第弐佰拾陸閑 ゴッドのお仕ごっとはアバウット
気がつけば俺はそこに立っていた。
まだ絵を描く前の画用紙のような、真っ白な空間に。
それでいてどこまで続くのか先の見えない、暗闇のような空間に。
目の前には当たり前のようにナース服を着た女性、天使さんと、白髪で白髭のおじさん、神が立っていた。
「どうも、お久しぶりですお二人とも」
「何じゃ、いやに冷静じゃの桜満明日太よ。腹に矢が直撃した直後のこの状況じゃと言うのに」
神は予想が外れたとばかりに目を丸めた。
「よもや前回ワシが告げた“異世界で死ねばもう後がない”という言葉を忘れたわけではあるまいな?」
「覚えてますよ、それくらい」
神じゃないんだから。
「神じゃないんだからは余計じゃ」
「だって神すぐ忘れるじゃないですか。“かみ”なんて名前なのに、忘れないようにメモくらいしてくださいよ」
「“神”とメモをする“紙”には、何の関係性もないわい」
そうかな? 音読みしても“神”と“紙”で似てるし。
それに木はよく神として祀られることがあって、紙は木から作られるし、意外と近しい関係なのでは?
「そんなことどうでもええじゃろう。さっさとワシの――」
「和紙!? やっぱり紙じゃないですか!」
「……一人称である“ワシ”と“和紙”にも、何の関係性もない」
「本当に?」
「本当じゃ。と言うかもうこの話はええじゃろう。早うワシ――」
「この話を終わらせたければ、神の一人称を“ワシ”から“タ”を加えた“ワタシ”に変更してください。もしくは“タワシ”」
それはさすがに失礼ですよ桜満明日太様、と俺と神の話に割って入ってきたのは、ナース服姿の天使さん。
「そうじゃ、言ってやれ天使よ。さすがに失礼すぎる」
「ええ、本当に失礼です。タワシに」
「タワシにじゃと!?」
「タワシ様に」
「様……な、なぜそんなことを言うのじゃ天使よ」
「神よりも、タワシ様の方がよっぽど役に立ちます。神など、本当に髪ほどもの役にも、間違えました、毛ほどの役にも立ちませんから」
ドヤ顔だった。
「しかし桜満明日太様、そんなタワシ様以下のやつの話でも、一応聞いてあげてやってはくださらないでしょうか」
この天使さんは、相変わらずキツイ性格のようだ。
と言うか、単純に神のことが嫌いなんではないだろうか。
「そ、そうですね」
さすがにそろそろ髪を乾かそう、間違えた、さすがに神が可哀想だ。
「本当に可哀想じゃと思っとるのかお主は……」
それに、俺としてもこんな所で油を売っている場合じゃない。
「それでえっと神、何でした?」
矢が突き刺さったのにどうしてそんなに冷静なのか、だっけ?
「そうじゃ。矢が刺さったのじゃぞ? もっと焦った方がよい」
焦った方がよいって……。
「じゃって、矢が刺さったのじゃぞ? 死んだのかもしれんのじゃぞ? 死んだら終わりなんじゃぞ?」
「いやさ神、殊更に矢が刺さったことを強く押してくるけど、別に俺がここに来たのって、矢が刺さって死んだからじゃないんでしょう?」
ただ単に、神が俺の魂を天界に引っ張ってきただけだけで。
「ほう……なぜそう思う?」
「何と言うか、あのときと感覚が似ていたんですよ」
あのとき。巨大な花の茎を上り、ヴァイオレットとともに巨人の住処である雲の上に行ったとき。
そのときの意識を失った感覚と、今回の感覚が似ていた。
「それだけか? ワシが『お主は死んだ』とひとこと言えば、それだけで覆されるような理由じゃな」
「でもラヴも、魔王は矢が刺さったくらいでは死なないって言ってましたし」
実際、矢が刺さったダメージはほとんどなかった。
ダメージの前に、刺さった感覚さえほとんどなかったのだから。
あったのはせいぜい、指で強めに突かれたくらいの弱い衝撃と、微妙な痛みだけ。
まあ正直、お腹に矢が突き立っているのを見たときはかなり焦ったけど。
「神様の言葉より、上さんの言葉を信じると?」
「そりゃそうでしょう」
俺は何教の信者でもないのだから、こんな胡散臭い神様の言うことなんかより、ラヴの言葉を信じる。
と言うか、言っておくがラヴは俺の上さんではない。
「まあ大方前回同様、俺を焦らせて楽しむために、わざわざ誤解を招くようなタイミングで俺の魂を天界に引っ張ったって所でしょうか」
「……うむ、正解じゃ」
しばらくの沈黙の後、神はペロッと口の端から舌を出してそう言った。
「なぁんじゃつまらんのぉ……せっかくお主の焦る顔を見て一杯やろうと思っておったのに」
人の焦る顔で酒を飲もうとは、この神は本当に最低だな。
「まったく、神の風上にも置けませんね」
またもドヤ顔の天使さんだった。
「えっと、それで神、今回は何の用で俺を呼び出したんですか? 分かってると思いますけど今緊急事態なんで、早く戻して欲しいんですけど」
焦れと言うのならこっちを焦るべきだ。
とにかく早く戻らないと。
こうしているうちにも、ラヴたちは刻一刻と争いに巻き込まれていっているのだろう。
あの女騎士の言葉も気になるし。
本当に、嫌なタイミングで呼び出してくれたものだ。
「何の用ですかとはどういうことですか桜満明日太様、用件は事前にお伝えしたと神からは聞いているのですが」
と、天使さん。
「いや、何も知らされていませんけど……」
「はぁ……と言うことは神、また職務怠慢ですか。それとも職務放棄ですか?」
天使さんは噛み付きそうな勢いで、神を見上げ睨みつける。
神はその視線に刺され、冷や汗をかき始めた。
「な、何を言う桜満明日太よ、ワシはちゃんと伝えたじゃろう? まさかワシのありがたいお言葉を聞き逃したのか?」
「知りませんよ、いつの話ですか?」
「ううむ……今日の朝辺りじゃったかのう」
今朝……? めちゃくちゃ最近じゃないか。
朝ねぇ……ん?
もしかして、ゲイルが来た後に聞こえた、幻聴としてサラッと処理したアレか?
「ソレじゃな」
「アレかよ!」
もういいんだよそういうの、仕事が雑なんだよ。
もっと丁寧にやってくれよ。
「ワシじゃってお主一人に時間を割けるほど暇じゃないんじゃ。暇じゃないと言うか、ぶっちゃけ今日は非番じゃったのじゃ」
「非番?」
「そうじゃ、神にも休息は必要じゃからの、てへっ」
非番で休息をとり過ぎて、急速に肥満になればいいのに!
「駄洒落で責めるのはよせ。まあしかしほれ、ちゃんと伝えておったじゃろ?」
「よく聞き取れませんでしたけどね!」
「用件が、よう聞こえんかったってな、はっはっは」
「はっはっはじゃねえよ」
まったく。
「それで? 結局何の用だったんですか?」
「ん? ああ、あれじゃ、お主を元の体に、元の世界に戻す準備が整った」
「は?」
それは、今置かれた状況において、あまりにも無慈悲な言葉だった。
「準備が整った?」
「うむ。それじゃまあ、そう言うことでなんでな」
言うと、神は手を高く振りかざす。すると俺の体が白く発光し始めた。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。




