第佰漆拾陸閑 ハンケツ
ある言葉。
前に、元の世界に戻ったときに病室で彼女が言った。
あの言葉。
――『もし次ぎやったら、私も同じことするかもしれないよ?』
まさかこいつ、本当に飛び降りて死んで、異世界に?
いやでも待て、本当に飛び降りたのだとしても、死んだのだとしても、異世界には来れない。来れまい。
俺が異世界に来た理由は、飛び降りて死んだからじゃない。
死んだのは死んだらしいけど、それは、神様が間違えて殺してしまったからで。
そしてそれを神様が隠蔽しようと焦って、色々ややこしいことになったせいなのだから。
これと同じことが、俺と同じことが、逸花にも起こればその限りではないけど。
そんなことが起こり得る確率なんて、天文学的数字だろう。
まああの神様ならやりかねないような気が、しないでもないけど。
と言うか体だ。
逸花の体、髪型と髪色は変ってしまっているけど、その他の声や顔、体型なんかはそのままだ。
髪型は結び方を少し変えただけだし。
俺と同じような理由で異世界に来たというのなら、それはおかしい。
だから思い出すべき言葉はこれじゃない。
こっちだ。
町だ。
町で野菜をくれたおじさんが言っていた、あの言葉だ。
――『勇者召喚計画』
――『王都が新たに勇者召喚計画ってーのを企ててるらしい。何でも別の世界から強い人間の魂や、魂だけじゃなく体まで召喚するとか何とか。で、召喚したそれに、あんたを倒させるんだと』
逸花が、これに巻き込まれた。
それなら声や顔、体型が同じなのにも頷ける。
いやいやでも、そんなものに巻き込まれる確率なんて、天文学的数字もとんで逃げ出すレベルの低さだろう。
でも、こいつなら。
「な、なあ逸花、一つ聞いていいか?」
「いいよー。一つと言わず、二つでも三つでも。四つでも逸花でも」
逸花でもって。
「私もたっくんに聞きたいこと、たくさんあるしねー」
ニッコリ笑顔の逸花さん。
怖い、その笑顔が怖い。
『たくさんあるしねー』の『しねー』の部分が、『死ねー』にしか聞こえない。
「その笑顔が可愛いだなんて、もう、たっくんったら」
「そんなことは、思ってないよ?」
「今のうちに媚を売っておいた方が、身のためだよー?」
「ひいっ!?」
ヤバイヤバイヤバイヤバイ!
「いやぁ、逸花ちゃんの笑顔は可愛いなぁ。ナメ回したいくらいだよ」
「そうでしょー? で、聞きたいことって何?」
「ああ、そうそう。逸花、まさかお前が、魔王を倒しに来た勇者じゃないよな?」
「魔王を倒しに来た勇者? 何のことかなー?」
誤魔化し方が雑すぎる!
いや、でも逸花はいつも大体こんな感じだし。
「強いて言うならー、私は、桜満を押し倒しに来た遊佐だよ?」
桜満を押し倒しに来た遊佐。
いやはや、何ともステキな奴が現れたものだ。
しかしそれにしても分からない。
どっちだ?
とぼけているだけなのか、本当に状況を飲み込めていないのか。
「ネネネも、聞きたいことがありますの」
今までそれなりにおとなしくしていたネネネが、とうとう口を開いた。
「何かなー?」
「あなたは、どこの馬の骨ですの?」
どんな質問だとツッコみたいところではあるが、黙る。
「馬の骨? 違うよー、私は桜満の嫁だよ。その人の嫁」
逸花は俺を指さす。
「何ですって!? どう言うことですのまおーさま」
「ちょ、ちょっと待て逸花、いつからお前は俺の嫁になったんだ?」
「えーだって、私はたっくんの許婚でしょ? ってことは、もー嫁も同然じゃない」
「待て待て、お前は俺の許婚じゃない」
そんな話、一度も聞いたことはない。
「あれー? 名付け親だっけ?」
「もっと違う」
俺達年齢同じだし。
「ああ、じゃーあれだ。手懐けだ」
「手懐けられてもいない」
「そう。そうだよね。私は、たっくんを手懐けられていない……」
そこで、逸花の目が、真っ黒の真っ暗に変った。
「いつ、か?」
そして彼女は服を捲り、中から包丁を取り出す。
それは三徳包丁。
「あ、相変わらず、そんなものを持ってるんだな」
「肌身離さずねー。他にもあるよ?」
持っていた三徳包丁を地面に突き刺し、新たな包丁を取り出す。
「これが出刃包丁」
それも地面に突き刺し、また新たな包丁を取り出す。
『菜切包丁』『柳刃包丁』『刺身包丁』『鮪包丁』
ザシザシと音を立て、一本、また一本と、地面に包丁が付き立てられていく。
『薄刃包丁』『麺切包丁』『パン切り包丁』『中華包丁』
「鰻裂きに牛刀、他にももっとあるよー?」
「あるよーじゃないよー!」
銃刀法違反で捕まるよ!
