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ミステイクファンタジー  作者: 鈴木拓郎
12/42

11話

 絶叫した後勇者は目の前の人物がどうしてもお姫様だとは思えず理想と現実の狭間で葛藤したあげく真っ白に燃え尽きたように気を失いかけていた。そんな中アルトラーシャと名乗った目の前の人物は勇者に向かって当然の疑問を投げかけてきた。

「今度は嘘だなどと…本当に失礼ですよ!…ふう…まったく…それで…?…ワタクシが名乗ったのですから…今度はそちらが名乗る番ではなくって?」

「(勇者様! ほらしっかりしてください! お姫様がお名前を尋ねてますよ!)」

「(………っは!…俺はいったい…そうか…酷い悪夢を見てたんだな…良かった現実じゃなくて!)」

「ちょっと! 聞いていますの? そちらが名乗る番だと言ったのですよ!」

 勇者は声のする方に顔を再び向けそして

「(夢じゃなかったああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??)」

 再び絶望した。

「(いや~それにしてもお姫様との会合だなんてやっとファンタジーっぽくなってきましたね! なんだかベストセラーゲームみたいです! わくわくしてきましたね~! オラわくわくすっぞ!)」

「(わくわくなんかするわけねーだろうがボケが!? こんなんうちの母ちゃん2Pカラーに塗り替えただけじゃねえか!? どんだけ開発費ギリギリのファンタジーなんだよ!? グラフィックの使い回しにしたって限度があるだろう!? 完全にクソゲーじゃねえか!? これじゃあストーリーに入っていく前にやる気が失せるわ!? 俺だったらディスクどころかハードごと投げ飛ばしてるよこれ!? こんなクソゲーをベストセラーなんてよく言えたな酷すぎて消費者庁にクレームがいくレベルだよ!?)」

「(何言ってるんですか熟女好きにはたまらないシチュエーションですよこれ!)」

「(お前こそ何言ってんだ熟女っていうのは熟れた大人の魅力をもった女のことを言うんだよ! 食べごろの女の事を言うんだ! あれを見ろ! 賞味期限が切れてるんだよ!! 切れてから何十年も経過してるんだよ!!! もう完璧に腐ってるんだよ!!!)」

「(いいじゃないですか別に…あのくらいがいいという方も中にはいますし…)」

「(そりゃあいるよいるけどそいつらは総じて変態だろ!!! 俺はこんなゲテモノを好んで食う変態じゃないんだよ!!! ああ~いやだああああああこんなのいやだああああああああああ!!!…………いや…でも…ちょっと待てよ…もしかしたら…)」

「(どうかしたんですか?)」

「(もしかしたらこのババアの名字がオヒメサマダイイチオウジョっていうだけなんじゃないか! そうだ! きっとそうだよ間違いない!)」

「(その解釈は無理があると思います)」

「(ババアをお姫様と解釈する方がよっぽど無理あるだろう!? どんなヘボ監督が作った企画ものAVだってここまで酷い配役はしないはずだ!? 俺は! 俺はどう解釈したってババアがお姫様だなんて認めたくないんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!)」   

「いいかげんになさい貴方! 高貴な姫君であるワタクシが尋ねているのですよ? 急ぎ答えるのが礼儀ではなくって!?」

 アルトラーシャは再び勇者に話しかけたが彼は憤怒の表情を浮かべたまま問いには答えず、ひたすらにトイレブラシとの脳内会話に勤しんでいた。  

「(…勇者様…現実は厳しいものです…早く立ち直ってください…)」

「(て、て、てめえええええええええええええええええええええええ!!?? よくもそんなことをほざけたものだな!? おい言ったよなお前!? お前確かに言ったよな!? お姫様は白魚のように美しい手をした美少女とかなんとかよ!? ちょっとあれを見てみろ!? どこが白魚なんだ!? ええ!? あの醜い贅肉が付いた豚足をよく見てみろよ俺が地球にいたときから変わらない醜さだよ!? あれが!? しらうおおおおおお!? トドかアザラシの間違いなんじゃないのか魚類と哺乳類をまちがえてんじゃないのか!? あ゛あ゛ん!? どうなんだコラあの肉の鎧を纏った白魚を捕食しそうな獰猛なアザラシを見てお前は何か思うところはないのかゴラああああああああ!!??)」

「(あれじゃないですかね衣替えしたんじゃないですか? 季節の変わり目ですし、女の子というものは日々新しい肉体を纏って生まれ変わり続けるものですから、あれですよ、イメチェンとかいうやつですかね。アハッ♪ やっぱりお姫様でも例外に漏れず女の子だったんですね!)」

「(おんなのこぉ!? 衣替えぇ!? ふざけんな!? なんでイメチェンしてイメージ悪くなってんだよ!? 今すぐチェンジしてほしいんですけど!? 取り替えてほしいんですけど!? だいたいどう衣を変えたらあんなのになるんだ!? あのババアじゃどう衣を変えたってつけたってトンカツにしかなんねぇだろうが!? 説明してみろや! どう衣替えしたら美少女のお姫様がババアの醜い肉体を纏ってあんな見るに堪えない雑なコラ画像みたいになるんだ!? ありえねえんだよ!? てめえまた騙したな!? またこの俺を!? こんな家の母ちゃんにそっくりのブサイお姫様がいる国に連れてきやがって!? 聖剣詐欺と魔法陣詐欺の次は姫姫詐欺ときたかこの野郎!? ゆるさんぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!??)」

「(私はただ代々美人だからそうかもしれないと言っただけで確実に美少女だなんてことは一言もいってませんもん!)」

「(もんじゃねえんだよてめえ!? この期に及んでまだ戯言を弄するか!? この詐欺ブラシがああああああああああああああああああああああああああああ!!!)」

「(うきゃあッいたああああああああああああああああああああああああああああああ!!??)」

 勇者はトイレブラシを一心不乱に床に叩き付け始めた。

「ちょっと…何をやってるんですか…」

「もうちょっとだけ待っててくれこの悲しみを怒りに変えなくてはやってられないんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!! ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 その後ひとしきりトイレブラシを床に叩き付けた後勇者はアルトラーシャ姫と会話をし始めた。

「はぁ…はぁ…ひぃ…はぁ…ま、またせたな……はぁ…」

「いえ…それで…貴方は誰なんですか…?」

「ああ…俺は…」

「わかりましたわ!」

「まだ何も行ってないんだけど!?」

「貴方もしかして掃除夫さんでしょ! そうだわ間違いないわ!」

「はあ? 掃除夫? なんでだよ!」

「だって手にブラシもってるじゃない!」

 言われて勇者は左手に握られたトイレブラシに目を落とした。

「…いや…これは…違うんだよ!…確かに便所ブラシ持ってるけど…これには事情があってだな…とにかく違うんだよ…俺は掃除夫じゃない…!」

「あらそんな嘘つかなくてもいいのに! そんな肥溜め臭い薄汚れた小汚いドブネズミみたいなお顔して! お仕事に困ってこのお城で働くためにきたのでしょう?」

「確かに汚れてるし肥溜め臭いけど薄汚れた小汚いドブネズミは言いすぎだろだろ!? いいか! 俺は…」

「でもごめんなさいねぇ! 今は掃除夫さんのパートの募集はしてないの! また今度多分募集をかけるからその時にまたきてくださいね!」

「違うって言ってるだろう!!! 俺は掃除夫じゃない!!! そ・う・じ・ふ・じゃ・な・い!」

「あら…本当に違うの?…そうなの……掃除婦さんじゃないの」

「そうだよ違うんだよ。ごほん。それで俺は…」

「わかりましたわ!」

「だからまだ何も言ってないんだけどぉ!?」

「貴方あれでしょ! 新聞屋さんでしょ! それでそのブラシは契約したときにもらえる景品でしょ! でもごめんなさいねぇ! うちはもうとってる新聞ががあるから…」

「そうじゃねえよ!? 新聞屋でもないんだよ! ババアの常識で考えんなよ!? このブラシは景品とかじゃなくて俺の私物だ!」

「え…新聞屋さんでもないの…?…そうなの…」

「そうなの違うの!…はぁ…ったく…いいか俺は…」

「わかりましたわ!」

「おいコラいい加減にしろよババア!? 黙って聞けよ話させろよ自己紹介させろ!?」

(ったくこれだからババアは嫌なんだよ! 人の話を聞きゃあしない! ツラだけじゃなくて内面まで家の母ちゃんそっくりだよ!)

 勇者は辟易しながらもアルトラーシャ姫に向かって自分が何者でどうしてここにいるのかといったこれまでの経緯を話し出した。

「………召喚魔術………………ああ!………やりましたわねそんなのたしか!…ほんとに来ちゃったんですか…」

「ほんとに来ちゃったんですかってなんだ!? おいなんだそれ!? しかもなんかすでに忘れ去られた過去の出来事みたいな物言いしちゃってるんだけどぉ!? おい困ってるんだよな!? 現在進行形で困ってるんだよな!? 大変だから世界を繋げたんだよな!? 大変だったから俺のいた世界に迎えに来られなかったんだよな!? 余裕がなかったから肥溜めなんかに魔法陣を張ったんだよな!? そうだよなあああああああああああああああああああ!!??」

 鬼気迫る表情で勇者はアルトラーシャに詰め寄った。

「え…?…ええ…えーと…も、ももちろん…こ…こここ困っていますわ…」

「何でどもってんだよ!?」

「べ、別に…どもってなどいませんわ…ゴホンッ…そうですか貴方がこの国を救うために異界より来た勇者様ですか…そうですか…」

「そうなんだよ! それで? 一体何があったんだよ? 何で英雄に助けを求めたんだ? 事情を説明してくれ!」

「………え~っと…あの………あれが…その…」

「あれがその…なんだよ…?」

「え~………そ、そうですわ!…実は勇者様にちょっと手伝っていただきたいことがありまして…」

「手伝い?」

「はい! ちょっとこちらに来ていただけますか?」

 アルトラーシャは勇者についてくるように促し、城の廊下を歩き出した。

「(おい便ブラ! なんかおかしくないか!? なんであのババア挙動不審なんだよ!? それになんかあんまり世界の危機っていうほど切羽詰ってるようには見えないんだけど!?)」

