第捌拾漆閑 ウルトラヴァイオレット
「で、ラヴこそ、どうしてそんなにぐったりしてるんだ?」
「見れば分かるでしょ? 日焼けのせいよ」
言われて気付いた、ラヴの真っ白だった腕や顔は、今や真っ赤になっていた。
「服が擦れるだけでも痛いの、だから動きたくないのよ」
ふむ、服が擦れて痛い。
そんなにか? そんなに日焼けしたのか?
確かに俺も軽く日焼けした感じはあるけど、うっすら赤いけど、痛みとかを感じるほどではない。
ま、こればっかりは個人差があるか。
しかしいいことを聞いたな。
これはもう触るしかない……グヘヘ。
そんな俺の悪巧みを知ってか知らずか、ラヴは
「触ったら殺すわよ」
と、俺に睨みをきかせた。
そんなことを言われたら、ますます触らずにはいられない。
それはフリってやつだよラヴ。
「えい」
テーブルの上に投げ出された彼女の腕をつついてみる。
「ぎゃあっ!? 触るなって言ったでしょう!?」
「その割には逃げないじゃないか」
「だからあまり動きたくないのよ!」
「そんなこと言って、実はもっと触って欲しいんだろ? 痛めつけて欲しいんだろ?」
それ、と、今度はラヴの真っ赤な腕を軽く握る。
「あっいっ、やっやめなさいって!」
そしてゆっくりと上下にさする。
「いぎゃぁぁぁぁ! 痛い、痛い痛いってば!」
はっはっはっは! 昨日俺を浮き輪代わりにした罰だ!
「……」
ふと横を見ると、ラヴが叫ぶのに興味を持ったのか、エメラダがゆっくりとラヴに手を伸ばしていた。
「し、師匠何を……?」
そしてエメラダは、ラヴの腕につついと人差し指を這わせた。
「ひぃぃぃぃ! し、師匠まで! やめてください!」
ラヴは痛い痛いとうっすら涙目で叫ぶがしかし、俺一人でやっているならまだしも、師匠であるエメラダまでやっているので、どうにも強く言えない模様。
「ち、ちょっと魔王アンタ後で覚えてなさ、痛い、よ! 大体師匠はどうしてそんなにへ、痛い、きなんですか!?」
「薬塗った……」
「え? 薬なんてあったんですか!?」
ラヴが目を丸くして驚いたような声を上げる。
「薬って、日焼け止めか何かか?」
でも海に行ったとき、そんなものを塗っていただろうか?
「……?」
エメラダは俺の質問に、無言で首を傾げた。
「痛みを抑える薬……」
そう言ってエメラダは、懐から緑の液体が入った小瓶を取り出した。
「ああ、そう言うことか」
海で俺の傷口に塗りこんでくれた、あの薬。
そんなことにも効くのか、薬草って万能だな。
薬だけじゃなくて、食べ物にも使えるし。
まあこれはエメラダの知識あってのことだろうけど。
「あ、あのぉ師匠? それ、いただいてもいいですか?」
「……」
エメラダは頷くと、ラヴに薬の入った小瓶を渡す。
どうして最初から渡してやらなかったのかと思わなくもないが、散々ラヴを痛めつけ遊んだ俺が言うようなことではない。
「ありがとうございます」
ラヴは渡された薬を手に取り、慎重に腕やら脚やらに塗りつけ始める。
と言うか、そんな薬があるなら、俺にも教えておいて欲しかった。
回復したラヴに、この後何をされるか分からない。
作戦的には、回復までに時間がかかって、動けるようになった頃にはある程度ほとぼりが冷めているであろう作戦、時が解決してくれるであろう作戦、名づけて『時かけ作戦』だったのに。
「魔王アンタは殺だから」
「あ、あははは……」
そんな俺の作戦は、エメラダの薬のおかげで破綻した。
もうどれだけ叫ぼうと時間は止まってはくれないし、過去にも戻れない。
今日も一日張り合いがありそうだな、うん。
そういえば、エメラダもこの薬を、痛み止めを塗ったってことは、多少なりにも日焼けして痛かったってことだよな。
そう思い、隣にいるエメラダの腕を見てみると、彼女の腕もよく見ないと分からない程度にうっすらと赤くなっていた。
そりゃ、あれだけ炎天下の中日焼け止めも塗らずにいて、日焼けしない方がどうかしてる。
ましてやあの真っ白な肌だ。
とか思っていると、エメラダはスッと席を立った。
「畑に水やりに行くのか?」
「……」
俺の問いにエメラダはコクコクと頷くと、出口に向かって歩き始める。
俺はラヴのことで懲りもせず、エメラダの腕に手を伸ばし、人差し指でちょんとつついてみた。
「ひゃん」
言った。彼女は言った。
そのまま何事もなかったかのように、食事の間を出て行ったけど、確かに言った。
いつもどおり平坦な声だったけど、確実に言った。
『ひゃん』と。
可愛い。
そんなことを思っていられるのも、束の間だった。
「ちょっとアンタ! 師匠になんてことしてるのよ!」
ラヴの怒声と殺気が俺に降りかかる。
「ひぃぃぃぃ! ら、ラヴさん、もう動いてもいいんですか!?」
「まだよ! けどこの薬凄く良く効くわ、スーッとしてほてりが取れていく。回復してアンタを殺すのも時間の問題よ! 覚悟しなさい!」
ラヴは服の中に手をつっこみ、体に薬を塗りながらそう言う。
おへそがチラ見えだ。
「ちょっとこっち見ないでくれる!? 変態!」
ならこんな所で塗るなとか、今の立場上言えない。
「ラヴさん、背中に手届くか? なんなら俺が塗ってやるけど」
媚も売れて、背中も拝めて、更に触れられるとか、一石二鳥どころじゃない……グヘヘ。
「そうね、まあ届かないこともないけど、塗りにくいしお願いしようかしら」
「よしわかった」
と、椅子から立ち上がりかけたがしかし
「いや、やっぱりやめておくわ」
ラヴのその言葉に、俺は再び椅子に体重を預けた。
「どうしてだよ」
「だってアンタどうせ塗る振りして、私の背中引っ叩くつもりでしょ!?」
「いや、そんなつもりは――」
「嘘よ! 近寄らないで!」
言われなければ、そんなことまったく考えも付かなかったことなのに。
言われれば、気づいてしまえば、知ってしまえば、やりたくなってくるじゃないか。
やっぱりこれはフリなのか?
とは思ったけど
「自分で塗るからいい! 向こう向いといて! こっち見たら絶対殺すから!」
真剣な顔をして、腰の真剣の柄に手をやるラヴ。
どうやら本気らしい。
まあ取りようによっては、芸人が、素人に過剰なフリをしているという風にも取れなくもないけど。
「はいはい」
俺はおとなしく、ラヴに背を向けた。
待つことしばらく。
「塗り終わったわ、もうこっち向いてもいいわよ」
その言葉は、同時に俺への死刑宣告でもあった。
俺がラヴの方を振り向いた瞬間
「殺よ!」
俺の右頬を勇者の剣の切っ先が走り抜けた。
「いぃぃぃぃてぇぇぇぇ!!」
大体さっきから思ってたんだけど、『殺』って何だ!? 『おこ』の上位互換か何かですか!?
「今のは師匠の分! 次は私の分よ!」
今度は左頬に勇者の剣がバタフライした。
「ごめんなさぁぁぁぁいぃぃぃぃ!!」
俺の精神も、飛び立てそうだった。