第玖拾陸閑 漏りの中
八月。
月が八つ出る、八つも出る八月。
昨日の夜は窓から外を眺めて『ああ、月が八個も出てるなぁ』なんて思いながら、ベッドに入ったわけだけど。
それにしてもこの八月、厳密には八月七日からは、元いた世界では、二十四節気なるもので分けると“立秋”と呼ばれるわけだ。
立秋、この時季から初めて秋の気配が訪れ始めるらしい。
ただこんなものは昔の頭のいい人が、小難しいことを考えて期間に名前を付けただけに過ぎないと思う。
だって立秋を過ぎたその後でも、まだまだ体感としては夏。
秋なんで微塵も感じられない。
地球では温暖化のあおりを受けてか受けずかは知らないけど、気温もまだまだ暑いだろう。
何か変わることがあるとすれば、手紙を出す際、暑中見舞いが残暑見舞いになるくらいだ。
まあ、残暑見舞いなんて出すくらいだから、暑くて当然か。
月の数で季節の変わるこの異世界、月の魔法のおかげで暦に忠実に気候が変化するこの異世界とてそれは同じ。
というか忠実に変化してるからこそ、か。ラヴが六月~八月は夏だと言ってたっけ。
と言うわけで、まだまだ季節は夏。暑さはご健在。
暑さがご健在なんて言うと、暑さ、“暑ささん”はご健在じゃなくなればどうなるんだろうか、なんて考えてしまう。
それはもちろん寒く、冷たくなるんだろうけど。
そうなってくると、健在、元気じゃなくなれば冷たくなるのは、“人間”も“暑ささん”も同じなんだな。
とかそんなことを考えつつ、森の中を歩く。
森に中に入れば、暑さも多少は和らぐ。川の水の流れる音も、とても涼しげだ。
川の水面に反射した日の光を浴びて、いっそう鮮やかに新緑が輝く森。
木漏れ日の中で、小鳥たちが楽しそうにさえずる森。
この森を“五・七・五”風で言うならば『日の光浴びて輝く森の中』『木漏れ日に小鳥さえずる森の中』みたいな感じだろうか……。
とまあ、そんな森の中を貫き流れる川に沿って、エメラダに教えて貰った、絶好の釣りポイントを目指す、俺、ネネネ、ルージュ、クゥの四人。
「のぉアスタ」
俺の首にまたがっているルージュが、俺の頭をポンポンと叩く。
「ん? どうしたルージュ」
「おぬしその首に付けておる輪っかは何じゃ?」
釣りではなく、吊りにでも行くのかの? と彼女。
「いや、自殺するために森に来たわけじゃないから」
首を吊るための絶好のポイントなんて、目指してない。
それにこの森は、自殺するような重々しい雰囲気の森じゃない。
軽々しい雰囲気の森っていうのもよく分からないけど。
ああ、あれか。木々が鬱蒼としていて、日の光が遮られている暗い森じゃなくて、空が見えていて、木漏れ日で明るい森か。
なら光が遮られて、重々しい雰囲気の暗い森は森でいいとして。
木漏れ日で明るく軽々しい森は、漢字を『漏り』に変更するべきだ。
とにかくこの森は、『森』じゃなくて『漏り』だ。
「これのせいで下半身が少しむずむずするんじゃがの」
俺の肩の上で、居心地悪そうにゴソゴソと動くルージュ。
ふむ、そう言えばそんなものを付けていたことを、付けられていたことを、すっかり忘れていた。
「それはあれだよ、エメラダに付けられたんだ」
「ほう」
「首輪だってさ」
「なんじゃと!? あのエルフっ娘、ワシのアスタにマーキングをするなど、由々しき、許し難き事態じゃ!」
マーキングって……そう言われると、何だか犬におしっこでも引っ掛けられたみたいに聞こえるんだけど。
まあ今の俺達の状態を考えると、それはそれであながち間違いでもないのか……。
俺とルージュとクゥ、合体しながら歩いてるしな、うん。
合体って言っても、地面と水平に、小さい頃やった電車ごっこのような合体ならまだ可愛かったけど、そうじゃない。
地面と垂直に、いわゆる肩車で、まるでトーテムポールのように電柱のように、俺達は合体していた。
「そそり立ってますのねまおーさま」
前を歩くネネネが、振り返り言う。
