勇者はサンダーブレードの名を告げるとウルルグは驚きの声を出した。
「サンダーブレードがどうかしたのか…?」
勇者は首をかしげながらウルルグの驚きに疑問を投げかける。
「この馬、サンダーブレードは数々の競走馬の大会でぶっちぎりの優勝を飾った名馬中の名馬だよ! 引退した後もこの国の国王がその栄誉を称えて城に引き取り丁重に扱われていたんだ!」
「へ、へえ…そ、そうなんだ…」
(ええええええ!? こいつってそんなにすごい馬だったのか!?)
勇者は顔を引きつらせながら心の中で悲鳴をあげた。
「すまなかったね疑って、国王が自分の子供のように可愛がっていたこの馬を君が連れているということは君は余程王族に信頼されている人物なのだろう!」
「あ、ああ…うんまあね…ところで…その…そんなに可愛がってたのこの馬…?」
「とてもね。いつもは穏やかな王がサンダーブレードのことになるとまるで別人になっていたという話だ。それこそ少しでも汚したり傷をつけたら極刑が下されるんじゃないかってくらいに」
「あ、あはは…そっかー…あは…ははははは…」
(どうしよう!? ずってきちゃったよ!? 引きずってきちゃったよ!?)
勇者はサンダーブレードを荒れた荒野の上で引きずりながらここまで連れてきたことを思い返すと、作った笑顔を真っ青にしながら後悔し始めた。
「ん? でもなぜだろう、サンダーブレードが心なしか汚れて傷ついているように見え…」
「あーーーーーーー!? もう確認終わったよね!? もういいよね!? そろそろ戻ろうか!?」
「え? あ、ああ。そうだね、戻ろうか」
ウルルグが勇者の失態に気づきかけたため、大声を出してウルルグをここから引きはなそうと詰め寄ってきた勇者に連れられる形でウルルグも勇者と共に家に向かって歩き出し、再びドアの前で会話を始めた。
「さて、それじゃあこれで大丈夫だよな? パンツを渡してくれ」
「確かに君は王族の、アルトラーシャ姫に近しいもののようだね。それはわかった…だが…」
「だが?」
「タダでは渡せないな」
「な!?」
勇者はウルルグに対して手を出してアルトラーシャのパンツを引き渡すように要求したが、ウルルグはそれに対して薄く笑うとその要求を拒否した。
「なんでだよ!? これ王族の命令だぜ!?」
「ああ、確かに。だが見た所君一人しかいないみたいじゃないか、それはつまり大っぴらな命令ではないということだろう?」
「ぐぐぐ…」
勇者は見透かされたことに歯を噛みしめながら悔しそうな表情をした。
「悪いが俺は商人でね、拾ったものとはいえ、余程のことが無い限りタダでは絶対に渡さない」
(くそー…こいつ…こっちが本性か…評判通りのドケチだよ! いい性格してやがるぜ、友達少ないわけだよ!)
