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ミステイクファンタジー  作者: 鈴木拓郎
11/42

10話

 地球を離れてからそれほどの時間も経たずに肥溜めと英雄が詰まった光の球体は始まりの場所にして世界を繋げた魔術が行われた場所であるウルハの城の地下にある魔法陣の上に現れた。そしてすぐに水風船のように盛大に破裂し、その拍子に勇者は左手に握られたままのトイレブラシと共に外に放り出された。

「ぶはぁッ!? い、息がぁ!? ぜぇはぁぜぇはぁ!? あ、危うく、肥溜めを、の、飲むところだったぜ、ゲホッ、ゲホッ!!??」

「いや~着きましたね~…ヴァルネヴィア!…懐かしき我が故郷…なんだか感慨深いですね…」

「べ、便ブラキサマアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!! こ、故郷をなつ、なつ、懐かしむ前によぉ!!! なにか一言あるんじゃねぇかてめえ!? あるよな!? この黒い学ランとリュックとぉよぉ!? かっこよくも凛々しい顔とサラサラの黒髪とぉ芸術的な肉体が悪臭漂う茶色いびちゃびちゃの下痢便まみれになったこの英雄に向かってよぉ!? あるよなあコラ!? てめぇゴラァ!!! 言ってみろやボケえええええええええええええええええええええええええ!!!」

「ウェルカムトゥ…ヴァルネヴィア!」

「そうじゃねぇよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!??」

「ああ…もしかしてウェルカムはお気に召しませんでしたか…?…やはり英語表現じゃなくて普通にようこそとかいらっしゃいヴァルネヴィアにした方が良かったですかね…?…でも私としてはやっぱりウェルカムトゥヴァルネヴィアの方がしっくりくる感じが…」

「謝れやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 勇者は左手にすでに握られているトイレブラシを右手でさらに掴み万力のように締め上げだした。

「うきゃあッ!? ちょッ!? ぐ、ぐるしいです勇者様、ご、ごめんなさい、ちょ、ちょっとしたジョークですよッ! エクスカリバージョーク! 勇者様の気持ちを落ち着かせるための軽いジョークのつもりだったんです! す、すみませんでした、ですから、ほ、ほんとに許して、くださいぃ」

「許すかああああああああああああああああああああああ!!?? ふざけやがってえええええええええええええええええええええええええ!!?? 今度こそ、今度こそへし折ってくれるわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 続いて勇者は契約の影響でブラシの柄の先端を掴んだまま離すことができなくなってしまった左手に先程より強く力を入れ、さらに右手でスポンジの部分を強引に掴むとトイレブラシの両端を掴む形にもっていった、そして間髪入れずに彼女のスポンジと柄の両方の先端部分から見てちょうど中央にあたる柄に右ひざを押し当てる。

「いた、いだだだだだ、いだいいいいいいいいいいいいいいいいいいですって!? え? ゆ、勇者様!? ちょっとまってください!? な、なにをするつもりですか!?」

「なにするもなにもこうするんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 勇者は叫ぶと、ひざに押し当てたトイレブラシの中央部分が折れるように両手で両端に全力で上半身の全体重をかけはじめた。

「いだいいだだだだだだああああああああああああああああああああああ!!?? お、折れちゃいますよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?? 真っ二つになってしまいますよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!??」

「折れろや真っ二つになれや粗大ごみに成り下がれやあああああああああああああああああ!!!! これが終わったら次は締め上げてやるかんな覚悟しろおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 勇者の怒りが治まるまでのしばらくの間、彼の思いつく限りの虐待がトイレブラシにぶつけられ、地下の薄暗い石造りの召喚儀式場には怒りの絶叫と痛みの悲鳴が鳴り響いた。

「はぁ…はぁ…はぁ…お、お前…ど、どんだけ頑丈なんだよ…百均で売れ残ってそうな安っぽい見た目してるくせに…ぜぇ…はぁ…折れないどころか…傷すらつかねぇぞ…どうなってんだよ…」

「あ、当たり前…ですよ…はぁ…はぁ…わ、私は…で、伝説の聖剣…ですから…はぁ…あ…あの…程度の攻撃…げほッ…げほッ…へっちゃら…なの…です…」

「だから聖剣じゃねえだろお前は…便所ブラシだろくそがッ…ったく最悪だよ…来て早々テンションだだ下がりだわー…くそッ…クソまみれだよクソッ…」

 悪態をつくと勇者は儀式場に体を投げ出すようにして魔法陣が描かれた床に仰向けで大の字に倒れ込んだが、途端背中に激痛が走り即座に飛び起きた。

「いって!? なんだ!? なんか背中に何か刺さったぞ!?」

「大丈夫ですか勇者様!? お怪我はありませんか!?」

「ああ大丈夫…怪我は無い…しかし…なんだこりゃ…ガラスの破片か…?」

「……どうでしょう…ガラスというよりはなんだか水晶が砕けた感じに近いですね…召喚の魔術を発動するときに使った補助の魔具か何かだと思いますが…」

 勇者とトイレブラシは光をすでに失った魔法陣の床に散乱した水晶の破片を見つめたが何があったのかを知るには材料不足であったため、結局勇者はすぐに興味を失い再び不満を口にしだした。

「クソ…本当に今日は厄日だな…クソ…」  

「英雄なんですからそんなクソクソ言っちゃだめですよ勇者様」

「しょうがないだろうが…さっきまで…クソに包まれてたんだからな…そのうえガラスの破片だか水晶の破片だか知らねーけど背中に刺さりやがるしよ…クスクソ言いたくもなるよ…ははッ…まったく…お前にいいように乗せられて喜んでたさっきまでの自分にコブラツイストをかけたい気分だ…はぁ…」

「そんなに落ち込まないでくださいよ勇者様…騙される事は誰だってありますから…元気出してくださいよ…ね?」

「ね?、じゃねぇよ!? 騙したのはてめえだろがよお!!! また締めてやろうか!? 締め上げてやろうか!?」

「い、いえもうやめてください!?…何度やっても私は絶対に折れませんよ!?…魔力でとっても頑丈にできてるんですからね!?…オーダーメイドなんですから!…べ、別に私が痛いからやめてほしいとかではないですよ…ホントに…無駄ですからやめてくださいと言ってるんです…それにもし仮に私が折れたりなんかしたら勇者様だってただでは…」

「…ただでは…?…おいコラどういうことだ…お前が折れたら俺がどうなるって言うんだよ…」

「…ああいえ…まだこの話は早いですね…もう少し後にしましょう…」

「いや気になるだろ!? 今話せよ!」

「そんなことよりも勇者様…」 

「おい誤魔化すな!」

「誤魔化してなんかいませんよ…後で必ずお話しますから約束しますから…それよりも今はその話よりも考えるべき大事なことがあるじゃないですか…」

「…考えるべき大事なこと…?」

「はい…大事なこと…それはこの国のお姫様のことです…」

「おお! そうだった忘れてた! 超絶美少女のお姫様がいるんだっけかこの国はよぉ! デュフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ!!!!」

「そうです…美少女のお姫様がいるわけですけど…そこが考えるべき大事なことであり…また問題でもあるんです…お姫様に限らず王族全般に言えることですが…今の肥溜めにまみれた勇者様がそのままで王侯貴族に会ったりなんかしたら…おそらく不敬罪にあたって『なんだこの頭の悪そうな肥溜め猿は!? 死刑!』って言われてしまうかと…」

「肥溜め猿ってなんだよ!? そんなこと言われねーよ!? つーかてめぇが突き落としたんだろうが!? そのせいで肥溜めまみれになったんだろうがよお!?」

「…ふぅ…まったく…過ぎ去った過去の記憶に囚われてはいつまでたっても先には進めませんよ勇者様…」

「過ぎ去るも何も5分くらいしか経ってないからね!? ついさっきのことなんだかんね!?」

「何を言ってるんですか五分前なんて十分過去の出来事です…それに肥溜めにまみれて良かったこともあるんですよ…」

「ねぇよそんなもん!? 最悪に臭くなっただけだよ!?」

「ありますよ…とても重要なことがあの肥溜めの中で行われたんですから…」

「とても重要なことだと…!?…い、いや…いやないだろ!?…ない…よな…ないはず…だよな…たぶん…」

「私は知っているんです…肥溜めに突入しなければ得られなかったものを…」

「え…!?…マジで…そんなもんあったか…!?…手に入れたものなんかあったかのか…!?…むしろ人として大切な何かを失ったような気がするんだけど…」

「…私はいつだって勇者様の事を大切に考えているんですよ?…今回肥溜めに突入させたのだって悪いことだけじゃなくて良いこともあると思ったからこそ心を鬼にしてやったのです」

