第佰漆拾伍閑 花、来るい咲く。
四月。
月が四つ出る四月。
季節は春。
春と言えば、出会いの季節であり、別れの季節でもある。
そして花が咲く季節でもある。
そのせいで鼻が泣く季節でもあるけど。
さて、花が咲くこの季節。
今朝起きて窓の外を眺めてみれば、魔王城近くの山にある桜の木が、正確には桜に似た木が、満開になっていた。
山は一面桜の木に覆われ見事に真っ白で、それはもうまるで雪山のように輝いて見えた。
あまりにも綺麗だったので、朝、朝食をとっているときに皆に相談し。
お昼は外で花見をしながらご飯を食べようということになったのだった。
その準備をしていたときのことだ。
役割分担はいつもどおり、ラヴとエメラダが食事の用意、俺とネネネとルージュとクゥが場所の用意。
「おっほっほっほっほ!」
「はっはっはっは!」
「にゃっはっはっはっは!」
と言っても、もちろん用意をしているのはほぼ俺一人なわけだけど。
「おーい、お前らもちょっとは手伝ってくれ。ほらネネネ、これ敷くからあっち持って」
「エッチ?」
「エッチじゃない、エッチはしない! あっち!」
「ルージュはこっち」
「たっち?」
「おさわりもしない! こっち!」
「クゥはそっち」
「察知」
「察知もしない! って、察知?」
誰かいるのだ、と三角お耳をピクピクと動かしながら、クゥは桜の木が立ち並ぶ、目の前の山を指差す。
「誰が?」
俺が彼女の指さす方に視線を向けたのとほぼ同時に
「やっと、見つけた……」
そいつは、桜の木々の間からにゅっと現れた。
果たして俺にとってこの春は、今春は、別れの季節ではなく出会いの季節であったらしい。
そいつ。
俺を見つめ、小さな声で『やっと見つけた』と呟く、俺と同い年くらいに見える女の子。
オレンジ色の長い髪。
耳の上辺りで細く束ねられたツーサイドアップ。
「かっ……い……?」
俺は最初その子を見て、逸花だと思った。
逸花。遊佐逸花。
だから驚きのあまり絶句したのだがしかし、違う。似ているが違う。
俺の幼馴染であるところの遊佐逸花。
彼女は確かに明るい茶髪ではあったが、あそこまではっきり、オレンジ色と、橙色と呼べるほど明るい色ではなかった。
そして髪型も、確かに耳の上で細く束ねてはいたが、彼女の場合はツーサイドではなくワンサイド、片側だけだった。
そもそも逸花が、この異世界にいる分けがない。
なら誰だ?
俺と同じように、ネネネとルージュとクゥが『誰ですの?』『誰じゃ?』『誰なのだ?』と、疑問を口にする。
そして俺の方を向く。
お前の知り合いかと言いたげに。
「いや、俺にも分からない」
俺も知らない。この世界に来て、こんな人とは一度も出会ったことはない。
「やっと、見つけたよ……」
でも小声でぼそぼそとそう呟く彼女は、俺のことを知っている風だ。
他の誰でもなく、俺のことを見つめてそう呟いているのだから。
となると魔王の知り合いだろうか。
「あの、えっと。どなた、ですか? どなた、でしたっけ?」
「酷いなー、私のこと忘れちゃうなんて」
今度ははっきりとした声で、笑って言う。
そのどこか聞き覚えのある声と口調に、俺の中に疑問が生まれる。
やっぱり彼女は逸花なんじゃないか? と。
いやでも、だからここは異世界、逸花がここにいるわけはないんだ。
「せーっかく会いに来たのに。愛しに来たのに」
しかし彼女の次の言葉で、その疑問は確信へと変った。
「たっくん」
たっくん。
たっくん。
たっくん。
たっくん。
脳内で、その言葉が響き渡る。
「いっ……か……」
たっくん。
俺のことを、桜満明日太のことをそう呼ぶのは、たった一人。
遊佐逸花を除いて、他にいない。
つまり、彼女は――
「逸花」
「そうだよ、逸花だよー。覚えていてくれて嬉しいな。あ、でも当たり前か、たっくんが私のことを忘れるなんてありえないもんねー」
