第玖拾壱閑 ラヴ・リ・ブレイブリアの場合 丁
「分かればよし。はい、じゃあもうこのお話は、私の過去をほじくるのは、もうおしまい」
ラヴはポンッと手を打った。
「さぁ、次は――」
「ああラヴ、言わなくても分かってるよ。次はあれだろ? ラヴのへそをほじくる! ぎゃっ――!」
案の定俺は頬に傷を負った。
「どうしてそう命を賭すわけ?」
「そこにへそがあるからさ。いてててて」
当たり前の作業のように、エメラダの薬を頬に塗りながら俺は言った。
まるで名言でも吐いたかのように、低くカッコいい声で言った。
「はぁ……もう死ね何て言わないわ、生きろ! 生きてその恥を晒しまくりなさい!」
「いや、何かもうホント、ゴメンナサイ」
早々に謝ることになってしまった……。
「でもさラヴ、次って何だよ。ちゃんと言ってもらわないと、俺もわからな――」
「アンタが遮ったんでしょ!?」
そうだっけか? 物忘れが酷いな。
もしかしてアレか? えーっと何だ、弱酸性アルツハイマー? いや、そんなどっかのボディーソープみたいなやつじゃなくて……ああそうそう、若年性アルツハイマー。
まあそれが何か、よくは知らないけど。
「次は、私の質問に答えてって言おうとしたのよ」
「質問?」
「そうよ、家族ってどんなのって、私聞いたわよね?」
「あ、あぁあぁ、あ~……そうだったな」
そう言えばそうだった。
そんなこと、うっかり、しっかり、すっかり、ちゃっかり、忘れていた。
「アンタまさか忘れてた、何て言わないでしょうね?」
「そ、そんなわけないだろ? ほんと、バカだなラヴは。はははは」
かっきり、くっきり、すっきり、はっきり、忘れていた。
完全に、忘れていた。
クリアランスセールが、透明の槍を売っているわけじゃないっていうのは、覚えてたのに。
「誰がバカよ。何でもいいけど教えてよ、家族ってどんなの?」
ラヴは自分の過去を語っているときよりもまじめな顔をして、三度俺に問いかけた。
長い長い金髪のポニーテイルを体の前に持って来て、弄くりながら。
女性が髪の毛を弄くってるのは欲求不満の表れだとか、にわかに信じがたい情報が世間では流れてたけど、それを信じるならば、今のラヴは欲求不満なんだろうか。
欲しくて欲しくてたまらないんだろうか。
熱くて。
大きな。
俺の。
答えが。
でも俺に、そんな夢のように大きくて、本気な熱い答えが、出せるだろうか。
「家族ねぇ……」
家族がどんな感じと聞かれてもな……いまいち答え辛いと言うか、何と言うか。
分からないって言うのが、正直なところかもしれない。
生まれたときから当たり前のようにそこにいたから、そんなこと考えもしなかったことだし。
まあこんなことラヴの前では口が裂けても言えないけど。
そもそも口が裂けたら言えないけど。
とにかく、当たり前が当たり前じゃない人間に、当たり前がどんなものなのかを伝えるのは、当たり前が当たり前な側の人間からすると酷く難しい。
もし生まれつき耳が聞こえない人に、目が見えない人に、聞こえるって、見えるって、どんな感覚? って聞かれたとしても、聞こえるのが、見えるのが、当たり前の俺には、きっと何も答えられない。
ただの十八歳でしかない俺には、そういうものだという認識しかないんだから。
答えられるとすれば、聞こえるのが聴覚で、見えるのが視覚だ、くらいだろう。
そしてその後に『そういえば俺、小さいときに人間には触覚があるって聞いたとき、昆虫についてる触角と勘違いして、自分にはそんなのもがないって、泣いたことがあったらしいんだよね』なんて、くだらないトークを繰り広げるので精一杯だ。
だからと言って、答えないわけにもいかない。
ラヴは俺の答えが欲しくて欲しくて、欲求不満でたまらないんだ。
この場合『欲』という字は『答欠』と書くのかもしれなかった。
『答欠』つまり『答欠求不満』
「どんなもの、か……」
「そういえば、アンタも小さい頃から両親がいなかったんだったわよね?」
「え? あ、ああ……」
そういえばそうだったか。いや、それは俺じゃなくて魔王のことだけど。
ゲイルが確か、幼くして両親を失っただとか何とか言ってた気がするな。
「ならアンタに聞いても、アンタも分からなかったりするの?」
「そ、そんなことはない」
まあ、分からないって言うのは、そのとおりなんだけど……。
「本当かしら?」
訝しげな目で俺を見つめるラヴ。
「ほ、ほんとだよ! 今すぐ教えてあげるから、大船に乗ったつもりで待っていてくれたまえ」
「泥舟の間違えじゃない?」
「ならなおさら安全だ。泥舟はそもそも浮かないから、乗ることもない」
不安すらない。そもそも何もないんだから。
「それって、最初からアンタに聞くなって事じゃないの?」
「ギクリ……」
確かにそういう解釈が、出来なくもない。
「ま、まあラヴ、そう急かすなって、ちょっと待っててくれ」
はてさて、家族、家族とはどんなものか。
どんなものだっかかな……。
ひとまず、俺の家族のことを思い出してみる。
「……」
がしかしそれにしても、何も浮かんでこないな……結構それなりに、順風満帆な十八年をおくってきたつもりだったけど。
家族ともまあまあうまくやってきたつもりだったけど。
特に何も思い出せない。
どうしてかは考えるまでもなかった。
異世界で暮らしたたった数ヶ月の方が、俺が元の世界で歩んできた十八年よりも、濃いからだ。
濃い、圧倒的に濃い。
それまでの十八年間を捨て、今までいた場所を捨て、たった数ヶ月の異世界に戻りたいと思ったほどに、すがりついたほどに。
濃い。
恋でもなければ鯉でもないけど、故意ではあったし請いもした。
十八年間の家族との思い出よりも……。
「そうだ!」