「……マジかよ…悪い…全然気づかなかったわ…ってかぶっちゃけ今もわからないんだけどな…」

「…いえ…わからなくても仕方ないと思います…気づかれないようにうまくできていましたからね…ですがこのことを知ればきっと勇者様も再び元気になられると思いますよ!」

「元気に…か…そう…だったのか…あんな臭い肥溜めに突っ込んで嫌な思いしただけだと思ってたけど…そうか…俺が気づいてなかっただけで…何かしらを手に入れていたのか…」

「ええ…この世界で戦っていくうえでとても重要なものをあの肥溜めに入ったことで貴方は確かに手にいれましたよ勇者様」

「戦っていくうえで重要なもの!? 半端なく超重要じゃねーか!? あのう〇こにそんなすごい効能があったのかよ!?…さ、流石にそれは気づかなかったわ…」

「そうですよ…すごい重要なものを今の貴方はもっているんですよ…肥溜めに入る前の貴方では決して持ちえなかったものです…この話は本当は私が今話すようなことではなく貴方自身が戦いの中で気づかなければいけないことなんですが…」

「戦いの中でだと…!?…うーん…うー………ダメだわかんねー…頼む教えてくれ便ブラ!」

「……そうですね…私が肥溜めに貴方を突き落としたのですから…やはりそれを説明するのも私の仕事であり義務だと、そう思うべきなのでしょうね…まあそこまで詳細に説明できるものでもないですし…本当はそんなに話すべきことではないのかもしれませんが…勇者様を再び元気にするためですからね…お教えしましょう…貴方が肥溜めに落ちて手に入れたもの…それは…」

 トイレブラシが答えを言う前に勇者は答えをあらためて頭の中で考え出した。

(あそこまで勿体付けるってことはよっぽどすごいものなんだよな…そのうえ戦闘で重要となると…たぶん魔術関係の能力を手に入れたって、ところだろうな……ん…まてよ…そういえば…前やったゲームで確か主人公が召喚のゲートをくぐったことで特殊能力を手に入れていたような気が…そうか!…読めたぞ!…あの肥溜めにはきっと浸かった人間に何かしらの強力な特殊能力を付与する効果があったんだ…ゲームだと特殊能力を与えられる際に強力な違和感が主人公を襲っていたが…おそらくこのヴァルなんとかって世界の召喚魔法陣は臭くて汚い肥溜めに浸かるという生理的な不快感でその違和感を打ち消したんだ…この違和感がなくなったことにより俺は自分に特殊能力が芽生えたことに気づかなかった…そしてこれは強敵と対峙した際に突然あるはずの無いチート能力が勝手に発動して敵を秒殺するための…燃える展開に持っていくための布石…自分でもわからない未知の能力が俺に付与されているんだな…それにまだある…他にもこの推理が正しいということを裏付ける根拠が…それは便ブラが言っていた詳細に説明できないという言葉だ…そりゃあそうだよな…詳細に説明なんかしたら熱い展開に持っていけないからな…あくまで概略的な説明ってことだな…これはもう俺の考えは正解で間違いなさそうだ…しかし…か、考えてやがる…恐ろしい世界だヴァルなんとか…これなら肥溜めに浸かったことも許してしまいそうだ…考えた奴は…計算してやがるぜ…)

「それは運です」

「やっぱりな特殊のうりょ…………………は…?………運……?」  

「はい運です」

「…………ごめんちょっとよくわからないんだけど…どういうことかな…?」

「あれ…?…わかりませんか…?」

「うん…説明してくれる?…できるだけ詳細に…なんで肥溜めに突っ込んで運が手に入るんだ…?」

 もしかしたら自分の予想とは裏腹にトイレブラシがとてつもなくしょうもない事を言おうとしているのではないかと思った勇者は顔をひきつらせながら彼女に詳細な説明を求めた。

「…え…本当にわからないんですか…!?…おかしいですね…ここまで言えば私の言わんとすることを察して勇者様も笑って元気になると思ったんですけど…しょうがないですね…もうちょっと続けます…勇者様、一つ聞きたいんですが運というものは必要なものですよね…?」

「………ああ……必要なものだよ…」

「そうですよね!…日頃の日常生活においてや仕事、恋愛など、これら人にとって重要なものに大きく運は作用します…そして…戦士にとっても運はとても重要なものです…実力があっても運がなければ負けてしまうこともありますからね…そして勇者様はその運を手に入れたんですよ…肥溜めに浸かったことで…ね…フフフ…」

「…………だから……どうして肥溜めに浸かると運が良くなるんだ…?」

「もお~本当に察しが悪いんですからぁ~仕方ないですねぇ…勇者様は肥溜めが何で出来ているか知っていますよね…?」

「………う〇こだろ…?」

「はいその通りです!…どうしてそれを知ってて察してくれないんですかね…やれやれです…肥溜めとはう〇こで出来ているわけですねはい!…そう…勇者様は肥溜めに浸かったんです…肥溜めとはう〇こ…つまり勇者様はう〇こに浸かった…その結果う〇こが勇者様に付いた…う〇こが付いた…そう…」

 勇者は顔をピクピクと痙攣させながらも、トイレブラシが何を言おうとしているかを察しながらも黙って彼女が最後まで言い終わるのを待った。

「うんが付いた…そう…つまり…運が付いたってことです!…な~んちゃってね!…てへ♪…はい炸裂しましたエクスカリバージョーク!」

 勇者は聞き終わった後でもしばらく顔を痙攣させながら黙って怒りを抑えようと努めたが、トイレブラシは空気を読まずにさらに畳みかける。

「面白いですか? 面白いですよね! 遠慮せずに笑っていいんですよ? 爆笑しちゃってください! いや~我ながら素晴らしいギャグを考えてしまいましたよ! 肥溜めに入ってう〇こが付いて運がつくだなんてププッ! おっと自分でも笑ってしまいました! うふふー! テンションが落ちてしまっている勇者様を元気づけようと即興で作ってみましたがここまでの出来になるなんてさすが私! 伝説の聖剣だけありますよね♪ うぷぷッ! 運を呼ぶ、運呼《う〇こ》に浸かった勇者様、うふふ、あははははははははははははははははははははははははははははは!」

 自分で作ったギャグで勝手に笑い出したトイレブラシについに勇者は沈黙を破り静かに声をかける。

「…………肥溜めに特殊能力を付与する作用が…あるんじゃないのか…?」

「特殊能力? なんですかそれ?」

「………じゃあ…浸かると…運が良くなる効果が…あるのか…?…あの肥溜めには」

「え? ああいえあれはただの肥溜めですからそんな効果はありませんね、ただ縁起がいいというだけの話です。そもそもあの肥溜めのある場所に召喚の魔法陣が出来たのはただの術者の不注意ですから」

「…………それなら…それならば…俺が肥溜めに浸かって…良かったことってのは……」

「はい! うんが付いて運が良くなったってことですね! あははははははは! さぁもういいんですよ我慢しなくても! 笑っちゃってください! あはははははははははははははは!」

「…………ふ…ふふふ…あは…あははははははははははははははははははははははは!」

 勇者はトイレブラシと同じように声をあげて笑い始めたが、血走った目はまるで笑っていなかった。

「「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」」

「おらああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

「うきゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 運の付いた英雄は不運なトイレブラシを床に叩き付けながら雄叫びをあげて罵声を言い始めた。

「ふざけやがっててめぇはよぉ!? そんなくっだらねぇことを言うためにあれだけ引っ張ったのか!?あれだけ間を取ったのか!? 別に面白くもなんともないんだよ!? なにドヤ顔で笑ってんだよ!? ただひたすらに腹立たしいんだよ!? あの肥溜めに何か秘密があるのかと思っちゃったじゃねぇか!? 結局ただ何の意味も無くうんこまみれになったってだけだろう!? 何が良いことがあっただよ!? 運が付いたぁ!? はぁ!? しょうもないこと言いやがって!!! ほんとお前はさあ!? 本当に!? 本当に!? おらあああああああああああああああああああああああ!!!」

「いいいいいいいいいいいい!? い、痛いです!? いたたたたあああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 勇者は体力の続く限りトイレブラシを床に叩き付け続けた。

