第陸拾弐閑 “それ”との遭遇 小
「ん……?」
朝、食事の間で朝食をとっていると、長いテーブルを横断する“それ”とバッチリ目が合ってしまった。
前にテレビで、芸能人が小さいおじさんを見たっていう話を聞いたことがあるけど、そのときの気持ちはこんな感じだったんだろうか。
と言っても今俺の目の前で立ち尽くしている“それ”は、小さいけれどもおじさん何かじゃなくて、女の子なわけだけど。
うーん……こんなものが見えるとは、疲れてるのか? 憑かれてるのか?
目を擦ってからもう一度テーブルの上を確認するも、やっぱり“それ”はそこにいる。
体中に荷物をくくりつけ、手にもたくさんの荷物を持った“それ”の顔色は、どんどんと青ざめていく。
そして俺が
「どうも」
と、声をかけると、手に持っていた荷物を放り投げ、一目散に駆けて行く。
あらあら、状況から察するに怖がらせてしまったかな?
それは悪いことをしてしまったな……謝罪をしないと。
だから俺は、テーブルの上にあつらえたように置いてあった空のビンを、小さな”それ”の上に、そっとかぶせた。
ふう……。
「はっはっは捕まえてやったぜ!!」
「ぁああわあわ……」
ビンに頭をぶつけ、しりもちをつく少女ならぬ小女。
ビン越しで少し湾曲して見える彼女の体は、涙目でガクガクブルブルと震えている。
きっとこういう展開になると、捕まった方はお決まりのセリフを吐くんだろうな。
「わ、わわ、私を食べても過去は変わりませんよ!」
「そんなことは期待してない!」
こういうときは普通、『私は食べても、おいしくありませんよ』だとか、『私を食べたら、お腹をこわしますよ』だろ。
ん? ちょっと待て、今思ったんだけど、『私を食べたら、お腹をこわしますよって』セリフの『こわしますよ』の部分を漢字にして、『壊しますよ』にすれば、何だか脅迫めいてこないか?
私を食べたら、腹の中からぶち壊しますよ的な……いや、こんなことを考えている場合じゃないんだ。
「俺は君を食べようなんて思ってないよ」
「どうしてですか? 変えたい過去がないからですか?」
「いや、そういうわけじゃなくて……」
確かに変えたい過去は別にこれと言ってないけど、そもそも食べても過去は変わらないんだろ……。
「君みたいな可愛い子を、食べるわけないじゃないか」
「ほ、本当ですか?」
「本当だよ。舐めはするけど」
「はわわわわ……」
小女の座っている場所が、ドッと濡れる。
別にお漏らしをしてしまったとかじゃない、涙だ。
「ごめんごめん、冗談だよ」
「いっつジョークですか?」
「イエス! イッツジョーク!」
「「HAHAHA!!」」
おっと、手違いでもうこんなにも仲良くなってしまったじゃないか。
「それなら、ビンから出して貰ってもいいですか?」
「いいよ? いいけど1つお願いがある」
「分かりました、私に出来ることでしたら何でも。ちなみに過去を変えることは出来ません」
やけに過去改変を押してくるな……そんなこと望んじゃいないよ。
「ビンを開けても、逃げないで欲しいんだ。逃げないで俺と話をしよう」
この子が何なのか、少し気になる。
「いやぁ……それはちょっと……」
気まずそうにあさっての方向に目を逸らしながら、小女。
「今君が出来る最低限のお願いだよね!?」
これ以上というか、これ以下のお願いが思いつかないよ。
「ですが……」
「ふぅ……今晩の食事が一品増えたな」
「うわぁわぁ、冗談ですよイッツジョークですよ! ごめんなさい、話しますから放してください!」
「オーケーオーケ」
俺がかぶせていたビンを持ち上げると、小女は『こんなのもうお願いじゃなくて、脅迫ですよ』何てぶつくさ文句をたれながら、立ち上がりスカートの埃をポンポンとはたくと俺を見上げた。
「はい、お話をしましょう。十分一万異世界円です」
「高いわっ!」
「オプションもございます」
「いらんわっ!」
何だよ、俺はよからぬお店のキャッチにでも引っかかったのか!?
「おさわりはナシです」
「それは保障できかねるな、グヘヘ」
「もしそのようなことがあれば、黒服をお呼びしますので」
それならビンの中に捕まえられた時点で、読んでた方がよかったんじゃないかな?
「という冗談は置いといて、お話って何ですか?」
普通の顔で、俺を見上げる小女。
この生殺与奪の権限が、ほとんど俺にあるような状況で冗談をぶちかませるとは、小さいくせに肝が据わってるな。
「お話、と言うか、聞きたいことがある」
「何でしょう? お答えできる範囲でならお答えします。ちなみに過去の変え方については、お答えできません」
何だよ、それ、はやってるのか?
「まぁ、ストライクゾーンは広めに設定しておいてあげます」
「そりゃありがたい」
そうだな、聞きたいことは色々あるけど、まずは……。
「じゃあ、名前は?」
「ボールです」
え? 教えられないと、そう言うことでしょうか?
それともボールさん?
「と言うか、暴投です。人に名前を尋ねるなら、まずは自分からでしょう」
ああ、そう言うことか。
「それは失礼した」
「それではこの辺で私も失礼します」
と、歩き始める小女の白いワンピースの端をつまむ。
「ちょっと待て。名乗る、ちゃんと自分から名乗るから」
「結構です、名乗るほどの者ではありません」
「それはこっちのセリフだ!」
何だ? お前は人に名前を名乗るような者ではない、とそう言いたいのか!?
というかそのセリフって、そうやって人を傷つけることも出来たんだね……。
「仕方ないですね、追加料金はきっちり払ってくださいよ」
そう言って、俺の目の前に座り込む小女。
まったく、とんでもないものを捕まえてしまった、失敗したかな。
気分的には、カブトムシだと思って喜んで捕まえてみたら、カナブンだったときくらい失敗した感が否めない。
いや、ダメージ的にはカナブンというより蜂のような気が、しないでもないけど。
「いい歳して虫捕りなんてしないで下さい」
「心の中を読まないでください」
そして虫を捕る心に、歳なんて関係ない。
「そろそろ先に進めていいかな」
どうぞどうぞと小女ちゃん。
と、いうことで、俺は、この話の先を目指すことにした。




