第漆拾肆閑 Re:アマろーぐ
目を覚まし始めに視界に入ったのは、知っていると言うか、お馴染みのと言うか、やっぱり感が半端ない、病院の天井だった。
知らない天井だとか、口が滑っても言えない。ここは間違いなく病院の天井だ。
無事天界に来れたのだろうか?
起き上がり辺りを見渡すとそこにあったのは、これまたよく知っている、白くて白くて白い、布団にベッドに床。
それを見て俺は、これはまたぞろ神が作ったくだらないセットなんだろうと、自分は天界に無事来れたのだろうと、ホッとしたがしかし……。
「……なっ!?」
窓の外の景色を見て、一気に血の気が引いた。
引くくらいに引いた。
だって……空が青くて、木が緑なんだよ!?
いやいや空が青くても、木が緑でも、そこに関しては何も問題はないんだ。
問題なのはここに景色が存在するということ……。
あの真っ白な空間の天界に、景色が存在するということだ。
まさかここは天界じゃない!? 元いた世界!?
おいおい嘘だろ……?
ほんとまったく、とんだ名ばかり主人公だよ。
まぁ、いつから自分が主人公だと思っていたのか、と問われると、それはそれで答えられないわけだけど。
とにかく天界に来れたと思っていただけに、気分はまさに天国から地獄に突き落とされたという感じだった。
元いた世界なんてもうただの地獄じゃないか。
だって逸花に飛び降りるなと言われてたにも関わらず、飛び降りたんだよ?
そうなったらあいつに何をされるか分からない。
ヘタしたら本当に足を切断されるかもしれない、本当に監禁されるかもしれない。
いや、それで済めばいいけど……。
こうなってくると、むしろ地獄のほうがまだマシなんではないだろうか、とさえ思えてくる。
これが絶望というやつだ、望みが絶たれた。
足も断たれるかもしれない、命も絶たれるかもしれない。
まあ自分から命を絶とうとしていたわけだから、今更何を言ってるんだと思われるかもしれないけど、これは違う、色々違う。
俺は異世界に旅立とうとしていただけで、別に命を絶とうと思っていたわけじゃない。
ちょっとほんとマジできつい、なんて、そんなことを考えていると、病室のドアがスライドして開かれた。
そしてそこから、病室入ってきたのは逸花――
「たっ君……」
「……なっ」
「と、呼ばれていたようですね」
――ではなく……。
「ナースさん」
一人のナースさんだった。
「お目覚めですか桜満明日太様」
俺はそのナースさんの声に、姿に、興奮した。
いや別にナースさんの声がアニメのような萌え萌えの声だったとか、ナースさんのナース然とした、コスプレのようなナース服姿に興奮したとか、そういうことじゃない。
まあナース服に少しでも興奮を覚えなかったかと言えば、多少嘘になるかもしれないけど。
とにかく入ってきたそのナースさんは普通の病院のナースさんではなく、これまでも何度も会った、天界で何度も会ったあの
「天使のナースさんだったのだ」
……興奮しすぎて、心の声を思わず声に出してしまった。
口が滑ったなんて現象、迷信か、伝説か、フィクションの中だけの出来事だと思ってたけど、実際あるもんなんだ。
「また会いましたね、桜満明日太様」
「お久しぶりです」
いや、そんなに久しくもないのか。
とにかく、彼女がいるということはここは……。
「ここは病院じゃないんですね!?」
「ふっ、何をバカなことを、何おバカなことを言ってるんです? ここは病院じゃありませんよ?」
「ふっ……やっぱりな俺の推理は正しかった! つまりここは!」
「そう、病院ではなく天界です」
ナース天使さんはそう言うと、初めて会ったときのように指をパチッと鳴らした。
それを合図に俺は上を向く。
すると予想通り、今まで天井だった部分がパカッと開いた。
そしてそこから部屋の中を覗き込む、白髪で白髭のクソじじい。
「また会ったのう桜満明日太よ」
もうこの爺さんが誰だとか、なぜこんなに巨大なのかとか、どうして天井がパカって開くのかとか、そんなあれやこれやに驚いたりはしない。
このおどろおどろしい状況に、驚いたりはしない。
「じゃがあれには驚いておったじゃろう」
神が指さしたのは、病室の窓だった。
「セットにリアリティを出すために、あそこだけリアルな絵を貼ってみたのじゃ」
絵?