「(そうですね…ですがとりあえずついて行ってみたらどうでしょうか…何にせよ頼みたいことあるみたいですし…ここにいても始まりませんよ)」

「(…そうだな…はぁ…仕方ない…ついていくか…)」

 きっとなにか事情があるんだろうと自分自身に言い聞かせながら勇者はトイレブラシの言う通りにアルトラーシャの背中を追いかけ走り出した。

「着きましたわ。この部屋です」

「ここに…俺を呼んだ理由が…」

 アルトラーシャに連れられて廊下を歩き出してから数分後二人はある扉の前で立ち止まっていた。

「では勇者様…参りましょう」

「ああ…」

 勇者は緊張の面持ちで扉を開けたアルトラーシャについでドアの内側に入った。

「…なあババア…ここに…俺を呼んだり理由が…本当にあるのか…」

「はいあります。それからワタクシはババアではありません十七歳ですわ。」   

「…それなら…ここで俺に…英雄に一体何をしろって言うんだよ…」

 勇者とアルトラーシャが入った部屋は大広間や脱衣所といった彼らが先ほどまでいた場所とはうって変わってそれほど広い場所ではなかった。部屋の内部構造もいたってシンプルに作られており床と壁は水をはじくタイルのような材料で出来ていた、そして唯一の特徴と言えるものとしては部屋の中に三つほどの四角い囲いで覆われたスペースが並んでいることだけだった。この部屋自体は普通に城以外の場所でも見かけることのできるどこにでもあるものだったが、だからこそ、この部屋には勇者の顔を引きつらせた理由があった、そう英雄を呼び出す程のワケがこの部屋にあるとは彼にはどうしても思えなかったのだ。

「なあババア…本当にここなんだよな…俺を呼んだ理由がある場所は…」

「はい。この場所ですわ。とても今この場所に関して困っていることがありますの。あとワタクシはババアではありませんわ」

「…そうか…でも一応…もしかしたら…俺の認識が間違っているかもしれないから…この場所の確認をしてもいいかな…」

「ええ…構いませんわ」

 そして勇者は確かめる、自らの、救世主として呼ばれた理由の存在するこの場所の名を。

「ここ…便所だよな…」

「はい。その通りですわ」

 勇者は自分が今ここに存在する理由らしい部屋の名を口にした。

「………便所に…英雄を呼び出すほどの異常が…恐ろしいことが…あるのか…」

「はい。実は重大な理由があるのです…ワタクシは王族としてこの問題に全力で当たらねばならないのです。命を賭してでもやらねばなりません!」

(い、命…だと…マジかよ…そんな重大な理由がこんな小汚い便所にあるというのか!?…しかし…ババアのこの迫力のある顔はなんなんだ…本当に余程重大なことがあるってことなのか…)

 王族としての威厳に満ち溢れたアルトラーシャの顔に驚愕しながら勇者は話の続きを静かに聞いた。

「ワタクシはこの問題を解決しなければ皆に合わせる顔が…ないのです…皆の悲しみに満ちたあの表情は今でも脳裏に焼き付いて…はなれてくれませんの…うッ…」

「…ババア…そこまで重大な理由が…わかった…俺に応えられるかはわからないけど真剣に聞くよ! 教えてくれ! その重大な理由を!」

 言葉を濁したアルトラーシャの心中を察した勇者は真剣に話を聞くように努めた。

「勇者様…ありがとうございます…実は…」

 真剣な表情になった勇者に向かってアルトラーシャは重大な理由を話し出した。

(俺はまだこの世界の事を何も知らない…このただの便所としか思えない場所の事もよくは知らない…ということはきっとあるんだろうこの場所には…何か重大な秘密が…悲痛な表情を浮かべるだけのわけが…この場所から連想できる困ったことなんてせいぜい水が詰まって流れないとかそんなしょうもないことしか思いつかない俺なんかとは違って…このババアにはあるんだ…悲しみを飾らずにはいられない嘆きのプレリュードが…)

「水が詰まって流れないんですの…うう…」

 悪鬼と化した英雄はアルトラーシャに飛びかかった。

「ふぅうううううううううううううう!!!! ふぅううううううううううううううう!!!!」

「(勇者様落ち着いてください!? クールになってください! どおどお!)」

 が、すんでのところで左腕を乗っ取ることに成功したトイレブラシに体を引っ張られる形で阻止された。 

「あら? お顔が真っ赤ですわね。どうかなさいましたか?」

「ああそうだよ今すぐどうかしちまいそうだよ!? 水の詰まりごときで命かけるとかほざいたのかよ!? 皆の悲しむ顔ってただ便所が使えなくて悲しいってだけじゃねーか!? つーかまさかそれだけか!? その水の詰まりをなんとかするっていうくっだらない理由のために俺を呼んだのか!?」

「まさか…そんなわけないじゃないですか」

「そ、そうだよな! 良かったぁ!」

「これはついでにお願いしたいことですもの」

「そうだよな! ついでだよなぁ! もっと重要なことがあるんだもんな!」

「もうせっかちですわよ勇者様ったらぁ!」

「まったくだよもう! ははッ俺ったら本当にせっかちさんだったよ!」

「ワタクシが勇者様に本当にしていただきたい事は!」

「事は!」

「タ・イ・ル・の・補・修・ですわ♪」

「ババアああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 勇者は再びアルトラーシャに詰め寄った。     

「ですからワタクシはババアではないと…」

「そんなことはどうでもいいんだよ!? いいか俺は…」

「(勇者様!)」

 怒りに我を忘れた英雄にトイレブラシは心の中で語りかける。

「(なんだ!? 今取り込んでるんだよ後にしろ!)」

「(今はとりあえずお姫様の言う通りこのトイレの補修をしませんか? どうも本当に困ってるみたいですし…)」

「(ふざけんな! 何が悲しくて異世界で便所の修理なんかしなくちゃいけないんだ!? 俺は英雄として呼ばれたんだよこれが英雄のする仕事か!? 違うだろうが!? こんなもん業者に頼めばいいだろうが!?)」

「(確かにそうかもしれません…そうかもしれませんが…)」

「なんだよ!? 何が言いたいんだよ!?)」

「(私が何を言いたいかといいますと…えーとですね…確かに勇者様の言う通りトイレの修理なんて英雄の仕事ではないと思いますが…でもこのトイレを直したら勇者様が欲しがっていた金色のツボがもらえるかもしれない、ということが言いたいのです)」

「(………え………)」

「(仕事には当然報酬が支払われます。それはどこの世界でも一緒ですし目の前のこの方はこの国の王族の中でも地位がかなり高いはず。なにせ第一王女ですよ? 高価なツボの一つや二つくらい報酬として簡単に差し出せるほどの力を持っています)」

「(………言われてみれば…確かに…)」

「(それに考えても見てください。確かに英雄というものは重要かつ危険な仕事をしてそれに見合った報酬を受け取りますが、逆に言えば危険なことをしなければ報酬が受け取れないということでもあります。これはチャンスですよ勇者様。危険な戦いをしなくてもトイレの修理をするだけで高価なツボを手に入れられる千載一遇のチャンスです! お金はいくらあっても困りませんし今のうちにお金に換えられそうなものを手に入れておいた方がいいと思いますよ!)」

「(………金目の物を手に入れるチャンス…か…)」

「(そうですチャンスです!…そして…おそらくですが…チャンスというだけじゃないかもしれませんよ…このトイレの補修…勇者様の人格面を見るためのテストなんじゃないかと私は思います)」

「(テスト? どういうことだよ?)」

「(勇者様の性格が誠実かどうか見るためのテストかもしれないということです…英雄にとってはトイレの修理など普通はやらない凡雑な仕事かもしれません…ですがだからこそこういった仕事の出来映えで仕事をやった人の人格を図ることができるんですよ…いくらすごい力を持っているからと言って簡単な仕事もこなさずにいきなり大きな仕事を寄越せなんて言う人を信用して本当に大切な仕事を任せることができるでしょうか?)」

「(…つまり…お前はこう言いたいのか…この仕事の出来栄え次第で…世界を繋げてまで英雄に助けを求めた本当の理由をこのババアが俺に話すかもしれないと…)」

「(はいその通りです)」

「(でもなぜに便所の修理なんだ…)」

「(それは私にもわかりませんが…とにかく仕事を終わらせてから向こうの出方を見ましょうよ…きっとなにかしら事情があるはずですから…)」

「(…はぁ…いまいちなんか釈然としないけど…わかったよ…)」

「勇者様? どうかなさいましたか?」

 突然黙った勇者に対してアルトラーシャは不審げに話しかけてきた。

「いいだろう…引き受けるぞこの仕事!」

「本当ですか! 助かりますわ! あと助かるついでにトイレの掃除とかもしていただけるとさらに助かるのですが…」

(くッ…このババア! 調子に乗りやがってからにぃ…!)

「(勇者様…!)」

「(わーってるよ! 指示に従うよ従えばいいんだろ!)」

 トイレ掃除もして欲しいとアルトラーシャに言われた瞬間顔が怒りの形相に変わりかけた勇者を咎めるようにトイレブラシは頭の中に直接話しかけ、彼を諌めた。

「ま、まかせてくれ…お、お安い御用さ…」

「まあ! なんて頼りになるのでしょうか! さすが英雄ですわね!」

「はははッ! 当然さ! 俺は誠実な男なんだ、だからどんな小さな仕事だって全力を尽くすぜ!」

「なんという立派な心意気! ワタクシは大変素晴らしい方を召喚したのですね! これはこの仕事が終わった暁にはきちんとしたお礼をしなければいけませんわね!」

「おいおい気にしないでくれよ! お礼なんていらないさ! 人々の幸福こそ我が宿願!」

「本当に素晴らしい方ですわ! お礼がいらないだなんて! ですがワタクシは王族です、そのような失礼なことはできません! ワタクシに出来る全身全霊のお礼を差し上げなければ高貴なる血族としての名が廃ってしまいますもの!」

(キタアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!)

