第伍拾捌閑 朝は奴隷で……。
「あっつい……」
妙に足元が暑いと思い、目を覚ましたら…………。
朝だった。
うん、何も不思議じゃない。
どうやら今日は天候が悪いらしく、窓からは朝日は差し込んでいないし、ドラゴンの咆哮も聞こえない、でも朝だ。
朝なのはいいといしよう。
どうして、足元がこんなにも暑いのか、まるで布団の中に湯たんぽでも入ってるかのように熱い。
そんなことを思いながら、原因を探るべく掛け布団を持ち上げると、そこには湯たんぽがいた。
クゥという名の湯たんぽが、俺の足元で丸まって寝てる、そりゃ熱いわけだ。
「クゥ、そんなところで何してるんだ?」
確か彼女はソファの上で寝ていたはずなんだけど。
「ん? あしゅた?」
寝ぼけたような声を出しながら、顔を上げるクゥ。
布団の奥の闇で、銀色の瞳がギラリと輝く。
「んに~~~~」
クゥは四つん這いで犬のようにのびをした後、またコテンと力なく布団に寝転がった。
「おはようクゥ」
「う~ごろごろごろごろ」
彼女は布団からズボッと抜け出すと、器用にベッドの上を転がり回り、俺のお腹を枕にして大の字になった。
そして一言。
「おはようなのだ」
「どうしてあんなとこで寝てたんだよ」
俺は質問しながら、クゥの真っ黒三角お耳をいじくりたおす。
「う~ん……あそこが落ち着いたのだ?」
だからなぜ疑問系?
「そっか」
まぁ何でもいいんだけど、人に引っ付いて寝るのが落ち着くって、こりゃ本格的に犬みたいだな……。
こうなってくるとご主人様の意味が変わってくるよ。
奴隷としてのご主人様じゃなくて、飼い主としてのご主人様に。
まぁ『お帰りなさいませご主人様』って丁寧に言われなくとも、玄関開けたらお『お帰り! お帰り!』ってしっぽ振って飛びつかれるのも悪くないか。
それがこんな可愛い犬ならなおさら……グヘヘ。
「クゥ」
「何なのだ?」
「お座り」
彼女はシュタっと起き上がり、ヤンキー座りならぬ犬座り。
俺も起き上がって、彼女に手を差し出す。
「お手」
「ポンなのだ」
「おかわり」
「ポポンなのだ」
そう言えば犬の芸で、“ちんちん”なるものがあったような気がするけど……それはやめておこう。
クゥは期待に目を輝かせ、しっぽを振る。
「よし、じゃあ朝飯でも食べに行きますか」
「餌なのか?」
餌がいいのか……?
と、いうことで、餌、ではなく食事をとるため、クゥのお尻を眺めながら食事の間へ向かう。
いや、別にお尻に興味があったわけじゃない、ないわけでもないけど、そうじゃない。
ただ単に彼女のお尻辺りに生えている、ユラユラと俺を誘う尻尾が気になるだけだ。
「クゥ、尻尾をさわらせてくれ」
「ダメなのだ」
クゥは、ひょいっと股の間に挟み隠す。
「どうしてだよ」
ネネネは尻尾を触っても、何も言わなかったけど。
「ゾクゾクして気持ち悪いのだ」
「ゾクゾクするぜぇ~」
「ゾクゾクするのだぁ~」
がお~、と芝居がかった低い声でクゥ。
何それ可愛い……そしてなぜか楽しそうだ、嫌なんじゃなかったのかい?
仕方ない、今日の所は諦めておとなしく歩いておこう。
窓から外を見てみると、どうやら空は笑いすぎて涙が出てきたみたいだ。
食事の間へ続く廊下には、クゥのよく分からない鼻歌と雨の音が響いた。
食事の間へ入ると、そこにはエメラダが一人席に座って、ボーっと窓から外を眺めていた。
「おはようエメラダ」
「おはようなのだ!」
彼女はゆっくりと俺達の方を向くと
「普通」
と、応えた。
「ふつう?」
「早くない普通」
なるほど、起床時間としては早くもなく遅くもなく、普通だと。
なら挨拶としてはこう言えばいいのかな?
「ふつう、エメラダ」
「……普通」
何か違うような気がしないでもないけど。
「朝食にする……? それとも……」
それとも? も、もしかしてこの展開は!
『それとも……わ・た・し?』なのか!?
ゴクリ……。
「餌にする……?」
「朝食デオ願イシマス」
「そう……」
彼女は立ち上がり、厨房の方へ向かう。
今日はエメラダが用意してくれるのだろうか?