鮪包丁なんてお前、ほとんど日本刀じゃないか!
「でもねー、一番お気に入りだった果物ナイフがなくなってるの……きっと病室に落として来たんだと思う」
「そんなことどうでもいいよ!」
「そう、そんなことどうでもいいんだよ。ねえたっくん」
「はい」
「私は怒っています。怒っています」
逸花は、地面にささった包丁の一本、三徳包丁を手に取る。
「さて、なぜでしょうか?」
「さあ、なぜでしょうね?」
「たっくん……」
おっと。どうやら今回は、珍しく冗談抜きで怒っているらしい。
逸花が怒るなんて、本当に珍しい。
突飛で危険な言動ばかりの彼女だが、実のところ、本当に人を傷つけたりすることはない。
それどころか、怒りを表に出すことさえ少ないのだ。
信じられないかもしれないけど、事実だ。
大抵のことは笑って済ます、黒く笑って済ます。
殺すだの何だの言ってはいるが、それは冗談に過ぎない。
まあ、それは当たり前だけど。
とにかく、こいつは口だけだ。
『口だけ』という言葉は普通マイナスなイメージで使われるけど、この遊佐逸花に使う場合に限ってだけは、プラスなイメージである。
そんな逸花が、本気で怒っている。
「どうして。どうして私は怒ってると思う?」
怒っていると言うか、悲しんでいると言うか。
いつものようにおどけてこの場を乗り切れるかどうかと問われれば、答えは否。
はぐらかすことも、だまくらかすことも、不可。
「それは、俺が、約束を破ったから」
約束を破って、飛び降りたから。
「そうだよ、そう。たっくんが私との約束を破ったから。何だ、分かってるんだ」
「分かってる。そのことが気掛かりではあったから」
逸花は、心配しているに違いない。悲しんでいるに違いないと。
「お前には悪いことをしたと、そう思ってはいたから」
夢に出てくるほどに。
「でも、俺にもその、色々事情が」
「そうですの、話の内容がいまいちよく分かりませんけど、まおーさまにはエロエロ情事がおありですの!」
「エロエロ情事……?」
「違う違う! ちょっとネネネ、ややこしくなるからとりあえず今は静かにしててくれ」
「ぶーですの」
「お願いだから」
ルージュとクゥにも言っておこうと思ったが、その必要はなさそうだ。
ルージュはさすが、年の功か、事態を冷静に静観しているし。
クゥはそもそもよく分からないこの状況に、挟める口がない。
「エロエロ情事って何? たっくん」
「エロエロ情事じゃなくて、色々事情!」
「色々事情?」
「そう」
ラヴのこととか。
ネネネのこととか。
ルージュのこととか。
エメラダのこととか。
クゥのこととか。
異世界のこととか。
「こっちで、生活したかったんだ」
「生活と言うより、それは性活なんじゃないかな? だってそれ、皆、雌の名前でしょ?」
ギクリ……。
「気になるなー。特にそのイセカって人。私に名前が似てる」
確かに似ているイツカとイセカ。
だがしかし。
「いや、逸花。イセカじゃなくて、異世界ね。唯一それだけ、人名じゃないんだけど」
もしイセカなる人物がいるとしたら、それはお前のことだろう。
異世界から来た逸花、略してイセカ。
「へー、たっくんは人じゃないものまで手篭めにしてるんだ」
「そうじゃなくて」
ツッコミも迂闊に出来ない……誤解を生む。
この考えだって危険だ。
迂闊にピーにピーを突っ込んだから、五回も子どもを産むことになった。
的な感じで捉えられる可能性が、無いとは言えない。
もうゴチャゴチャと考えている場合じゃない。
「と、とにかく、本当に悪かった」
ごめん、と俺は深々と頭を下げた。
「……」
しばらくして、逸花は口を開く。
「んー……そっか、まーとりあえず、ちゃんと悪かったとは思ってくれてたんだね。それと、私のことを忘れたわけでもなかった」
そっかそっかと頷く彼女。
「それじゃー謝ってもらったことだし、許してあげる」
判決は、情状酌量か。
「そもそもあれだもんねー、私がたっくんを手懐けられてなかったのが悪かったんだもんね」
いや……。
「だから、これからはちゃんとたっくんを手懐けないと。手懐けてー、私に釘付けにしないと」
……雲行きが怪しい。
「まずは木にくくりつけてー」
おいおい。
「そして釘で打ちつける」
おいおいおいおい。
「これぞ釘付けだねっ!」
「物理的にねっ!」
「ほーんと、私ってば相変わらず名案!」
だから毎回言ってるけど名案じゃないからね。
強いて言うなら冥案だからね。
俺を冥土に送るための案だからね。
と言うか、許してあげるって言ったくせに、結局死刑判決じゃないか……。
いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。