「はぁ…はぁ…づ、づかれた……」

「…うう…ひ、ひどいです勇者様…いたた…体中が痛いです…」

 体力のあまりない勇者の虐待はそれほど長くは続かなかったが、疲れ果てた両者は再び床に倒れ息を整えていた。

「うぐ…いたた…女の子に手をあげるなんて男としてどうなんですか!」

「……はぁ…はぁ…黙れ便所ブラシに雄雌なんざないんだよ!…はぁ…げほッ…つーか元はと言えばお前のせいだろ!」  

「ですからエクスカリバージョークで元気づけてさしあげようとしたんじゃないですか!」

「だから面白くもなんともないって言ってんだろ!? 次にその臭い便所ブラシジョークを言ったらお前のスポンジをむしり取ってやるからな!」

「酷いですあんまりです! 勇者様を励まそうとこんなにも尽くす可愛い相棒に向かってそんな言葉を吐くだなんて! 絶望のどん底に突き落とされた気分です! なんて可哀想な私!」

「肥溜めのどん底に突き落とされた俺の方がよっぽど可哀想なんだよボケがッ!?」

 しばらくの間口論した後、トイレブラシに言われたからというわけではないが勇者の心の内にもこのまま不貞腐れていても仕方ないという気持ちが芽生え始めた。

「…ふぅ…まぁ…せっかく肥溜めに浸かってまで異世界に来たんだから…いつまでも文句言っててもしょうがないか…お前を二回ボコッて少しは気も晴れたしな…」

「出来ればボコらずに気を晴らしてほしかったんですが…では肥溜めの事は許してくださった、と思っていいんですか…?」

「いや絶対に許さない」

「………勇者様って根に持つタイプですよね…」

「そんなことはない…ただ俺は他の奴から受けた仕打ちは生涯忘れないし許さないってだけだよ…」

(………それを根に持つって言うんですが…)

「さてそんじゃあ…まずここから出るか…ってか今更だけど…ここどこだよ!…あとなんで誰もいないんだよ! 俺という英雄がわざわざ来たやったってのに! 普通英雄が異世界に来たら美少女とか美女が出迎えるもんだろなんで誰もいないこんなホコリ臭い場所に一人投げ出されなきゃいけないんだ!」

「……きっとなにかあったんですよ…本来なら来るはずの術者さんが来なかったことと何か深い関係があるはずです…しかし一つだけ…この場所に関しては心当たりがあります…ここは…多分ですが、ウルハのお城の地下だと思います…」

「城の地下?」

「はい。召喚などの儀式的な魔術は魔力を逃がさないように、と閉鎖空間で行われることが多いんですがとりわけお城や要塞といった地下の密閉された空間で行われると聞いたことがあります。おそらく上に通じる階段がどこかにあると思いますから探してください。それに地上に出ればおそらく誰かしらいると思いますよ」

「…はぁ…仕方ない…外に出たら歓迎会を開いてもらうことにして今はこのホコリ臭い場所から出る事を優先するか…だけど…うーん…しっかし探せっつわれてもな…目が慣れてきたとはいえ、結構暗いんだよなここ…」

「それもそうですね…ちょっと待ってください…えいッ!」

 掛け声と共にトイレブラシのスポンジが光りだし、辺りの暗闇を照らした。

「へえ~そんな機能もあるのかすごいじゃん!」

「そうでしょう! 私すごいんです! もっと褒めてください! てへッ♪」

「ああよくやった! 今日からお前の事を便ブライトと呼んでやろうじゃないか!」

「…それはやめてください…」

 勇者はトイレブラシの発する光で周囲を照らしつつ探索を始め、数分後地上に通じていると思しき石造りの階段を発見した。

「ここだな…よし…行くぞ!」

「はい!」

 勇ましく声を張り上げ地上を目指すべく階段を上り始めた勇者だったが

「……長いわ長すぎるわ!…はぁ…はぁ…はぁ…ど、どんだけ…長い…階段なんだよ!…上っても…はぁ…上っても…ぜんぜん…出口が…見えないぞ…どうなってんだよ…はぁ…はぁ…」

 三十分以上かけて上っても一向に地上にたどり着かない階段の前にすっかりばててしまっていた。

「召喚魔術はこの世界では一般には役立たずと言われてはいますがウルハは成功率が他と比べて比較的に高いですからね。ですから秘術としてこうして地下深くに儀式場を設けているのでしょう」

「……だ、だからって…はぁ…どんだけ…はぁ…地下深くに…作ってんだよ…こんな穴倉に…はぁ…げほッ…げほッ…召喚される英雄の身にも…はぁ…なってくれよ…上んのが…大変だろうが…エレベーターぐらい…用意しておけよ…それに…汗と肥溜めが良い感じにブレンドしてとんでもない臭いを…はぁ…はぁ…発してるぞ…お姫様に会う前にマジで何とかしないと…ラブコメが…はぁ…始まんないぞ…風呂…あんのかな…ここ…会う前に入りてー…あと服とかリュックとかも洗いてー…」

「浴場なら探せば多分あると思いますよ。それでなんですが…この世界の人間に会う前に一応私から勇者様に言っておかなければならないことがあります」

「…はぁ…なんだよ…はぁ…」

「この世界でも私は人前では言葉を話さないようにしますのでその事をご了承ください」

「…はぁ…なんだ…そんなことか…はぁ…はぁ…」

「あれ? 反応が薄いですね。理由を聞かないのですか?」

「……あれだろ…?……どこの…はぁ…世界でも…はぁ…便所ブラシ…が喋ったら…気持ちが悪いっていうことだろ…?」

「違いますよ!? 私みたいに可愛くて喋れる武器はこの世界でも希少なんですレアなんです!!! ですから見つかるときっと悪い武器ハンターみたいな人に狙われてしまうかもしれないんです!!!」

「……はぁ…だから…はぁ…お前は…そもそも…はぁ…武器じゃ…ないだろ…はぁ…く、くそ…もうムリー…疲れた…」

 肥溜めと汗で顔と体中をベトベトにした疲労困憊の勇者は上っていた階段の途中で倒れ込んだ。

「ありゃ…?…もうバテたんですか勇者様…」

「…お…お前は…はぁ…そりゃ…俺に…はぁ…掴まれてるから…はぁ…楽だろうけど…こっちは…もう多分五十分近く…はぁ……はぁ…ゴホッ…階段上ってんだよ……つーか…いつまで…はぁ…お前掴んでなきゃダメなんだよ…お姫様…に…会う前には離したいんだけど…」

「当分は無理ですね。契約したばかりなので」

「…マジかよ…クソッ…はぁ…はぁ…ダメだな…少し休憩してから…また上ろう…すぅ~…はぁ~…すぅ~…はぁ~…」

 勇者は深呼吸をして息を整え、少しでも早くと体力回復に努めた。

「本格的にお疲れのようですね。フフフッ! ではここで私が渾身の光り輝くエクスカリバージョークで疲れを癒してさしあげ…」

「むしるぞ」

「………わかりましたよ…言いませんよ…」

「それでいい黙ってろ。黙って静かに便所ブラシしてろ」 

「はぁ…せっかく気をきかせて疲れをとってさしあげようとしたのに…それを黙ってろだなんて…勇者様のお笑いのセンスは絶望的に理解できませんよまったく…」

「お前のお笑いのセンスが絶望的に悪いんだよ…」

「そんなことありませんもん! 私のギャグはおもしろいですもん! もんもんもん! もうこうなったら意地でも笑わせて見せます! 今から勇者様の魂を覗いて貴方の笑いのツボを完全に把握して御覧にいれますよ!」

「おいコラちょっと待て!?」

「なんですか…?」

「なんですかじゃないよお前は!? 昔の記憶とか前世の記憶とかの時も思ったけど人の魂を勝手にちょくちょく覗くのやめろ! プライバシーの侵害だ!」

「…え…覗いちゃダメなんですか!?」

「何驚いてんだよ当たり前だろ!?」

「……ああ…なるほど…つまりあれですか…?…自分だけ覗かれるのは嫌だから私の記憶も覗きたい、と…そういうことですね…このエッチ!」

「なんでだよ!? なんでエッチなんだよ!? 便所ブラシとはおよそ関わりのない言葉だろ!?」

「女の子の秘密の記憶を覗き見るなんてエッチと言われても仕方がありません!」

「何が女の子の秘密の記憶だ!? お前の記憶なんてどうせどっかの発展途上国の量産工場で製造されて輸出された後黄ばんだ臭い便器を掃除した記憶しかないだろ!? 頼まれたって見るかッ!!!」