 勇者は心の中で歓喜の叫び声をあげた。

「いやいや困るって本当にぃ…いらないってぇ…」

「いえ…どうか遠慮なさらないでください…ではワタクシがいては作業の邪魔になると思うので…この場はお任せして失礼しますわ…!」

「ああ…わかったまかせてくれ!…お礼とか関係なく困ってる人のためにこの仕事…確実に完遂させて見せるぜ!」

「ええ…お願いいたしますわ!…一時間ほど後にまたこちらに伺いますので…それでは…」

 アルトラーシャは勇者に向かって一礼すると静かに扉の外に出て行った。

「………さて…引き受けたのはいいけど…どうするか…俺に便所の修理スキルなんて余分な才能はないぞ…」

「勇者様! ここは私に任せてください!」

 アルトラーシャが扉の外に出て行くとトイレブラシが意気揚々と声を出して勇者に話しかけてきた。

「え? お前に?」

「はいそうです! 困ったときに役立つ可愛くって最強の聖剣エクスカリバーちゃんに任せてください! 完璧に修理して御覧に入れますよ!」

「えー…でもなぁ…掃除用具だから掃除ができるっていうならまだわかるけど…お前に便所の修理なんて本当にできんの…?」

「なんですかその疑いの眼差しは! 出来ますよ! この場所をよく見てください! そうすればわかっていただけると思います!」

「この場所をよく見る?」

 勇者はトイレブラシに言われた通りに辺りを見回すと、はっと何かに気がつき納得した。

「…そうか…確かに…お前なら…」

「そうです…やっと気づいていただけましたか…私なら直せます…なぜなら…」

「お前なら臭い便所に住んでたから業者の修理の様子を見学できたということか!」

「違いますよ!? 住んでませんよトイレになんて!? どこ見てんですか!? どこ見てそういう結論に達したんですか!?」

「どこ見てって…ここ便所だし…お前便所ブラシだから…」

「むきー! 私は聖剣と何度も言ってるのに!」

「…こっちも何度も言ってるけどお前剣じゃねーから…つーか…それなら…業者の修理を見たことないなら何でそんなに自信があるんだよ?」

「ですからちゃんと周りを見てください! あの洗面台の所とかに書いてあるじゃないですか!」

「洗面台の所って…一体何が……ん?…なんだこれ…魔法陣か?」

 トイレブラシに言われて洗面台に近づいた勇者は蛇口の部分に刻まれた小さな魔法陣を発見した。

「そうです魔法陣です! 私が任せてくださいと言ったのはこのトイレが魔術的な様式で作られているからなんです!」

「魔術的様式ってなんだよ…」

「魔術で動くように作られているということです。蛇口だけではなくトイレ全体もよく見てみてください」

「へいへい…お…?…こっちにも魔法陣があった…あそこにも…よく見たらそこらじゅうに書いてあるな…」

 トイレ全体を見回した勇者は部屋の天井や個室の中などいたるところに赤い色で描かれた小さな幾何学的な文様の魔法陣を発見した。

「その描かれた小さな魔法陣は一つ一つがそれぞれ部屋の明かりや水の流れなどといった機能に対応してるんですよ。つまり故障した原因は魔法陣の欠損や不具合のはずですから魔術のエキスパートであるこの私ならばもうちょちょいのちょいって具合に直せると、そう言ってるわけですねはい!」

「おおなるほどそういう事か!…でも…タイルの補修はどうするんだ? これは魔法陣関係なく物理的な欠損だろ?」

「それも簡単な魔術で修理可能ですよ。前に勇者様の髪の毛を生やした魔術と同じようなものです」

「…あの時のあれか…今でも鮮明に覚えてるよ…お前を信頼して落武者にされたあの酷い記憶…」

「………もしかしてまだ根に持ってたりしますか…?」

「もちろん」

「………さあそんなことは忘れて作業に取り掛かりましょうか! あはッ☆」

「絶対に忘れない。絶対に」

 過去の記憶を思い出しながらもアルトラーシャの指示通り勇者はトイレブラシの力を使い魔法陣を修復させ見事にトイレの水の詰まりの解消と欠けたタイルの補修を終わらせた。 

「いや~終わった終わった! ふう~! 疲れたぜ! しかしいいものだな! ひと仕事終えたあとのこのなんとも言えない充足感は!」

「何言ってるんですか!? 勇者様何にもしてないじゃないですか! 私が全部やったようなものですよ! なんですかその達成感に満ち溢れた顔は!」

「俺はお前のご主人様なんだからお前の手柄は俺の手柄で俺の手柄は俺の手柄だろ?」

「横暴です! ジャイアニズムを振りかざさないでください!」

「おいおい怒るなよ…働いてくれたお礼にお前にはちゃんとしたご褒美をあげようと思ってたんだから」

「え…ご褒美…本当ですか…?」

「ああ…仕事にはきちんとした対価が支払われなければならないからな…本当にありがとな!…お前のおかげだ感謝してるよ!」

「…勇者様…私…今ちょっと感動しています…グスッ…勇者様は私のことなんかなんとも思って…ないと…そう…感じていたので…うぐッ…うう…」

「そんなわけないだろ! お前にいてもらわなければ困るよ! ほら! そんなしみったれた声出してないでいつもの明るいお前の声を聞かせておくれ! そうじゃないとご褒美をあげる意味がないだろ?」

「…うう…ぐすん…は、はい!」

 勇者は感動で涙声のトイレブラシに優しく微笑みかけながらある場所に向って歩き出した。

「よしいい子だ! さあご褒美の時間だぞ!」

(…なんだろう…女の子らしいものだといいな…なんて…えへへ…)

 トイレブラシは夢見る乙女のように心の中で勇者に送られるプレゼントを待ちそんな彼女に歩みを止めた勇者は満面の笑みで言葉を贈る。

「さあ便器を舐めまわせ」

 小便器の前に立ち止まった勇者は便所ブラシに便器を舐めまわす権利をプレゼントした。

「どうした? お前の好物だろ? ほらこの黄ばんでるとこなんかいいんじゃないか? もうベロンベロン舐めまわすように擦っていいんだぞ? この後どのみち便所掃除しなきゃいけないんだし遠慮なんかしなくていいからな! これぞまさに一石二鳥! さすが俺! さすがてんさ、ぶはぁッ!?」

 言い終わる前にトイレブラシのスポンジが勇者の頬に炸裂した。

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラああああああああああああああああああ!!!!!」

「ちょッ…ちょまッ…ぶうううううううううううううううううううううううううううう!!??」

 休む間もなく左腕を乗っ取ったトイレブラシは勇者の顔に高速のスポンジのラッシュを叩き込きこみ続け、彼の顔がボコボコになり倒れるまで決して止まることはなかった。

「ぶはぁ…がはぁ…て…てめ…な…なんて…こと…し…や…がる…」

「乙女心を弄んだ罪ですよ。当然の報いです。貴方は私を怒らせた」

 勇者が立てるまで回復した後もトイレブラシはしばらくの間不機嫌なままだった。

「…いてて…お前…この…マジ殴りしやがって…」

「ご褒美なんて言って便器を擦ろうとする勇者様が全面的に悪いんですぅ! べーっだ!」

「便所ブラシへのご褒美としてはこれ以上ないくらい適切だったろうが…何が不満なのか…ったく…まあいいや…もうすぐだ…あとは便所掃除をすれば豪華な報酬が俺のものになるからな…さて…そんじゃあ…始めますかね便所掃除…ま、便所なんてすぐ汚れるし適当でいいか…」

「そういえば私、前に最後の最後に油断して結局何も得ることが出来なかった主人公の話をどこかで読んだことがあります」

「よ~し! 一生懸命掃除しようかなッ!」

 つぶやくと早速勇者はトイレ掃除を開始し、そして三十分ほどでトイレの便器や洗面台は見違えるほど綺麗になりホコリや水垢で汚れていた場所は新品同様に美しく生まれ変わった。

「すごいです勇者様! トイレ掃除の才能はぴか一ですね! さすが庶民! やはり勇者様にはこういうあまり目立たない雑用仕事が似合ってるのかもしれませんね!」

「ケンカ売ってんのかてめえは!? 別に嬉しくもなんともないんだよ!?」

 床の掃除を残して便器や洗面台の掃除を終えた勇者は突然動きを止めて何かを考え始めた。

「…どうしたんですか勇者様…?…あとは床をデッキブラシで掃除するだけで終わりなのに…」

「…いやなんていうか…ここで…体とか洋服とか荷物とかを洗っちゃおうかな~と…思ってさ…どうせ床は水浸しになるわけだし…」

「何もこんなところで洗わなくても…アルトラーシャ姫にお風呂を借りればいいじゃないですか」

「いやぁ…なんかババアが入った風呂のお湯を使うのは…ちょっと…」

「なに思春期の女の子みたいなこと言ってるんですか貴方は…」

「…美少女のお姫様が入った風呂なら飲んでもいいくらいなんだけど…ババアはちょっとな…俺ババアアレルギーなんだ…」

「聞いたことないですよそんなアレルギー…」

「まあいいじゃないかそんなことは…ところで便ブラ。お前魔術で服とか乾かせる? 洗った後乾かしたいんだけど…」

「水を飛ばして乾かすくらいなら魔術で出来ると思いますが…」

「おお! 本当に便利だな魔術! そうと決まればとっとと洗っちまうかな。修理任されてからそろそろ一時間くらいになると思うし、ババアが戻って来る前に終わらせよう…」

 勇者はトイレの中で再び裸になると、リュックから石鹸やらシャンプーを取り出し肥溜めで汚れた荷物や体を洗い始めそして洗い終えるとバケツに温水を溜めて体や荷物、洋服に付いた泡を洗い流した。

「はぁ…とりあえず…綺麗になったな…ふう…」

「…いえ…トイレのバケツ使ってる時点で全然綺麗ではないと思いますが…勇者様の綺麗の基準が私にはよくわかりません…これなら普通にこの城のお風呂で洗った方がいいと思います…他にも水場とか探せばいくらでもあると思いますし…何もトイレで洗わなくても…」

「頭が痒くて我慢の限界だったんだよ!…こんなだだっ広い城にある他の水場なんか探してられないくらい痒かったの!…でもまあ風呂に関して言えば…確かに…お前の言い分は一理ある…しかし…嫌なんだ…俺だってあのババアが母ちゃんに似てなければここまで拒絶はしなかったろう…教えてやるよ…うちの母ちゃんが風呂に入ったあとは…なんか…浮いてるんだ…だから…嫌なんだ…」

「勇者様のお母様とアルトラーシャ姫は別人じゃないですか…それにあのお風呂は常時お湯の入れ替えを行ってるタイプだと思いますよ…」

「それでもなんか嫌なんだよ顔がそっくりなんだもん!…例えお湯の入れ替えを行っていたとしても…どうしても思い出しちまうんだ…あれから…あの謎の物体を見た日から俺は母ちゃんより先に風呂に入るようにしていたんだ…ああ恐ろしい…」

