第伍拾弐閑 奴隷調教何か違う
「おりゃおりゃ」
「にゃはははっ」
夕飯時、少し薄暗くなった食事の間に松明で明かりをともし、ラヴが夕飯をテーブルに並べ始めている傍らで、俺とエメラダは手伝いもせずに、褐色肌の少女、ケモ耳フサフサ尻尾の少女、クゥの体をいじくり回して遊んでいた。
「これでどうだ!」
クゥのお腹をムニムニ。
「くすぐったいのだっ」
でもこれってどうなんだろう……頭に三角のお耳が生えていたり、お尻からフサフサの尻尾が生えてはいるけど、体はただの人間。
つまり俺は今、いたいけな少女の体にいたずらをしているだけ。
まずいなこりゃ、ただのセクハラだよ。
まあいいや、この際だからもっとやってやれ!
「こちょこちょこちょこちょ」
調子に乗って、脇の下や胸の近く、お尻付近まで触りまくろうとしたがしかし……。
「アスタロウ……」
「ん?」
「……」
エメラダの無言の重圧により、俺の計画はあっけなく打ち砕かれた。
「ゴメンナサイ」
「私にも犬触らせて……」
え? 俺がクゥにいやらしい事をしようとしてる事に対して、ではなく、俺がクゥを独り占めしてることに対しての重圧だったの?
「だからボクは犬じゃないのだ!」
「なら試す?」
エメラダはそう言うと、腰につけていた袋の中から、赤い木の実のようなものを一つ取り出し、手のひらの上に乗せて見せた。
「何をするのだ?」
「この実が左手か右手どっちに入ってるか、当てて」
「面白そうなのだ! やるのだ!」
クゥは目を輝かせ、尻尾を大きく振り始める。
ここに猫がいれば、きっとその尻尾に飛びつかずにはいられまい。
「そう。当てたらこれあげる」
「本当なのか!?」
エメラダはコクリと頷くと手を後ろに回す。
そして左右どちらかの手に実を隠すと、その拳を前に突き出した。
「どっち?」
「そんなの簡単なのだ、左なのだ!」
クゥは少し得意げにそう答えたがしかし……。
「ハズレ」
エメラダが開けた左手の中に、実は入っていなかった。
「ずるいのだ!」
「何がだよ……」
俺が見ている限り、エメラダはいかさまの類は使用してない。
「だってボクは、左って言ったのだ」
と、クゥが指さしたのはエメラダの右手。
「クゥ、そっちは右だ……」
「え? そうなのか? じゃあこっちが右で、こっちが左で……こっちが左で、こっちが右?」
クゥはキョロキョロと自分の左右の手を交互に見て、ブツブツと何かをつぶやき、やがて
「うにゃぁぁぁぁ! もうっ分からないのだっ!」
と、頭を抱えた。
「はぁ……」
頭を抱えたいのはこっちだ……またおバカな子だよ。
いや、おバカどころじゃない、右と左が分からないなんて大バカだ。
「クゥ、君の利き手はどっちだ?」
「利き手ってなんなのだ?」
そう言われると、説明が難しいな……。
「使いやすい方の手。普段使っていて、咄嗟に出しやすい方の手、かな」
「よく分からないのだ」
「ん~そうだな、じゃあ普段ご飯を食べるとき、お箸……はないのか、スプーンを持つ方の手はどっちだ?」
「スプーンは持たないのだ」
……そういうことじゃないんだけどね。
「じゃあフォークは?」
「フォークも持たないのだ」
「じゃあナイフは!?」
「持たないのだ」
「じゃあ一体どうやってご飯食べてるんだよ!」
「手なのだっ」
手手手手っ手手手手っ手~手~
マジですか……。
そうですかそうですか、話になんねぇ……。
「そんなことよりゲームの続きをするのだ、木の実欲しいのだ」
「はぁ……そうだなもう好きにやってくれ」
右と左についてはまたの機会にでも教えてやろう……。
「どっち」
エメラダはさっきと同じく、クゥに両手の拳を向ける。
「こっちなのだ」
クゥは今度は口ではなく手で、エメラダの右手を指さした。
「……正解」
「やったのだ!」