ウルルグは浮かべた笑みを崩さず勇者に話しかけ、勇者はそれを心の中で悪態をつきながら聞いた。
「…最初に言っとくが金ならないぞ」
「いや、別に金をとろうとかそういうつもりはないんだ。ちょっと頼みを聞いてほしいだけなんだよ」
「頼みって…どんな…?」
恨めしそうに金は無いと言った勇者にウルルグはある依頼を持ちかけた。
「この家から東に進んだ場所に岩石地帯があるんだが、そこに咲いている『スサミソウ』という花を三輪摘んできてほしいんだ、あれは煎じて薬にすると結構な高値になるんでね。一人で摘みに行きたいところなんだが、あそこは魔物がいてさ、なかなか取りにいけない。いつもはギルドなんかに依頼するんだけど金がかかるし…」
そこで説明を切ると、ウルルグはもうわかるだろ、と言いたげな表情で勇者を見た。
「…わーったよ、引き受けるよ」
「おお、ありがとう助かるよ! まあ安心してくれ、あそこに出る魔物はそれほど強くはない、普通の人にとっては脅威だが君なら余裕で倒せるだろうさ、なにせその若さで王族から直々に命令を受けた戦士なんだから! 強いんだろう?」
「まあね! 当然じゃあないか!」
「よかった、それじゃあ頼んだよ天才剣士君! 花をもってきてくれたらすぐにでもあれは引き渡すからさ!」
「わかった、任せなさいこの天才に! うははははははははは!」
(はぁ…すっかり乗せられてますね…まったく…)
渋々依頼を引き受けた勇者に対してウルルグは商人特有の口のうまさを披露し勇者を上機嫌にさせ、そんな勇者にトイレブラシはため息をついた。
「今夜は遅いから俺の家に泊まっていってくれ、食事くらいならご馳走できるよ」
「おお! マジか! 助かるよ!」
ウルルグは家の中に勇者を招き入れようとドアをあけ、中に先に入り、勇者もそれに続いて入ろうとした。しかし家に入る直前にある疑問が勇者の頭に浮かびウルルグに問いかける。
「なあ、いまさらなんだけど何でドアの前で立ったまま気絶してたんだ?………うッ!?」
疑問を問いかけながら部屋に入った瞬間に強烈な悪臭を勇者の鼻が感じ取り即座に右手で鼻を覆った。だがこの家の住人のウルルグは悪臭を感じていないような素振りでひょうひょうとしながら勇者の疑問に答えた。
「いやー…実は…どうして気絶していたのか俺にもよくわからないんだよ…関係ないと思うんだが、気絶する前、俺は商売を終えて帰宅しようと馬車に乗り家に向かっていた、その途中だったんだが急に馬車が猛烈に臭くなってね…でもそれは俺の足の臭いだからそのうち慣れて治まるだろうとその時は思っていたんだ…でも荷を家の中に運んだ後も鼻がもげそうなくらい臭くておかしいなと思って足じゃなくて荷を調べたら見覚えのない虹色のパンツが見つかってさ…まさかこれかと思って臭いを嗅いでみたら意識がなくなって…で、君に起こされたと、そういうわけなんだ、あれ? 気づかなかったな、俺鼻血出してたのか」
(ババアのパンツどんだけ臭いんだよ!? どこの劇薬だよ!? クロロホルムですか!?)
手で鼻の下をこすった際に乾いた鼻血に気づき、鼻血を袖で拭いたウルルグを見ながら勇者はアルトラーシャのパンツの臭さをあらためて思い知った。
「まあ、でも気のせいだったみたいだ。今は臭くないし、気を失ったのもきっと疲れてたからだろう。心なしかかび臭かったこの家の空気もそれほど気にならなくなったよ、ゆっくり休んだからかな」
(こ、こいつ…まさか…鼻が…)
勇者はウルルグに同情の眼差しを向けた。
「さあ、どうぞくつろいでくれ! 今から食事を作るからさ!」
(無理無理無理無理絶対無理だってこんな腐った玉ねぎをお酢に浸した後さらに発酵させたような臭いの充満する家でくつろげるわけねーじゃん!!?? ここで飯を食うくらいなら俺は公衆便所で食うぞ!!?? い、いやで、でも待てよこれは温かい食事を食べて暖かい部屋で眠れるチャンスだ!!! ここは我慢してでも!!! ウエッ!? くせえ!!?? いやでもやっぱり…)
