第肆拾陸閑 ニャンニャンっ
「おはようラヴ」
朝、長い机の置かれた食事の間で、一人座って本を読んでいたのはラヴ。
「……」
返事がない、ただの屍のようだ……。
無視ですかと思っていたがしかし、彼女はきりのいい場所まで読んだのか、しばらくするとパタンと本を閉じた。
「あら、おはよう」
返事を返してくれた……好きだ。
おっと思わず告白しちゃうところだったぜ。
「今日の朝食はそれよ」
と、指さされたのは机の上に置かれたカゴの上に山積みにされたパン。
「すき……っじゃなくて、ありがとう」
これはラヴの焼いた薬草入りパンだ。
俺はラヴの正面に座り、パンを手に取り一口かじる。
パンの香ばしい香りと、薬草の爽やかな風味が口いっぱいに広がって、幸せになる。
ラヴも最近は薬草料理に慣れてきたらしく、エメラダほどではないにしろ十分においしい。
「今日は久しぶりに髪結んでないんだな」
腰辺りまで伸ばされた美しい金色の髪は、いつもの尻尾ではなく滝のように流れている。
「そうなの、今朝髪を結んでたゴムが切れちゃって」
よく見れば机の上にラヴがいつもしている、髪止めのゴムが落ちている。
しかしそれは輪ではなく、一本の線になってしまっていた。
「ふ~ん」
ま、どうでもいいけどね、どっちにしろ可愛いし、ゴムくらい代わりがすぐ見つかるだろう。
「……」
会話が途切れるとラヴは再び本を開き読み始める。
無言で静かな時間が流れるかと思いきやしかし、彼女はすぐに口を開いた。
「……そ、の、ことなんだけど」
「ん? どのこと?」
「ゴムが切れちゃったってこと!」
ああ、それね。
彼女は本で顔を隠すようにしながら話す。
何の本だろうよく分からないけど、まあこの魔王城に書架があるって話だからそこの本かな。
「ねぇ聞いてるの?」
あなたこそ喋ってるんですか? 誰と喋ってるんですか? 本ですか?
まったくもう。
「聞いてるよ」
「アンタが魔物に人を襲わせるのをやめさせたおかげで、下の村と他の村の交流が再開されたのは知ってるでしょ?」
「知ってるよ」
そうらしい、下の村と他の村を繋ぐ道は特に魔物が出やすいらしく、そのせいで繋がりが途絶えていたんだとか。
でもその危険性がなくなった今、再び他の村との流通や情報伝達なんかの繋がりが回復したらしい。
「そのおかげで今村に隊商が来てるらしいの」
「大将?」
「そうそうへいらっしゃーいっ!! ……じゃなくって!」
君はどうして乗りツッコミをしちゃうんだ。
「隊商! キャラバンのことよ!」
「キャラバン?」
なんだっけな、どこかで聞いたことあるような……。
「隊を組んで色々な村や町を周る、商人の一団のことよ」
ああ、あれか。砂漠なんかでよく見かける。
いや、見かけたことはないけど……。
でもそれとこれと何の関係があるんだ?
「で……で、そこに髪留めのゴム、売ってないかなって。見に行こうと思うんだけど……」
ラヴは顔を覆っていた本の上から、俺をうかがうようにそっと目だけを出す。
「一緒に行かない?」
デートのお誘いだった。
やったー!
でも。
「行かない」
「どうしてよ!」
ラヴは本を勢いよく閉じる。
だってな……女の人の買い物って長いし、怒られるし、つまんないし。
元の世界にいた頃も、姉や幼馴染に無理やり買い物に連れて行かては、荷物持ちばかり。
ホントうんざりだ……。
「どうしてって、こっちが言いたいよ。どうして俺なんだよ、他にも人はたくさんいるだろ?」
夢魔やら吸血鬼やらエルフやら、まあどれも人ではないんだけど。
「ネリッサとルージュは遊んでるし、師匠は畑に用事があるらしいの! べ、別に私だってアンタと行きたいわけじゃないの!」
「じゃあ一人で行ってきなよ」
「ちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃない!」
ドンッと机に手をつき立ち上がり、身を乗り出すラヴ。
「え? 俺達付き合うの?」
「そう言うことじゃない!」
分かってますよ。
え~やだなぁ。
でも俺をジッと見つめるラヴの青い目は、『お願い』って言っている。
「うっ……」
ずるいな女の人は、自分の都合のいいときだけこうやって寄ってくるんだもん。
はぁ~無理だ。
「分かったよ……その代わりに一つ条件がありま~す」
「な、何よ」
「俺と一緒に買い物に行きたいって言ってくれたら、行くよ」
そう言うと目つきを鋭くし、俺を睨みつけるラヴ。
「どうして私がそんなことを言わなきゃダメなのよ!」
「だって俺には行く理由がないからな……」
「くっ……」
さあ言え! 言うんだ! はーっはっはっはっはっはっは。
前にもこんなことあったような気がするから、この後どうなちゃうか心配だけど、そんなことはどうでもいい!
昨日よりも今日、明日よりも今日だ! 今さえよければそれでいいんだ!
「……一緒……たい……」
「何だって? よく聞こえないな」
「一緒に行きたいっ!」
「誰と?」
「アンタとっ!」
「どこに?」
「買い物にっ!」
「では最初から繋げて、さんはいっ」
「魔王様と一緒にお買い物に行きたいニャンニャンッ!」
「そこまでは頼んでねぇよ!」
ラヴは胸の前で握りこぶしを二つ作り、ニャンニャンと猫のポーズ。
そしてもちろん涙目だ。
知らない、俺は知らない。