「な、なんて失礼な!? 聖剣としての偉大な記憶はもちろんちょっと切なくてエッチな恋バナなんかが詰まってるんですよ!? 映像化したらミリオンいきますよこれ!!!」

「いくわけねぇだろ!? お前とデッキブラシが絡み合ってる掃除用具AVなんかマニアックすぎて変態だってドン引きだね!!! モザイクかける業者の人だって困惑するわ!!!」

「花も恥じらう乙女の前でAVだなんてセクハラですか!? セクハラですね!? デリカシーの無い発言といい本当に失礼極まりないですよ!? それにちょっとエッチな記憶があるといっても私はぴっちぴちの処女です!!! 結婚するまでは誰にも侵入を許すつもりはありません!!!」

「処女だぁ!? お前こそ処女に失礼極まりないんだよ!!! 花も恥じらうどころかお前には花びらそのものがないんだよこの掃除用具がッ!!! それにお前の穴なんて取っ手についてるヒモ通す穴ぐらいだろう!? もう機械で貫通済みだろうがガバガバだろうが!? 一生壁にかかってヒモとFUCKしてろ!!!」

「またですかまた言いましたねセクハラ発言を!? そんなだから勇者様はファーストキスはおろか小学校のダンスの時間にマイムマイムのペアを決める際に女子に泣きながら踊る事を拒否されたあの日から!!! そう拒否されたあの日から!!! そう泣きながら気持ち悪いと拒否されたあの日から!!! ずっと女体に触れる機会が訪れないんですよおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「て、てめ! またはこっちのセリフだ!? また記憶読みやがったなてめええええええええええええええええええええええ!!?? あと何で三回言ったどうして三回言った何故三回言ったああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 体を休めるはずの小休止の間に行われた会話はいつしか白熱した口論に変わり、とうとうトイレブラシと勇者は階段の上で通算三度目になる壮絶な殴り合いを始めた。

「…け…結局…さ、さっきより…つ…つかれた…だけじゃねぇか…ちくしょう…」

「…うう…さっきより…痛いです…うう…聖剣虐待です…聖剣愛護団体に匿名で通報しちゃいますよ!」

 気が済むまで殴り合い、事を終えた後両者は階段に倒れ、休憩を再び開始した。

「そんなもんねぇよ!?…あとお前は聖剣じゃねえだろ!?…と、とにかく…俺の記憶を勝手にホイホイ読むなよ…いいな!」

「……わかりましたよ…なるべく読まないようにします…」

「なるべくじゃなくて金輪際読むな!」

 二十分ほどの休憩の後再び勇者はいまだ疲労の抜けない重い足を引きずるようにして階段を上り始め、そしてそれからさらに十五分後彼らの前にようやく地上に通じる扉が姿を現した。

「や、やっと…やっと…出口が見えた…」

「お疲れ様でした勇者様! あともう少しですよ!」

「ああ!…疲れた…だけど…よし…ラストスパートだしな…がんばるか…!」

 階段に足をかけ一歩ずつ歩を進める勇者の顔は疲弊しているにもかかわらず綺麗なお姫様にようやく会うことができるという期待で輝いていた。

「ああ…今行くよ…愛しのプリンス!」

「…お姫様はプリンセスですよ…プリンスは王子様です…」

「白魚のプリンス! ああ! 我が愛しの君! しかししまった! 愛のポエムを考えておくべきだったか!」

「…相変わらず自分の世界に入ると話を聞かなくなりますね……勇者様!!!」

「うわびっくりした!? なんだよ急にでかい声だすなよ驚くだろうが!?」

「浮かれるのもいいんですけどまだ気を抜かないでください。施設の機能が停止してるとはいえまだ起動しているトラップがあるかもしれませんので」

「ああわかっ…てちょっとまて!? トラップ!? おいコラなんだトラップって!?」

「なんだって…天井とか壁とか床とかに仕掛けられてた無数のトラップの事ですよ…全部動いていませんでしたけど…え…あれ…もしかして…気づいてなかったのですか…!?」

「気づかねぇよ!? 知ってたんだったらもっと早く言え!?」

「いや…でもすごいあからさまにわかりやすかったと思いますが…天井に針がびっしり詰まってる場所とか…壁に槍と矢が今にも飛び出してきそうな不自然な大小無数の穴があった場所とか…一か所だけ明らかに色が違う床があったりとか…本来は魔術で隠して見えないようにしてたんでしょうが…どうゆうわけかこの地下施設全体の機能が停止してるようですね…ちなみに勇者様はトラップのある全ての場所をなんの躊躇も注意もなく素通りしていましたよ…私がトラップが仕掛けられてますけど魔力が通ってないので大丈夫ですよと言う前にはすでにいかにも怪しげな床を私の光で照らしてから踏んでましたから…てっきり動いているかいないかをご自分で確認してるのかと思いあの時は何も言いませんでしたが…はぁ…そうだったんですか…トラップを自分からあえて踏むことで危険の有無を事前に確かめているのかと思っていたのに…まさか素で気づいてなかったとは…あんなにも目立つ魔法陣が描かれた紫色の毒々しい床にまさかまさか気づかなかったとは…すみませんでした勇者様…今度からは何かに気づいたらきちんと全てをご報告します…」

「うぐッ!? マジかよ!? 嘘だろ!? あの魔法陣が書かれた紫色の床ってああいうおしゃれな模様の作りじゃなかったの!?………くッ! な、なんてことだ! この俺の高度なセンサーをかいくぐるなんて! 中々やるな! 隠れてなかったにもかかわらず俺に気づかせないとは! くッ! おそらく隠す魔術や動かないトラップとは別の魔術がまだ作動していて巧妙に気づかれないようになっていたに違いない間違いない! きっと気づかれない魔術がかけられていたんだ間違いない!!!」

「いえ…確かに普段は魔術で隠して気づかせないようにしているんでしょうが…今回に限っては普通に見えてま…」

「この俺の高度な! 超高度なセンサーをかいくぐるなんて凄まじい魔術で気づかせないようにしていたに違いない間違いない!!! 間違いない!!!!」

「………気づかなかった事に正当な理由が欲しいんですね……自分の犯したありえない凡ミスを魔術のせいにしたいんですねわかります…」

「違うミスなんてしてない! 巧妙な魔術で…」

「あーはいはいわかりましたわかりましたとにかく注意しつつ先に進みましょう」

「わかってないだろ!? なんだその適当な返しは!? 本当にわかっているのか!? おい!?」

 トイレブラシにあしらわれつつも勇者は今度こそはと注意しながら階段を上りついに扉の目の前に立った。

「ついに…ついにたどり着いた…ここから…美少女のお姫様との出会いから俺の英雄譚が開始されるわけか…クク…おっとでもまずお姫様に会う前に風呂入らねーと…」

「勇者様扉を開ける前に最後の確認をいいですか?」

「確認? なんだよ?」

「先ほども言いましたが私は人前では喋らないということです。誰かが一緒にいる時に何か話すことがある場合は頭の中に直接話すので。もう何回かやったことあるから大丈夫ですよね…?」

「ああ…あの脳内会話ね。わかったわかった」

「確認は以上です。それでは行きましょうか勇者様!」

「よっしゃあ!」

 確認を終え扉を豪快に開け放った勇者は扉で締め切られた薄暗い場所から一転明るい場所に出たことで眩い光に目がくらみそうになるも、一歩を踏み出し城の中に足を踏み入れた。

「おおッ!…ここが…城の中か…すげぇ……半端ねぇな…!」

「ほんとですね!」

 地下と地上を繋ぐ扉を抜け城の大広間に出た勇者とトイレブラシだったが、地上に出てすぐ目の前に飛び込んできた光景に両者は思わず感嘆の声をあげた。敷き詰められた美しくも気品のある赤い絨毯は部屋全体の床を鮮やかに覆い尽くし、意匠を凝らした壁には迫力あふれる風景画や威厳に満ちた人物画などが飾られ、そして上を見上げれば天井にも水晶で作られたと思われる豪華なシャンデリアやそれを中心にした飾りが取り付けられており、総じて部屋全体がまるで芸術作品のように訪れる人間を飽きさせないようにしているがごとくに設計されているようだった。