「本当に変なところで神経質ですよね…」

「男の子だって思春期はこういう事を気にするんだよしょうがないだろう!」

 その時、話の途中突然何の脈絡もなく、会話を遮るように突然トイレの扉が開け放たれた。

「勇者様修理とお掃除はそろそろ終わり…ま……きゃああああああああああああああああああああ!!!」

 勇者はトイレブラシとの話しに夢中になっていたため、ドアの外から聞こえる足音に気が付かず、結果的に侵入してきたアルトラーシャを全裸で出迎える形になった。

「うわああああああああああああああババアノックくらいしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!??」

 真正面から股間を見られ、勇者は急ぎ両手で股間を隠したが、そんな彼に対してアルトラーシャは両手で顔を隠しつつも指の隙間からしっかりと彼の全裸を覗き騒ぎ出した。

「な、なんて恰好をしてるんですか貴方は! や、やはり美しいワタクシに心を奪われていたのですね! ワタクシがトイレに入ってきたその時に! 油断しているその時に! 裸で襲い掛かろうと計画していたのですね! いやああああああああああああああ!!! レイプされるううううううううううううううううううううううううううううう!!!」

「わめくなババア!!! 違うに決まってるだろう!!! さっきからレイプレイプうるさいんだよどんだけレイプされたいんだよ!? これは体を洗っていただけだ!!! ってか嫌ならとっとと出て行けや!!! 何待ってるんだ何指の隙間から覗いてんだッ!!! 早く出てけやあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 勇者は叫び、アルトラーシャを外に追い出した。そしてトイレブラシに急ぎ学ランを乾かさせ、着ると床を乱雑にデッキブラシで磨き上げアルトラーシャを再びトイレへ呼び戻した。

「ま、まったくもう!…驚きましたわ!…で、でも男の人って…ああいう、その、ふうに…なってるんですのね…な、なんでしょう…どきどき…しちゃいましたわ…」

「気色悪ぃいんだよやめろババア!? もじもじしてんじゃねーよ!? 歳と顔を考えてからそういう態度を取れよただただ気持ちが悪いわッ!!!」

「ですからワタクシはババアではないと言っているではないですか。正しい認識をしてくださるかしら。十七歳ですわ十七歳」

「十七の前に五をつけるともっと正しい認識になるだろうな!…はぁ…それより…終わったぞ…便所の修理と掃除」

 頬を赤らめながら体をよじる推定年齢五十七歳の寸胴体系をしたおばさんの姿に吐き気を覚えつつも勇者は見事トイレの修理や掃除を終わらせることができたことを伝えた。

「まあ! 流石ですわ! とても綺麗になってますわね! 水の詰まりが直っているか個室の中に入って確認してもよろしいかしら…?」

「お好きにどうぞ…俺は便所の外で待ってるよ…」

「あら…?…一緒に入って確認してくださらないのですか…?…ああ…もしかして…はは~ん…そういうことですか…」

「…なんだよ…」

「浴場で芸術品のようなワタクシの裸体を覗き見た後さらに美しいワタクシに裸をわざと見せてしまったため性的興奮が抑えられないのですね…ですが…その…廊下は汚さないでくださると助かりますわ…」

「…何を言ってるんだお前は…」

「あと…その…どのくらい時間をかけて確認してくれば…その達することが出来るのでしょうか…?」

「…だから何を言ってるんだよ…わけがわからないぞ…」

「も、もう! レディに言わせるつもりですか! ま、まさか! それもオカズに使うつもりですか貴方は!」

「意味がわかんないっつってるだろ! はっきり言えや何が言いたいんだよ!」

「で、ですから貴方のあれが興奮しすぎて収まりがつかないから…その…ワタクシの裸をオカズにして自家発電する時間はどれくらいかかるのかなぁと…そうと聞いてるんですのよ…いやらしいですわ!」

「とっとと見て来いババアあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

「ですが…その…時間は…」

「五秒、いや三秒で見てこいやッ!!!」

「まあ…ずいぶん…その…早いんですのね…早漏というやつですか…」

「そうじゃねえよおおおおおおおおお!? 案にそんなことしないってことを言いたかったんだよ!!! ババアの裸なんかで興奮するわきゃあねーだろーがありえねーんだよ!? くだらねーこと心配してないで便所の確認に行って来いよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 勇者に急かされるようにしてトイレの動作を確認したアルトラーシャは廊下で待つ勇者の元に急ぎ戻ると感謝の意を伝えた。

「ありがとうございました勇者様! 見事に直っていましたわ!」

「ああ当然だ! この俺にかかればこんな雑事容易いことだからな! だがどんな簡単な仕事だって手は抜かないぜ! 俺は常に全力だ!」

「見事です! その心意気には感服せざるをえませんわ! 重ねて感謝いたします、本当にありがとうございました! それでは感謝の言葉はこれくらいにして報酬の話に移らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「え…報酬?…あ~そういえばそんな話あったっけぇ…忘れてたわ~…完全に忘れてたわ~!…たはぁ~…そういうものは受け取っちゃいけないんだけどねぇ…いやあ…困ったなぁ…いらないって言ってるんだけどなぁ…たはぁ~…困るわぁ…」

(金、金、金、かねええええええええええ! とにかく金目のものならなんでもいいから寄越せ! 出来ればあの金ぴかのツボがいいけど、ダメならもっと高価なものをよこせえええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!)

「(勇者様…笑顔が汚いです…下心バレバレですよ…もっとちゃんと隠してください…あとヨダレ拭いてください…)」 

 すっとぼけたふりをしつつ目を欲望で濁らせ口から涎を垂らしながら歪んだ笑みを浮かべた英雄は心の中でアルトラーシャに支離滅裂な催促をし始めるもトイレブラシはそんな彼を諌めるように非難した。

「しかし報酬と言ってもワタクシが差し上げられるものなど微々たるもの…それでもよろしいでしょうか?」

「ああ構わないさ! むしろいらないくらいなんだけどね! そういうの受け取るのはいけないことだからさぁ! いや~困るわ~! 俗物だと思われちゃうよぉ~! チョベリバなんですけどぉ~!」

(謙遜するなよババア! 第一王女なんだからマジ半端ない褒美が出せるんだろぉ~! もうコ・イ・ツ~! 日本人じゃないんだからKENSONなんかしなくてもいいんだぜぇ~! げひゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!!)

「(勇者様いいかげんにしてくださいヨダレがさっきよりダラダラ垂れてきてますナイアガラの滝みたいに垂れてきてますよ…)」

 涎を先ほどよりも垂らして醜い笑顔に拍車がかかった勇者を再びトイレブラシは非難したがやはり彼の心には届かない。

「困らせてしまって申し訳ありませんが…これは王族の誇りの問題ゆえ…どうかお受取りください…」

「いや~仕方ないな! そこまで頼まれちゃあ仕方ないよな! それじゃあ受け取っちゃおうかな!」

「ありがとうございます…それでは…どうぞ…お納めください…」

 ドレスの胸元に手を入れたアルトラーシャは紙のようなものを一枚取り出し、勇者に渡した。

「………なにこれ……」

「あら? 見てわかりませんか?」

 手渡された生暖かい紙は勇者の世界にも存在するごく普通の写真だった、だが問題なのはその写された中身だった。

「うふふ…嬉しくってどうやら声も出せないようですわね!…ですがそれも仕方のないことですわね! なにせこの写真は貴方が持つ一枚を除けば…この世に存在するのはワタクシの持つ残りの三枚のみですものね!」

 精気の抜けた顔で写真をじっと見つめる勇者に対してアルトラーシャは感激して言葉が出ないとでも思ったのか畳みかけるように写真のすごさを話し出す。

「本当は差し上げるつもりは無かったのですが…あの見事な仕事ぶりを見せつけられてしまってはこれを渡す他はないと、そう思ってしまったのです。ふふッ…貴方の勝ちですわ勇者様。ワタクシにこのブロマイドを出させるなんて…流石英雄ですわね! 大したものではないと言って期待をさせないでおきながらこの豪華なご褒美で貴方を腰抜けにさせてしまったワタクシのサプライズもなかなかのものだったでしょう? うふふふ!」

「………なあ………これが………俺への………褒美……なのか……?」

「ええそうですわ! さあもういいんですのよ! 我慢しなくても! 歓喜の叫びをあげてください! やったあ! ばんざーい! って言っていいんですのよ! さあ大きな声で!」

 写真を見つめる勇者の瞳は暗く濁り切りドブのように汚かった、否、汚くさせられたのだ。その写真は勇者の期待を裏切り失意のどん底に突き落とすには十分すぎる褒美だった。写真から顔をあげてアルトラーシャを無言で見つめたのち再び顔を落とし、写真を見つめる。そこには

「ばんざーい! ばんざーい! ほら勇者様もワタクシとご一緒に! ばんざーい!」

 白いビキニを着たアザラシ、もといアルトラーシャがポーズを決めて写真に写っていたのだった。

「ばんざーい! ばんざーい! もう! ノリが悪いですわよ勇者様ッたら! ばんざ…」

 勇者は写真を破り捨てた。

「な!? 何をしてらっしゃるんですか貴方は!? えええ!? そ、そんな!? あ、ありえませんわ!?」

 粉みじんになるまでひたすらに、ひたすらに手で破りつづけた後破り捨てたのだった。そして万感の思いを込めて叫ぶ。

「ば、ば、ば、ババアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

「きゃあッ! 急に大声をあげないでいただけるかしら! びっくりするじゃないですか!」

「びっくりしたのはこっちなんだよ!? 胸元に手を突っ込んだ時は宝石でも出すのかと思って期待したっていうのに! なんだこれ!? なんなんだこれは!? ええ!? なんなんなんなんなんなんだよ!?」

「ワタクシの白ビキニブロマイドですわ。超限定レアものでしたのに。破ってしまうなんて信じられませんわ正気の沙汰ではありませんわよ! 言っておきますがもう差し上げることはできませんからね! ワタクシは取り換えのきく安い女ではないのですから!」

「いらねーよ!? 正気を疑うのはこっちだっつの!? 面倒な仕事をやらせておいてこんな醜い豚アザラシの写真一枚で報酬の話を終わらせやがってッ!!! 水族館じゃねーんだぞ!? 同じ紙でもこんなもんより鼻かんで丸めたティッシュのほうがまだ価値があるじゃねーか!?」

「豚アザラシですって!? ワタクシは海の妖精とまで言われていますのよ!? ワタクシの事をオカズに使おうとしていたくせに! 照れ隠しにも限度ってものがありますわよ!」

「使おうとなんてしてねーって言ってんだろ!? どんだけ自信があるんだよ鏡見てこい海の妖精どころか妖怪が映るからね!? ホントいい加減にしてくれよ!? 察してくれよ! 俺が何を欲しがってるかくらいわかれよ!? 王族だろ!? 人の上に立つ存在だろ!?」

「………察しろと言われましても…あの写真以上に価値があるものなどそうそうないと思いますが…あれ以上に価値があるもので貴方の本当に欲しいものですか…」

(金、金、金、とにかく高い金目のモノおおおおおおおおおおおおおおおお!!!)

