第漆拾弐閑 Re:セミプロろーぐ 右
「ねーたっくん、私も一つ質問してもいーい?」
「ん? ああ、いいよ」
「どうして窓から飛び降りたりなんてしたのー?」
え、えっとーそれは……。
「あの日もいつもと同じようにたっくんの部屋の電気が消えるまで家の外で見守ってたら、急に窓が開いてたっくんが落ちてきたからビックリしたんだよー?」
あのときの声はやっぱり逸花だったか。
ほんとうによくやるよ、出会った日から毎日毎日。
宮沢賢治かってほどに、雨にも負けず風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けず、毎日毎日俺の部屋の監視。
愛が重いなんてもんじゃない、面白いの域まで達してる。
飛び降りた理由ね……。
「飛び降りた理由は、異世界に行きたかったからだ」
俺はそんなことを、恥ずかしげもなく言い放った。
中二病なのは、俺かもしれなかった。
「やっぱり頭がおかしくなちゃったんだね。ずっと部屋にこもりっきりだったのが、堪えられなかったのかなー?」
うんうんと、頷く逸花。
「でもいーんだよたっくん、たっくんはそれでいーの。こもりっぱなしのニートでいーの」
彼女は目に、その方が好都合という言葉を浮かべ、笑う。
「心配しなくても、たっくんは私が一生養ってあげるんだから」
そんな心配は、まったくしていない。
ただただ異世界に行きたかっただけなんだけど……。
「たっくんは一生犬のように、私の帰りをしっぽを振って待ってればいいんだよー。ついでに腰を振ってくれてもいいんだよー」
そんな風に、相変わらず太陽のような微笑みで、場が凍りつくようなことを言う。
はぁ……遊佐逸花。
幼馴染の遊佐逸花。
茶髪のサイドテール、遊佐逸花。
どうやったらこんな捻くれたというか、捻れた性格になるんだ……?
お父さんもお母さんも、とても優しく、優し過ぎるくらいに優しい、いい人たちだ。
その優しさをしっかりと引き継いだ彼女。
昔から人一倍優しさが強くはあっけど、それでも世話焼き、お節介焼きのお姉ちゃん、くらいのものだった。
でも今やその優しさが尋常じゃない、色々間違っている。
尋常じゃないというより、人常じゃない。
人の常識から、大きく逸脱してしまっている。
こんなまじめに周りの人間、ましてやいつの間にか一緒にいた幼馴染のことなんて、今まで考えたことはなかったけど、久しぶりに会ってみると、色々なことを思ってしまうな……。
「あっそうだ、たっくん」
その声で俺はふと、元の病院のベットの上に意識を戻した。
「何だ?」
「足……」
そう言って、ようやく俺の上から降りた逸花。
彼女がいなくなったおかげで、ようやく自分の下半身が目に入った。
目に入ったのは、ギプスで頑丈に固められた、鬼岩城のようにガチガチに固められた、俺の右足だった。
逸花の方を見ると、彼女は『足……』と言った後、二の句が継げずに俺の足をじっと見つめている。
殺す殺すと言っておきながら、やはり心配してくれてるのだろうか。
「残っちゃったねー」
「どういうことだ!」
足残っちゃったねーって、どこ方向への、何に対する心配だ!
「救急車で運ばれたとき、骨折してるって先生が言うから、ならもう切ってくださってお願いしたんだけどー、ダメだって言われたの」
「そりゃダメだよ! 何しようとしてくれてるんだお前は!」
骨折したくらいで足を切られちゃたまったもんじゃない、腐ってきてるとかならまだしも。
「あ、もちろん両足だよー?」
「もっとダメだ!」
なぜ健全で健康な方の左足まで切られなくちゃいけない。
「たっくん、足がなくなればやっぱり誰かの介護は必要でしょー? そしたら私、たっ君と一生一緒にいられるかなーと思ったの。名案だと思わない?」
俺からしたら明暗だよ、人生暗転してるよ。
「だってたっくんの身の回りのことは、ぜーんぶ私がやってあげることに決まってるから、それ以外はありえないから――」
決まってるんだ、ありえないんだ……。
「――もしたっくんに介護が必要になったら、たっくんは私ナシじゃ生きられないってことになるの」
大前提がおかしいんだよ、もっと他に介護してくれる人いるだろ……いるだろ!?
「たっくんは私ナシじゃ生きられない、私もたっくんナシじゃ生きられない、おそろいだねー」
「とんだペアルックだよ!」
「あれ、ダメだった? たっくんが部屋にこもる理由にもなるしー、私から逃げ出すことも出来なくなる。そして私は必要とされるんだから、一石三鳥だなーって思ったんだけど」
「それはお前の都合だけを考えた場合だろう」
俺からすれば、ただ足を失い、部屋に軟禁され、逃げ出せもせず一生を終える。
ただただそれだけだ、一石三鳥というよりは、一隻三丁だ。
戦艦と生身で相対し、銃を突き付けられた気分だ。
絶体絶命だよ、いや絶対絶命だよ、絶対に絶命するね。
「冗談だよーたっくん、私がそんなことするわけないでしょー?」
今までの人生経験と、既にさっき首を絞められていたことも含めて、まったく冗談には聞こえない。
そして聞こえないだけじゃなく、本当のところも、洒落でもなんでもなく、本気に違いない。
冗句などではまったくない。
「でもねー、たっくんが落ちてきたときビックリしたのも、目を覚まさなくて毎日心配したのも本当」
もう絶対あんなことしないでね、と涙目になりながら、俺に抱きついてくる逸花。
「もし次ぎやったら、私も同じことするかもしれないよ?」
耳元でささやかれた今の言葉が一番冗談ではないことは、すぐに分かった。
コイツならやりかねない。
人生なんて、天国で俺と暮らすための準備期間、念のために生きていると、そういうことを平気で言ってのけるコイツなら、やりかねない。
死ぬのが早くなったところで、俺との天国生活が多少早くなった程度のものだろう。
ヘタしたら天国だけじゃなく、異世界にも乗り込んできそうだから怖い。
『もし次ぎやったら、私も同じことするかもしれないよ?』
……その言葉を言い放ったとき、逸花はどんな表情をしていたんだろう。
いや、考えるまでもなく、見るまでもなく、笑っていたに違いない。
その真っ黒な目を、真っ暗にして、笑っていたに違いない。
「ああ、わかった。もう飛び降りたりしない」
「うん、それじゃあ先生呼んでくるから、少し待っててねー。絶対飛び降りちゃダメだよー」
なんてね、と、冗談めかしながそうら言って、彼女は出口へと向かう。
「飛び降りないよ」
この世界で生きていく、現実を見て生きていく。
異世界生活は、本当に終わりだ。
絶対に飛び降りない。