ウルルグは四角いテーブルを囲む四つの椅子のうち一つを引くと、勇者に座るように促したが、勇者は強烈な悪臭に晒されながらも頭をまわし必死に否定と肯定を繰り返し、やがて決断した。
「そうなのか、気分が悪くて食事はいらないうえ、サンダーブレードが心配で外で寝るって言うのか。わかったよ、気分が悪いのに無理に食事を勧めるわけにはいかないしね、それに確かにあの馬になにかあったら大変だっていうことも理解しているよ」
「…ああ…そうなんだよ…だからせっかく誘ってもらって悪いんだけど…俺は…外で寝るよ…」
勇者は嘘をついてウルルグの家で眠ることを拒否した。
「くそー…結局野宿かよ…これじゃあなんのためにサンダーブレードを引きづってきたのかわかんねーよ…無駄な体力使っちまった…」
「そうですね、でもあの家の中にいてはウルルグさんの二の舞になりかねませんから」
勇者はサンダーブレードの荷から水や食料を全ておろし夕食を終えると、ウルルグの家の近くの巨大な枯れ木の下で毛布にくるまりながら寝転がり夜空を見上げ、トイレブラシと会話していた。
「それにしてもまた大変なことになりましたね。『スサミソウ』を取ってこなければならないなんて」
「まったくだ、でもまあ、やっと剣を使って戦えそうだな! 魔物か~ふへへ~! 俺様の剣の錆にしてくれるわ!」
勇者は腰の短剣を引き抜き夜空に向けて線を引くように切る動作をした。
「だけど戦わないにこしたことはないですからね、あんまり危ないことしちゃダメですよ?」
「問題ない問題ない! この天才に敵はいないさ! ぬははははははははは!」
「人の話全然聞かないんですからもう!」
「聞いてるって…ん…?」
「どうしたんですか…?」
「いや、ズボンのポケットに何か感触が…」
勇者は寝ながらズボンのポケットをまさぐるとあるものを取り出した。
「あ、やべえ手帳渡すの忘れてた」
「ゴタゴタして渡す暇ありませんでしたもんね、帰ったらちゃんと返しましょう。それほどの魔術的防御がかかっているんですからきっと重要なものですよ」
「そうだな、帰ったら渡すか」
トイレブラシと勇者が手帳の話をしていたその時、勇者の腹の虫が大きく鳴った。
「勇者様お腹すいてるんですか? さっき結構食べていたような気がしましたが…」
「いやさ、なんかこっちの世界に来てから腹がよく減るっていうか…喰っても足りないんだよな。今までなら夜喰った分でも十分だったんだけどなー。成長期かな? いいや、寝よ、今喰っちまうと明日の朝飯がなくなっちまうし、寝れば空腹も気にならないだろう」
「…そうですね…おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
勇者は剣を腰の鞘に戻すと背負っていた大剣と同じように枕元に横たえ、眠りについた。
(私の推測が正しければ勇者様の肉体はそろそろ変容してきているはず、おそらく空腹はそれによる副産物。体の内部にあれが出来ていればもう『メルティクラフト』は使える。でも安定した大きさになるまでもう少し時間が欲しい、できれば明日何も起こらないことを祈ります)
勇者の顔を見た後トイレブラシは明日の心配をし、彼と同じように眠りについた。
「勇者様、下見ちゃダメです! 上だけみてください!」
「無茶言うな!? どうしたって見ちまうっつの!? うひいいいいいいいいいッ!?」
翌朝起きた勇者は朝食を食べ終えると、支度を終え、ウルルグに『スサミソウ』の咲きやすい場所の情報や写真を受け取った。その後サンダーブレードをウルルグの家に残し、早速東の岩石地帯に向かった勇者は徒歩40分ほどの距離を歩き目的地に到着した。荒れた大地にうず高くそびえ立つ塔にも似た細長い岩山の数々は50メートルを優に超え、勇者はその光景にただただ圧倒された。だがその表情はただ圧倒されていただけではなく、自身がこれから行わなくてはならないであろう苦労をに対する面倒くささを雄弁に物語っていた、そしてこれはおよそ数十分前の出来事である。