珍しいな、普段朝食を用意するのは、ほとんど、おラヴちゃんなのに。
「ラヴはどうしたんだ?」
「勇者は倉庫」
と、立ち止まり振り返るエメラダ。
「倉庫?」
「お菓子作る材料取りに」
彼女はそれだけ言うと、厨房へ入っていった。
ふ~んお菓子を作るのか、楽しみに待っていよう。
貰えるかは定かじゃないけど……。
そうしてクゥと二人で席に着き、エメラダが朝食を持ってきてくれるまで待つこと数分。
エメラダが厨房から出てきて、俺達の前に置いたのは一品。
逸品じゃない、一品だ。
底の深い器に盛られた“それ”一品。
“それ”は、小さくて、薄くて、丸っこくて、茶色くて、まるで……。
「エサなのだ!」
そう、餌、ドッグフードみたい。
「エメラダこれは……?」
「朝食」
いや、それはわかってるんですけど。
「何ていう食べ物なの?」
「……? シリアル」
何を言ってるの、と言いたげに首を傾げるエメラダ。
「シリアル?」
「畑で取れたコーンと薬草を使った」
な、なるほど、畑で取れたコーンと薬草を使って作った、オリジナルのシリアルというわけだ。
「そ、そう、分かったよありがとう」
「そう」
てっきり、本当に餌を出されたのかと勘違いしたよ。
そうとなれば一安心、スプーンを取ってシリアルに手をつけようとする。
が、しかしそんな俺に、エメラダはいつもどおりの平坦な声音で、こう告げるのだ。
「アスタロウ待て」
「いやいやエメラダ、ちょっと待ってくれよ……俺は犬じゃ――」
「待つのは私じゃない、アスタロウ」
「はい……」
仕方ない、テチテチしてようか。
言われたとおりにしていると、エメラダはテーブルの上にあった白いビンを持ち上げ、その中に入っていたミルクをシリアルに回しかけると
「アスタロウよし」
と、言った。
そのための待てだったのか……もっと他に言い方はなかったのでしょうか。
まぁ別にいいんだけどね。
エメラダは、クゥにも待てと言った後、彼女にはもれなくお手とおかわりもつけた。
そしてミルクをかけると、よしと言って頭を撫でる。
見た感じでは、エメラダよりクゥの方がお姉さんなんだけどね……。
「「いただきます」なのだ」
クゥの用意が出来るまで待って、一緒にいただきます。
ようやく食べ始めることが出来た。
さすがに牛乳入りのシリアルを手で食べることは難しいようで、クゥはエメラダにスプーンの使い方を教わりながら、おいしそうに食べていた。
味はいつもどおり悪くない。
「これおいしいよ、エメラダ」
「知ってる」
「そ、そう」
「……そう」
「ごちそうさまでした」
と、手を合わせる。
「もう食べたのか?」
「ん? ああ」
「アシュタ食べるの早いのだ」
クゥのお皿を見てみると、シリアルはまだまだたくさんあまっている。
スプーンが使い辛いのか、彼女の食べ方は物凄くぎこちなく遅い。
そのせいで、シリアルは牛乳を吸ってしまい、ブヨブヨになっていた。
「うにゃぁぁぁぁっ!」
犬なのに『うにゃぁぁぁぁ』って鳴くなよ……猫みたいじゃないか。
それにさっきは『がお~』って鳴いてたし、何かの合成獣なんだろうか。
「もうめんどうくさいのだ!」
クゥはとうとうスプーンをポイしてしまう。
そして、犬や猫がするように、顔を皿に近づけかぶりつこうとする。
「お、おいおい待てクゥ、やめろ」
「どうしてなのだ?」
そんなことをしたら白濁液、もとい牛乳で顔がベタベタになってしまうじゃないか。
とは言えないので。
「ゴホン……お行儀が悪いだろ?」
「だってめんどうくさいのだ」
「ダメだ」
「ならアシュタが食べさせてくれればいいのだ」
そう言うとクゥは、あ~んと口を大きく開く。
「え? 俺が?」
「そうなのだ」
クゥの口からは、鋭い牙が顔を覗かせている。
「わかった……とりあえずスプーン下に落ちちゃったから、新しいの取って来るよ」
「スプーンならそこにあるのだ」
クゥが指さしたのは、俺のスプーン。
「い、いや、これ俺が使ってたスプーンだよ?」
いいんですか? あれだよ? 間接キスになっちゃうよ? 間接接吻だよ?
「何でもいいのだ、早くするのだ!」
ご主人使いの荒い奴隷だ……。
「わ、わかった」
俺は、自分の使っていたスプーンで、クゥのお皿に入ったシリアルをすくい、彼女の口に近づけていく。
な、何だかドキドキしてきた……。
だってだよ? この、俺の口の中を這いずり回ってたスプーンが、今度はクゥの口の中を駆けずり回ろうとしてるんだよ?
徐々にスプーンはクゥの口に近づいていく。
……あの、プルンとした唇のついた口の中に。
……あの、妙に艶かしい舌のついた口の中に。
とうとう……。
「あ~ん」
パクリ。
は、はいったぁぁぁぁ。
うは~何だろう、この何とも形容しがたい背徳感のようなものは。
エメラダは興味を失ったのか、窓の外をじっと見ている。
今なら何をしてもバレない。
もちろん、このクゥのお口を探索したスプーンで、俺の口の中を冒険しても……バレない。
ゴクリ。
い、いや、この辺で自重しておこう。