絵ってあの絵?
「そうじゃ、それ、それ。その絵じゃよ」
はずしてやろう、と言う神の言葉と同時に、窓の外の景色は、ペリッという音を立ててなくなった。
なくなったというか、真っ白になった。
「どうじゃ、よく出来てるじゃろ?」
と、はずした景色の絵を見せてくる神。
「紛らわしいことするんじゃねぇよ!」
いったいどこに力を入れてるんだ!
「ほっほっほっほ、テヘッ」
このへそ出しルックならぬ、舌出しルックについては、もうツッコム気にもなれない。
「ごほん……さて、早速本題なのじゃがな桜満明日太よ」
神は小さくなることもなければ、セットを片付けることもなく、そのままの大きさで病室セットの壁の縁に手を掛け、覗き込むように話し始める。
「もう分かっておるとは思うが、今回もまたまた間違えてお主を殺してしもうたのじゃ」
「ぜっっっったい故意だね!」
どんだけ間違えて殺せば気がすむんだよ、仕事が杜撰過ぎるだろ。
「故意じゃないわい、ミスターじゃミスター」
「ミスターって何だ! ミスだろ! 勝手に性転換させんじゃねえ!」
まったくもうまったくもう。
「いやの、今日お主が入院してた病院で死者が出る予定での、そ奴を天界に連れて来ようと思うとったんじゃ。そしたらその横から異世界に帰るだの何だの、妄想を垂れ流したイタイイタイ叫び声が聞こえてきての……」
それを言われると少し恥ずかしくなってくるけど、コイツにだけは言われなくないな……。
「その妄想を聞いておったらまた殺意が沸いて来ての、間違えて殺してしもうたという訳じゃ。すまんのう」
「やっぱり故意じゃねぇか!」
相変わらずの適当さだ、こんな奴が神で本当にいいのか。
と言うか、そうなると今回も俺は死ねなかったということか?
「前に言うたじゃろう、お主が死ぬのは二十歳だと」
そうか、じゃあもし神が間違えてかどうかは微妙だけど、俺を殺していなかったら、俺はただ痛い思いをするだけで、逸花のいる地獄に戻ってただけだったのか。
「そうじゃ」
ふむ、こうなってくると俺もしっかり主人公をやれているようだな。
「まぁ今回は五階から飛び降りて、更に下はアスファルト、死ぬ気はあったようじゃが、死なない運命じゃからのう」
運命……。
ジャジャジャジャーン! ジャジャジャジャーン!
とんでもない運命だ、ベートーベンもビックリだ。
五階から飛び降りて死なないのに、寿命が二十歳までなんて……。
「今回は死ぬ覚悟も、残念ではなく異世界に行きたいという信念も、しっかりあったようですね」
そう、隣に立っている天使ナースさんは言う。
「当たり前です、俺はあいつらに会いたいですから」
異世界生活の最後が、ネネネの胸を掴んで終了とか、どうなんだよそれって感じだ。
「しかし頭の中は雑念だらけですね、やっぱりあなたは残念です」
確かに死ぬ間際に胸を掴んだという事実がある以上、それについては反論できないわけだけど……。
あれは故意ではなかったということも、分かって貰いたい。
苦しくて辛いときに、胸を触ってやるぞ……グヘヘ、何てことを考えてはいられなかったんだから。
パフパフしたところでステータスは変わらない、状態異常も回復はしない。
「まぁまぁ桜満明日太よ、そのことはもうええじゃろ。でじゃ、今回も超面倒くさいんじゃがのう、お前を元の体に戻さねばならん……」
超面倒くさいって……誰のせいだよ、自業自得だよ。
「だから俺は元の世界に行きたくないって、異世界に帰りたいって言って――」
「そのことなんじゃがのお」
と、神は俺の言葉を遮る。
「神は今回のことももみ消そうとされました」
「テヘッ」
神は既に悪びれる様子も、詫びるつもりもなさそうに、舌をベロリと出す。
「前回同様、慌てて戻そうとしたら、間違えてその死亡予定者に寿命を与えてしもうたのじゃ」
「へーそうですかーよかったですねー、その人二年寿命延びたじゃないですか、へー」
とてつもなく感情を込めた棒読みだった。
「ああもう本当に面倒くさいわい。必死で他の神々にバレんように、ようやくお主を元の体に戻せたというのに。骨折り損のくたびれもうけじゃわい」
だから誰のせいだよって、お前のせいだろって。
自縄自縛ならぬ、二乗自爆だろって。
やっぱり、もういっそのこと他の神にこのことバラすっていうのも面白いんじゃないのか?