クゥはとても嬉しそうなんだけど、それよりもエメラダの目の方が輝いている……ような気がする。
「早くちょうだいなのだ、あ~んなのだ」
エメラダは大きく開けられたクゥの口の中に、豆ほどの赤い実を投げ入れる。
「おいしいのだ~」
「アスタロウ……訓練の価値あり」
俺に向けられたエメラダの目は、気のせいではなく、本当に輝いていた。
訓練って……警察犬でも育てるつもりですか。
確かに犬よりは、言葉によるコミュニケーションが取りやす……くはないか。
右と左が分からないくらいだからな。
「どっち?」
「こっちなのだ」
「正解……」
それからは何度やっても、正解。
まさに百発百中だった。
やはり耳や尻尾はお飾りじゃなく、その辺の嗅覚や聴覚なんかも、常人なんかよりは優れているのだろう。
そしてクゥが当てるたびに、エメラダの目から輝きは失われていく。
きっと面白くなくなって、飽きてきたんだろうな……。
そんな風に思っていると、案の定エメラダは
「アスタロウ……飽きた……」
と、言った。
「そっか、なら今度は選択数を増やして、難易度を上げてみたら?」
「なんなのだ? 新しいゲームなのか?」
クゥはやる気満々だったがしかし……。
「ダメ、どうせすぐに当てる……」
エメラダはまったく乗り気じゃなかった。
「そ、そう」
「そう。だから今度はアスタロウ訓練する」
「え? 俺? い、いやぁ俺は遠慮す――」
「どっち?」
エメラダは俺のことなんてお構いナシで、既に調教を始めてしまう。
「う……」
彼女の緑色の目は、期待という文字が浮かび上がるほどに、輝いている。
……そんな目を向けられてしまったら、断れないじゃないか!
く、くそうっ。
「じゃ、じゃあ君の目をちょうだいよ」
これで何とか逃れ――
「別にいい。アスタロウにならあげる」
「え? ええっ!?」
くれるの? とうとう、目を!?
え、ちょ、じ、冗談なんだけど……。
待って待って、貰ったところでそれはもう緑の目じゃなくて、まっ赤な目になるよね!?
「はい」
「ひいっ!!」
しかし予想に反して、エメラダが俺に差し出したのは、手のひらサイズの小さな鉢植え。
「……え、何これ?」
「緑の芽……アスタロウにならあげてもいい」
「緑の芽?」
「そう。大切に育てて、大きくなったら綺麗な花が咲く」
「あ、ありがとう。部屋で大切に育てさせて貰うよ……ってお――」
「どっち?」
エメラダは俺にツッコむ暇も与えずに、こっちは約束を守ったんだからあなたも守りなさい、と言わんばかりに、二つの拳を俺に差し出している。
はぁ……一杯食わされたか、仕方がない少し付き合うとするか。
と言っても、魔王は、期待に応えられるほどの、凄い嗅覚を持っているわけじゃない。
「くんくん」
だから極力エメラダの手に近づき、彼女の手の匂いをかぐ。
いや、手の匂いをかぐわけじゃなくて、手の中にある実の匂いをかぐ。
それでもいまいち分からないな……。
エメラダの手は、ほんのりと薬草の爽やかな匂いがする、そのせいで実の匂いが掻き消されてしまって……。
「くんくん」
わからない。
それにしてもエメラダの真っ白な手、触ったらスベスベで気持ちがいいんだろうな……。
「くんくん、ペロン」
俺はどさくさに紛れて、エメラダの手をペロンちょした。
「こらアスタロウ、めっ」
「いてっ……」
握りこぶしで、頭を小突かれた。
「ごめんなさい」
「……分かればいい」
と、俺の頭を犬にするようになでるエメラダは、でも、と続ける。
「アスタロウは再教育が必要」
再教育ってなんですか……俺も訓練を受けて調教されるんですか。
まあ頭を撫でられて嬉しかったから、何でもいいや。
クゥが撫でられて喜んでた気持ちが今なら分かる。
「アンタ達何やってるの? もうご飯よ」
と、テーブルに食事を並べ終えたラヴが、俺達に声をかけたところで……。




