プロローグ
地球とは異なる次元に存在する異世界ヴァルネヴィアのブルグゾン大陸の南方にある王国が存在した。
国の名はウルハ、そしてその国の城にあたるウルハ城の内部において美しい少女が息づかいを荒くしながら城の地下へと続く階段を駆け下りていた。彼女の名はアルトラーシャ、まだ幼くも美しい女性に近づきつつあるこの国の姫君だった。そんな少女が息を荒げ自慢の腰まで伸びた藍色の髪を振り乱しながら必死の形相で走る理由はある目的を完遂させるためだった。
早く早くと独り言を苛立つように繰り返し呟く彼女の態度はまさに一刻を争うという事態の緊急性を如実に表わしていた。先を急ぐ意思とは裏腹に何度となく足はもつれ少女は幾度も転倒を余儀なくされ、そのたびに自身の運動能力の低さに失望を露わにした。しかし少女は決して諦めず涙を溜めた目を腕で乱暴に拭い去り気力を振り絞り立ち上がると階段を力強く踏みしめ駆け下りた。
城の地下最深部に到達する頃には意匠を凝らして作られたであろう純白のドレスは薄汚れ、美しかった彼女の顔や髪はすっかりすすだらけになっていた。なんとか到達できたことの安堵感から床にへたり込みそうになる膝に力を入れ地下最深部の中央に存在する幾何学的な模様が描かれた魔法陣の前に歩み寄るとドレスの懐から隠し持っていた緑色に輝く宝珠を取り出し、魔法陣の描かれた床に宝珠を叩き付けるようにして宝珠を破壊した。
すると宝珠からあふれ出した粒子にも似た緑色の魔力が魔法陣の模様をみるみるうちに輝かせた、しかし眩いばかりに輝いていた緑色の光は急激にしぼむように輝きを失っていった。
「嘘!? どうして!!」
彼女の驚きは驚嘆というよりは悲鳴に近かった。少女は取り乱さぬようにと必死に深呼吸をして平静を取り戻そうとした。そして原因を探ろうと必死に頭を巡らせると平常時ならば明瞭かつ簡単に思いついたであろう解答にたどり着いた。
「魔力が足りてないんだ……それなら」
自身の持つ全ての魔力を流し込めばいいだけだと思い立った、しかし同時にそれでもダメだったらという不安も同時に脳裏をかすめた。それゆえ彼女は祈りを捧げる修道女のように敬虔な姿勢をとると手を組み成功を願った。そして縋るような眼差しで魔法陣を見つめると魔法陣の描かれた床に手をつき一息に全ての魔力を流し込んだ。
するとさきほどまでしぼみ消えかけていた魔力の光は先ほどよりもはるかに強力な光を放ち薄暗かった地下全体を明るく色鮮やかに輝かせた。そして少女はここにきてようやく強張っていた表情を少し緩め自身の目的であった世界と世界を繋ぐ召喚の魔法陣の完成を確信し、また魔力を失った自身に訪れるであろう未来についても覚悟した。魔力を失った途端に襲いくる凄まじい疲労感と虚脱感に苛まれながら少女は意識が途切れる寸前にこの世界に訪れるであろう者にむかって願いの言葉を呟いた。
「どうか……この国を……この世界を……救っ…て……くだ……さ…い」
この時この瞬間よりヴァルネヴィアと地球の間に道が開いた。そしてそれは喜劇の始まりであり、悲劇の終わりを告げる、ある勇者を呼び寄せる大いなる道となった。