 勇者は必死に心の中で念じ、アルトラーシャは顔を下に向け少しの間考えると何かに思い当り、申し訳なさそうな顔をして勇者に向き直った。

「……なるほど…申し訳ありませんでした…どうやら貴方の気持ちを察することができていなかったようです…今ようやくわかりました」

「おお! そうかやっとわかってくれたか!」

「ワタクシの生の体が目当てだったのですね」

「ババアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 アルトラーシャは恥ずかしげに眉根を寄せながら体をよじり、そんな彼女に対して再び勇者の罵倒が響き渡る。

「ですが…申し訳ありませんが…ワタクシにも選ぶ権利というものが…」

「そうじゃねええええええよおおおおおおおおおおおおお!!?? ババアあああああああああああああああああああああああ!!?? しかもちょーむかつくううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!!」

「え…違うんですか…?」

「当たり前だろ!? なんの罰ゲームだよ!? 頼まれたってもらわねーよそんなもの!? もういい! もうたくさんだ! 俺が欲しいものを直接言う!」

「あら? ワタクシの体を含めて他に何か欲しいものがあるのですか?」

「含めなくていいんだよそんなものは!? そんな余分なものはいらない!? 俺が欲しいものは大広間に飾ってあった金色のツボだ! あれを寄越せ!」

「大広間の…金色の…ツボ…ですか……そんなもの飾ってあったかしら…」

「あったんだよ観賞用のツボが! 確かに! 第一王女なんだからそれくらいパパーっと差し出せるんだろ? 頼むからそれをくれ! 体はいらないから!」

「観賞用のツボ…差し上げる分には一向に構わないのですが…ワタクシの記憶違いなのか…どのようなものか思い当らないので…出来れば大広間に一度ワタクシと一緒に戻ってどれが欲しいのか教えていただけますか…?」

「わかった! そういうことならすぐにでも行こうじゃあないか!」

 アルトラーシャの言葉にすぐさま同意した勇者は彼女と共に大広間に戻るべく廊下を再び歩いていたが途中でアルトラーシャが突然立ち止まった。

「きゃああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 そしてアルトラーシャはまたも突然すぎる叫び声を張り上げた。

「うわッ!? なんだよ急に濁声を張り上げるなよババア!? びっくりするだろ!」

「く、くくくく、くも、くもが…!!!」

「くも…?」

 アルトラーシャの青ざめた顔を見た後勇者は彼女の視線の先を見据えた、すると彼女の足元から数センチ前の床に小さな蜘蛛を見つけ、ため息をつく。

「なんだこんなちっこい虫ごときであんなでかい声を出したのか…おどかしやがって…」

 彼は文句をいうやいなや手で蜘蛛を拾い上げるとちょうど開いていた窓から逃がした。

「すごいですわ! 怖がりもせず蜘蛛を素手で掴むなんて、剛毅なお方ですのね! さすが英雄と言ったところでしょうか!」

「はははッ! まあね! 英雄っていうのはどんな状況でも冷静かつ客観的に物事を見る神の視点を持っていなければやっていられない仕事だからね! 当然さ! 例えどれほどの怪物が現れて、襲ってきたとしても表情一つ変えないね俺は! なにせ鋼の心、持ってますから!」

「なるほど! やはり英雄というものは心からして違うのですね! 勉強になりますわ!」

「ああせいぜい学ぶといいぜ、この俺の生き様をな! なははははははははははははは!」

「(勇者様…あんまり調子に乗らない方がいいと思いますよ…なんというか…なんだか猛烈に嫌な予感がします…)」

「(なんだよ嫌な予感って。そんな抽象的な表現で不安を煽るなよ。だいたいツボもらいに行くだけなんだからなんの心配もいらねーだろ)」

「(うー…そう言われれば確かにそうなんですが…)」

「(だろ…?…なんの心配もないって! うははははははははは!)」

 トイレブラシの忠告にも聞く耳を持たず、勇者は心の中で笑い続けた、高価なツボを我が物にする未来を想像しながら。

「着きましたわね。一応確認しますがここでよろしいのかしら…?」

「ああそうそうここ! ここだよここ!」

 大広間に到着したと同時に勇者に場所の確認をしたアルトラーシャは彼の確認を得ると共に金色のツボの探索を開始した。

「確か…ここら辺に…えーっと……うーん……あ! あった! あったぞババア!」

「ですからワタクシはババアではありません。十七歳のピッチピチ…」

「ああわかったわかった! それよりほら! これだよ例のツボは! ご褒美をくれるんだったらこれをくれ!」

「ああなるほど。勇者様が言っていたのはこれのことでしたか。これはワタクシの私物なので差し上げる事なら可能ですわ」

 勇者の指差した場所に黄金に輝くツボを見つけたアルトラーシャは納得のいったふうな表情を浮かべると彼に向かって褒美としてツボを差し出すことを告げた。

「マジかよ! やったー! 異世界にきて早速豪華なツボをゲットしちゃったぜー! やりー! わっふぉー! いやっふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 勇者は歓喜のあまりツボを抱えて踊りだした。

「あの…ですが勇者様。差し上げる前に言っておかなければならないのですが…そのツボは観賞用のツボではないのですわ。ワタクシが実際に使っていたものなので、ツボの中身を取り出してから差し上げるという形でもよろしいかしら?」

「え? ツボの中身? そんなのあった、って、お、おわっ!? うわあ!?」

 アルトラーシャの質問に対して答えようとした瞬間、踊っていた勇者の足がもつれ体制を崩し、床に倒れ込んだ。

「あ、あっぶねー! 危うくツボを落とすところだったぜー! たはー! ん? なんかツボの中から落ちたな。なんだこれ?」

 右腕で器用にツボを支えた勇者だったがツボの口をやや斜め下にしたまま倒れたためか仰向けに倒れ込んだ勇者の腹の上にツボの中から三十センチメートルほどのひも状のものが落ち、勇者はそれが何か確認するべく目を凝らした。よく見るとひも状の物体の先端にはつぶらな瞳が付いており、体全体は赤い鱗で覆われ、ニスを塗ったように艶がでていた。そして勇者はこの時初めてこの腹の上でうごめく生物が何なのかしっかりと理解した、そう理解したため

「へ、へ、へ、へ、へびいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!??」

 全力で叫ばざるを得なかった。

「はい。ワタクシのペットの蛇ちゃんたちのおうちだったんですのよ」

「そ、そう…いう…こと…は…も…もっと…はやく…言って…ちょうだいな…あ…あ…ああ…」

「(勇者様…そのすごい情けない顔やめてください…どんな怪物が襲ってきても表情一つ変えない鋼の心はいったいどこにいったんですか…)」

 トイレブラシは先程大口を叩いたにもかかわらず、今現在脂汗を顔全体に滲ませながら情けない顔をしている勇者に向かって心の中で呆れた声を出した。

「(う、うううるさい! 今鋼の心はちょっとあれなんだよ…あの…その…め、メンテナンス中なんだよ! さっきの蜘蛛で使っちゃったからしばらくはメンテナンスが必要なんだよ!)」

「(あんな小さな蜘蛛で使い果たすなんて…どんな鋼なんですかまったく…それにしてもやっぱり私の予感バッチリ的中しましたね…だから注意してくださいと言ったのに…)」

「(しょうがないだろ!? こんなもん予想できるか!? くっそ! お前ちょっと黙ってろよ今打開策を考えるから!)」

 腹の上で上半身を立てて威嚇を始めた蛇を刺激しないように静かな声で、アルトラーシャに言葉を返した勇者はなんとかして腹の上の外敵を退けるべく、トイレブラシとの会話を打ち切り思案を開始する。

「おい…ババア…取って……蛇を…取ってくれ…」

 思案して最初に思いついたのがアルトラーシャに頼むと言う他力本願な打開策だったが

「すみません勇者様…ワタクシ急に…その…催してしまいまして…お花を摘みにいってもよろしいかしら?」

 成功しなかった。

「よろしくない…よろしくない…これを…取って…からに…して…その後だったら…もう…摘もうが…刈り取ろうが…好きにして…いい…から…だから…」

「あら、アンジェリカちゃん勇者様が気にいったようですわね。勇者様に遊んでもらうんでちゅよ~! ママはちょっとでかけてきまちゅからね~! それでは勇者様、ワタクシはちょっと失礼しますわね」

 今にも勇者の顔に食らいつきそうなほど接近し興奮状態のアンジェリカと呼ばれた蛇を放置してアルトラーシャはトイレに向かった。

「ば、ば、ババア…ちょ…うそだろ…おい…ちょ……ババア…ババア…戻って…戻ってきて…ばばあかむばああっく…」

 勇者の小さすぎる救援要求はアルトラーシャには届かない。

「べ、便ブラ…た、たのむ…ま、まじゅつ…で…この…蛇を…たのむうううううう…」

 次に思いついた、というよりも最後の砦ともいうべき案であるトイレブラシの力を頼った。

「結局私に頼るんじゃないですかもう!…しかし勇者様って蛇が苦手だったんですね…少し意外です」

「蛇が…得意…な…やつなんて…いない…だろ……いいから…はやくうううう」

「助けることに関してはもちろん構わないんですが…うふふふ…なんだか主導権を握ってしまった…いけない気分です!…ふふ…なんだか頼み方に誠意が感んじられませんねぇ~…そこんところどうなんでしょうか…ねぇ勇者様~!」