「ちくしょうがッ!? ババアのパンツ手に入れるためだけになんでこんな苦労しなくちゃいけないんだ!?」
「文句言ってないで手と足を動かしてください! 集中してないと落っこちてしまいますよ!」
ウルルグから聞いた『スサミソウ』のよく咲く場所とは頂上付近の岩山の側面であり、採るならば必然的に岩山をのぼる必要があったため、勇者は現在右腕で短剣を岩山に突き刺しながらロッククライミングの真っ最中だった。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬ! ふっ…っとぬわあああああああああああああああああああああああ!?」
「勇者様!?」
勇者は岩山のとっかかりに足をかけた瞬間、踏み外し、せっかく中ほどまで来ていた岩山から腹や腕、足をこすりながら今までのぼってきた側面を滑り落ち地面に尻を激突させた。
「いってええええええええええええええええええええ!?」
「大丈夫ですか!?」
勇者は尻を右手で押さえながら痛みをごまかすために周囲を走り回った。
「もう! だから集中してくださいと言ったのに!」
「集中したって変わんないっつの! だいたい右腕一本でロッククライミングなんて出来るか!」
「確かに昔の勇者様なら無理かもしれませんが、今の勇者様ならそれくらい余裕で出来るはずです! 私を通じて貴方の体には魔力が入ってきてるんですから身体能力も上がっているはず! 剣を持ち上げる時も思いましたが、勇者様はきっと雑念が多いからその恩恵が受けられないんですよ! 右腕や足に意識を集中させてもう一度やってみてください!」
「んなこと言ったって…」
「だったら背中の剣をいったん地面に下ろし…え…そんな!? なんでこんなところに!?」
集中しろと言われ嫌そうに眉をよせ、上空を見上げた勇者にそれならば、と案を出そうとしたトイレブラシは言葉の途中で何かの異変に気づき悲鳴をあげて驚いた。
「なんだ? どうかしたのか?」
「ここから離れてください! 急いで! それでどこかに隠れてください!」
「だからなんでだよ? 理由を教えてくれよ理由を」
「魔獣です! 魔力を放ちながらこちらに向かって来ています!」
「魔獣って、確か魔物みたいなやつだっけか。ふッ、ちょうどいいや! このイライラした気持ちを八つ当たることのできる格好の相手じゃないか! この天才剣士が蹴散らしてくれるわ!」
「ダメです! 魔獣と魔物は全然違います! いずれ戦うことになるのかもしれませんが、今は無理です引いてください!」
トイレブラシは勇者を引き留めたが、勇者はそんなことお構いなしと言わんばかりに短剣を構えだした、そしてそんな勇者の耳にある大きな音が聞こえてきた。荒れた荒野をズシン、ズシンと大きな音を立てながら地面を一歩づつ踏みしめる音、まるでこちらに向かって存在を主張するような歩み、それは間違いなくまだ見ぬその魔獣の行進だろうと勇者に思わせた。
「な、なんか…思ったよりも…あ、足音が…お、大きいなぁ…」
「魔獣は魔物の数倍から数十倍以上の大きさなんです! そんな小さな短剣では勝負になんかなりません!」
「そ、そうなのか…じゃ、じゃあ今日のところはやめておくか…なははは…逃げるぞ!」
魔獣の巨大な足音とトイレブラシの説明にビビった勇者は短剣を腰に戻すと一目散に逃げ出そうとした、が事はそう易々とはいかなかった。
「な、なんだ、急に足音が速く…!?」
足音とは反対の方向に逃げ出した勇者の耳が捉えたのはもはやゆっくりとした行進などではなかった。その歩みの音は先ほどよりも大きく、その上速く地面を踏み鳴らした、何かを見つけ走り出したかのように。
「はぁ…! はぁ…! あ、あれ? 今度は聞こえなくなったぞ、疲れて止まっ…たのか」
「いえ、違います!? これは…!?」