「はぁー…持ってる奴は持ってるもんだよなぁ…金って…」

「そうですねぇ…」

 しばらく部屋を見て回った勇者は部屋に飾られていた輝く金色のツボの前に立ち止まるとじっと物欲しそうに見つめ始めた。

「なあこれ…」

「ダメです」

「………まだ何も言ってないんだけど…」

「いっぱいあるからって持って行っちゃダメですよ」

「………でも一個くらいなら…ほら俺って世界を救うわけだし…その前金みたいな…」

「ダメです」

「くッ………」

「く、じゃないですよ! 英雄が泥棒してどうするんですか!」

「し、失礼なことを言うな! 別に盗もうとしたわけじゃないぞ! ちょっとだけそうちょっとだけ俺が人生を終えるちょっとの間借りようと思っただけだ!」

「それを泥棒というんですよ!」

「うぐぐッ………仕方ない…偉い人に会って許しをもらうまでは我慢しよう…それでいいんだろ…?」

「賢明なご判断かと…」

「はぁ…とりあえず…王族とか貴族以外の誰かを探すか…メイドさんとかがいたらベストなんだけど…まずは風呂の場所聞かねえとだし…最悪風呂に入れなくてもどこか水場で肥溜めを洗い流さなくては…」

 名残惜しそうにツボから視線を外した勇者は大広間を出て城の中の探索を開始した。

「…おい便ブラ…どっち行ったらいいんだよ…どこにメイドさんがいるんだよ…」

「えー…私に聞かれましても…流石にお城の中に入るのは初めてなので…」

 大広間の数ある扉のうちの一つを適当に選んだ勇者は扉を開け意気揚々と城の内部を歩き出したが、巨大な城の内部構造をろくに把握していなかった彼は当然のごとく迷い、廊下の途中で立ち往生してしまっていた。

「つーか無駄に広すぎだろ! なんだこの異常な扉の数は! しかもどこもかしこも似たような作りしてるせいで自分がどこから来たのかさえわかんなくなっちまったよ! ってかなんでこれだけ歩き回ってんのに人に一人も出くわさないんだよ! うが~!」

「確かに…誰とも出くわさないなんて不思議ですね…いちおう来た道とかなら私が覚えてはいますが…どこに人がいるかまでは流石に…魔力が強い人とかならある程度の距離まで近づけば気配や視線などを感じ取ることが出来るんですが魔力の弱い普通の人はちょっと…それに付け加えるならば先程勇者様と契約の儀式を結んだばかりですからね…契約魔術は結構結んだ両者に負担を強いるんですよ実は…そうゆうわけで私としてはまだ本調子ではないのです…ですから…ん…?」

「なんだよ? どうした?」

「なんか…匂いませんか…?」

「何言ってんださっきから臭ってんだろ。俺の汗と肥溜めがブレンドしたスペシャルな香りが空間を…」

「ああいえ…そうではなくて…石鹸の香り…だと思いますよこれ」

「石鹸…?…んー……クンクン……お!…おお!…本当だ!…確かに石鹸の匂いだ!…ということはまさか!」

「はい…おそらく近くに浴場に通じる扉があるのかと」

「よっしゃあ! とりあえず風呂に入るっていう目的は果たせそうだな! それじゃあ便ブラ頼む!」

「え…?…頼むって…何を私に頼むんですか…?」

「匂いをたどって風呂の場所に通じる扉を嗅ぎ当ててくれ!」

「頼みってそんな犬みたいなことなんですか!?」

「頼む今の俺では肥溜めのせいで鼻がバカになっていて微かにしか匂いが分からないんだ。お前だけが頼りなんだよ!」

「うー……それを言われてしまうと…肥溜めに突き落としたのは私ですからね…仕方ないですね…なんだかペットのようで嫌ですが…わかりました…ご案内します…」

「助かるぜ! サンキュー!」

 トイレブラシは勇者からの頼みを受け鼻を鳴らしながら石鹸の匂いをたどり浴場への案内を開始した。

「クンクン…こっちですね」

「頼りになるな! 今のお前は最高にかっこいいぞ便ブラ!」

「え…本当ですか…?…えへへ…頼りになりますか…?」

「ああ最高に頼りなってるさ!…まるで森の中で鼻をブヒブヒ鳴らしながらトリュフを嗅ぎ当てる豚のようだ!」

「その例え方全然嬉しくないんですけど!?」

 勇者の例え方に不満げだったトイレブラシだがその動物じみた嗅覚は匂いの先を確実にたどりそしてついに一つの扉の前に肥溜めにまみれた彼を見事導いた。

「ここですね。間違いありません」

「ここか…クンクン…確かにこの先からいい匂いがするな…でかしたぞ便ブラ!」

「はぁ…ありがとうございます…でも…なんだか本当に家畜になった気分でしたよ…しかし…石鹸の香りがするということは誰かお風呂に入ってるんですかね…?」

「そうなんじゃねえの…わかんねえけど…まあ誰かいても同席させてもらえばいいだろ…きっと大丈夫だなにせ俺は勇者だからな…喜んで迎え入れるだろうなははは!…よしそんじゃあ入るぞ!」

 勇者が扉を開けると中は簡素だが広々とした脱衣所になっており、脱いだ服を入れて置くためなのか竹の皮で編まれたような籠が三段造りの長い木製の台のような場所のそれぞれの段に均等に間をあけ数多く置かれていた。

「なんかどっかの温泉とか銭湯の脱衣所みたいだなここ」

「そうですね…もしかしたらですが…この脱衣所は大浴場に通じてるのではないかと思うので…その表現もあながち間違ってはいないのかもしれませんよ」

「大浴場って広い風呂だよな!…広い風呂なんて家族で温泉行ってから何年ぶりだろうか…今頃俺を置いて行ったババアとハゲはきっと旅行を満喫してるんだろうな…俺を置いて行ったっていうのに!…温泉に入ってうまいもの食べてるんだろうな…俺を置いて行ったっていうのに!!…この俺を置いて日本一周旅行をとても楽しんでるんだろうな!!!…この俺を置いて!!!!…そうこの俺を置いてきゅうりを置いて行ったんだよ奴らは!!!!!…フフ…絶対に許さないぜ…この恨み生涯忘れることはないだろう…」

「………かなり根に持ってますね勇者様…」

「しょうがないだろうがこれは正当な恨みなんだよ! 特にあのババアの三分間悩んだというバカにしてるとしか思えないふざけた文書は俺の繊細な心に深い傷を残したんだ! 許されないぞこれは! クソッ! あのありがたくない大仏もどきの顔を思い出したら余計に腹が立ってきた! さっさと広い風呂に入って英気を養おう! こっちはこっちで目一杯楽しんでやる!」

「そうですね! 前向きに行きましょう!」

 勇者は衣類一式を全て脱ぎ捨て全裸になると衣服とリュックを持ったまま浴場に向かおうと歩き出した。

「洋服と荷物も一緒に洗うんですか…?」

「ああ…じゃないと俺が綺麗になっても臭くて持ってられないだろ…だから……ん…?…なんだ…これ…なんだか…フェロモンのかほりが……クンクン………ん…!……んん!?…これは…まさか!?」

「どうかしたんですか…?」

 話ながら浴場に向かっていた勇者だったが突然何かに気づき驚愕の声をあげ立ち止まった。   

「なんてことだ…これは…運命だ…!」

「なんなんですか…?…洋服を入れて置く籠…ですよね…んーと…これ…中身が入ってますね……え……あれ…これもしかして…!?」

 木製の台の上に乗ったある脱衣籠の前で立ち止まった勇者を見て不審に思ったトイレブラシは彼と同じように籠の中身を覗き込みそしてようやく事態を知った。  

「よし急いで浴場に向かうぞ!」

「ちょっと待ってください!?」

「何だよ…?」

「何だよじゃないですよ!? この脱衣籠の中身を見たなら浴場に向かうべきじゃないことくらいわかりますよね!? 絶対だめですよこれホント!?」

「知らない。俺は何も見てないし気づかなかったんだ。だからしょうがない。例え浴場に誰が入っていようとこれは不可抗力だ!」

「何言ってるんですか真っ先に気づいてたじゃないですか!? 私よりも先に嗅ぎ当ててたじゃないですか!? ホントに鼻がバカになってるんですか!?」

「しつこいぞ!!! 俺はお宝なんか全然嗅ぎ当ててない!!! むしろ今嗅ぎたい衝動を必死にこらえてるんだ!!! 肥溜めが付いてしまうから全力で堪えてるんだよ偉いだろ!!! でもそろそろ我慢の限界だ!!! お前が呼び止めたりしたせいだからな!!! もう肥溜めが付いてもかまわないぜ!!! ツボの代わりにこれを今いただこうかなそうしようかな!!! そうしようかしらそうしようかしら!!! ぐへへへへへへへへへへひゃあああああああああっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

「気づいてるじゃないですか嗅ごうとしてるじゃないですか!? やめてくださいツボを盗むよりも下劣かつ最低な行為ですよ!? この衣服に手を掛けたりなんかしたら英雄どころかただの変態に成り下がります!!! ラブコメになんてもっていけませんよ!!!」