「ま、待て待て桜満明日太よ。それだけはやめてくれ、ちゃんと異世界に行かせてやるから」
いやまあそれでいいんだけどね、俺としては願っていた展開ではあるし、この神がテキトーだからこそ叶うわけだから。
それにそうしてもらわないと困るし。
「まぁ前回も言いましたが、たとえこのことを他の神にバラしたとしても、異世界へは行けますけどね」
「う……天使よ、よさんか」
「てへっ」
可愛くペロッと舌を出すナースさん。
やっぱりこのナースさん神の味方なのか敵なのか、よく分からないな……。
「ま、それについては言いませんよ、今後の切り札に取っておきます」
これぞ、とっておきだ。
「何か不吉な言葉を聞いたような気がするが、いいじゃろう。さて、桜満明日太よ、物件は前のやつでええのか?」
「当たり前じゃな――」
「女性や、幼女の体もないわけではないぞ?」
なん……だ、と!?
まさかの女体か!? 女体化か!?
しかもロリな体まで!?
これは合法どころじゃねえ、法律もとんで逃げ出すぞ……グヘヘ。
「まぁ、どんな体でも一から作ることも可能じゃからの。神じゃから」
いったいどんなペーパークラフトになるのやら。
「いやいや神よ、俺は前の物件で満足してるよ。前の体にしてくれ」
女性の体やロリになんて、興味はない。
と言えば嘘になるけど、嘘にしかならないけど。
あの体じゃないと、俺が魔王だと、アスタだと気付いてもらえない可能性がある。
そうなったら異世界に戻る意味が、まったくなくなるじゃないか。
それにもう、あの体こそが俺の体って感じだし。
今更違う体を与えられたところで、困る。
「了解じゃ。しかし今回はしっかりと覚えておくのじゃぞ、お主がその体でいられるのは、異世界にいられるのは、お主を元の体に戻す準備が整うまでじゃ」
神は白い髭をこねくり回しながら続ける。
「いずれ元の世界に戻ることになるのじゃぞ」
「分かってる、でも何度戻されようと、俺はまた何度でも飛び降りてやるよ」
何度でも飛び降りて、異世界へ行く。
俺は言った。そう、言った。
「……」
神は呆れたようにポカンと口を開けている。
「さぁ、早く異世界に戻してくれ」
今回は一秒たりとも時間はいらない、考えるまでもなく、迷うべくもなく、異世界へ帰る。
「あぁあぁ面倒くさいのう……とんでもない奴と関わってしもうたわい……」
神は眉をひそめ、ぶつぶつと文句をたれながら、気だるそうに手を天へと振り上げた。
すると俺の体は光り始め、俺の視界は少しずつ白い光に埋め尽くされていく。
「異世界に行きたいがために飛び降りるなど、お主はとんでもないバカじゃ……」
あれ、神様。
神様は神様なのに、人の心の中を読めるのに、知らなかったのか?
俺はバカだ。
バカでバカでバカでバカでバカだ。
そうつまり、とんでもなくどうしようもない……。
「バカだ」
◆◇◆
「あ、言い忘れておったが、異世界で死んだら、もう本当にどうしようもないからの。気を付けいよ」
「神、彼はもういません」
「おお、そうか、また細かいことを色々と言い忘れたような気もするが……まあええじゃろう」
「だから同じ失敗を何度もするのですよ、このクソ神」
「うっ……」