「こ、こいつううううう!」

「こいつ? 口の利き方には気を付けていただかないとですねぇ! 勇者様の生殺与奪権は今やこの聖剣が握っているのですから…さあ…こんな時はどうお願いするんでしたっけ? ゆ・う・しゃ・さ・ま?」

「うう…べ、べんじょぶらしさん…おねがいします…」

「便所ブラシさん? 違うでしょう! 聖剣エクスカリバー女王様、この惨めで薄ら汚らわしい雄豚に慈悲をくださいお願いしますぶひぃ! と言いなさい! ちゃんとぶひぃをつけるんですよ! ぶひぃは重要ですからね! テストに出ますよ!」

「き、きさまぁ!…は、廃棄処分にするぞ…このポンコツがぁ…!」

「ああ~…ダメですね…今のはダメです…なんだか…眠くなってきちゃいました…今ちょっとお昼寝しちゃってもいいですかね私…」

「ちょ、ちょまッ!…ぐううううううう…わかった…言うよ…言えば…いいんだろ…」

「そうですその通りです言えばよいのですよ…うふふふふふふ…」

「うう…くそッ…便所ブラシ如きに媚を売るなんて…なんという屈辱だ…うう…ヤダ…やっぱり言いたくない…」

「くか~…すぴ~…むにゃむにゃ…すーすー」

「おい寝たふりすんなよ…!…言うから…ちゃんと言うから…ぐぐぐ…せいけん…えくすかりばー…じょうおうさま…こ、この…みじめで…うう…うすら…けがら…わ…しい…おす…ぶた…に…じひを…くだ…さい…おねがい…します…ぶ、…ぶ…ぶひぃ…!」

「はいよくできました! それではもう一度言っていた…」

「早くどけろぉ…!」

 勇者はドスの利いた声を出しながら、血走った目でトイレブラシを睨み付けた。

「わ、わかりましたよぉ…そ、そんなに睨まなくてもぉ…華麗なエクスカリバージョークのつもりだったんですよぉ…そんな顔でにらまれたらエクスカリバーちゃん悲しくて泣いちゃいますよぉ…ふぇぇん!」

「いいから…さっさとやれえええ!」

「わかってますって…今詠唱するので…ちょっと待ってください…」

「で、できるだけはやくな…」

「この場合は軽い衝撃で弾き飛ばす方がいいですかね…勇者様の体も少し衝撃を受けると思いますけど大丈夫ですかね…?」

「だ…だいじょうぶ…だからはやくして…くれ…」

「わかりました…今から準備します…」

 トイレブラシが詠唱を始め、勇者はようやくこの状況から解放されるという思いと目の前で今にも食らいつきそうなアンジェリカちゃんとの間で板挟みになりながらもなんとか正気を保とうと必死だった。

(あとちょっとだ…あとちょっとで解放される…もう少しの辛抱だ……だが…なんだろうかこの胸のつかえは…俺は…何か…何か大切な事を見落としている気がする…なんだ……なんなんだ…)

 勇者は何か重大なミスを犯しているのではないかという思いに囚われながら、何を見落とし、忘れているのかを思い出そうとし、不意にある言葉を思い出した、そしてそれはアルトラーシャが発した言葉だった。

「あれ…そういえば…あのババア…確か…こう…言ってた…ワタクシの…ペットの…蛇…ちゃん…たち…のおうち…とかなんとか…達…『たちぃ』!?」

 勇者は口を斜め下に下げたまま動かせなくなったツボの中の暗闇を見つめた、その闇の中で蠢く無数の巨大な流れを。その後考える、もしこの状態のままでトイレブラシが衝撃魔術を使ったらどうなるかを考える。自分の体が、ツボをなんとか支える右腕が衝撃にさらされて斜め下に向けられたツボがどうなるのかをただひたすらに考えた。だが時すでに遅く、考えて結論を出すよりも先にトイレブラシの詠唱がすでに終わっていたことを知る。

「それではいきます! 衝撃魔術! インパルス!」

「ちょ…ちょっと待て便ブラああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 答えは火を見るより明らかだった、アンジェリカが腹の上から吹き飛ばされるのとほぼ同時に勇者の体や右腕を予想よりも強い衝撃が襲い、右腕で支えられていたツボは口を逆さまにして上空へと跳ね上がった、そしてその結果として

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 勇者の体に大小無数の蛇が降り注いだ。

「わあすごい! 勇者様が蛇まみれになってしまいました!」

「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 結局大事に右腕で支えていたツボは先ほどの衝撃で地面に落ちて割れてしまった、しかしそれだけならばまだ良かったが勇者の不幸はまだ続く。五十匹近い蛇たちは突然勇者の体や周囲の地面に落とされたことで警戒行動を始め、先ほどのアンジェリカと呼ばれた蛇と同じように彼に向かって上半身を立て激しい威嚇を開始した。

「べ、べ、べんぶら…魔術を…もう一度…もう一度…た、たたた頼むぅ…ひいい…」

 今にも泣き出しそうな酷い顔をした勇者は蛇たちをこれ以上興奮させないよう細心の注意を払いながら小声でトイレブラシに魔術の使用を懇願したが

「いえ…してあげたいのは山々なんですが…さすがにこの数となると蛇だけ狙うのはちょっと難しいですね…勇者様もろとも攻撃していいなら可能ですけど…」

 あえなく不可能であることを告げられる。

「そ…そ…そん…な…そ、それじゃあ…どうしたら…いいん…だ…」

「そうですねぇ…あ!…アルトラーシャ姫がトイレから戻ってきたみたいですよ! 彼女に頼めばなんとかなるんじゃないでしょうか。ほら、飼い主ですし。興奮した蛇の鎮め方くらいきっとわかりますよ。それまでは鋼の心で持ちこたえてください。私はまたしばらく黙っているので、何かある場合は心の中でおねがいします」

 動けない勇者の代わりに周囲を見回していたトイレブラシはこちらに向かって来るアルトラーシャの姿を見つけると、彼女に事態の収拾を丸投げした。

「おい…メンテナンス中ってさっき言っただろ…!…おい…!…便ブラ…!…くそ~…あんな言葉を言わせたくせに…状況が…悪化した…だけじゃねえか…結局…ババアに…頼むことになんのかよ…」

 そうこうしているうちにアルトラーシャは勇者のもとに優雅に戻ってきた。

「あらあら! みんな勇者様に遊んでもらってるんでちゅか~! よかったでちゅね~!」

「おいコラ遊んでるように見えるかババア!? あとそのキモい赤ちゃん言葉やめろ!? こっちは必死なんだよ!? 神経に障るんだよ!?」

「まあ! なぜそんなに気が立ってらっしゃるのかしら」

「なぜだとぉ!? 噛まれたら大変だろうが!? だから気が立ってひぃぃ!?…き…気が…立ってる…んだよぉ…」

 大声を出したせいで余計に蛇の威嚇が強くなったため勇者は声のボリュームを落として会話を始めた。

「例え噛まれたとしても大丈夫ですわ。この子たちに毒はありませんから」

「ほ、ほんとうか…ほんとうに…毒は…ないのか…こんな…海外で売ってそうな…お菓子…みたいなカラフルな色してるのに…?…噛まれたら…数分のうちに…あの世に…逝きそうなのに…?…合成着色料が…半端じゃなさそうなのに…?」

 勇者は自分の体の上や周りに散らばった、赤、青、黄色、緑、紫、赤黒のシマシマ模様、などのありえないほど毒々しい色をした蛇たちを見つめながら、アルトラーシャに質問を再び返す。

「ええ…たしか…その…はず…だった…ような…気がした…はずですわ…多分きっとおそらく…」   

「ば、ばばあ~…自分のペットのくせに…なんでそんな自信なさそうなんだよおお…毒があるか…ないか検証…される前に…早く…取って…この蛇を…早くううう…」

「そうですか…そんなにお嫌ですか…確かにちょっとみんな興奮してるみたいですものね…わかりましたわ。早急にお取りしましょう」

「あ、ああ…たのむ…でも…どうやって…取るんだ…?」

「それは…この笛を使いますの」

 アルトラーシャはまたも胸元から人差し指程の小さな銀色の笛を取り出した。

「…何その胸元…四次元ポケットなの…?…ま、まあなんでもいいや…それで…どうするんだ…?」

「これで蛇ちゃんたちの興奮を鎮めるんですの。それから一匹ずつ勇者様の体からどけていきますわ。ですが…それを行うためにはには勇者様にも協力していただかなけばならないのです」

「…もう…なんでも…するから…とにかく…とにかくぅ…早くなんとかしてぇ…」

「そうですか。ではまず口を大きく開けて舌を出してくださるかしら?」

「な、なんだそれは…ど、どういう意図があるんだよ…」

「ワタクシの奏でる音色は蛇ちゃんたちをリラックスさせる効果があるのですが、勇者様がいる今の状態で笛を吹いても効果が薄いと思うのです。よく見たらみんないつも以上に興奮状態みたいですから。ふふふ! どうやら初めて男の人に触られて緊張してるみたいですわね。みんな女の子なんですのよ。微笑ましいですわ」

「ど、どこが…微笑ましいんだ…ババア…どうでも…いいから…説明を…続けてぇ…」

「ああすみません…それでなぜ勇者様に先程の指示を出したかと言いますと…これは勇者様に蛇になりきってもらうためですわ」

「へ、へびに…なりきるぅ…なんだそれ…」

「端的に言うと蛇ちゃんたちに仲間だから安心だよ、とそんな感じに思ってもらい警戒心を解いてもらうという作戦ですわ」

「そ、そんな…ので…大丈夫…なのかよ…」

「ええ間違いありませんわ。蛇ちゃんたちの事に関してならワタクシ誰にも負けないほどよく知ってますもの。この方法が今の状況に最も適していますわ」

「いやでもぉ…そんなバカみたいな作戦で…あひいいいいッ!!??」

 その時一匹の蛇が勇者の顔に向かって飛びかかってきたが、狙いを外し勇者の頬をかすめて横を通り過ぎると後方に飛んで行った。

「…う゛う゛ええん…わかりましたぁやりますなんでもやりますからぁ…はやくはじめてえええ…」

 勇者は恐怖で涙と鼻水を垂らしてえづきながらアルトラーシャの指示に従うことを決心した。

「(もう鋼の心もなにもないですね勇者様…)」

「(誰のせいだと思ってんだッ!? てめえが魔術で状況を悪化させたんじゃねえかッ!?)」

「(人のせいにしないでください。勇者様がやれと言ったからやったんですよ)」

「(ちょっと待てって言っただろ!?)」

「(魔術というものはちょっと待てと言われて止められるものではないのです)」

「あの勇者様? ワタクシの話聞いていますか?」

「え?…あ、ああ…わ、悪い…聞いてなかった…もう一回お願い…」

 心の中でトイレブラシと口喧嘩をしていた勇者はアルトラーシャの言葉で現実に引き戻され、蛇をどけるための作戦に耳を傾けた。

「まったく! 今度はキチンと聞いていてくださいね! まず口を大きく開けて、出せるだけ舌を出してください」

「こ、こうか?」

 勇者は言われるがままに口を大きく開けて舌を出した。

「はい、結構です。では次に、というよりこれで最後なのですが首をグニャグニャと軟体動物のように振ってください。蛇ちゃんたちが首を振るような感じでお願いしますわ」

「わ、わふぁった」

 舌を出したまま蛇になりきるように勇者は首を左右に振りだす。

「いい感じですわ勇者様。では…始めましょう」

 アルトラーシャは取り出した小さな笛の先端に口をつけると笛を吹きだした。笛の音色はフルートを思わせるような高い音で、勇者は想像していたよりも遥かに美しく安らぎを覚えるような音色に心の中で感動していた。