息を荒くして全力疾走する勇者の耳は魔獣の疾走の音を聞かなくなり、魔獣が進行を止めたのだとほっとして立ち止まった彼にトイレブラシは否定の言葉を悲鳴をあげるように告げる。
「え…?」
立ち止まった勇者の目の前に巨大な何かが砂埃を巻き上げながらその体重相応の大きな音を出し落下した。
「あ…あ…が…あ…ああああ…かかかかかかか…」
巻き上がった砂埃と風は勇者を吹き付けその落下物を覆い隠した、だが砂埃のカーテンが張られる前に勇者は確かにその落下物の全容を目撃していた。全身に生えた黒い体毛、巨大な手と爪、口から見えた鋭い牙、血に飢えた金色の瞳、全てが彼の目に焼き付き離れなくなっていた、ガクガクと震えながらおかしな声を出すほどに。その後覆っていた砂埃は徐々に風で飛ばされついにその怪物を隠すものはもう何もなくなった。
「で、で、で、でたあああああああああああああああああああああああああああ!!??」
全長30メートルを超える巨大な黒い狼に酷似した魔獣が姿を現すのとほぼ同時に勇者は絶叫した。
(は、早すぎる、今はまだ勇者様がこの魔獣と戦うのは…到底無理だ…でも、それでも…もうやるしかない…)
跳躍して現れたであろうその魔獣に対してトイレブラシは内心あせっていたが、それでもすでに立ったまま失神しかけている勇者よりはいくぶんか冷静だった。魔獣の姿を捉えた瞬間思考を巡らせ打開策をすでに考え出していた。
(あの大きさは短剣では無理だ、魔術は詠唱に時間がかかりすぎる…やっぱりここは『メルティクラフト』を使うしかない…うまくいくか…いや私の仮説が正しければ大丈夫のはずだ………しかしそれにしても…どうしてだろう…)
トイレブラシは考えながらもまだ動かない魔獣を見つめ、あることに気が付いた・
(この魔獣、傷を負っている…そのうえ焼けこげたような痕まで…)
狼型の魔獣は傷ついていた、四本の脚のうちの前足には何かで切られたような切り傷があり、体全体を見ても同じような傷がそこらじゅうに存在し、毛に血がベットリと付着して、黒い体毛を赤く染めていた。だがトイレブラシが一番注目したのは顔付近の焼けこげたような傷跡だった。
(何にせよ、傷を負っているのは都合がいい。仕留めやすくなる)
「勇者様! しっかりしてください!」
「…あ、ああ、だ、だだだ大丈夫だよ! びびびび、びびってねーよ!」
「そんなこと言ってませんよ! 背中の剣を引き抜いて私と重ねるように、って…あれ…?」
傷を勇者にとってプラスと考えたトイレブラシは、気を失いかけていた勇者に声をかけ『メルティクラフト』なるものを行う準備をさせようとしたが、魔獣はしばらくこちらをじっと見つめた後、目の前で突然踵を返すと勇者とは反対の方向に歩いて行ってしまったのだった。
「………行っちゃったな…」
「………行っちゃいましたね…」
魔獣の姿が見えなくなると勇者はその場にへたり込み、茫然自失気味につぶやくと、それにトイレブラシも同調した。
「…なんだったんだ…あの犬っころみたいなのは結局…」
「…わかりません…私にも…」
(おかしい…魔獣は人どころか生き物すべてに襲い掛かる凶暴な怪物だというのに…)
トイレブラシはまた一つ増えた疑問を心の中にしまった。
「本当にまだ続けるんですか? 今日のところはやめてまた日を改めて探しにきた方がよくないですか?」
「日を改めたってあの犬っころがいなくなるわけじゃないだろ! ぐぬぬぬぬ! それならいない今のうちに『スサミソウ』を手に入れちまった方が絶対いいって! おお! お前の言う通り集中したらさっきよりも上りやすくなった気がするぞ!」
トイレブラシの心配をよそに勇者は右腕と足に集中しながらロッククライミングを再開した、ただし先ほどとは違い大剣は地面に置いてのぼっていた。トイレブラシのアドバイスを聞いたためか、のぼる速度も速くなり、あっという間に岩山の中腹を超え頂上付近に到着した勇者の目にお目当てのものが飛び込んできた。
「おっしゃあああああああ見つけた! 『スサミソウ』だああああ!」
