第弐佰肆閑 クゥニャ・サー・ベラスの場合 甲
「どうぞ」
食事の間。
椅子に腰を下ろしたクゥのお母さんに、水差しに常備してあるエメラダ特製ハーブティーを用意し、俺も椅子へと腰掛けた。
「ありがとうございます~」
ラヴと逸花はタイミング悪く料理バトルで、エメラダは採ってきたたけのこの皮むきで食事の間の奥の調理場に。
ネネネとルージュとクゥはかくれんぼでどこかに。
なので現在ここには俺とクゥのお母さんしかおらず、何だか少し気まずい。
どうして俺は先月辺りから二度も立て続けに、彼女たちの保護者と面談しているのだろう。
まあクゥのお母さんは、エメラダのお父さんのように威圧感があるわけじゃないからましだけど。
「いただきます~」
柔らかな笑みでお茶を口にする彼女。
本当に、威圧感の“い”の字もない。
犬っぽいの“い”と、後、胸の大きさに多少の圧迫感はあるけど。
それもあいまって、お母さんは非常に柔らかそうである。
娘の名前が“クゥ”ならば、母の名前は“柔”かもしれない。
決して“乳”ではないことは明言しておく。
初対面の女性に対して、そんな失礼なことを俺は考えたりしない。
と信じたい。自分自身を。
「おかしいですね~」
それが、お茶を一口飲んだお母さんの感想だった。
「え、おかしいですか?」
「はい~このお茶とってもおかしいです」
「おかしいって何がですか?」
「何がって、このお茶がですよ~?」
おかしい? お茶が?
口に合わなかったのか? それとも異物でも混入してたか?
「ごめんなさい、すぐに新しいのと取り替えるので」
「どうしてですか~? このお茶凄くおかしいですよ?」
おかしいと言いつつも、うふふと微笑んで彼女はお茶を口へと運ぶ。
「……」
ううむ……何となく、分かった気がする。
多分“おかしい”ではなく“おいしい”言いたいんだろう。
何せクゥのお母さんだ、これくらいのボケはかましてくると思って構えておかないと。
「どうかしました~? 魔王さま」
「いえ、お口に合ったようでよかったです」
「はい~」
端から見れば“おかしい”と言われて“よかったです”だなんて、おかしいのはお茶じゃなくてこの会話自体なのだろうけど。
まあお母さんの反応を見るに、俺の予想は正しかったのだろう。
まったく。親子揃ってとんだ天然さんだ。
「ごちそうさまでした~大変おかしかったです」
大変おかしいのはあなたですとツッコミたいところだけど……。
「気に入られたのなら、おかわりをどうぞ。クゥもまだ来ないみたいですし」
後どれくらいで来るのだろうか。正直間が持たないので、早くして欲しい。
こればっかりは、ルージュのかくれんぼの手腕を信じるしかないけど。
「ありがとうございます~じゃあお言葉に甘えて、いっぱいいただきます~」
「……」
その“いっぱい”は、もういっぱいだけという意味なのだろうか、それともたくさんという意味なのだろうか。
分からないが、とりあえず俺は空になったカップをお茶で満たした。
クゥが食事の間にやってきたのは、お母さんが丁度十七杯目のお茶を飲み干した頃だった。
「お母さんなのだ!」
クゥは入ってくるなり、一目散に母の胸に飛び込んだ。
まるで迎えを今か今かと待ち望んでいた幼い園児のようだ。
「クゥ~元気でしたか~?」
お母さんもまた、そんなクゥを小さな子どもをあやすような声で迎えた。
「乾期だったのだ!」
どういう意味だ……。
「そう、泣くようなことがなくてよかったね~」
そういう意味なのか? 涙の雨の乾期なのか?
「わんなのだ!」
どうやらそういう意味らしい。
あれで通じるとは、さすが親子と言わざるを得ない。
「お母さんは元気だったのだ?」
抱き合ったまま話を続ける母と子。
お母さんが若いので、何も知らない人が見れば姉妹に見えなくもないだろう。
「はい元気でしたよ~」
「お父さんは?」
「お父さんは頑固ですよ~」
「相変わらずなのだ」
……話が噛み合ってるのだか、噛み合ってないのだか分からない。
「お母さんは、どうしてここにいるのだ?」
「ん~? クゥどうしてるかな~って見に来たんですよ~」
「ボクは動してるのだ」
意味が分からない……動って何?
「動? ああ、そう言えばクゥ、関所から魔王城の門番に異動したんでしたね~」
なぜ話が繋がる!
「昇進おめでとうございます~お母さんとっても嬉しいです~」
と言うかやっぱりその話になったか……。
今現在俺は、成り行きとは言え、お母さんにクゥが昇進したと嘘をついている状態にある。
お願いだから余計なことを言うなよクゥ。
「魔王城の門番? 違うのだ、ボクは魔王の奴隷をやってるのだ」
お願いだから余計なことを言うなよクゥ!
よりにもよってそれ言っちゃうか!? お母さんの前で何てこと言うんだ!