 勇者とトイレブラシの口論の原因になっている籠の中には白い服が綺麗に折りたたまれて入れられており、さらにその上には銀色に光る高価そうなアクセサリーが乗っていた。普通の服だったならばここまでの口論にはおそらく発展しなかっただろうがしかしただの白い服というにはこの洋服はあまりにも美しすぎた。服は白くなめらかな絹のような生地に豪華な意匠が施され、付けられたフリルと相まってドレスと呼んでも差し支えない仕上がりだった。そう、まるでどこかの国のお姫様が身に着けているような、湖の畔でたたずんでいるだけで絵になってしまうような、そんな美姫が着ているであろうドレスが籠の中にティアラと思われるアクセサリーと共に入れられていたのだった。

「………チッ…わかったよ…ドレスとか下着をクンカクンカするのはやめておくよ……お前の言うことも一理あるしな…確かにラブコメにこうゆう変態行為はNGだよな…ラブコメにはラブコメの流儀ってものがあるもんな…まずはラブコメに一番必要なあれをまずやらなきゃだよな…」

「そうですよラブコメの流儀に則ることはとても大切なことですよ!…ふぅ…わかっていただけてよかったです…私もまず最初はあれをやらなきゃだと思ってたんです!…ラブコメに一番必要なことと言えばやっぱりあれですよね!」

「おお! お前もやっぱりそう思うか! やっぱり最初はあれだよな!」

「はい! やっぱりあれですよね!」

「「そうまず最初に…」」

「お手紙を書いて…」

「ラッッッッッキィィィィィィィィィィスケべェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!!!」

 勇者は浴場に向かって風にように走り出した。

「ちょッ!? 勇者様!? 話聞いてました!? それじゃ振り出しに戻っただけじゃないですか!? それに狙ってやるラッキースケベはただの変態行為と同じですよ!? ダメです!!! そんな女性の敵みたいなことはさせません!!! 絶対に行かせませんからね!!!」

 トイレブラシは勇者の体の自由を肥溜めに飛び込ませた時と同じように奪おうとした

(え? あ、あれ!? なんで!? 勇者様の体を操作できない!?)

 がしかし勇者を止めることはできなかった。

(うう…やっぱり契約したばっかりだからかな…まだうまく接続が出来てないのかも…それとも他に何か理由が…ただでさえスペックが合わない勇者様との契約だったからなぁ…肥溜めの時にうまくいったのはたまたまだったってことかな…これはもしかしたらまだまだ不具合が出てくるかも…心配だな…戦闘になったらちゃんと『あれ』ができるかどうか…)

 トイレブラシがあれこれと心の中で考えているうちに勇者は大浴場に通じていると思われる扉を発見した。

「げへへへひゃあああああああ!!! 何も布きれなんかをクンカクンカする必要はなかったぜぇ!!! なにせ実物がいるんだからなぁ!!! けひゃああああああああ!!! たまらんぜこれは!!! 実物をクンカクンカしちゃうぜええええええええええええええええ!!!!」

「やめてくださいってば!!! 男女関係は美しい愛の詩を記したお手紙の交換から始めるものですよ!」

「バカかお前は! 詩の手紙ってなんだよどこの平安時代のラブコメをするつもりなんだよ鳴くよウグイス大化の改新かよ!!!」

「貴方こそ何を言ってるんですか鳴くよウグイス平安京です!!!」

「大化の改新の時だってウグイスくらい鳴いてただろうが!!!」

「そういう意味で使ってるんじゃないですよ!?」

「とにかくラブコメっていうのは男が女に偶然突っ込むところから大抵始まるんだよ! それこそ正しいラブコメ! ただ俺の場合裸だからな! どこがどこに突っ込んでしまうかは俺にもわからないわー! ほんと偶然って怖いわー そうこれは偶然なんだから仕方ない俺は何も気づいてないんだよこれはラッキースケベなんだ!!! しょうがないことなんだよおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「つ、突っ込むってなんですか!? ラブコメを汚さないでください!! 下種すぎますよ!? それにラッキースケベってすでに認識して言ってるじゃないですかクンカクンカするとか言ってたじゃないですか実物とか言ってたじゃないですか!!??」

「過去の記憶に囚われていては先には進めないんだよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

「囚われてくださいよ!? 今は全力で過去に囚われてください!? それに私のかっこいいセリフをこういう下品な場面で復唱するのはやめてくださいよ!!??」

「肥溜めに突き落としたことをなかったことにしたセリフなんか別にカッコ良くもなんともないんだよ!!! いいからお前はだあってろ!!!」

「いいえ聖剣として絶対に許可するわけにはいきません!!!」

「俺の股間の聖剣は許可してるんだよ行けと言ってるんだよ発動寸前なんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!! ふぁああああああああああああああああああああああ!!!」

「そんな下品な四分の一カットされたヒノキの棒と聖剣を一緒にしないでくださいよ!? あ!? ちょ!? ちょっと待ってください!!??」

 勇者はトイレブラシの制止を振り切り湯気で満たされた大浴場に侵入した。 

「どこだ!? どこにいるんだ我が愛しの君は! 白魚の姫君はどこに!」

「勇者様! ダメですってば!」

「しつこい奴だなまったく! お前はもうそろそろ黙ってた方がいいぞ! この世界の人間に話してるところを見られたくないんだろう?」

「うッ……そうですけど…」

「だったら黙ってろ! ククッさあどこかなあ。それにしても思ってたよりもかなり広いな」

 湯気で満ちた広い浴場を見回しながら目を凝らして姫君を探していた勇者は浴場の奥の方で何か人影のようなものがうごめくのを視界に捉えた。そしてその瞬間

「み・つ・け・た☆ んふッ☆」

 ニタァと気味の悪い笑顔と共に勇者の股間の聖剣は今までにないほどの大きさと生命の輝きを発揮した。

「(勇者様いい加減にしてください! 何度も何度も言っていますが意図的にやるラッキースケベはラッキースケベとはいいませんよ! あれは偶発的に起こるから本当ならやっちゃいけないエッチな行為をそれほど下品じゃない感じに演出できるんですよ! 意図的にやるのならただの下劣な犯罪行為と変わりません!)」

 トイレブラシは直接話しかけず頭の中で再度勇者に向かって説得を始めた。当然のごとく彼はつっぱねると思われたが

「(………確かにそうだな…このまま突っ込んでいったらただの変態だな…偶発的な事故じゃなきゃラッキースケベとは言わないもんな…)」

 彼女の言葉を素直に認めた。

「(勇者様! よかった! ちゃんと最後の良心が残ってたんですね! そうですよ偶然じゃなきゃラッキースケベとして許してなんかもらえませんよ!)」

「(そうだよな! 助かったよ便ブラ! おかげで目が覚めたわ! 確かにこのままじゃいかんわな!)」

「(はいこのままじゃ絶対にダメですよ!)」

(よかった…勇者様もちゃんと話せばわかったくれるんですね…いくら性欲の強い思春期とはいえやっちゃいけないことくらいはわかりますよね…ふぅ…本当に良かった)

 勇者はにっこりとトイレブラシに向かって微笑み感謝の言葉を伝えるとリュックの中をあさり始めた。

「(何してるんですか勇者様…?)」

「(まぁちょっと見てろって…お…?…あったあった♪)」

 リュックの中から手にちょうど収まるくらいの紙で包装された二つの四角い固形物を見つけ取り出した勇者は二つの固形物の包み紙を剥がして中から白い塊を取り出した。

「(…あの…それって…もしかして…石鹸ですか…)」

「(うん)」

 勇者は荷物を床に全て置いた後、包装を剥がした白い石鹸二つも同じように床に置き、その上に自らの両足を乗せた。そしてまるで疾走まじかのアイススケートの選手のように目を閉じ顔をうつむかせて左手を前に突き出し右手を後ろに下げ、両足も同じように前後させてスタートダッシュのポーズをとった。

「(……勇者様…ちょっといいですか…?)」

 トイレブラシは間違いなく当たるであろう自身の予感を感じながらも勇者に問いかけたが彼はもう答えなかった。

 ピストルがならない浴場において何かを合図にするようにして勇者は待った、そして合図は訪れる。どこからか水滴が落ちる音を聞いた彼は閉じていた目を開け勢いよく顔をあげて心の中で叫んだ。

「(おっとおおおおおおおおおお!!! しまったああああああああああああああ足が滑ったああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!)」