『スサミソウ』のそばまで近づき、青い色のユリの花によく似たその花の茎の部分を口で食いちぎるようにして取った勇者は見事最初の一輪を手に入れた。
「やっふぁああああああああッと、ふぁあああああああああああああああああああああ!!??」
『スサミソウ』を口にくわえたその時、気を抜いたためか足を滑らせ、またしても勇者は岩山からずり落ちたていった、しかしその口は決して花を離すことはなかった。
「さて、とりあえず二輪手に入れたな。あと一輪で終わりだ」
地面に置いた『スサミソウ』の花を眺めながら、満足げに勇者は頷いた。
「勇者様、今日はこの辺で終わりにして、最後の一輪はまた明日に回しませんか? なんだか嫌な予感がするというかなんというか…」
「大丈夫だって! あと一輪で終わりなんだから今日中にやっちまおうぜ! あの犬っころの魔力だってもう感じてないんだろう? ってことは遠くに行っちまったってことだよ!」
「そう、ですね…確かに、でも…なんだか胸騒ぎが…」
「胸なんかないだろお前は、でもそんなに心配しなくたって平気だって! 出てきたらまた逃げるか隠れるかすればいいし、それでもダメならこの破壊神の真の力をあのワン公は目にすることになるぜ、ククク、ゲハハハハハハハハハハハハハ!」
トイレブラシの不安を笑い飛ばした勇者はこれからのぼる岩山から少し離れた所に大剣と花を地面に置いた後、最後の岩山のぼりを始めた。
「ほっ、ほっ、ほっと! なんだか慣れてきたよ岩山のぼり! この調子ならすぐ頂上に着くな!」
(…勇者様の言う通り杞憂だったのだろうか…確かにこの調子ならばすぐにでも頂上に到着しそうだし…)
「さいふぉのいっふぉんげっふぉー!」
「…なッ!? ゆ、勇者様、さきほどの魔獣が凄まじい速度でこちらに向かって来ています!?」
トイレブラシの不安などものともしない調子の良い勇者はコツを掴んだのか、猿のように機敏な動きで岩山をのぼり始め、言葉の通りあっという間に頂上付近にまで到着し、『スサミソウ』の花を見つけ、いままでと同じように口にくわえたときだった、再びトイレブラシは異変を感じ取り声をあげる。
「なんらふぉ!? うはぁ!?」
トイレブラシに言われた瞬間、勇者は頂上付近の見晴らしのいい岩山から巨大な黒い塊が周辺の岩山に激突しながら苦しそうなうめき声をあげつつこちらに向かってくる様子を視界に捉えた、そしてついにその黒い狼は勇者の登っていた岩山にも激しく衝突した。だがそれだけならばまだよかったがそれだけでは終わらず、魔獣は勇者の張り付いている岩山に何度となく頭突きをし始めた。
「うふぁあああああああああ!? やめろわふぁあああああああああああああああああ!?」
勇者の登っていた岩山は魔獣の衝突によりグラグラと揺れ出し、今にも崩落しそうになっていた。
「もうダメです、勇者様、飛び降りてください!」
「な、れふぃるかそんらふぉと!? 50ふぇーふぉるいふぉおあふんら、あふぃがおふぇふろころのさふぁふぃひゃすふぁふぁいんふぁぞ!?(な、出来るかそんなこと!? 50メートル以上あるんだ、足が折れるどころの騒ぎじゃあ済まないんだぞ!?)」
「大丈夫です、今のあなたの体なら余裕で耐えられます! それよりもこのまま落ちて生き埋めにされるほうが余程危険です! この岩山の側面を蹴って、できるだけ遠くに跳んでください!」
「いふぁ、れふぉお…うふぁあああああああ!?(いやあ、でもお…うわあああああああ!?)」
岩山が先ほどよりも強く揺れ出し、ボロボロと岩山の塔全体が崩れ出した。
「勇者様! 覚悟を決めてください! ユーキャンフライ!」
「うう………ふぃいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!?」
完全に岩山は崩落し始めた。
「早く! 勇者様!」
「あ、あ、あ、あいふぃあん、ふはあああああああああああい!!!(アイキャンフラアアアアアアアアアアアイ!!!)」
