第捌拾捌閑 ラヴ・リ・ブレイブリアの場合 甲
「痛いよラヴ」
両頬が痛い。
相変わらず食事の間。
俺はテーブルの上のカゴに積み上げられていた、薬草入りパンを貪りながら、目の前にいる彼女に聞こえるようにそう呟いた。
きっと鏡を見れば、両頬から流れ出した血のおかげで顔に模様が入って、少しは魔王らしく、いかつくなっているんじゃないかと思う。
こう、なんて言うかな、よくあるような細長い逆三角形のあんな模様。
ちょっとかっこいい……いや、そうでもないか……。
そんなことよりも、とにかくまず言いたい。
「痛い」
「し、知らないわよ! アンタが悪いんでしょ!? 私は謝らないし、誤ってもないわ」
確かに俺が悪かったかもしれないけど、それだけで両頬を切るとかやりすぎだと思う。
それは誤ってるし、謝っても欲しい気分だ。
大体なぜいつも頬なのか。
「まあいいんだけどね」
「いいんだけどね、じゃないの、アンタが悪いの」
ラヴは少し申し訳なさそうな顔をしながら、そう言った。
ノリツッコミもそうだけど、そんな顔をするなら初めからやらなければいいのに、と思う。
本当に不器用で素直じゃなく、優しくて、人を傷つけるのに向いていない。
「そんなに気にしなくてもいいよラヴ」
「べ、別に気にしてなんか――」
「でも気をつけた方がいい」
何を、とラヴは右に軽く首を傾ける。
「俺を殺さないように、だ」
どうして、と彼女は、今度は左に少し首を傾ける。
「だってラヴは俺がいないと生きていけない。いてて」
俺は、エメラダが置いて行った緑の薬を頬に塗りつつそう言った。
「なっ、は? アンタがいないと私は生きていけない?」
「そう」
「い、いいいい、意味が分からないわ! アンタなんかいなくたって私は生きていけるわよ! な、何なら、今すぐここで殺してあげてもいいわよ!?」
動揺したように椅子から立ち上がり、剣をブンブンと振り回すラブ。
「ひぃっ!! ちょ、ちょっと落ち着けってラヴ。俺の言い方が悪かったかもしれない」
かもしれないじゃない、確実に言い方が悪かった。
「俺が言いたかったのは、俺がいないと、ラヴは勇者として生きていけないってことだよ」
「は、はぁ? それでもまったく意味が分からないわ!」
「だから落ち着けって、一度座って冷静になれ」
「私はいつも冷静よ、精霊くらい冷静よ」
なら精霊ってやつは、相当慌ただしいんだな……。
「で、もう一度言ってみなさい。回答によってはアンタは殺よ」
と、椅子に座り、ひとまず落ち着いた様子のラヴ。
「だからさ、まあ一から説明するとだな。ラヴ、勇者に必要なもの、勇者が勇者になるための条件って何だ?」
「それは……」
少し考えた末に、彼女が出した答えは。
「友情、努力、勝利かしら?」
どこの少年漫画だ……。
「まぁ確かにそれも必要かもしれないけど」
いや必要なのか? ま、そんなことはどうでもいいか。
「まず勇者に必要なのは、敵、悪だ」
明確な敵、絶対的な悪。
「灰汁?」
「違う、悪だ」
まあ……取り除くべきものという意味では、同じかもしれないけど。
「勇者が勇者であるためには、何よりも先に敵、悪が必要なんだ。だって勇者が勇者と呼ばれるためには、人々にそう言わしめるだけの功績を残さないといけないだろ?」
「ええそうね」
「そして世界が、人々が勇者に求める功績は?」
「敵の、悪の退治」
ラヴは俺の問いにそう答えた。
「そのとおり」
人々は勇者に、共通の敵の、悪の排除を求めている。
「そして勇者ラヴの敵、この世界の悪は、俺だ」
今のセリフの前に『きっと』という言葉をつけたかった。
だって俺は別にラヴと敵対関係にあるとは思っていないし、大体人々の魔王の扱いからして、本当にこの世界の悪なのか、まったく持って疑問だからだ。
会うやつ全員に、魔物人間関係なく、バカ呼ばわりされるし……。
「だから私には、アンタがいないと勇者として生きていけないと、勇者として成り立たないと、そういうことね」
俺は無言で頷いた。
「でも……」
ラヴはそう言って考え事をするように腕を組む。
無い胸の前で腕を組む。
「でもそれって、悪が、敵が、私で言うところのアンタが、魔王が、生まれてなかったら成り立たないってだけで、別にアンタが今からいなくなっても、私は勇者として成り立つわよね?」
むしろアンタがいなくならないと、私は本当の意味での勇者になれないじゃない、と彼女は言った。
確かにそのとおりだ、誰一人敵がいなければ勇者にはなれないけど、一度敵が現れた後にその敵がいなくなったとしても、それを倒したのが勇者なら勇者は勇者足りえる。
つまりこの話は、まったく、全然、これっぽっちも、『俺を殺さないように気をつける理由』にはなっていない。 むしろその逆だった。
「あー危なかった、もう少しで騙されるところだったわ」
くそ……やっぱりラヴは騙せないか……。
俺が騙せるのはせいぜいネネネ……いやネネネの方がむしろ騙せないような気がする。
あいつは既に、騙すとか騙されるとかいう次元に収まりきっていない。
なら後俺が騙せそうなのは、クゥくらいか。
あ、でもそのクゥにも、この前嘘を看破されたんだったっけ?
しっぽ扇風機で、寒波を起こそうとしたとき。
いや、寒波までは起こそうとはしていないけど。
微風、尾風だけだけど。
「でもさラヴ」
「なに?」
「いや、そうなってくると、ラヴって自称勇者だねって」
自己紹介でこの金髪碧眼貧乳美人は、散々勇者を名乗ってきたわけだけど、よくよく考えれば、彼女はまだ敵である俺を倒してはいないのだから。
「なっ、誰が自称勇者よ! 何? そんなに死にたいわけ? そんなに殺して欲しいわけ? 分かったわ、やってあげる――いたっ」
「どうした?」
「切れた!」
俺に向かってバッと手の平を突き出すラヴ。その一指し指からは、うっすらと血が出ていた。
勇者が剣を振り回して、自分で自分の指を切るなんて……。
つまりあれか。
「自傷勇者と……」
はいはい、メモメモ。
「だ、黙りなさい! 薬を貸して!」
「ハイどうぞ」
俺は差し出されたラヴの手に、緑の液体が入った小瓶を乗せた。
「あっ! ありがとうっ!」
こんなに怒ってお礼を言われたのは、初めてだ。
「なあラヴ、一つ聞いていいか?」
俺は話を逸らす意味も込めて、指に薬を塗っているラヴに問いかけた。
「何よ、まだ何かあるの?」
「あのさ、どうしてラヴは勇者になったんだ?」
例え自称だとしても、こんな少女が危険を冒して、険しいと承知で、冒険に出た理由は何だ?
それこそ自傷行為だ。
魔王を殺しに来た理由は?
何か魔王に、それほどまでの恨みがあったのだろうか。
そんなことを考えていた俺に、ラヴは
「別に私だって、なりたくて勇者になったわけじゃないわよ」
と、薬を塗る片手間に、特に気にする風もなく、さらっとそう言った。