「奴隷? 奴隷ってどういうことですか~魔王さま」
眉をハの字にして、心配そうな顔をこちらに向けるお母さん。
そりゃ娘が昇進したと思って喜んでいたら実は降格していましたどころか、人間的立場まで下がっていましたなんて知ったら、心配にもなるだろう。
「そ、それは……」
まずい。何か良い言い訳を考えないと。
もしこのお母さんを怒らせて巨大犬バージョンで暴れられでもしたら、城が破壊される。半壊は確実だ。
「ど……どういうことでしょうね? 多分奴隷じゃなくて、門衛の言い間違いですよ」
「門衛?」
「はい」
奴隷と門衛、ちょっと厳しいか……?
「門番と言うと、門ワンと聞こえることがありまして、そうすると――」
「門ワンじゃないのだ! ボクは犬じゃないのだ!」
ナイスクゥ!
「と、こんな風になるので。ここでは門番ではなく、門衛と言ってるんです」
「……」
これでどうだ……?
「そうなんですか~」
「は、はい、そうなんです」
ふう……どうやら信じてくれたみたいだ。
お母さんが天然でよかった。
もしも相手がエメラダだったなら、門衛でもワン衛と聞こえるかもしれないと指摘されていたことだろう。
と言うか“番”も“ワン”で“門”も“ワン”に変換されるとなると、“門番”ってもう“ワンワン”じゃないか。
「それじゃあこれからも頑張って精進して、そして昇進してくださいね~、クゥ」
「わん! ボク肩肘張るのだ!」
「はい、胸も張ってください~。お父さんもきっと褒めてくれます~」
相変わらずわけが分からない会話だ。
「そう言えばお父さんはどこなのだ?」
「お父さんは途中までは一緒だったんですけど~途中で『帰る』って言って帰ってしまいました~」
「お父さんはカエルなのだ」
「最近は家に引きこもりがちで~」
「お父さんはヒキガエルなのだ」
「そんなこと言ったらお父さんに怒られますよ~? 『も~』って」
「お父さんはウシガエルなのだ」
…………。
何だか二人の発する空気が独特過ぎて、会話に入り込めない。
いや、まあ久しぶりの対面みたいだし、俺は入らずに家族水入らず会話してもらった方がいいんだけど。
とにかく、ドコに何をつっこめばいいのか分からない。
「○ンコにナニを突っ込めばいいんですのよまおーさま」
「おいネネネ、いきなり出てきて何とんでもない発言してるんだ!」
「ではもっとマイルドにいきますの。ゴホン……凹にナニを突っ込めばいいんですのよまおーさま」
変ってないからね!?
「あ、ネネねーちゃんなのだ!」
「ねーちゃん?」
突然のネネネの登場に、驚いた様子のお母さん。
「そうなのだ、ネネねーちゃんなのだ」
「わんちゃん、ってあらあら気付きませんでしたの、お隣の方はどなたですの?」
「ボクのお母さんなのだ!」
「まぁ、それはそれは。こんにちはお母様。わたくしはネイドリーム・ネル・ネリッサと申します」
と、クゥのお母さんに会釈をするネネネ。
そこまではよかったのだが――
「まおーさまの伴侶などをやらせていただいておりますの」
「おいネネネ」
「ちなみにあなたの娘さんはまおーさまの捕虜、もとい奴れ――」
「おいネネネ!?」
慌ててネネネの口を手で塞ぐ。
「むぐぐ」
やっと乗り切ったのに何を言ってくれるんだ! まったくもうまったくもう!
「どうしたんですか~魔王さま?」
「あ、お母さんはお気になさらず。あはははは。後、こいつ伴侶じゃないんで」
「はあ、そうですか~」
まったくもって状況についていけていない様子のお母さんだった。
よかったよかった。
「それで? ネネネ。お前は一体何の用だ?」
「ネネネは天使の様ですの」
「出て行け悪魔」
「冗談ですのよ、もうまおーさまったら。言い直しますの。ネネネは妖精の様ですの」
「そんな駄洒落求めてないからね!?」
俺が聞いてるのは、一体ここに何をしに来たのかってことだ。
大体妖精の“様”じゃなくて、妖精そのものなんじゃなかったのか? 自称だけど。
「まおーさまったら、相変わらず激しい突っ込みですの。ネネネ、イッちゃう」
「ああ、早く言ってくれ」
何をしに来たのかを。
「クゥちゃんを呼びに来ましたのよ。かくれんぼ、途中でしたので。ババアが早くしろとうるさいんですの」
「忘れてたのだ、次ボクが鬼の番だったのだ」
それを聞いて、かくれんぼなんて遊びをしていて門番の仕事は大丈夫なのかと、俺に尋ねてくるお母さん。
「はい、大丈夫です。たまには息抜きも必要ですから」
「そうですか~?」
「はい」
本当はいつも息抜きだけど。
まあ迫って来る脅威など、今のところ何もないのだし構わない。
そもそも門番の仕事をお願いすらしていないし……。
「まおーさまも、タマにはイキヌキが必要ですのよ?」
「はいはい」
ネネネが言うと、何でも卑猥に聞こえるから不思議だ。
「それじゃあお母さん、ボク、ネネねーちゃんとルージュねーちゃんとかくれんぼしてくるのだ」
せっかく久しぶりに会ったのだから、今日くらいゆっくり話せばいいのにと思わなくもないが。
まあ親子なんてそんなものか。
「行ってきますのだ!」
クゥは母を一度強く抱きしめた後、ネネネと一緒に走って食事の間を出て行った。
「行ってらっしゃ~い」
そんなクゥの後姿を見つめるお母さんの目は、まさしく母のそれであった。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。