勇者は力いっぱい岩山の側面を蹴ると、横に大きく跳んだ。
「うふぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!?? いってええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!?? 足がああああああああああああああああああああ!!??」
支えを失った体をなんとか安定させようと空中で手足をバタつかせながら数十メートル上から落下し、その結果として地面に足から落ちた勇者は痛みで思わず、花を口から落とし絶叫した。
「てめえ何が余裕で耐えられるだ滅茶苦茶痛いじゃねえか!?」
「でも足は折れてないでしょう? それにほら、生き埋めにならずに済みましたし」
あまりの痛みにトイレブラシに食って掛かった勇者だったが、言われた通り足は折れずにすんでおり、勇者が先ほどまでいた登っていた岩山があった場所は岩や石で出来た瓦礫の山と化していた。そしてその様子を見た勇者は生唾を飲み込んだ。
「勇者様! あれを見てください!」
「ゲッ…なんであいつあんな暴れてんだよ…見境なしじゃねえか!」
トイレブラシが指した方を見ると50メートルほど離れた場所で黒い狼型の巨大な魔獣が岩山に頭や体を衝突させながら暴れまわっていた。
「…目が原因みたいですね」
「目?」
「はい、目のところを見てください。潰されています」
勇者はトイレブラシの言うように魔獣の両目を注視した、すると確かに黒い狼は目を瞑りながら赤い涙を流しているように見えた。
「ホントだ…怪我してるな…目を潰された痛みで暴れ回ってんのか…しっかし誰にやられたんだ…?」
「わかりません…でも思えばあの魔獣、最初から誰かを探していたようにも見えました」
「じゃあその探してたやつにやられたってことか?」
「おそらく。気になるところですが今はここを離れましょう、危険すぎます!」
「だな、さっさと離れ…と、その前に大剣と『スサミソウ』を置いてきた場所まで行って回収しねーと」
「できるだけ急いでくださいね! あとなるべく音を立てないようにしてください!」
「わーってるって!」
小声でしっかりと釘を刺してきたトイレブラシに応答すると勇者は地面に落としていた最後の一輪を拾い上げ小走りで大剣と花のある場所まで戻った。
「よかったー、踏まれてなかったみたいだな。あの犬っころ、ここの近くの岩山にも体ぶつけてやがったからな」
近くの岩山にヒビが入っていることを確認した後、最初に大剣を背負った勇者は自らが摘んだ『スサミソウ』二輪の無事を喜び、ズボンの左ポケットに入れようとした。
「おっと、こっちには手帳入れてたんだった。右にしておくか」
が手帳が入っていたことを思い出すと花は三輪とも右ポケットに折りたたむように入れ込んだ。
「そんなクシャクシャにして入れちゃって大丈夫ですかね…」
「観賞用じゃなくて煎じるっつってたし平気だろ」
「…そうですね…それじゃあ急いで逃げましょう」
「よし、逃げ…」
花をポケットに詰め込むようにして押し込んだ勇者は逃げようとした、しかしその行動を許さないと言わんばかりに次の瞬間、近くの岩山が大きな音を立てて崩れ始め、そしてその音は巨大な黒い耳を反応させた。
「…や、やばくないか…これ…」
「勇者様!!! 急いで逃げ…」
時すでに遅く、目の利かない巨大な黒狼は音のした方へ振り向き、牙をむきだしにしながら唸り声をあげた後凄まじい速度でこちらに接近してきた。
「やっぱりいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!??」
(ダメだ!? 今からじゃもう逃げられない!? この距離では動けば音で捉えられ、じっとしていれば暴れ回るこの魔獣の餌食になる!? もう、使うしかない…確証はないけど…このやりかたは邪道なのかもしれないけれど…それでも…もうやるしかない!!!)