 勇者は目を血走らせ口から涎をだらだらと垂れ流し麻薬中毒者のような気持ちの悪い笑顔を浮かべながら腕をスケート選手にも負けないほどに前後に全力で振り浴場を滑り出した。

「(何がしまったですか狙ってやってるでしょうがあああああああああああああああ!!?? そんなプロのスケート選手みたいな足の滑らせ方があるわけないでしょ!? 足が滑ってるんじゃなくて勇者様が滑ってるんでしょ!? っていうかよく転びませんね!? 普通転びますよ!?)」

「(仕方ないこれはしょうがないことだ偶然なんだからしょうがないしょうがないんだよもしはずみでお姫様と衝突しても衝突したはずみで合体しちゃったとしても許されるこれは許されてしまう事故なんだからあああああああああああ!!! ひゃっほほおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!)」

「(許されるわけがないでしょう!!?? ラッキースケベどころか完全に当たり屋じゃないですか!? 当たり屋でレイパーなんて最低最悪ですよ!!?? 止まってください!!!)」

「(もう無理だぜ俺は止まらない! お姫様の膜にゴールインするまでこのレースに幕引きは無いと思えよ! げへええええええええええええええええひゃああああああああああああ!!!!!)」

「(ほんと最低ですね!? うー! あ! そ、そうだ! いいんですか! エルフで童貞は捨てるって言ってたじゃないですか! 今やってしまったらその夢が果たせなくなりますよ!)」

「(せっかくだからお姫様にファースト童貞は捧げてセカンド童貞をエルフに捧げると今決めたぜえええええええええええええええええええええ!!!!!)」

「(なんですかセカンド童貞って!? 聞いたことありませんよ!? しかもエルフに憧れてるって言ってたくせになんて適当な憧れなんですか!? ど、どうしよう! もう私ではこの性欲の権化を止めることができませんよ…どうしたら…)」

 足の下にある石鹸をスケートシューズのようにして浴場を猛スピードで走り出した勇者は湯気を切り裂き人影が見えた場所まであと少しというところまでの距離にすでに到達していた。

「(猛っているな我が聖剣よ…わかるぞお前の気持ち…抜身のまま一生過ごさなければいけない聖剣もあるというのに…お前は最高の鞘を見つけたんだものな…きっとお前にふさわしい極上の鞘を彼女は持っているよ…今まで本当に悪かったな…お前には不自由な思いをさせちまったようだ…)」

「(ちょっと!? レディの前で何と会話してるんですか!?)」

「(何ってナニと話してるんだよ! 聖なる会話の最中なんだよ黙ってろ!!! あとお前レディじゃねえから!!!)」

 そしてついに勇者は湯気で隠れているものの明確に人の形をした影を目と鼻の先に捉えた。

「(さあ…行こうか棒よ!…愛の棒よ…!!…相棒よ!!!…今こそお前の真名を開放する時だ!!! いくぞおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!! エクス…カリバアアアアアアアアアアアアア!!!)」

「(やめてください私がエクスカリバーですうううううううううううううううううう!!??)」

 湯気で隠れた人物に向かって勇者は地面と石鹸を蹴り飛ばし、飛びかかった。そして勇者は空中で時間が停止したような感覚に襲われつつも湯気のベールで被われた対象を、夢にまで見た白魚の君と思われる対象をついに目撃した、そう彼は目撃したのだった

「お姫様ぁああああこれは事故ですお許しください我が聖剣エクスカリバーがとんだ粗相を…カリバ…が…カ…リバ…ババ…ババ…ババアじゃあねえかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 五十代ほどの寸胴体系の醜いおばさんの体を彼は目撃したのだった。

 勇者は空中で体を捻りなんとかおばさんとの激突を回避したが、その無理な体運びの代償はあまりにも大きかった。

「がああああああああああああ!!?? 俺のカリバーがあああああああああああああ!!?? 俺のカリがあああああああああああああああああ!!?? 俺のエクスカリバーのカリがああああああああああああああああああ!!??」

 勇者の聖剣は地面に激突した。

「きゃあああああああああああああ!!! 痴漢よおおおおおおおおおおおおおおお!!! たすけてええええええええええええええ!!! おそわれるううううううううううううううううう!!!」

 顔を白いパックのようなもので包み髪の毛を頭ごとタオルでぐるぐる巻きにしたおばさんは手で体を隠しつつ侵入してきた勇者に向かって悲鳴をあげ、持っていた木の桶で熱いお湯をすくい叩き付けてきた。

「ぶはぁッ!? があああああああ最悪だああああああああああ!!! 一時撤退するぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!! 目が!!! 目と股間が腐るうううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!!!」

 熱い風呂のお湯を顔や体にかけられた勇者はへっぴり腰になりながらも途中で荷物を拾い上げ浴場を逃げ出した。

「あああああああババアの裸見ちまっただあああああああああああああああああああああ!!! 俺の聖剣も多大なるダメージを受けちまっただあああああああああああああああああああああああ!!!」

「自業自得ですよもう! お姫様の裸を覗くどころかエッチなことまでしようとした罰です! 天罰ですよ! 今回の事は天女のように優しい私ですらプンプン怒っちゃってますよ! ぷんぷん!」

「ぷんぷん臭ってきそうな便所ブラシの分際で生言ってんじゃねぇよ! あそこまで条件がそろったら行くだろ普通! 運命の悪戯が用意してくれたイベントだって誰だって思うだろ! くそッ結局服も荷物も洗えなかったよ! お姫様と合体した後に洗おうと思ったのに! ちくしょう合体したかった!」

「まだそんなこといってるんですかもう! いい加減反省してください!」

 浴場から逃げ出した勇者は脱衣所で汚れたままの下着と学生服を着ると脱衣所から出て扉の外の物陰から脱衣所の扉を覗き始めた。

「あのババアめ…よくもあんな熱いお湯を…結果的に顔と体の肥溜めの汚れは多少落ちたけど…しっかしなんであんなババアが風呂にいたんだよ…バーゲンセールで売ってそうなダルダルの安いババア服なんて脱衣所にはなかったと思ったが…ってかお姫様どこに行ったんだよ~! 見落としたのか!」

「お姫様がどこに行ったかはわかりませんが…あのおば様は多分この城に仕えている人じゃないですかね…?」

「あのババアが…?」

「はい…例えば…メイドさん…とか」

「バカ言ってんじゃないよお前は! あんなババアメイドどこの層に需要があんだよ! 百歩譲って使用人だとしてもメイドではない! 認めない! 掃除のおばちゃんが関の山だね!」

「百歩譲らなくてもメイドと使用人は基本的には同じようなものだと思いますが…まあ…あのおば様の役職がなんにせよお風呂を使ってた以上この城の関係者であることは間違いないわけですから…出てくるのを待って話を聞きましょうか…あ!…でもちゃんとさっき裸を見たことは謝ってくださいね!」

「…わかってるよ…はぁ…どうせ謝るならいいもの見て謝りたかった…綺麗なお姫様と過ちを犯したかった…ババアじゃなくて…ババア…そうババアといえば…う~んしかし…やっぱりなんかあのババア…」

「どうしたんですか…?」

「いや…なんか…あのババアどっかで見たことあるような気がして…声もどこかで聞いたことあるような…こう…姿を見て声を聞いていると…ふつふつと怒りがこみ上げてくるような…なんなんだこの不思議な感覚は…」

「そうなんですか…確かに不思議ですね…あっ!…出てきましたよ…!」

 勇者とトイレブラシが話し込んでから十数分後脱衣所の扉が開かれ中から先ほどのおばさんが現れた。

「……えっと…勇者様……この位置からでは顔は見えませんが…あの…洋服は…もしかして…」

 トイレブラシの問いかけに勇者は答えなかった、否、答えられなかった。あまりの衝撃に言葉を失い顔は青ざめ、現実逃避に頭を使わなければならないほどに彼はショックを受けていた。

「勇者様…あのおば様がひょっとすると…」

「ありえない」

「いやぁ…でも…」

「ありえないと言っている。そうあっちゃいけないそんなこと。確かめてやる」

「…行くんですか勇者様…ショックで倒れないでくださいね…」

「倒れねーよ! 認めねーしありえねーし倒れねーよ! 俺はただ間違った認識を正しに行くだけだ!」

 勇者は意を決して物陰から飛び出し後ろから廊下を歩いている人物に少しずつ近づいて行った。近づけば近づくほど対象の寸胴体系や美しい服装は鮮明になっていった、そう、彼女の着ていた白く美しい生地で仕立て上げられたドレスと呼んでも差し支えないお姫様が着ているような服装は勇者が脱衣所で目を奪われたものに相違なかった。

