第佰漆拾参閑 エスメラルダ・エバー・グリーンの場合 丁
「ただ、もしも娘を傷つけたら」
お父さんの目が、ギラリと光る。
「ど、どうなるんでしょう……」
「ユルユルになる」
「どこがですか!?」
ま、まさかケッ――!?
そんな……それだけは嫌だ!
「あーすまない言い間違えた。ユルユルになるではなく、許さないと言おうと思ったんだ」
酷い言い間違いだ、もはや言い間違いの域を超えている。
「だがまあユルユルになる、でも私は構わないがね」
「僕は構いますよ!」
「僕オカマですよ? なら丁度いいな」
「よくないです! 全然よくないです!」
「ははっ、冗談だよ」
冗談に聞こえませんよ!
「さっきも言っただろう、私は男に興味はない」
「そうでしたね」
「ま、とにかく、娘を傷つけたら許さないからな」
「……」
「……」
「……。絶対に傷つけないとは、約束できません」
しばらく迷った後、俺はそう答えた。
ユルユルにされたいからそんなことを言ったわけでは、決してない。
「……」
予想外の回答だったのだろう、予想外過ぎる回答だったのだろう。
ハトが豆鉄砲をくらったかように目を丸くする、ハトではなく、父様。
「もちろん傷つけないように気を付けはします。しますけど、でも」
「何だ、自分も生き物だから、気付かないうちに傷つけてしまうこともあると、そう言いたいのか?」
「いえ、そうではなくてですね」
それも、ないではないが。
「傷つけることがあってもいいんじゃないかなって」
傷つけられることも。
「家族ですから」
家族だから。
「傷つけて、傷つけられて。傷つけ合って。それでいいんじゃないかなって、思うんです」
「……」
「もちろん気を使うこともします」
親しき仲にも礼儀あり、それは家族でも同じ。
「でも傷つけ合うこともします」
それが出来ないような関係は、家族じゃなければ友人でもない、知り合い以下の、ただの他人だ。
と、俺はそう思うから。
「そうやって傷つけ合って、絆を深め合うと言いますか、何と言いますか」
言っていて、そろそろ恥ずかしくなってきたし、そもそも人間そんなうまく行くかよとも思うけど。
『傷を成す、略して絆』
そう言えば昔、逸花がそんなことを言っていたっけ。
聞いたときは何を言っているんだと思ったものだが、今なら少し、分かるような気がする。
『ねえたっくん、愛は思いでも想いでも重いでもないんだよー。愛は、痛い、なんだよー』
……。
『愛は痛い。傷つけ合い、傷つけ愛なんだよ』
……。
『だからほら、愛情って言葉にも傷が入ってるしー、絆にも傷が入ってる。キスだって、濁点をつければ傷になる』
……。
『結婚だって書き換えれば血痕でしょー?』
……。
『労わるも“労わる”じゃなくて、“痛わる”書くべきなんだよー』
何だか、いらないものまで思い出してしまったけど……。
「とにかくその、だから、絶対に傷つけないとは約束できません」
「……」
「も、もちろん何度もいいますけど、わざと傷つけたりはしませんよ!? 気を付けはします」
わざと踏んではいけない地雷を踏んだりは、わざと触れてはいけない爆弾に触れたりはしない。
「でも傷つけてしまうことが、必ずしも悪いことではないかなって――」
「はっはっはっはっは!」
突然、大口を開けて豪快に笑い出すお父さん。
「え、あの」
「普通ここは、たとえそう思っていたとしても、とりあえずハイと言っておくところだろう」
「そう、ですかね」
「そうだ。まったく。本当に君はバカだな」
「すみません」
でも、と彼。
「やっぱり、あたたかいバカだ」
「……」
「よし分かった、じゃあこうしよう。ときに傷つけてしまうことはあっても構わない。だが娘が望む限り、君はあの子の傍にいてやってくれ」
「はい!」
今度は迷うことなく、そう答えた。
望まれなくとも、傍にいる。いつまでだって、傍にいる。
ストーカーにだって、何にだってなってやる……グヘヘ。
いや、それは冗談だけども。
「さて、じゃあ何か面白いことでも言ってくれないか」
「さてって、じゃあって。どうやったら今の流れでそこに繋がったんですか!?」
「すまないね。私はオチャメなもんで」
オチャメと言うか、それはムチャメですよ、ムチャ振りですよ。
「さあ」
さあって……。
「分かりましたよ。じゃあいきますよ」
「うむ」
「顔面がガーン! 断面がダーン! 盤面がバーン!」
「……」
ガーンでもダーンでもバーンでもなく、相変わらずのシーンだった……。
「あのですねお父さん。僕の知り合いに“伝説のコンビ”ってのがいるんです。そいつらならもう少しマシなことを言えると思うので、今度紹介します」
「ほう、伝説のコンビーフ」
「コンビーフがコーン! いえ、お父さん、コンビーフではなくコンビです」
確かにコンビーフのように、赤い奴は、紅い奴はいますけど。
「伝説のコンビニ?」
「コンビニがコーン! いえ、だからお父さんコンビにではなく、コンビですって」
確かに伝説のコンビの紅い方みたいに、真っ赤なコンビニがあるらしいですけど。
「あーえっと、僕、そろそろ寝てもいいですか?」
これ以上ツッコミきれないと言うか、付き合っていられない。
事故に巻き込まれるのは、勘弁だ。
それにそろそろ眠たくもなって来たし。
「それは娘と寝たいと、そう言うことか?」
「違いますよ」
「何、なら私と?」
「違いますよ!?」
「ははっ、冗談だよ。付き合ってくれてありがとう。おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
今日も読んでいただき、本当にありがとうございました。