向かってくる強大な怪物に悲鳴をあげながらキョドる勇者とは違い、決心したトイレブラシは勇者に対し、ある指示を出すことを決めた。
「勇者様!!! 背中の剣を抜いてください!!!」
「い、いやこれ振って戦えってんなら無理だぞ! 重すぎて振れな…」
「違います!!! 剣と私を交差するようにして重ね合わせてください!!!」
「なんだそれ!? なんか意味あんの…うひゃあああああああああああああああああ!!??」
もう魔獣は勇者の目と鼻の先に迫っており、彼はもはや漏らす寸前だった。
「勇者様!!! 今だけは私に従ってください!!! 早く!!!」
「わ、わ、わ、わ、わかったよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!??」
恐怖の限界に達した勇者は右手で背中の剣をヨタヨタと引き抜くと、重さで剣の切っ先を地面に落としながらも、言われた通りトイレブラシを大剣とバッテンの形になるように重ね合わせた。だがもはや猶予はなく、目の前まで迫った魔獣の前足が勇者を踏みつぶそうと空中に大きくあげられた。
「つぶされるうううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!??」
人間の体全体の数倍はあろう巨大な足が太陽から勇者を覆い隠し、踏みつぶされる寸前の出来事だった。赤い色をした幾何学模様の魔法陣が突如勇者を中心に地面に発生し、魔獣の足を空中に固定した。
「………な、なんだ…何が起きた…何だコレ…!?」
恐怖で目をつぶっていた勇者は目を開けると、自分を中心に展開する赤い魔法陣に驚く。
「で、でも…助かった…のか…うひいッ!?」
魔獣の固定された足を見て、助かったと思った勇者だったが、安堵しかけたその時に、魔獣がギリギリと足に力を込めて自らの足を止める戒めを破壊すべく、全体重をかけた踏みつけ攻撃を行い始めた。
「やっぱりだめだあああああああああああああああああああ!!?? 踏みつぶされるうううううううううううううううううううううううううう!!??…ってあれ…なんだ…声が…聞こえる…」
再びガクガクと震えだした勇者に少女の唄うようなささやき声が聞こえてきた。
「この声は…便ブラか…?…うッ!?…なんだ…体が…熱い………が、が、がああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
少女の唄のような声が次第に速く、大きく勇者の脳内に響き渡るにつれ、彼の体を強烈な熱さが襲い、まるで体どころか魂までもが溶かされていくような、そんな感覚を彼は味わった。そして意識が途切れる直前、魔獣が空中に固定された足を踏み抜く瞬間、勇者は確かに声を聞いた。
「魂の…」
染み渡るような。
「契約の…」
溶け合うような。
「名のもとに…」
少女の。
「命じる…」
祈りのような。
「まじわれ!!!」
魂の叫びを。
「ウギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!??」
戒めを踏み抜き、踏みつぶそうとしたまさにその時に、魔獣は足に感じた痛みに悲鳴のような雄叫びをあげた。魔獣が感じた痛みは焼けつくような痛みだった、魔獣が戒めを振りほどいたその際に、巨大な爆炎が火柱のように空に立ち上がり、その後、火柱はしだいに形を変え、丸い球体に姿を変えた。球体はその大きさをしだいに小さく圧縮していき、人一人を包み込める程度の大きさになると、爆ぜた。
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!??」
爆発の衝撃で数十メートル先まで吹き飛ばされた魔獣は岩山に激突すると、大きな悲鳴を出したのち、崩れた岩や石の下敷きになり姿が見えないほどの土砂に埋もれた。
そして、魔獣がいなくなったあと、炎の繭から生まれた人物だけがその場に残された。
中から出てきたのは黒髪のボサボサ頭に年相応の平均的な身長、目つきが少し悪いだけのこれといってなんの特徴もない少年などではなかった。
閉じられた目、仮面のように固定された無表情、黒髪の時よりも少し伸び、風にさらされ炎のようにたなびく髪の色は血のような真紅、健康的だった肌の色も今は見る影もなく、その肌の色は雪のような白、先ほどまで右手で握られていた両刃の大剣は姿を消し、同じように左手に握られていたトイレブラシも姿を消していた。しかし代わりに特徴としてその左手の甲には赤い魔石が埋め込まれ、さらに左手の内側には先ほどまでの大剣と同じ大きさで刀身が黒くなりデザインが変わった両刃の大剣が握られていた。その後、ゆっくりと開かれた両の瞳は先ほどよりも鋭く、その色は朱色に染まり、ルビーのように妖しく輝いていた。
その姿は後にこの世界で語り継がれる伝説の英雄の姿であり、悲劇の魔女に打ち勝った勇者の姿であった。