(認めるものか…このババアがお姫様だなんて絶対認めないぞ……こんな後ろからでもわかるスチールウールみたいなち〇毛頭をしたお姫様がいるものか!…こんな豚みたいに肥え太ったお姫様がいるものか!…ってかこんないかにもなババア探したってそうそういるはず…こんな…いや…こんな…ババアを…俺は知っている…そう…俺が地球にいた時から…何度となく目にしてきた…たった一人だけ…)

 近づくほどにお姫様の服装を着た偽物に対する怒りよりも彼は、それよりも強い違和感に襲われた。そしてついに手が届く位置にまで到達した勇者は全ての答えを得るために振るえる手を肩にかけた。振り返った目的の人物はついに勇者と対面する。

「…何…やってんだよ…おい…」

「きゃああああああ! 貴方さっきの痴漢! いやああああああ!」

 勇者は目の前の人物を見据え信じられず対象の名を

「…母ちゃん…」

 口にした。

「いやああああああああああ! 何ですか母ちゃんて!? ワタクシに貴方みたいな大きな子供はいませんよ! ま、まさか!? この美しいワタクシにいけない母性愛を求めてそんな変態チックなプレイをやらせるつもりですか!? いやッ! 犯される! 変態プレイでレイプされるううううううううううう!!!」

「おい絶対にありえないことで騒ぐなババア!!! するわけねーだろそんな身の毛もよだつおぞましいプレイなんか!? つーかなんで異世界にいるんだよ!? 父ちゃんと一緒に日本一周旅行に行ってたんじゃなかったのか!?」 

勇者は肩を掴み詰問しようと顔を近づけ、そしてあることに気づいた。

(ん…?…あれ…?…でも…なんか…ちょっと…違う……)

「(…勇者様…少しいいですか…?)」

「(なんだよ…?)」

「(目の前のおば様は…勇者様のお母様ではないと思いますよ…確かに似てはいますが…)」

「(…え…お前俺の母ちゃんの顔知ってるの…?)」

「(はい…記憶を見たときに…それでなんですが…勇者様がいた世界からこちらの世界に来るにはあの肥溜めに魔力を注ぎ道をつくらなければいけないので…仮に向こうの世界の人が来られるとしても魔力を持った人でなければまず無理なんですよ…ですから魔力の無い勇者様のお母様がここにいることはまず無いかと…)」

「(…そうか…いや…実は俺も母ちゃんとは顔のつくりがちょっと違うなと顔近づけたときに思ったんだよ…到底必要とは思えないけど口元にほくろが付いてるんだよこのババア…しかしこんなセクシーなパーツでもババアに付けると鼻くそにしか見えないな…あとは髪の色も違う…よくよくみたら青色だし…うーん…でもそれ以外は…マジで気持ち悪いぐらいそっくりだな…)」

「いやッ! 乱暴しないで!? わかりましたよ脱ぐわよ脱げばよろしいんでしょ!? だから乱暴に犯そうとなんかしないで頂戴!」

「ああ悪い! もういい! わかったから! 勘違いっていうか人違いだったんだよ! 悪かった! もう触ったりしないから! さっきの風呂場のことも誤解なんだって! とにかくほんとに悪かったごめん!」

 勇者は掴んでいた肩を離すと謝罪しながらおばさんとの距離をとった。

「なんですか!? 何を企んでるんですか!? ま、まさか!? ワタクシの服を強引に破りながら脱がせたいとでも言うつもり!? 強引に脱がせてから無理やり犯すつもりなんですね!? いやらしい! なんていやらしいの!!!」

「しつけーよ!? 違うっつってんだろ!? 身の程をわきまえろよババア!? レイパーにだって選ぶ権利ぐらいあるんだよ!? おい!? いいつってんだろ!? 脱ぐな!? 服に手をかけるな!? 脱がなくていいから!? ババアの裸なんか見たら俺の精神が逆にレイプされちまうんだよ!? いいからちょっと俺の話を聞いてくれって!」

「…話…?…ワタクシにですか…?」

 服に手をかけたおばさんを制止して、勇者は事情を説明しようとした。

「(おい便ブラ…なんて言って説明したらうまく伝わると思う…?)」

「(そのまま…召喚術で異世界から来たで伝わると思いますよ)」

「(いや…でも…信じてもらえるのかそれで…この人ただの掃除のおばちゃんだろ…?)」

「(掃除のおばちゃん…?…何を言ってるんですか…正面から見てこの人がどういう人なのかはっきりと今わかったじゃないですか…)」

「(正面から見てわかった…?)」

 トイレブラシに言われ勇者はあらためて目の前の母親にそっくりな人物を頭のてっぺんからつま先までしっかりと見始めた。短めの藍色の髪にパーマがかかり大仏のようになった頭の上には銀色のティアラが輝きを放ち、純白のドレスの胸元には先ほどは折りたたまれて見えなかった紋章が刻まれ、足にはクリスタルで作られたような美しい靴が履かれていた。

「(………掃除のおばちゃん……だろ…)」

「(いい加減現実見てください)」

「(いやだ! 嘘だ! そんなはずはない! そ、そうだよ! よくよく見たらやっぱり掃除のおばちゃんだって! 間違いなく掃除のおばちゃんだよ!)」

「(ティアラしてるのにですか…?)」

「(ティアラ型の三角巾なんだろ…)」

「(ええ!? なんですかその強引な力技は!? 無理がありますよ!? それにほら王家の紋章が刻まれたドレスだって着てますし…)」

「(ドレス型の割烹着なんだろ!)」

「(そんなわけないでしょどんな豪勢な割烹着なんですか!? こんな豪華な割烹着じゃ汚せませんよ!? 本末転倒じゃないですか!? あと王家の紋章が付いてるって言ったじゃないですか! 非売品のやつですよこれ!)」

「(売ってんだろこんなのどっかのフリーマーケットかなんか買えるよきっと!! そうだ思い出した俺の持ってるTシャツにも確かこんなの書いてあったわ!!!)」

「(売ってるわけないでしょ買えるわけがないでしょ書いてあるわけないでしょおおおおおおおお!? 勇者様が持ってる安いTシャツと一緒にしないでください! ちゃんと見てくださいまだまだ他にも証拠はあるんです! 足に履いてるお高そうなクリスタルシューズを見てくださいよ!)」

「(クリスタルシューズ型の長靴なんだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!)」

「(もう滅茶苦茶ですよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!)」

「ちょっと貴方…ワタクシにお話があるんじゃなかったの…?」

 心の中で討論をしていると待ちくたびれたのかおばさんが自ら話しかけてきた。

「ああ…悪い…それでなんだけどさ…おばちゃん…」

「おばちゃん? 失礼ですよさっきから貴方! ワタクシの事をさっきから母ちゃんだのババアだのおばちゃんだのと! ワタクシはぴっちぴちの十七歳ですのに!」

「………ごめん…なんだって…?」

「ですからぴっちぴちの十七歳の乙女に向かってなんて口を利くのかと言ったのです!」

 勇者は絶句しつつ彼女の顔を再び見つめた、しわの刻まれた顔を、豊齢線が深く刻まれた顔を、五十数年は生きてきたであろう苦労が刻み込まれたおばさんの顔を見つめた。

「…おばちゃん…掃除中に頭を打ったんじゃないかな…わかるよ掃除のおばちゃんの仕事って結構きつそうだもんな…待っててくれ…医者を探してくる」

「まあなんてことを言うのですか貴方は! ワタクシは頭など打ってはいませんことよ! それに掃除のおばちゃんなどと! いいですかよーくお聞きなさい! ワタクシの名はアルトラーシャです!」

 目の前のおばさんはここにきてようやく自らの名と、この国における立場、そしてもっとも勇者が聞きたくないことをはっきりとした濁声で告げた。

「このウルハ国の現国王の一人娘にして第一王女…ババアでも母ちゃんでも掃除のおばさんでもありませんわ!…そして皆はワタクシの事を敬いながらこう呼んでくださいます…」

「おいやめろ!? 掃除のおばちゃんだろ!? いいから見栄をはらなくていいから!!! 嘘なんかつかなくていいから!!!」

 勇者は現実から目を背けようと耳をふさごうとしたがすでに遅かった。

「アルトラーシャ姫と!!! ワタクシはこの国のお姫様ですのよ!!!」

「嘘をつくなああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 勇者の咆哮は城中に響き渡った。  

 そしてここにきてようやく召喚術を行った姫君と召喚された英雄が出会いを果たした。 


  

 





 



   

 




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