第捌拾閑 ラヴちゃんはあんよがお上手
と、そんなこんなで、ラヴに泳ぎを教えるべく、ようやく海の中へ。
準備体操をしようかとも一瞬考えたけど、もう十分なくらいに暴れたのを思い出したのでやめておいた。
で、海の中に入ったのはいいんだけど……。
「ラヴ、いったい君は何してるの?」
彼女は対面した状態で両手で俺の二の腕をがっしりと掴み、両脚で俺の体をがっちりとホールド。
嫌そうな顔をして極力体と顔を離してはいるが、手足だけはしっかりと俺の体を捕らえている。
そのせいで俺は上半身の身動きが、全く取れない。
「放せよ」
「嫌!」
さっきとは、立場が逆転していた。
「これじゃ動けないだろ。と言うか、泳げないだろ」
「嫌よ! 沈むもの!」
「沈んでも足が付くんだよ!」
そう、俺達が今いる場所は、立てば簡単に足の着く場所、胸の辺りくらいまでの深さの場所だ。
むしろ沈んだ方が好都合。
だって立てるんだから。
「嫌よ、放さないわ」
俺のことを放さない。状況が状況なら、ラヴのセリフは何と素敵なセリフだろうか。
でも今はそんな良い感じの状況ではない。
「はぁ……」
これじゃあ泳ぎ始める以前の問題だろ。
「あのなあラヴ、見てみろ。クゥもエメラダも泳いでるぞ、お前もああなりたいんだろ?」
「たーのしいのだー!!」
「……」
近くで楽しそうに泳ぐクゥと、相変わらず楽しいのかよく分からないエメラダ。
「ねぇ魔王、クゥニャと師匠は、本当に泳いでると言えるの?」
「うぅん……」
まぁクゥは犬かきだし、エメラダは浮いてるだけだけど……。
「い、一応泳いでるんじゃないか?」
残りの二人は水の中にすらいないからな……。
「とにかく、人は浮くんだ。とりあえず手は繋いでおいてやるから自分で立て」
「……分かったわよ」
俺が両手を差し出すと、彼女はそれをぎゅっと握り、恐る恐る俺の腰から足を解き、地に立った。
さて、次はどうするべきか……と、小学生の頃を思い出してみたりしてみる。
水に顔をつけるのは、別に怖くないと言うことだったので……。
「じゃあまずは、つかまったままバタ足だな」
俺がそう言うと、ラヴは水面と水平に浮き上がり、パシャパシャと水面を蹴り始める。
「は~いラヴちゃん、あんよじょうじゅでちゅね~」
「……は、放さないでよ」
「ああ、俺は君を一生放さないよ」
なんて、今は何を言おうが、背景にバラをばら撒こうが怒られない。
もし俺に危害を加えようものなら、ラヴは大事な浮き輪を失うことになるからだ。
それにしても何だよ、ちゃんと浮けるじゃないか。
それに引き締まった体だけあって、しっかり水も蹴れていて、上手くバタ足も出来ている。
それなのに、それなのにどうして
「きゃあ、ちょっと! ちゃんと持っててって言ったでしょ!」
こう……少し力を抜くだけで、ゆっくり沈んで行くのだろう……。
「ああ、ごめんごめん」
「もう!」
少し恨めしそうに俺を睨む彼女。
その頬に伝うのが、水なのか、涙なのか……俺には分からなかった。
とか言ってみる。
「よし、じゃあ次は俺が引っ張るから、そのままバタ足続けてろよ」
「……」
ラヴは真剣な面持ちでゴクリと唾を飲み込み、頷いた。
俺はラヴの手を引き、後ろ向きに歩き始める。
「ほらラヴ、もっと力抜いて、腕伸ばして」
俺は徐々に歩くスピードを速めていく。
スピードが速くなるにつれて、ラヴの長い長い金のポニーテイルが、蛇のようにウネウネと水面を流れ始める。
「それじゃあこのまま顔をつけて」
「わかったわ」
ラヴは意を決したような表情で、水に顔をつけた。
「ぱぁ」
何度も何度も息継ぎを繰り返すラヴ。
「おおいいぞラヴ、泳げてるんじゃないか」
「ほ、本当に!? 私泳げてる!?」
と、彼女は目を輝かす。
「ああ」
まぁ俺の手を掴んでる以上、本来の意味で泳げてるとは言えないけど。
このまま手を放したら、そのまま泳いで行けるというパターンなんだろうか。
自転車なんかでも、放さないで放さないでと言いつつも、放されていることに気付かず、一人で運転できた。みたいなエピソードもあるしな。
俺はそう思いラヴの手を放したがしかし、ラヴは俺の両手をがっちりと掴んで放さなかった。
「ストップ! ストーップ! ちょっと待てラヴ」
「何よ」
「手を放せ」
「嫌よ、沈むじゃない」
そんな、何当たり前のことを言ってるの、みたいなトーンで言われてもね。
「それじゃあいつまで経っても、一人で泳げるようにならないぞ」
「別にいいわ。泳ぎたくなったらアンタを連れて来て、こうして引っ張って貰えばいいだけだもの」
「いいだけだもの、じゃねえ! 俺は浮き輪か!」
何だろう、こんな綺麗なビーチで金髪碧眼の美少女の手を握り泳ぐ、そんな文面だけ見れば素晴らしいシュチュエーションのはずなのに、何か違う。
こんなシュチュエーションでドキドキしちゃうのが夏の暑さのせいなら、こんなシュチュエーションでドキドキしちゃわないのは、いったい何のせいだって言うんだ。
いったい何の聖だ、どんな聖だ。
まったくとんだ聖人君子だよ。
「何だよ、ラヴはそんなに俺のことがすき――」
「らいよ」
ですよね……。
「ねぇ魔王、そんなことはどうでもいいから、早く引っ張ってちょうだいよ」
そんなことって……引っ叩いてやろうか。
「へぇへぇ……」
仕方ない、と、ラヴを引っ張り後ろ歩きをする俺。
「ふふん」
少し笑顔で、嬉しそうに声を漏らしたラヴ。
コイツ、一人で満足そうな顔しやがって……。
「何ジロジロ見てるのよ!」
「何でもありませんよ、お姫様」
「ふんっ、苦しゅうないわ」
溺れて苦しめ!
もういい、もう絶対許さない、後でへそさわりまくってやる……グヘヘ。
なんて言い愛しながら、いや愛はないので、ただの言い合いをしながらラヴを引っ張っていると――
 