「そそり立ってはない、そびえ立ってるんだ」
順番としては下からクゥ、俺、ルージュ。
だから正確に言うならば、ネネネを抜いて、歩いているのはクゥだけだ。
俺とルージュはその上に乗っかってるだけ。
と言うかマーキングとか言われた後に、こんな状態で『状』の字なんか見たら、電柱と犬の図にしか見えない。
『|犬』と、なんら変わりない。そしてこう書いて『マーキング』と読むんだろう。『|犬』
本当に犬のクゥまでいるし……。
まあ、どうしてこんな状態、こんな事態になってしまったかと言うとだ。
森に入る前、いつもどおり俺がルージュを肩車しているのを見て、クゥが『ボクもするのだ!』と言い出したからだ。
そして言うが早いか、彼女はルージュを肩車している俺を、肩車したのだ。
今更、どれだけ力があるんだ!? とは驚かなかった。
でも『ボクもするのだ!』という言葉の意味するところが、“担いでほしい”じゃなくて“担ぎたい”という意味だったことには驚いた。
まあ俺としては、クゥの耳をクニュクニュ触り放題だから、何でもいいんだけど……グヘヘ。
「まぁ首輪のことはええわい」
とルージュは言う。
いいのかよ。由々しき、許し難き事態じゃなかったのか。
「そんなことよりも、なぜ毛玉まで付いて来るんじゃ」
そんなルージュの問いに
「ボクもお魚さん食べたいのだ!」
クゥは俺達を担いでいることなど忘れているかのように、軽く両手を振り上げながら元気にそう答えた。
「食べるだけなら別に来んでもええじゃろうが、城で大人しくしとればええじゃろうが。おぬしの食べる分の魚なら、ワシがしっかり釣って帰ってやるわい」
「本当なのだ?」
「ああ本当じゃ。しかも一番大きいのを釣って来てやるわい」
ルージュは何とか言いくるめて、クゥを城に戻そうと試みる。
妖しく微笑んでいるのが、見なくても容易に想像出来る。
「大きいのだ?」
「おおそうじゃ、一番大きいのじゃ。なんたってワシはあれじゃからの、ほれ、あのー魚釣り名人じゃからのぉ」
初耳だ。と言うか絶対嘘だろそれ。
嘘つくにしても、もう少しまともな嘘をつけよ。
嘘つきというより、嘘過ぎだよ。
「盲人なのだ?」
「いや見えるとも、見えとるとも」
心の目で釣りをするわけじゃないわい、とルージュ。
心の目で釣りをする方が、何だか名人っぽいような気もしないでもないけど。
「とにかくじゃ、おぬしの分の魚はワシが釣ってきてやるから、おぬしはおとなしく城に帰れ」
ルージュにそう言われ、う~んと考えるクゥ。
「どうしようなのだ~? そうしようなのだ~?」
え、そうしちゃうのクゥちゃん……。
もう森に入って結構経ってるよ? 目的地までもうすぐだよ?
「そうじゃ、そうしておけ」
「こうするのだ!」
「どうじゃよ!」
ルージュはまるで俺のように、盛大にツッコみを入れた。
頑張れば新しいコンビが生まれるかもしれない。
「ボクも行くのだ! やっぱり自分でお魚さん捕りたいのだ!」
捕るんじゃないんだよ、釣るんだよクゥちゃん。
「なぜじゃ! 話の分からん毛玉じゃな!」
ネネネのようにうまく扱えずに、とうとう大きな声を出すルージュ。
おバカも行き過ぎると扱いきれない。騙せるようで、騙せない。
「玉は玉らしくうまく丸め込まれて、丸まっておればよいものを!」
「毛玉じゃないのだ!」
「は? じゃったら何じゃ? 元気玉か?」
「元気なのだ!」
「話にならんの」
「歯無しにはならないのだ。ボクの歯は凄いのだ!」
「はぁ……誰もそんなことは言っとらんわい……」
呆れたと言うように、俺の頭にしなだれかかるルージュ。
「まぁまぁルージュ、いいじゃないか。それにしても今日の朝も思ったけど、ホント仲良いなお前たちは。まあ喧嘩するほど仲が良いって言うからな」
「仲がいいのだ!」
「アホ言え、喧嘩するほど仲違いの間違いじゃろ」
とか言いつつも、結局それ以上は文句を言わないルージュだった。




