第佰漆拾漆閑 リコリス・ラディアータ
「あのですね逸花さん。出来れば痛いのは嫌なんですけど」
「ダーメ、仕方ないんだよたっくん。これは愛だから」
「それのどこが愛なんだ……」
木にくくりつけて、釘で打ち付ける。
それのどこが愛なんだ。
それは愛じゃなくて怖ぁいだ。それか痛ぁいだ。
「あれ、私前に言わなかったっけ? 愛は痛いだって。傷を成す略して絆だって」
「聞いたよ、聞いたけどね?」
「なら分かってくれるよね? 痛いかもしれないけどそれは愛。傷つくかもしれないけど、それは絆を深めるためには仕方ないことなの」
「ちょっと待って、あれは精神的な話だよね?」
痛いのは心で、傷を成すのも心。
お前のはだから、物理的じゃないか。
「ふーん、そっか。たっくんは分かってくれないんだ。じゃあもう木にくくりつけるのも釘で打ち付けるのもやめて、いっそのこと、薬漬けにしちゃおっかなー」
「く、薬漬け!?」
「そ、何かの薬品に漬けてー、私のお人形さんにするの。これぞラブドールだね」
いや、ラブドールは違うような気がするけど。
「ラブドールが嫌なら、ラブラドールでもいいよ?」
「よくないよ! 俺はお前のペットか!?」
「そう。たっくんは私のペット。ペットボトル」
そっち!?
「たっくんは、私を潤す水分を入れた容器」
ほーへーはーふーん。
なるほどー、俺の体の構成成分の、約六割を占める水分は、逸花を潤すための物だったのかー。
「そーだよー」
「そうじゃないよ!」
全然、全く、そうじゃない。
「と言うか逸花、その薬漬けも愛なのか?」
「うん、これもまた、愛の一つの形」
愛って多様だなぁ……。
いや、そんなものは愛じゃないよ、辛ぁいだよ。
いやいや、辛いどころじゃないよ、もうそれはあれだよ。
何も掛けることなく、掛け値なしに、純粋な、ただの死だよ。
まったく、薬漬けじゃなくて、口付けくらいにしておけば可愛らしいのに。
「そうだたっくん、たっくんに出会ったら聞きたいことがあったんだけど」
「何だ?」
「溺死ってー、愛に溺れて死ぬことだよね?」
「そうであったなら、世界はさぞ美しいだろうな」
「愛って美しい!」
お前の愛は鬱くしい!
「違うよー私の愛は不屈しいんだよ」
「いやまあ確かにそうだけど。でも俺からすれば、お前の愛は鬱屈しいだよ」
「鬱屈しい……何? つまりたっくんは、私の愛に不満があるってこと? やっぱり、私の愛を、絆を、分かってくれないってこと?」
唐突に話を元に戻す逸花。
「え、あ、いや……」
流れで、ついいらないことを言ってしまった……。
「違うよね? たっくんなら分かってくれるよね?」
「……」
分かると答えれば、俺は木にくくりつけられて、釘で打ちつけられる。
分からないと答えれば、薬漬けにされる。
か……。
「……分かる、分かるよ逸花ちゃん」
「本当にー!?」
「ああ」
背に腹は、代えられない。
「そっかーよかった。たっくんならそー言ってくれると思ってたよ」
そりゃそれ以外の選択肢を潰すのだから、当たり前だ。
「はい、じゃーたっくんが分かってくれたところで、この話は一旦終わり」
ポンと手を打ち、次はと逸花。
「さっきからたっくんの周りをウロウロしている、その雌たちのことについて聞かせて欲しいな。それは、何?」
「あなたこそ、何なんですの!?」
ネネネを黙らせておくのも、そろそろ限界か。
まあ、こいつにしてはよく我慢してくれた。
「だからー言ってるじゃない、その人の嫁だって。妻だって」
「ツマ? 面白いことをおっしゃいますのねあなた、一体どこの刺身のツマなんでしょう」
刺身のツマ。それはネネネが、昔ルージュに言われたことだろう……。
「そこの刺身のツマだよ?」
言って、逸花はさっきと同じように俺を指さした。
「たっくんは浮気をしたので、今から刺身になりまーす」
「ひいっ!?」
「さーたっくん。まずは、張り切って腹切ってみよー!」
相変わらず、ぽかぽか笑顔でそんな怖いことを言う。
まったく、次から次へと、今日はなんて災難な日なんだ。
困難が、怒涛のように押し寄せてくる……。
勇者が俺を倒しに来るとおじさんから聞いたとき、何だか面倒くさいことになりそうだと思ったものだけど。
これは、予想以上に面倒くさい。
まあ、まだ逸花がその勇者だと決まったわけでは全然ないけど。
もしかしたら、更なる試練が俺を待ち受けてるかもしれないけど。
かもしれないけどそれはともかく、今は目の前の事案に集中しよう。
「ねえたっくん、それは何なの? 答えて?」
「家族ですの」
その問いに答えたのは、ネネネだった。
「家族なのだ!」
ネネネに続くように、クゥが口を開く。
「家族……?」
逸花が、唖然としている。
「おいおいお前ら……」
そのとおりであって、全く間違いではないのだけど。
今それ言っちゃうか?
いずれは言わなくてはならないことだけども。
今は、今言うのはまずいだろう……。
展開が悪すぎる。状況が悪すぎる。確実に誤解を生む。
「へー、家族……家族かー。たっくんは私に嘘をついて、私から逃げて、私を放って、こんな所で女遊びをするどころか家族までつくって、あげく子どもまでいるなんて……」
子ども。どうやらルージュのことを言っているらしい。
いやはや本当に状況が悪い。
「あ、あのなあ逸花。確かに家族は家族なんだけど、お前の思っている家族とは――」
「言い訳はいらないよたっくん」
いらないというより、はいらないと言った感じだった。
耳に入らない。
怒っている。
彼女が怒ることはほとんどないと言ったが、それはほとんどであって、全くではない。
ついさっきも、怒っていたところだ。
そしてその数少ない怒る要因の一つがこれ、女絡み。
生前、これ絡みの誤解で、何度危ない目に遭ったことか……。
「い、逸花! 話をしよう! 話せば分かる」
「話ならお家に帰ってからたっぷり聞いてあげる。体にたっぷり聞いてあげる。さあたっくんこっちにおいで、こんなところにいたらダメ。一緒にお家に帰ろう」
「俺の家はここだ」
「そっか、そんなことを言うのはきっとその雌たちのせいだね。殺さなきゃ、たっくんに付く悪い虫は全部殺さなきゃ」
「おい、待てって逸花!」
しかし逸花は俺の言葉など聞かず、地面に突き刺さっていた鮪包丁。
日本刀とまごう程の長さのそれを引き抜き、左手に構える。
右手には三徳包丁。
二刀流だった。
包丁だから、二包流か。
「うーん……」
本当にあれで攻撃を仕掛けてくることはないはずなんだけどなぁ。
それに斬られたところで、正直この体じゃ全然問題ないし。
ラヴにいつもされてるし。
まああれはラヴが手加減して、その技術をもってして、皮一枚斬る程度に抑えてくれているからっていうのもあるのだろうけど。
そもそもだ、そもそも十代の女の子が、あんなものを自分が振るえるという、振るってバトルが出来るという発想に、行き着くはずがないんだけどなぁ……。
「どうしたものか」
「ここはワシに任せい」
言って、俺の前に立ったのは、満を持してのルージュだった。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。