(な、なんという綺麗な音なんだ…お玉で鍋を叩いてそうなババアが奏でているような音色とはとても思えない…もし本当に美少女のお姫様がこの演奏をしていたなら…間違いなく好きになってたなこれは…ババアじゃなければなあ…なぜババアなんだ…はぁ…)

 笛の音が鳴り始めてすぐに変化は起こった、勇者を外敵と認識して殺気立っていた蛇たちが徐々に警戒を解いていったのだった。

(おお! すごいぞババア! 見直したぞ! た、たすかったぁ!)

 勇者は心の中でアルトラーシャに称賛の言葉を贈ると、ラストスパートと言わんばかりに音楽に乗って首を激しく振り乱し、口から犬のように唾液をダラダラと垂らしながら舌を出して笑みを浮かべた。

(いいぞババア! 今お前は最高に輝いているぜ! あふう! 俺もなんだかノッテきちまったぜぇ! ふう! いいぇええい! リズムに乗って来ちまったぜえええ!)

 恐怖からようやく解放されると思ったからか、緊張状態からの解放の反動で勇者の脳内からは異常なまでのアドレナリンが分泌され、彼の精神を必要以上に高揚させた。

(HEY! HEY! ババア! HEY! ババア! HEY! ババア! HEY! HEY!)

 ディスコで踊るように顔中を汗にまみれさせながら満たされた顔で舌を大きく露出させた勇者は首から上だけで踊り続けた。

「(勇者様なんだかノリノリですね! 私もなんだかノッテきてしまいました!)」

「(おお! お前もか! だったら一緒にノリにノッテいこうじゃないか!)」

 心の中で意気投合すると勇者とトイレブラシは一緒に騒ぎ出した。

「(HEY! 勇者様HEY! HEY! 勇者様HEY! HEY! 勇者様HEY!)」

「(HEY! 便ブラHEY! OH! 便ブラHEY! OH! HEEEEEEEEEEEY! HEEE…)」

「………あッ…間違えちゃいましたわ…」

 勇者の舌に蛇が食らいついた。

「へあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 アルトラーシャが音を外した瞬間の出来事だった。

「まあ大変ですわ! 待っていてください勇者様! 今続きをちゃんと吹きますから!」

 アルトラーシャは舌に蛇が噛みついたまま絶叫する勇者を助けるべく演奏を続けようとしたが

「………あら…?…また間違えてしまいましたわ…」

 再び音を外し、十匹の蛇たちが勇者の顔面に勢いよく噛みついた。

「ふぇああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 またもや勇者の絶叫が木霊した。

「おかしいですわね…久しぶりに吹いたせいでしょうか…ですが必ず感を取り戻してみせますわ! もう少し待っていてくださいね! 必ずや演奏は完成させます! どうか応援してください勇者様! ワタクシも自分に喝をいれてがんばりますわ! アルトラーシャガーンバッ♪」

「あ…あ…あ…あ…あ…あ…あ…あ…あ…あ」

「(勇者様!? 気をしっかり持ってください! 勇者様しっかり! 微妙に自信なさげでしたが毒は無いって言ってましたよ! 頑張って意識を保ってください!)」

 白目をむいて痙攣する勇者に向かって激励の言葉をかけたトイレブラシとは対照的に激励の言葉を求めながらぶりっ子ポーズを決めたアルトラーシャは今度こそはと演奏を再開したがその後も彼女が音を間違えるたびに蛇が勇者に食らいつき、結局全ての蛇が勇者に食らいついたところでアルトラーシャの演奏会は無事に終了し、勇者は蛇たちから解放された。

「ババアああああああああああああああああああああああああああああああキサマあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

「(勇者様ダメです! 相手はお姫様ですよ! 冷静になってください!)」

 気絶から回復した勇者はアルトラーシャに飛びかかろうとしたが、またもや腕を乗っ取ったトイレブラシに阻止され、綱引きのように互いに同じ体を引っ張り合っていた。

「いや~よかったですわ! やっぱり毒はなかったようですわね! 上半身から下半身まで隈なく蛇ちゃんたちが噛みついた時はさすがにもうだめだと思ってしまいましたが。本当によかったですわね!」

「キサマァああああああああああああ!!! よくも!!! よくも!!! よくもそんなことを!!!いけしゃあしゃあと言えたものだな!!! いけしゃあしゃあとよくも!!! いけしゃあしゃあとおおおおおおおおおおおお!!! しゃあああああああああああああああああああああああ!!!!!」

「(ダメですってば! 一旦深呼吸でもして落ち着いてください!)」

「(落ち着いてなんてられるか!? 一歩間違えばあの世に行ってたぞ!? あんな適当な演奏しやがって!? おかげで蛇とディープキスだよ!? ちくしょうがッ!! 蛇とファーストでディープなキスをかましちまった俺の気持ちがお前にわかるか!? わからんだろう!? そのうえ体中嬉しくもなんともない蛇どものキスマークだらけときたもんだよ!? これで怒らない方がおかしいんだよ!!! というわけだからお前こそとっとと俺を離せ!!! あのババア許さん!!!)」

「(絶対に離しませんよ! 確かにアルトラーシャ姫の演奏にも問題はあったのかもしれませんが、だとしても勇者様にだって責任はあるんですよ! ツボを抱えて踊ったりなんかしなければこんなことにはなってないんですからね! 片方だけに責任があるならともかくここは両方に責任があるんですから怒りをグッと堪えるところですよ!)」

「(うッ…!…ぐぐぐ…確かに踊ったのは俺のせいだけどおおおおおおおでもおおおおおおおおおおおお!!!)」

「(毒はなかったんですからいいじゃないですか! ここは英雄として懐の深いところを見せてください勇者様!)」

「(だがしかしッ………!!! だがしかしィィィッ………!!!)」

「(まだ勇者様の冒険は始まったばかりじゃないですか! ここで王族に手なんか出したら世界を救う役目を任されるどころか投獄されちゃいますよ! エルフにだってもう会えなくなっちゃいます! いいんですか? よくないですよね! 悔しい気持ちはわかりますが、どうかここは我慢してください英雄殿!)」 

「(ぐぐぐぐ…ううううううううううううううああああああああああああああああああああ!!!!)」

 勇者は膝を折って地面に座り込むと、右手で拳を作り地面を力の限り叩き続けた。

「元気ですわね勇者様! もしかして蛇ちゃんたちが噛みついたことであの子たちのラブパワーが勇者様に挿入されて結果的に前よりも元気になったのではないかしら? 」

 顔を真っ赤にして床を叩き続ける勇者にアルトラーシャは火に油を注ぐがごとくに話し出したが

「ああそうだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 勇者は言葉を聞き流しながら床を殴り続けた。

「やはりそうですか! よかったですわ♪ それならば途中で失敗しながらも頑張って笛を吹いたワタクシも報われるというものですわ! ふふ! 人のためになることをした後ってどうしてこうも気分が良くなるのでしょうね! 不思議ですわ! ところでなんですがその床を叩くのは何か意味があってやっているのかしら?」

「トレーニングだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

「なるほど! どんな時も鍛錬を欠かさないその心意気、見事ですわね!」

「ありがとうよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 勇者とアルトラーシャの珍妙な会話は勇者が冷静になり床を叩くのを止めるまで続いた。

「トレーニングお疲れ様でした勇者様! まるで憎しみをぶつけるような鬼気迫る表情はすごく迫力がありましたわ! なんだか身の危険を感じてしまいましたもの」

「はぁ…はぁ…ああ…そうか…はぁ…はぁ…よかったよ…それくらいはちゃんと…伝わったんだな…」

「ええ! その強い憎しみを向けられる方が可哀想だと思えるほどに! ワタクシ身震いしてしまいましたもの」

「………そうかよ…」

「はい! しかし勇者様に差し上げるはずだったツボは粉々になってしまいましたわね。なんでしたら代わりのツボをご用意いたしましょうか?」

「………いや…遠慮しておく…当分ツボは見たくないから…」

「そうですか。残念ですわね。色々他にもツボはあるのですが」

「……いやマジでいい…それより…一つ聞いていいかな…」

「なんでしょうか?」

「どうして大広間に蛇ツボが置いてあったんだよ…」

「ああそれはワタクシが蛇ちゃんたちをお外で遊ばせようと思ってツボを持って廊下を歩いていたら、気づかずに蜘蛛の巣に頭を引っかけてしまいまして。それで気持ちが悪かったのでお散歩させる前にお風呂にでも入ろうかと思って、偶然近くまで来ていた大広間に一時的に蛇ちゃんたちの入ったツボを置いておいた、とそうゆう次第ですわ」

「………そうなんだ…」

 そこに偶然にも通りかかった自分が見つけたのか、と自らの不幸を呪った勇者だったが、気を取り直してなんとか前向きにいこう、そう思わなければ先程何のために怒りを抑えこんだのかわからないし、やってられないと自分自身に言い聞かせた勇者はアルトラーシャに自らを召喚した本当の理由を聞き出そうとした。

