第漆拾玖閑 おヘソを触るとお花を摘みに行きたくなる
と言うことで俺達は海に、この輝く海に、透き通った海に、やってきたわけだ。
「おいラヴ、俺たちも泳ぎに行こうぜ?」
「……」
既に俺とラヴ以外は海の中。
少し遠くで、波の音に混じって彼女たちの楽しそうな声が聞こえる。
いやネネネとルージュについては、海の“中”と言ってしまっていいんだろうか……?
「早く返しなさいですの!!」
「遅い! 遅いぞ年増! はようせんと乳がどんどん垂れ下がってしまうぞ!」
「キィィィィ!!」」
あいつら、本当に水上を走って追いかけっこしてるんだよな……。
ルージュはネネネの巻貝水着を持って、ネネネは乳を持たずに。
どんだけ浮いてるんだよ、どんな死海だよって。
まぁ今更驚くことでもないんだけどさ。
「なぁラヴ、聞いてるのか?」
「……」
なぜか無言で固まり、砂浜に立ち尽くすラヴ。
「おいどうしたんだよラヴ! ラヴって!」
「あ……あう……む、むね……タユンタユン……」
彼女はうわ言のように、たゆんたゆん、と繰り返す。
ああはいはいなるほど。ネネネの乳を見て、放心状態になっているというわけか。
「ラヴよ、別に胸なんて大きければいいってもんじゃないぞ? ラヴだって胸はないけど、いい体を持ってるじゃないか」
ほんとに。この引き締まったお腹に、キメの細やかな肌、何と言っても縦にしゅっとした綺麗なおへそ。
「……」
「う~む」
仕方ない、放心状態なら好都合。今のうちにラヴのおへそでも観察しておくか。
気付かれないのをいいことに、お腹すれすれまで顔を近づけ、ラヴのおへその観察日記をつける俺。
夏休みの課題、自由研究にでもしようか。
『ラヴちゃんのおへそ日記』
「ふむふむ」
いやあ、本当に綺麗だ。
「ほうほう」
いやあ、本当に美しい。
「どれどれ」
いよぉ、それ!
「ちょんちょん」
ラヴのおへそをつついてみる。
「ひゃん! ちょ、ちょっと何してるのよ変態!!」
「いや、おへそが綺麗だからつい……」
「つい、じゃないわ……っよ!!」
「ぐほっ……ぅぅ」
ラヴさん……おへそをグーパンチでつつくのはどうかと思いますよ……?
「お花摘みに行きたくなったらどうするのよ!?」
お花摘みに!?
「え……お花なんて摘みに行くの?」
どうして? せっかく海に来たのに? まあいいけど。
「じゃあ俺も一緒に行こうか?」
「一緒になんて行かないわよ、行けないわよ!」
「え? どうしてだよ、お花摘み行くんだろ? 俺も行くよ」
「やめて、もうやめて……何だか凄く恥ずかしくなってきた、……そうね、そうよ、私が悪かったわよ……変態に見栄を張った私が……」
なぜか急に顔をまっ赤にさせ、ぶつぶつと何かを呟くラヴ。
「どうしたラヴ? お花、一緒に摘みに行こうぜ」
「うるさい黙れこの変態が! お花摘みに行くっていうのは、おトイレに行くっていうことなの!」
「え?」
お花摘みに行くが? おトイレに行く?
何だよその隠語、隠語というか暗号?