久しぶりに見るそのぽわぽわした笑顔は、間違いなく遊佐逸花のものだ。
「ひ、久しぶりだな逸花、髪の毛、どうしたんだ?」
聞くべきことはそんなことではないのは十分理解しているつもりなんだけど、どうにも逸花が異世界にいるというこの状況に混乱して、思考と口が噛み合わない。
「髪の毛? ああ、ツーサイドにしたんだー。イメチェン。似合うでしょー?」
ピコピコと動く、二本の触角。稼動可能らしい。
「あ、ああ。似合う似合う」
逸花はもともと顔立ちがいいから、どんな髪形をしても、基本的にどれも似合う。
「似合うんだけどそうじゃなくてさ。俺が言ってるのは髪型じゃなくて、髪色のこと」
イメチェンじゃなくて、イロチェン。
「どうしてそんな色になったんだ?」
茶髪だったのが、今や、もし彼女が高校生なら、頭髪チェックで即進路指導室行きレベルの橙髪だ。
これでは逸花ではなく、橙花である。
「さー、分からない。気付いたらこんなことになってたの」
「そうか。って、じゃなくて」
ようやく、少し落ち着いてきた。
「なーに? たっくん」
「逸花、どうしてお前がここに?」
「だから言ったでしょー、たっくんに会いに来たんだって。たっくんを愛しに来たんだって」
「そうじゃなくて、どうしてお前がこの世界にいるんだよ」
この異世界に。
「さー、分からない。気付いたらこんなとこに立ってたの」
「そう、なのか?」
「うん。私、病室でたっくんにリンゴを剥いてあげてたはずなんだけどなー」
「そうか」
…………。
何と言うか、かんと言うか。
意味が分からない。
混乱状態から脱したところで、分かったのは、分からないということだけだ。
なぜ。
彼女が。
この異世界に?
考えられる理由としてまず挙げられるのは、夢。
これが俺の夢だということ。
『今朝起きて~』などと言っておきながら、実はまだ俺はベッドの中、夢の中にいるのかも。
前にも一度、逸花の夢を見ているし。
「なぁネネネ、俺のほっぺたを叩いてくれないか?」
「そういうプレイですの? こんな白昼堂々大胆ですのねまおーさま……ぽっ」
「プレイじゃなくて……」
「あら、あらあらまおーさま。今気付いたんですけど、プレイって、並べ替えるとヒワイでヒドイ言葉になりますのね」
そうだね、そうだけどもね……。
「やっぱりいい、他の人に頼む」
ルージュは力が弱いからと。
「クゥ、俺のほっぺたを叩いてくれ」
「アッシュタを叩くのだ?」
「んーまあ概ね正解だからそれでいいよ、頼む」
分かったのだ。
頷き手を大きく後ろに引くと、クゥはその怪力をもってして、俺の背中を遠慮なく引っ叩いた。
「――――っいぃぃぃぃってぇぇぇぇ!」
夢じゃなかったぁぁぁぁ!
夢の中では、痛覚は感じないと聞く。
つまりこれで、夢であるという線はなくなったとみていだろう。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
しかしクゥちゃん、相変わらずとんでもない力だ。
一瞬息が出来なかった。
「まおーさまったら、叩かれてはぁはぁ言って。本当にそういうプレイがお好きですのね。ではネネネも今度から――」
「しなくていいよ!」
まったくもうまったくもう。
こんなときに。
さて、これが夢じゃないとすればどうだ、他に可能性としては何がある。
すぐに思いつくのは、後はここが異世界じゃないということ。
元の世界だということ。
でもそうだとすると、ネネネやルージュやクゥがいることが、今度はおかしくなってくる。
「あ……」
俺はそこで、ふと、ある言葉を思い出した。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。