「わかったよ。蛇のことはわかったからもういい。便所の修理と掃除の報酬についても今はいいや。後で必ず何か貰うけど今はとりあえず置いておこう。それで…?」

「それでとは…?」

 勇者の問いかけに対してアルトラーシャは首を傾げて不思議そうな顔をした。

「いや…だからちゃんと依頼はこなしただろ…?」

「はい、本当にありがとうございました。勇者様のおかげですわ」

「うん、それで…? 続きは…?」

「続き…?………あ、もしかして続きの依頼ということでしょうか…?」

「そうそう。何かあるんだろ? 何かしら重大な仕事がさ。わかってもらえたと思うけど俺は信頼に値する人物だぜ! どーんと大きな仕事を任せてもらっても全然大丈夫だ!」

「勇者様の働きぶりは本当に素晴らしいものでしたわ! どれくらい助かったかというと…」

「うんうんそうだろうそうだろう」

「(う~! 私がやったのにぃ! う~! う~!)」

「(わかってるって。感謝してるって。なんか褒美もらったらちゃんとお前にもなんかやるからぶーたれるなよ…)」

「(約束ですよぉ)」

「(わかったからちょっと静かにしてろって)」

 アルトラーシャがどの程度助かったかを話し出すと勇者はそれを自分の手柄のように頷き始めたがそんあ彼に不満げなトイレブラシは心の中で文句を言ったが、なんとかなだめるとアルトラーシャの話に再び意識を移した、しかし直後に思いもよらない衝撃的な発言が彼を襲った。

「ですがもうやってもらう仕事は特にありませんわね」

「…うんそれで俺を呼んだ本当の理由である重大な使命いうのはいったい…って…は…?…ない…仕事が…え……ない…?…え…?…それは…どういう……」

「困っていることはもう特にないということですわ」

「………それは……えーと…つまり………」

「はい。お疲れ様でした」

 勇者の耳に、おばさんが自らをお姫様であると言ったその自己紹介よりもさらに認めがたい発言をアルトラーシャは無情にも告げた。

「もう帰っていただいて結構ですわ」

「………え……ちょ、ちょっと待って……え……帰っちゃ…って………いいの…?」

「はい」

「………俺の使命………これで…終わり…?」

「はい」

「………便所の修理と掃除で…終わり…?」

「はい」

「………俺の大冒険……終わり………?」

「はい」

「………俺のファンタジー………終わり…?」

「はい」

「………ホントに終わり…?」

「はい。お疲れ様でした。世界は………救われた! FIN!」

 勇者は顔を俯かせプルプルと肩を震わせながら、息を大きく吸い、そして

「ふっざけんなああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 怒りの咆哮をあげた。

「いえふざけてなどいませんが…」

「ふざけてんだろッ!? じゃあなにか!? 俺は便所の修理と掃除のためだけに呼ばれたとでもいうのか!? 全然FINじゃないんだけど!? どんだけ汚くて小さな世界の物語なんだよこの野郎がッ!! バカにしやがって何が世界は救われただよ!? 便所直して終わりなんてこれじゃあ俺が救われないだろう!? もしかしたら命がけの戦いになるかもしれないと思って密かに覚悟を決めていた俺の心はどうなるんだ!? ええ!? どうなんだよ!? 肥溜めに突入してまで異世界に来たんだぞ!?」

「そう言われましても…」

「そう言われましてもじゃないよ!? 世界の危機を救いながらエルフや他の美少女たちと合体していく俺の素敵な計画が台無しじゃないか!? どうしてくれるんだ!? 責任を取れよッ!!!」

「責任…ですか…えー…と…つまり…こういうことでしょうか…? 勇者様はトイレの修理と掃除だけではご不満でもっと大きな仕事が欲しいということですか…?」

「そうだよ! こんなんで満足して帰れるわけないだろうがッ!!! しょぼすぎて帰ったところで誰に自慢できるかわかったもんじゃないぞッ!!!」

 アルトラーシャは顎に指をあてて考え込むと、数秒悩んだのち勇者に向き直った。

「…言われてみたら…確かにそうですわね…トイレの修理と掃除だけでは英雄の仕事とは言えないのかもしれませんわね…」

「言われなくてもそれくらい事前に理解してろよッ!?」

「では満足して帰っていただくために追加の仕事としてお城の掃除を…」

「ババアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!! そうじゃねえって言ってんだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

「え…何か違いますか…?」  

「そうだよ違うよ!? 勘弁してくれないかな!? 俺はいったい何度ババアと喉を枯らして叫ばなきゃいけないんだよ!? いいかババア耳の穴かっぽじってよく聞けよ!? 英雄の仕事っていうのはタウンページにのってそうな困った時に電話で呼べる業者仕事とは全然違うものなんだよ!!! 俺は異世界に便所の修理にきたわけでもババアと不毛な漫才をしにきたわけでもないんだ!!! こんなスマホも使えない場所にわざわざ来たのは英雄として活躍したり世界を旅して名を残すためなんだ!!!」

「それでしたら安心してください。勇者様の活躍はしっかりとワタクシの手帳に刻まれましたわ」

「だからそうじゃないっつってんだろ!? 俺の求めてる活躍っていうのは戦いとかの活躍の事なんだよ!!! 断じて便所の修理と掃除に定評のある人の活躍なんかじゃないッ!!! だいたい手帳に刻まれたってよく来てもらう水道業者の人の名前くらいの価値しかねーだろ!? また水が詰まった時にでも呼ぶつもりか!? あ゛あ゛!? お願いだからさぁ、もうこの際戦いに関することならなんでもいいからそういうのにしてくんないかな!? 頼むよホント!? ってかそういう仕事やらなきゃ絶対帰らないからな!!!」

「戦いに関する仕事…ですか…うーん…そうですわねぇ…うーん………うーん………うーーん…」

 アルトラーシャは目をつむり腕を組み唸りながら勇者の求める仕事が何かあったか考え出した。そしてその間勇者の怒りの矛先は自身をこの世界に連れてきたトイレブラシに向けられた。

「(おい便ブラぁ…!!! どういうことだこれはぁ…!!! 世界の危機なんじゃ無かったのかぁ…!!! 便所の修理は人格をはかるテストなんじゃなかったのかぁ…!!! なんでメインが便所の修理になってんだよぉ…!!!)」

「(あ、あはは…お、おかしいですね…でもほら…アルトラーシャ姫も考えてくれてますし…きっとなにかしら…なにかしらあるはずですよきっと…)」

 勇者は汗をかきながら眉間にシワを寄せ必死に考えるアルトラーシャを心配そうに見つめた。

「(あんな必死に考えなきゃひねり出せないような仕事を俺の存在意義にしなきゃなんないのかよ…まるで文化祭の準備の時に一人だけやることがなくて、実行委員の人に迷惑をかけて仕事を探してもらういらない人のような…そんなもの悲しさを感じるんだけど…)」

「(いえ! 大切な仕事があるはずです! 召喚魔術を使ってまで世界を繋げたんですから! そうじゃなきゃおかしいですもん!)」

「(つってもあの様子じゃあなぁ…望み薄だろ…はぁ…確か3か月前だろ世界が繋がったのは…もうとっくに問題解決してたんじゃねえの…だから解決した後来た俺になんて言っていいかわからなかったから適当に困ってた雑用を押し付けただけだろこれ…まったく…緊張感のカケラもない世界救済だったな…とんだ世界の危機ですよ…はああああああああああああああ~………まぁいいや…さっきはあまりの物言いにちょっと取り乱しちまったけど、冷静に考えてみたらあれだし…俺だって旅行できればそれでいいし…この世界に何の問題もないなら仕事やって金を貯めたあとにエルフ探しに旅行でもすればいいし…別にそれほど怒る事でもなかったわ…)」

(…おかしいです…なにか…だって…そんなはずは…もしかして…この国に張られているなんらかの儀式結界のようなものの影響…うー…でも結界というにはあまりに不安定すぎますし…いまいち状況が判然としませんね…どういうことなんだろう…)

 適当になった勇者と違い真実の断片を知るトイレブラシは一人心の中で悩み続けた。

「……うーん……うーん………あ!………そういえば………」

 唸っていたアルトラーシャが突然目を開け何かに思い当たった。

「何だよ…? 何かあったのか仕事が…?」

 勇者はやる気がなさそうにアルトラーシャに声をかけた。

「ええ一応…仕事、というか我が国が今現在直面している問題を思い出しましたの…おそらく勇者様が求めている戦いに関する仕事だと思いますわ」

「…戦いねぇ…どうせ大した問題じゃないんだろう?…万引きが多発してるとかどうせそんなんだろ…万引き犯との戦いとかそういう感じのしょぼい仕事だろ…いいよ…便所の修理よりは万引きGメンのほうがまだ活躍してる感じがするし…ああでも仕事をこなしたら金はちゃんと貰うからな! 便所の修理と掃除の報酬もちゃんと合わせてくれよ!」

「報酬に関してはもちろんお支払いたします…ですが万引き犯と戦うなどという仕事ではありませんわ。なんだかよくよく考えてみたらこの問題を解決する仕事は結構重要な事のような気がします」 

「重要な仕事…? じゃあ教えてくれよ。そんな凄まじく悩まなきゃ出てこないような重要な仕事ってどんな仕事なんだよ…? 一体どんな問題に直面してるっていうんだ…?」

 勇者はどうせ大した問題ではないだろうと高をくくっていた。

「我が国が直面している問題それは…」

「それは…?」

 だがしかし彼の予想は大きく裏切られる、なぜならば

「我が国が…」

「我が国が…?」

 この仕事が勇者にとってこの世界で

「戦争中ということです」

「ほらな! たいした問題じゃ……………………………は…?…戦争…?」

「はい。我が国は戦時中です」

 最も苛烈な戦いへと導くものとなるであろう仕事だったからである。

「…戦時中…戦争…せんそう…戦争って………あの…国同士が戦う………あれのこと…?」

「はいそうですわ。いや~すっかり忘れてました。てへッ☆」

 自分の頭を軽く小突きながら、舌を出したアルトラーシャに顔面の筋肉が痙攣を始めた勇者は当然のごとく彼女に向かって

「い…い…い…い…いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」

「い…? どうしたのですか…? 気分でもお悪いのかしら…? 顔が魔物のようですが」

「一番最初に言えよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 怒りをぶつけたのだった。

 こうして勇者にとって勘違いと戦いの日々が始まった。 









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