全然分からないよ、『お』しか合ってないじゃないか。
せめて音入れに行く、くらいにしておいてもらわないと。
まあトイレにレコーディングに行くとか、一体全体何の音を収録しに行くんだって話だけど。
「つまりラヴは、おトイレに行きたくなったらどうするの、って言いたかったわけだ」
「そうよ、何度も言わないで」
ふむふむそうかそうか、確かにおへそを触るとトイレに行きたくなるよな。
「仕方ない、なら俺が連れて行ってやる。よっと」
俺はラヴちゃんをひょいと持ち上げ、お姫様抱っこをし、そのまま海へと一目散。
女の子だからやっぱり軽い。
「きゃっ、ちょ、ちょっと何するのよ! 放しなさいよ!」
「まぁまぁそう遠慮するなって」
「ちょ、そう言うことじゃないの! 早く放して!」
「いてっ、痛い、痛いってラヴ」
ポカポカと、なんて言ったら可愛い過ぎるか……。
ボコボコと、俺を殴りつけるラヴ。
「こら、そんな暴れるな! 痛いだろ!」
「だったらさっさと放しなさい!」
海が近づくにつれ、どんどんジタバタと動きが激しくなっていく。
活きがいいなんてもんじゃない。
「うおっとっと」
それでも放さない俺は、彼女を取り落とさない俺は、まさに紳士だった。
「放せって言ってるでしょうがっ!!」
「ゴホォッ……」
ラヴの拳は俺に痛恨の一撃を与えた。
だからさラヴちゃん……グーパンチでおへそをちょんちょんするのは、やめて……。
しかしそれでも止まらずにラヴを抱え海へひた走る俺は、やっぱり紳士だった。
「ちょっと、本当に放して! 止まって! いや、いやぁ!」
「どうしたラヴ、そんなに俺のことが嫌いか!?」
「嫌いよ!」
こんなときにだけ素直なやつだ……。
「嫌いだけど、今は違うの! お願いだから止まって! …………わ、私、泳げないのよ!」
ラヴがそう叫んだときだった。
世界が一瞬静止……。
は、しなかったけど、俺の足は停止した。
「え?」
今、泳げないって言った?
ラヴが? 勇者が?
いやいやまさかそんなわけあるかよ、聞き間違いに違いない。
「ごめんラヴ、もう一回言ってくれる?」
「……私は、お、おお、泳げないのよ」
俺の腕の中で縮こまり、俯きながらそう呟いたラヴ。
かぁーいい……。
「トンカチなのか?」
「カナヅチなの!」
ああそうか、まぁどっちも同じような気も、しないでもないけど。
「いや、カナヅチかどうかは分からないけど、と、とにかく泳げないの……」
なるほどね、だからあの時海に行くのを嫌がったわけだ。
その割にはノリノリで水着とか着ちゃってるけど……。
「勇者なのにどうして泳げないんだ?」
冒険に支障を来たさないんだろうか、ヘタしたら死傷を来たすだろうに。
「何よ!? 悪い?」
「いや別に、泳げないことが悪いとは思わないけど。大体泳げるから何だって話しだし」
「そ、そうよ、そのとおりよ。それに私は、船を操縦できるもの」
「え、船運転できるの?」
そうよ、と、どうだと言わんばかりに、ラヴは腕を組んでみせる。
ただ格好が格好、お姫様抱っこされてるだけに、あまり格好はついていない。
「泳ぎ方は習わなかったけど、船の操舵の仕方は完璧に教わったわ」
「それは確かに、泳げるなんかよりずっと凄いかもな」
「そ、そうでもないわよ」
とか言いながらも、お姫様はまんざらでもなさそうなご様子。
「それならラヴ、泳ぎ方は、俺が教えてやろうか?」
「本当に?」
と、一瞬目を輝かせたラヴだったが、すぐに訝しげな目で俺を見る。
「でも、アンタなんかに、泳ぎ方を教えることが出来るの?」
「うん、ある程度は……」
別に俺だって泳ぐのが上手だとか、得意だとか、そういうわけじゃないけど。
まぁ人並みには泳げるし、少しくらいコツだって教えられる。
「……ま、まあ、別に教わってあげてもいいわよ」
「やれやれ、そうですか。ならお教えさせていただきますよ」
「それはそうと、まず降ろして」
降ろさなければ三枚に下ろす、とでも言わんばかりの殺気を放つラヴ。
「はい……」
今から泳ぎ方を教わる相手を襲おうとは、とんでもないやつだ。